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第20章 簪 藍蘭


山の木々に緑が増えてきた今日この頃…蜥三郎の足が治った。


「蜥三郎の足が完全に治った…邦吾さんの持ってきた薬草ってすごいんだな…」


持ち上げて手足を確認すれば、小さくバタつかせているので、もう動けると教えてくれている。

チロチロと舌が顔に当たって擽ったいけども、蜥三郎は機嫌がいいようだ。


この世界の薬草はこんなにも効果があるのか。今まで山で暮らしてきて使ったことはあるが、そんなに効果はなかった。

やはり高価な薬草なのかもしれない。お代になるものを考えないとな…。

でも、少しずつ足が治っていったのは驚きだった。それは蜥三郎が必死に生きようとしている証だ。まぁ、驚きはするけどな。


がさっ、がさり。


庭の方から音がして、見れば縁側に木の実と魚が置かれていた。

その傍には、狐と狸が縁側に上がらずに顎を乗せてこちらを見ている。狸は尻尾をパタパタと振りながら期待を込めた目で見てきた。


俺は蜥三郎を下ろすと、ある物を手にしてから二匹の前まで歩き、静かに縁側に足を出して手を伸ばす。

その手に二匹は待ってましたと言わんばかりに首を伸ばして、頭を手の下にいれた。


「今日もくれるのか、いつもありがとう」


狐と狸の頭を軽く撫でればきゃっきゃっと言うような声で鳴いて、縁側にあがり俺の膝に頭を乗せて寝そべる。

この二匹はこの山の動物だ。


ここに住み始めたばかりの頃からこの山には大型の熊とか狼は見ていなかったが猿や狐といった小さい生き物は見掛けていた。

暮らしてから暫くすると俺に慣れてきたのか姿を見せるようになり、数年も経てば完全に山の住民として受け入れられたのか山の実りを分けてくれるようになった。


だから俺もお礼として畑の実りを少しだけだがおすそ分けするし、ブラッシングもしてやると完全に山の住民達は俺に心を開いた。

ちなむと、このブラッシングに使うブラシは太郎が狩ってきた鹿の毛を分けて貰って作ったり、俺が木を削ったりとした物でいくつか種類がある。

これが気に入ったらしく、最近では山の動物はこのブラシを目当てに分け前をくれる。


それを食べるのもそうだが、作品の素材にも使わせてもらっているので俺からすればウィンウィンなのだ。

今回は狐と狸だが、別の日には猿だったり栗鼠だったりする。

あと俺は触っているが、野生の狐には触れちゃダメだ。現代の野狐にはエキノコックスがいるからな。


それなのになんで触ってるのか?実は戦国時代にはエキノコックスはまだ日本に来てないんだぜ。

昔、狐のアニメが流行ってた時に調べたんだが…大正時代に北海道で鼠が大量発生した時に違う列島の狐に駆除させようと連れてきた。で、その狐にエキノコックスがいたために広まったらしい。

だから、まだこの時代の本島の狐にはその脅威はないってことだ。…一応触った後は手はよく洗ってるけどな。


そんな狐の首から背へとブラシで梳けば溶けるように狐の力は抜けて、体を完全に身を俺へと預けていた。上から見るとツチノコみたいに見えるので俺はこの状態の時はキツノコと勝手に呼んでるし、狸がなれば、タヌノコだ。

