第26章 動物根付 蛙
義晴は鬼ノ重との会談を終えた翌日、遠い地から文を運んできた男…いや、派遣された使者と謁見していた。
「随分と早いお越しだな」
「迅速な対応が長所じゃで!」
「そうか…」
豪快に笑って義晴の前に座る男。
九州の駒丹から来た若武者はからからと笑いながらじっと獅子の根付や刃龍を見ていた。
「流石先生んご兄弟じゃ、わっぜみごっかね」
「すまない、今何と言った?」
「おん?…あぁ!国ん言葉がちごっんやったな!じゃなくて、……国の言葉が違うのじゃったな?すまぬ!」
訛りが強く、言葉が分からなかった義晴は聞き返すとはっはっはっ!と笑う若者はすまんすまん!と話し方を変えた。
「訛りなしで話せるならそうしてくれるとありがたい…」
「儂らは訛っとるとは思っとらんぞ……まぁ、先生に話し方は違うのは聞いとったから気をつける」
「…その先生ってのはなんだ?」
若者はその言葉に目を輝かせて、声高らかに言った。
「先生は儂らの国を救うた御方じゃ!賢い蛙様でな、義晴様の根付と刀のご兄弟ぞ!」
義晴はすぐにその先生とやらが駒丹の問題を解決した件の宗助の作った物だと察した。
そして、蛙の作品に一つだけ覚えがあった………宗助が作った数多くの根付の中に蛙の根付があったのである。
鹿の時と同様に村の外へ出た元楚那村の者へ届けられたのだと察した。
そして、なんでそんな遠いところまで行った村人がいるんだと頭も抱えた。
「一体何をしたんだ?その先生とやらは」
「よお聞いてくれた!まずは儂らの国にあったことを話そう!」
--------------------------
数か月前の駒丹。
九州を統一し、嶋野の一族は、日々内政を整えるのに精を出していた。
しかし、領地が一気に数倍も広がれば、いざこざやそれぞれの土地での問題の発生、今後の会議などてんてこ舞いであって、中々に落ち着かないものであった。
そんなある日のこと。
駒丹の中でも少々辺鄙な場所の鹿島にある嶋野の分家にある物が届く。
「まぁ!おとうからだ!楚那村からだなんて、随分遠い所から来たのねぇ」
荷物を馬借から受け取った女性…お眞は故郷からの荷物を喜ぶ中で、こんな遠くの娘にまで贈り物をしてくれた父と母に感謝した。
「わいん故郷から来たち思うと、ほんのこて、わっぜ遠くからん荷物じゃな」
と、夫である影清は遠路はるばる届いた荷をしみじみと見つめた。
「そうねぇ、私もここまで来るのに時間がかかったもの…」
「…いつ聞いても、こげん遠くまで歩いて来たちいうのが信じられんな」
このお眞は楚那村を出た後、どうせなら遠くに行こう!と楚那村から駒丹の鹿島まで自分の足で歩いて旅をしてきた女である。
そんな女に惚れたのがこの鹿島の統治をしていた嶋野影清であった。とんでもない距離を歩いた女が新天地を求めてここまで来たという話を聞き、興味を持って声をかけてみれば竹を割ったかのような人物であったお眞に一目惚れもあってすぐにこの地に住まわせた。
そこからは求婚をしまくり、その求婚に応えたお眞は元々農民の娘であったのだが、領主の妻になったのだった。しかし、領主といっても貧乏領主なので畑には共に出ている。
そんな、お眞は住み始めた当初は土地の言葉が分からなかったのだが、影清や商人の人達に駒丹の言葉を教わり、今は完全に理解している。お眞曰く、慣れだという。
届いたものを開けると、中には文と蛙の根付が入っていた。
入っていた文は二つで、一つは楚那村の村長から「楚那村は滅びることはなくなった」ということ。
この文にはお眞はどういうことだと首を傾げる。
お眞が村を出たのは楚那村の土地を枯らすものがいたからであり、それから若者を逃すためである。若者達は泣く泣く村を出て、村に残るという親と幼い故にまだ動けない太郎とおゆきを心配していたのだ。
が、滅びが消えたとは?と文を読み進めれば…村に来た子供が何かの加護を持っており、その加護により悪いものを良いものへ変えたということらしい。また、帰りたいものは帰っておいでと。
お眞は理由はともかく故郷が無事なことに安堵した。
自分も村の危機に立ち向かいたいと声を上げたが、人の手ではどうしようもないものであったために、他の若者達と共に村長と親達が用意した、大金を持たされて逃がされた。
「楚那村のおとうとおかあが無事でよかった、……どうしたの、そんな抱き着いて」
「だってぇ…」
届いた文を覗き読んでいた影清は後ろから彼女を抱きしめて、肩に顎を乗せる。
その顔は不安そうにしていた。
影清はお眞のお腹に回した腕に力が入る。
「わいが生まれ育った村に帰っちゅう言うかもって…嫌じゃなって」
影清はお眞が自分の村に帰るのでないか、そういって子供のようにすがりついた。
「帰るって…私は誰の奥さん?」
「おいんの…」
ぽんぽんとお腹に回る手を優しく叩くお眞、ぐりぐりと肩に額を擦り付ける影清は「俺の嫁さん」だと呟く。
「えぇ、この地の、この家の嶋野影清の奥さんです…ここを私の第二の故郷にしたのは旦那様ですよ」
「お眞…!」
「ぐえっ」
嬉しさからさらに力を入れて抱きしめた影清に潰れた蛙のような声を上げるお眞。
今度はぺしぺしと強く腕を叩いたので、力を緩めるも離す気はないと腕はそのままだ。
これはいつものことで甘えてくる夫に仕方ないとそのままにして、もう一つの父からの文を読む。
