第22章 山狼の屏風
このエピソードでは一部ホラーな描写がありますので、苦手な人はご注意下さい。
狐の薬入れもついに完成し、あとは防水の塗装が完全に乾くのを待つだけだ。
作業中、狐月が俺の作業場にしょっちゅう侵入してきて、作業中の俺をじっと眺めていた。
…もしかして、自分に関するものを作っているのを感じ取っていたのか?
期待に満ちたあの視線、やけにキラキラしていた気がする。
そんなある日、日差しが暖かく、もうすぐ春が来るなぁなんて話しながら太郎とおゆきと一緒に縁側でのんびりしていたら、「宗助さ〜ん!」という邦吾さんの声が聞こえてきた。
振り向くと、邦吾さんと花衣屋の店の人が大荷物を抱えて庭を回ってくるのが見える。
俺たちは慌てて駆け寄り、縁側まで荷物を運ぶのを手伝ったが…なんだ、この大量の荷物は。
「邦吾さん、この荷物…なんですか?」
「これはぜ〜んぶ、宗助さん宛ての贈り物ですよ!」
「俺に!?」
思わず聞き返したが、なんとこの荷物のすべてが俺宛の贈り物だという。
理由を聞けば、例の狼の屏風を買った武家の奥方が、花衣屋を通して俺に届けてきたらしい。
邦吾さんはニコニコ顔で、「あの屏風をとても気に入られたようですよ」と楽しそうに笑いながら、次々と荷物の中身を説明し始めた。
「狼の屏風を買ったのは、ある武家の奥方です。宗助さんは職人だから、贈り物も様々な材料や資材が多いんですが…これは着物に香料、茶葉、それから作物の種もありますね!あ、それとこれも」
そう言いながら、邦吾さんは懐から封じられた文を取り出して俺に差し出した。どうやら手紙らしい。
俺はこの時代特有の、あのミミズみたいな崩し字は書けないが、読むのは問題ない。
というのも、高校時代の古文の授業で、古文好きの爺ちゃん先生が「これはなんと読むでしょう?」とクイズを出してくるたび、驚かせたくて必死に勉強したからだ。
その成果で、テストの点だけじゃなく、「こんなに熱心に古文を学んでくれる生徒は初めてだ!」と先生が泣いて喜んだのは良い思い出だ。
そんなことを思い出しつつ手紙を読み進めると、要約するとこうだった。
【あなたの描いた狼の屏風のおかげで、子供たちが元気に生まれました。
そのお礼として、作者であるあなたに感謝を込めて、そして今後の活躍を願って、贈り物をさせていただきました。】
とのこと。…狼の屏風のおかげ?
なんのことだ?と首を傾げていると、俺の頭を後ろから太郎がぺしっと戻し、おゆきが後ろから覗き込み。
「あの屏風、迫力があったからきっと曲者が驚いたのかもね」
なんてさらっと言った。
…まぁ、あの狼のモデルは某物の怪の姫の母親である大狼だしなぁ。迫力はそりゃあるだろうけど…。
「とにかく、これは宗助さんへの贈り物です。ありがたく受け取ってくださいね。」
邦吾さんがそう促すので、俺はありがたく荷物を抱えた。
そうだ、せっかく茶葉もいただいたし、さっそくお茶でも淹れよう。
「お茶、淹れますけど邦吾さんも飲んでいきます?」
「ぜひ、ご相伴にあずかります」
早速、いただいた茶葉の包みを開けてみた。
武家の奥方からの贈り物だし、きっと上等な茶葉なんだろう。いい香りがする。
…うん、そろそろ本格的に茶器を作ろうかなぁ。
そういえば、隣村の村長は茶道が趣味だったよな。今度アドバイスでももらいに行くか。
それにしても、このいただいた材料を使って何を作ろうか。
城で見た花をモチーフにするのもいいし、村長の家の庭に咲いてた百合も綺麗だったなぁ。あれをモデルにした作品、いいかもしれない。
そんなことを考えていたら、案の定、太郎とおゆきに「客人の前ではやめなさい!」と怒られた。
いや、創作意欲が湧くのは止められないんだよ…!
