未完の魔術師
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「才能が無い」「仕方がなかった」と諦めるには、随分と人生を浪費してしまったように思う。過去、人にあって奇特な才――魔術――の片鱗を、村の魔術師に見出して頂いた際は、将来官僚にでも成れるのではないかと希望を抱いた事もあった。そもそも、辺境の小さな村の魔術師程度の推薦で、国でも最高峰の魔術学園に入学できた事こそ奇跡だと今なら分かる。それほど、私の魔術は、欠陥品だ。
『未完の魔術師』
例え無駄な時間の浪費だったとしても、この年月を耐えて魔術を学んだ事は自身への称賛として胸中に仕舞えると思った。まだ学科試験ばかりだった初年度に賜った、成績優秀者の証を箪笥の隅に見つけて、そっと鞄の中身、一番上に置く。
「準備はできたかね」
もう四年も世話になった自室の片づけを行っていると、長らくお世話になった恩師が扉口に立っていた。学園内では珍しい、落ちこぼれにも手をかけてくれる優しい恩師であるが、彼の庇い立ても限界だったのを知り、私は自主退学を申し出たのだ。
「はい、お世話になりました」
白髪の温厚な恩師に同じく、魔術師に連なる者として纏うローブを着た私が、立ちあがって答える。私の方が彼よりも背が高いので、彼が益々小さく見えた。これまで苦労をかけた事を知っているだけに、苦い思いだ。
「先生。奨励金の件なのですが」
これ以上彼の負担になるまいとは思うのだが、貧しい生家の自分が、これまでの学費を払うのは不可能に近い。不安が漏れていたか、恩師は、顔の三分の一を覆う白ひげを、もふもふと揺らして苦く笑う。
「この学園を去るお主に課すのは些か道理に合わぬ様に思うが、マズルフェルに三年勤めてくれぬだろうか」
「マズルフェル…」
確か、山脈を背にしている国の国境である。環境は厳しいと聞くがその真意はと、恩師の言葉を待っていると、どこか慈愛を含んだ視線を受けた。
「あの山間の街ならば、隣国との国境とはいえ、争いはない。実践的な事は望まれまい」
「あぁ」
恩師の言葉にある意味安堵の声が漏れて、私は彼に最後まで面倒をかけていると強く自覚した。実技の始まった二期生時代からずっと続く私のあだ名は、未完の。言葉通り、私の魔術は、完成しない。
「お主の魔法陣理論は、国にも認められておる。マズルフェルに行ったとしても、毎年の学会で論文を発表出来れば、奨励金の返済も早かろうと思う」
「そうですか。陣の布教が進めば、私も本望です」
魔術師は詠唱によって魔術を発動する。しかしどうやっても私の魔術は完成しなかった。原因はわからないが、途中まで綺麗に構成される魔術が、最後の最後で霧散してしまうのだ。その代わり、私には魔術に関して特異な能力があった。他人の魔法の癖というか、詠唱で描き出される魔法陣の解析が出来たのだ。それにより、私は実技が出来ない分を、魔術系統の整理や紙に書きだして使用する魔法陣の研究に費やし、新たな魔術形態を示したのである。
それでも、魔術を使えないという事実は、この学園にとって汚点になるのだろう。最初は当然、級友からの嫌がらせから始まった。無視や遠くでの噂話といった他愛無いモノなのだが、それが上級生下級生へと広がり、最終的には教師まで参加し出した。それによって授業変更の知らせや、課題の提出期限などを故意に隠され、もうどうしようもない所まで行き詰ったのである。特に、新しく書いた論文を堂々と模倣する人間が現れ始めて、私は絶望した。潮時だったのだと、自分を慰める。
恩師と話しながら歩いていると、学園の正門が見えた。最後ぐらい、日蔭者として裏門を使用するのでなく、正門から堂々と出たいと考えていたから、願いが叶い、大変感慨深い。
