第25章 簪 猫紅葉
俺の家の庭にある桜の木が一輪咲いた今日この頃。
俺はおよだの爺さんに連れられて、先生のいる山を訪れていた。
「最近雨が降ってないが、ここは霧が多くて湿っておるから滑らんようにするんじゃぞ」
「それはおよだの爺さんの方だぞ、滑って転んだりして腰を打ってしまったら婆さんが泣いちまうよ」
「ほほっ、うちの婆さんは心配性じゃからなぁ!気をつけるよ」
先生のいる山は楚那村から離れていて、しかも結構高い山に住んでる。
標高が高いからかよく霧に包まれてるらしいが、先生はよく山で迷わないなといつも感心するし、およだの爺さんも年の割には足腰が強いから山道をすいすい登ってる。
…でも、湿気で岩が濡れてるから、滑って転ばないように俺も気をつけるし、爺さん見てないとな。
ざざっ。と草木をかき分ける音がして前を見れば…この山に住む鹿が姿を見せた。
この鹿は少し白っぽい毛の鹿で、立派な角を持っている。
昔からこの山にいて、先生に会いに行くとき必ず顔を見せる鹿だ。立派な姿だから前に鹿の根付を作った際にモデルにしたな。
「よっ、久しぶりに先生に会いに来たぞ」
鹿は何も言わないし、じっとこちらを見ていたがすぐに顔をふいっと逸らすと山の奥へ姿を消した。
相変わらずクールな鹿だな…。
鹿との戯れをしながらも山道を進み、大きな滝と傍に大きな洞窟の近くにある小屋につく。
ここが先生の家だ。…だが、家にいないようでおよだの爺さんは小屋の裏にある洞窟の方へ進む。
やはり作業をしているらしい。
この洞窟の中に先生が刀を打っている鍛冶場がある。
先生曰く、程よく深いのと山の冷たい水が湧く場所だそうで、その水を冷却水に使うためなのだとか。
洞窟に近づけばカンカンと刀を打つ音が聞こえてくる。
およだの爺さんと中に入れば、鍛冶場の熱気がじわじわと来た。
俺はともかくおよだの爺さんはこの暑さは大丈夫なのかと思うだろうが、長年の付き合いでここに来るのは慣れているから暑さなど気にせず、洞窟を奥へ進むのでついていく。
洞窟の奥には上に大きく開いた穴の光が差す場所があり、そこに先生の鍛冶場と少し離れた場所に休憩用の小さな小屋がある。
俺らの足音が聞こえたのかカンカンと鋼を打つ音は止まり、炉の前にいた屈強なおじさん…先生がこっちを見た。
「…来たか」
「久しぶりじゃのう、いっちゃん」
「先生、お久しぶりです」
「うむ…」
少々無口な先生こと多田羅 一。
筋骨隆々な40代位の見た目な先生は俺の頭を無骨な手で撫でると休憩するスペースに向かった。
「で、相談とは?」
「いっちゃん、用件を聞くの早くないかのう?久々なのに…」
「いいよ、俺も助かるし」
「…宗助が相談するのは、珍しいだろう」
俺が一度だけ家を作る際に鍛冶場の作り方について相談をしたが、それ以来は自主的に相談はなかったから珍しいと思ったのだろう。
だから、何があったのか聞きたいということらしい。
「実はさ、刀身の彫刻を教えて欲しくて…」
「…お前、前に梵字を掘ってなかったか?」
「簡単なのは出来るけど、曲線が多いのは自信ないんだ…今度、薙刀を作ろうと思ってるんだけど、刃に百合の花を掘りたいなぁって」
「…また面倒で、面白いことを考える」
まぁ、百合の花なんて刀身に刻むのはないだろうけど…俺がしたいのは願掛けだ。
江戸に入るまでは刀身彫刻は願掛けをしていた刀が多いし、それに倣って俺も願掛けをしたくなったのもある。
俺は平和に過ごしているが、この世は戦国の世だ。少しでも平穏な世になることを願うことをしたくなったんだ。百合の花は女性の花のイメージがあるし、持ち主が女の人ならば、守ってくれますようにってな。
「それと、まだ先の話だけど…この戦乱の先の世が平和でありますようにってお寺や神社に奉納する刀を作ろうとも思ったんだ」
もし出来たら、まずはお世話になってる寺の和尚の所にでも奉納しようかな。と今は考えてるくらいだけど。
およだの爺さんはそう語る俺をじっと見ているが、目が暖かい目なので多分これは「あの小さかったのが立派なこと言って…」みたいな感じだろうか。
先生はふっと小さく笑うとまた俺の頭を撫でた。今度はぐしゃぐしゃと髪を乱される。
「…そうか、ならば倶利伽羅龍や不動明王を掘れるようになれ」
「げっ、いきなり難しいことを言うなぁ…」
「奉納するならそれくらい掘れ」
先生はそういうと工房から木の角材を持ち出し、胡坐をかいて座ると俺に前に来いと指で指示をする。
俺は背中を向けて、先生の前に座ると俺の手に彫刻刀を持たせて、覆いかぶさるように上から先生の手が包んだ。
太郎よりも大きい先生は俺の体を包み込めるほどなので、はたから見れば親子のようだろうな。
「まず、基礎な曲線を教える、手の動きを体に覚えさせろ…そして出来るようになったら、その後に刃に彫刻する修練に入る」
「はいっ!」
「…しばらくは七日に一度通え、迎えは鹿にさせる」
「え、あの鹿に?」
「あいつは賢い、問題ない…だから一人で来るなんて考えるなよ」
俺も先生も仕事があるし、俺がこの山に暫く修行へ通うのは想定していたんだが…まさかの迎えを寄こすという発言に目を丸くしてしまう。
もしかして、あの鹿は先生のペットだったのか…。今までも山の主だと思ってたけど…いや、もしかしたら俺と猿吉みたいに仲良くなったからの関係なのだろうか。
「いっちゃん、わざわざあいつに頼まんでも儂がいつでも連れてきてやるぞ?」
「お前、嫁さんと離れるのは、嫌だとよく言うだろうが…頻繁に離れるとお前、面倒臭い」
「むぅ…それは…そうじゃのう、婆様と離れるのはのう…」
「本当に仲がいいよな、爺さんと婆さん」
「いつまでも婚儀したての頃をような仲良しなのじゃ」
「いつまでも新婚夫婦をやっていろ…」
先生が呆れた顔をしていたけど…これはいつものことなんだぜ。
およだの爺さんと婆さんは村長や他の婆ちゃん達曰く、もう四十年以上も連れ添っているのにいつまでも新婚みたいに仲がいいそうだ。というよりは爺さんが婆さんにゾッコンなんだよな。
爺さんは楚那村には婿入りで来たらしい。およだの婆ちゃんに惚れこんだそうで、わざわざ村にまで押しかけて来たとか。
