【短編】ボクの恋人はポリアモリー。どうしても別れてくれないので、ボクはボクで好きに生きたいと思う
慣れ親しんだ地元の商店街を通り、僕――高梨悠斗は、恋人の坂下紗枝と手を繋いで学校から帰宅しているところだった。
高校へ入学して早一か月。もうすぐゴールデンウィークということもあって、――どこ行こうか? 少しぐらい遠出してもいいね――などと浮かれた話をしていると、突然、紗枝が立ち止まった。手を繋いだままだった僕も、当然、引っ張られるように足を止める。
「少し話しがあるんだけど、良いかしら?」
そこは、幼い頃、毎日のように通っていた近所の公園だった。広場では、子供たちが遊具やボールでワイワイ楽しそうに遊んでいる。近頃では寄ることもなく、駅へ向かう為にただ横切るだけの近道になってしまっていたが、僕らにとってたくさんの思い出が詰まった場所だった。
僕は、そのまま紗枝に手を引かれ、丁度見頃になっていた淡い紫色の藤の花が咲くパーゴラの下に設置されたベンチへ誘われた。
手前のベンチには子供たちを見守る母親なのか、女性が一人座っていた。
その後ろを通り越して最奥のベンチに腰掛けると、紗枝は繋いでいた手を離さずに僕と向かい合うように立った。それで丁度目線の高さが同じになる。
「わたし、サッカー部の、遠山先輩に、告白されたの」
紗枝は真剣な眼差しで一語一語を噛み締めるように言った。
「……」
中学生の頃から紗枝が何度か告白されていたのは知っていた。そしてそれを――僕と付き合っていることを理由に断っていた――のも知っている。だから、それだけでは何もわからなかったのもあって、無言で続きを促す。
「それでね。わたし、遠山先輩と付き合うことにしたのだけれど、認めてくれる?」
「……」
僕はすぐに言葉を発することができなかった。花の蜜を求めて飛んでいる小さなハチの羽音がやけに耳についた。
紗枝との付き合いは長い。道向かいに住む幼馴染であり、共に幼稚園バスに乗り、近所の小学校にも一緒に通った。中学生になってからは恋人として付き合うようになって、同じ北頭学院高校へ進学した。
いつもどんな時も、ずっと一緒にいることが当たり前だと思っていた。これからも二人で生きていくのだと考えていた。けれど、それは僕の思い込みだったようだ。
「……そうなんだ。わかったよ」
僕は出来るだけ平素を装った。幼馴染として長年過ごした彼女と、罵り合って別れたりはしたくなかったからだ。
もちろん、寂しさを覚えないわけではない。紗枝との関係が――終わるんだ――と思うと、ぽっかり穴が空いたような喪失感はある。
二人で並んでいる写真はそれこそ赤ちゃんの頃からあった。最新のモノで高校の入学式のものだ。テレビの横に置かれたキャビネットの上には、僕らが少しずつ成長していく姿が飾られていた。独りになって、そんなものを見たら泣いてしまうかもしれない。
けれど、それは仕方がないことだと思う。人の心は――、気持ちは――、変わるのだ。
僕たちは二人だけだった小さな庭から出た。そして、たくさんの人と逢い、学び経験してきた。その結果として、紗枝は他の男を好きになることを選んだ。それは彼女の自由だし、それを止める権利は僕にない。
紗枝は僕のものじゃない。僕も紗枝のものではない。だから僕は、紗枝を責めたりはしない。
「――わかったよ――ではなくて、わたしは、ユウ君が認めてくれるかどうかを訊いているの」
僕は気持ち良く紗枝の要望を受け入れたつもりだった。それなのに紗枝は苛立ったように、然程大きくもない胸を持ち上げるように腕を組んで、さも不満そうな顔を向ける。
「仕方ないんじゃないかな? 気にしなくていいよ」
「そんないい加減な答えじゃなくて、ユウ君とわたしの、これからのことなんだから、もっと真剣に考えて欲しいのだけれど……」
視線を外さず強い目で睨みつける紗枝に、僕は戸惑う。
「ん?? 紗枝は遠山先輩と付き合うことにしたんじゃないの?」
袂を分かつのだから、僕と紗枝の――これから――なんて何もない。
「そうよ」
紗枝は当然のように頷く。
「なら、もうオレには何も言うことはないよ。今までありがとう」
「ん? どういう意味?」
首を傾げた紗枝の目つきが戸惑いに変わる。
「何んていうか……、まあ、お幸せにね」
僕だって本当はすぐにそう言えるような精神状態ではなかった。が、半分は強がり、半分は幼馴染の誼として、無理に祝福の言葉を贈ったのだが……。
「えっ……、何を言っているの?」
紗枝は睨むのを忘れてしまったように、素っ頓狂な声をあげて、目をしばたかせた。
「……だから、遠山先輩と幸せになって。って言ってるんだけど……」
もう話は終わっている。
すぐにでもこの場を離れたいという衝動に僕は堪えた。
「そ、それは判るけど……。何だかそれじゃ他人事みたいじゃない」
「……ん? まあ、そうだね」
――もう、いいだろ?――とばかりに、僕は、握っていた紗枝の手を離した。
「なぜ、そんな冷たい態度なの? わたしたちずっと上手くやってきたじゃない」
そのまま立ち去ろうとした僕だったが、紗枝に掴み掛られた。
一体、何なんだ?