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楚那村に突然、厳しい冬のような寒さが訪れてから数日後のこと。
清条国の城下町、常和にある花衣屋では、新たに置かれた大きく立派な屏風が商人や町民たちの間で大きな話題になっていた。
話題の中心にあるのは、今もっとも注目を集めている職人こと天野宗助による新作屏風。
そこに描かれているのは、神々しさを感じさせる白い狼の姿だった。
「立派な狼だ…」
「なんてきれいなの…白い狼なんて、まるで神の使いのようだわ…」
「威厳に満ちた堂々たる姿…この中央の狼は、きっと群れの長なのだな…」
それぞれのため息交じりの感想に、花衣屋の邦吾は満足そうに深く頷いていた。
「そうだろう、そうだろう…!」と心の中で誇らしげに思いながら。
…この様子、もし後の時代なら”後方彼氏面”と呼ばれるかもしれない。
一方、そんな夫の様子を見ていた妻のお澪は、苦笑しつつも「今度はどんな出会いが見られるのかしら」と密かに楽しみにしていた。
「まぁ、なんて子沢山な狼なのかしら!私の赤ちゃんもたくさん産まれてくれるかしら…これくらい欲しいわねぇ」
「奥方様…この屏風の狼、子供が六匹もいるように見えますが…」
「えぇ、六人くらい欲しいの!」
「多すぎますよ…!」
ほんわかと語る若い奥方と、呆れつつも彼女を気遣う世話役の女性。
そのやり取りに、自然と周囲にも微笑みが広がる。
その奥方の大きく膨らんだお腹を見て、お澪はすぐに思い出した。
彼女は、下崎家の若奥方。
婚姻から数年かけてようやく授かった、下崎家の待望の子を宿していると、城下でも噂になっていた。
お澪は微笑ましい光景に目を細めていたが、次の瞬間、屏風の狼に違和感を覚えて思わず声を上げた。
「…え?」
「どうした?」
「今…狼の目が…動いたような気がするの、まるで何かを見ているような…」
お澪の言葉に、邦吾も屏風に目を向ける。
一見、何の変化もないように見えるが…確かに、どこか狼の視線に意思のようなものを感じた。
その視線の先にいるのは…下崎家の奥方。
邦吾はまさか…と思いながら、奥方と世話役の様子をそっと観察した。
「それより奥方様、もういつ生まれてもおかしくないと産婆様も仰っていたでしょう?そろそろ屋敷に戻りましょう?」
「うーん、でも…あの屏風が気になってしまって…。私の部屋に置きたいわ…!」
「ま、まぁ…確かに立派ですし、お部屋も華やかになりますが…」
「決めたわ!そこのお店の方、この屏風をいただけます?」
邦吾は「なんて都合がいいんだ…!」と心の中で思いながらも、もちろん屏風を売ることにした。
ただし屏風はかなりの大きさだったため、下崎家の屋敷まで運ぶことに。
邦吾は大旦那に屏風が売れたことを報告し、荷車の手配に向かった。
その間も、奥方はじっと屏風を見つめ続けていた。
そこへ、突然声を荒げる男が現れる。
「俺が買おうとしてた屏風を…女が先に買うなんて!」
男が奥方に食ってかかろうとした、次の瞬間。
邦吾の耳に、グルルル…と低い唸り声が聞こえた。
驚いて振り返った邦吾の目に映ったのは…奥方の隣に立つ、大きな白い狼の姿だった。
狼は鋭い牙を剥き、男をじっと睨みつけている。
そして、ふわりとした大きな尾で、奥方を守るように隠した。
その姿には、誰もが感じ取れるほどの威厳と、圧倒的な威圧が満ちていた。
「(…もう、屏風はこの奥方のものだと決まったんだな)」
邦吾はその光景を見て確信する。
男がまだ食い下がろうとしたが、邦吾が毅然とした態度で再度伝える。
「申し訳ありませんが、こちらの方が先に購入を決められましたので」
さらに、邦吾には見えなかったが、彼の後ろに立っていた桜の簪をつけた美しい女性の霊が、男をものすごい形相で睨んでいた。
美人の怒る顔ほど恐ろしいものはない。その圧に耐えられず、男は青ざめた顔で逃げ出してしまった。
奥方と世話役は喧騒に気付くことなく、「屏風が楽しみね」と穏やかに話しながら店を後にする。
その様子を見送りながら、邦吾は思った。
「(…しかし、あの屏風、最初からやけに過保護じゃないか?)」
屏風の不思議さに、邦吾は首を傾げるのだった。
《…あの男、嫌な気配でしたわね。》
《うむ…しかし、我らが妹と、その倅がいるのじゃ。しっかりと守るじゃろう》
《えぇ、そうですよね…姉上様、でも、この妙な胸騒ぎは…なんなのでしょうか》
《…姉上に、報告しようかの》
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下崎家の現当主の奥方、月乃の部屋に狼の屏風が置かれた。
その屏風に描かれているのは、白く輝く毛並みを持つ、どこか神々しさを感じさせる狼。
その威厳ある姿に一目で心を奪われた月乃は、すぐにこの屏風を自分の傍に置くよう命じた。
屏風を見つめながら、月乃は大きく膨らんだお腹をやさしく撫でる。
「本当に綺麗な狼…それに、こんなに子沢山なんて…何だか縁起がいいわ」
ふと、部屋の外から夫の声がかかる。
「月乃、いるかい?」
「信樹様…はい、おりますよ」
部屋に入ってきた月乃の夫、信樹。
彼は目に飛び込んできた屏風に目を丸くし、白い狼の姿に思わず言葉を漏らした。
「…なんと神々しい狼だ…」
「一目惚れしましたの」
「あぁ、わかるな…こんなに美しい狼の屏風は見たことがない」
月乃は屏風を指差しながら、目を輝かせて続ける。