惚れこんだという爺さんの話を聞いた俺は一度、「およだの婆ちゃんって若い時はそんなに可愛いかったの?」と聞けば、本人はそんなことないと言ってたが、当の爺さんは饒舌におよだの婆ちゃんの若い頃はそれはもう可愛くて…と語り出したので、村長は俺に「こうなるとみんなは砂糖を吐きたくなるからとあまりこの件については村では聞かないように」と言われた事もある。
「そうじゃ、今日は泊まりだから魚でも釣ってくるかの」
「十匹はとってこいよ」
「いっちゃん、無茶を言うのぉ…」
「お前の腕なら軽いだろう」
「儂は釣り上手じゃけどさぁ…、まぁ、頑張るよ。宗助や頑張るんじゃぞ~」
およだの爺さんがそういって洞窟を出た。
…さて、こっからは俺も真剣に修行モードだ。先生もそんな俺に合わせて、空気を変える。
さぁ、頑張るぞー。
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宗助が修行を始めたその頃。
楚那村では義晴が三九郎、黄十郎、太郎とおゆきが村長の家の大きな広間にて座って待っていた。
相手は楚那村に滞在している京の都の使者。
その京の都の使者がこの場所を話し合いの場として指定したのだ。
村長は大事な事を話せるのはこの家しかないのは理解しているので了解したが、村長としてお偉いさんの会合に参加しないといけないので内容次第では戦闘になるのではと内心怖がっていた。
のだが、そんな村長の不安を察したこの家に着けられている鬼瓦の黒鬼が庭から様子を伺っているのに気づき、少し気が晴れる。
もし会合が荒れても、あの鬼が太郎やおゆきを守ってくれるのだろうと黒鬼への信頼があるのだ。
「待たせてすまない」
そういって入ったのは…目が”緑”の男だった。まるで森の木々を思い出させる緑の瞳だった。
目の色から南蛮の者と一瞬思ったが、男の髪の色は黒く、顔つきが日ノ本の人間の顔つきなので目の色が特殊なだけだと義晴は考え直した。
男の後ろにはあの紫の衣を着た男がおり、布の隙間から見える口はにんまりとしている。
「…我々も都合を合わせてもらったからな」
「感謝する…私は京の都にて大納言の地位をいただいている、大栄山 鬼ノ重と申す」
「だ、大納言だと!?」
大納言と名乗った男はこれが証明であると書状を見せるが、義晴達は書状を見る事は出来ず、目をこれでもかと見開き、あんぐりと口を開いてしまう。
何故ならここにいるのが不自然なほどにとてつもない地位の、役職の名前が出たからである。
大納言。
それは帝の政事に関する太政官の中にある役職の名前である。
現代で言うなら太政官とは最高行政機関、つまりは内閣。大納言はその中でもNO.3、いわば主要閣僚級の大臣に相当する職なのである。
なので、今義晴の前にいるこの大栄山 鬼ノ重という男はとんでもなく偉いお人、ということなのである。
一応、義晴は書状を確認すれば、身分を表す文面と帝の印鑑である御璽が押されている。
一度だけ父の義虎宛に送られたものを見せて貰ったことがあり、記憶にあるものとうり二つだった。
「この印は間違いなく御璽だ…」
「俺の身分のためとわざわざ用意してくれたものだ……これで証明になるだろうか?」
「十分だ…、以前に帝の命により来ているとは聞いていたが、大納言は予想外だったな」
鬼ノ重の身分証明の為だけに押された御璽。つまりは帝から信頼された者であるという事でもあり、義晴は下手な対応は出来ねぇと内心汗が止まらなかった。
そんな義晴に紫の男は自分を指差して、自分の身分について口を開く。
「ちなむと俺もその関係者ね」
「…つまりは帝直属の者ということか」
「ふふっ、そうだよ、あ、俺の名前は”磯撫 斧渦”、よろしく…ねぇ?」
磯撫斧渦と名乗った男は首を少し傾げて、布の下にある口を大きく見せる。鋭い歯を見せながらにんまりとした笑みを見せており、思わず全員が…いや、村長を除いて警戒するように身構えた。
歯は異様に生えた鋭く、数の多さからまるで鮫のようだったのだ。
「…斧渦、またお前わざと見せたな」
「いひひ…だってみんな、俺の歯を見せるといい反応するんだもの」
「全く…そう怯えないでくれ、こいつは噛みはしないから」
「ちょっと、人を犬みたいに言わないでくれる?」
「犬の方が言う事を聞く」
斧渦は鬼ノ重に「ひど~い」とじゃれつくように言うが鬼ノ重は気にしないのか義晴に改めて姿勢を正した。
「話を戻そう、我々の事は少しわかって頂けたと思うが…月ヶ原殿が知りたいであろう、我らのここにいる目的についてだ」
「話が早くて助かる…何故宗助に会いたがる、あいつはただの物作りに勤しむ若造だぞ」
「君らも分かってるでしょう、宗助殿の特異なお力についてさ」
「斧渦」
「鬼ちゃん、俺らの立場的にまどろっこしく言うのは分かるし言葉を選ばないとだけど……やめときなよ、そこの村長の爺さんは俺らのこと見破ってるから変にごまかしたりしたらすぐ分かるよ」
鬼ノ重は目を見開いて村長を見る。
斧渦の言葉に義晴達もどういうことだと村長を見れば、少々居心地が悪そうに村長は座っていた。
「あんただけ、俺の歯を見ても反応なかったよ……知ってたって感じの目だった」
「…お二人のことを言っていいことなのかはわからないが、儂は少々神職の血を引いております……なので、お二人が少し違うのは最初から分かってはいましたのう」
「なるほど、それは予想外だったな……だが、村長殿の我々への配慮に心より感謝を」
ぺこりと小さくだが頭を下げた鬼ノ重に村長は驚くが、隣に黒鬼が来ているのに驚き思わず見てしまった。
三九郎はすぐに村長の視線の先を見るが何もいない。義晴も村長の目には何かが見えているのだと分かり目線を向けつつも聞いた。
「村長、あんたには何か見えるのか?」
「…皆には見えぬ宗助の作った子供がいましてのう、普段は屋根の上にいるのに今は近くまで来ているので驚いてしまいましたわい」
「宗助の子供……あいつが作ったものがここにあるのか?」
「……もしかして、鬼瓦のことか?昔、村長の屋根に瓦をつけるときに一緒に作ってた…」
「あぁ、やっぱりあの鬼瓦くんだったの」
斧渦が「随分綺麗で逞しい子だねぇ」と声に出して村長の横を見ており、鬼ノ重も同様に視線を向けているので二人には鬼瓦の鬼が見えているようだと義晴は驚いた。