父からの文には楚那村の日常と件の子供…宗助という若者が職人で様々な物を作るということ。その宗助の作ったものは良いものを運んでくるということでお眞が持っていなさいということ。この蛙の根付はその宗助の作ったものだと。
蛙の根付を手に取った。蛙の根付は胡坐をかいた蛙が静かに座る姿のものだが、ころころとしていて可愛らしくも精巧な作りだった。
「可愛いわぁ、でもよく出来てる…」
「あぁ、こいはよかもんじゃな…精巧なもんじゃ。どこぞん大きな商店で取り扱わるっじゃろうほどに、出来がよか」
「えぇ、それになんだか賢そうな蛙さんだわ」
賢そうだというお眞。影清も顔つきが確かに何処か気品があり、賢そうな雰囲気があると頷いた。
《ケロケロ…》
蛙の声がした。
二人は顔を見合わせるも蛙の声は聞こえないので気のせいかと考えた。
が、その蛙の声は気のせいではなかったと知るのは早かった。
その翌日、お眞は早速根付をつけて畑と家事仕事に精を出す。
今日は影清が書類仕事に追われているので、畑を一人で水を撒く。
しかし、重労働を終えて一息つくお眞はふと畑の縁に数匹の蛙が並んでいるのを見つけた。
蛙達は全員がお眞の方を向いており、じっと見ている。
お眞はこんな蛙の様子に初めて見たと驚くも、もしや腰につけているこの蛙の根付を仲間がぶら下がっていると思っているのではあるまいかと考えた。
とても精巧な作りなので、蛙も見間違う程なのだろうかと。
ふとお眞は根付を外して、手に乗せて蛙に見せるようにゆっくり近づけば、蛙達は逃げずに手の上の蛙の根付を見ていた。
少しするとケロケロと鳴き、散るように飛んでいく。
お眞は蛙じゃないと分かったのだろうかと思い、また元の位置につけ直すと
今度は家のことをせねばと農作業の道具を片付けに向かう。
その後ろ姿を、蛙達はじっと見送っていた。
家に戻ったお眞は夫の様子を見に行くと書類仕事に苦しんでいるようで、呻いている。
部下に領の主なのだから頑張れと叱咤されるも嫌そうな顔をするばかりだった。
お眞は仕方ないと頑張れと横に座って背を撫でれば、影清は休憩するといってお眞の膝に飛び込んで彼女のお腹に腕を回して抱き着く。
甘えるようにお眞の膝の上に頭を乗せて、お腹に顔を埋める影清はいつものことなので、部下達は「また奥方ん世話になってしもた…」と頭を下げる。
甘える夫にお眞は仕方ないと頭を撫でてやりつつも、部下達に難しいことなのねと話すだけでもさせようと「随分と唸っていたわね」と話題を出せば、影清が頭を抱えるのも仕方ないかもしれないと苦笑される。
「農作物ん問題解決や安定させっ方……んん゛っ!!、…農作物の問題解決や安定させる方法の提案に年貢の調整、本家への報告に関するあれこれ、後は民の人数の取りまとめに他の場所との連携…上げればきりがありません」
「無理しなくていいのよ、……でも、農作業が上手くいかないと年貢をどう調整すればいいなんて分からないわねぇ」
「そうなんじゃー……無理、もう無理じゃー……」
お眞に無理するなと言われたのは影清の補佐であり、従弟の嶋野笹清。彼は外交も任される役職の為、練習も兼ねてお眞と国言葉を出さない訓練中である。
頭が回らぬと唸りながらぐりぐりとお眞に甘える影清に、笹清も無茶なのはわかりますけどーと遠い目をしながら、早くやってくれという。
この甘えの体勢に入った影清を戻すのはお眞にしか出来ないのでやる気を出させるために言葉をかけるのだが、お眞も流石に内政のことには口を出せないのでどうしたものかと悩む。
その時、影清の机の上にあった書類の一つを薄緑の丸い指先が手に取った。
《ふむ、なるほど……ここの農作の適正と問題を理解していない上司ですねぇ…ですが、ここは難しい土地ですが、術はいくらでもありますとも》
書類を手に取り、ふむふむと読んだのは…そこにいたのは、人の背丈ほどもある蛙だった。
蛙は薄緑の丸く柔らかい体で、片膝を立て、肘を膝に預けながら、静かに書類へ目を落としていた。
影清はすぐさまお眞を抱えて起き上がって腕の中に守るように構え、笹清はそんな二人を背にして刀を構える。
突然大きな蛙、しかも話す蛙が現れたのだから驚くのも無理はないことである。
「だ、だいだきさんは何者じゃ!?」
「かえる…?」
「蛙の妖怪…か?」
大きな蛙は眉間?に皺を寄せながら、「刃を下ろしたまえ」とゆっくりと刃の背を指で押した。
そして、お眞を、正確にはお眞の帯にて揺れる蛙の根付を指をさした。
《私はお眞様の蛙ですよ、先日ここに来た蛙です》
「蛙って…この蛙?」
《えぇ、その蛙が私です。私の父は不思議な力を持っておりましてね》
「そういえば不思議なことが起きるかもとは書いてあったけど…、これが不思議なことなのかしら」
《根付の兄弟は皆、同じく体を持っている。私もそうです…さて、私のことは置いておいて、初めての仕事をしようじゃないか》
ふりふりと書類である巻物を振る蛙に笹清は書物で遊ぶなと叱るも、お眞は先ほど蛙は「農作の適正と問題を理解していない上司だ」、「術はいくらでもある」と言っていたことを思い出した。
もしかしたらこの蛙はこの問題の解決を出来るのではと考えて、影清に蛙に相談してみてはと持ち掛けた。
「お眞?何を言うちょっとか?」
