とある王子の物語(2)
シャイニー・ブライトとは、側近候補の一人を介して知り合った。はじめて会った時、その美しい青空のような瞳を見て、僕がどれほどうれしくなったことだろうか。
キラキラ輝くブロンドも、愛くるしい笑顔も、朗らかな性格も、すべてがアンブレアとは正反対。彼女といると自然に肩の力が抜け、ほっとした気分になれた。
不思議なことに、彼女が笑ったり楽しそうにしたりしていると、雲が切れて晴れ間が顔をのぞかせた。まるで彼女が、太陽を引き寄せているみたいだ。僕がそういうと、彼女はおかしそうにクスクス笑った。
「私、晴れ女なの。昔からね、楽しいことや嬉しいことがあると、雲がパァって消えていくの。面白いでしょう?」
僕はその話を聞いて、息を飲んだ。アンブレアと正反対なのは、性格だけではなかった。彼女は僕の嫌いな雨を払い、太陽を見せてくれる。
僕はシャイニーの手を取り、お願いをした。
「雨をやませてくれないか。きみならできるだろう?」
シャイニーは一瞬、考えるかのように黙った。だがすぐさまにっこりと笑い、「もちろんよ」と答えた。
「でも条件があるわ」
「な、なんだ? なんでもいうことを聞く。頼むからもう雨なんて……」
「私と結婚して」
まさかの条件に、再び息を飲む。そのお願いは、まったく予期していなかった。
シャイニーはニコニコと笑ったまま、当たり前のことのようにいった。
「いったでしょう? 私が晴れをつくれるのは、私が幸せな時なの。あなたのお願いを叶えるには、私がまず幸せにならなきゃいけないのよ」
「……それが私との結婚なのか?」
「そうよ。ライナス、あなたも私が好きでしょう? だったら問題ないじゃない。愛する人と結婚して、大嫌いな雨を払って、ずっと焦がれていた青空を取り戻せるのよ?」
頭のどこかで、そんな条件を飲むのは正気じゃないという声が聞こえた。我が国では、王族に限り側室を娶ることを許されているが、シャイニーは正室じゃないと満足しないだろう。かといって、父上に決められた婚約者であるアンブレアを、側室にするわけにはいかない。
僕の迷いが顔に出ていたのか、シャイニーが焦れたようにいった。
「王様の決めた婚約者なんて、どうだっていいじゃないの。その人なんでしょう? あなたが大嫌いな雨を降らせている、災いの雨女は」
「災い、だなんて、私は……」
「だって、こんなにたくさんの雨を降らせているのよ? もしこのまま降り続ければ、自然が壊れちゃうかもしれないわ。川や湖が氾濫してしまったらどうするの?」
そんなことは考えてもいなかった。アンブレアはたくさんの雨を降らせるが、それで被害を受けたという話は聞いたこともなかったし、我が国は毎年豊作だった。彼女を災いという人物は、ほかにはいない。
「アンは……植物のために、国のために降らせているといった」
「それはどうかしら。雨を降らせるしか能がないのに、それが国のためなんて笑っちゃうわね」
「降らせているのには、いつも理由があるんだって……。いつか私にもわかる時が来ると、そういっていた」
「どうして今教えないの? あなたは婚約者なのに、いつも除け者。だぁれもあなたの意見に耳を貸さない。そんなの不公平だと思わない? 彼女をぎゃふんといわせてやりたいと思わないの?」
シャイニーの言葉は、怖くなると同時に、ゾクゾクするほど甘美に思えた。いつも僕より優秀で、僕よりも贔屓され、僕よりも頼りにされている婚約者。彼女が泣いて、僕に縋りつくさまを思い浮かべたら……。不思議と愉快な気分になってきた。
「シャイニー……。私はなにをすればいいんだ?」
するとシャイニーは、愛くるしい顔には若干似つかわしくない、にやりとした笑みを浮かべた。
「私のいう通りにすれば、全部うまくいくわ」
