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第21章 狸の箪笥

「狸三匹は多かったかなぁ…いや、いいか」


黄十郎さんからの依頼で作った棚を、俺はじっくりと確認中。

いろんなデザインを考えたけど、結局シンプルな小さな和箪笥みたいな形に落ち着いた。



この和箪笥は一番上の段が一番広い、正方形でスライドさせて開閉するタイプ。

二段目と三段目は引き出しになっていて、二段目は小さな引き出しが二つ、三段目は横長で広い型の引き出し。

使う人の事がわからないので、あまり癖がなくて使いやすいようにしたんだ。


で、狸を装飾に使うのは決めていたので家に来てくれるご近所狸にお願いしてモデルになってもらった。

いつも通り甘えてくる狸を撫でながら聞けばクンクンと鳴きながら、前の両足を上げてくれたので脇に手を入れて持ち上げやると尻尾を振って大人しくしていた。つまりはOKということだったからな。


『きゅーん』

「お、見に来たか」


棚を見ていたら、例のご近所狸が遊びに来た。棚の装飾としてつけた狸の彫り物を見つけると、尻尾をブンブン振っている。

俺は狸を持ち上げて再度じっと観察。…立派なふぐりが目に入って、思わず吹き出しそうになった。


気づかれたのか、狸は「見ないでぇ!」と言わんばかりに尻尾で必死に隠した。


『くーん』

「ごめんよ」


謝ると、別にいいよとでも言うように顔をぺろぺろ舐めてきた。…やっぱりこの狸、賢いな。

くんくんと小さく鳴きながら俺の顔を舐めている狸。そんな狸の尻尾を下から狙う一匹がいる。

そう、狐だ。


クワっと牙を見せながら噛もうとするので俺は慌てて尻尾を押さえながら抱えて立てば、狐に気付いた狸はひぃんと声を上げて俺にしがみつく。


『キャン!!』


狐はそんな狸に降りてきなさいよ!!と言わんばかりに吠え、尻尾を上にピンと立てている。ちなみに狐はメスだ。

一度、あまりにも狸をいじめるので抱え上げた際に尻尾を振っているのに足の間から動かさなかったのでメスかと聞いたらそうだと答えられたからである。この狐もなかなか賢いんだ。


落ち着けと頭を撫でれば、すねたように俺の足元に寝そべる狐…恐らく俺が狸ばかり見てるのが気に食わないのだろう。

前々からこの狐のやきもち焼きな性格は理解っていたがここまで狸に塩対応すぎるとは思わなかったんだよなぁ。

「お前はついに山の主になったのか…?」

「ご近所さんですよ、義晴様」


いつの間にか義晴様がやってきた。

狐も狸も逃げるどころか、むしろ堂々と俺のそばにいる。三九郎さんの時とは違うな。


狐は義晴に対して鼻で笑うように鳴き、狸は俺に構えとばかりに顔を舐めてくる。

そんな狸に鳥次郎が俺の頭に止まって、上からつつこうとするので狸の頭を手で守る。


「こら、やめなさい」

「随分と懐かれたものだな…」

「住民として仲良くしてくれます」


義晴様は俺の傍に置いてある紙と筆に気付くと、すぐに紙を見た。


「お、何を作るんだ?…これは狸の絵か?」

「はい、黄十郎さんから依頼された小さな箪笥に狸を装飾しまして、最終確認で狸を見させてもらってました」

「狸…玄三郎からの薬入れが狐だからか?」

「それもありますが…かわいいでしょう?」


俺は狸の顔を義晴様に近づけて見せれば、義晴様はなんともいえない顔をした。

そんな義晴様に狸が文句あるのかと器用に後ろ足を伸ばして義晴様を蹴っている。


「あ、こいつ…」

「こら狸蔵(たぬぞう)、やめなさい」

「名前をつけたか…」

「狐は狐月(こつき)です」


いつまでも狸と呼ぶのも寂しいので名前を付けた。

二匹に名前をつけて呼んでみればすぐに反応を返してくれるので名前と言う認識はあるらしい。

あとこの二匹だけじゃないんだ。名前をつけてるのは。


『ききぃ!』


声の主はとてつもない速さで木の上から降り、地面を駆けて俺の背中に飛びつくと俺の肩にまで駆け上る。

鳥次郎が文句を言うように鳴くが気にしていないように俺の髪を毛繕いを始めた。


「狸と狐だけでなく、猿まで手懐けたのか」

「猿吉です、こいつは昔から俺と仲良くしてくれるんです」

『ききっ』


義晴様に対してヨッ!と手を上げて挨拶する山のご近所猿こと猿吉。

昔からの仲で俺がここに住み始めた頃、遠くから俺を観察していたが、少し時間が経つと俺を山の住民として最初に迎えてくれたのがこの猿吉だ。


猿吉はどうやらこの山のボスらしい…。

そのボスが俺を住処の山に受け入れたのだからと他の猿や動物も早くに受け入れてくれたので俺にとっては山ではお世話になってるお猿様だ。

今では作業の合間に毛づくろいに来てくれるが、義晴様が来るようになってからは俺が一人の時にしか来なかったのに今日はここまで来たってことは…。


「どうやら義晴様も受け入れてくれたみたいですね」

「あ?どういうことだ?」

「猿吉は義晴様がいるときは今まで来なかったんですけど、今日は目の前に来たので山の住民として受け入れてくれたみたいです、太郎やおゆきの前にも中々姿を見せないんで珍しいんですよ」