当の黒鬼はじっと村長の隣に座りながらも、見張るように鬼ノ重と斧渦を見ていた。
「俺らには見えないものが見えるのか」
「うん、この子は今の宗助ちゃんの作った物よりも力が安定してなかったのかなぁ…力はかなり強いけど、ちょっと特殊な子だねぇ」
「そうだな、虎八須殿の目であれば視認が出来るだろう……すまない、何の話かわからないだろう」
「あー、ごめんねぇ……流石に珍しいから見ちゃうんだよね」
珍しいというのは村長の目と宗助の作った鬼瓦のことだろうと義晴はすぐに察しつつも、村長が神職の血筋故に人には見えぬものが見える目の持ち主だったことで、人には見えない鬼瓦の鬼のことを誰にも言わなかったのだろうとも推測した。
村長はじっと斧渦と鬼ノ重を見る黒鬼に落ち着けと伝えるが、それを見ていた斧渦は小さく呻く。
「この子に警戒されるのは厄介なんだよなぁ、強いし…」
「強いとは?」
斧渦の言葉に三九郎が反応すれば、斧渦は少々困ったと言う風にわざとらしく肩をすくませる。
「まず俺らの来た経緯を聞いてよ、手っ取り早く言えば……俺らは宗助殿の調査と友好的な関係になりに来た」
「直球だな」
「経緯を省き過ぎだ……約半年程前、陛下が不思議な夢を見られたのだ」
「夢?」
「あぁ、その夢は大きな蛇の尾を持つ亀に守られた若い男が木像を作っているという夢だったそうだ……その日から頻繁にその男の夢を見始めた陛下は何かの啓示だと思い、調査を始めた際に京の近くにて不思議な鹿の群れが目撃された」
鹿と聞いて義晴と三九郎は「あー…あの根付の話だ」と一瞬天を仰いだ。
太郎とおゆきは首を傾げたが、村長はその根付の持ち主ならもうすぐこの村に帰ってくると告げた。
「京の都で少々怖い事にあったそうでなぁ、幼い子供がいるからこっちに帰ってくるそうじゃ…ただ、その道中で色々と事件に巻き込まれているようで遅れているそうじゃ」
「鹿も一緒に、でしょ?」
「えぇ、そう聞いております……鹿の根付が助けてくれたとも聞いていますな」
「あの鹿がいるならここもまた安全になるねぇ、…本当は京にいてほしいけどね」
「お前が楽をしたいだけだろう」
鬼ノ重は斧渦に全くという顔をしながら話を進めた。
「その鹿の根付を作ったものがもしかしたらと調べた。陛下の不思議な夢は今も続き……亀だけでなく大きな赤い鳥や青い龍と最近では他の動物も見えたと…その中で動物達が天野宗助殿の名前を言っていたので確定したのだ」
「亀や鳥に龍、ね…」
「すごく見覚えがある、龍は違うが…いや、見た目は似てるか?」
「宗助ちゃんの家にいる子達みたい…」
おゆきがそういえば、斧渦は「やっぱりそうだよねぇ」と笑う。
その反応に三九郎はやはりあの三匹は只の動物ではなかったかと、以前圧をかけられた事を思い出す。
「なので、天啓の夢の人物である天野宗助殿に何かがあるのではと我々は考えています」
「なるほど、帝の夢にあいつが出てきたから探してたってことだな…だが、かなり前から調査に来てたようだが?宗助の事を調べるのはともかく、調査のためと本人に交流をして調べた方が早いだろう」
「「あー…それは…」」
二人は口を揃い、思わず顔を見合う。斧渦が鬼ノ重に手で話すように促した。
鬼ノ重は一度目を伏せると少々困ったように口を開いた。
「…天野宗助殿の山に我々は入れないのだ」
「は?」
「正確には入るのを許されてない、だねぇ…あの山にいる主がかなり強いから俺らも無理矢理入ろうものならすぐに殺される」
「ま、待ってくれ!宗助の家がある山には危険なものなど、何もおらんはずじゃ!!儂が長年見ていたから間違いない!星は大昔に落ちたらしいが、そのことではないのだろう!?」
村長の言葉におゆきと太郎は確かに村長がそんな危険なものがいるのなら宗助を住まわせるはずがない、同感であると頷く。また二人も星が落ちたという話がある山としか知らない。
これは義晴達も同様であるのだが、三九郎は以前宗助の傍にいる三匹の小さな動物からの威圧を受けているのでもしや人外な何かが他にも棲んでいるのかと斧渦と鬼ノ重を見つめた。
「うーん、天野宗助殿には危害は及ばないよ…あれは宗助殿を守ってる感じだ、だから山で宗助殿に近づかないように山の動物達を使って俺らを見張っている」
「なので、我々は山の動物達に警戒されているのでうかつには近寄れない…だが、信頼を置ける村の者と一緒ならとまずは太郎殿とおゆき殿にお声をかけさせていただいたのだ」
「そういうことだったのですね…、皆さんがやられている、村に増えた山賊やよろしくないお人達の排除もその一環でしょうか?」
「えぇ、半分は打算ですが…半分は天野宗助殿の身に降りかかりかねない害は排除すべきという思いですね」
おゆきはその返答に納得はしたのか、次の問いはなかった。
隣にいた太郎が質問したいと手を上げたので鬼ノ重は優しい目で太郎の名を呼んだ。
「どうぞ、太郎殿」
「あ、あの…なんで、俺らなんでしょうか?そういうのは義晴様が適任だと思いますが…山に認められてますし」
「そうなのか?」
「はい、前に宗助が言ってたと思いますが…山猿の猿吉が認めてるなら山が認めてるようなものです、それにその前から義晴の事を山は歓迎してましたから………あ、俺はそういうの猟師なんで分かるんです、山の空気みたいなのが感じ取れるからで」
義晴は確かに前に猿吉が宗助の肩に乗っていたことを思い出し、その時に宗助も似たような事を言っていたことも思い出した。
「義晴殿には勿論話は通すつもりだった、でもお二人を優先したのは二人が天野宗助殿の守り人であられるからだ」
「守り人?」
「えぇ、宗助殿は…虹目、でございますね?」
鬼ノ重がそう言った途端に太郎とおゆきの纏う空気が変わり、一瞬にして鬼のような覇気と真冬の吹雪のような冷たい空気が部屋に流れる。
その空気の変わった二人に三九郎と黄十郎は息を飲み、黒鬼がこん棒を構えて鬼ノ重と斧渦との間に入る。
そんな太郎とおゆきの姿に斧渦は楽し気ににんまりと笑っていた。
だが、空気が変わったのは太郎とおゆきだけではない、義晴もだった。
刃龍を両手で押さえつつも、その目は刃のように鋭く鬼ノ重を見据えていた。
がちゃがちゃと動く刃龍を押さえながらもその次の発言次第ではその手をどけるかもしれない、そんな空気を彼は纏っていた。