婚約破棄は、シャイニーの描いた筋書き通りに進んだ。ただ一つだけ誤算だったのは、最後にサンドルーアの皇太子が出てきたことだ。サンドルーアが水不足に悩まされているとは聞いていたが、まさかこの雨女を頼りに来るとは思っていなかった。
だけど、これで我が国にもうシャイニーがいうような水害の危険はなくなった。アンブレアだって、聖女だなんだと持て囃されたら悪い気はしないだろう。お互いに幸せになってよかったじゃないか。確かに僕は、彼女が一度くらい傷つく姿を見たかったとも思ったが……。アーロンが出てきたおかげで婚約破棄がスムーズに進んだんだ。これできっとよかったんだ。
それから数週間が経ち、サンドルーアへ渡ったアンブレアから、僕になにかが送られてきた。可愛らしい赤いリボンが巻かれた瓶の中に、なにやらピンクの花びらのようなものが詰め込まれている。どこかで見たような花だが、なんだったろうか。
するとそれを持ってきた従者がいった。
「その花、確か殿下がはじめてアンブレアさまにプレゼントしたものでは……?」
「ああ」
なんとなく思い出した。そうか、はじめてデートに誘いにいった時の……。拾い集めるといっていたが、まさか本当に拾っていたのか。しかもこんなふうに、瓶の中に綺麗に詰め込んで。
「なんで今更、こんなものを送り返してきたんだか」
「アンブレアさまなりに、殿下のことでけじめをつけようとなさったのではございませんか? これを持っていたらどうしても、あなたさまのことを思い出すでしょう」
従者の声にはどこか、非難めいた響きがあった。それに気づかないふりをして、僕は彼に瓶を押し返した。
「なら私にとってもそれは必要のないものだ。どこかに捨てておけ」
「殿下」
「気分が悪くなる。そんな花、いつまでも持っているなんてどうかしてたんじゃないのか? 気味が悪い」
従者の唖然とした顔が視界の端に映った。今までの僕なら、こんなことは口が裂けてもいわなかった。だけど今は、自分よりも優秀な婚約者というしがらみから解放され、僕の心は自由になった。もう我慢する必要なんてどこにもない。
「あんな女に、可愛げを期待していた頃が懐かしいな。あの災いの雨女。精々サンドルーアでは、雨を降らせすぎないようにするんだな。また同じ目に遭う前に」
そういいながら、僕は部屋をあとにした。
違和感に気づいたのは、それから数ヶ月が経ってからだった。シャイニーとの結婚が決まり、式を一ヶ月後に控えた頃。大臣の一人が、深刻な表情で告げた。
「あの日以来一度も、雨が降りませぬ……。民たちがどうしたことかと狼狽えております」
「雨なんて降らなくともいいだろう」
暗い表情の大臣に僕は冷たくいった。
「それにあと二ヶ月もすれば雨季が来る。雨なんてその時だけで十分だ」
「ですが殿下。このままではそう遠くない未来、我が国に水は一滴もなくなりますぞ。そうなったときに責を負われるのはあなたさまです。アンブレアさまがいた時には考えられなかったことです」
「貴様はクビだ」
矢継ぎ早に捲し立てる大臣に、僕は告げた。大臣はぎょっとした顔になり、さっと青ざめた。
「で、殿下……なにをおっしゃっているのですか」
「貴様はクビだといった。勝手な未来を予測し、私に指図をするな。雨なんて、害ばかりでちっとも得がない。外を見てみろ。空を眺めてみろ! 素晴らしい青空じゃないか。今まであの女は、この素晴らしい空をずっと雨雲で覆い隠していたんだ。それを取り戻した私は、感謝されこそすれ、責められる覚えは断じてない!!」
怒声をあげた僕に、大臣は信じられないものを見るような目を向けていた。だがやがて、その口から冷ややかな言葉が出た。
「殿下、我々もアンブレアさまも、あなたに期待をしすぎておりました……」
「どういう意味だ?」
「アンブレアさまの能力に、あなたが自ら気づかれることを、両陛下はお望みでした。ところがあなたは、最後の最後までアンブレアさまを誤解なさったまま。アンブレアさまが出されていたヒントにも気づかずに」