義晴様は俺の言葉にそういうことなら悪い気はしないと笑うが、猿吉以外にはまだ受け入れられてなさそう。

というのも義晴様の足元で孤月が後ろ足で蹴っており、狸蔵はべぇーと舌を出しているからだ。


それに気づいた義晴様はこいつら…!と怒るが足の速い孤月はすぐに逃げて俺の後ろに隠れ、俺に抱かれている狸蔵はきゃあ怖いというように俺にしがみついた。

そんな二匹に鳥次郎は冷めた目で見ており、猿吉は我関せずと俺の頭の毛繕いをしていた。


「とりあえず山の奥に入っても猿吉が認めてるなら怒られないですよ」

「入っていいと言っても、俺はこの山で宗助の家以外にはあまり来ないけどな…行くとしても俺の忍びくらいだろう」

「俺は素材探しに行くくらいですけどね、あ、そうだ…今度黄十郎さんに手紙を書かないとなので三九郎さんをお借りしてもいいですか?箪笥が完成したらお渡ししたいので、日取りを決めたくて…」


義晴様はそのまま三九郎さんに運ばせろというが、その三九郎さんが後ろで不服そうな顔をしてる。綺麗なへの字に口を曲げていた。

俺の目線に気付いた義晴様が三九郎さんに嫌なのかというが、首を横に振っていた。


「若のその言い方が嫌です」

「なんだ、やるか?」

「この前の勝負ここでやります?」

「来いよ、また投げ飛ばしてやる」


え、ちょ、なんでここで喧嘩する流れになるんだよ!!

やめてー!と叫んだ俺の声に反応して、猿吉が義晴様の横っ面に勢いよく跳び蹴りをかましたことで喧嘩を終了させた。

この猿吉の蹴りは前にも俺と村長の喧嘩という名のプロレスの最中に村長の肩にしていたので、見たことあるが…その時よりも蹴りが鋭い気がする。


なんで喧嘩に発展したのか三九郎さんに聞いたところ、時々時期を決めては義晴様と取っ組み合いの喧嘩みたいな事をして日々のフラストレーションを発散させてたらしくて、丁度色んなことで喧嘩を売り買いする時期だったらしい。

なんてはた迷惑な…。


「もう、ここでやるのならそんな取っ組み合いじゃなくて腕相撲程度のやつにしてくださいよ…」

「規模が小さい」

「若は俺より力あるので不利だ」

「かけっこ…」

「忍びのこいつに勝てると思うか?」

「馬にも負けないぞ」


え、三九郎さんってそんなに足速いの?

という疑問を置いておいて、俺は取っ組み合い以外のストレス発散方法を考える。

さて何がいいか…力は義晴様が強くて、足は三九郎さんが速いので勝負にならない…知恵は分からないけども…あ!いいのがあった!


「確かあそこにしまってたはず…」

「どうした?何かいいのを思いついたか?」

「えぇ、少しおまちください…」


俺は猿吉を肩に乗せ、狸蔵や孤月を引きつれて自室の隣にある収納部屋を開ける。

ここには普段使わない仕事道具や素材、遊び道具等を入れている。


昔は雨の日等外で遊べない時は俺特製の将棋やオセロ等を太郎とおゆきとして遊んでいた。…まぁ、ほとんどおゆきが遊び方を覚えると勝ってしまうんだがな。

で、その収納部屋の中から片手で持てるサイズの木箱を取り出して、二人の前に置いた。


「…箱?」

「随分飾りが掘られているが…」


突然小さな木箱を出されて二人は困惑している。

太郎やおゆきにも同じ反応されたな。


「これを先に開けば勝ちです」

「「は?」」

「普通の方法じゃ開かない箱です、力づくで壊して開けるのは無しですからね」


義晴様が何を言っているという顔をして、三九郎さんは早速手に取って、箱をひっくり返したりと隅々まで見始めた。うんうん、気づいたみたいだ。


「待て、それは勝負になるのか…?」

「若、この箱…蓋が見当たりません…」


義晴様は何だと?と三九郎さんから受け取って箱を見始めると軽く上に開けようとするが開かない。

そう、俺が二人に渡したはからくり箱だ。


からくり箱とは、仕掛けが施された名前通りの箱。普通には開けられず、仕掛けを解かないと開けられない箱だ。

これは俺は一年程前におゆきと太郎の暇つぶしになるだろうと作った箱の一つだ。

簡単な仕組みにしたのですぐに解けるとは思うし、勝負にいいだろう。


…まぁ、太郎は解けないと泣きつき、おゆきは一晩で解いたやつだから難しさは俺にも分からないんだけどな。


「もし勝負がつかなかったら、まだありますからね」


うんうんと唸りながら試行錯誤する二人に言ったが聞いてただろうか…。

まぁ、箱の側面が動くと気づいたみたいなのでもう少ししたら箱を解けるだろうと、俺は思っていたのだが…結局解けず、義晴様と三九郎さんはその箱を必ず解いてくると持って帰った。

義晴様はともかく三九郎さんが意地になってるのは珍しい、意外と負けず嫌いなのかもしれないな。


…もしかしてあの箱の仕掛けって結構難しい?ということはおゆきはかなりIQが高いのかもしれない。





翌日、三九郎さんが箪笥を取りに来た。

ということは義晴様が開けて勝負をつけたのかと聞けば、そうではないらしい。


義晴様と三九郎さんがからくり箱に挑戦するも、なかなか解けず。

結局、城に持ち帰って挑戦を続けたらしいけど、開けたのはなんと小春姫様。


「…それで、結局俺たちは勝負をつけられなかった」

「姫様、すごすぎる…」


詳細を話してくれた三九郎曰く…あの後、木の箱を城に持ち帰り開けようと色々と試行錯誤していたが中々解けず、開かずの箱を持って帰ってきたと黄十郎さんや玄三郎さん、他の人も挑戦したが開かない。