そんな狸は俺の膝に顎を乗せて尻尾を振りながら健気に待っている。

何故、狐が先かというと、この狐は自分が先でないと狸を噛んでしまうからだ。


一度だけ狸が先に来ていたのでブラッシングをしてやっていれば、後から来た狐がキレて狸の尻尾を噛んだ事件が起きた。

狸の悲痛な叫びと狐の怒りの鳴き声に俺は”狐を先”というルールを作り、狸もそれを分かっているのか特に文句はない様子だ。


そういえば、あの薬入れには狐を指定されていたな。こいつにモデルになってもらおうかな。

となると狐だけってのも寂しいし…黄十郎さんからの依頼の棚には狸を装飾で入れよう。


よし、構想が思い浮かべれそうだと一人で頷いていれば狐にブラシに集中しろと前足でポスポスと叩かれた。

狸はさっきから少しずつ俺の膝からお腹へと頭を寄せていて、軽く腹を撫でればパタパタと尻尾が床を叩いていた。

…やっぱりどっちもイヌ科なんだな。仕草が実家の犬を思い出す。


二匹のモフモフに和んでると後ろにこつりとした感触がして後ろを軽く向けば、亀太郎が俺の尻の辺りにいてじっとしており、反対側には蜥三郎が寝そべっている。

鳥次郎は俺の肩に止まっていて、少し機嫌悪そうに俺の髪をついばんでいた。


「どうした?やきもちか?」


俺の問いに亀太郎が軽くヒップアタックし、鳥次郎はこつりと頭突きし、蜥三郎は尻尾で俺の尻を叩いた。

どうやら正解らしい。


狐が三匹を見ながらくけけと鳴き、狸はやきもちを焼いた三匹を気にせず俺の手に鼻先を当てて甘えている。

俺は綺麗になったと狐を撫でて、次は狸の番だと頭にブラシを乗せるように当てれば狸の尻尾はぶんぶんと激しく振られた。

あー、動物って癒されるわぁ…。


しばらく動物に癒されていると狐と狸がいきなりバッと飛び上がり庭から走り去った。


亀太郎がなんだなんだと首を伸ばし、蜥三郎が俺の膝に飛び乗り、鳥次郎が俺の頭へ移動すると静かに三九郎さんが降りてきた。


「お前は随分と動物に好かれているな」

「同じ山に住むご近所さんなんです、二匹は三九郎さんの気配に驚いて逃げたみたいですね」

「…そうだな」


三九郎さんは狐と狸が走り去った方を少し見ていたけど、もしかして触りたかったんだろうか。


「俺の気配を動物に感づかれたのは初めてだな」


今、何かボソッと言ってた気がする。

俺が首を傾げていると三九郎さんは俺に何でもないといい、修理が終わったんだろうとここに来た用件を言った。


「はい!簪は修理が出来てます!今、お持ちしますね!」


俺は蜥三郎を膝から下ろすと三九郎さんはすぐに蜥三郎の足が治っていることに気付いた。


「足が、治ったのか」

「えぇ、邦吾さんの薬草がよく効いたみたいでして…蜥三郎が元気になったので良かったです」

「……………」


三九郎さんが腕を組んで何か考えているけど、俺は早く簪を持ち主の四郷の娘さんに返してもらおうと一声かけて簪を取りに行った。




「普通の蜥蜴は足が治るなんてないが…」


宗助が離れた後、縁側に置かれた蜥蜴の蜥三郎をまじまじと見ていた三九郎は何かからの圧を感じ、咄嗟に苦無を取り出す。

