後編
数年ぶりにおとずれたかつての故郷は、ひどいありさまだった。旱魃していた時期のサンドルーアよりも最悪だ。
土地は枯れ果て、一滴の水分もなく、あちこちで地割れが起きている。作物は見る影もなく、あちこちで家畜が倒れ、ただ腐るのを待っていた。人々は水を求めあい、あちこちで紛争が起きている。
レイニー侯爵家が管理していた湖は、ただの巨大な穴になっていた。私が国を出る前は、この湖一杯の水があったのに。それがどうして、たった数年でここまで枯渇するのだろう。
レイニー侯爵家がサンドルーアに渡った直後、国王陛下と王妃陛下はそろって退位をしていた。その後は王太子さまは一度即位なされたが、もとより病弱だったのですぐに隠居なされた。今はあのライナスさまが国王だった。
王宮で再会したライナスは、数年前の美貌がすっかり失われていた。顔はやつれ、土気色になって覇気がない。目の下にはびっしりと隈があった。
国王ライナスは、私と夫が姿を現すなり、玉座を駆け下りてひざまずいた。
「私がバカだったんだ!」
開口一番はそれだった。
「なにもわかっていない子どもだった……。きみがサンドルーアにいった直後、雨はやんだ。シャイニーが晴れをもたらした。だけど、それ以来レニアスでは、一度も雨が降らない! 今まで水に困ったことがない国だ。当然、水の消費も早かった。もはや我が国には、一滴の水分も残っていない。力を貸してくれ、アンブレア!」
必死の訴えにも、私の心にはなにも響かなかった。ただ虚しさだけが広がる。
「シャイニーはなにをなさっているの?」
彼が国王ということは、当然彼女が王妃のはずだ。なのに国賓であり、大国の皇太子妃である私に挨拶もないとは、無礼にもほどがある。
ライナスはあからさまに目をそらし、もごもごといった。
「シャイニーは……。その、あまりこのことには、関わっていない」
「なぜ?」
私は冷たく聞き返した。
「彼女は王妃でしょう? 一国の王の妃が、国の一大事になにをなさっているのかしら。それに彼女にも、天候を操る能力があるじゃない。どうしてそれをきちんとコントロールさせないの?」
この異常な日照りは、間違いなく彼女の力だった。彼女は強大な力を持つ「晴れ使い」だった。彼女がきちんと感情を制御し、能力を自在に使うすべを身につけてさえいれば、こんなことは起きるはずがない。
ライナスは仕方ないというように、そばにいた騎士に「王妃を連れてくるよう」と命じた。
それから数十分も待たされた後、シャイニーが姿を現した。最後に見た時よりもだいぶふくよかになり、高級な布をたっぷりあしらったドレスを身にまとっていた。首にも耳にも腕にも指にも、とにかく露出している部分にはすべてごてごてと宝石をつけ、まだ若い顔には、必要以上の化粧が施されている。
彼女は自分の夫が私たち夫婦にひざまずいているというのに、自分には関係ないといわんばかりに玉座に座った。それから、派手な扇をバッと広げ、私を見おろした。
「それで?」
こちらの開口一番はこれだ。
私は切り返した。
「それで、とは?」
「とぼけないでよ。あなたのせいでこの国に水がなくなっちゃったのよ。責任を取ってすぐに雨を降らせなさいよ!」
ばしん! 強い音を立て、扇が折れた。彼女はそれをゴミのように放り捨てると、ふんと鼻を鳴らした。
「さあ、わざわざ呼び戻してあげたんだから、とっととはじめなさい。それですぐにサンドルーアに帰ることね」
アーロンの表情が一層険しいものになった。もともと夫は、この国に私が戻ることをよしとしていなかった。
「シャイニー妃よ。仮にも一国の妃が、他人に対する礼儀を知らぬわけではあるまい?」
「なんですって?」
シャイニーはぎろっとアーロンをにらんだ。ライナスが必死に首を振っているけど、気づいていないようだ。
「この私に向かって無礼な口を叩くことは許さないわ。たとえ大国の皇太子だってね」
「私と妻は、あなたの夫からのたっての願いでここへ来たのだ。少しは感謝の言葉を述べたらどうだ?」
バカバカしい、というようにシャイニーは笑った。
「なぜ? ライナスが勝手にしたことよ。私には関係ないわ」
いい返そうとした夫を制し、私はシャイニーに向き合った。
「シャイニー」