「お世話に、なりました。アラマル師」
纏っていたローブをはぎ取り、恩師へと手渡す。
「息災であれ」
旅路を祈る、小さな守護の魔術が振りかかる。もう一度深々と頭を下げて、私は学園を去った。
☆ ★ ☆
魔術が存在する我が国で、魔術師の地位は案外高い。一つは国防に十分な威力を発揮する事で、一つは魔術師の絶対数が少ない事にある。そのため、魔術の才を見出された国民は、魔術学園に通う事が推奨(学費が高いので平民には難しい事が多い)されている。かく言う俺も、学園の卒業生であり、王都の二つ隣りの街――まぁまぁ都会だ――で筆頭魔術師をやっている。王都に勤める宮廷魔術師には及ばないものの、俺も結構優秀で高名な魔術師であるのだ。
さて、そんな立派な魔術師たちの間で、最近流行っている事がある。例に漏れず、俺もその流行に乗っかって、去年から補佐官と言うのを付けた。魔術師の仕事は、第一に国防、第二に生活水準の向上である。つまり、魔術以外にも町民からの嘆願書の処理など、役所仕事も多い。故の補佐官で、彼らの仕事は魔術師のスケジュール管理や細々とした雑用が主。よって厳密に言えば、補佐官は魔術師でなくても良い。良いのだが、自分より低位の魔術師を補佐官にするのが、一種のステータスとなってしまっていた。正直に言うと、俺の補佐官も魔術師だ。
「ロンド様。手が止まってますよ」
「アルワン補佐官こそ、うるさいぞ」
後輩でもあるルイス=アルワンが、呆れたようにため息をつきながら、小山になっている書類を捌き、同じく小山になっている書類の山を捌きながら俺、アーガイル=ロンドは怒鳴る。
「まったく。長年目を付けていた人物を、ようやく補佐官に付ける決心をしたって、随分へこたれた事言ってましたね。返事が楽しみ過ぎて、数日ぼうっと仕事を溜めた挙句、返事が来る今日は眠れなかったって、バカですか、バカ」
「うぐっ」
補佐官の的確な指摘に、思わずペンを滑らせる。書類が一枚失敗したため、アルワン補佐官にばれないように平静を装って、俺は、自分の引き出しに隠した。気付かなかったのだろう、アルワン補佐官が続ける。
「まぁ、学園時代トップ8に入っていた貴方が望まれる人物に興味も尽きません。そろそろ、誰か教えてくださいませんか」
書類の件はほっとしつつも、俺は眉根を寄せた表情を崩さない。ある意味、”彼”は有名人だったので、アルワン補佐官が嫌がるかと思って言えなかったのだ。どうしたものかと俺は悩む。
俺が彼を見直すきっかけになったのは、もう三年も前の事。当時、最高学年である俺も噂に踊らされ、魔術が使えない彼を見下しており、実際に彼に向かって『出来そこない』と罵った事がある。まぁ、我が永遠のライバル、タービット男爵の次男坊に実技で負けて苛々していたのの、八つ当たりだ。随分情けない理由だし、褒められた行動で無かったと、彼の静かに怒れるオークブラウンの瞳を見て気付き、恥じて、その場から逃げるように移動してしまった。
強い輝きを持つ彼の瞳に気押された俺は、それから彼に興味を持ち、謝罪の機会や接点を持つため、共通の話題をと、彼が毎月提出していた論文を読むことにした。そして、目から鱗が落ちた。真なる天才とは彼の事を言うのだとさえ思った。それほどに、彼の論文――魔術構成の実写化における、低級魔術の発露――は素晴らしかった。実際に彼の理論を応用し、新たに魔道具というモノを開発してみたほどだ。その俺の論文は、ようやく実用化されて、貴族の台所にコンロという名で販売されている。この実利に、タービットの次男坊は苦々しい顔をしていたのが、痛快である。