しかし、見渡しても誰もいない。いるのは三匹の動物、亀と鳥、そして目の前にいる普通の蜥蜴より少し大きい蜥蜴だけ。


じっと三匹で三九郎を見つめるだけなのだが、三九郎は謎の威圧感に息をのむ。

まるで黙っていろと言わんばかりな三匹だが、宗助が戻ってくるとその威圧感はたちまちに消えて宗助に甘えるように歩いていく。


「よしよし、…三九郎さん?どうしました?」

「いや、なんでもない…それが件の簪だな」


宗助が簪は元の簪に少し手を加えたと伝えてほしいと三九郎に伝える。

三九郎は頷いて簪が入った箱を受け取ると、一度三匹をちらりと見ると宗助の前からすぐに消えた。


「なんだか今日の三九郎さん、何か慌ててたな」


宗助の呟きに三匹は顔を見合わせるが宗助の体に頭を擦りつけて甘えていた。




--------------


菫がその簪と出会ったのは、桜の簪に関する噂を聞いて花衣屋を訪れたときのことだった。

薄幸の女として知られたお澪を、誰もが憧れる「桜美人」に変えたと言われる桜の簪。

農家から嫁いだお咲を、一流の女商人へと変えたという「鏡」も、同じ職人が手がけたものだ。

そんな職人が作る簪は「福を招く」と噂され、多くの人々の関心を集めていた。


他にも良い人と出会えた、疎遠になっていた親族や友人との仲を繋いでくれた、悪縁をきってくれたなど噂は絶えない。

そんな簪は福を招くという縁起の良さだけではなく、美しい装飾をされているという。


そんな噂の簪を一目みたいと思うのは仕方のないこと。

だから友人と一緒に花衣屋へ行き、簪を見に行った。


菫は花衣屋で美しい簪の数々に目を奪われた。蜻蛉玉は色彩も模様も見事で、布で作られた花は本物と見紛うほど精巧だ。

中でも、藍色の蝶が羽ばたいているかのような簪が菫の目を引いた。


「…綺麗…」


思わず菫は声を漏らした。手に取ると、店員が鏡を差し出して髪に挿してみますか?と促してくる。

挿すつもりはなかったが、鏡に映る自分に蝶の簪がよく似合っているのを見て、菫は思わず購入を決めた。


このまま挿して帰りますと告げる菫に、店員は微笑みながら「いいご縁がありますように」と言葉を添えた。





「おや、菫、随分綺麗な簪じゃないか」


家に戻ると菫の父親である四郷武史がおり、菫の髪に止まる藍色の蝶を見て、いい簪を見つけたなぁと笑う。

菫は花衣屋で買ったと言えばふと視線が一度横にずれると天野宗助職人の簪かな?と言うので菫は何で分かったの?と驚いた。


娘の反応に武史はやっぱりそうかと確信しながらもこの国では有名なんだよと返した。


「若様のお気に入りの職人でなぁ、簪以外にも刀や掛け軸、木像も作られるそうだ」

「あの義晴様のお気に入り!?それは知らなかったわ…、私は福を招くって噂があるから見に行ったの」

「なるほどなぁ、そういえば城に来ている女中達の中にも天野宗助職人の簪を持っている者がいるそうだよ…でもその簪を見れば分かるなぁ」


本当にいい腕の職人なんだねぇと菫の簪を見ながらのんびりと言った武史に洒落た物には無頓着な父の目から見てもこの簪は良い物と見えるなら、これは当たりだろうと菫は機嫌よくなるのだった。