これだけやっても開かないのでこの箱は本当に開くのかと疑いも出てきた頃に話を聞いた姫様がやってきて、少し触ると開けてしまったのだという。


小春姫様がいとも簡単に開けたので、義晴様は大層悔しかったそうな。

一応この箱で三九郎さんと勝負をしていたから俺が他のからくり箱がまだあるという発言は聞いてたようで他の箱で明日決着つけるといった。

が…三九郎さんがもう頭を使うのは疲れたらしくて自分が明日箪笥を取りに行ってくるということで勝負を無しにしたらしい。曰く、頭が熱くなりそうだったのだとか…知恵熱が出そうだったのかな?


それと小春姫様があのからくり箱を大層気に入ったらしくて色んな人に箱が開けれるか試して回っているとか。

気に入りすぎてからくり箱を譲ってほしいと小春姫様からの文も預かったそうで…そこまで気に入られると俺は嬉しいものだ。

なので、三九郎さんに了承の返事と共に他のからくり箱を渡してもらうことにした。


その翌日やってきた義晴様が小春姫様が俺が贈ったからくり箱をかなり喜んでいたらしく、自分で解いては他の人に解かせる遊びをしているらしい。

義晴様曰く、小春姫様があんなにハマるのは珍しいので恐らく城下の女性達の間で噂になるかもしれないそうだ。…現代でモデルがハマって紹介したものがブームになる感じかな?


…しかし、そんなにからくり箱を気に入られたのならば、姫様だから作るのは無理だろうけど設計は出来るんじゃないだろうか。

今度提案してみるか。


--------------


陸奥川 鼓太郎(むつのかわ こたろう)は、月ヶ原家に古くから仕える陸奥川家の三男坊である。

陸奥川家は武芸に秀でた家として有名なのだが、鼓太郎は武芸がまるで苦手で、逆に知の才に優れていた。


人並外れた知識の量、どんな事態にも対応できる応用力、そろばん無しで複雑な計算をこなす計算力…。彼の頭脳を称える言葉は数知れない。

「武の才能が全て知能に行ったのだ」などと噂する者もいるが、それは皮肉でも誇張でもなく、まさに事実だった。


口も達者で、悪意ある暴言には正論と精神に刺さる言葉を十返し、相手を完膚なきまでに跪かせることは日常茶飯事。

逆に、相手を褒める際にも十は軽く超える賞賛を並べる。


そんな鼓太郎は家柄が良く、見目も良く、文官としての稼ぎも十分。いわば「優良物件」として女性たちから憧れの的だった。…ただし、恋の話はまったくない。


鼓太郎に惹かれ、縁談を持ちかける女性は後を絶たなかった。だが、ある事実を知ると、皆一様に破談となる。

陸奥川家の家族はもちろん、上司の月ヶ原義虎やその息子の義晴、同僚たちまでが口を揃えて言う彼の"欠点"。それが…。


「鼓太郎殿!またごみ屋敷にしてしまったのか…!!」


そう、生活能力が(ごみ)レベルだった。


屋敷の部屋だけじゃなく、廊下も玄関もごみの山。使われた形跡がないはずの厨房には、なぜか藻まで生えている始末

庭は一切手入れされておらず伸びまくった雑草と、植えられている木から落ちた落ち葉がそのままで積み重なっている。


まさにごみ屋敷と化した鼓太郎の屋敷に、本人は平然と住んでいるのだ

これを見た女達は飛んで逃げる、という訳である。


「めんどいのです」

「何故仕事の事は面倒にならないのに、普段がこうなのだ鼓太郎殿…!他の者にも言われているでしょう!」

「もう黄十郎殿だけですなぁ、そのように言うのは」

「もう!?それは俺以外は諦めたということじゃないか!部屋に上がるぞ!」

「どうぞ」


黄十郎は部屋に上がり、普段鼓太郎が寝るという部屋だけだが箒でごみを掃く。

何故黄十郎が鼓太郎の家を掃除しているか、鼓太郎と黄十郎の仲がいいことと黄十郎自身が世話焼きな性格であったからだ。


月ヶ原家に仕えて日が浅い黄十郎にこの国での風習や仕事の方法等を教えるうちに仲良くなったのだ。

そんな仲良くなった黄十郎が鼓太郎の悪癖を知るのも早く、悪癖を知って以降は定期的に鼓太郎の屋敷にやってきてはせめて住めるようにと掃除をするようになった、ということなのであった。


「うわっ!?金子がそのままじゃないか!」

「お、そんなところにもあったのか」

「大事な物なのだから仕舞いなさい!!…あぁ、ここには何かを入れるような物はなかったな」

「襖ならあるぞ」

「襖に入れろと…?」


寝転がったまま襖を指す鼓太郎に黄十郎はため息をつきつつも、金子をせめて風呂敷に包んで、ひとまず置いた。

一通り掃除した黄十郎はこれはここに嫁が来るのは遠いなと心配するが、自分もそういった話は全く無いので黙っておく。

しかし、黄十郎に関しては義晴の父である義虎が息子の家臣ではあるのだが、武将として優秀なので気に入っており、黄十郎への縁談の話を慎重に見極めているから黄十郎の耳に届いていないのであり、鼓太郎とは状況が違うのだが本人は知らない。