「この蛙さんはさっき農作の適正と問題がって言っていたわ、それに術があるとも言ってたのよ」
「お前、解決できるち言うたのは本当け?」
《えぇ、ここの土地は少々特殊ですけども、方法はいくつかありますよ》
「詳しゅう頼む」
蛙の前に座り直し、話を聞く影清。そんな影清に笹清は「えぇっ!?」と驚くも、お眞にまずは話を聞いてからでも遅くはないと提案された。
真っ直ぐに見つめる影清に蛙は書いていい紙と筆を貰うと解説をするように影清と笹清、お眞にまずは…と言葉を出した。
《まずはこの土地が特殊と言ったことについて、これは厄介な地質があるからです》
「厄介な、地質…?」
《ここは水はけが良すぎる、雨が降ってもすぐに土の中に吸収されるから畑が乾いてしまう》
「た、確かに…毎日水を撒いても少ししたら乾いてしまうわ…」
お眞は確かにそうだと頷く。楚那村の時は日に一度の水まきで良かったのにここでは朝夕と撒かねば作物が枯れてしまうと聞いて驚いたものだと思い出す。
蛙の説明に影清と笹清も頷き、確かにそうだと声をそろえた。
《水をくみ上げようとも川の谷底に水が溜まっているので困難であるのもここの特徴です》
三人は確かにそうです!と揃って頷く。半信半疑で聞いていた笹清もここまで的確にこの地のことを言い当てた蛙の言葉に姿勢を正して聞く姿勢になる。
蛙はそれを見つつもやることは多いのですよとまずは一、二と数字を縦に書いた。
《まずやるべきことを二つの分類に分けましょうか。まずは一、これは水の作業です。これに関しては重要ですが長い期間行うもので人の手も時間もかかることなので真っ先に調整をしましょう》
「というと?」
《この一で行うことは水利事業です、この鹿島の地から近い鳥野山には大きな渓谷を満たせる程の水があります。この水を用水路として引いてくるのです》
笹清は「山から水を引くのか!?」と驚くも、だから蛙は一番時間がかかると言ったのだと理解もし、蛙に一旦待ってもらい他の家臣も呼んで会議に参加させる。
多くの家臣達は大きな蛙に驚くも、笹清や影清からこの土地の未来に関わる大事な話だからとりあえず参加してくれと言われた。
この蛙がこの土地の問題と解決策を提示するのだと言われて、一部の家臣以外は疑りの目を向けるもこの土地の問題をもう一度蛙が伝えれば、文官達は賢い蛙の言葉にすぐに姿勢を正した。
《さて、話を進めてもいいですかな?》
「お願いします」
「なんでじゃ、こん蛙、貫禄がすげ…」
影清が咳ばらいをすれば、場は静かになる。
蛙はそれを見守ると話を進めた。蛙は大まかに鹿島の地図を描く。
山とこの屋敷、そして近隣の村を大まかに描いたものだが、笹清は土地の場所の位置を把握している蛙にまたも驚いていた。
《水利事業で行う際に溜池の拡充を同時進行で行ってください。》
「溜池を?なんで必要なんじゃ?」
《慢性的な水不足を解消するのに一番早いのです、そして用水路を引く際にこの溜池が多くあればいい》
蛙は家臣の一人の質問に答えるように丸い指を池の絵に乗せた。
そして説明するように指をゆっくりと動かす。
《この鳥野山から水を引き、山から近いこの三つの池に流す…そして、増やした溜池同士を繋ぐように用水路を作れば…一から貯める場所を作るよりも無駄がなくていい》
「た、確かに!」
《溜池を作る際には既存の池を優先的に拡張するようにすれば多くの池を作れます、またこの溜池の水を民達が使用できますよ》
蛙の言葉に家臣達は「おぉぉぉぉ!!」と沸き立つ。
察しが良いものはこれが完成すれば、長い歳月がたっても役に立つと子や孫のためになると未来に光を見た。
《これは力と体力がある方々が適任ですが、民の男衆にも協力をお願いしましょう…ですが、冬までは民達には溜池の清掃と拡張を日常的にしてもらったり、小さな水路を作るのをお願いしましょう。日々の生活もありますからね》
「冬になれば山の方を手伝うてもらうんじゃな…いや、冬までにまずは近くの池に水を通してやっど!」
《やる気があって大変いいですね、ですが、皆さんにはやってもらうべきことが多いのですよ》
蛙はまだ一しか説明してないと二の数字をとんとんと叩けば、若い家臣達は「すみません…」としゅんとしたが、蛙はやる気があるのは本当にいいことなのですよとフォローした。
《二に関して、民の皆さんには春から秋に関してはこちらを優先してほしいのです》
「して、民達にお願いすることとは?」
《この土地に適した作物を見つけること、と土地に合わせた改良することです》
蛙は畑に植えられた作物…特に米は水分を多く必要なのでこの地に適さないと残念そうに言った。
なので米よりもこの地に適したものを植えるか、米をこの地に適した品種に改良するのだといいながら図を描く。
《まず、蕎麦や豆、芋を主として植えるといいでしょう。米よりもこの地に適しており、育ちます》
「確かに記録にも豆が育った年が多かったとあったな」
「芋ち言えば…琉球ん商人が蒸かすと甘か芋を持ってきたこっがありもしたな…その種芋を貰えるごつ頼んでみますか」
《その調子ですよ。で、民の皆さんに主に協力をして欲しいという作物の手際のいい栽培の試作と改良についてです》
蛙は民達の方が育てることに関しては一番詳しく、技術的に出来るのだと言うと、春夏秋冬と書いて春を指差した。
