第24章 小春姫のからくり箱
桜の木の蕾が膨らんできたのでそろそろ咲きそうだと思う今日この頃…。
我が家にお客様がやってきた。その人は俺は顔は知っている人で…普通はここに来ない人。
「宗助殿のお屋敷は想像よりも大きく、しっかりとした作りなのですね…建築には詳しくないけれども技術があるのは分かりますわ」
「ありがとうございます、小春姫様」
そう、まさかのこの国のお姫様こと…小春姫様のご来訪です。
いつも来る義晴様はともかく、小春姫様まで来るようになるなんてなぁ…。
小春姫様はお忍びであるのか蘇芳色の着物で、少し地味な格好をされているが、布の質からもお忍びでも上等なものだ。
亀太郎達は見知らぬ人を警戒してるのか距離を取って隣の部屋から覗いているし、孤月や狸蔵といった山の動物達は気配の欠片もない。
「突然来てしまい申し訳ありません、でも、どうしても私が自らの言葉で宗助殿にお礼をしたかったのです」
「あのからくり箱を気に入られた、とは三九郎さんからお聞きしましたが…」
「ふふっ、えぇ…あのからくり箱はもう無くてはならぬものです」
そんなに気に入ったのか…。
恐らく何度も解いて遊んでいるという意味なのだろう…けど現代でいうルービックキューブみたいな遊び方してるのかな…。どれだけ早く開けれるかのチャレンジみたいにタイムアタックとかしてるかな?
と思っていたら、いつの間にか目の前に小春姫様が座っていて、手を握られる。
「本当に、貴方のお陰です…心より感謝を」
そう言って、握った俺の手を額につける姫様にぎょっとしたものの、よく分からないが、感謝をされていることはわかった。
それに姫様の後ろにいる世話役っぽい女の人も驚いた顔をしてるけど、小春姫様の真似をするように頭を下げたし…そんなにあのからくり箱を気に入ったなんてなぁ。
「私から心ばかりの礼となりますが、こちらをどうぞ」
小春姫様がそう言うと後ろの世話役の人が傍に置いていた箱を俺へ差し出した。
目をぱちくりさせてた俺に、小春姫様は箱を開けて見せてくれたが…これはなんだ?
6つの小さな陶器の瓶が入っていて、蓋に花が描かれてる。
「義晴達は貴方の作品につながる物をお渡ししていますので、私からは宗助殿の身に着ける物をご用意させて頂きました」
そう言って小瓶の一つを開けると…あ、梅の花の匂いだ。
中に入ってるのってもしかして、練り香か。
「宗助殿も人前に出られる際に身だしなみを気をつけねばなりませんからね、こちらをつけていれば舐められることがありませんわ」
「6つも…ご用意されたのですか?」
「えぇ、気分によって使い分けを…町に来る際に太郎殿やおゆき殿にもおつけなさい、農民と馬鹿にさせませんわ」
うーむ、つまりは俺の身だしなみをきちんとさせようとしてるみたいだ。
太郎やおゆきにも使えということは一人で使い切れとはいってない量だということだろう…けど、流石にあげるのは失礼だし、村長の家に置かせてもらって、村の婆ちゃん達には出かける用事があれば使ってもらおうかな。
それなら使いやすいだろうし。
「そういえば、あのからくり箱…まさか四つの箱が一つになるなんて誰もその発想は思いつきませんでしたわ」
「えぇっ!?あれも解いちゃったんですか!?流石にバレないと思っていた仕掛けを!?」
マジか!?と驚く俺。実はあの4つのからくり箱は元々は某カードゲームの漫画で出たパズルが元ネタで、分解すれば一つの箱になるという物なのだ。
作った最初、俺はあのパズルのように長年解けないというからくり箱を目指して作ったのだが、作った後に解けぬ仕掛けに意味はないと考えて、隠しの要素として落ち着いた代物である。
「うふふっ、偶然にも違う箱同士の部品がつながることを知りましてね…夢中で組み立てましたわ」
まさか、小春姫様に数日でそれも解かれていたとは…小春姫様がすごすぎるのと、自分の頭の程度はそこまでよくないと思い知らされる。
流石にパズル好きに毛が生えた程度では、勝てないか。
「四つが一つになる箱だとは、誰にも言ってないことでしたが…まさか数日で全部解かれてしまうとは」
「春夏秋冬の箱で、何よりも蓋の模様は桜に花火、紅葉に雪が合わさっていて…格別な美しさです、組み立てたと知った時の唖然とした義晴の顔は本当に愉快でした」
箱の模様をぴたりと言い当てられた。これは間違いなく組み立てたのだと分かり、俺は「参りました」と頭を下げれば、ふふふ…と笑う小春姫様がいた。
さ、流石この国で一番将棋が強い姫様だ。一筋縄ではいかぬお人だ。
「私が宗助殿に感謝を伝えたかったのは本当のことです、もし何か欲しい物なのがあればご協力しましょう」
「欲しい物って…」
そんなに気に入られたのか、あのからくり箱と思っていたのだが…俺は欲しい物と聞かれても思い浮かばない。
そんな俺の考えを読んだ小春姫様は「今は無くとも今後、欲しい物が出来たなら言って欲しい」とおっしゃるのでとりあえずは今はないということで話は終わった。
その後、小春姫様を迎えに来た三九郎さんを連れて山を降りられた。
抱えて降りられるのかと思ったのだが、自身の足で登ってきたので、下山も自分の足でするそうだ…。姫様って、俺が思うよりもずっと逞しい人のようだ
小春姫は宗助の家を出て、山を降りる。
その時に村に寄りたいと三九郎に願えば、三九郎は快く村へ彼女を連れていく。
「一目みたいものがあるのですよ」
そう、語る小春姫は村に着くと村長の家に挨拶に向かうと足を進める。
その途中に畑仕事をする太郎と藁を編んでいるおゆきの姿を見かけ三九郎は声をかける。
太郎は三九郎の声に振り向くと、ぎょっとした顔でおゆきの元へ向かい、小声で話すと慌てて二人で頭を下げた。
この二人に小春姫は二度瞬きをした。太郎は花衣屋にて出会ったことや、一度城に来ていたので顔を知っているのだったと思い出した。
それは三九郎も同じで、太郎は小春姫の顔を知っている事を思い出す。
「そうか、太郎は宗助と来ていたから知っているのだったな」
「はい…、その、何故姫様がこのような所に…?」
「見たい物がありまして…貴女がおゆき、ね?」
おゆきは自分に声をかけられたことに驚きながらも頭を下げたまま挨拶すれば、小春姫から顔が見たいから頭を上げなさいと声を掛けられる。
上げろと言われたのならばと顔をあげたおゆきに小春姫は満足そうに笑った。
「一度貴方に会いたいと思っていたのですよ」
「私に、でしょうか?」
「えぇ、この村を守る雪女殿に……義晴様に”怖い女”と言わせた賢き者に、ね」
「まぁ、義晴様ったら…」
「怖いなんて失礼ね」とひっそりと笑うおゆきの背後に雪がちらつく。太郎は「今はやめろって」と肘でつつき、三九郎は次ここに来るとき義晴様を凍らせないようにするにはどうしようかと本気で考え、小春姫は…豪快に笑っていた。
「あっはははっ…、あの義晴様にそう言わせた女はほとんどいませんわ…!この村を裏で牛耳るというのもあながち嘘ではないのかもしれませんわね」
「まぁ、そんなことも言っていたのですか?」
「うふふっ、おゆき殿の器量を認めているということです」
小春姫が口を開けて笑う姿を嗜めるのは小春姫の世話係のお夏だったが、ここまで笑うのも珍しいのでおゆきのことを気に入ったようだと見ていた。
隣にいる太郎はおゆきも小春姫に対してのいい好感を持っていることに気づき、生まれは違うが友人になれるようだと思っていた。
三九郎も小春姫とおゆきが互いに好意的なのは察しているが、頭が回る怖い女同士が仲良くなっちまったと少し怖く感じていた。
「ふふっ、おゆき殿………もし、義晴に解決しづらいことがあれば、私に相談なさい。例えばどこぞの姫君やご令嬢が宗助殿を狙っているなど、女の関係は私が後ろ盾になりますから」
おゆきの手を取り、そう語る小春姫に全員がぎょっとなる。
小春姫の様子におゆきは先日、宗助が「小春姫様がからくり箱を気に入ったから全部あげた」と言っていたのを思い出す。