《黄十郎様》

「ん?」

《あまり頼るのはよくありませんが…父上に頼るのはいかがでしょうか?もしかしたらこの塵や、コホン…屋敷の惨状だけでも変えられるかもしれません》


黄十郎は愛刀からの提案に確かに変わる切っ掛けにはなるかもしれない。が、黄十郎は恩人である宗助にこのような私用な事のために物を作って貰うのはと一度考えるが…誰もが匙を投げた鼓太郎の悪癖を多少でも変わるならば友として喜ばしいかと考えて、提案を飲むことにした。


「どうせなら箪笥にしてもらおう…金子だけでも入れるように」


黄十郎はそうと決まれば今度宗助の家に伺う時に頼んでみようと決めたのだが、その当日に宗助を小春姫が宴に誘ったので城に来るので当日は宗助の迎え役をせよ、と任命された。

では、その日に依頼してみようと思ったが、宴にて流星宗助の兄刀である星海宗助の盗みの騒動が起きたので、その翌日に頼めたのだった。



そして数日後、三九郎から届けられた小さな箪笥は大人なら軽々と抱えられる大きさと重さの物で大きな風呂敷に包まれていた。

黄十郎は依頼者の特権だと鼓太郎に渡す前に箪笥を見るために風呂敷の結びを解けば、現れた使いやすそうな箪笥と装飾の可愛らしい狸の金具に思わず笑みを浮かべた。


「可愛らしい狸の箪笥だな」


これなら鼓太郎も使うだろうと風呂敷で包み直して早速鼓太郎の元へ持って行った。

鼓太郎は仕事中で他の部下も同じ部屋の中にいたが黄十郎がくれば鼓太郎はにこやかに出迎えつつ、黄十郎が持つ荷物に目を向けた。


「どうした黄十郎殿、その荷物は?」

「鼓太郎殿に俺からの贈り物だ」

「私に?黄十郎殿が?」


目をぱちくりとさせながら鼓太郎の前に荷物を置いた黄十郎を見つつも、確認すると一言伝えて風呂敷の結びを解いた。

解いた風呂敷から現れたのは小さな箪笥で、黄十郎がこれを贈った意図を理解して思わず鼓太郎は半目になる。母親に昔から言われた『整頓しなさい』という言葉が脳裏をよぎってしまったのだ。


「これで家の物を片付けろと?」

「せめて大事な物はお入れなされ…これは天野宗助職人の作った箪笥である」

「…なんですって?今誰が作ったと?」

「五反田黄十郎の大恩人である天野宗助殿ですな」


そこまではいらないと鼓太郎は首を横に振ったがやはり聞き間違いではないと確信する。

この城の者ならば最近話題であり、この国の若君である義晴のお気に入りの職人に作らせたのかと鼓太郎は呆れ半分とそこまでしてあの塵屋敷を変えたいのかと言う驚きが半分の感情であった。


しかし、天野宗助職人の作品であるならばこの箪笥にも何か力があるのだろうかとまじまじと見ていると金具に狸が施されているのに気づき、思わず触れる。


「狸だ」

「うむ、狸である」

「狸の箪笥などきいたことない」

「俺もないな…だが、可愛い狸だ」


愛嬌がある顔だと微笑む黄十郎に鼓太郎はこれからどのような力が出るかわからないのに呑気なものだとため息をつく。

鼓太郎は宗助の作品の特異性については義晴や他の者からも聞いており、黄十郎の愛刀である”流星宗助”についても知っている。


人に寄り添う性質を持つことには好意が出るが、力によってはかなり厄介なことも理解していた。

特に竜胆の簪や龍が棲んでいた壺については特出しているので能力しだいではとんでもない爆弾になるとも理解しているからだった。


「この顔ではそう思えんがな…あ、三匹もいた」


だが、狸の愛嬌ある顔からはそんな大層な力は感じ無いので、様子見しつつも何かあれば自分で制御を試みるかと、友である黄十郎から貰ったのもあることからも持ち帰ることにした。



家に帰った鼓太郎は箪笥を居間に置き、黄十郎に言われた通りに金子を入れようとしたが面倒になったので明日に仕舞うことにした。

家に帰ったら寝るだけなので身支度を済ませるとさっさと布団に入り、寝る。

さて、何が起きるのやら…とまどろみつつ、ぼんやりと明日の予定を思い返していると眠気はやってきたので目を閉じた。


《まぁまぁ!なんて荒れたお部屋なの!?》

《これはやりがいがあるわねぇ…》

《お金もこんなところに置いて…、大事なものなのだからちゃんと仕舞わないと駄目よ》


鼓太郎はなんだか騒がしいと思いつつも、眠気で意識が落ちる。




朝、鼓太郎が目を覚ますと、部屋は今までにないほどに整えられていた。

衣類はきれいに畳まれ、仕事道具も整理されている。出しっぱなしだった書物も棚にきっちりと収められ、昨晩片付けようとしていた金子も、きちんと箪笥の中へ仕舞われていた。