とんとんと丸い指で叩きながら「彼らがどの時期に、どの作物を植えるべきかを理解するのが最も早い」と。
《この地は水の問題だけでなく、嵐も多いと聞きました…なので、長々と作物を育てるのも難しい。そのため短期で作物を育てることで餓死しないようにしています》
「本当に、よくご存じで…」
《なので、どの作物が育ちやすいかを把握するのは重要であり、また得意なのです》
なので、この作物に関しては農民達の協力が必要なのだともう一度言うと影清達は理解したと頷いた。
彼らも食い扶持を稼ぐために畑仕事をしているので、重要なことだとすぐに理解したのである。
《多くの農民達の協力が必要であるということはそれだけの人が動くということで統率が要。なので、住む地域で区域を分けてその地の農民達が常に相談できる人員が必要です》
「…えっと、つまりは民達ん相談役を、我々がするちゅうこっと?」
《相談役というよりは中間の取りまとめという位置でしょうか、ただ作物の知識がないといけませんので皆さんの畑にも作物を植えて試して、共にどうするかを考えていってほしいです》
「そげんこっなら分かった、これが上手くいったちゅうことを皆で共有していっど!」
蛙は話が早くて助かると拍手する。ぺちぺちと少々気の抜ける拍手だが、褒められた若者の武士は照れたように頭を掻いて笑った。
褒められた若者に他の年代の武士達がいいなぁ…という目を向けている。影清はもう蛙が若武者達の心を掴んだようだと見守っていた。
《では、これまでのおさらいを我らがやることは用水路のための掘削と作物の改良です。……まずやることは用水路を建設する準備と民達への協力をお願いすることです》
「よっしゃ!|動ける者でまずは山ん水源と池の視察に行っど!」
「おいらは、かつがつん村ん長達に協力をお願いにいきもんそか?」
《これは大きな目標です、やり遂げるために何をどうするかの試行錯誤も大事ですよ》
「わかったよ蛙さん!」
蛙の案に鹿島の武士達は仕事だ仕事だ!と動き出す。
黙って見守っていたお眞は足早に動き出した男達にポカンとしつつも、蛙を見た。
「か、蛙さんってなにもの…?」
《貴女の蛙ですよ、少し賢い根付の蛙です》
にっこりとそういった蛙はお眞にもやって欲しいことがあると言った。
蛙の言葉にお眞は首を傾げたが、蛙はやってほしいことを彼女にわかりやすく伝えた。
そこから三か月後の鹿島。
鹿島に住む者は皆が忙しそうに働いていた。
昼間、男達は畑仕事を終えると山や溜池に向かい、意気揚々と土を掘りつづけた。その結果、なんと早々に二つの溜池に山から水が通った。
未来の子供達のためにもなると話を聞いた民達は蛙の打ち出した策にやれることがあるならと自ら動いたこともあったために蛙の予想よりも早くに出来たのだ。
また、蛙の知恵から山の掘削で出てきた粘土質の土を利用し、貯水性を上げたり、掘った土で池の堤防を高くして災害対策もして運搬に無駄のない指示を出したりと武者達が考えて動くことで軍事練習にもなってやる気を出す者もいた。
これも蛙がやる気のない、戦馬鹿な者にはそうやって戦に繋げることをさせてやれば喜んでやるだろうという言葉を笹清が実行したのもあった。
一つ目の溜池へ水を通す日には鹿島の遠くの村からも見物客が来て、水門から勢いよく流れる水と溜まっていく水に皆が歓声が上がる程であった。
また、一つの溜池による効果はすぐに出たことも二つ目の溜池の拡充や用水路の工事のやる気を上げた。
一つ目の溜池周辺の村にて作物の育ちが良くなったと効果が出たという話が鹿島に広まったのである。
この話を広めたのはお眞達、女達の力だった。
女性達はこの地で育つ作物の改良や加工に主に動いていたが、蛙から女性達が主体となって情報を回すようにと指示されていたのだ。
女性達の噂話はすぐに広がる、その話の速さを利用して農作物の改良の結果や進捗状況を確認し合い、また手際をよくする方法を相談し合う。
これにより育ちやすい作物の一部は収穫まで行きつき、さらに土木作業の手際を求めて工具の改良まで進んだ。
これには蛙も驚きの速さであったが、民達の相談に答えて工具の改良の知恵を与えたのはこの蛙である。この工具の改良もあって土木作業の手際はさらに早くなったのも要因であった。
また子供達も出来ることをするのだと大人達の手伝いをして、畑の見回りや土を運んだり、作物の栽培を手伝ったりとして働いたこともある。
しかも、働き者だと蛙が褒めたら子供達はやる気がさらに上がり、最近では溜池の水番で異常があれば報告したり、一部の子供は文字や算盤を習って作物の記録をつけ始めた。
子供達はすぐに蛙を『先生』と呼び慕い、若武者達もそれにつられて先生と呼び始めたことでこの蛙に先生という愛称がついた。
そうして、短期間で鹿島は小さく発展をしたのである。しかし、その小さな発展は彼等からすると偉大な発展の一歩だ。
この結果は当然、嶋野の当主にまで届いた。水利事業をしているという鹿島の変化を見るためにすぐに使者が派遣される。
城から来た使者は大人の人の大きさのある蛙に驚きの悲鳴を上げるも、蛙のそりゃそうだろうなという顔の横で蛙を慕う若武者達と子供達に「先生に失礼だろうが!」と怒られた使者は「なに、あれ?」と蛙についての問い詰めを影清にするのだった。
影清は不思議な蛙様であり、とても賢い蛙様なためにその知恵のお陰で今の鹿島になったと語る。