「それに見てくださいませ、信樹様!この狼は六匹も子供がいるのです、なんだか、私もこんなにたくさん欲しくなりましたわ」
「…さ、さすがにそれは多くないか?」
苦笑しつつも、信樹は月乃の膨らんだお腹をそっと撫でる。
そして、屏風に描かれた狼にそっと目を閉じて祈った。
「どうか、狼よ、私の愛する妻が無事に元気な子を産めるよう、見守っていてくれ…」
「まぁ、信樹様ったら…私も同じことを祈りましたのよ…元気な子が産まれますようにって」
「ははっ…この狼を見ていたら、自然と祈りたくなってしまってな」
微笑み合う二人の姿を見つめる屏風の狼は、まるでその光景に安堵したかのように、ゆるりと尻尾を振ったのだった。
それから数日後。
月乃はお腹の子に子守唄を歌っていた。
しかし、突然襲ってきた激しい痛みに、月乃は思わずお腹を押さえてうずくまる。
「(…産まれる…!)」
母としての直感が、時が来たと告げていた。
隣の部屋にいる女中を呼ぼうとするも、痛みに声が出ない。
必死に這いながら、なんとか襖の方へ向かおうとしたその時…。
「グルルルッ!!」
部屋に響く獣の吠え声。
それは月乃の意識を、ふっと引き戻した。
次の瞬間、襖が勢いよく開く。
「奥方様っ!?なんですか今の声は…って、大変!奥方様が!」
女中はすぐさま他の者を呼び、産婆を迎えに行かせる。
月乃の手を握りしめ、懸命に声をかけながら意識を保たせようとする女中。
やがて産婆が駆けつけ、的確な指示を出しながら、出産の準備が進められた。
激しい痛みと戦いながらの出産。
何度も意識が遠のきかけるたびに、あの獣の声が聞こえてくる。
「(…誰?…あなたは、誰なの…?)」
痛みと安堵の波を繰り返しながら、ついに最初の産声が部屋に響いた。
「おぎゃあぁぁ!!」
産婆が安堵の息をつく。
しかし、月乃はまだお腹に違和感を覚えていた。
「まだ…いる…!!」
「な、なんですって!?」
産婆は急ぎ、最初の赤子を女中に預けると、再び月乃の元へ。
月乃の腹をそっと押さえ、確かにもう一人の命の気配を感じ取る。
「もう一踏ん張りじゃ!奥方様、頑張って…!!」
意識が再び遠のきかけたその時、再びあの獣の声。
「(見ていてくれるのね…)」
最後の力を振り絞り、ついに二人目の産声が響いた。
ぐったりとしながらも、月乃は産婆の労いの言葉を聞き、やっと子供たちに会えることに安堵する。
ふと、先ほどまで何度も助けてくれた獣の声が聞こえなくなったことに、どこか寂しさを覚えた。
ゆっくりと視線を向けた先、そこには狼の屏風。
その中央に描かれた大きな白狼が、まるで安心したように尻尾を振り、微笑んでいるように見えた。
「…狼が、笑っている?」
翌朝。
朝日の光に目を覚ました月乃を、夫の信樹が優しく見下ろしていた。
「起きたか、月乃…よく頑張ったな」
「私の赤子は…?」
信樹はそっと彼女の肩を支え、上半身を起こさせる。
隣には、双子の赤子が仲良く並んで眠っていた。
その愛おしい姿に、月乃は涙をこぼす。
「漸く、出会えたわ…」
しかし、その喜びの余韻を打ち砕く声が部屋に響いた。
「双子ですって!? 忌み子を産んだの!?」
月乃の涙は、義母のその言葉にすっと引いてしまう。
すぐに、義父の怒声が続く。
「なんてことを言うんだ!!」
信樹は信じられないといった表情で、月乃と赤子を抱き寄せる。
産婆が険しい表情で、静かに説明する。
「今でこそ珍しくはありませんが…昔は双子を”忌み子”として忌み嫌う風習がございました。ですが、鋤奈田藤次様や桜花姫様、木更津蘇芳彦様といった名高い方々が双子は吉兆であると広めたことで、祝福されるようになったのです…とはいえ、未だに古い風習に囚われている家もあるようですね」
最後に産婆は月乃を労い、帰り際にそっと忠告する。
「奥方様、義母上には…どうかお気をつけくださいませ」
その言葉の重みは、月乃の胸に深く残るのだった。
その忠告が正しかったと知るのは、日を跨ぐこともない、数時間後のことだった。
双子の誕生を知った義母は、激昂しながら月乃の部屋に押し入ってきた。
「弟の方を渡しなさい!!この忌み子を…!!」
月乃は出産を終えたばかりの、まだ力の入らない身体で必死に布団に覆いかぶさる。
その布団には、産まれたばかりの愛しい双子が眠っている。
「渡さない…!!失せろ!!」
母としての本能が、猛然とした母狼のような声をあげる。
しかし、義母はその声に怯むどころか、狂ったように月乃の背中を叩き始めた。
その時。
「何をしているのですか、母上!!」
信樹の怒声が、部屋中に響き渡る。
少しの間、月乃の様子を見に行っていた信樹は、戻ってきた途端、目を疑った。
産後間もない妻に狂気に駆られて背を叩く母の姿。
そして、その母を背で覆い隠すように、必死に赤子を守る妻。
「母上…許しません!!」
信樹はすぐさま義母を月乃から引き剥がし、部屋の外へと放り出した。
廊下に転がった義母の前に、すぐに義父の信佐次が立ちふさがる。
その姿は、まるで城門を守る大将のような威厳に満ちていた。
「孫を産んだばかりの月乃さんに、何をしているのだ!!」
「あなた!!この女は双子を産んだのですよ!? 忌み子を産んだのです!!」
義母はなおも狂ったように叫ぶ。
その声に、息も絶え絶えだった月乃は、震える声で抗う。
「私の子は…この世に…忌まれた子じゃない…!!」
「分かっているさ」
信樹はそっと月乃の背を支えながら、母を鋭い眼差しで睨みつける。
「俺の子は、産まれるべくして産まれた子だ!!喜ばれるべき、愛しい我が子だ!!」
