51 父と子と
アーリャ視点です
あたしは今壁内の協会の一室で、キララとお茶に誘われていた。郊外から避難してくる人たちのリストを作って渡したあとのことだった。
「まあ座れよアーリャ、あの馬鹿に言いたいことがあるんだろう? あたしが伝えといてやるさ」
「あんたには関係ないわ。これはあたしと支部長の問題なの。割って入らないで」
「関係ね、あるんだなそれが。あいつが渋ってお前に教えてない極大の秘密がさ」
あたしは用意された椅子に座ると、警戒しながら用意されたお茶を少しだけ口に含んだ。あたしは顔色を変えた。砂糖がこれでもかというくらい入っていてたのだ。間違えても郊外の少女に無償で振る舞うものじゃない。
「美味かったか? そりゃ何より。にしてもみんな砂糖をドバドバ入れるのは邪道だとか言うんだ。信じられないだろ?」
こんなに美味いのにさ、と屈託のない笑顔を浮かべてコップを傾けるキララ。まあ確かに甘いのは好きだ。好きだが、意図が読めない。
わたしはおかわりを要求した。キララは嬉々としてお茶をあたしのコップに淹れ、砂糖をドバドバといれた。二度目のおかわりには流石にためらうだろう、とからのコップを差し出したがキララは流れるような手つきでコップを再び砂糖とお茶で満杯にした。
そこには何の裏もないように見える。無償の善意が一番怖いとあたしは支部長から教わった。その言葉の意味を直に味わったこともある。こいつ一体あたしに何をさせるつもりだ?
「あー、それで何の話だったか。あいつのガキの頃の話だったか?」
「秘密とやらの話でしょ、自分で言い出しておいて忘れたわけ?」
「なんだ、本題にはさっさと入るクチか? そういうとこあいつにそっくりだ。まあ聞けよ、昔はな――」
あたしはキララをキッと睨みつけた。からかうしかすることがないんだったら、ここにいる意味なんてさらさらないのだ。
「あたしはこのまま帰ってもいいんだけど?」
「……はあ、その強情さは誰に似たんだか。わかった本題な。あいつの名前は教えてもらったろ?」
「バズーよね。そのくらい知ってるわよ」
「大事なのはガッツバーグの方だ。そして改めて名乗るとしよう、あたしはキララ。キララ・ガッツバーグ。あいつの妻だ。子どももいたんだ。アーリャって名前の女の子がな」
脳が真っ白に塗りつぶされたような衝撃だった。信じられない、というか信じたくもない。でたらめを言っていると考えた方が気が楽だ。
副支部長はまたカップを口元に近づけた。こちらの動揺をにやけ顔で嘲笑う様子もない。本当にこいつは何がしたいんだ!? あたしはこれ以上ないくらいに混乱した。
「オルトロスが潰した建物の中には託児所もあってな。そこにあたしらのアーリャもいたんだよ。でも救えたのは火傷だらけの黒髪のガキひとりだった。生憎と託児所の職員はみんな死んじまってね、育児のイロハなんか知らないあたしらは我が子を施設に放置してたせいで、それが自分の子かすら判別できなかったのさ」
お笑い草だろ? とキララは自嘲してまたカップをすすった。あたしはといえば震える手で右頬の火傷跡をさすっていた。火傷のある子ども。支部長が助けた子ども。どれも自分の特徴そのものだった。
「バズーの髪色はお前と同じ黒だった。あたしらの子どももだ。まあここじゃ黒髪なんざ珍しくもないし、そのせいでお前の出自を絞り切れなかったわけだが。以上、お前の名前の由来だ」
「なにそれ。あたしが……あんたらの、子どもかもしれないっていうの?」
「あん? かもしれないじゃない、そういう事情もあるが、お前はうちの子だ。もっとあたしを頼っていいし、わがままを言っていいんだ。これまでできなかった分もな。なに、怒られる覚悟もできてるぞ! 一応言い訳はしとくが、これまで顔を合わせることもなかった割に金と物資だけは欠かさなかったからな!」
「おかしいわよそんなのっ!」
あたしは吠えた。したり顔のキララに向かって、犬みたいにキャンキャンと声を上げて。
「なんだ、血が繋がっててほしかったのか?」
「そうじゃない、物資はともかく金って何よ!? あの人はこれまで全部、自分のお金を切り崩して――!」
補助金なんて出ていないんだ、と申し訳なさそうに口にしたあの人の顔を、あたしは今でも覚えている。キララの顔が一瞬曇った。あの馬鹿が、と小声でつぶやいたのをあたしは聞き逃さなかった。
「――全部、お前のために貯めているんだろう。自分が消えても生きていけるように。……郊外支部の隠し金庫の暗証番号は覚えているな?」
「そりゃ覚えてる、けど。そんな大したお金は入ってないって支部長が」
「間違ってもあたしかあいつのために使うなよ。それはお前のだ。お前が自分のために使う金だ。死人に使う余裕も意味もない。わかったな?」
数秒までのにやけた顔とは打って変わった剣幕で、キララはあたしに凄んだ。あまりにも話が急すぎて、あたしには頷くことしかできなかった。
「いかんな。母親らしいことがしたかったんだが。……そもそも母親らしいことってなんだ? わかるか、アーリャ?」
「なんであたしに聞くのよ。えーっと、子守唄を歌う、とか?」
「それだっ。よし横になれアーリャ、お母さんが『星降る夜』熱唱してやる!」
あたしは猛反対した。どんな理由があれば自分よりも背丈の低い母に子守唄を歌ってもらいたいと思うのか。というか熱唱すんな。それ眠れないでしょうが。あたしはやってられないとばかりに席を立った。
キララはやっぱりかとため息を吐いて、優し気な声色に変わって言葉を切り出した。
「なあアーリャ、あの不器用オヤジのことだけどな」
「……支部長のことが、なんですって?」
「オルトロスと戦う前に、1回くらいお父さんって呼んでやれ。それかパパってな。それだけできっとあいつは幸せだろうから」
ああ、なんでこいつがあたしに砂糖たっぷりのお茶を飲ませたのかようやく分かった。
親の愛は、無償の愛なんだ。注げば注ぐだけ、注いだ方が幸せになる魔法なんだ。
なんでか知らないけど、あたしの目から涙がこぼれた。