最初は使者は怪訝な顔をしたが、蛙の話した今までの作業内容の報告とこの後の計画などを聞くと若武者達と同じ顔へ変わり、尊敬の目を見せた。
笹清や蛙からこの方法は少なからず効果はあるはずだという言葉に賛同し、すぐに他の場所でも行うように進言すると使者は駆け足で帰って行った。
そこから一月もする間もなく、影清とお眞と共に蛙は呼ばれた。
駒丹の領主である嶋野の本家の一族は皆で頭を下げて、蛙の知恵をお借りしたいと願い出たのだった。
そこからは駒丹の国全体で水利事業を進め、作物の改良に特産物の改良を進めることになった。
嶋野一族から外交問題や身内でのいざこざなども蛙の知恵で解決することになる。
そうして、多くの者の相談に答えて、知恵を貸した蛙を駒丹の者は慕い、敬うようになった。
《もう国で動くというのならもっと派手なことをやりましょうか》
蛙はそういうとさらに農業だけでなく、貿易、工業等も発展させようとこれも始めちゃいましょうかと案と知恵を出す。
この提案を聞いた文官や職人、商人達は面白れぇ!やってやろうじゃねぇか!とやる気を出して動いたことでまた駒丹の地は発展を始めた。
工具や農具、他にも様々な物が開発されていき、多くの特産品も増えていく。日用品も開発されていき、民の生活も色がつき始めた。
ぽんぽんと蛙の知恵のお陰で鹿島の地は潤い始め、それに合わせて民達の笑顔もまた、増えていった。
「まさかたった半年でこんなに生活が変わるなんてねぇ…」
「先生んお陰じゃな」
「えぇ…でも、最近、中々雨が降らないわね…。せっかく皆で用水路を作ったのに…」
《その問題は私がなんとかしますよ》
「え?」
そう言って現れた蛙はお眞と影清に何処から持ってきたのか大きな葉を手渡して、庭についてこさせた。
傘にしなさいと渡された大きな葉っぱを手に二人は庭に出る蛙の後をついていけば…そこには蛙の大群がいた。
「か、蛙がこんなに…」
「ど、何処から来たの…!?」
《この子達は古くからここにいる同朋達ですよ、いつもは私のお手伝いをお願いしています。…さて、始めましょうか》
蛙はそういうと手に持っている大きな葉を天高く掲げて、空をかき混ぜるように振る。
すると小さな蛙達はその動きに合わせて鳴き始めた。
ケロケロ…。
ケロケロ、ケロケロ…。
ケロケロ、ケロケロ、ケロケロ…。
体を揺らして、息を合わせて鳴く小さな蛙達。
大きな蛙の持つ葉の動きの先にある空がゆっくりと動きだし、雲が渦巻いていく。
雲は徐々に黒くなっていき、ついには雨を降らせた。
「うそ…」
「雨が、降った…」
ポツリ、ポツリと葉っぱの傘に雨粒があたり、少しするとザーッと音を立てて雨が降る。
久方ぶりの雨に屋敷の外で民達は喜ぶ声が聞こえる中で蛙は小さな蛙達が喜ぶように跳ねる姿を見守っていた。
「な、なんで雨を降らせられるの…?」
《我が父は何故か蛙と雨を一緒に連想させていましてね、雨と言えば蛙、蛙と言えば雨と…その為に私は雨降らしも出来るのです》
父の連想が雨降らしの力も持たせたのだと笑う蛙は「これでこの子達も干上がらない」と零した。
お眞はこの地の水不足はこの地に棲む蛙にとっても一大事なのでこの蛙は動いたのかと気づいた。
「先生はお友達思いなのね」
そうお眞が言えば、蛙は「体が大きいと小さいのを守る義務がありますから」と少々照れくさそうに返すが、すぐに「あ」と声を上げた。
《そうそう、言うのを忘れていたのですけど》
「なぁに?」
《私の名前は先生ではなく、雨慧と言います》
「…え?」
《でも、お二人とこれからお生まれになる御子様達にのみ私の名前を教えてくださいね。…私は家族以外で名を呼ばれるのが嫌なので》
「え?えぇっ!?」
蛙は自身の名は雨慧であると言ったが、名前は内緒にしてというのでお眞と影清は顔を見合わせるも、雨慧は「名は大事だから」と教えないようにと念を押した。
この名を隠したことが後に意味を成すのだが……それは二人が知らないことなのであった。
かくして、天野宗助の作った蛙の根付こと雨慧は駒丹の地にて賢者として敬われ、若武者や子供達の先生として慕われることとなった。
駒丹の領主である嶋野家影は雨慧からもたらされた知恵で不作だった農作物も民の生活も、子供達の笑顔を潤してくれたことに深く感謝し、作り手である天野宗助についてを雨慧から聞いた人となりもあり、彼をお守りすることでこの地を救ってくれた感謝をしようと雨慧の勧めもあり清条国の若君である月ヶ原義晴に文を送る。
『天野宗助殿がおられる清条の国の平和のため、並びに天野宗助殿をお守りするためにも同盟を結び、共にお守りしたい』と書いた文を。
-------------
「ということで、儂がここに来た」
若武者から話を聞いた義晴は眉間を揉んだ。
新天地にと遠い所まで行こうとする豪胆なお眞と、蛙の知恵の凄まじさと、駒丹の民達の蛙への信頼の大きさに。
「…なるほど、あんな遠い地にどうしてあいつの作った物があったのかも、何をしたのかもわかった」
「駒丹は緑の乏しい地であったと聞いていたのに…最近は著しく発展し始めたという噂の裏には宗助の根付がいた、という訳か」
「先生はすごい蛙様じゃ!」
若武者はそういうとすっと姿勢を整えて、義晴へ頭を下げる。