そして、今まで宗助の作品を持った者達がした行動を照らし合わせたおゆきは…小春姫様の元へ渡ったからくり箱が何かしたのだと気づいた。
「小春姫様…もしや宗助ちゃんの作品を…?」
「この度、貴女達の仲間になりましてよ…、恩人のために私の権力を利用なさいませ」
「…随分と、評価して頂けるのですね」
「ふふっ、貴女ならば私を賢く使うでしょう?」
うふふ…と微笑み合う二人の女。
剣吞な空気ではないのだが、何処か不穏な空気に男二人は三歩下がり、小春姫で慣れているのかお夏は、「似た者同士であったか…」と悟ったような顔をしていた。
この二人の出会いが清条国にて、今後大きな力となっていくのであるとはこの時、誰も…いや、お夏だけは気づいていたのだった。
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時は遡る、からくり箱を手に義晴と三九郎が城に帰ってきた時のこと。
義晴がお気に入りの職人、天野宗助の家に行っていたのは知っているので、小春姫は「いつものこと」だと思っていた。しかし、一刻ほど経つと多くの家臣が義晴の部屋に呼ばれ、知恵を絞っているという騒ぎになった。
「お夏、この騒ぎは何かしら?」
「私も詳しいことは知らないのですが、どうも義晴様が奇妙な箱を持って帰ってきたとか…」
「奇妙な箱?」
小春姫の傍仕えであるお夏は、義晴がその奇妙な箱を持ち帰り、忍びの三九郎と共に開けようとしたが、通常の開け方では開かないため、多くの家臣を呼んで開けさせているのだと、状況を伝えた。
「開かずの箱…という訳なのね」
「えぇ、遠くから見た女中曰くですが、その箱は蓋がなくて、横に板をずらしたり、部品を外すことが出来るのだとか」
「へぇ…!面白そうね、ぜひ一目見たいわ」
小春姫はなんだか楽しそうだと意気揚々と立ち上がると、騒ぎの中心になっている義晴の部屋へ急いだ。
騒ぎを聞いて集まった者達も、小春姫が来ると道を開け、彼女に仕えている者は情報を渡した。
「姫様、今は上様が挑戦されてます…といってもかなり苦戦されているようですが」
「まぁ、そうなの」
「えぇ、もう陸奥川様を呼ぼうと若はおっしゃっています」
小春姫が義晴の部屋に到着すると報告通りこの国の領主であり、月ヶ原の当主である義虎が箱をぐるぐると回しながら難しい顔をしていた。
「ぐぬぬぬ…ここの板を外せるようだが…ここを外すと反対側の仕掛けが動かなくなる…どうなっているのだ?」
「壊すなよ親父…小春も来たか」
「義晴がその開かずの箱を持ち帰ったと騒ぎになっているのですよ」
義晴が「確かに開かずの箱だな」と漏らす中、義虎は箱を床に置いて、寝転ぶようにひっくり返る。
「無理だー……これは降参だぁ」
「流石に親父でも無理か」
「お前達がわからないのに、わしが分かると思うかぁ…?」
疲れたーと寝返りを打つ義虎に義晴は苦笑である。
小春は座り、床に置かれた開かずの箱を手に取った。
「お、今度は小春が挑戦か?」
「えぇ、やってみます」
「お前でも開かないのなら宗助に苦情を言いに行くか…『本当に開くのか』とな」
小春姫はそうさせないためにも開けないといけないわねと微笑むと先ほどの義虎のように箱を回してみる。
その後、仕掛けを動かし始め、外れた部品を戻したりと何度か試行するうちに小春姫は笑みを浮かべた。
「もしかして…」
「これは……」
「ここはこうすれば…」
箱を回し、板をずらして、部品を外し、別の側面の板をずらして部品を戻す。
最初の板を別方向にずらして、天板の板を押し込む。
また板を戻して、反対の板を斜めに動かす。
流れるような動きで箱を弄る小春姫に義晴は目を丸くし、共に開けようと頑張っていた三九郎はその様子を眺めていたが…多彩な仕掛けに「こんなの分かるはずがない」とこれを寄こした宗助に文句を言いたくなった。
周りは思わぬ動きをする仕組みの箱とどんどん仕掛けを解いていく小春姫に目が点となっていた。
「(すごい…!なんて楽しい箱なの…!」)」
皆が呆気に取られる中で小春姫は目を爛々と輝かせながらも箱の仕組みを解いていた。
今までにないからくりの箱。将棋や碁も嗜んできたが、最近では自分に太刀打ちできない相手ばかりで飽いていた。
そんなところに現れたこの箱は、小春姫にとっては久しぶりの「楽しい」という感情を引き出したのだった。
ある部品を戻し、天板をずらすと…箱は開いて、中から布で出来た小さな小人の人形が現れた。
「開いた…?」
「開きましたわ」
開かずの箱が開いた事で周りは歓声が上がる。
中から出てきた人形を掌に乗せて、義晴や周りの者に見せる小春姫は賞賛の声を浴びながらも達成感に満ちていた。
歓喜の声の嵐の中で義晴は悔しそうな声を上げた。
「くそう…!開けられないのも嫌だが、こうも簡単に開けられるのも悔しい…!そうだ、三九郎!おい、三九郎!あいつはからくり箱はまだあると言ってた!明日、家にまた出向き、別のからくり箱を持ってきてくれ!それで決着をつける!」
「若、もう勝負は俺の負けでいいので勘弁してください…知恵熱が出てきたんでもうやりたくないです」
「あら、勝負していたの?」
「知恵熱が出てきた」という三九郎は少々疲れた顔をしながら、「いつもの季節が来たのですよ」と言った。
小春姫は三九郎が言うことを理解し、もうそんな頃かとしみじみ思う。年に一度来る、発散の季節かと。
恐らく何かを三九郎に頼み、それをきっかけに取っ組み合いをしようとして、宗助に止められたのだろうと推察した。
そして、この箱を開けた方が勝ちとしたのかと。
「経緯は分かりました…ねぇ、三九郎、文を宗助殿に届けてくれないかしら?」
「姫様からですか?」
「えぇ、この箱を気に入ったの…だから譲って欲しいと思って」
「かしこまりました、宗助の元へは明日の日が昇った頃に向かう予定です」
「では、今日の晩にでも用意しておきます」と伝えると、人形を袖にしまい、今開けたからくり箱を手早く元に戻した。
せっかく開けた箱を戻した小春姫に義晴と義虎は首を傾げた。
「…小春?」
「何をするつもりだ?」
からくり箱を手に立ち上がるとにっこりと笑った。
「他の者も開けられるか試してきます」
「うふふっ」と笑いながら箱を持っていった小春姫に義晴は顔を引きつらせ、これから城の中で行われる小春姫の”遊び”に義虎は頭を抱えた。
その日、日が沈むまで小春姫は城の様々な場所へ向かい、多くの者に箱を開けられるか挑戦させて回っていたそうだ。
その日、知恵熱で寝込む者が多かったという
その翌日。三九郎が三つのからくり箱を持ち帰って、小春姫へ献上した。
天野宗助が気に入ったのであれば、からくり箱は全部で4つなので全て献上したいと願い出たのだと。
「まぁ、嬉しい!からくり箱が増えたわ!また宗助殿へお礼の手紙を書かないと」
楽しそうに新たに増えた三つの箱を眺め、どれから解こうかとわくわくとした小春姫に、三九郎は「随分気に入ったのだな」と思いつつも、「あの宗助の作った物なので、また普通じゃないのだろうな」とも思うのだった。
「今回は何をしてくれるのやら…だな」
その日の晩。 早速、箱を一つ解いた小春姫は、小さな達成感を抱きながら布団に入っていた。
彼女の枕元には二つの小さな人形が置かれている。
「ふふっ、この箱も楽しかったわ…明日もまた一つ開けましょう」
「残り二つだが、どんな仕組みなのか楽しみだ」と思いながら目をつむる小春姫であったが、彼女は眠れずにいた。
目を閉じてからしばらく経ち、横目に月明りの位置を確認して、小春姫は小さくため息をつく。
「今日も眠れそうにないわね…もう慣れたけど」
小春姫には一つ悩みがあった。
それは彼女が眠れないことであったことだ。
もし昔からの悩みであれば、慣れてしまえただろう。 しかし、これは最近のことであったのが、彼女が悩む原因なのだ。
「除夜の鐘を聞いた日から、正月から眠れない、なんて…誰にも言えないわ」