大臣の言葉の意味はさっぱりわからなかったが、またアンブレアの名前が出て、それが気に食わなかった。
「私の前で、あの女の名前を口にするな」
「いいでしょう。ですが殿下、クビになったからには申し上げておきます。このままなんの対策もしなければ、あなたはきっと歴史上もっとも愚かなる王族として、名を遺すこととなりましょう。その時になって後悔しても、遅いのですぞ」
僕とシャイニーの挙式から間もなく、父上と母上は突然退位を表明した。お二人は「ほかにやらねばならぬことがある」とだけおっしゃり、多くを語らなかった。
兄上が王位を継いだ後、お二人は数人の供を連れてどこかへ旅立った。その中には、先日クビにした大臣も含まれていた。行き先は告げなかったが、大方どこか静かなところで過ごされるのだろう。
病弱だった兄上を国王にするのにやや不安の声も上がったが、それもしばらくすれば鎮静化した。即位後間もなく、兄上は一つの法律を作った。一日の水の使用限度についてだ。これによって民は、一家族につき決まった量の水しか使えないことになる。
僕は兄上の法律に反対した。
「兄上、こんな法律、民たちが許すはずがありません。なぜ今になって急にこんなことを……」
「仕方ないことだ」
もともと色白で痩せていた兄上だが、最近ますます痩せ細ってきたように見えた。顔色も悪いし、呼吸も苦しげだった。それでも兄上は、僕の言葉に頑として首を振る。
「今までと同じように水を消費していったら、我が国はもう半年ももたなくなる。おまえは気づいていないのかもしれないがライナス、湖の量がもう半分を切った」
「だからといって……」
「例年ではこの時季はすでに雨季に入っているのに、日照りはますますひどくなる。こんなことは今までになかった。アンブレアがきちんと雨を管理していた。彼女がいれば……」
兄上までもが、アンブレアの話をする。僕は気分が悪くなり、声を荒げた。
「兄上。彼女は災いの雨女です」
「そんなことをいっているのは、おまえとおまえの妻だけだ。そもそもおまえは、アンブレアの能力の意味を理解していない」
「なんの話ですか」
兄上は深いため息をつきながら、頭を押さえた。
「おまえが歴史の授業をろくに受けていないことは知っていたが……。「雨使い」と「晴れ使い」の意味を知らぬわけではあるまいな?」
「……なんですか、それは」
そういえばサンドルーアの皇太子も、アンブレアを「雨使い」の聖女と呼んでいた気もするが。
兄上は信じられないものを見るような目で、僕を見つめていた。
「昔から天候を操る能力を持った「雨使い」「晴れ使い」と呼ばれる人々が存在した。その名の通り、「雨使い」は雨を降らせ、自在に雲を操る。「晴れ使い」は逆に、その雲を払うことができる」
「つまり、それは……」
「アンブレアとおまえの妻のことだ」
兄上がイライラしながら続けた。
「正反対の能力だが、きちんと能力の理解しコントロールしさえすれば、力が暴走することもない。アンブレアは早々に気づき、十四の頃に能力をコントロールするすべを得た」
「な、なぜ私にはそれを教えてくれなかったのですか? 兄上は知っているのに……。婚約者だった私に黙っていたのはなぜなんですか?」
「バカをいえ。私だって教わったわけじゃない。自分で気づいたのだ。歴史の授業で誰でも一度は、「雨使い」と「晴れ使い」の伝説を聞く。照らし合わせれば子どもだって気づくことだ。気づかないのはおまえの責だ」
「そんな……」
呆然とする僕に、兄上は呆れたようにいった。
「王家としては、能力を公言するのは望ましくない。だからアンブレアには黙ってもらっていた。だがアンブレアは、おまえにも気づいてもらおうと必死だった。おまえの前でわざわざ、その日の天気を決めたり……。だが、アンブレアを遠ざけていたおまえは、気づく機会を自ら逃していたんだ」