翌日、菫が蝶の簪を髪に差し、母のお使いをしていると、藍色の蝶がふわりと現れた。蝶はひらひらと舞い、誘うように前を飛ぶ。


「何かしら…?」


菫は少し興味を抱き、いつもの道を外れて蝶についていった。すると、そこには小さな庭に美しく咲き誇る水仙の花があった。


「まぁ、なんて綺麗…」


藍色の蝶はひらひらと水仙の花の上を飛んでいたが、少しすると菫の髪に止まった。

自身の頭に止まったのだと気付きはしたがどこに止まったのかはわからないので菫は今はそのままにした。


「本当に綺麗に咲いているわねぇ」

「ありがとう、お姉さん」

突然かけられた声に振り向くと、10歳ほどの少年が立っていた。もじもじしながらも、どこか誇らしげに語る彼は、この庭の作り主だという。


「僕は総草家の蓮太郎。小さな庭を勉強でいくつか作って、町の人に楽しんでもらってるんだ」

「もしかしてあなた…庭師のお家で有名なあの総草家…?」

「うん、その総草(そうそう)家の蓮太郎(れんたろう)だよ」


蓮太郎という少年は水仙を近くで眺めるためにしゃがんでいた菫の隣に来ると同じくしゃがんだ。

水仙の花弁を優しく触れると微笑む。菫はその横顔に幼いが綺麗な顔だと思わず見惚れる。

数年もすれば顔がいいと騒がれるだろうなぁと菫は思った。


「ここはあまり目立たないし、こんな小さい庭だから誰も見やしなかったのによく見つけたねお姉さん」

「菫よ、四郷菫…お姉さんって呼ばれるより名前で呼んで頂戴」

「菫お姉さん」

「…もうそれでいいわ」


菫はまぁ、いいと頷くとここには綺麗な蝶に案内してもらったのだと蓮太郎に教えた。

蓮太郎はじっと菫の簪を見ていたが、その隣に簪そっくりな蝶が止まっていることに気付いて菫に頭にいる蝶かと聞けば菫はそうだと頷いた。


「ひらひらと飛んで、ここに連れてきてくれたのよ」

「ふうん、じゃあ蝶からしてもこの花は綺麗に咲いてるんだね」


蓮太郎はいいことを聞いたと笑う。

菫は蓮太郎に何故庭をこんな道の端で作っているのか聞いた。総草家は月ヶ原の城だけなく多くの武家の庭の管理を任されている家なのに、こんな目立たない場所で隠れてしているのかを疑問に思ったからだ。


「俺の家は総草家でも分家の中でもさらに分家の家でさ、本家は城の庭を任されているけど末端な家だと時々管理を任されてる家の手伝いさせられる位だったり街路樹の手入れするくらいの仕事しかないんだ」

「世知辛いわね…」

「でもずっと町の役人達とは交流があるからさ、こうやって小さな庭なら数箇所くらいなら作っていいって許可を貰えるんだぜ…香りのいい花は町の人にも喜ばれるしな」


意外と好評なんだと小さく笑う蓮太郎に菫は確かにこんなに綺麗に咲いてたら嬉しいわよねと納得する。

蓮太郎はこの庭の作り方は父親に教えて貰ったのもので、父親や兄や伯父達はもっとすごいのだと誇らしげに菫に教えた。


「酒屋の蟒蛇屋ってわかるか?あそこの隣の大きな桜を手入れしてるのは親父なんだ」

「え、あの毎年綺麗に咲いてる桜がそうなんだ!じゃあとっても腕がいいんじゃない!」

「桜だけでわかるのか?」

「私みたいな木の知識がなくても、あの桜は綺麗に咲いているもの!ということは他の花や木もそうでしょう?」


他にはどこを手入れしてるの?庭を作ったお家はどこかしら?と聞く菫に蓮太郎は驚いた、何故なら彼の知る女性は皆、木や花のことをここまで聞く者はいなかった。

菫の頭にいた蝶がひらひらと彼女の肩に移動して、まるで落ち着いてというように羽で頬を叩く。


菫は我に返ると少し恥ずかしそうに頬を搔きながら一言謝罪した。


「ごめんなさい、私ったら…」

「いや、いいよ…花が好きなの?」

「まぁ……昔にね、どこかの家の庭で遊んだ時にとても綺麗な青い花を見かけたの…それ以来私、色んなお花を見るのが好きなのよ」

「青い花…なんて花だ?」


蓮太郎はどんな花かと聞けば菫は分からないと首を横に振った。


菫曰く、その花を見たのが数年前であるため、色やぼんやりとした形は分かるが詳しい特徴はわからないこと。ただ、丘一面に咲く青い花は今でも忘れられないのだと語るが、青い花自体が珍しいので詳しい人に聞いても首を横に振られていたのだとも語った。


「どこで咲いてたんだ?」

「お母様が言ってたのは私が花をよく見るようになったのは…祖父母の家に行った時からだって言ってたわ…そう、堺の方!確か広いお庭が有名な家があるからって連れてってもらったらしいって…」

