54 麻痺
当初の決行予定日から1週間が過ぎた。
壁の中に匿われていた郊外の人たちは、まるで何事もなかったかのようにいつもの暮らしに戻っている。
中には壁の中に留まっている者もいるが、食料品の支給が今は凍結されているため、それなりに裕福な者しか壁の恩恵にあずかることはできなかった。
郊外の人たちを追い出すことになった日、誰もが反対の声を上げた。それでも食い扶持に困った人から、ひとりまたひとりと郊外での暮らしに戻るしかなかった。抗議で腹は膨れない。
俺はままならない現実にため息をついた。
「あの農家のおじいちゃんとか、真っ先に戻ってるだろうなあ。場合によっちゃ命より野菜を優先しかねないし」
「我がしもべよ、オルトロスめの居場所はなんとなくではあるが今も追跡できているであろう。何故攻めに行かぬゥ?」
「リーシャさんに却下されてんだよ、神様も聞いたろ。戦力が出ていったスウォールは格好の的だ。オルトロスの推定機動力なら、外に出た討伐隊を置き去りにしてこの街を好き放題できちまう」
俺は相変わらずウンコ鑑定家として活動中であった。
斥候に出ている冒険者にはもともと個別に活動してもらっていたのだが、オルトロスが各個撃破をしてくることへの警戒もあって、無理やり5人1組で痕跡探しやウンコ集めをしてもらっている。
語尾が特徴的な『風来』のシノビさんも、本来得意としている単独行動が禁止されて本来の実力が発揮できないと嘆いていたっけ。
冒険者たちからは、いつまでこんな地味な仕事をやらせるつもりだとの声も溜まり始めていた。
ベテランたちはぐっとこらえて必要なことだと割り切れているようだが、このままでは彼らの感情がいつ噴火してもおかしくない。
何度かダメ元でウンコの神に協力してもらって挑発のウンコをひねり出したが、オルトロスは釣れなかった。成体ともなると効かないらしい。
「糞喰い殿、拙者がただいま戻ったでござる!」
「噂をすれば何とやら、か。シノビさんお疲れ。オルトロスには遭わなかったようで何よりだ」
副支部長室のドアをくぐってシノビさんが戻ってきた。プンと臭いにおいが漂ってくるところを見るに、ウンコを持ち帰って来てくれたらしい。
「うむ、たしかに。しかし例のオルトロス、自分の糞を調べられていることに気づいたかも知れないでござる。ここに持ち帰りし糞の欠けら、土の中に埋められていたのでござるよ。掘られたような跡が残っていたゆえ気づくことができたが……調べてもらってもよいでござるか?」
「神様、確認だ。早く」
「そう急かすな――ほほう、これはオルトロスのものだな。強い怒りを感じるぞ。身体機能もほぼ万全のままと言っていい」
ああくそ、頭いいなオルトロス。ウンコの神の存在はバレてなくても、ウンコから人間が情報を取ってるってことをどうしてかはわからないが学んだんだ。
だから隠すなんてことをした。確実にこっちの手の内が知られつつある。
「シノビさん、これが見つかった場所は? あと神様、いつのウンコかもさっさと教えてくれ」
「承知、ここより北東に広がる森に――」
「これはまず確実に昨日のウンコである。正確な時刻を付け加えるならばァ――」
どちらにせよ俺たちができることは同じだ。何も変わっていない。オルトロスのの行動パターンを予測して、攻め込んでくるであろう大まかな方向と日時を絞り込む。
『……そっちの人も、約束してくれる?』
1週間以上前に交わした、緑髪の少年とのオルトロスを捕まえるという約束がフラッシュバックした。
彼は今どこで何をしているだろうか。変わらない現実を突きつけられて絶望してはいないだろうか。それとも約束を果たせなかった俺に失望しただろうか。
ああ、何もできていないことが歯がゆくてむしゃくしゃする。オルトロスに挑むことすらできていない自分が腹立たしくてたまらない。
そして俺がそう思っている以上に、周りの冒険者たちは言葉にならない燃え滾る思いを内に秘めているのだろう。
俺は自分の頬を叩いて気合を入れなおした。