この国の姫である自分が、眠れぬ病にかかったなど知られる訳にいかない。
特に自分は婿を貰い、月ヶ原の後継ぎとなる子を産むまでは健全な体でいないといけないのだからと自分に言い聞かせる小春姫はこの悩みを言い出せずにいたのだ。
また、朝の光を浴びると短い時間だが眠れることもあって、余計に周りに心配をかける訳にはいかないと口を閉ざす原因となっていた。
「いつも朝の光を浴びると少しは眠れるし…それまで起きていよう」
「今日も眠れる気がしない」と体を起こし、少し襖を開けて外の月明りを部屋に入れる。
暗闇に目が慣れてしまった小春姫は、このぼんやりとした明かりだけでも十分に思えた。
蝋燭に火をともせば、起きているのが明確になってしまうので、この明かりしかない状況でもあった。
今日は何をして日が昇るのを待とうかと考えていると、まだ開けていないからくり箱があったことを思い出して、それを解こうと手を伸ばした。
「これを弄っていれば日が昇るでしょう…」
明日の楽しみにとっておきたかったが、仕方ないと小春姫はからくり箱を解きだす。
既に解いた二つのからくり箱の仕掛けとまた違う趣向の仕掛けで、小春姫は夢中で解いていた。
時間をかけ、一つ解いたがまだ日は昇っていない。
そこで、最後のからくり箱にも手を伸ばして仕掛けを解く。
そして、朝になり…。
「はぁ…結局、たった一日で解いてしまったわ…」
宗助にもらったからくり箱を解き終えていた。
出てきた小人の人形を並べ、解き終えて達成感と同時に終わってしまった寂しさを感じる小春姫だったが、突如襖が開く。
襖を開けたのはお夏で、起きている小春姫に目を丸くしたが…その手にある解かれたからくり箱と並べられている四体の人形から、状況を理解した。
「その手にあるものは…まさか、寝ずに箱で遊んでいたのですね!もう、夢中になるのも良いですが、お休みください!」
小春姫の手からからくり箱を取り上げると、ぷんすかと怒りながら小春姫を布団に入れると寝るように叱った。
「徹夜したのですから、少しでも寝てください!!皆にも伝えておきますので!」
「……ごめんなさいね」
「姫様が夢中になるのも珍しいですけど、ここまで夢中になって徹夜で解くなんて思いませんでしたよ…、でも、お体のためにも寝てくださいね!また様子を見に来ますから、ちゃんと寝るんですよ!!」
「えぇ…そうね、寝るわ」
お夏は小春姫が大人しく目を閉じるのを見守ると、からくり箱を小春姫の机の上に置くとそっと部屋を出た。
その音を聞いて、立ち去ったのを察すると小春姫は枕元に置いた人形を見た。
桃、青、黄色、白の色の人形は並んで座っている。
いつもならお夏が来る前に少しでも眠るため、一刻眠れるかどうかのところであったが、今日はからくり箱に夢中で寝ていないという理由ができたため、今から眠っても何も言われない。
「今日はからくり箱のお陰でいつもより寝れるわね」
そう人形に漏らすと、朝が来たことで眠気がやってきたので目を閉じて眠った。
一度だけのことだが、いつもより多く眠れるのは小春姫にとっては嬉しい事だ。
欲を言うなら、この夜限定の不眠の病が治ってほしいと思うのだった。
「はぁ、早く普通に寝たい……」
そう愚痴るように、小さく言葉を漏らした小春姫はすぐに寝息を立てる。
そんな小春姫の顔を四体の人形達がすぐ傍で眺めていたのだった。
それから三日後。
からくり箱を全て解き終えていたが、小春姫は開けては元に戻して遊んでいた。
今日も全て開けて、今日の遊びは終わりと片付けるために全て開けた箱を元に戻そうとした。
しかし、そこで偶然重なり合った二つの違う箱の部品が桜の模様になっているのに気づいた。
「あら、どうしてこの部品で桜が出来るのかしら…これは違う箱の部品のはずなのに…」
小春姫は出来た桜の模様の部品を置くと、「もしや」と全ての部品を確認する。
部品を確認し、一部の部品同士がつながることが分かった。
それだけでなく、箱の四隅にも外れる部品があることが分かり、全ての箱がばらけることが判明した。
「まさか、この箱は…一つになる、というの…!?」
からくり箱の新たな仕掛けの発見に小春姫は高揚する。
まだ楽しめるというのか、この箱は…!という驚きと喜びに小春姫はふふふ…と小さく笑いながら部品を手に取る。
「桜が出来たという事は、同じく桜かもしくは四季に関するものが出来るはず…!まずはそこを中心に攻めますわ…!」
一つ一つの部品を重ねたり、組ませたりして攻略を始めた小春姫。 少しして、小春姫の様子を見に来たお夏はその姿に悲鳴を上げる。
怪しい笑みを浮かべながら、ばらしたであろう箱の部品を自身の周りに散らせた小春姫の姿は、お夏からすれば驚きしかない光景だった。
「ひ、姫様ぁ!?なんですかそれ!?」
「お夏、邪魔はしないでね…うふふっ、宗助殿ったらあの四つのからくり箱は開けるだけで終わらせないなんて、なんて楽しませてくれるの…!」
「や、やっぱりあのからくり箱なのですか!気に入ったからと分解してしまうなんて!」
お夏が流石に駄目ですよぉ!と叫べば、その声を聞きつけた三九郎がやってきて、小春姫の状況にぎょっとする。
お夏から、小春姫の周りにあるのはからくり箱のなれの果てだと言われ、三九郎は部下に義晴を呼んでくるように指示を出すと、小春姫に声をかけて止めようとする。
「姫様!宗助の作ったものをそのようにしてはいけません…!あいつの作ったものは人に危害を加えるものではありませんが、無碍にしてはいけません!」
三九郎はまさか小春姫がからくり箱をばらしてしまうとは微塵も考えていなかったので、この後どうすればいいのかと必死に考える。
あの箱は宗助が作った物であることが一番の恐ろしいもので、何をするかわからないのが一番怖いのだった。
今まで持ち主に危害を加えることはなかったが、もしかしたら小春姫が第一人者になりかねないと必死に考えていた。
「三九郎、宗助殿が作った物は美しいだけではないのはお前も良く知っているでしょう?不思議なお力だけでなく、あの方の人並み外れた発想、技術を、お前が知らないはずはないでしょう?私は彼を見くびっていたようです。四つの箱を開けるだけで終わると思っていた私が甘かったのです。そう、あの深緋や他の作った物のような物とは違うものだったのです。ふふふっ、まさかあのお方はそんな私の考えさえ読んでいたのかしら、これで終わりと思っていた私へとても嬉しい仕掛けを用意していたのですよ。もう、これをやらずにはいられませんわ、なので邪魔しないで。早くご主人の義晴の所へ帰りなさい、早く去れ、邪魔をしないで。宗助殿にご執心なあの人に、出来たら見せてあげるから、帰りなさい」
一呼吸も入れず、とてつもない早さで言い切った小春姫。
そんな小春姫に三九郎は口元が引き攣った。隣にいるお夏は「うわぁ…」と言われた三九郎へと同情の目を向けた。
「は、早口と長文すぎて何を言われたのかわからないのだが…」
「…最後、早く義晴様の所へ帰れとおっしゃっていました」
「帰れって……前の方は何と?」
「からくり箱とこの箱を作った天野宗助殿への賛美のお言葉、というべきでしょうか」
お夏は小春姫に長年仕えているので言っていることは聞き取ることが出来た。
小春姫がこのように話すのは大変興奮しており、好きなものを見つけた時にはこのように早口になることが多いので、お夏はこのからくり箱を作った天野宗助職人をかなり気に入ったみたいだと認識していた。
最近では花衣屋のお咲を気に入った際に、気に入ったところをお夏に話していたので、半年以上は前である。
不敵な笑みを浮かべながら手を止めずにからくり箱の部品を並べ、くっつけたり外したりを繰り返す。
三九郎は異様な光景に止めるべきではと言うが、お夏は小春姫が「四つの箱を開けるだけで終わると思っていた」の言葉をちゃんと聞いており、恐らく本来のからくり箱は一つの箱で、四つの箱を組み合わせることで完成するのだと発見したのだと理解した。