―――おっと話が逸れたが、彼の論文に感動するあまり、彼自身と接点を持つことをすっかり忘れ、彼の論文を読み漁ったのはいい思い出だ。まぁ最高学年であった俺が、彼を知ってから過ごした期間は一年と短く、彼は俺の事を知らないと言っても過言でない。だから、彼に謝罪も出来ていない俺が急に手紙を書くことも憚れたし、何より、彼の学習機会を奪ってはいけないと、学園を卒業する年まで待った。過去、彼を罵った俺の所業を考えれば、彼は俺を許してくれないかもしれない。けれど、彼は平民出身で奨励金返済に苦労するはずだ。だから下位とはいえ貴族で、筆頭魔術師である俺の補佐官という高給取りには関心があるはずである。感情は兎も角、全く勝算がないわけではないと思っている。
「変に気合いを入れるのは良いんですが、そんなに気難しい人なんですか」
心中で彼を思い出したか、ぐっと両手を握った俺に、アルワン補佐官はそう言った。それにくるっと顔を向けた俺(書類整理は小休憩だ)は、ぐっと眉根が寄ったのを感じた。
「気難しい? バカを言うな。彼は温厚で忍耐強い。何より、魔術への造詣が深く、一種の天才だぞ!」
「貴方にそこまで言わせるのはすごいですね。だから、早く教えてくださいよ」
「いつもうだうだ”彼”への思慕を垂れてた、へたれの貴方がやっと重い腰を上げたんですから」と毒舌をかまして繰り返す、アルワン補佐官。学園内での彼の噂は、未だ払拭されていないので、アルワン補佐官もきっと顔を顰めるだろうと予想できる。だから、口から出たのはすごく小さな声だった。
「……か…だ」
「え?」
当然、尋ね返される。元々深く考えるのはあまり得意でない俺は、ええいと、大声を出した。
「未完の、だ!」
「………」
アルワン補佐官の表情が抜け落ちる。刹那、筆頭魔術師執務室から彼の、「はああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」という絶叫が響いた。そしてこの世の終わりの様な表情をしたアルワン補佐官は、一気に俺へ距離を詰めると「あんた、とうとう頭湧いたのか!?」と大変失礼な事をのたまった。
「ええい、離せ。俺は正常だ!!」
「何処がですか!? 未完のといえば、学園きっての落ちこぼれですよ!? 魔術使えないんですよ、魔術!!」
「知っている!! ともかく、落ち着け、ルイス!!」
頭で考えるより体が動くと自他ともに認める俺の右手が、恐慌をきたすアルワン補佐官の頬を撃つ。「おっふ」と変な声を漏らして、アルワン補佐官がふらついた。彼の手が離れた俺は、ようやく息を吐く。
「落ち着け。彼は、確かに魔術は使えないが、魔術への造詣が深いのは本当だ。俺が作ったコンロの、基本原理は彼が書いたものだ」
「…はぁ?」
アルワン補佐官の顔が、嘘でしょうと言うように歪む。俺は「事実だ」と念を押した後、彼について分かった事を話して聞かせた。
「彼の魔術発動が出来ないのは、詠唱による魔法陣形成の際に、最終段階で形成した魔力が気化する事にある。絶対量が少ないわけでもないし、原因は不明。ある意味奇病に掛かっているようなものだ。けれど、彼の魔法陣の分析力は並々ならぬものがあり、四大元素の基本陣を発見したのも彼なんだ」
俺は我がことのように彼を誉めたたえ、実際に国から彼に勲章が贈られた事についても話すと、「そんな一大事件知りませんよ」とアルワン補佐官が悲鳴を上げた。そこが俺にとっても不思議なのだが、偉大な彼は、未だに学園内で不当に扱われているとの噂だ。
「―――と言うか、その基本陣についての勲章って、二階ホールに飾られているアレですか!?」
「何でそこにあるんだ? 俺は貴族サロンで、彼自身に授与されたって聞いたぞ」