「こほん…先生への御恩は作り手である天野宗助殿へお返ししたい、我ら駒丹はそのためにお力を使う所存…その証として儂、じゃなくて私、嶋野豊影を駒丹の使者として、天野宗助殿のお守りする刀として送り出したのでございます」
「…お前の噂は聞いたことがある、果敢に敵に飛び込んで大将首を刎ねるという駒丹の若武者だな」
「この地まで私の名が流れているとは光栄にございます…、義晴様が私を戦に使うもよし、時によっては嶋野の軍を使うもよし…、と当主様より言伝をいただいております」
和平といいつつも場合によっては嶋野の軍を動かしてもいい権限を渡す。
そう言った豊影に三九郎はぎょっとして義晴を見たが、義晴は静かに「確かに嶋野家影殿の文にも同じことが書いてあった」と告げて、豊影の言葉に嘘は無いと告げる。
「お前ら、正気か?普通はそんなことしないぞ」
「承知しておる!だが、儂達の国は先生の知恵がなければ今頃子供は飢えとった、民は今も必死に畑仕事をして食い扶持を必死に探しとった…!水利の知恵などなかった儂達は先生がいなければ、他国に物資を求めて戦ばしかけとった!」
真っ直ぐと義晴の目を見て語る豊影は訛り混じりの言葉に戻る。蛙の根付がいなければ今頃山賊のように物を奪うための戦をしかけていただろうと語った。
これ豊影の妄想ではなく、鹿島にて用水路の効果が出た報告が出る前に近隣の国に民の為という名目で戦を仕掛ける話は出ていたのだ。その話は蛙の登場によって消えた。
戦が消えたことで駒丹も近隣の国の民も血を流すことは無くなったのだ。
このことが、豊影にとってなにより嬉しかった。
必要のない血を流さなくてよくなったこと、蛙の様々な知恵によって民達が遠い未来に希望を持って暮らせることを。
そんな蛙に駒丹の者は恩をお返ししたいと言うも、蛙はお眞と影清、駒丹の民が笑顔で暮らすのならばそれでいいと受け取らない。
ならば、素晴らしい蛙の根付を作ったお人に恩を返そう。何故なら蛙の根付を作った職人は謂わば蛙の父親だから元を辿ればその職人である天野宗助は駒丹の恩人であるといえるのだ、と。
家影はそう決めて、家臣達に問いかけ、共に考えた。自分達が恩人のために何が出来るかを。
蛙の話での宗助は日々を暮らし、物を作れれば良いくらいの金があればいいので大金はいらない。物を贈ろうにも高価な物は困っていた。…素材は喜んだというので作品の素材を探すも今はこれといった物がなかった。
そこで若武者達はこういった。
我らの力を使ってもらおう。武力は我らが自慢出来るもの、と。
自分達に誇れるのは武の力。先祖代々力に長けた嶋野の一族は武に長けていることを誇りとしていた。
その力を国の恩人のために使うことは家臣達も異議はない。
多くのことを話し合った。どうやってお守りするかを。
すぐに決まったのは清条国に和平同盟を申し込み、宗助が住む清条国を守ること。
次に決まったのは腕の立つ者を使者として、清条国で駒丹の代表として働く者を送ること。
これを聞いた豊影はならば自分が清条国に行くと真っ先に手を上げた。
武勲もある豊影は自分を使者として、駒丹から送られた刀として使ってもらうのだと。
豊影は蛙のことが大好きだった。師として心から慕っていた。多くの知恵で様々な道があるのだと子供達に道を作ったのは蛙だ。
ある子供は先生のようになりたいと多くの本を読んで勉強を始め、ある子供は先生に教えられた工具を作りたいと職人を志し、とある女の子は先生がこんなのもあると教えた染物を極めたいとその道の職人に弟子入りした。
子供達だけでなく若武者の中には武に強くない者が相談すれば、適性のある武具を探したり、武以外の未道で国に仕えるやり方を探す切っ掛けも作ってくれた。
若者だけでなく老人達も蛙の知恵で孫達の未来が明るくなったと希望を夢見て、蛙の知恵から出た施策にやる気を出して動いている。
楽しそうに、笑って働いている。
豊影もそうだった。
嶋野一族の中でも若い豊影は武には自信があるが、それ以外には少々不器用。
だが、蛙は慌てなくていいと様々なことをして自分の得意を見つければいいと助言を受けた豊影は実は音楽の才があったと気づき、国では彼が吹く笛の音色は美しい鳥の歌声と言われるほどに美しい音色を奏でることが出来ると評判であった。
他にも様々なことを今も挑戦して、戦の腕しか無いと少々悩んでいた豊影は笑顔が増えたのだ。
武での解決の方法しか知らなかった豊影にとって多くを教えてくれたのが蛙なのだ。
だからこそ、そんな蛙の為に何かしたかった豊影は自分が蛙の父と言える職人…天野宗助の為に刀を振るうことを志願した。
家影はそんな豊影の意をくんで、いざという時は軍を動かすと言う書状を持たせたのだ。
「儂は鬼の血を受け継ぐ嶋野の一族!怪力無双の力を恩人のために使うことは誉れぞ!」
「鬼の血…だと?」
「そこは詳しくは知らん、だが昔から嶋野の一族は鬼の血を引くと言われとった」
「知らんって…」
「鬼の娘を嫁に貰ろうたとか、嶋野の姫さんに鬼が惚れたとか、返り血まみれの嶋野の武者に鬼の噂が出たとか…そんな感じでどれが正解かわからんきに、恰好はつくから儂らは何かをするときの名乗りに使っておりますのう」
三九郎は「あぁ、そういうことか」と諸説がありすぎるからよく分からないと言ったのかと納得した。