「恐らくですが、あの四つの箱は本来は一つの箱であるのでしょう」
「…つまり、あの四つの箱を組み立てるのが、本来の箱の謎であると?」
「だが、あいつは一つしか渡さなかったぞ」
「義晴様…来られたのですか」
お夏の言葉に異議があると現れた義晴は三九郎との会話に割って入る。
しかし、義晴のいう事には三九郎も同意であり、宗助は一つの箱を最初に渡したのだとお夏に伝えた。
「真意は天野殿にしかわかりません…これは私の推測にはなりますけども、あの箱を小春姫様しか開けることが出来ませんでした。そもそもの話、最初の箱を開ける事が出来なければ、一つの箱へと組み立てることも出来ません」
「箱を開けていないと部品を全て外すことが出来ない、ということだな」
お夏はその通りだと頷いた。
義晴が来ても顔を向ける事はせず、先ほどと変わらず部品を組み立てることに熱中している小春姫をちらりと見た。
「小春姫様が気に入ったこともあるのでしょうが…一日で箱を開けた小春姫になら全てをお渡しできると思ったのではないでしょうか…」
「…ない、と言えないんだよなぁ。俺が持てないからと流星を渡さなかったし…黄十郎は持つことが出来て、尚且つ振り回せるからあげたって話だしな」
「…宗助の作品達も必要な人物の手元に行くために人を使う傾向があります。作り手である宗助も作品の意思により、無意識に渡したと言う可能性はないでしょうか?」
「それも考えられるなぁ…」
義晴はこれは考えても仕方ないとこの件は放棄し、問題は小春姫が今作っているものだと意識の先を変える。
三人が話し合う間にも小春姫はいくつか部品をつなぎ合わせており、桜や紅葉、波打つ何かの部品などが出来ていた。
「…これは難解そうだ、流石に小春が完成させないと俺もどうしようもできないな」
「今は様子見で?」
「あぁ、そうなる…お夏、とりあえず小春は好きにさせとけ…ちゃんと食事も睡眠もとらせろ」
「はい、お任せくださいませ」
義晴はそう言うと父親に小春姫の状況を知らせてくると立ち去った。三九郎はそのままお供についていく。
お夏は立ち去る義晴に頭を下げて見送ると、変わらず部品を組み立て続ける小春姫を見ていた。
しかし、出来上がっている部品の数が手で数える程しか出来ていないことからもこれは一日では終わらないと見て、このあとどうやってこの集中している小春姫の世話をするか考えるのであった。
小春姫がからくり箱を組み立て初めてから三日経った。
あの小春姫がずっと箱を組み立てているという話は城中に広まっており、その箱はあのからくり箱の四つが実は一つの箱になるというとんでもない仕掛けの箱であった…ということも広まっていた。
そのからくり箱の仕掛けを小春姫が挑戦していると聞き、多くの者が応援していたのだった。
そんな小春姫とからくり箱の挑戦の状況を義晴は自室にて、寝そべる根付の獅子である深緋にもたれ、顎の下を掻いてやりながら三九郎から聞いていた。
「もう三日目か…」
「まさか三日も経つとは、思いませんでしたな…」
「進捗はどうだった?」
「横の四面は完成しているようでした」
「となると、天板と底版が残っていると…宗助のやつ、あんな箱をどうやって作ったんだ…」
三九郎はそれはいつものことだと遠い目をする。
「ですが、着々と組みあがっていますので、箱が出来るのも時間の問題かと」
「そうだなぁ…あ、そういえばあの庄左衛門がついに嫁を貰ったそうだな、あいつが見初めたそうだが…中々に器量がいいという噂だ」
「あぁ、それは俺の従妹です」
義晴は話を変えようと黄十郎の部下となる九条庄左衛門の話を出したが、三九郎の思わぬ言葉に目を見開いて驚く。
「お前の従妹かよ!?あの噂の庄左衛門の嫁!」
「えぇ、あの庄左衛門殿の嫁になりました…先日、婚儀に参加もしましたし」
「そういえば…前に親族の婚儀に出るからいない日があるって言ってたなぁ……」
「えぇ、そこで知ったのですが…その従妹が宗助の簪を持っていまして、少々奇抜な簪でしたが中々にしたたかでしたよ」
義晴はしかも宗助の簪が関わっているのかと口元を引きつらせたが、三九郎はそこまで構えなくてもいい話であると告げた。
「見た目は傾奇者のように派手でしたが、教養は高く、従妹の良き師として色々教えているそうです。元々従妹は厳しい花嫁修業を受けていたので教養は他の女子よりもありましたが、さらに出来る事を増やして多彩になっていましたね」
そんな簪が傍にいるなら他の親族も安心をしているという三九郎に義晴はそういうものなのかと思うのだが、三九郎の家は変わった風習から家柄的に大変緩い家だったと思い出すとそうなのだろうと思い直すのであった。
「ただ、その簪を見ているといつか俺にも宗助の作ったものを持つ時が来るのだろうかと思いましたな」
「なんだ、お前も欲しくなったのか?」
「いいえ、ねだるほどでは。…ですが、良き縁に結ばれると良いなとは思います…若もそうですが、この城の多くの者が宗助の作った物と関わりが増え、笑顔を見せるようになりましたから」
「そうだな…」
義晴は三九郎の言葉に確かにそうであると考えた。
”流星”と出会ったことで放浪の旅を終えて、この国で活躍するようになった黄十郎。
”狸の箪笥”を貰ったことで肌艶が良くなり、意気揚々に働くようになった鼓太郎。
”老婆の掛け軸”と出会った事で感情を顔に出すようになった導十郎。
”河童の木像”と出会った事で家族と笑顔を増やし、毎日楽しそうにしている玄三郎。
”風鈴”を義晴が贈ったことで生きがいを得たとさらに元気になった伝六。
それだけではなく、城の中でも多くの者が関わった。
とある女中は生涯の友を得たと笑い。
とある武官は娘の命を救われて恩人ならぬ恩物に感謝をし、とある小姓は簪の持ち主と婚約して、毎日幸せだと笑う。
義晴自身も宗助と出会ったことで忙しくも生きる世界が色づいたように多くの事を知った。
そして、小春姫もまた何かに出会おうとしている。
「あの村の者も宗助のお陰なのか楽しそうです、少々厄介な目に合いそうですが…それでも宗助を守る姿からあいつが何かしたことで大事にされているのが分かります」
「そうだなぁ…そういえば、あれからあの村にいるやつから連絡は来てないのか?」
「いいえ、ですが…相変わらずあの男が宗助のためと賊を捕らえてくれているそうです」
「…京の都は今はあまりいい噂は聞かないからな、やはり宗助の力が目的に見える」
三九郎も同感だと頷き、早く話とやらを聞きたいものだと義晴は思っていると遠くから歓声が聞こえた。
「義晴様、三九郎様、外から失礼いたします」
「なんの騒ぎだ?」
「小春姫様があの箱を完成させました」
「なにっ!?すぐに行くぞ!!」
「あ、若!!…何をするかわからないので動けるように他の者も近くで待機するように」
「御意」
義晴が三九郎と共に小春姫の部屋につくと、木の箱を膝に乗せた小春姫がいた。 やり遂げたとご満悦な笑みの小春姫に義晴が完成させたことを祝う言葉をかけると、小春姫はその笑みのまま義晴に箱を見せる。
「見て下さいませ、この箱を」
「あ?…こりゃあ、凄いな」
義晴だけでなく、義晴の後ろから覗いた三九郎は目を見開いて驚いた。
箱の側面にはそれぞれ春夏秋冬が装飾されている。
桜の木々と花に止まる蝶の春。
竹林の中から見える花火の夏。
紅葉に川辺に立つ雄鹿の秋。
雪と灯篭の傍に立つ猪の冬。
蓋には桜、花火、紅葉、雪の模様の装飾があった。
そこにはとても美しい箱があった。
「この箱には春夏秋冬があります」
「あぁ、猪鹿蝶も入っているな…しかも、これが全て部品をつなげ、重ねなければ出来ないというのが信じられない」
「それだけではありませんわ…箱の中を見てくださいまし」
箱をぱかりと開けて、中を見せる小春姫。
箱の中には何もないが…模様が描かれていた。箱の中で猪鹿蝶の影があり、外から見える位置と同じところにあるのだ。