「学園では、学園内の研究学科に授与されたって話でした。てっきり学科長に与えられたものだと…他の学生も同見解だと思いますよ」
どうも食い違いがあると、俺とアルワン補佐官は顔を見合わせた。
「アルワン補佐官。俺は、今、物凄く悪い予感がしている」
「奇遇ですね、俺もです」
二人の頭の中に、学園の不正の文字が過ぎったのだが、彼らが熟考する前に、筆頭魔術師の執務室のドアが叩かれた。さっと顔を上げて席を立ったのは、アルワン補佐官で、彼は呆然と「あぁ、返事が来たのかもしれませんね」と呟く。瞬間、俺は、学園の不正に気付いた時よりも、もっと緊張が高まり、鼓動が高まり、ふんっと大きく息を吐きだした。
「失礼します。ロンド筆頭、例の件で―――」
「返事が、来たかっ!!」
待ってましたと大声で歓迎すると、使者として立てた部下はしゅんと肩を竦めた。そんな仕草に俺は気が付かなかったが、アルワン補佐官が気付き、先程のお返しか、俺の腹を一発叩いて落ち着かせる。
「をっ!?」
「あぁ、気にせず、続きをどうぞ。どうだったんですか」
「はっ。学園に尋ねました所、件のエイル=アッガ氏は、二か月前に学園を辞したとの事です。何でも、マズルフェルに教師として赴任するとのお話でした」
一瞬、彼の言っている事が、本気で頭に入らなかった。大きく目を見開いた俺が使い物にならないと気付いたか、アルワン補佐官が「ロンド様」と肩を叩いてくる。
「彼が、―――エイル=アッガ氏が、マズルフェルに?」
「その様ですね。しかも、二か月前に学園を辞し……時期的に、自主退学でしょう」
「自主、退学……」
思わず呟いて、俺はどさっと席に崩れ落ちた。ついでに、机に頭をぶつけて、視界がちかちかしたが、動く気が起こらない。俺の耳には、部下を労うアルワン補佐官のやり取りが聞こえていたが、ふつふつと湧いてくるのは、不思議な怒りだった。気付いて一気に沸点を突破した俺の感情は、体を飛び起きさせる。
「アルワン補佐官んっ!」
「聞きたくないけど、何ですか」
「俺はマズルフェルに行く!!!」
かっかと体温が上がっていく俺の視界には、「あー、やっぱり」と天を仰ぐアルワン補佐官の姿が見えた。
☆ ★ ☆
学園のある王都から、北の辺境、マズルフェルは遠い。それに、防寒用具などの準備も必要だから、大きな街に寄って買い物をする必要がある。だから、私はマズルフェルまでのんびり旅をするつもりであったし、寄り道も多分にするつもりだった。それが後悔に変わったのは、一瞬前。私、エイル=アッガが、前方100M程先に土煙が上がっているのを発見した時だ。一つ大きい影が見えるのは、恐らく馬車。そして馬と、騎乗した男達。一つは銀に光るモノが見えたので、騎士だろう。すれば自然ともう一つは野盗だと思われた。
この街道は安全度が高いと聞いていたのにと歯噛みし、私は街道脇からそっとずれて、隠れる場所を探す。私が持っている自衛の術は、自分で作った低級魔術が込められた魔法陣が16枚。体が痺れて動かない様に、稲妻の魔術が半分、もう半分が足止め出来るように氷の魔術である。とはいえ、当たり所が悪ければ相手は死ぬ可能性も高く、本当に最後の手段だ。どうか、騎士が勝つか、野盗がこちらに来ませんようにと、熱心に祈りながら様子を窺っていると、彼らは争いながらこちらに移動しているようだった。そうして様子が見えてくると、騎士の中でも一際雄々しく、強い御仁が居るのに気付く。何より、彼から指示を受けるように、彼を守るようにして騎士が動いている処を見ると、襲われる一団の主、貴族なのだろうと知れた。