「どうしてそれを?」
「…我らも忍びのような隊は持っているのでな、調べさせて貰ったのだ」
「あの、申し訳ございませんが…虹目とはなんでございましょうか?」
「おや、黄十郎殿は知らぬのか?」
「…七彩の目では通じますかな?七色に変わる目の持ち主という意味です」
黄十郎殿はそれならば知っていると答えた。鬼ノ重は地方によっては呼び名は違いますからと補足すれば、義晴と三九郎は目を見合わせて”七彩の目”で調査をしてみるかと頷き合う。
「なんと…宗助殿が、七彩の目の持ち主であったとは…」
「黄十郎、七彩の目についてどのようにお前は聞いている、認識のすり合わせがしたい」
義晴の問いに黄十郎はすっと姿勢を正す。
その姿から色が変わるだけとは聞いていないようだと判断した。
「七彩の目は感情により色を変える美しい虹彩の目。この目を持つものは何かしらの数奇な運命を歩むと俺は聞きました」
「数奇な運命だと?」
「えぇ、源氏の兵こと鋤奈田藤次も七彩の目であると有名ですが…俺がいた所では花姫様が七彩の目であられたと聞いています」
「花狂い姫…のことか」
義晴は名前は聞いたことがあると言うと、首を傾げるおゆきと太郎に説明した。
「花狂い姫ってのは通り名でな、本名は藤原桜花という姫様だ、珍しい花を育てるのに人生を費やした姫様で、花に狂った姫様ってことで花狂い姫と呼ばれているんだ」
「その花姫様の育てた花の中には薬となる品種もありましてね、俺の故郷の国ではその花のお陰で多くの命が救われたそうです。そのため植物に関する職につく者や恩のある地域の者は敬意を込めて”花姫”様とお呼びしています」
「花狂い姫の庭は日ノ本中に点在しております、中にはその地でしか見れない珍しいものもあるのだとか」
太郎とおゆきは黄十郎と鬼ノ重の補足の話も聞いて、花狂い姫についての説明に「へぇ~…」と返した。
ここで、村長は庭を指差した。
「その姫様の庭の一つが儂の家の庭じゃよ、ここでいくつかの花は最初に埋められて、その後に日ノ本中に広まったそうだ」
「え?」
「そうだったの?」
「確かに楚那には花狂い姫の庭があるとは聞いたことがあったが、この家の庭がそうだったのか……」
村長はふふふと何かを思い出すように笑みを浮かべた。
「宗助はここに来た頃に何の花かと儂によく聞きに来てましてなぁ、ただ儂は守りはしてましたが知識はありませんでしたのでよく分からんといえば、次第に物知りな穀菜寺の和尚に聞くようになりましたのう」
「穀菜寺?」
「この近くにある寺でして、その和尚は良いもの、悪いものを見抜く目はあります……宗助の力の事も何かの加護はあると言っていましたらかね」
「待て、それは聞いていないぞ」
「言ってませんからなぁ」
村長はけろりとした態度でそう言った。村長は聞かれていないことであり、また未知の力である宗助の力の事を義晴に話していなかったのである。
義晴はこの爺と呻くが三九郎に宥められた。村長に話を聞きに行った当時はそこまでの信頼関係はなかったこともあったからだ。
「その和尚からも虹目のことは言わない方がいいと助言もありまして、太郎もおゆきも我々も少々警戒する話題にはなりますのう」
「……なるほど、その和尚殿は虹目に関わった戦の事を知っているようだ」
「虹目に関わる戦?そんなこと聞いたことないぞ」
鬼ノ重はあまり知られていないことだと義晴に知らぬのも無理はないと語る。
「昔、ここよりも北の国に虹目の若君が生まれ、その目を見たとある国の長が虹目の美しい目を欲して戦を起こしたのです……その国は強く、残念ながら若君は目をえぐり取られて亡くなりました」
目をえぐり取られた。
その言葉だけで村長、太郎とおゆきは宗助と虹目の若君を重ねてしまい、顔を青くさせた。
それは義晴と黄十郎、三九郎も同じで各々が宗助の目がえぐり取られる姿を想像をしてしまい、拳を握る。
「しかし、不思議な事にえぐり取られた虹目の眼球は光となって消えた。その国は天から裁きのように雷や雨が降り、海からは耐えず波がやってきて、その国だけに地が揺れた………そして、その国は滅びました」
「天罰…というべきだな」
「えぇ、虹目を持つ者は何かしら神の加護を受けている…いわば、お気に入りの子を無残に殺され、目をえぐるなどされれば、怒るのも無理はないでしょう」
「そのため、虹目の者が現れた時は我々は注意深くならねばなりません…穀菜寺の和尚殿は宗助殿の身を守るために隠すように言ったのでしょうな」
「ちなむとこの話は虹目を守るためにって広めないようにしてたんだよねぇ、七色の水晶のように美しい目によって国が滅びたって理由で忌まれることがないようにと、また目を狙うお馬鹿さんを増やさないためにね」
村長は聞いていた通りだと和尚が言っていたことと相違は無いと頷き、宗助に関してはそれだけで守ってはいないと言った。
「儂らにとっては可愛い村の子じゃ、守るのは当然じゃろう」
「…そうやって子供を守る村は稀有なんだけど、まっ!ここは良い村なのはわかるけどねぇ!」
「この村の者は皆、良いお人なのさ……少しだけここに滞在させて頂いているが、短い期間でもそれが分かる」
「そうだねぇ」
鬼ノ重と斧渦は笑い合い、「ここは良い村だ」と言うので村人三人は笑う。
その意見には大きく賛同すると黄十郎は大きく頷く。彼も一時期世話になっていたためにこの村の者の人柄が良いのは知っているのだ、故に黄十郎もこの楚那村を褒められるのは我が事のように嬉しいのだった。
「だからこそ、あの山にいるやつだけが怖いんだよねぇ…流石にあれには勝てる気しないよ…」
「…そうだな、あのものと戦えと言われたら流石に…負けるだろうな」
「一体何がいるんだ…」
「すまない、我々が語るには代償が大きい…許可なく教えれば、目をつけられる」
「陛下には手は出されないとは思うけど…それでもあれと敵対は本当に避けたいんだよねぇ………そんな強いのに守られてるってことは、宗助殿はとても強い加護をお持ちなのだろうって証でもあるんだよ」
少々怯える素振りを見せる二人に山に一体何がいるんだ…と義晴は宗助の住む山を見るが…遠くからは変哲もない山にしか見えなかった。