しかも、机の上には見慣れない白い布でできた小さな籠が置かれている。


鼓太郎は不思議そうに籠を手に取り、中を覗き込むと、皿の上には三つのおにぎりが並んでいた。


「…こんなもの、家にはなかったはずだが」


首を傾げつつ、おにぎりの匂いをかぐ。特に薬や毒の気配はない。慎重に一つを手に取って割ってみたが、見た目も具も普通の梅干しおにぎりだ。


「…いただくか」


小さく一口かじる。

途端、鼓太郎の目が見開かれた。


「う、美味い…!」


米のふっくらとした甘さと、塩加減、梅干しの酸味が絶妙で、今まで食べたどんなおにぎりよりも美味い。気づけば一つ、また一つと手が伸び、皿の上は米粒ひとつ残らず空になっていた。


「…しまった、毒見のつもりが…!」


鼓太郎は己の不用心さに頭を抱えつつも、これはおにぎりが美味すぎたせいだ、と誰もいない部屋で言い訳する。


開き直ると、鼓太郎は片付けられた部屋から何か消えてないかと確認していくが消えた物は特には無い。

書類も確認すれば、大まかな項目ごとで書類は置かれていた。恐らくこの片付けた者が書類の内容は分かってないのか大雑把に分けて机の上に置いてあるだけだ。


まるで母親が子供の部屋で書き物が散らばっているからとりあえずまとめておいた、という置き方なので間者が入ったようには見えない。ただ片付けるために置いた、という状況なのである。


鼓太郎はいつの間にか母上が来ていたのか?だが、自分が母の気配に気づかないなんて今までになかったし、夜分に来たことはない。

首を傾げつつも、まもなく勤務の時間であると知らせる鐘の音が遠くから聞こえたので急ぎ支度をするのであった。



翌日、鼓太郎は実家を訪れ、念のため昨日のことを母に尋ねた。だが…お前の汚城を片付けるという無駄な事を私がすると思うのかい?と穏やかな笑顔で毒を吐かれただけでなく、後ろで聞いていた父にも深く頷かれたので昨晩の整頓は母ではないと確定をさせた。

が、鼓太郎はこの不思議な出来事にある心当たりがあったので様子を見る事にした。


何故ならあの職人の作品を手にしたのだ、何かが起きるはずだという確信があったからだった。




その日以降、鼓太郎の家は綺麗に保たれていた。

部屋だけでなく鼓太郎の身なりも綺麗になり、食事も用意されているので健康的な肌色になってもいた。


この鼓太郎に親交がある故に幾度か家の掃除をしたことがある黄十郎がこの変化にもしやもう何か起きたのかと鼓太郎の家に赴いた。

以前の鼓太郎の家は物は置きっぱなし、洗濯は溜まりに溜まればする、食事?外で適当にすればいいので家ではしないという生活感が感じられない様子であったが、黄十郎は以前訪れた時よりも格段に綺麗になっている屋敷に目を丸くした。


雑草だらけの庭は綺麗に整えられ、また洗濯を干したであろう物干し台がある。

ぼろい訳ではなかったがどこか埃のあった廊下は、塵一つない廊下に変わり、使われた形跡のなかった厨はよく見れば包丁などの小物があり、洗い場が整えられていたが…鼓太郎には変わりない。


鼓太郎に聞けば実は…というように最近誰かの世話になっている事が分かり、だれかと聞いても寝ている間や仕事に出ている間にやってくれているようだと言うので危機感を持たないか!!と思わず黄十郎は叱った。が、鼓太郎は自分に害をなそうという気配が全くなかったので放っておいたのだ。


そして、なんとなく予想がついているともいう。

黄十郎も、恐らくこの家を綺麗にしているのは…宗助が作った箪笥であると予感はしていた。

だが、何故か黄十郎の流星宗助のように声を出さず、または義晴の刃龍のように動く姿を見せない。


黄十郎は流星宗助に何か理由はあるのかと聞いたが流星宗助は少し間をあけると、あまり深く考えなくていいと何処か苦笑している声でそう答えた。

そう黄十郎から流星宗助の返答を聞き、鼓太郎は少し思案すると何かあれば義晴様にも報告はすると言う。


何かを企んでいるようだと察する黄十郎はいい報告を期待していると伝えると一度宗助の作った箪笥を見て帰って行った。

黄十郎が帰るのを外まで見送った鼓太郎は小さく呟く。


「さて、早速今夜にやろうか」


そろそろ世話になっている者の姿を見てもいいだろう?とにやりと笑ったのであった。





鼓太郎は今日も用意された夕飯を食し、明日の支度を済ますと持って帰ってきた書類に目を通しながら…ゆっくりとまるで作業しながら寝落ちしたと床に寝転がり、寝た振りをした。

すぐに動けるように布団の上では寝なかったので床のひんやりとした感触に少し震えるも、部屋に響く小さな声に耳をすませていた。


《まぁ…今日はこんなところで寝ているわ!》

《風邪をひいちゃうわね…お布団をかけましょう》

《お仕事に真面目なのはいいけど、家ではゆっくりして欲しいわねぇ》


三人…いや、爪の音がするから三匹?