ふと、私は口の中に甘い感覚を受ける。これは、風の魔術の味だとすぐに気付き、周囲を見回した。私の周囲にそれらしきものは見当たらないと、やってくる一団に視線を戻す。まさか、野盗に魔術師崩れがいるのだろうかと恐怖を抱いたのも一時で、どうやら貴族と思われる騎士が、苦い顔をして魔術を発動させようとしたと気付いた。魔力がある貴族ならば、経済的にも学園にも通え、高い地位にも付きやすいと聞く。彼も魔術師、いや、魔法騎士なのだろうと、滅多に居ないとされる騎士の技量をもつ魔術師の可能性に心が震えた。けれど、少しおかしい。魔術発動を示す甘い味覚を感じたのに、彼の前には、敵を滅ぼす風の渦は出現しないのである。
その時、口の中に苦みが広がった。これが出るのは、良く知っている。私の魔術が消える時に感じる味覚と同じだから。まさかと、私は彼を見続けた。金の髪を無造作に首元で縛り、その緑の目は鋭く後ろを追従する野盗を睨んでいる。その目が、こちらを向いた。
「止まれ!」
私を認識した途端、彼はそう叫んで馬を反転させた。私まであと5Mと言った所だ。急な彼の指示にも、よく躾けられているらしい護衛の騎士たちは、すぐに従う。何かあるのかと首を傾げる私だったが、逃げの姿勢だった彼らが即座に抜刀して、賊を迎え撃つ姿勢を取ったのを見て、何より、貴族らしい騎士が「ここで食い止めろ」と言ったのに気付いて、はっとした。恐らく、私の為だ。この街道に、他の旅人の姿はない。
何て人だと、私は感動した。貴族が多い学園で過ごしてきた私は、貴族というものは、平民なぞを気に掛ける人種ではないと思っていたのだ。けれど、騎士という人種は、陰険な魔術師とは違って、高潔なのかもしれない。物語にはよくよくそういう描写が出ていたというだけだから、本質はどうかはわからないが、少なくとも、命の危機である現在に、私の存在を優先してくれたのである。
「後ろへ抜かすな!」
街道脇にこっそり隠れているだけの私を守るモノだと示す、貴族騎士の言葉。言っておくが、私の容姿はみすぼらしいし、着古した外套を被る平民の旅人、その見た目まんまである。何て人だと、私はもう一度心中で叫んだ。学園で虐げられ、功績を他人に奪われ、とうとう借金を背負って辺境に追いやられようとしている私の命を、貴族騎士が惜しんでくれた。理解した瞬間から、あぁと、勝手に私の両目から涙があふれる。貴族を守る護衛騎士たちは、それを恐怖の為と思ったかもしれない。しかし本質は、私の喜びだ。初めて人の優しさに触れたと感じ、私は体の震えるままに立ち上がった。賊の姿はぐんぐん迫って来る。
「貴族様、風を!!」
叫びながら、私は最前で剣を掲げる貴族騎士へと走る。護衛騎士がぎょっとして、私を止めようと手を伸ばすのをすり抜け、同じく呆けている貴族騎士へ突撃するように飛び込んだ。
「もう一度、風を! 貴方の魔術を!!」
びくりと、貴族騎士が私を見て、目を見開く。何を驚いているのだ、怯えているのだと、私は強気に微笑んだ。だって、貴方が先程使おうとしたのは、偉大なる風の魔術。
驚きに固まっている貴族騎士の馬に飛び乗り、私は後ろから彼の片手を上げさせた。本来、魔術の発動は詠唱が必要である。けれど、それは、音による魔法陣の構成のためである。それをせず、彼は途中まで、魔法陣を完成させていた。足りないのは、あと1ピースだけだ。
「私が、成ります」
まだ私を下がらせようとしている騎士たちに、いや、私が何をするつもりかまだ分かっていない貴族騎士に、私は強く「風を呼んでください、貴族様」と進言した。
「私が、最後の鍵に成ります」
もう賊は目の前である。遠くから粗悪な剣を振り上げるのが見えた。
「お早く!」
焦れた私が鋭く叫ぶのと同時、口の中に甘い味覚が広がった。先程も感じたが、今は彼に密着しているせいか、もっと甘美に感じる。すると、貴族騎士の腕を支えていた私の手を、彼が取った。あぁ、ようやく見つけたと、私の中に歓喜が広がる。私の手をぐっと握った貴族騎士は、魔術の言葉を唱える。