「なっ……。この私を呼び捨てにするなんて、無礼者! 私はこの国の王妃よ!? 皇太子妃であるあんたなんかより、ずっと偉いんだからっ」
ギャンギャンわめく言葉は無視し、私は続けた。
「あなたは「晴れ使い」なんでしょう? どうして空に祈らないの? あなたがきちんと能力を理解し、コントロールすれば、こんなことにはならなかったのに」
「なんで私がそんなことをしなくちゃならないの?」
シャイニーは声を荒げた。
「私は太陽に愛された姫よ! あんたみたいな雨女とは違うの。私が喜べば喜ぶほど、太陽は光り輝くの」
「つまりあなたが幸せと感じている限り、この国には雨は降らない。そういうことね」
「だからあんたを呼んだんじゃない! あんたのような雨女が役に立てるいい機会よ」
「私はあなたとは違う」
私は静かに告げた。
「私は自分の力を理解していた。必要な時にだけ雨を呼んだ。水が十分な時は、雲を遠ざけ、晴れ空を出すこともできた。あなただって、努力をすればできたはずよ」
「なによ、私が悪いっていうの?」
「能力を持った人間は、責任を持たなきゃいけないのよ。雨も太陽も、なくてはならないもの。それを私たちの感情ひとつで動かしたりしちゃ、絶対にいけないの」
「そんなの知らないわ。ライナスもみんなも、最初は喜んでくれたもの。私が雨を止めて、晴れ空を取り戻した時。みーんな私を素晴らしいと褒めてくれたわ」
シャイニーは私の言葉をちっとも理解しない。まだ馬に向かって説明している方がましなんじゃないかと思うぐらいだった。ライナスの方は過ちに気づいているのか、深く頭をさげたまま微動だにしない。
痛いほどの沈黙の後、ライナスがそれを破った。
「民に罪はない……。どうか救ってやってくれないか」
「もちろんです」
私の答えに、ライナスははっとして顔をあげた。
「ほ、本当か?」
「ええ。ただし、自ら望む民だけです」
「……それは、どういう意味だ?」
私に代わり、夫がそれに答えた。
「希望する民を、サンドルーアに迎えよう。幸い土地はたっぷりある。レニアスの住民専用の村が作れるだろう」
唖然とするライナスに、私はいった。
「ここまで枯れ果てた土地は、私の力でもすぐには元通りにできません。十年はかかるわ」
「そ、そんなに……?」
「当然でしょう。今まで雨の恵みがあったおかげで、この国は保っていたのだから。大地を復活させるだけでも相当な骨だわ」
アーロンがうなずく。
「民もただ死ぬのを待つより、我がサンドルーアに来た方が希望があるだろう。早速この話を民に広め、移住の準備を進めようと思う」
するとシャイニーが立ち上がり、真っ赤な顔をして怒鳴った。
「ちょっと待ちなさいよ! 勝手に話を進めないでちょうだい。ここはライナスの国よ。ライナスの国民を勝手に奪っていくなんて、許さないわ」
「許すも許さないも、我らは民に決定権を委ねる」
アーロンは冷たくいった。
「残りたい民がいれば残る。もっとも残るのは、もはや自力で動くことはかなわぬ者だけだろうがな」
「まあ……っ」
シャイニーが怒りに震えた。かと思えば急にころりと態度を変え、猫なで声を出した。
「わかったわ。ところで私とライナスが住める場所はもう決まっているのかしら?」
正気を疑う発言ではあったが、アーロンは冷静だった。口元に嘲笑を浮かべていった。
「あなたとライナスが住む場所? それはもちろん、この王宮以外にはありますまい」
「あぁら、あなたたちは私とライナスを見殺しにするというのね?」
「見殺し? とんでもない」
アーロンは首を振った。
「あなた方が心から望めば、サンドルーアはいつでも受け入れよう。だが、貴族としての権限はなくなるし、当然平民としての移住になる」
「な、なんですって!?」
「国が違えば当たり前だ。レニアスという国から離れれば、あなたたちは国王でも王妃でもない」
シャイニーはまたしても怒りに頬を染めた。
「なんて礼儀知らずなのかしら。衛兵! この者たちを捕らえなさい。素直に雨を降らせるまで牢に閉じ込めておくがいいわ」
だけど当然のことながら、そんな命令に従う兵はいない。誰も彼もが冷たく蔑んだ目で、王妃シャイニーを見つめている。
シャイニーは命令を聞かない兵士たちに愕然とし、怒りの矛先を自分の夫へ向けた。