布団がそっとかけられる感触と、手元の書類がやさしく抜かれる気配を感じたその瞬間、鼓太郎は素早く体を起こした。


「待ってくれ!」


目に飛び込んできたのは…。


「えっ…え?」


二足歩行し、着物と前掛けをまとった狸。


鼓太郎の視線に気づいた三匹は、きゃーーーー!と悲鳴を上げて四方八方に逃げ出した。


「ま、待て!逃げなくていい!」


慌てて鼓太郎は一匹を捕まえる。白い着物をまとったその狸は、ひぃんと悲しげな声を上げて暴れた。


《ひああ、離してぇ…!》


「乱暴はしない!お願いだから話をさせてくれ!」


鼓太郎の必死の呼びかけに、他の二匹も足にしがみつきながら泣きそうな声を上げる。


《話…?》


「そうだ。君たちが誰なのか、なぜ世話をしてくれるのか、ちゃんと知りたいんだ」

狸達は鼓太郎の言葉に確かにそうなるわよねぇ、という顔(といっても狸顔なので目の仕草である)をして二匹は鼓太郎の前に座る。

腕の中のお松と呼ばれた狸も逃げないだろうと下ろしてやると二匹の横に並んで息が合った動きで頭を下げた。


《ご無礼を致しました…私達は父である職人、天野宗助様が作った箪笥の狸でございます》

「やはりあの狸の装飾か」

《私は(まつ)、隣にいるのがお(たけ)、その隣がお(うめ)でございます》

「松竹梅か、縁起がいいな」


狸達はうふふっと品よく笑うと頭を上げた。

よく見ると三匹には違いがあり、毛並みや顔の模様、着物や前掛けの違いと見分ける事がしやすいと鼓太郎は思った。


《割烹着の私ことお松、前掛けのお竹さん、着物のお梅さんと覚えると見わけがしやすいかと》

「気遣い感謝する」


しかし、見分けが難しいだろうからとお松が言えば、二匹も頷くのでそんな覚え方でいいのかと鼓太郎は苦笑しつつも狸達の気遣いに感謝した。


「その、聞いていいか?」

《はい、なんでしょう?》

「何故、姿を隠していたんだ?私は君達の父である天野宗助職人については知っているし、兄といえる黄十郎殿の刀についても知っていたのに」


松竹梅の狸達は少し言いづらそうに顔を見合わせるともじもじとお竹が鼓太郎の顔を肉球のついた手で指さした。

鼓太郎は自分が何かしたかと思ったがお竹は鼓太郎の顔をまた指さして口を開く。


《ご主人様がいい男でしたので、 こんなおばさん狸にはもったいないご主人様だと思うと、つい恥ずかしくて…》

「…はい?」


少々恥ずかしそうにそういったお竹にお松もお梅も同じだと頷く。

突然顔がいいと言われ、またそれが理由であると言われた鼓太郎は呆けた顔をしてしまうが狸達は理由を詳しく話し出した。


《他の兄姉達と違い私達は綺麗じゃありませんからねぇ》

《こんなおばさん狸の私達がお顔がいい旦那様の棚なんて…釣り合いが、ねぇ?》

《えぇ、なのでこっそりとお役に立とうと思っていたのです…》


鼓太郎はそんなことないと思うが…と口に出すが、狸達の仕草は確かに年を経て得た落ち着いたものであり、若い女性の感じではなかった。が、言い方を変えれば品がいいと思っていた。