「とりあえず、宗助に会うのは少し考えさせてくれ…今、あいつは何かを作ろうとしているようでここにいないからな」
「義晴様、何故そのことを知っているんですか?私も太郎も村長も、本日の宗助ちゃんについてはお伝えしていないですけども」
「…あいつがこの村を出るのだから、動向は監視している」
「つまりは宗助ちゃんを日々監視している…ということですね」
おゆきからの雪混じりな風が吹き、義晴は守るためだからと他に意識はないと告げる。
三九郎にもおゆきが冷たい風を当てるのでそっと両手を上げて、抵抗しないとおゆきに伝える。
太郎と村長は落ち着けとおゆきを宥め、それを見ていた黄十郎は相変わらずおゆき殿はお強いなぁと笑うのだった。黒鬼はそんな光景を見ず、外に目を向けている。
そんなにぎやかな光景に京から来た二人は小声で話し合う。
「にぎやかだねぇ」
「あぁ、平和だな」
「…この村の空気は、あのお方も気に入ってるよ」
「そうか、いい気分転換になるのなら良いが」
二人の足元に小さく折られた紙が現れる。
それを開き、中を見た斧渦は他の者に見られる前にすぐさま丸めて、ぽいっと口の中へ入れた。
「んぐっ。…朝に遠目から宗助殿を見てたみたい、やっぱり夢のお人だってさ」
「やはりそうか、まずは一つ進展だ」
「そうだねぇ、それに月ヶ原の義晴殿にも話は通せたし…それも一歩の進展だねぇ………次は」
宗助と会うこと。
と、二人は目を見合って、頷き合う。
「あ、そういえば…」
「ん?」
斧渦は首を大きく傾けて、鬼ノ重だけに布の下の目を見せて、彼と視線を合わせる。
その目は黄色で、瞳孔が細長く猫のようだった。
「村の中に馴染んでるけど、あのお爺さんさぁ…、人間?」
「…我らとは違うだろうな」
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そのころ、常和にある茶屋『月乃茶屋』では…。
今日は休業日である。のだが、新作の試食会を親交のある者を招き行われていた。
掛け軸の所持者の繋がりで轟山導十郎の母であるお嘉良。
同じく掛け軸その繋がりで雲江家のお由利と卯景。
掛け軸ではないが、同じ絵の作品である狼の屏風の持ち主である月乃と信樹。
花衣屋の邦吾とその妻のお澪も参加していた。
彼らは宗助の作品達を通して参加をしているため、その周りには老婆の菊や渓谷の主である青葉、大きな狼の白月と桜の美人がいた。
「うーん、美味しい…!桜の風味がとてもいい…!」
「桜の練り切り、ですが…桜の味もするのは風情があるな」
「えぇ、目も味も、香りもよいですね…お茶にも合います」
「梅の饅頭も美味しい…!この酸味と甘さがいいわ」
「皮に入った梅が餡子と合う…!」
「この最中も食べ応えと風味があっていいですなぁ、中にあるコリコリとしたもんはなんですか?」
「胡桃です、師匠が胡桃は白あんで包むと美味いと教えてくれまして」
「確かに、この白あんとの相性は抜群ですよ!」
試作で出されたのは桜の練り切り、梅の饅頭、胡桃の最中だ。
春が来たので桜と梅を使い、胡桃の最中は年中食べれる安定した商品をと開発されたものである。
試作の甘味を食べた面々は全員が美味しいと笑顔になるので菊二は胸を撫でおろした。
対して、その隣で彼の師匠である兎のマンは胸を張った。
《練り切りは季節で変えるつもりだぜ、次は向日葵…といいてぇが、流石にな。他の花を探さないとな》
《食べるのは種ですからねぇ、でも向日葵は髪に使うといいですからねぇ》
「え、そうなのですか!?」
兎の夫婦の会話に商人である邦吾とお澪は食いつく。
マンの妻であるミカは「椿と同じく油がとれるから髪が指通りがよくなるのよ」と教えた。
「黄奈の姉様に伝えなきゃ!汐永国に特産物が増えるもの!」
「あの国は今や向日葵畑が国中で作られてますからなぁ。向日葵の簪のお陰なのか年中咲いてるし、安定的に生産も出来る商品になる…!」
「邦吾さん!帰ったらすぐに文を書かないといけませんね!」
邦吾は花の簪で姉妹となった黄奈姫のためにと燃える妻に忘れないようにと手持ちの紙束に書いておく。
こうするとやることを忘れにくいので、邦吾が習慣にしていることだ。
商いに燃える夫婦に苦笑しつつ、お銀はお椋が淹れた新しいお茶を持ってきた。
お嘉良はそのお茶を笑顔で受け取りつつも、彼女が挿す簪に目が向いた。
「そういえば、お銀ちゃんは紅葉ちゃんとはどうやって出会ったのかしら、是非聞きたいわ」
「私と、紅葉ですか?…えと、語るには少々単調ですが」
「あら、私も聞きたいわ」
「俺も聞きたいな、試食会は一応終ったし、お茶を飲みながら聞かせておくれ」
雇い主であるお椋と菊二からもそう言われ、また他の面々も聞きたいと頷くのでお銀は「では…」と語り始めた。
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お銀が猫の簪と出会ったのは自分が働く先を見つけようとしていた頃だった。
お銀の家は父が飛脚で、母はある商店の布織りの仕事についていた。
年頃になったお銀も働きに出るために職探しをしていたのだが…。
「いやぁ、ごめんねぇ…欲しかった子が入ったから、ね?」
「申し訳ないんだけど、今回は見送りで…ちょっと今は人手はいらなくてねぇ」
「んー、悪くないんだけど、もう少し家が良い子が欲しいんだよねぇ」
と、中々に職に就けなかった。
現代でいう就職活動が中々うまくいかなかったのだ。
お銀自身が悪いのではなかった。タイミングが悪かったり、家の伝手が太い人材が欲しいという店主だったりとお銀が悪いというものではなかった。
故にお銀は家でふて寝をするほどに拗ねた。
「お銀、職を探すのは大変だと言ったでしょう、母も今は布織りですが、若い頃は何件も断られたことはありますよ」
「お母様、そこはいいんです…断られた理由が私に関係ないのばっかりなのが腹が立つんです、特にお家柄が良い子欲しいって何ですか、庶民舐めんなよって思うんですよ」
「そこは…ちょっと母も思う所はありますけどね」
母はふて寝をするお銀に仕方ないわねと頭を撫でてやりつつも、お銀の顔の前にある物を掲げる。
目を開けなさいとつんつんと顔をつつかれて、お銀が目を開ければ…そこには猫が描かれた赤い簪があった。