「この猪鹿蝶、外側の装飾をはめ込むと浮かんできましたの」
「…もしかしたらこれは宗助は見えてない可能性があるな」
「えぇ、ここは宗助殿のお力のせいと思っています…実はこの猪鹿蝶が最初は別の位置にいましたの」
小春姫は蝶を指差し、最初は春ではなく秋にいたと告げた。
「秋の板に蝶の装飾をはめて、冬に鹿の装飾をはめたのです…その後に猪を夏にはめたところで…蝶と鹿が入れ替わっていました」
「…はめた所が違ったから移動した、という訳ではないのだな?」
「えぇ、はめこむ場所を確認しましたから間違いはないかと…」
義晴はふと一度小春姫の方に向けた目線を箱に戻すと…猪が春におり、鹿が冬に移動して…蝶は蓋の桜に移動していた。
「な、また移動してるぞ」
「なんと不思議な…先ほどまでは蓋には来なかったのに…」
「これだけとは思えないがな、箱は完成はしたのだから恐らく何かを起こすのは間違いない…何かあれば報告しろよ」
「えぇ、分かりましたわ…何をしてくれるのか楽しみですね」
ふふっと笑う小春姫は箱の蓋を撫でながらそう微笑んでいた。
箱を撫でる手の下にもぞもぞという感触がしてそっと手をずらすと蓋の夏と秋の場所に鹿と猪も移動しており、小春姫は撫でられるために移動したのだと気づいて、可愛らしい事をする箱に早速愛着が沸いてしまうのだった。
その夜。 今宵も眠れないと布団に入りながら、布団に入りながら小春姫は一人悩むのであった。
昨晩まではからくり箱を組み立てるために夢中で徹夜していたという理由をつけられたのだが今日からはそうはいかない。
どうやって夜を過ごそうかと思っていると枕元に気配がして、思わず息を潜めるように眠ったふりをする。
何者かと思ったが、気配が小さくまた足音がないのに気づいた。
《…姫様、今日も寝れないみたいだ》
《やはり夜が眠れないのか、それは可哀想に…》
《ならば、我らで何とかしよう…》
《今日からは蝶の兄弟達もいるのだから手はあるとも》
わいわいと枕元で話す何かの声は子供とは違う高い声で可愛らしい。
『蝶』という言葉から「もしやあの箱の関連なのでは」と小春姫は様子を窺っていたが、寝ていないのはバレているので目を開けると小さな人形が顔を覗き込んでいた。
《わっ!?》
顔を覗きこんでいた人形と目が合い、人形はころりと枕から落ちてしまった。
《なにをしてるのだ》
《いてて…姫様と目があってびっくりしちゃった》
《え、姫様と…?》
小春姫はそっと声がする方へ顔を向けるとあの四体の布で出来た人形…小人がおり、「わぁ!?」と声を上げると走り回る。
からくり箱の後ろに隠れるとそっと頭を出していた。
《姫様、僕らのこと見えるの?》
「えぇ、見えるわ」
《わわっ、お話も出来るよ!》
《わぁ、嬉しいなぁ》
《箱が元の姿になったから力が戻ったのじゃのう》
わあわあと可愛らしく小さな布の体で話す小人達。
小春姫はそんな小人達が可愛らしいとほっこりとしているとからくり箱は独りでに蓋が開く。
それを見た小人達はハッとしたように箱の中に頭を突っ込んだ。
《ごめんなさーい》
《姫様とお話出来るの、嬉しくて…》
《うんうん…なるほど!》
《鹿の兄様の方法を試してみよう!》
小人達はそう言うと箱の中から何かを取り出したり、青い人形が大きくなったりと動き出す。
《姫様、目を瞑っててね》
「何をするの…?」
大きくなった小人は枕元に座り、柔らかい布の手で小春姫の頭を撫でた。
髪を優しく手で梳き、丸く頭を撫でる柔らかい手。
心地よい手の動きに思わず小春姫は目を瞑ってしまう。
ざざぁん…ざざぁん…。
右から突然音がして、小春姫は驚くが…その音に聞き覚えがあった。
「(これは…波の、音?)」
そう、波の音であった。これは浜辺で聞いた波の音だと気づくと、そんなはずはないのに海にいるような気分になった。
ざざぁん…ざざぁん…。
さわさわ…さわさわ…。
別の音が左から聞こえる。
何かが揺れるような音、これにも小春姫は聞き覚えがあった。
「(これは、葉っぱが揺れる音だわ)」
「海辺の屋根がある小屋にて、心地いい風が吹く中、誰かに頭を撫でられている」 そんな感じがする、と小春姫はとても心地いい気分になって力が抜けて、瞼が自然と重くなる。
「(そういえば…海は随分と昔に、亡き母上と父上と一度行ったきりなのね…)」
そんな事を考えていたら小春姫は意識が飛んでいた。
ちゅんちゅん…。と、小鳥の鳴く声がする。
ととととと…と聞き馴染みのある足音が聞こえてきたと小春姫が思っていると…襖が開いた音がした。
「姫様、朝ですよ、起きてください」
「そう、朝………え、朝!?」
ガバリと布団から跳び起きた小春姫。
そんな小春姫にお夏はびっくりするが、襖から外の景色を見せて「夜が明けているでしょう?」と不思議そうに小春姫に教えた。
「うそ…本当に夜が明けてる…」
今まで長い夜を過ごしてきたのに、気づいたら朝だった。
つまりは、昨晩は寝れていたのだということ。
「小春姫様?」
「もしかして…」
小春姫が枕元のからくり箱を見れば、あの小人の人形達が箱の上に座っていたが、一体だけが枕元に転がっていた。
それは頭を撫でていた青い人形で、元の大きさだった。
この人形を見て、昨日眠れたのはこの人形達のお陰なのだと小春姫は気づいた。
「夢じゃない…」
「姫様…?」
「…何でもないわ、まだ確証がないもの」
そう、まぐれかもしれない。
そう小春姫は思って、義晴には言わないために黙っておくことにした。
でも、本当にこの箱と人形のお陰で眠れたのだとしたら…と考えると、小春姫は初めて夜が来るのが楽しみになっていた。
その日の晩も、寝つけない。
と思っていると今宵も小人の人形達が現れた。
《姫様~》
《今日も寝れない?》
《昨日とは違うのにしよう》
《今宵は麻呂が姫様にしてあげような》
がさごそと箱から道具を取り出した人形達。
白い人形が大きくなって枕元に座る。柔らかい布の手が一度小春姫の頭に撫で、櫛で優しく、髪を梳きだした。
木の櫛は先が丸く、頭皮に当たる感覚が心地いい。時たま額を撫でる手も心地よかった。
ぽつぽつ…、ぽつぽつ…。
ざー…ざー…。
「(これは…雨の音かしら?)」
水の音が二つする。
一つは雨粒が水面に落ちる音。
もう一つは雨粒が地面に叩きつけられる音。…これはよく聞く雨の音。
雨の降る中、静かな部屋にて髪を梳いてもらっている。
そんな気分になった小春姫は体の力が抜けて、また瞼が重くなる。
「朝だわ…」
気づけば、また朝になっていた。
今日はお夏がくるよりも早くに目が覚めて、朝日を浴びた小春姫は枕元のからくり箱に手を伸ばした。
「あぁ、お前達のお陰なのね…!私、やっと普通に眠れるのね…!」
からくり箱に頬をすりつけ、ようやく消えた悩みに笑みが零れる。
すると、人形達がいつのまにか膝の上におり、小春姫は人形の頭を一つずつ撫でた。
「ふふっ、可愛いらしい………なるほど、これは皆が宗助殿に過保護になるのも無理はありませんわね」
もし、このからくり箱に出会えなかったら自分は遠くない未来に体を壊していただろう。
そんな未来予想をすぐに頭で描いた小春姫は「もう、そんな未来はこない」と確信して、…その未来を消した人形と箱が自分のためと働いてくれたのだと思うと、とても愛おしいともう思い始めていた。
そして、持ち主のためと健気に働く道具達を愛おしくなるのも仕方ないことなのだと、他の宗助の作品を持つ者の感情を理解した。
自分を救ってくれた恩人…いや、恩物の作り手への感謝と、何かしたいという気持ちを持つのを。
「さて、義晴に話に行きますか」
小春姫はお夏が来たのを確認すると、義晴の元へからくり箱のことを報告しにいくのだと用意を始めた。
からくり箱と中に人形をいれた小春姫は義晴の元へ行くと、そこには義虎もおり、次の戦について話していたようだが、二人共小春姫を快く部屋の中へ入れた。