「ライナス! あなたもいわれっぱなしで悔しくないの!? 国王ならもっと堂々として、ちゃんといっておやりなさいよ」
「シャイニー」
ライナスは妻をまっすぐ見ながら、ゆっくり首を振った。
「私にはもう、どうすることもできない……。民にサンドルーアへの移住を勧めよう。それが私にできる、最後の王としての務めだ」
「じゃ、じゃああなたはどうするの? 平民として一緒についていく気!? 私は嫌よ。せっかく王妃になれたのに、平民に成り下がるだなんて」
ライナスは力なく笑った。
「私はこの国に残る。王として、骨はこの土地に埋める覚悟だ。最後まで私についてきてくれる民のためにも」
「そんな……」
シャイニーはまだブツブツいっていたけれど、ライナスはそれで終わりにしたいようだった。最後にもう一度私とアーロンに向き直り、頭をさげた。
「わざわざ足を運んでくれて、すまなかった。アン……いや、アンブレア妃殿下。いつぞやのご無礼をお許しください。願わくば私の妻の分も」
私が黙っていると、ライナスはわずかに微笑んだ。
「あなた方は港へいき、移住を希望する民を案内してください。私は部下に知らせにいかねば」
「ライナス」
私は最後に、元婚約者へ声をかけた。
「あなたを許します」
その言葉に、ライナスは再び微笑を浮かべ、部屋を去った。あとに残されたのは、私たち夫婦とほとんど正気を失ったこの国の王妃。私はおそらく聞こえていないであろう彼女にも告げた。
「あなたは許しません……。自然の恵みを侮った罪よ。しっかり報いなさい」
それから数ヶ月と経たず、世界からレニアス王国は消えた。王国の民は一部の王家支持者を除き、南の皇国サンドルーアへと移住をした。
レニアス最後の王ライナスは、干からびた王宮で、のちに白骨化した姿で発見された。その妻であり王妃のシャイニーは、自室で死んでいた。こちらも白骨化していたが、胸にナイフが刺さっていた。おそらく発狂したところを、夫が止めようとしたのだろうと思われる。
残っていた王家支持者はわずか五人。彼らも王宮内で遺体として見つかった。皆渇きに渇ききり、痩せ細っていた。
当初、王であったライナスへの批判が多く集まった。遺体は妻とともに共同墓地へ葬られた。しかし、のちに彼は「滅びゆく国を最後まで見守った」とされ、他の王族と同じ墓に改めて埋葬された。賢帝アーロンは彼を、「愚かな点もあったが、最期まで王の務めをまっとうした」と評した。一方シャイニー妃は、死後に王妃の位を剥奪され、共同墓地に眠ったままである。
のちにレニアス王国跡地は、サンドルーアの領地として再生することになる。レニアス出身の皇后であり、「雨使い」の聖女アンブレアは、故郷に恵みの雨をもたらし、わずか八年で土地を復活させた。彼女は最愛の夫のアーロン皇帝とともに、退任後はそちらへ移り住んだ。熱狂的支持者は彼女たちのあとを追い、次々にレニアスへ渡った。
自在に雲を操る「雨使い」として知れ渡るアンブレアは、その生涯を終えるまで民に寄り添い、自然を愛する良き聖女であった。また賢母であったことでも有名で、アーロンとの間に設けた四人の子どもたちは、それぞれ輝かしい功績を残している。彼女が亡くなった際には、世界中が喪に服し、その偉大なる貢献を讃えた。
彼女の最期の言葉は、次のようなものであった。
「私の瞳は雨雲の色。恵みをもたらす、幸せの色」
作者は雨雲の色、嫌いではありません。
最後の文はおそらく、サンドルーアのなにかの文献の引用かと思われます。
ちなみにサンドルーアでは、グレーの瞳を持って生まれた子どもが次世代の聖女になり、代々自然の恵みをもたらしたとかなんとか。
普段筆がナメクジ並みに遅い作者が、一日で書ききりました!
なのでおそらくたぶんきっと絶対、誤字脱字、矛盾点などあります(断言二回目)。
見つけちゃった方は、優しく教えてくださいね……?
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
これからもusaと小説たちを、どうぞよろしくお願いいたします(*'ω')ノ
8/22追記
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色々ダメな作者で申し訳ございませんm(_ _)m