しかし、狸達はそこを気にしていたらしい。


「そんなことはない、むしろ品があって素敵だと思うぞ…」

《まぁ、嬉しい》

《そういわれると照れますわねぇ》

《褒めても出るのは煮物だけですよぉ》

「煮物が出るのなら、なおさら大歓迎だな」


出るじゃないか、と鼓太郎は思う。

気になり、何の煮物かと聞けば筍と言われ、思わずぺろりと舌なめずりすればお梅が優しく笑いながら少しお持ちしますわねぇと席を離れた。


「とにかく、俺はそんなことは思わないからこれからは姿を見せてくれ…もしかしたら、俺に何か不満があって姿を見せてくれないのかと思ってたんだ」

《そんなことありませんよ!》

《素敵な旦那様に不満なんて…!》


お梅も小鉢に筍の煮物を入れてやってきて鼓太郎の側に置くと、二匹に同意だと頷く。

そんなこと言わないでと鼓太郎の足や顔にすがるようにふわふわな毛と柔らかい肉球の手を当てた。

あ、柔らかいと思わず言葉に出そうになるのを耐えて鼓太郎は悲しむふりをやめて、では見せてくれるな?と確認すれば狸達は頷いた。


そんな鼓太郎にお松は意外と策士な方なのねと心の中で思っていたが、まぁずる賢くなければ文官は出来ないだろうと口には出さなかった。



その日から、狸たちは堂々と鼓太郎の前に姿を現し、家事をこなすようになった。

朝は食欲をそそる朝餉の香りで目を覚まし、出勤時には「いってらっしゃいませ」と三匹そろってのお見送り。

帰宅すれば「おかえりなさいませ」と愛くるしい笑顔で出迎え、今日あったことを語りながら、温かな夕餉をともにする。


家に帰るのがこんなに楽しみになるなんて、鼓太郎自身も思っていなかった。


「鼓太郎にようやく妻ができたらしいぞ」


そんな噂が城に広まるほど、鼓太郎の変化は目覚ましかった。

もちろん、それを聞いた黄十郎はすぐにピンときた。


「あの狸の箪笥か…まぁ、うまくいったようで何よりだな」


主である義晴も鼓太郎の変化に気付き、天野宗助が作った箪笥であると知っているため、何かしたのだろうと思っていたが、一応どのような箪笥であったのかは聞いた。

鼓太郎はその義晴の問いの回答を快く応じた。


応じたのだが、文字にすれば千文字以上の長文で語り、鼓太郎の話す圧に義晴は、聞いたことを一瞬だけ後悔しかけた。

が、上手く生活はしているようだと判断はしたので鼓太郎の家の事をその狸達に任せる事にしたのだった。


鼓太郎は義晴以外には黄十郎に箪笥の事を気に入っていたと話した。

箪笥としても勿論使いやすいのもあるが、何より仕事のやる気が著しく上がったのだ。


家に帰れば、愛くるしい狸たちがちょこんと並んでお出迎え。暖かい夕餉が用意され、休みの日には手作りの菓子を囲んでのんびり過ごす。

狸達によって整えられた綺麗な部屋での生活にもう元のごみ屋敷に戻れないと語った。


黄十郎はようやく人並の生活になったことに安堵した。

のだが、愛刀の流星にとあることを言われて、一つの不安が出てしまった。


それを本人に話した際にからからと笑われたので、黄十郎はもしや自分は良い物を渡したが、同時に良くない物を渡したかもしれないと思うのだった。


黄十郎にあることを言われた日の夜。

鼓太郎は狸達の美味しい夕飯の後にお茶を飲みながら今日言われた事を話した。


「そういえば、今日黄十郎殿に嫁の心配をされたよ」


夕餉を終えた後、鼓太郎はお竹が淹れたお茶を片手に、そんな話をふと漏らした。

お松が顔を上げる。


《嫁の心配、ですか?》

「あぁ、『狸たちに世話を焼かせてばかりで、嫁を取る気はあるのか』ってな」

《まぁ!なんとお答えに?》


三匹はどんな女性が鼓太郎の嫁になるのかと、期待に目を輝かせた。

しかし、その次の言葉に固まることになる。


「可愛いお前たちがいるんだから、嫁なんていらないさ」

《…………えっ?》

「お前たちがいてくれるだけで、もう充分だよ、お陰で仕事も頑張れるしな!それに、俺みたいに生活能力の無い男のところに、嫁ぎたい奇特な女なんて、そうそういるわけがない」

《そ、そんな…!》

「まぁ、これからもよろしく頼むよ」


ぽかんとする三匹をよそに、鼓太郎はお松特製の茶菓子に手を伸ばす。

そんな彼の呑気な姿を見て、狸たちはお互いに顔を見合わせた。


《鼓太郎様にお仕えするのは嬉しいけど…》

《でも、このままだと一生独りのままよね…?》

《お嫁さん、やっぱり必要だと思うわ…!》


彼女たちは真剣に鼓太郎の将来を案じていた。

だが、肝心の本人にはその気がまったくない。


どうするべきかと頭を悩ませる狸たちをよそに、鼓太郎は「この茶菓子、美味いなぁ」とご機嫌でお茶をすするのであった。




後日、再度自分達がいればそれでいいという鼓太郎の将来にさらに心配になり、自分たちもよりも自由が効く弟に鼓太郎に嫁いでくれそうな娘さんを探して欲しいとお願いをする三匹がいた。

が、この家に遊びに来ていた弟の狐は、その願いに『うげぇ』と顔をしかめた。


《あんたらのご主人に嫁いでくれる変わり者なんていないだろうよ》

とへっと鼻で笑い、煙管で煙をふかしながら狐は返した。


《まあ!なんてことをいうのかしら!》

《私達がお支えするから家事で苦労はさせないわ!》

《だから、そこも駄目だって…絶対に嫁さんも駄目になるに決まってるでしょうよ、姉さん達は駄目人間をつくるのが上手なんだから》

《まったく、この子は!姉に向かって何て口をきくんだい!》


ぷんぷんと怒る二匹の姉…お松とお竹に狐はまたも煙管で煙をふかせるがもう一匹の姉であるお梅が自分の尻尾を櫛で梳いているのに気づき、さっと尻尾をお梅の手から逃がした。


《黙ってると思ったら何してんだい、お梅の姉貴は!》

《尻尾の毛並みが乱れてたよ、ぼさぼさの毛並みなんて女の子にもてないんだからね、ちゃんとおし》

《あぁ、もう!放っとけっての!お節介ばばあどもめ!》

《またこの子は!姉に向かってなんて言い方だい!》

《まさか、あんたのご主人は女の子だろうけど、その子にもそんな言い方してるんじゃないだろうね!》


そんなことしてたら承知しないよ!と尻尾を腕で守っていた狐の尻をお松とお竹がぺしぺしと叩く。

狐はええい、やかましい!とその叩きから逃げるように鼓太郎の家から出ていった。

その際に人間に化けていた弟に姉達は相変わらず器用な子だと思いつつも全く!とため息をつく。


《あの子ったら…》

《今度、簪のお姉様達にそれとなく聞きましょうかねぇ》

《もし、悪さしてたら叱らないとねぇ》


口の悪い弟だよと思いつつも恐らくしばらくしたらまた来るだろう弟はあれでも自分のご主人に尽くしている事を知っているので、姉達はお揚げでも用意してやろうかと思うのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とある城、城主の部屋。

