20 人間でなくなった日
支部長の告白が始まる。すきま風がひゅう、と音を立てた。ネズミが歩く足音さえ大音量に聞こえるような静寂が挟まった。
「オレは人間じゃない。10年前、ある呪いを受けてオレは死んだ。だが、魔物としてよみがえった」
「ウソよ!」
「ウソじゃない。見ろ。見るんだ。オレの――身体を」
アーリャの絶叫を受けて、支部長はゆっくり黒革帽子を取ると、身体に巻き付いていた包帯をほどいていった。はらり、はらりと包帯が床にこぼれていく中、その間から覗いたのは皮膚ならぬ皮膚だった。
赤茶色の肌。一見すると人肌のようにも見えるそれは、ひどくひび割れて乾いていた。まるで、樹木の表面か何かのように。
それに、よく見れば毛が無い。1本たりともだ。眉も、髪の毛も、眉毛も、ひげも、何もかも。
1本の木を強引に人の形に押し込めて、切り込みを入れたような歪さがあった。
なるほど、全身を包帯で巻いていたわけだ。わずかでも皮膚が見えれば、人間かどうか疑われてしまっていただろう。
支部長が眼球をコンコンと指で叩くと、ガラスのような音がした。俺は耳を疑った。
「この眼球も、キララが用意してくれたものになる。ガラス細工でな」
ああ、だからいつも目が血走っていたのか。血走っている人の目を真正面から見続けようとする人なんてそうそういないだろうから、偽装には最適だったのかもしれない。
「この身体はハングド・ツリーという魔物のものだ。変哲のない木に擬態し、人間を襲う。……まあ、そこは今は関係ないな。大事なのは、今のオレは人間の意識が憑依した魔物でしかないということだ。言い換えれば、今のオレは自分を人間だと思いこんでいる魔物だということだ」
いつ人間を襲うようになるかわからない、と支部長はこぼした。10年前、と支部長はいつ自分が死んだのか口にしていた。つまり10年間、魔物の身体で生きていたということになる。
いつ人を襲うかという心配以前に、この人は長い間アイデンティティに悩まされてきたのではなかろうか。自分が人間なのか、魔物なのか。その葛藤の狭間にあって、自分を「人間だと思いこんでいる魔物」と口に出せる精神の頑強さに、俺は顎が外れる思いだった。
アーリャと言えば、顔が真っ青になっていた。俺以上の衝撃だろう。裏切られた、とすら思っているかもしれない。
「お前たち以外でオレの正体を知っているのは、キララだけだ。オレが魔物として生き返ったその場にいたからな、あいつは」
……キララさんの10年前、か。今何歳なんでしょうねあの人。どう見ても十代前半なんですけど。
ふと湧いた疑問を頭の隅に追いやって、俺は支部長の話に耳を戻した。
「アーリャには悪いが、もうお前をここに置いておくこともやめだ。キララに話は通してある。これからは壁の中で暮らすんだ」
「イヤよ! そんな突然言われたって、ハイハイうなずけるわけないでしょう! それに、ここは閉めるつもり? 何十年と続いてきた歴史ある冒険者協会協会なんでしょう、ここは!」
「10年前にお前をここに受け入れたのは、オレが人間でいるためだった。子どもに優しく接することで、まだ人間としての情が残っているという自覚が欲しかったんだ。……長い間付き合わせて悪かった」
ドン、とアーリャがテーブルを叩いた。納得なんてできないのだろう。10年もここで過ごしてきた家同然の場所から出ていけだなんて、酷が過ぎる。
支部長はどれだけの葛藤に身を焦がしてきたのだろう。10年も共に過ごしていれば、家族のように感じているはずだ。それなのに別れを告げなければいけないなんて、悲しすぎる。
「……別にあたしが、出ていかなくてもいいじゃない。あたしがここの支部長になるわよ。そりゃできることは減るし、補助金頼りの生活になるだろうけど……」
「アーリャ。もう補助金なんて出ていないんだ。10年前、オレが死んでからずっと」
今度こそ、アーリャの顔から色が失われた。