信佐次も深く頷き、女中たちも声を揃えて同意する。
しかし、義母はなおも言葉を続ける。
「双子は…下の子は死なねばならないの!!」
その言葉に、信樹の額には青筋が浮かぶ。
「母上…!!っ、父上!母上を母屋に閉じ込めてください!俺の大事な月乃と息子達に近づけないでくれ!」
「…分かった」
義父は深く頷き、すぐさま家の者に命じて義母を母屋へと連れて行かせた。
その間も双子の下の子を渡せと騒ぐので信佐次は狂った妻の姿から目を反らした。
そして、息子夫婦を見つめながら、穏やかでありながらも決意のこもった声で続ける。
「信樹、月乃さん…お前たちは月乃さんの体調が戻ったら、この屋敷を出なさい。安全な場所を用意する、…孫たちが健やかに育つためにも、早急に手を打とう」
「…お義父様、申し訳ありません…ありがとうございます…!」
「謝ることはないさ! 可愛い孫たちのためなら、手間なんて思わないよ!」
信佐次は嬉しそうに声を弾ませ、ふと思い出したように尋ねる。
「それにしても…性別はどっちなんだ?」
「…どちらも男の子です」
「おぉ!!男の子が二人も!!」
小躍りする信佐次の姿を見て、月乃は自然と微笑む。
心から孫の誕生を喜んでくれている義父の姿に、義母の言葉で傷ついた心も少しずつ癒されていく。
信樹はそんな月乃をそっと抱きしめながら、ふと視線の端に屏風の白狼がゆっくりと尻尾を振るのを見た。
目をこらすと、そこには優しい瞳で見守る狼の姿があった。
翌朝。
義母が再び動き出す気配を感じ取った月乃は、双子を抱きかかえて屋敷の中を逃げ回る。
女中たちは一丸となって月乃を守り、義母の動きを察知するたびに、信樹へと知らせに行く。
「奥方様ったら、何を考えているのかしら…! こんなに可愛い赤子たちを…どちらか殺すなんて!!」
「でも…奥方様が考えを改めるまでは、あの方はきっと狙い続けるでしょうね…この屋敷の構造は義母様が一番よく知っていますし、忍び込まれる可能性も…」
女中の一人が懸念を口にすると、他の者たちも次々に頷く。
やがて、信樹が安全を確認しながら月乃を迎えに現れた。
そこで、女中たちは再び義母の執念の恐ろしさを伝え、ある提案をする。
「安全が完全に確保されるまでの間、月乃様と赤子様たちは…ご実家へ避難された方がよろしいのではないでしょうか?」
信樹はその言葉を重く受け止め、深く頷いた。
「…その方がいいかもしれないな。すぐに準備を進めよう」
その後、信樹の部屋で月乃は双子の我が子を腕に抱きながら漸く安堵する。
そんな様子の月乃に信樹は双子の片割れを腕に抱き、月乃をもう片方の腕で抱きしめた。
安心をさせるように、無事をかみしめるような信樹に月乃は優しい笑みを返す。
「お前達が無事ならば、俺はいい」
「私もです」
「でも、どうして奥方様は弟様を狙うのかしら…双子ならばどちらか、というのは聞いたことはありますけど、下の子に拘るのは何か意味があるのでしょうか…?」
女中の言葉に月乃と信樹は確かにそうだと思い出す。
義母は弟を渡せと言っていたと。
「確かに、もし…双子を忌むのならば、どちらかを渡せというであろうし、もしくは両方をと言うだろう…何故下の子に拘るのだ?」
「ねぇ、信樹様…義母上様のお家ってそういう風習があると聞いたことはありますか?」
「いや、特には…母上は家の事はあまり話さないし…今、思うと、母上は実家に帰るのを嫌がっていたな」
実家とは疎遠なようだ、と月乃は判断しつつも腕に抱く双子を強く抱きしめて、絶対に守ると誓った。
だが、その日の夜のこと。
義母の声と共に複数人の足音が聞こえた。
月乃は布団の上の双子をそっと抱き上げた。胸の鼓動が激しく波打つ中、足音を忍ばせて部屋の奥へと身を潜める。
「お待ちください母上!、くっ、離してくれ!!」
遠くで聞こえる信樹の声。
どうやら誰かに阻まれているらしい。
遠くで女中の悲鳴も聞こえ、月乃は逃げれるように、隣の部屋の襖を開けながら義母の気配を感じていた。
「ここよ」
月明りの中で障子に義母と複数の人間の影が浮かび上がる
障子は開けられ、そこには恐ろしい顔をした義母がいた。
「いたわ!!双子!忌み子よ!」
「義母上様!この子達は忌み子ではありません!!」
月乃の叫ぶ声を義母は気にしていないのか、早く下の弟を奪えと近くにいる男達に指示を出した。
男達が一歩踏み出す前に月乃は事前に開けておいた襖から走り、部屋を出た。
「わが子は渡しません!!二人共私の可愛い子です!!絶対に渡さない!!」
「っ、待て月乃!!」
母として、双子を守るために両腕で抱えて逃げる月乃は、後ろから追いかける義母とその親族の手からどう逃れようかと必死に考えていた。その時、出産の時に聞こえた獣の唸り声が再び耳に届いた。
万全の体ではない中、双子を抱えた月乃に義母の親族の男が追いつき、「渡せ!」と手を伸ばしてくる。月乃は背で子を庇うように身を固めた。
その瞬間、月乃の横を白い影が駆け抜けた。
「な、なんだ!?ひぃっ!!!」
『グルルル…』
男の悲鳴に月乃が振り返ると、どこから現れたのか白い狼が月乃と男の間に立ちふさがっていた。狼は追いついた義母とその親族たちに向かい、低く唸り声をあげ、鋭い牙をむき出しにする。
「な、なんだいこの狼!?」
「じゃ、邪魔だ、どけっ!」
『グルルル…!!』
親族の男が手を払おうとすると、狼はさらに大きく唸り、威嚇して歯をカチカチと鳴らした。月乃は狼の出現に驚きながらも、今が逃げる好機だと走り出す。