「堺のほうねぇ…もしかしたら菫お姉さんが見たのは”花姫”さんの庭の花かもなぁ」

「花姫さん?」


蓮太郎は”花狂い姫”の方が有名な呼び名の昔のお姫様だと教えた。


昔、花を愛していたその姫はどこからか不思議な花の種や木の苗を日ノ本中に植えていったらしい。

花のためにその人生を費やした姿は正に花に狂った姫、故に”花狂い姫”と呼ばれている。

だが、その花が多くの人の命も救ったことから花にて人を救う姫という意味からも草木を扱う職の家の者からは”花姫”と呼ばれるのだと。


「花姫さんの伝説の庭は日ノ本中にあるんだ、確かこの国だと楚那という場所にあるらしいぜ」

「楚那…あまり聞かないわね、でもその楚那にある庭ならばあの花は見られるかしら?」

「うーん、どうだろうなぁ…花姫さんの庭が点々としているのはその土地にしか咲かない花があるらしいから日ノ本中で研究したって話もある、俺も聞いたことはないからもしかしたら堺の庭にしか咲いてないのかもしれない」


菫はそうかと肩を落としつつも、堺に行けばもしかしたらまた見られるという可能性だけでも見つかったのでも良いことだと前向きに考える事とした。


「堺に住むおじい様に聞いてみるわ!教えてくれてありがとう蓮太郎くん」

「くんはやめてくれよ、何かこそばゆい」

「じゃあ菫さんって呼びなさいよ」

「…へっ」


何よいきなり生意気ねぇーと頬を軽く抓るが蓮太郎は笑う事はやめなかった。

じゃれ合う二人を蝶は静かに見守っていたのだった。


--------------


藍色の蝶を菫は数日も経たずに気に入った。

時にひらひらと飛んで良い物を見つけてくれたり、着物の色を悩んでいるとこっちがいいと教えてくれたりと菫にとって小さな友人が出来たと断言するほどに。

菫は蝶に”藍蘭”と名前を付けた。美しい羽の色からつけたが蝶は気に入ったと菫の周りをひらひらと飛んでいたので呼び続け、蝶にさらに情がわく。


また藍蘭の導きで知り合った蓮太郎とも親交を深めた。

草花の話が出来る友人がいなかったのもあるが、年下の友人に対して気遣いがなくなったのもあった。

菫は蓮太郎といると少し気楽になれたのだ。


また蓮太郎も年上の友人に対して気遣いがなくなったのもあるが、菫が自分の庭師の腕はいいと褒めてくれるのが何より嬉しかったのだ。

幼い自分が作った小さな庭を綺麗と言ってくれたのは菫だから、そんな菫といるのは少し気分が楽になったのもある。


互いに居心地がいいと遊ぶようになったある日、家の庭を蓮太郎の家に頼むように進言した菫だったのだが彼らの腕は予想以上に良く、彼女の父である四郷武史は大喜びで次も頼むと言っていた。