義晴は一旦鬼の血に関しては置いておこうと決めて、本当に月ヶ原の指示で動くのかと確認する。
「駒丹の軍は天野殿の守るために使こうてくれると嬉しいのう…特に、莫呑のようなところとの戦で」
「莫呑のことはもう最南端まで届いていたか…」
「かなり悪逆だとは駒丹にも届いております。北から少しずつ降りてきとる…となれば、いずれ清条国にも手を伸ばす」
莫呑と聞いて義晴は一瞬顔をしかめた。
清条国と莫呑は以前、楚那村にて莫呑の兵が強襲をしてきたことや、莫呑の配下となった国である南津目とは以前に宗助を宴に呼んだ際に星海宗助を盗まれかけた件がある。
また家臣である五反田黄十郎の故郷である会胡をボロボロにしたこともあり、清条国にとっては好かない相手である。
「莫呑の兵に一度楚那村…宗助の住む村にて襲われたことがある」
「なんじゃと!?あ、天野殿にお怪我は…!」
「髪の毛一本も怪我は無い、あいつの護衛が莫呑の兵相手に無双していた」
「おぉ…!天野殿のお傍にお強い人がおられるのか…それは良かった」
ほっと胸を撫でおろす豊影に三九郎は嘘偽りのなく宗助を守りに来たと言うのは本当のようだと見て、一度宗助と顔合わせだけでもするのはどうだと後に義晴に提案するのだった。
「まぁ、ともかく…莫呑も気にはなるが、ここにいるなら働いてもらうぞ」
「勿論じゃ!働かざる者食うべからず!先生もそう言っておったしのう!戦のこと以外はからっきしじゃが、戦ならば誰よりも前に出れる…!!」
ギラギラとした目でそう言った豊影に義晴は戦馬鹿を寄こしやがってと思いつつも、実際に戦にて何度も腕のある武将を倒している豊影の腕を楽しみにしていると言う。
この暫く後に、早速戦に出陣した際には黄十郎と共に前線を崩壊させ、戦場にて大暴れする若武者の姿に月ヶ原の若武者達は負けてられぬと士気は高まる。
また、この嶋野豊影が月ヶ原の軍にいるということが意外にも他の国からの抑止力になると知る義晴であった。
-------------
深夜の楚那村にて。
《(宗助の坊やは寝たようだ…連日、何かの練習をしているが上手くいくと良いな…)》
月明かりしかない夜に今宵も屋根の上から楚那村を見守る黒い鬼は山の屋敷にて眠ったらしい宗助の気配に優しい目を向けていた。
が、その目はすぐに警戒に変わり、こん棒を握り直すと傍に降りてきた黒い靄の塊に顔を向けた。
どすんと屋根の上に降ってきた黒い靄は細い八本の足を持っており、八個の赤い目が黒鬼を見ていた。
黒鬼の姿を上から下まで見た赤い目はカッと大きく開かれるとしゃがれた女の声が聞こえる。
《ソノ姿ハ何!?ソンナ綺麗ナ姿ニドウシテナレタノ!?穢レヲドウヤッテ落トシタノ!!》
黒い靄は八本の足の一つを黒鬼に向けると問い詰めるように言葉を話す。
しゃがれた女の言葉に黒鬼はじっと黒い靄を見つめながら、鬼瓦を指差した。
《俺はこれになった、この瓦の鬼は睨むことで厄を退ける…俺はそれになった、そうしたら変わった》
《ドウヤッテ!?》
《…それを知ってどうする?》
《ワタシハ元ニ戻リタイ!コンナ醜イ姿ハ、只災厄ヲ振リマクダケノ存在ナノハ、モウ嫌…!私、山デ静カニ暮ラシテイタダケナノ二…!!ドウシテ、ドウシテコンナ目ニ…!》
ウッ、ウゥッ…!とうずくまり、ポロポロと涙を流して泣く黒い靄。
黒鬼はそんな黒い靄を見て、困った顔をした。……何故なら黒鬼にも覚えがあった。
元々黒鬼もとある山に静かに棲む、弱くて小さな妖怪だった。
だが、ある日の突然に黒い布まみれの人間に存在を歪められて、この地の龍脈を殺すための存在にされた。
あの黒い靄の姿は黒い男により穢れを無理矢理詰め込まれ、在り方を変えられたもの。いるだけでその土地に影響を及ぼす存在にされたのだ。
黒い男の指示に従うように呪いをかけられたために、あの頃は命じられるままに棲んでいた北国の山からこの地へ来た。
あの頃は人に危害を加える気はないのに自分がいるだけで地はじわじわと死んでいくのを見ているしかなく。どこかへ移って村を助けたかったが、楚那の地に縛り付けられていたので動けずにいた。
自分のせいでこの村の若者達が村を出ていく姿を見た時は申し訳なさでいっぱいで、残った村人達を最終的には自分が殺してしまうのかと、なんとかしようと自決を試みたがそれも何かの術で出来ないようにされていた。
何も出来ないことを歯がゆく、悔しく思っていた時に現れたのが…宗助だった。
突然村に来た幼い子ども。
少々不思議な気配を持っていたのもあるが、こんな村に来てしまって可哀そうにとせめて健やかにして欲しいと見守っていた。
のだが、日が過ぎると宗助が村のためにと色々と動きだした。
建築や農具、畑の肥料にも精通した宗助は小さな体で色々なことをしていた。その動く様子が面白くて、よく近くで眺めていた。
また、村長の庭の花が咲いて、暫く見なかった緑が戻った。
久しぶりの花はとても綺麗でずっと見ていられるほどに美しかった。
そして…宗助が鬼瓦を作った。
鬼の顔を模して作るなんて見たことのなかったから思わず聞いた。今思えば、数十年ぶりに声を出した瞬間だった。
村長は自分のことが見えていたから、声も聞こえていたので代わりに宗助に聞いてくれた。
「鬼瓦の鬼が睨んで厄を払ってくれるから家の雨漏りや火事を防いでくれるんだ」
鬼が厄を払う。
知らなかった。そんな鬼がいるなんて知らなかった。