「≪放て、草原の狼。鋭きアギトで、我が敵を滅ぼせ、≫」
ここだ、と私は魔術を使った。全部描きあがる前に消えてしまう私の魔術。けれど、今の私は全て描きあげなくても良い。彼の足りない部分だけを描けば良い。今まで全く経験がない、ぶわっと極上の菓子を口に入れたような、そんな途方もない甘みが口に広がる。行ける、と私は、人生で初めて確信できた。
――――――これが、これこそが、魔術だと。
「≪蒼き(ガル)――≫」「「≪狩人≫っ!!」」
その後の事は、護衛を勤めていた騎士たちにも、良く理解できない事だった。彼らは、守護すべき主と、奇妙な旅人の繋いだ両手の先に出現した巨大な魔法陣を、冗談みたいな思いで見た。直後、魔法陣から、青白い狼のような形をした何かが、向かってきた賊に襲いかかり、逃げようとした彼らの首や手足に噛みつき、噛みついた瞬間から弾けるように賊の体が切り裂かれていく。そんな嘘のような光景を、本当に、夢でも見ているような気分で目に入れたのである。
「魔術――」
誰かが呆然と言った事に、はっと彼は我を取り戻した。そうして、目の前の狼の形をした風が賊を倒していく光景と、自分が握っている旅人の手とを交互に見る。彼が現実に困惑している間に、魔術は全ての賊を戦闘不能にした。
「俺の―――?」
「そう、貴方様の魔術です。貴族様」
言って、背後の旅人は、彼の馬から降りた。そうして、平民らしく大地に平伏する。いっそ鮮やかな旅人の動作を、彼はやはり呆然と眺めた。本来ならば、貴族である彼は、旅人の無礼な行動を罰さねばならない。後ろをみれば、護衛である部下たちの中には、不快そうな表情をした者もいる。けれど、彼はそうしなかった。
「お前は、魔術師なのか」
「ご無礼をいたしました、貴族様。私は、エイル=アッガ。魔術学園では、未完の魔術師と呼ばれておりました、成りそこないでございます」
「成りそこない…?」
「はい。私単体では、魔術の発動が出来ないのです。――恐らく、貴方様と同じ様に――」
平伏したまま告げたエイルの言葉に、背後の護衛たちが殺気立ったのがわかる。けれど、彼はもう十分にわかっていた事柄で、だからこそ背後の部下たちを片手を挙げて止め、不思議に思って、エイルに尋ねた。
「よくわかったな。俺も魔力があるのに使えない、成りそこないだ。だからこそ不思議なのだが、お前はどうやって、俺の魔術を発動させられたんだ? 答えてくれるなら、先程の無礼は目をつぶろう」
本来なら、彼はこういった高圧的な物言いを好まない。けれど、背後で面目を気にする部下がいる以上、そういうポーズをとった。彼、ドノヴァン=グランブルーは王都から南にある国境を守る若き辺境伯である。貴族で魔力を持つ彼も、少年の頃に魔術学園へと教えを請うたが、結局魔術を発動できずに中途退学した。息子が魔術師になり、国境での活躍を願った父母に失望されたものの、彼は腐らずに剣を磨き、今では立派に国境を守る戦力となっている。魔術が使えない事に諦めが付いていたのだが、先程見た光景が夢とも思えず、じっとエイルを見つめた。
「はい。私は魔術が使えない代わりに、コレ、で他人の魔術がわかるのです」
そう言って、エイルは顔をあげて、自分の舌を指した。ドノヴァンが変な顔をするのを見て、さらに続ける。
「風ならば甘みを、炎ならば辛み、大地ならば酸味、水ならば塩味を感じるのです。さながら一級の料理人の様に細かく、一度口にしたものを再現できる」
口で説明されたがドノヴァンや部下たちには、よくよくイメージ出来ない。だが、出来るというのなら出来るのだろうと、深く考えるのを止めて、ドノヴァンはエイルにさらに質問した。