「簪?猫が描いてある…」
「花衣屋さんの簪よ、縁起のいい簪を作る職人さんがいるそうでね…お銀に似合うと思って買って来たのよ」
「私に…?」
平らで薄っぺらい赤い丸の中に猫の形をした透かしが入ったお洒落な簪。
一目見て可愛いとお銀は手に取る。
「変わった意匠だけどとても可愛いでしょう?」
「すごくかわいい…!ありがとうお母様!」
ささっと髪を解き、簪を挿すために結び、簪を挿す。
お銀の母は頭を動かさせて、確認するとよく似合っていると笑った。
《にゃーん》
「え?」
母に可愛いと褒められて喜ぶお銀の耳に猫の鳴き声が聞こえたが近くに猫はいない。
「どうしたの?」
「今、猫の声が…いいえ、なんでもないわ」
「?、そう、ならいいのだけど」
お銀は可愛い簪をつけて気を取り直していこうと職探しに外に出る事にした。
新しい簪をつけて、機嫌よく歩きだしたお銀。
その後ろ姿を赤い毛並みの猫が見ていた。
《ふうん、ご主人は職を探してるのか…話を聞いた限り運がないみたいだねぇ、ちょいと調べてみるか》
赤い猫はそういうと路地裏に姿を消した。
数日後、お銀はなんだか最近猫によく出会うと思っていた。
外に出かければ、高い確率で猫が足に擦りつき、去っていく。しかも飼い猫だけでなく、野良猫も寄ってくるのだ。
それに最近家の中にいると猫の声がするとも気づく。
お銀の友人はまたたびでも持っているのでは?と言うがそんなものは勿論持っていない。
特に猫で困っているわけではない、のだが数が多いので疑問に思うのも無理はない事だった。
また一部の人が足元を見るのだ。
何かいるのかと聞けば、皆が何もいないわと笑って言うので自分は何かに憑かれているのではとも考えてしまう。
猫がくるということは鼠の霊に憑かれているのでは…と考えもしたが友人である蜜柑の簪を持つお葉がそれは違うと言い、「流石に鼠と間違ったら怒ると思うよ」と謎の言葉も残したので、余計に気になった。
「うう…鼠じゃないのは分かったけど、私の足元に何がいるのよぉ…!」
部屋の中で最近の事で唸るお銀。
そんなお銀の言葉に背後から「はぁ!?」と驚く声が上がる。
《鼠だって!?流石に失礼だろ!?》
「だって、猫が寄ってくるんだもん!…え、今の声、誰?」
お銀は誰と後ろを見ればおらず、少し下に視線を下げれば…不機嫌そうに畳に尻尾を叩きつける赤い毛並みの猫がいた。
《なんてご主人だ!俺が頑張って、主人の為と働いているというのに!よりにもよって鼠だと!?猫の俺への当てつけにしてはひどすぎる!》
「ひ、ひえぇ、すごい怒ってる…!何この喋る猫ちゃん…!!」
《俺はお前の簪の猫だ!簪にいるだろうが!就職難なご主人のためにいい求人先を探してきたってのに、鼠と思われていたなんてひどいもんだ!!》
シャー!!!と唸る猫は前脚でタンッタンッタンッ!とリズムよく何度も畳を叩いて怒る。
猫のいう事からお銀はこの猫は自分の簪の猫で、恐らく足元にいたのもこの猫であったらしい。
友人の蜜柑の簪が不思議な簪であり、その友人から恐らく自分の簪も何か素敵な事が起こるだろうと聞いていたので猫が現れるのはお銀は特には気にしなかった。喋るのには驚きはしたが。
お銀はとりあえず落ち着かせて話を聞くことにした。
猫はふーっ!ふーっ!と鼻息を荒くさせながらも頭を振って落ち着いたのでお銀は少しずつ聞こうと声をかける。
「えと、私の簪の猫ちゃん…であってるよね?」
《…そうだ》
「な、なんで黙って足元にいたの…?声をかけてもいいんじゃ…」
《あー…俺は足元にはたまにしかいなかったぜ、ご主人を守るために匂いはつけてたけど…》
「に、匂い…?」
《言っただろ、求人先を探してたって…猫の情報網を使って良さそうな所を探してたんだ。情報を持ってる猫がいるとご主人の足に匂いをつけて教えてくれてたからその猫達に会いに行ってたんだ。そうそう、いい所を見つけたんだ!あ、猫の情報網は文字通りの猫に聞いて回ったのさ》
ふふんっと胸を張る猫。
そういえば飼い猫が見つからない時は野良猫に聞けって隣の家の婆ちゃんが言ってたなぁとお銀は思い出していると、すくっと立ち上がってついてきなとお銀を連れ出す。
「待って、どこに行くの?」
《言ってるだろ、いい働き先があるって、早くしないと他の奴に取られちまう!》
「え、わ、分かった!え、えっと名前あるの?」
《無い!ご主人が付けてくれよ!》
急につけろと言われても…とお銀は困るものの、赤い毛並みが紅葉を思わせる色であったので、お銀は『紅葉』と名付けた。
紅葉と名付けられた猫は「悪くない」と笑うと意気揚々と歩きだす。
紅葉の姿は他の人には見えないようだが、猫には見えているようで姿を見せて、すれ違うたびにニャーニャーと声をかけられる。
お葉の簪の蜜柑も見えない人が多いので、この紅葉も見えないのだろうともすぐにお銀は気づく。
《おう、おはようさん》
《おう、この前は情報ありがとよ!今から行ってみるぜ!》
《おはようさん、あんまり遠くまで行くとまた女将さん泣いちまうぜ?ほどほどに遊びに行きな》
町の気のいい兄ちゃんみたいに猫達と話す紅葉。
はたから見れば猫にお銀が話しかけられているように見えるのか、近所のおば様達は「あら、今日は随分猫に声をかけられてるのねぇ」と話してくる。
だが、お銀は簪の猫に話しかけてるとは言えず、そうみたいだと話を合わせるしかなかった。
紅葉の後をついていき、行きついた先は…お茶屋だった。
『月乃茶屋』と看板のあるお茶屋には確かに求人の張り紙がされており、内容は菓子の注文を受ける、甘味の提供するため等の接客に関する仕事の募集で給金も悪くない上に客がよく入っている。と、お銀は印象を持った。
《ここだぜ、ご主人!ここがおすすめだ!》
「こ、こんな人気のお茶屋さんの求人なんて…!」
《話は通してるぜ!早く入ろう!》
「話は通してるっ!?どうやって!?」
《猫に紹介されたって言えばいいさ!ほら、早く!》
お銀は猫に急かされて店先にいた女将のお椋に声をかけて、求人を見た事と猫に紹介された事を言えばお椋は「あぁ!あの猫の」と笑顔でお銀を中に迎え入れた。
奥まで通されて、あと少しで店が閉まるからと奥の部屋に通される。
「お、お忙しい時に来てしまった…うぅ、印象が悪い…」