どこへ逃げるべきか分からず、とにかく夫である信樹が来るまで隠れられる場所を探す。そんな中、別の白い狼が月乃の前に現れ、まるで「ついて来い」と言わんばかりに先導し始めた。
不思議とついて行くべきだと感じた月乃は、狼の後を追う。だが、狼が導いたのは月乃の自室だった。ここでは捕まってしまうと部屋を出ようとするが、狼はさらに奥へ行けと促す。
月乃は狼の言う通りに進み、そこは彼女が一目惚れして購入した狼の屏風の前だった。
「まさか…?」
狼を見れば、その狼は目を細めると屏風に頭を突っ込んだ。
「え!?」
屏風の中からバウバウと鳴く声が響く。狼は頭を引き抜くと警戒するように部屋の外へ唸り声をあげた。すると、何かが襖を突き破り、先ほど義母たちを足止めしていた狼が傷を負いながら飛び込んできた。
「きゃいん!」
悲鳴を上げる狼には切り傷があり、月乃は駆け寄る。狼の後を追って現れた義母とその親族の一人が刀を持っていたことで、彼が狼を傷つけたと察する。
「ここにいたのか…!」
「その狼は不吉な子に違いないわ!!」
早く双子を、下の子を渡せと迫る義母に、月乃は首を横に振り、傷ついた狼と双子を庇うように身体を張る。義母が拳を振り上げたその時、部屋に低く重い唸り声が響いた。
唸り声は次第に増え、月乃はその声が後ろの屏風から聞こえていることに気づく。
「屏風…から?」
月乃の言葉に義母が屏風を見ると、そこに描かれた狼の顔は牙をむき出し、怒りを浮かべていた。狼の目と合った瞬間、その顔が屏風から突き出し、義母は悲鳴を上げて腰を抜かした。
のしっ、のしっと重みのある足音を立てながら屏風から現れた狼は、人よりも大きく、天井に頭がつきそうなほど巨大だった。狼は月乃の後ろに立ち、優しく尻尾で彼女を包み込む。
《そなたら、これ以上の蛮行は許さんぞ…月乃様と坊だけでなく、我が子まで手を出してくれたな》
狼が喋ったことに月乃は目を見開く。だが、その声は月乃には優しく、「もう大丈夫だ」と小さく告げる。狼は義母に向けて前足を一歩踏み出し、低い唸り声とともに鋭い牙を見せつけた。
「ば、化け物…!!」
《ははっ!お前達に恐れられても構わない。我が主である月乃様を守れるならば、何と呼ばれようともな》
狼は高く遠吠えをあげると、屏風から次々と白い狼たちが姿を現した。狼の群れは月乃と双子を守るように囲み、義母とその親族たちに向かって一斉に吠え立てた。
そこに漸く信樹が月乃の元へやってきて、彼女へすぐに駆け寄った。
「月乃!無事か!?」
「あなた、……屏風の狼さん達が守ってくれたのです」
「……やはり、天野職人の作ったものだったか」
月乃はそれはどういうことかと聞けば、不思議な物を作る職人がおり、その名前が天野宗助という職人であるという。
その職人の作った物は何かが起きるという噂があった。
月乃はそういえば、この屏風を買った店で……『天野宗助職人の新作』であると言っていたと思い出した。
「そういえば、店員さんが天野宗助職人の新作だと言ってました」
「……ということは、狼が現れたのも理由がつく」
本当に何か起きたな、と信樹は思いつつも、妻を守ってくれたのには感謝しかない。
対して、月乃は出産の時に聞こえたあの鳴き声は狼だったのだと気づき、今も守ってくれる姿から既に白い狼に感謝と信頼の気持ちに溢れていた。
そんな二人を他所に逃げ回る親族達は庭に逃げ出した。
狼達はそんな親族を追いかけるので月乃達も身の安全を守りながら狼達を追いかけた。
庭へ逃げた親族は狼に追われている……のではなく、なぜか苦しそうにうずくまっていた。
狼達はそんな親族へ唸り声をあげている。
「これは一体…」
《やはり、何かにとりつかれておったか》
「とりつかれる…?母上は何かにとりつかれているのか?」
義母達の様子が明らかにおかしいと近づこうとすると傍にいた狼に止められる。
狼達は二人を守るように陣を組み、義母達と月乃達の間には大きな狼が立っていた。
《くるぞ、大元が》
「「え?」」
狼の言葉にどういうことかと問おうとしたが、二人はぞわりとした感覚に咄嗟に双子を守るために抱き合う。
来る。何か来る。いてはいけないものが来る。怖いものがくる。
二人は近づいてくるものは何かは分からない。しかし、本能が、感覚が、頭が、それはいけないものだと感じとった。
ざっ、ざっ、ざっ。と、人が歩く音がする。
でも、たどたどしい。ゆらゆらと音が定まっておらず、酔っぱらっているかのような千鳥足であるのが二人には余計に不気味さを感じさせた。
少しずつ近づいてきたそれは…月明りの中で、それは姿を見せた。
信樹はその人物に見覚えがあった。
「大爺様…?」
その人物は一度だけ母親の親族の葬儀で遠くから見た大爺様と呼ばれていた人だった。
信樹の記憶では杖をつき、誰かに支えられて歩いていたのだが、今は自分の足で歩いている。
「……せ…」
「大爺様、何故、ここに」
「…い……こせ…」
「…なんと言っておられて?」
「ミタマノ…イノチ、ヨコセェ!!!!!!」
大爺は目を赤く光らせると首を後ろに回し、ぐねぐねと動かしながら月乃達へ駆けだした。
尋常ではない姿に月乃は悲鳴を上げる。信樹は月乃を、双子を守るため背に庇うが、二人の元へは狼達が行かせない。
大きな狼が殴るように前足で大爺を突き飛ばす。
大爺はぐぴゃあと人と思えない声を出している。
《なんとおぞましい、どれだけの命を喰ろうてきたのやら》
「な、なんなのだ、あれは…!」
《あれは人にあらず、多くの赤子の命を喰らい、醜く生きた化け物》