「それが、どう繋がるのだ」
「はい、貴族様。私は、貴方様が最初に発動しようとされた風の魔術を舐めました。その際、貴方様の魔術は人が扱うものよりも精霊に近しく、素晴らしい威力を持つがゆえに、言葉での魔術構成を、最後まで終える事ができない事に気付いたのです。そして、私は、途中までなら、他者のモノであろうとも、完璧に描ききることが出来るのです」
熱心にドノヴァンを見上げるエイルは、絶対の自信を持って答えた。それから再度、勢いよく頭を下げて大地に付け、叫ぶように続ける。
「私だけでは、絶対に魔術は発動しません。けれど私は、貴方様の欠けた魔術構成を、誰よりも完璧に描きあげる事が出来ます!! なればこそ、貴族様っ――いえ、旦那様っ、どうぞ、私をお傍に置いて下さいませ!!!」
道端で見かけた時、エイルは見た目の印象そのまま、いやそれよりも弱々しく映ったものだが、今、平伏して血を吐くように叫ぶ姿は、むしろ覇気さえ感じられた。エイルは全身を緊張させて、ドノヴァンの返事を待っている。その必死さは、貴族に媚び諂う様には見えず、高潔ささえ感じ、思わずドノヴァンは声をあげて笑った。
「学園に通っていたのならば、奨励金の返済がある。それはどうするつもりだ?」
「五年…いえ、三年だけご猶予を頂きとうございますっ。必ずや返済し、貴方様のお傍に参りますっ」
愉快な気分になったものの、エイルの思惑通りにしたと思われるのは少々不本意だ。だから少し意地悪な事を言えば、やはり痛い所だったのかエイルが苦悩するように返答した。それに思案する振りをして、ドノヴァン。
「三年か。それから、お前は平民だろう。魔術師としても不出来ならば、屋敷に上げるには少々難しい…」
「皿洗いでも下男でも、何でも致します、旦那様っ!」
「そうか。だが、俺は辺境の貴族だ。王都のような華々しい生活はできんし、給金も乏しいぞ」
「望むところっ!!」
意地悪な質問を続け、ドノヴァンは自身の身分を示し、即座にエイルは答えた。そこまでくるとドノヴァンは、くつくつと喉を震わせており、後ろの部下たちも主のからかいに、意地が悪いと苦く笑う。エイルにはどう聞こえているかわからないが、それでも彼は体中に力を漲らせてドノヴァンの返答を待っていた。
「エイル=アッガ。お前の気持ちはよくわかった」
「では―――!」
ドノヴァンの声に、エイルの声が震えた。それでも顔をあげない彼の姿勢に感心しつつ、ドノヴァンは顔を上げるよう告げる。するとエイルは、泣いていた。それはとても幸福そうな顔であり、逆にドノヴァンが驚いたぐらいだ。
「必ずや、三年後には辺境へ―――」
「いや、三年待つ必要はない。今、ここで、お前を私の部下とする」
喜びに泣きながらも宣誓しようとしたエイルの言葉を止め、ドノヴァンは苦笑しつつ言った。それに、ぽかんとエイルが顔を上げる。驚いたらしく、エイルの涙が止まった。
「私、ドノヴァン=グランブルーが宣言する。エイル=アッガ、お前の奨励金を、私が払おう。その代わり、お前はグランブルー家に勤め、よく仕えるように」
「お、おおぉ…」
多分、ドノヴァンがそこまでするとは、エイルも考えなかったのだろう。宣言を聞いた瞬間、エイルは言葉として何も出てこず、崩れ落ちてしまい、再び地に伏した。
「だ、旦那様……ドノヴァン様…」
まるで神に出会った事で、感激して失神してしまいそうな、敬虔な信者の如くしているエイルに苦笑しつつ、後ろの部下に彼を同行させるよう小さく指示した。すっかり脱力してしまったのか、少々引き擦られてエイルは馬車の御者台に乗せられる。
「必ず、…必ず、お役にたちます、旦那様」