「箱を持ってどうした小春や」
「…その箱は何をしたんだ?」
「私にとても快適な眠りをくれましたよ」
小春姫は実は正月から夜に眠れなくなっていたことを話し、この箱のお陰でようやく眠れるようになったと経緯を話した。
二人は小春姫が眠れぬ病にかかっていることを知らなかったので驚いたが、宗助の作った箱により解消されたことを喜んだ。
「天野宗助殿…我が国の民を救ってくれていたのは耳にしていたが、小春も救ってくれていたのか…なんと礼を言えばいいだろうか」
「しかし、なんで言わなかったんだ」
「…この国の未来がかかっている私が謎の眠れぬ病にかかっているなど言える訳ないでしょう」
「だからといってなぁ…」
義虎は二人の言い合いをやめさせると今は小春姫が眠れるようになったことを喜びなさいと言って、小春姫が持つ箱の蓋に触れた。
「からくり箱殿、我が国の姫を救って下さり感謝する…願わくば、小春姫とその子供達を守り続けてくれ」
そうからくり箱に頼む義虎の手にもぞもぞと動く感触がする。
そっと手を退けた義虎の手の下には猪と鹿、蝶の装飾がいた。
「…承諾してくれたのか?」
「そのようです」
「ははっ、これは頼もしいな…俺の勘だが、多分このからくり箱殿はそれだけではない気がするな」
「え?」
義虎は「うーん…」と唸りながら、再度「これは勘だ」と言いながらも「この動物達の能力がまだある気がする」と小春姫に告げた。
義晴はそんな父の言葉を聞いて、「その勘は大変当たる」ことからも本当にまだ力を隠していると見た。
「多分、お前を寝かせたのはその人形の方の力じゃないか?」
「でも、道具を箱の中から出していまし…そういえば、確かに人形達は、『知恵は鹿に』と言っていたような…」
「…まぁ、また何かあれば報告してくれ。………しかし、そろそろあいつの作った物の情報を分別なりして、まとめないとなぁ、把握が難しくなるぜ」
義晴は宗助の作品が何処にいき、何をしたのか把握するために記録をしていたことを思い出す。
ただし、簪は数が多いから力が強いものだけ記録をしていたので小春姫が念のため他の簪も調査してやっているのだ。
「では、あの者に任されては?記録が仕事ですし、どうしようもない変人ですけども情報をまとめ、記録する能力はこの国で一番ですから」
「………そうなんだが、宗助が、あいつの……あれだよ、あの懸念の対象に入るかもしれなくて」
「……義晴が抱く懸念は大変よく分かりますが、いずれあの方と出会う羽目になるのですし…こちらが手綱をしっかりと握っていればいいのでは?」
「(ものすごく嫌そうな顔)」
「まぁ、嫌そうな顔……気持ちはわかります。私もすごく不安ですが、宗助殿の作品についての情報をまとめさせるには適任ではありますのよ」
小春姫は何度も不安、嫌な気持ちは分かると言いながらも義晴を説得する。
義虎も誰の事を言っているのかわかり、目が遠くを見てしまうが…小春姫だけでなく少なくない数の家臣や民を救ってくれている恩人の為を思うとあることを提案した。
「わしが正当防衛の許可するから、任命してはどうだ?」
「正当防衛?」
「あいつが宗助殿に手を出しそうなら全力で阻止するために殴っていいぞ」
「よし、それならいいな、三九郎に容赦はいらないと言っておくか」
「私の忍びも念のため護衛につけますわね」
にっこりとしだす二人に義虎は「まぁ、あいつだし、仕方ないよな」という顔で頷く。
「(何よりも宗助殿のためだしな)」
義虎はうんうんとまた頷くと小春姫の悩みを解決したくれた礼をどうしようかという話に変えることにした。
「で、宗助殿に何を贈るべきか…世話になった者は既に色々贈っているようだしな」
「俺はあいつの創作意欲を刺激するように作品になる素材を贈っているぞ、宗助はそれが一番喜ぶしな」
「ですが、そればかりなのはいけませんよ………そうだわ、宗助殿の身だしなみを整える方向にしましょう」
「身だしなみぃ?」
義晴はなんだそれはという顔をするが、小春姫は義晴の顔の前に指を三本立てる。
「まず一つめ、宗助殿を今後この城に呼ぶことが増えるでしょう。義晴のお気に入りということもありますが、この国にとって大事なお人です。なので、こちらからご依頼をする事もありましょうから城に来るのならば、身だしなみに気をつけねばなりません…良い身なりの者は宴に出させやすいですよ?」
「確かに、前に黄十郎や玄三郎が依頼してたな……祝いの席には参加させたいのはある」
義晴は確かにと頷き、義虎も今年の夏の大宴には恩人として呼びたいなぁと漏らした。
「二つめ、宗助殿の作品は既にこの清条の外に出ており、今も大変な活躍をされています………向日葵や竜胆の簪然り、先の駒丹の国や京の都の周辺でも宗助殿の作品は確認されたのですから、他国から会いたいという声もありましょう」
「……ある、今度惣元に会わせるつもりだ」
「で、あるならば身分の上の者に不快に思わせないようにしなければなりません…特に女性と会う時は大事です」
義晴は脳裏に黄奈姫を思い浮かべ、確かに一部高貴な身分の者も所持者であることを考えると確かに失礼のないようにするべきなのは正解であり、それは宗助を守るためにもなると考えた。
「三つめ、これが一番なのですが…身だしなみで、どこぞの馬鹿上流貴族に宗助殿をただの村民と侮られるのは大変腹立たしいのです」
「よし、全力でやれ、俺が許す」
「言われなくてもやります、…ただ服はお咲達に任せているのでそれ以外となるとあの方が受け取ってくれそうな物を選ぶのが難しいですね」
義晴と義虎と別れた後、自室に戻った小春姫はからくり箱の蓋を撫でながら宗助へ何を贈ろうかと考えていた。
着物は先ほど義晴にも言った通りお咲がいる花衣屋に任せていることや比較的手に入りやすいので、宗助が手を出しにくい物がいいだろうと考えていた。
「何を贈ろうかしら…、意外とこういう事は苦手なのよね、私」
傍に控えているお夏も「贈り物を選ぶのは誰もが難しいですよ」と励ますが、彼女も手助けしようと知恵を絞るが良い贈り物が浮かばない。
ただ職人である宗助が簪や薬入れなどを作っていたことから「身だしなみを整える道具は、自分で作る可能性がある」とは伝えられたくらいであった。
悩む小春姫の手の下でからくり箱の蓋からコンコンと音がする。
「え…?どうしたの…?」
「姫様?」
「今、箱から叩く音が…」
小春姫は撫でる手を止めて、そっと蓋を開けると中に木の欠片が三つほど入っていた。
「木…でしょうか?」
「これは……香木だわ!小さいけども強い香りがする!」
箱の中から木の欠片を1つ取り出すと香りを嗅ぐ。もう一つ取り出せば、違う香りがした。
「これは、白壇ね…もう一つは伽羅かしら」
「この箱は何を伝えたいのでしょうか…”組香”をしたい、と言う訳ではなさそうですね」
組香とは数種類のお香を組み合わせて、どの香りかを当てる遊びである。
権力者や格式高い家などはこの組香で遊ぶ者が多く、高級な香木などは権力者達がこぞって手に入れようとするが…義晴や義虎は香には興味はなく、また小春姫も嗜みとして遊びはするがそれよりも将棋が好きだったのでそこまでは興味はなかった。しかし、教養として習っていたので分かったのである。
「これは梅の木ね…、あ、もしかして香を贈れと言っているのかしら」
「なるほど、香は確かに高価な物ですから花衣屋も贈りづらいですね……それに小春姫が用意した香をつけていると知られれば、武家や名家などに舐められることもないでしょう」
「…いい選択だわ、それに宗助殿の性格から村の女性達にも使えるとなると受け取りやすいでしょうし…太郎殿やおゆき殿にも使うように言えば、町に来る時に使うでしょう…、私の箱はとても賢いのねぇ、とても助かったわ」
小春姫はからくり箱を撫でて、感謝を伝えればからくり箱はカタカタと動くのであった。