「わ、私は、だって……」
「教えてくれなかった、だと? 甘えたことをいうな! 王族でありながら、自らの国の歴史もろくに学ばないようなバカに、そんな大事なことを教えられるはずがないだろう。教えていたらおまえはどうした? 今のおまえの妻のように、力のために甘やかし、贅をつくし、私利私欲のために能力を使わせたのではないか?」
「私利私欲だなんて、私はそんなことは……」
「ないと言い切れるのか? アンブレアとの婚約破棄の理由は、おまえが「雨を見たくない」といったからだろう。そしておまえが「晴れをもたらせ」といったから、おまえの妻はその通りにしているのであろうが。おまえ如きの一時の望みのために、国が危機に陥っているのだぞ。少しは頭を使え!」
普段は温厚で知られる兄上が、顔をゆがめて怒鳴った。決して不仲ではなかった兄上が、はじめて僕をはっきり否定した。そのことに思いがけず強いショックを受け、僕は許可も得ずにフラフラと退室した。
兄上の部屋を出てから、僕はシャイニーの部屋へ向かった。結婚してから、シャイニーはほとんど自分の部屋から出ない。そのかわり、ドレスのデザイナーや宝石職人などが、毎日のように出入りしている。
侍女に顔を見せると、すぐに中へ通された。今日はまだ誰も来ていなかったらしく、シャイニーは一人お茶を楽しんでいた。
「あら、ライナス」
シャイニーはふわふわのイスにゆったり腰を据えたまま、にっこり笑いかけてきた。目の前のテーブルには、甘そうなお菓子が山のように積まれている。
「暇ができたの? じゃあ一緒にお茶をしましょう。このマフィンとってもおいしいのよ」
促されるがまま、彼女の隣に腰を掛ける。すると彼女の身体から、香水と思わしき甘ったるい匂いが漂ってきた。むせ返りそうになりながら、僕は咳払いでごまかした。
侍女に紅茶を淹れてもらい、それを一口飲んだ。ずいぶん濃く淹れてある。お菓子が甘いからだろうか。
息を吸えば、紅茶とお菓子、それから香水の匂いで頭が痛くなりそうだった。僕はあまり大きく息を吸わないようにしつつ、慎重にいった。
「シャイニー。きみの力のことだけど」
「なにかしら?」
シャイニーはにっこりと、それでいてなにかを警戒するように僕を見た。
「あの……。兄上たちが不安になっているみたいなんだ。毎日晴ればかりで、雨が降らないことを」
「まあ、そうなの」
「ああ。それで……きみならもしかしたら、できるんじゃないかって。ほら」
シャイニーはカップを置いた。
「私なら、雨を降らせることも可能じゃないかって?」
「ああ、そう。そういうことだ」
「ふうん」
シャイニーはいやに冷めた声でいった。
「無理よ」
「えっ」
「私にできるのは雲を散らすことだけ。雲を呼ぶことはできないわ。いったじゃないの」
「そうだけど、でも……」
「雨が降らなくたって、どうにかなるわ。お義兄さまは心配しすぎなのよ」
それからシャイニーは、また明るい笑顔に戻った。
「いっそのこと、ライナスが王様になればいいのに」
「は?」
「お義兄さまよりも、ライナスの方が立派な王様になれると私は思うわ。だってちゃんと民のためを思って、あんなカスみたいな法律を反対しているんでしょう?」
ねえ、とシャイニーは侍女に相槌を求め、愉快そうにクスクス笑った。侍女も合わせて微笑する中、僕は笑う気分になんて到底なれなかった。
兄上が突然体調を崩され、王位を放棄なさったのはそれから間もなくだった。その後、静養にいった先で、亡くなった。「この国の最後を見ないで済むのが唯一の救いだった」といい遺したらしい。
当然のように僕が即位し、シャイニーが王妃になった。王妃になったシャイニーは、ますます幸せそうで有頂天になり、それに伴いレニアスからはますます雲がなくなっていった。
遅くともこの時、僕は気づくべきだったんだ。一体自分が、なにを犯してしまったのかを。