大爺はガタガタと震えたながら起き上がり、ゆらゆらとした動きで月乃達の方へ向きを変えると。
後ろに回った自分の首をへし折った。
「ひっ」
「……は?、え?」
大爺はへし折った首をねじ切るように体から離すと投げ捨てる。首があった場所から黒い木のようなものが生えて、大きくなっていく。
《双子は神の祝福を与えられた子、下の子だけを喰らいその魂から祝福を取り込み、残った上の子は下の子の縁を辿ってじわじわと魂を喰らうことで、その身にあまる力を手にしていた》
大きく成長し、大人の背丈ほどの大きさに成長した木の幹には恐怖、怒り、嘆きの顔が無数に現れて泣き叫ぶ。
太く伸びた枝から糸のようなものを出して義母達の首にくくりつけて、吊り上げる。
首吊りの姿となったことで、彼らは苦しいともがいている。
「義母上様!!」
「母上!!」
おぞましい姿となった大爺。
その姿に恐怖しか感情が出なかったが、苦しむ義母の姿に二人は思わず声に出す。
そんな声をあざ笑うように大爺は不快な音を出していた。
「狼さん!義母上様を助けて!!」
《月乃様、よろしいのですか?あなたを殴った女ですぞ?》
「…我が子を狙ったことは許せない、でも……ここに嫁入りに来た日に優しく受け入れてくれたお義母様が、子供が出来なくて不安だった時にいつも寄り添ってくれて、励ましてくれた義母上様が……」
『月乃さん!ようこそ、下崎家へ!慣れないことはゆっくり覚えていけばいいから大丈夫よ!』
『子供は授かりものだもの、焦っては駄目よ!……親族達が何か言おうものなら、すぐに呼んで頂戴!私が女中達とこの家から叩き出すから!』
『月乃さーん!お茶しましょ~!』『月乃さん』
目を瞑れば、豹変する前の優しい義母の姿が浮かぶ。
いつも気が滅入らないようにと明るく声をかけてくれた義母に月乃はいつも助けられていた。
「大好きなんです、本当のお母様のように思っていますから…!」
《相分かった、月乃様のお願いだもの、叶えましょう》
大きな狼は優しい声で嬉しそうにそう言うと、遠吠えをして狼達を指揮する。
《息子達よ初仕事であり、大仕事じゃ!あの化け物を討伐し、月乃様の義母上を救出するぞ!!》
狼達は気合を入れるように遠吠えし、果敢に大爺に飛び掛かる。
大爺は頭の木を振り回して抵抗しているが、狼達は枝を一本ずつ噛み砕いていき、吊られた人を下へ落としていく。
落ちた人も狼が月乃達の方へ運んでいき、少しずつ救助していった。
義母も下ろされ、月乃の前を運ばれると月乃はすぐに義母へ駆け寄った。
「お義母上様…!!」
「…大丈夫だ、息がある」
「これで、全員救えたのね」
《えぇ、ここからは加減はいりません…》
今まで、月乃達を守るため傍にいた大きな狼は唸り声をあげながら大爺へ駆け、木の大きな幹に食らいつく。
鋭い爪と牙を食い込ませ、バキバキと音を立てて太い幹をへし折っていく。
大爺は恐ろしい悲鳴のような声を上げるが、大きな狼は容赦なく、体から生えた木をへし折った。
「ぎャア嗚阿亜アあ吾合…!!!!!!」
おぞましい悲鳴に月乃は双子を抱きしめ、信樹は月乃に覆いかぶさって守る。
大きな狼はやかましいと体を切り裂いた。
大爺は奇声を上げながら塵になっていく。
へし折られた木が塵になると、その中から子供達の笑い声と蛍のような光達が現れて天へ昇っていった。
月乃はきっと今まで食べられた双子の子供達の魂なのだと気づき、次に生まれ変わる時はあの子達が幸せに生きますようにと祈った。
祈る月乃の耳には「ありがとう、その子達を幸せにしてね」と囁く子供達の声が聞こえて、誓うように頷いた。
「うぅ…」
「!、義母上様!」
「母上!」
意識が戻った義母は首を摩りながら起き上がると月乃の腕の中にいる双子に目を大きく見開く。
二人は義母に奪われるのではと警戒したが、義母は涙を流し、歓喜の声をあげながら月乃を双子ごと抱きしめた。
「月乃さん!双子を産んだのねぇ!孫が二人も出来た!嬉しい!赤飯炊かなきゃ!!」
「忌み子と、言わないんですか…?」
「忌み子!?なんでそんなことを言うのよ!!一人でも嬉しいのに、二人よ!性別は…おくるみの色からして二人とも男の子ね!月乃さん、子育ての時は何時でもお助けするから頼って頂戴!」
きゃー!嬉しいー!と子供のように喜ぶ義母は先ほどとは全く違う。
騒ぎに気付き、駆け付けた信佐次は倒れている義母の親族と狼の群れ、そして大きな狼に驚く。
「な、何が起こったんだ!なんだこの狼達は!?」
「あ、あなた!見て!双子の孫よ!孫が一気に二人になったわぁ!ご馳走用意しなきゃ!」
「お、お前…もしかして、いつものお前に戻ったのか!?」
信佐次はよかったと義母を抱きしめる中で義母は傍にいる狼に漸く気づき声をあげるが、すぐにもしかしてと思い出す。
「白い狼…もしかして、夢の中で、私を助けてくれた狼さん?」
「夢、ですか?」
「えぇ、ずっと黒いものに捕まって、逃げたくても逃げれなかったの……でも、白い狼さんが黒いものをやっつけてくれて、光のある方に乗せて行ってくれたの…夢じゃなかったのね」
義母は月乃が産気づいたので、急いで産婆を呼ぶようにと女中に指示を出したことまでは覚えているという。
月乃と信樹は今まであったことを義母に伝えた。
双子を産んだ後に義母が双子を忌み子と呼んだこと、双子の命を狙ったこと、そして、大爺が化け物であったことを。
「そんな、大爺様が…化け物だったって、それに月乃さんと双子ちゃんにそんなことをしていたの…!?」
