炎症
処女作です
日が燦燦と照りつける夏の日。折りたたみ式の日傘を肩で差しながら、手にはハンディファンが稼働している。もう一方の手でスマホを操作しながら、必要経費の時間を浪費していく。
暫くして、体を預けていた建物から1組の男女が現れる。1人は30代半ば辺りの男、落ち着いた髪色のショートヘア、艶のある紺色のスーツで着飾っている。もう1人は女子高生、セミロングの茶髪、少し着崩した制服が若さを漂わせている。彼らは建物の入口で一言二言会話したあと、男の方はすぐに去っていった。残された女子高生は、スマホを少し触ったあと、向かう場所があるのか歩きだそうとした時、俺を見つけたらしい。少し顔を綻ばせ、小走りでこちらへ向かって来る。 俺はスマホを閉じ、目線だけで彼女を待つ。
「別に来なくても良かったのに」
「 ここからのほうが近いだろ」
「それもそうだね」
俺と彼女は爛々と輝く太陽の下歩き出した。
「ずっと待ってたの?」
「いや、20分くらい」
「暑かったでしょ?先行ってても良かったのに」
「お前日傘持って無いだろ」
「なるほど、気が利く奴隷というわけだ」
「今度から待たない」
「冗談だって」
『やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説くもの』
暫く歩くと2人は、目的地であるアニメグッズ専門店へと辿り着いた。硝子の扉を開けると、冷たい風が吹き抜け、身体が息を吹き返す。彼女は目的の区画へと一直線に歩いていく。俺は辺りを見回しながら、ゆっくりとその後をついていく。
「これこれ!これが欲しかったんだよね」
遅れて辿り着いた俺の目の前に掲げられた物は、最近彼女がやたらとオススメしてくるマンガの最新刊だった。
「最新刊が今日発売だからどうしても買いたくて」
「これが目当てならわざわざここまで来る必要あったのか?」
「分かってないなぁ。ここで買うと限定のクリアファイルが貰えるの」
「あー」
「あー じゃないよ。オタクにとって情報は生命の源 常に欲するものなんだから。大体君はオタクとして私の相棒としての自覚が...」
「分かったからその高速詠唱をやめてくれ」
「高速詠唱言うな」
書籍コーナーの一角でそんな会話が交わされる。
「このラブコメは実に良作だ。 君もSFのラノベばかり読んでないでラブコメを読みたまえ」
「でもなぁ、こんな感じのストーリーのラブコメ前にもなかったか?」
「あれはあれ、これはこれ。しかも見て、君の好きそうなキャラもいるよ。ほらこの子」
「...良いな」
俺はいつの間にか例のラブコメのお会計を済ませていた。
ほくほく顔で戻ると、彼女は手に沢山のマンガを抱えてレジへと向かっていた。手伝おうかとも思ったが、思いのほかすぐにレジへと着いていたので、その必要はなかった。膨らんだ財布から会員証を取り出す彼女を眺めて、俺は危惧した。 あの大荷物を持たされることを。そして奴は案の定、俺に全て持たせた。クソが。
『その子二十櫛になるがるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな』
刺すような光が、俺たちを照らしている。遠くに映る陽炎が、今日の暑さを物語っている。
「いやぁ今日はちょっと買いすぎてしまいましたなぁ」
「もう付き合ってやんないからな」
「次からは自重するって」
少し持つよと彼女は手を出てきたが、俺は断って持ち続けた。
俺たちが出会ったのは、桜の花弁が道を彩り始めた日。新生活のスタートダッシュを完璧に失敗し、教室でラノベを読み漁っていた時、彼女はいつの間にか俺の目の前にいた。
「○○○○を教室で読むとは重度のオタク、末期のぼっちだな」
いきなりそんな失礼なことを言ってきた。自覚はあったので反論は出来なかったが。そんな出会いを経て、頻繁に俺たちは連むようになった。彼女にも友達はいなかった。そんなある日のことだった。
彼女が’’中年の男とラブホテルから出てくるのを見かけた’’のは
次の日彼女と話していたとき、俺はどんな顔をしていたのだろうか。そしてあまりに普段通りの彼女を見て、俺は聞いてみたくなってしまった。
「お前ってさ...援交してんの...?」
「表向きはパパ活だけどね。知ってたっけ?」
「いや...昨日見かけて...」
「なるほど、見られてしまったかぁ」
そう言って彼女は笑った。 それはいつもの彼女だった。
どうやら彼女は1年ほど前からそういう活動をしているらしい。普段は月1回だが、この夏季休暇の最中は週2回行ってるらしい。彼女の活動が終わるのを待ち、終わって出てきた彼女と遊びに行くという今日のような日もあるが、それでも比較的楽しい夏季休暇を最近は送っていた。
たわいも無い会話を交わしながら歩いていると、話題はまたもやマンガの話になった。
「ラブコメはさ、こういう恋がしてみたいっていう理想から生まれるわけだから刺さらないはずがないんだよね」
「そんなのどのマンガにも言えることだろ」
「解像度というかさ、バトル系とかホラー系とかより身近なものじゃん? 古典作品とかでも恋歌ってあるし、それだけ親密なものなんだよ」
「そうか」
「そうだよ」
彼女は俺の少し前を歩いている。
俺と彼女は良き友人だ。それ以上でもそれ以下でもない。
もし俺が付き合ってくれと言えば、彼女はいいよと言ってくれるだろう。
もし俺がヤらせてくれと言えば、彼女はいいよと言うだろう。
絶叫している。
俺がどれだけ必死に愛を唱えても、強く抱きしめても、彼女はその腕をするりとすり抜けて、炎天下の下を歩くのだろう。そして俺の隣でいつもみたいにはにかむのだ。
俺は絶叫している。
彼女は爛れている。そしてそれに気づいていない 。
感覚が、神経が、麻痺してしまっている。
嫋やかな手足、靱やかな髪、その下には沢山の『爛れ』がある。 ゆっくりと日光が皮膚を焼いていくように。
その爛れた皮膚がもうもとには戻らないことを俺は知っている。
ジリジリと太陽が鳴いている。
「明日は何処行く?」
彼女が問う。
「何処でもいい」
俺は答える。
何処でもいいはずなど決してないのに。
処女作でした