そもそも別れ話を始めたのは紗枝だ。それなのに、なぜ僕が別れ話をしたような反応になっているんだ?? もしかして僕が素直に別れを受け入れたことが気に入らなかったのだろうか。
「イヤイヤイヤイヤ、別れようと言ったのは紗枝だからな」
僕は慌てて、興奮する紗枝の肩に手を置いて、自分から引き離した。
「はぁ? わたしは別れるなんて、一言も言ってないんだけど」
意味不明だ。ここまでの会話を思い返してみるが、やはり別れを切り出してきたのは紗枝で間違えない。
「えっ? 別れないの?」
「別れるわけないじゃない! どれだけ長い間、付き合ってきたと思っているのよ!」
「でも、遠山先輩と付き合うことにしたんだろ?」
「そうよ」
呆れたように溜息混じりに言い放つ紗枝。
「えっと……、つまり……、紗枝は、オレと恋人のまま、遠山先輩と付き合うってこと?」
「やっと理解してくれたわね。だからユウ君が、それを認めてくれるかどうかを聞きたいのよ」
「揶揄ってる?」
「真剣よ」
「ん~、よく判らないんだけど。遠山先輩と付き合うというのは、恋人としてではなく、友達的な何かなのかな??」
「違うわよ。恋人としてちゃんと交際するつもりよ」
「言っている意味がやっぱりよく判らないんだけど……」
「そのままの意味よ。もちろんユウ君のことは大好きよ。だけど遠山先輩も素敵だと思っているの。だから、ユウ君とはこれまで通りで、遠山先輩とも付き合いたいの」
「……」
呆れて言葉が出なかった。それって、二股っていうんじゃないのか。それを僕に許せって言ってるのだろうか?
「ダメかしら?」
「ダメというか、嫌かな」
「どうして?」
「ごめんね。紗枝の言っていることが全く理解できない。普通、嫌じゃないか?」
恋人が他の人と付き合うことなんて、誰が認めるのだろう。自分のいないところで、他の男とイチャイチャしているのなんて想像しただけで鬱になる。
「ふふふ、ユウ君は嫉妬しているのね? でもそれは大丈夫よ。そこは『コンパージョン』して欲しいの。つまりね、ユウ君の愛するわたしが、誰か別の人と仲良くしていることをハッピーなことだって考えて欲しいの。わかる?」
「……コンパージョン?」
さっぱりわからん。
「それにさぁ、別れるなんて、折角わたしたちが付き合ってることを喜んでくれてるパパやママにどう説明するのよ?」
「……」
両親や紗枝の両親の顔を思い浮かべると少し面倒な気持ちになった。高校入学前の春休み、両家で集まって庭でBBQをしたことを思い出す。その時、大人たちは、揶揄い半分、二人の将来の話を酒のツマミに楽しく盛り上がっていた。
つまり両家両親とも、いずれ僕たちは結婚するものだと考えていた。無論、先程までの僕もそう思っていたのだけれど……。
「ん~、オレとしては、遠山先輩と付き合うのをやめてくれるのなら、これまで通り付き合っていけるけど……。紗枝がどうしても遠山先輩と付き合うのなら、別れるよ」
「ひ、酷いわ。わたしを捨てるの?」
「いやいや、捨てられるのはオレの方だと思うんだけど……。そもそも、紗枝は、オレと遠山先輩、どっちが好きなんだよ?」
「それは当然、ユウ君が一番よ」
「なら、遠山先輩と付き合うのやめてくれないかな?」
「それは無理よ。だってもう遠山先輩とは付き合っちゃってるから。――サッカーをするカレシを応援するカノジョ――というのを前からやってみたかったの」
紗枝は未来へ思いを馳せるように目を輝かせた。
「そ、そうなんだ……。なら、やっぱり別れよう」
「嫌よ。ユウ君が一番って言ったでしょ! どうして理解してくれないの!」
「で、でもさ、遠山先輩の方も、二股は許せないと思うよ」
「それは大丈夫よ。遠山先輩は――他にカレシがいたって気にしない――って言ってたわ。だからユウ君のことも『メタモア』として尊重してもらうわ。わたしにとっては、ユウ君が一番大切なの。それは信じて欲しい。それに、この前はゴムの付け方も教えてくれたわ」
「えっ……?」
「どうしたの? 突然青い顔をして。一番はユウ君なのよ。結婚するのも当然ユウ君よ。だから私たちの関係は何の問題もないの」
「あ、あのさ、まさかだけど、紗枝は、遠山先輩と、……したのか……?」
「ええ、だって彼だって恋人だもの。それにね、初めて同士は上手くいかないんだって。だから、わたし、ユウ君の為にえっちの練習をしているの」
フフフと無邪気に笑う紗枝。
僕はその場で嘔吐した。
「だ、大丈夫?」
慌てたように伸びて来た紗枝の手を、僕は振り払った。さっきまで大好きだったはずの紗枝が得体の知れない気持ち悪いものに見えた。
何とか立ち上がった僕は、紗枝からゆっくり後退る。
「ユウ君、待って。判って。お願いだから理解して」
僕は踵を返すと全力で走った。紗枝が叫ぶ声が聴こえたが振り返ることなくそのまま駆け続けた。ジャングルの怪鳥のような紗枝の叫び声が遠のいていく。
気づくと僕は、自室のベッドの上にいた。
連載するつもりで書き進めているものです。