「あの時のお義母上様は正気ではなかったのですよ、だからいいのです」
「うぅ、ごめんねぇ、月乃さん…!」
「元に戻られて本当に良かった…」
謝罪を繰り返しながら、月乃を抱きしめる義母。
その後ろには義母の親族達もおり、説明を聞いて皆が頭を下げていた。
「俺達も正気ではなかったとはいえひどいことをして申し訳なかった…」
「にしても、大爺様がそんな恐ろしい人…いや、化け物だったなんて」
《わからぬのも無理はない、あれは二百年もの間お主達の家に巣くっており、力を蓄え続けていたのだ……まぁ、我らの敵ではないがな》
体を柔軟させるため、伸びをする大きな狼。
そんな狼に義母とその親族は地面に頭をつけて、感謝を伝える。
「我ら一族を救って頂きありがとうございました!命を救ってくれた貴方に何か恩返しがしたいのですが…」
《恩返しのう…我らは月乃様の屏風故、物はいらぬ…月乃様の傍にお仕えできるのならば本望であるからな》
「それなら花衣屋さんと狼さんの屏風を作った職人さんにお礼をするのがいいと思いますわ、確か天野宗助職人というお人です」
狼達は天野宗助という職人であると名を聞くだけで嬉しそうに尻尾を振った。
大きな狼も機嫌良さそうなので、これが正解なようだと月乃は思った。
《父上に贈るのならば、作品の素材になる物であれば喜ばれるぞ》
「じゃあ、いっぱい用意しないとね!私達の、二つの家の感謝の贈り物ですもの!」
「あぁ、君の家を救ってくれたことと孫の命を救ってくれた狼の屏風を作った職人へ贈る物だからな!」
「花衣屋さんにはお礼金と…何がいいかしら」
「いい評判を流そう、俺達の家に幸福を運んだものを買わせてくれた店だと」
楽しそうにあれがいい、これがいいと話し合う大人達の声に月乃の腕の中にいた双子は笑う。
そんな双子の声を聞きながら、大きな狼は幸せそうな家族の光景が見えて、ふさりと大きな尻尾を振った。
後日、花衣屋にて天野宗助職人へのお礼の品と手紙を届けて欲しいとお願いした月乃と信樹は腕に息子を一人ずつ抱いて屋敷へ歩いていた。
歩くのはそんな気分であったことや、隣にいる大きな狼と歩きたかったからである。
「しかし、母上の家が予想以上に闇が深かったな…」
「白月が言っていましたね、二百年も前から双子の赤子を食べていたって……義母上様の家に生まれた子は双子が生まれやすい家系だから狙われたと」
「そして、双子が産まれたら自分の元に連れてくるように妖術をかけてた…のだったな」
白月と名付けた大きな狼。その白月によって退治された大爺で信樹は義母の実家を調査した。
大爺のいた屋敷の地下には地下牢が隠されてあり、そこで壁の中に小さく掘られた穴があった。
そこにはいくつかの書物があり、その書物によって全てを明らかに出来たことが多いため、国のお上になんて報告すればいいのかと頭を父親と悩ませていた。
その書物は、大爺は人を喰う化け物であることに気付いた人の記録だった。
大爺はかなり昔から生きており、妖術をかけて義母の家に入り込んだが、稀にその妖術が効かない者が現れており、その者達は大爺を討伐して家の者を解放しようとしたが失敗し続けたこと。
抗った者達は大爺によって地下牢に入れられたが、未来のために記録を隠し続け、いつの日か大爺の所業が日の光の下に晒されることを願い続けたことが書いてあった。
その記録から長い歳月もの間、闇の中に隠された事をどのようにまとめ、どうお伝えするべきかと悩んでいたのだ。
化け物の話など、到底信じてもらえない可能性が高いのもあるためである。
《心配しなくてもあの義晴は父上の力の事は知っているし、いくつか兄を所持してるから言っても信じるぞ》
「お、お前な、呼び捨てにするんじゃない」
《兄を連れて行った無礼者じゃ》
「駄目よ、白月」
つーんとそっぽを向くが信樹は恐らく若君こと月ヶ原義晴が何かしたのだろうと考えていたのだった。
月乃はそっぽを向く白月にもう、仕方のない子ねぇと腕に抱く我が子に目を向ければ白月の方に手を伸ばしていた。
「まぁ、まだ目が開いてないのに白月のことが分かるのかしら」
「俺達の大恩人…いや、大恩狼だとわかるのかな」
白月がふさふさと尻尾を振りながら、月乃の腕の中にいる赤子の腹に鼻を押し付け、あやすように動かすと赤子はきゃっきゃっと笑い出す。
片割れの笑い声につられてか、信樹の腕の中にいた赤子も笑うので月乃と信樹も笑みを浮かべた。
「この子達、きっと狼が好きな子になるわ」
「好きになるさ、俺達が好きなんだから」
「ふふっ、そうですね」
穏やかに笑い合う家族に白月はわふわふと鳴いて、赤子をあやしながら笑うのだった。
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宗助が大量の感謝の贈り物に驚いている頃。
義晴はとある国から届いた書状に頭を悩ませていた。
義晴の手にあるのは二通の書状。
そのうち一つは、以前に送った「宗助に会わないか」という誘いに対する、煤々木山の惣元からの返事だった。
これは快諾と手土産として贈る物に関しての相談の文で義晴は頭を悩ませることはない。
問題は二つ目の書状。
それは九州の駒丹から届いたものであった。
「なんで、なんで…あんな離れた所にあいつの根付がいくんだよ…」
「とんでもない距離を移動してますよね…」
「何をしたらこんな書状が届くんだ…!こんな同盟の結び方きいたことねぇよ!!」
書状を共に確認した三九郎は、「またか」とでも言いたげに遠い目をしていた。