最後にうわ言のように繰り返されたエイルの言葉を最後に、ドノヴァンたちは、辺境へ戻るため馬を進めた。
☆ ★ ☆
マズルフェルは山間にあって、本当に寒い。だが、雪の降る前に到着出来て、アーガイル=ロンドはほっとしていた。手には、握り締めすぎてよれよれになった、エイル=アッガの勤め先が書かれた紙切れと、緊張しすぎて開いたり閉じたりしている懐中時計が握られている。ここまで馬車で長時間揺られて体調は最悪だったが、折角使者を立てたのに、数か月差で彼とすれ違ったあの一件が思いの外堪えて、このまま目的地まで一気に移動した方がいいと、彼は思ったのだった。
雪が降っていないとはいえ、吐く息は白く、コートの他に手袋やマフラーは必需品である。手袋をはめているせいで細かい作業が出来ないが、ドアノブぐらいは開けられるだろうと、隙間風でも入りそうな木製の古いドアを前に、ロンドは深呼吸して、そこをノックした。
「お待ちくだされ」
屋内から聞こえた声に、ロンドはさらに体が緊張するのがわかった。声で誰かはわからないが、エイル=アッガだったらどうしようと、両手が震えた。しかして玄関を開けたのは、エイル=アッガでなく、学園のアラマル師のように年嵩の男性であって、ロンドは拍子抜けする。けれど、ここからが本番だと気合いを入れて、ふんっと息を吐くと、挨拶をした。
「急な訪問をお許しください。私は、アーガイル=ロンド。筆頭魔術師です。ここに、エイル=アッガ氏がいらっしゃると聞き、尋ねて来たのですが、今、彼はどちらに?」
「ほう。魔術師様。確かに、エイル=アッガ氏は、こちらに来る事になっていたのですが―――」
年嵩の男性の言葉に、ロンドは「ん?」と固まった。その戸惑いは数秒もなかったかもしれない。続けられた言葉は、彼が感じた嫌な予感の通りだった。
「何でも、彼は奨励金の返済を完了したらしく、こちらの件を断られてしまって、いませんのです」
「い、いない?」
「はい」
きっぱりとした男性の答えに、ロンドはふらっとよろけた。忙しい業務を片付けて、ようやく彼を迎えに行けたと思ったら、これである。ロンドは自分の不運を嘆いた。けれど、はっと気を取り直して、男性に詰め寄る。
「か、彼は、――エイル=アッガ氏は、今、どちらに!?」
「さぁて、そこまでは。あぁ、いや、そういえば、奨励金の返済にあたり、どこかの貴族の支援を受けたというお話でした。お役に立てずに申し訳ない」
「貴族……」
男性の言葉に呆然と呟いたロンドであったが、それと同時に彼の胸中に、再びふつふつと怒りが湧いてきた。長年自身が目をつけていたというのに、一体どこのバカ貴族が彼を召し抱えたのであろう。まさか、自分への当てつけに、タービット男爵家が手を回したのでは。そんな邪推までしてしまい、動揺する。これ以上男性に尋ねても、もはや知らぬと言うし、貴族であるならば、自分でも跡を追えるだろう。
「ご老人、お時間を取らせてすまなかった。ありがとう」
「いいえ。ここももうすぐ雪が降るでしょう。お気を付けてお帰りください」
男性に見送られ、ロンドは再び駅へと向かった。その際すれ違った人々からは、彼の様子があまりに鬼気迫っており、また彼の軍人のような逞しい体型も手伝って、警官が犯罪者を追っているように見えたという。
結局この後、ロンドが”未完の魔術師”エイル=アッガを探し出すのに、6年を費やした。しかし、その頃には辺境伯の良き副官として彼は完成しており、決して、ロンドの誘いを受けなかったという。
そうして、”未完の魔術師”エイル=アッガが生涯仕えた、辺境伯ドノヴァン=グランブルーは、この時代無二の魔法騎士として名を馳せ、国に誉を齎したと、後の史書には記されている。