そんな鬼がいると聞いて、胸の奥からそれになりたいという思いが溢れた。
厄を運ぶ、悪しきものじゃなくて…厄を退けてくれる、良いものに。
気づけば、鬼瓦に触れていた。
すると、頭の中に言葉が聞こえた。
『そうなりたいと思うのならば、なればいいじゃないか』
と。
まるで手を引かれるように鬼瓦は己の内へと入り込み、自分と溶け合った。
鬼瓦の中にいたものと溶け合ったことで、自分の存在が大きく変わる。いや、新たにつくられた。
人からすれば一瞬の間に鬼瓦と一つになって、厄を運ぶものが厄を払うものになった。
一つになったことで鬼瓦が自分に手を伸ばした理由が分かった。
鬼瓦は厄を払うものだ。でも、自分が本来は害のないものだと分かってくれた。
ならば、救われるべきものだと手を伸ばしたのだ。穢れを纏い、厄しか運ばない自分を変えた。
この地を守ろう。そう言って、この身の呪縛を解き、在り方を変えてくれたのだ。
穢れを払い、安寧を守るものへと。
《ソウカ、ナラ…その鬼になろう、村を守る鬼に》
そして、俺は黒い鬼となった。
あの鬼瓦の意思は…今はもういない。あの鬼瓦は生まれたばかりで、弱く小さかったのに俺を取り込んだことで、一つになったことで俺の中に解けて消えた。
宗助が鬼瓦を作った時は力が未だ目覚めたばかりで安定しておらず、鬼瓦は自分に場所をあげるから代わりに守ってくれと言い残して消えた。
勝手なことを言ってすまないと言って消えたが、俺は救ってくれた礼を言う間もなく消えたあの小さな幼いはずの意思に誓った。
立派な鬼になって、俺はこの楚那の地を存在が消えるまで守ろうと決めた。それが、俺を救ってくれたあの凄いやつへの恩義にもなるから。
鬼瓦となったことで俺はこの地から動けはしないが、不満はない。
黒鬼の俺に友が出来た。俺のことが見えていた村長だ。
後から生まれた刀や簪の弟妹達と違い、村長しか見えなかった俺に酒をくれたり、鬼瓦を手入れしてくれたり、時たま宗助の坊やのやったことを教えてくれたりと話しかけてくれた。
人と共に歩むことが出来るとは今まで考えられなかったが、今はとても楽しい日々だ。
…さて、過去に思いを馳せるのをやめて、目の前にいる彼女のことをどうにかしてやるか。
《もし、人間に危害を加える気がないのならば山に行ってみろ》
《…アノ山カシラ?》
《俺を変化させた人間がいる、だがその人間は強い加護と守護を受けているからそいつらを説得してみるんだ》
《ッ、希望ガアルノナラ縋リ付クワ!…アリガトウ》
彼女はそう言って山の方へ跳んでいった。
…過去の自分を見ているようであったので、つい世話を焼いてしまった。が、あとは彼女次第だから応援はしてやろう。
何かあっても宗助の坊やの近くには強い番人がいるから遠ざけるだろう。
だから…。
《そんな顔をするな、我らが父は大丈夫だ》
俺は屋根の下にいる槍の弟と簪の妹にそう声をかけるも不安そうにこちらを見ている。
…一番上の兄として信頼はしてくれているが、穢れを纏うものが宗助の坊やの傍に行くのは不安なのは仕方ないだろう。
そんな不安を顔に出す弟と妹にきっと新しい妹が増えるさと笑っておく。
あの子ならきっと彼女も変えてくれるだろう。
自分が何よりの証拠なのだ、次も出来ると信じている。
-------------
蛙の根付
天野宗助が作った動物の根付の一つ。胡坐をかいて座る蛙が象られた根付。
嶋野影清の妻…嶋野眞が所持していたとされ、後に嶋野一族の宝として記録されている根付。
賢者として知られる蛙が様々な問題を解決し、多くの知恵と恩恵をもたらして駒丹の地を繁栄させたという伝説で知られる。
蛙は駒丹の民達から『先生』と呼び慕われており、現在に至るまで『先生』の名で呼ばれている。
その知恵を使い、交渉をすることにも長けており、他国との貿易交渉の際に不正な取引をしようとした相手側の使者に逆に不利な取引を結ばせることで相手に反省を促した。※1
蛙は先生の愛称で知られているが蛙自身には名前がある。しかし、それは持ち主である者以外に教えることは無く、家族以外には名を明かさない意向であったとする記録が残る。※2
江戸の初期にて、子供の名前を付ける際に大変よろしくない名前をつけそうになったので蛙が止めたことから、嶋野家にはこの出来事を契機に、嶋野家では子供の命名の際に蛙へ相談する習わしが現在も続いている。
江戸時代には余暇の一環として商店を興し、経営をし始めたことが現在の大型百貨店である蛙野百貨店の始まりである。
現在は第一線を退いているが、現在も会長として組織の頂点に位置している。
このため経営の神として蛙の像を祀る神社もあるが、蛙はこれを恥じていたとする記録もある。。
※1 蛙がしたのは自国では価値の低い物品を高値に見せて取引に応じさせたというもの。取引を成立させた後に相手側の国のトップに文を送り、法外な交渉持ち掛けたことを理解していると正当な取引をするならばこちらも正当な取引にするという文を送ったことで不正をした外交官は罰を受けて、相手側が謝罪したことで正当な取引にさせたという記録が両方の国に残る。
※2 過去に一度だけどうしても名前を知りたいと迫った者がいたが、迫る者の様子を怖がった蛙に当時の持ち主である女性が迫った者へ拳で打って追い返したという逸話がある。