《気にしなくていいのよ、猫の兄弟から聞いていたのだもの》
《おう、まずはここで茶でも飲んで落ち着きな》
「すいませ…え?」
部屋の中で頭を抱えていたお銀の前に美味しそうな様々な種類の饅頭が積まれた皿と温かいお茶の入った湯呑を乗せたおぼんが出される。
店の人が来たのかと顔を上げたお銀の目には月の色をした綺麗な毛並みの二羽の兎がおり、ニコニコと笑みを浮かべていた。その隣には紅葉もいる
《猫の兄弟から話は聞いてるよ、中々に職探しで苦労をしてるんだってなぁ》
《えぇ、この子がいるのもあるし、貴女が働いてくれるなら私達は嬉しいのだけどねぇ》
「え、あ、あのあなた達は…」
困惑するお銀に雄の兎は「これは失礼なことしたぜ」と自分の額?をぺしりと叩く。
兎達はここのお茶屋の掛け軸であり、紅葉の兄弟であり、紅葉がお銀の求人の件で話を通したのはこの兎達であると告げた。
《兄弟の持ち主ってなら俺らも信頼が出来るからって、ご主人達もお銀さんを雇うのには賛成だそうでなぁ、一応俺らが一回話はしようって事にはしたけどな》
《蜜柑の姉妹からも貴方の人となりは聞いていたし、お銀さんのやる気次第だけども…いかがかしら?》
雇用の条件や給金などについての詳しい事は後からご主人の菊二が話すと言っていたからという兎達にお銀は就職難であったこともあり、また紅葉の見つけてきた仕事場であるのですぐに頭を下げてよろしくお願いいたします!と働きたいと意欲を見せた。
「精一杯働きます!頑張ります!」
《うふふっ、そんなに気張らなくていいのよ》
《少しずつ覚えていけばいいさ、仕事なんてそんなもんだ!最初から完璧にあれこれと出来るやつなんていねぇよ》
《流石、兎のお兄だぜ…いう事が達観してらぁ、まるで人生一周した人みたいだぜ》
《はははっ、生まれてきたのは同じくらいだろうに何を言ってるんだ》
雌の兎はまずはうちの甘味の味を覚えて頂戴と饅頭の皿を押す。
商品の味を知るのもお客さんにおすすめするときに必要だからというので、お銀は確かにそれは必要だと納得し、いただきますと手を合わせて白い饅頭を一つ食べる。
口に広がる餡子の絶妙な甘みに思わず頬が落ちそうになるほどに美味しい饅頭にお銀は笑みを零してしまう。それを見て、雄の兎は「うちの店の饅頭は美味いだろ~」と聞けば、お銀はぶんぶんと大きく頷く。
《このお饅頭は主にお土産におすすめしているわ、店で食べるならお団子がいいわね》
「お団子…お饅頭がこんなに美味しいから団子も美味しいはず…」
《うふふっ、えぇ、みたらし、三色、餡子にきな粉…他にも美味しいのがあるわ》
「わぁ…絶対に美味しい…」
お饅頭を頬張っているのにお団子…と思いを馳せるお銀に二羽の兎は素直で可愛い子だ、と微笑んだ。
紅葉は「食い意地張るなよ…」と窘めるも、こんなに美味しいと食べるので強くは言わなかった。
「嬉しいわ、そんなに美味しそうに食べてくれるなんて」
「あぁ、作った甲斐があるな」
「あ、すいません…!いっぱい食べてしまってました!」
店を閉めて、いつの間にか部屋に入ってきていた菊二とお椋は美味しい、美味しいと頬張るお銀に好感を抱き、構わないとい笑った。
雄の兎からここで働く気があると聞いた菊二は改めてと自己紹介する。
「俺はこの店の店主の菊二だ、こっちは妻のお椋」
「よろしくね、お銀ちゃん」
「はい、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げ、姿勢良く座るお銀に二人は礼儀作法がちゃんと仕込まれた子だと思う。
恐らくご両親がしっかりとした人なのだろうと、感心しながらも二羽の兎を紹介した。
「そして、こちらが店に飾っている掛け軸の兎であり、俺とお椋のお師匠様でもあるマン殿とミカ殿の兎のご夫妻だ」
《改めてよろしくな、お銀さん》
《兄弟共々、よろしくお願いいたしますわ》
「こ、こちらこそよろしくお願いいたします」
お銀はこの二羽の兎の佇まいもだが、師匠と呼ばれていることからもすぐにこの店が美味しくなったという噂の要因であると見抜くも、紅葉の兄弟であることから凄い兎なのだと思っていた。
月乃茶屋側の紹介をされて、お銀は紅葉と共に頭を下げた。
「私、父は飛脚、母はある商店にて機織りの職についております、名をお銀と申します…こちらは私の簪の猫の紅葉と名付けた猫になります」
《今日、名前を貰ったんだぜ》
《あら、いい名前を貰ったわねぇ》
《体の色に相応しい名前だな》
二羽の兎はニコニコと紅葉の名を褒める。
紅葉は機嫌よく尻尾を大きく振っており、その姿も兎の夫婦は良い主人に出会えたようだと喜んだ。
「俺は店が開いている間は作るのに専念するためにほとんど厨房にいる、お椋は接客も担当しているが…団子のたれやお茶はお椋が担当しているんだ、お銀ちゃんには基本的に接客が主なお仕事になる」
「注文を取ったりや甘味やお茶を出してもらったり、お席のご案内を担当する形になるわ…お勘定もになるわね」
「仕事がいっぱい…!頑張ります!」
ふんすっ!と意気込むお銀にマンは優しい目を向けて笑う。
《最初は俺らも見てるから安心しておくれ》
《俺も手伝うぜ、猫の手はあるに限るからな》
紅葉がにししっと笑いながら片足を上げた。
こうして、お銀は月乃茶屋にて看板娘となったのである。
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「という経緯で、こちらで働いているのです」
「紅葉がここに導いたんだねぇ」
お銀の経緯に話を聞いていた面々は彼女の足元で毛繕いをする紅葉を見た。
《猫の情報網で探して、兄弟がいたから店の雰囲気や相談もしたんだぜ》
《紅葉が求人について訪ねて来た時は驚いたが、お銀さんが来てくれて本当に良かったぜ》
「えぇ、よく働いてくれるから助かるわぁ」
「その猫の情報網で色々教えてくれるから助かるよ」
紅葉はにししっと笑う、紅葉が頭を指で掻いてやればゴロゴロと喉を鳴らした。
ふと、外からニャーという声が聞こえて、紅葉は外に出てくると店の外へ去っていった。
「あの子、猫の情報網もだけど…ここら一体の猫達に一目置かれてるみたいでよく会合に行ってるそうなんです」