お夏はそれを見ながら、「では、香の商人をお呼びしますね」と小春姫に伝えると準備のために部屋を出たのであった。
また箱が用意した香木を入れる物を見繕いにも行ったのである。
その後、「香木では恐らく高価すぎて普段使いはしにくい」という商人の助言から、練り香ならば使いやすいと、六種類の練り香を注文したのだった。
宗助への贈り物を決め、後は現物の用意だけとなった小春姫。
その日の夜も寝床で横になっていれば、今日は黄色い人形が枕元におり、枕を足で挟むと今日は小春姫の耳に触れる。
《今日はお手入れなのです》
「お手入れ?」
《按摩みたいな感じですよ》
黄色い人形は手に何かをはめており、布の感触はない。ただ軟膏を塗っているのか滑りが良い。
耳を優しく揉みほぐす力加減と耳に触れる音に小春姫は心地よさからうっとりとしてしまう。
《姫様気持ちいい?》
「えぇ、とても…まるで極楽のようだわ」
《えへへ、よかったー》
さわさわ…。さわさわ…。
ぱちぱち…。ぱちぱち…。
耳の触れる音とは違う音に気付く。
小春姫はこの音は…と少し聞いて、これは冬に暖をとるための小鉢の中で燃える炭の音だと思い出す。
炭の火が小さくはぜている音で、この音も心地よいと小春姫は耳の心地よさもあってか力が抜けた。
小春姫が眠りにつくが人形達はしばしその音を出し続け、黄色い人形は耳を優しく揉みほぐす。
これは小春姫がすぐに目覚めにくくするためにしているのだ。
人形達は眠る小春姫に今日も眠れてよかったと喜ぶが…部屋の天井に気配を感じて、動きが止まる。
それは、この城の忍者の気配ではないからだった。
黄色い人形は小春姫の耳に触れながらも警戒するように天井を見ていると、一つの天板が外れて黒づくめの男が顔を出す。
その手には刀を持っていたことからも危害を加える気だとすぐさま判断した人形達は静かに気配を消した。
「小春姫…、覚悟…!」
男が天井から降りてきて、刀を振り上げたその時。
《おい、無礼者》
人形達が装飾のない木箱を掲げて、男の背後に立っていた。
木箱は開いており、箱の中身を見せるように木箱の口を男の方へ向ける。
男が突然声をかけられて振り向く間もなく、木箱の中へ吸い込まれた。
悲鳴を男は上げたが、その声は蚊が鳴くように小さく、小春姫は眠ったままだった。
木箱はパタンと閉じられ、人形達はフンスッと息をすると、男を入れた木箱を運び出した。
《全く、無粋なものがいたものだぜ》
《あぁ、せっかく、姫様が安眠しているのに》
《安眠妨害反対》
《これはここの忍びに渡してしまおう…まぁ、尋問の前に無礼者は箱の中で猪の兄上が追いかけまわし、鹿の兄上の難問と蝶の姉上の作った迷宮に苦しめられるであろうがな》
人形達は小春姫と話す時とは口調も声も変わっていた。
小春姫と話していた時は桃は可愛らしい口調、青は温かみがありのんびりとした声で、黄色はおっとりとした口調、白は好々爺を思わせる優しい口調であった。
が、今の人形達は…桃は口調が少々荒く、青は声に冷たさがあり、黄色は口調は端的になり、白はどこか圧のある声になっていた。
カタカタと箱が動く。
《なんだ鹿の兄上、…姫様の前で猫被ってるなら他の目も気にしろ?》
《分かっているよ、姫様に気付かれたくないからね》
《可愛い印象、大事》
《姫様が怖がらないようにと我々はこうすることに決めたのだから、最後までちゃんと続けるとも》
人形達は小春姫が女性なので、自分達に可愛い印象を持って欲しいと猫を被ることにしたのだ。
小春姫への献身的な行動は本心のものなため、健気で可愛い人形と見られるために。
いつの間にか木箱の装飾にいた鹿の顔はどこか「やれやれ…」という顔をしていた。
その後、三九郎を見つけた人形達は侵入者の入った箱を渡す。
三九郎は突然目の前に現れた人形達に驚くが、宗助の作ったからくり箱に入っていた人形だと気づくと、今回は何をしたのかと恐る恐る木箱を受け取った。
《中に姫様の命を狙った侵入者を捕まえた》
《侵入者は今、猪鹿蝶の兄姉達がお仕置きしているから、出てくるときには多分戦意喪失してる》
《明日に出れればいいね》
《長くても三日じゃないかのう》
「…そうか、お仕置きしてるのか」
三九郎はヒクリと口元が引き攣るが、手渡された木箱に小春姫の命を狙った者がいるのは確かなようなので、まずは牢屋にぶちこんだ。部下に見張らせて、出てきたところを捕縛できるようにしていた…のだが、それはいらないことだったと翌日に知る。
翌日の朝。件の侵入者は箱の中から出ていた。
しかし、ひどく怯えており、ずっと謝罪を繰り返しながら隅で震えていた。
その姿を見た三九郎は「言い方は可愛いが、やってる事が惨い事をしてたのでは?」と思いつつ、用意してた縄がいらず、これは聞きだすには精神的な治療がいるだろうと判断したのだった。 とりあえず少しでも情報をと聞きだしたが…。
「猪が、猪が追ってくる…!!どこにいようとも全てを破壊して、こっちくる…!」
「鹿さん、鹿さんお願いだから俺にも分かる言語で問題出して…!!」
「あああああああ…!!蝶が、蝶を捕まえればいいのに、なんでそこで床が抜け…、壁が迫ってくるのぉぉぉぉ…」
三九郎は「やっぱり惨いことしてた」と静かに天を仰ぎ、共に事情聴取をしていた部下の一人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で三九郎を見ており、また違う部下は侵入者の発言が全く意味が分からず固まった。
完全に壊れている。「え、これを事情聴取するの無理じゃね?」と思わず部下二人は三九郎を見たが、三九郎は遠い目をしながらも「時間かけてもいいからやれ」と命じたのだった。
このことを三九郎は小春姫と義晴に報告した。
報告を聞いた義晴は三九郎と同じく口元を引きつらせていたが、小春姫は「よくやったわね~!」とからくり箱と人形達を撫でていた。
「癒しだけじゃなく私を守ってくれるなんて、なんていい子なのかしら~」
「お前、それですますのかよ…一人の侵入者の頭を破壊してるんだが?」
「若、恐らくは持ち主としての贔屓目があるのでしょう…若もですが、黄十郎殿や鼓太郎殿も似た感じですし」
三九郎は脳裏に『流星宗助』と『狸の箪笥』を自慢する二人の姿を思い浮かべたが…玄三郎や伝六が『河童の木像』と『風鈴』が一番と語り出す姿も増えてきて、「あ、この二人だけじゃねぇか」と思い直した。 義晴は「え、あいつらと俺は同じなのか?」という顔をしているが…義晴の場合は『刃龍』や『星海』だけでなく宗助を自慢気に語るので、三九郎は一番厄介なのは義晴だと認識している。
「とにかく、姫の護衛に関しては夜は不要そうですな」
「うちのからくり箱達がいるからいらないわ!」
「うわ、すごい笑顔」
にぱー!!と自慢そうに笑みを浮かべる小春姫に義晴は相当気に入ったのかと思いつつも、小春姫は不眠の病にかなり参っていたのだと察して、深くは突っ込まないことにした。
三九郎も同感だと頷いていると部下の鳥が文を運んできたので受け取る。
「…………!、若、こちらを」
「あ?………ようやく戻ってくるか」
「えぇ、日時の指定をして欲しいと太郎達に言ったと…」
「…例の楚那村に滞在しているという都の者ですね?」
「あぁ、前に行った時は運が悪く責任者はいなかったが…帰ってくるってよ、さて、詳しく聞かせてもらわないとなぁ…お上様が、宗助に何をさせたがっているのかを」
そう語る義晴の目は獣のように、刃のように鋭かった。
その目を見た三九郎はコキリと指を鳴らし、小春姫は笑みを浮かべるがその目はギラリと輝いている。
それを見ていた刃龍は「うわ、こわっ…暫く静かにしてよ…」と持ち主達の戦意マシマシなその姿に引いていた。
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深夜の宗助が暮らす山の中。
雲が月の光を遮り、普段よりも暗い夜の陰に紛れて黒い影が宗助の家の中を警戒するように遠くから見つめる。