城主 須木山惣元(すきやま そうげん)は、執務に励んでいたところ、部下が恭しく書状を差し出した。


「清条国の月ヶ原義晴様からの文にございます」

「義晴から?……なんと!本当に、かの方と会わせてくれるのか!?」


惣元は書状を広げると、目を輝かせた。

書かれていたのは、義晴お気に入りの職人である天野宗助との対面を勧めるというもの。


「宗助殿に…! あの方に、ついにお会いできるのか…!」


惣元はその場で立ち上がるほどの喜びを隠せず、すぐさま了承の返事をしたためるよう部下に命じた。


宗助の名を聞くだけで、惣元の胸にはある出来事が鮮やかによみがえる。

それは、月ヶ原家と須木山家の戦のさなか…。


何者かの術にかかり、惣元は正気を失ってしまった。

長年の盟友である月ヶ原家に理不尽な怒りをぶつけ、戦火を招いたのだ。


だが、義晴が持つ獅子の根付によって、惣元はその呪縛から解き放たれ、正気を取り戻した。

正気に戻った惣元はすぐに戦を終わらせ、月ヶ原家に下ることを決意する。

今では家同士の関係も良好だが、あのまま戦が長引いていたら、どれほどの血が流れたかわからない。


「宗助殿の力がなければ、私は…いや、我が家も、家臣たちも、どうなっていたことか……」


妻に「ようやく夫が戻ってきた」と泣かれたときのことを思い出し、惣元は目を細めた。

家臣たちも皆、宗助に深い感謝を抱いている。


「……何か礼の品を用意せねばな」


惣元は腕を組んで思案する。

せっかくなら、清条国にはない珍しい品がいいだろう。

宗助の心を喜ばせるものを、と考えるその表情は、楽しみに満ちていた。


「城主様、そのお顔、嬉しさが隠せておりませんぞ」


近侍の家臣がくすりと笑う。

惣元もそれに釣られて、豪快に笑った。


「楽しみに決まっているだろう!」


そのとき、ふと惣元の顔が少し陰る。


「……そうだ、もしかしたら、息子のことも解決してくれないだろうか」


静かにこぼされたその言葉に、家臣は目を伏せる。


須木山家の嫡男、つまりは惣元の息子は、最近ある病に侵されていた。

名医を呼び、あらゆる薬を試しても、いまだ快癒の兆しは見えない。


「流石に、あの職人殿でも無理かもしれぬが……」


惣元はそう言いながらも、どこかに一縷の望みをかけていた。


「ですが、城主様のご正気を取り戻したのも、天野宗助殿の作…あの方なら、あるいは……」


家臣は慎重に言葉を選びながらも、勧めるように口を開いた。


「ええい、そうだな! ならば、望みをかけてみよう」


惣元は大きく頷き、再び笑みを浮かべた。


「宗助殿に会えるだけでも十分だが、もし息子を救う手立てがあるならば……そのときは、どんな礼を尽くしても足りぬくらいだ」


その言葉には、父としての切実な願いが滲んでいた。


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狸の箪笥 松竹梅

天野宗助によって制作された和箪笥の一つ。

陸奥川家が代々受け継ぎ、大切に所有してきた名品である。


この箪笥には三匹の愛らしい雌狸の装飾が施されており、それぞれ「松」「竹」「梅」という縁起の良い名前を持つ。

五反田黄十郎が、親友である陸奥川鼓太郎のために天野宗助へ依頼し、制作された。※1


ただの装飾品ではなく、三匹の狸たちは実体化して家事全般を担い、持ち主の身の回りを献身的に支えるとされている。

陸奥川鼓太郎は、日々の業務の疲れが吹き飛ぶほどに、彼女たちの愛らしい姿に癒されていたと記録されている。


この箪笥の存在により、陸奥川鼓太郎の生活は劇的に改善された。

それまで「ごみ屋敷」と称されるほど生活能力が低かった鼓太郎も、狸たちのサポートによって人並み以上の快適な暮らしを送るようになる。

しかし、その献身的な世話の結果、鼓太郎の結婚意欲は著しく低下。

「こんなに尽くしてくれる可愛い狸たちがいれば、嫁は必要ない」とまで五反田黄十郎語っており、友が嫁を貰う日が来るのだろうかと懸念していた記録が残っている程に意欲は低かったとされている。


この状況を憂いた狸たちは、鼓太郎の将来を案じて積極的に嫁探しを開始。

弟分の狐の紹介により、ようやく伴侶を見つけることに成功したという記録が残っている。


鼓太郎は「松竹梅の狸たち」を非常に大切にしており、陸奥川家の家宝として後世に残した。

その後の時代でも、彼女たちは代々の陸奥川家を温かく見守り、支え続けている。


江戸時代では陸奥川家の娘が嫁入り修行に励む際、狸たちは最良の師として家事や作法を教え、立派な花嫁へと導いた。

剣豪として名を馳せた陸奥川(むつのかわ)新左衛門(しんざえもん)もまた、幼いころから狸たちのサポートを受けていた。

臆病ながらも剣の才能に秀でた新左衛門は、挑んでくる相手を無意識のうちに返り討ちにすることが多く、そのたびに泣きながら狸たちにすがる姿が記録されている。※2



※1 陸奥川鼓太郎は、記録の多くに“ごみ屋敷”と記されるほど生活能力が低かった。友人の五反田黄十郎は、たびたび鼓太郎の屋敷を掃除していたが改善は見られず、最後の望みをかけて天野宗助に箪笥の制作を依頼したと伝えられている。


※2 陸奥川新左衛門は江戸時代に活躍した剣豪。本人にその気がなくても、挑んでくる相手を次々と返り討ちにする実力を持っていた。新左衛門の嫁探しもまた、狸たちの奔走によって実現したとされる。


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― 新着の感想 ―
陸奥川新左衛門さんはきっと芥子色の着流しに紺の袴を履いて「ドラ〇も~ん」と泣きついていたんだろう。
2025/10/29 21:29 クダ巻き飲んべぇ
からくり箱は カタカタ喋ったりしたのかな?────────────────────── きっと宗助が すごろく とか遊戯物を造ったら 『ジュマンジィ(映画)』なりそう。 2山越えるとか 水汲みに行かさ…
狸箪笥ホシイ・・・
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