「…そういえば、最近猫を飼いたいっていう家の前に人懐っこい猫が現れて、その後は飼われるらしいのよねぇ」
「俺も聞いたことがありますな…猫が見計らったように足にじゃれつくと…」
紅葉が走って行った店の外を思わず見た面々は…まさか猫の斡旋をしているのでは?と考えるも、只の猫ではない紅葉に考えるだけ無駄かとお茶と甘味を再び楽しむことにしたのだった。
《いいかい?おチビちゃん…あの人の足に頭や体を擦りつけて甘えるんだ、それで自分を連れていってと主張するんだぞ》
とある御屋敷の外周にて、少々強面の男が歩いているのを紅葉と子猫が見ていた。
子猫は不安そうに紅葉を見上げる。
「にー…」
《大丈夫、不安にならなくていい…あの人は顔は怖いが猫が大好きなのは調査済だ、思いっきり甘えて拾ってもらえ》
「にー!」
子猫は意を決して男の足元にじゃれつく。
男は驚いた顔をしたが、子猫と分かると顔を破顔させて抱き上げた。
《よーし、行った!…よしよし、上手く行ったな》
男が子猫を連れて帰るまで見届けた紅葉は子猫の斡旋は上手くいったと母猫に報告する。
母猫は安堵し、これなら安心できると紅葉に感謝した。
《いいってことよ、その代わり何かあれば色々教えてくれよなぁ》
そう言って立ち去る紅葉。
そんな紅葉が歩けば、猫達は見掛ける度に話しかける。
『またあんさんのご兄弟が活躍してたみたいだよ』
『紅葉、最近隣町からあんたに会いたいって子がよく来てるよ』
『ねぇ、紅葉ちゃん!またあんたに孫の斡旋を頼んでいいかい?』
世間話からお願い事を伝える猫達。
紅葉はこの猫達から子猫の斡旋や頼み事を聞く。その代わりに彼らは猫の情報網で得た事を紅葉に教えてもらうのだ。
その中には人の目には映らないものもあるのだ。
そこにこの町で一番大きな門を根城にしており、他の猫から一目置かれるために大門の親方と呼ばれる猫が声をかけた。
『紅葉の坊、北の方の情報で少々きな臭いものが流れて来てるらしいぜ、お前から人間に伝えてやりな』
《大門の親方、きな臭いとは?》
『俺もそれは知らん、しかし、明らかにいいものではないものがいるそうだ…こういうのはお前の弟の仕事だろう?』
紅葉は狐のことかと苦笑しつつも、狐の弟の案件であるならば穢れの関連かとすぐに察して伝えておくと頷けば、では頼むと目で語ると去って行った。
紅葉はとりあえず言われた通りに狐の弟に伝えに行くことにする。
しかし、このきな臭いものが少しずつ、楚那村へ向かっている事は紅葉も思いもしないのだった。
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清条国のとある場所にて…。
月明りのみの道をふらふらと歩く若い男がいた。
暗い道を灯りを持たずに歩く男の横を酔っ払いの千鳥足な男が通りすぎる。
「んあぁ?おい兄ちゃん、こんな暗いのに灯りも持たないなんてあぶねぇぞぉ…」
酔っ払いは酒に酔っていても若い男の心配をする。
若いのがあぶねぇぞぉと灯りを貸してやると若者の顔を灯りで照らしてやると…。
そこには赤い目をして、口が大きく裂けた男の顔があった。
牙を生やした男はぎろりと酔っ払いを見ていた。
「う、うわあぁぁぁぁぁ…!!!」
人ではない顔の若い男に酔っ払いは悲鳴を上げて逃げる。
灯りを落として逃げ去る男を見送った若い男は…落ちた灯りを蹴り、また歩き出す。
「どこぞ、どこぞ…虹の目を持つものは、どこにいる」
そう言葉を零しながら歩く男の姿を見ていたのは…月と星のみである。
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猫紅葉
天野宗助が制作した簪の一つである。赤い猫を透かし彫りで表した意匠を持つ簪であり、古い記録や逸話では、簪から現れた赤猫「紅葉」が持ち主の困りごとを解決したとされる。
江戸期の常和周辺では特に多くの伝承が残されており、町の猫たちを束ねる存在であったとも伝えられる。
猫紅葉は、宗助が制作した数多くの簪の中でも特に伝承の多い作品である。
簪の赤い猫が実体を持って現れ、持ち主の手助けをしたという逸話が清条の各地に残っている。
特に初期の持ち主とされる女性『お銀』との関わりがよく知られている。
職を探していたお銀が働き先について悩んでいた際、猫紅葉から現れた赤猫が彼女をある店へ導いたという。
その店は掛け軸『月兎』を所有する茶屋であり、お銀はそこで働くことになったと伝えられる。この頃から紅葉は町の猫たちの顔役のような存在となり、猫と人間の間を取り持つ役目を担っていたとされる。※1
また、役所や奉行所に勤める宗助作品の持ち主たちへ様々な情報を伝えていたとも記録されており、常和の治安維持に密かに関わっていた存在として語られることがある。※2
江戸時代、常和周辺で子供を攫う事件が起きた際、紅葉は町の飼い猫たちを束ねて犯人の集団を追跡し、結果として攫われた子供たちを救出したという逸話が残されている。
幕末期の記録によると、役所勤めの人物が猫紅葉の持ち主であった時期があり、紅葉は事件の証拠や情報をしばしば運んできたという。
そのため、持ち主が自宅にいながら事件を推理する、いわゆる安楽椅子探偵のような形で事件解決に関わった例も多かったとされる。
猫紅葉の伝承は後世の創作にも影響を与えたとされる。
話す猫や相棒となる猫のキャラクターの原型の一つとして語られることもあり、戦国時代を舞台にした物語から現代作品に至るまで、紅葉をモデルとしたとされる作品は数多い。
※1 古い記録には、紅葉が子猫の斡旋をしていたという記述が見られる。
このため、現代でも常和周辺では猫を飼う家が多い理由の一つとしてこの伝承が語られることがある。
月乃茶屋本店にいる兎の夫婦は「紅葉が猫を斡旋しているからだ」と語っているとされる。
※2 事件の証拠の多くが紅葉の証言や情報によるものだったという記述も存在する。
「あの店は金を着服している」といった裏話も持ち込まれることがあったため、役所の役人たちはその真偽の確認に追われることも多かったと記録されている。
胡桃の最中は実際にあります。
仕事場で上司に頂いた際にすごく美味しかったので思わず出しちゃいました。