呼ばれた黄十郎も苦笑しながら、「さすが宗助殿の品だ」と感嘆しつつ、愛刀の鞘を撫でた。
義晴が頭を悩ませた書状には『天野宗助殿がおられる清条の国の平和のため、並びに天野宗助殿をお守りするためにも同盟を結び、共にお守りしたい』と書いてあった。
書状の差出人である駒丹は九州を統一した、嶋野一族の治める国である。
この国の軍は大変強く、九州で行われた統一戦争にて圧倒的な武力により九州の主となったのだ。
だが、駒丹の国はそれにより領地が一気に広がったことで先日まで国の統治に関して内部でのいざこざや会議、問題解決で他の国に目を向ける事など出来ない程に余裕がないようだ、と報告を義晴は受けていた。
はずなのだが、書状の内容から恐らく宗助の作った根付がその問題を解決したのだろうと見ていた。
「でも、嶋野一族が宗助殿の味方となるのは心強いですな」
「そこに関してはな…問題は、何の根付が、何をしたかだ」
「黄十郎殿に言ってなかったが…実は俺達で宗助の作った物に関して記録をしてるんだ、何を起こすか把握するためにな」
黄十郎はそんな記録が行われていたことに驚いたが、罪を暴く簪や、龍が宿り雨を降らす壺の話を思い出す。
さらに、自らが渡した和箪笥で人間らしい生活を始めた友人の様子も脳裏に浮かび、記録の必要性を納得するのだった。
「楚那村の村長にも記録はさせているが…あいつが作る物は今の所は人に危害を加えた事は無いからな、そこは安心している」
「下崎家でも化け物退治をしていたみたいですしね」
「あぁ、俺も聞きましたよ!狼の屏風が下崎家の奥方殿のご実家に潜んでいた人食いの化け物を退治した話…鼓太郎殿から聞いた時はこの国で長年そんなことがあったなんてと恐ろしくて震えあがりましたよ」
義晴と三九郎も黄十郎には同感であった。
二百年もの間、この国に潜み、双子の赤子を狙っては食っていた化けものの詳細を聞き、義晴はすぐに全ての家にも念のため調査する程に知らなかった闇の存在に恐怖したのであった。
もし宗助の作った狼の屏風がなければ、いまだその化け物は生き延び、犠牲は増えていたかもしれない…その想像に義晴は背筋を凍らせた。
そして、先日生まれた下崎家の双子の命もなかっただろう。と、義晴は民を救ってくれた宗助に何か礼をしてやろうと考えた。
「とりあえず、同盟に関しては受ける…使者を送るにしても、来させることになっても何があったのか聞かないとな」
「心得ました、…それと太郎とおゆきから若に頼みたいことがあるようでして、楚那村に来られる際にお話をしたいと伺っています」
「…太郎とおゆきがか?」
義晴と黄十郎の目つきが変わる。
楚那村の二人が義晴に何かを願い出るのは初めてのこと…それだけに、彼らの手に余る何かが起きているのだと直感したのだった。
「…この頃、楚那村への間者の数は増えています」
「その関係、か」
「恐らくは」
「賊程度ならば太郎殿の敵ではないはずだ、ということは村人の二人では対処が難しい者がいると?」
三九郎は若に直接話すと警戒しているようだったと言うと義晴は頷いた。
義晴はそこまで警戒をしないといけないこと、もしくは直に何かを見せたいのだろうと考えていた。
「わかった、明日にでも向かう…黄十郎も来い」
「御意」
「三九郎はお前の組の者を村の周囲で見張らせろ」
「御意に」
義晴が明日の準備をそれぞれ行えと指示を出すと黄十郎は明日の予定を調整してくると部屋を出て、三九郎も部下を数人先に行かせておきますと行動に動く。
残った義晴は二人が出たのを見送ると、二つの書状の返事を書くために近くにいた小姓に筆の準備を伝える。
「…あの二人の手に余る、ねぇ」
なんとなくの予想を立てながらも義晴は明日の為に執務を終わらせにかかるのだった。
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国宝 山狼の屏風
職人 天野宗助が作った屏風。
四曲一隻の形式で描かれた本作は、中央二面に大きな白狼が鎮座する姿、左右の二面に岩山に棲む狼の群れが描かれており、躍動感と霊性を併せ持った作品として知られている。
現在は国宝に指定されており、清条国の名家 下崎家が代々所蔵している。
本屏風は、下崎月乃が妊娠中に「花衣屋」より購入したことが始まりとされる。購入以降、月乃の周囲で数々の奇跡的な出来事が報告されており、特に白狼が霊的存在として彼女を護ったと語り継がれている。
その代表的逸話が「二山家の化け物退治」である。
これは、二山家に潜伏し赤子を喰らっていた妖怪を、屏風に描かれた白狼が祓ったとされるもので、清条国の正史にも記録が残されている。
中央に描かれた白い狼は「白月」と呼ばれ、岩山に棲む狼の群れ「白月の群れ」のボスであり、母狼とされている。
育児に積極的で、下崎家の女性たちを助けた記録も複数残っており、特に江戸時代には、夜な夜な遊び歩く父親を夜明けまで説教し反省させたという逸話も伝わっている。
下崎月乃が生んだ双子のうち、長男は家督を継ぎ文官となり、次男は白月の加護を受けたとされ、狼を使役する力を得て忍者となった。この双子をモデルとした創作作品も数多く存在し、現代では漫画『白武士と狼忍者』として映像化され、N〇Kにてアニメが放送中である。
※1 二山家の名前に関してはこの騒動の後、また化け物が復活しないようにと名を歴史から消したため、正式な苗字は不明。二三山や双山であるなどの諸説がある。
あの爺さんは某ゲゲゲの映画を見て、業が深い家を書きたくなって出しちゃったやつです。