少し開いた襖から眠る宗助の姿を見た影はニヤリと笑い、鋭い牙と爪を出すと宗助を目掛けて走り出す。
黒い影が開いた襖に爪が届く寸前で、突如体を毛に覆われた何かによって拘束され、投げつけるように宗助のいる部屋から離されて地面に叩きつけられる。
一度叩きつけられても、そのまま体に巻き付いたまま何度も地面に叩きつける。
黒い影はボロボロになり、消えそうな意識の中で誰が自分を襲うのかを見た。
《妾の宗助様を襲うなど…命知らずが…!!》
月明かりに照らされた九本の尾をもつ大きな狐が自身を捕らえている姿だった。
その狐に黒い影は「なんでこんなところに」と驚きながらも、格が違う相手に抗うのを諦めて、目を閉じた。
九本の尾で体を引きちぎられた黒い影は、灰になって消えていく。
灰が風によって空へ舞い上がるのを見た狐はフン!と鼻を鳴らすと姿を変えた。
二足歩行になり、絢爛な着物と装飾を身に着けた姿になる。
その姿はどこか艶があり、顔は狐のままだが、何人もの男を落とせるであろう美貌があった。
姿を変えた狐は縁側に座り、うっとりとした表情で頬に手を添えながら、襖から見える宗助を眺めていた。
《はぁ…妾の宗助様、今宵も愛くるしい寝顔で…》
《お前さんの宗助殿じゃないだろう》
屋根の上から声が聞こえた狐はスンッと表情が消えると、すぐさま三本の尾を伸ばして声がした屋根を叩くが、声の主は「ほほい!」と陽気な声を出しながら避け、くるりと回りながら地面に軽やかに降り立った。
その生き物は袈裟を着て、大きな数珠を首につけた大きな狸であった。
《チッ!!》
《相変わらず野蛮じゃ…、うむ、宗助殿の眠りは良好なようじゃのう!》
「よく眠るんじゃよ~」と襖から見える宗助の姿に朗らかに笑う狸に、狐は尻尾でまたも遠ざけようとするが、狸は横に避けるだけであった。
《妾が一番可愛いがられておるのじゃから、妾の宗助様で間違いない》
《えー…儂も毛繕いしてもらってるし…他にもおるから一番じゃないじゃろ》
《黙れ刑部!妾がそうと言ったらそうなのじゃ!!》
《えー…無茶苦茶じゃもん…》
「なにこの子怖い…」と狸は引くが、宗助の体によじ登り、こちらを迷惑そうに睨みつける蜥蜴に気付き、狐に静かにするようにシーッと指を口の前に当てる。
それを見た狐は襖の中の蜥蜴に気付き、キー!!と声を上げた。
《あの蜥蜴!!妾がそこに入れないからと、これ見よがしに宗助様の上に乗っかるなんて!!妾も宗助の上に乗りたいのに!!》
《…お前さんさぁ、言葉の意味次第でそこの守ってる獣もじゃが、本気で儂も止めるからな》
《…可愛い狐がお昼寝を共にするだけじゃ!添い寝じゃよ、添い寝!》
「えへ!」と言うようにあざとい仕草をし始める狐に、狸は「やれやれ」と頭を振りながら、この家より遠くから見つめる存在の視線に気付き、ブワリと狐と共に毛を膨らませる。
先程の狐の発言の際に視線が鋭くなったので、本気でやめとけと忠告をしたのだった。
《わ、妾とて流石にあやつを敵に回すのが怖いしの…でも宗助様から求められば、もしかしたら許されるかの?》
《懲りない奴め…一回、お灸を据えられたのにまだ言うか》
《こぉん…だって妾の本性と言うか特性なのだものぉ…、そうやって長年生きてきたんだものぉ…》
《やれやれ…、とにかく今は宗助殿をお守りするのが我らの仕事じゃ…わかったな?九尾の狐》
狐…九尾の狐は「分かってるわよ」と頬を少し膨らませながら狸の方を向いた。
《それはこちらも同じじゃ、隠神刑部》
狸…隠神刑部は勿論じゃとニコニコとした顔で宗助を見ながら頷いたのだった。
二匹の様子を襖の隙間から見ていた蜥蜴こと蜥三郎は「あいつら、そろそろ安眠妨害だから騒ぐのをやめてくれないだろうか」と思っていたのであった。
例え、宗助に聞こえなくても、もしやの事があるので静かにして欲しいのだった。
また、この家の騒動を少し離れた木の上から見ている猿がいた。
猿は人より大きく、東の国の着物を着ていおり、頭には金の輪がはまっていた。
その木の下には多くの黒い影が倒れ、空へ灰となって消えていくのをチラリと見る。
《最近、やけに増えたネェ…そろそろ、あの子に近場にある大きな巣を直してもらうカァ》
猿はそう言うと部下の猿を呼んだ。
部下の猿達がすぐに集まると次のように指示を出した。
《大怪我したのに意地張って、我慢をしてる小猫チャンを探しておくれ、ここに隠れ住んでるからナァ》
猿達はその指示を聞くと山に散らばって行った。
それを見送った猿はまた宗助の眠る屋敷を見た。
《おやすみ、孩子…今日も、いい夢を見るんだよ》
優しい声でそう言った猿は高く飛び上がる。
その手には長い棒が握られており、未だこの山に潜む黒い影の元へ飛んでいくのであった。
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小春姫のからくり箱。
小春姫のからくり箱は、天野宗助によって製作されたとされるからくり箱である。清条の姫である小春姫が所持していたことで知られ、後世に伝わる伝承や逸話が数多く存在する。
このからくり箱は、四つの独立したからくり箱を分解・再構成することで一つの箱として完成するという極めて精巧な構造を持つ。
箱の側面には「春・夏・秋・冬」の四季が装飾として描かれ、天板にはそれらを象徴する意匠が集約されている。また、装飾の一部には「猪・鹿・蝶」が描かれており、これらは箱の内部機構に関係しているとされる。猪鹿蝶の意匠は固定位置を持たず、一定の周期で移動するように見えると伝わっている。
四つの箱をそれぞれ開くと、内部には「桃・青・黄・白」の色を持つ布製の人形が一体ずつ納められている。
小春姫のもとにこの箱が渡った経緯は、月ヶ原義晴と此枝三九郎が天野宗助の屋敷を訪れた際に勝負事の解決に取っ組み合いをしかけたため天野宗助が止めたことに始まる。
天野宗助は彼らに「力ではなく知恵で勝負をせよ」と助言し、「先にからくり箱を開けた方が勝者」とする試みを提案したという。
しかし屋敷内では誰も箱を開けることができず、城へ持ち帰ったところで小春姫の手により箱が開かれた。
その巧妙な仕掛けに感銘を受けた小春姫は宗助に譲渡を願い出、宗助は残る三つの箱を姫に贈ったとされる。
のちに小春姫はこれら四つの箱を組み合わせることで、本来の形を再現したと伝わる。※1
完成したからくり箱は、箱内の人形とともに小春姫の不眠症治療に使用されたと伝えられる。
人形たちは箱の中で心地よい音を奏でたり、振動によるマッサージのような動作を行ったとされ、小春姫の睡眠を助けたという。※2
この箱は不眠の解消に留まらず、姫の生活に多くの驚きをもたらしたとされる。小春姫は箱を通して知恵遊びや謎解きを行い、新たなからくり装置を考案していたという記録も残る。
また、城に侵入した者をこの箱が捕らえたという逸話もあり、侵入者たちは「猪に追われた」「鹿に難題を出された」「蝶の迷宮で迷った」と語ったと伝わる。
時代を経るごとに箱の”特異な力”は強まり、明治期には小春姫の直系の子孫に受け継がれた。
当時の子孫は病弱で外出が困難であったが、箱の中に“招かれて”からくり屋敷の内部で遊んでいたという。
さらに現代では、箱の外にもその姿を現すようになったとされる。月乃坂芳樹氏の自宅がテレビ取材を受けた際、小春姫の子孫であることが明らかになり、室内でくつろぐ猪と蝶、芳樹氏と将棋を指す鹿の姿が映された。この出来事により、少なくとも昭和期には箱の外に出現していたと推測されている。※3
※1 小春姫がこの箱を完成させるまでには三日を要したという記録がある。
※2 現代的には「ASMR」に近い現象とされる。不眠症の原因については明確な記録がなく、ストレス性の一過性症状であったという説がある。
※3 月乃坂芳樹氏(将棋棋士)の家におけるテレビ取材により確認されたとされる。