また、美しい庭を自慢した武史に招かれた客人の武将達からも注文が入るようになったらしく、蓮太郎は菫のお陰で家が経済的に潤ったと感謝している。


菫はそのことに関しては自分のお陰ではなく総草家の、蓮太郎の家の人達の腕がいいからであり、自分は切っ掛けに過ぎないのだと語った。

そんな菫の顔が何処か眩かったと蓮太郎は後に兄に語っているという。


菫は蝶と蓮太郎と楽しく日々を過ごしていた。


のだったが…菫の日常は、突然の出来事で一変した。友人と談笑しながら歩いていたところ、男が物陰から現れ、刀を振り上げたのだ。


「菫!!」


友人の叫び声。恐怖で動けない菫の目に映ったのは、藍色の蝶だった。

次の瞬間、地面に倒れる男。そして、壊れて散らばった藍蘭。


「藍蘭!!!」


菫はすぐに地面に膝をついて、壊れた藍蘭を拾う。

布で出来た藍色の羽は刃で鋭利なもので切られてひらひらと布がたなびき、体の芯の部分にまで刃による切り傷がある。


友人はすぐに菫の無事を確認すると突然男が倒れて、簪が落ちたこと。

菫の簪が天野宗助が作った簪と知る友人は、守ってくれたのだろうと伝えた。


《すみ、れさま…》

「藍蘭!!どうして…!!」

《菫様、ご無事、でよかっ、たぁ…》


菫の手の中で簪の蝶は苦しそうな声をあげて、羽が動く。

無事でよかったと言うと藍蘭はぴくりと動かず、声も聞こえなくなった。菫は反応の無くなってしまった藍蘭に嫌だ、嫌だと泣き崩れる。


長く美しい髪が広がり、地面につこうが構わず泣く菫に友人達は無事を喜びつつも、菫の傍で背をさすってやることしか出来ない。

周りも状況が分からないが、一部の女性達は簪を手に菫の姿に悲痛な表情を浮かべて自身の簪に触れたり、菫を守るように傍にいた。


蜜柑の簪を挿す女と猫の簪を挿す女は簪如きで大袈裟だという男をにらみつけ、周りの花の簪を挿す女性と共に囲みこそこそと話し合って、空気から黙らせた。

梅の簪を挿す女は地面に広がる髪を掬い、優しく撫でるような手付きで土を払う。


彼女達も菫と同じく天野宗助の作った簪の持ち主であるために、自身の持つ簪の姉妹であり、また菫の気持ちを心底理解出来たのだ。

故に自分も相棒と言える簪をこのような形で破壊されてしまえば同じく泣き崩れるのだろうと容易に想像できたから菫を守るように動いたのである。


その後、なんとか友の手を借りて家につくが…出迎えのために門を開けた女中は菫を見て悲鳴をあげる。


「菫様ぁ!?何があったのですかぁぁぁぁ!!?」


菫が握りしめた簪と涙に乱れた髪。その姿を見た女中が悲鳴をあげ、さらにその声を聞いて菫の母も駆けつけた。


「菫!一体何があったの!?」


母親の声に、菫は簪を掲げながら泣き崩れた。


「お母さまぁ…!藍蘭が…私の簪がぁ…!!」


泣きじゃくる菫に代わり、同行していた友人たちが事情を説明する。

簪が娘を守り壊れたと知った母は、菫を優しく抱きしめた。


簪が壊れたと泣く菫に彼女の母は大切にしていたのはよく知っていた事や簪が不思議な職人の作であるとは知っていたので娘を守って壊れてしまったのだと察して慰めるように菫を抱きしめたのだ。


泣きじゃくる娘を連れてきてくれた友人達にお礼を言い、事件があって疲れただろうから帰って休むように伝えれば友人達は菫を気にかけつつも屋敷を出た。

その際、門から出る前に今度絶対に美味しい団子を食べに行こうね!!と大きく声を揃えて言う娘の友人達に元気づけようとしているのだという気遣いが見えて、良い友人を持ったのだと菫の母は優しく微笑んでいた。




その夕方、蓮太郎が慌ただしく四郷家を訪れた。

顔に土をつけたまま駆け込んできた彼を見て、菫は泣き腫らした目を向けるだけで精一杯だった。


「菫お姉さん…怪我はないんだよな!」


菫は小さく首を横に振り、壊れた蝶の簪を見せた。


「簪が…」


蓮太郎はそっと簪に触れ、裂けた羽をなぞる。


「こいつ、菫お姉さんを守ったんだな」


菫は頷き、涙を流しながら蓮太郎の膝に顔を埋める。


「大事な友達が傷ついたんだもんな、泣いていい。」


蓮太郎は彼女の背を撫で続けた。

菫の母親が様子を見に来てもずっと菫は泣き、蓮太郎が彼女を抱えていたので母親は最初は驚いたが一呼吸置くと二人の傍に座り苦笑する。


「これじゃあ、どちらが年上なのか分からないわね」


と、笑いつつも娘が悲しい時に共にいてくれるような者がいる事に喜んだ。

菫が簪を特別に思っていることを母親は知っているのでそっと襖を閉じて、人払いをかけた。

今は涙を流す娘とそんな娘に寄り添ってくれる年下の友人を二人きりにさせたかったからだ。


だが、騒動を聞いた父親が襖を開ければそんな姿なので驚くが、母親が菫の簪が身代わりとなって壊れたことで菫は大事な友を怪我されて泣いていると伝えるとひとまず無事な事に安堵した。


「菫、そんなに簪が気に入っていたのなら、また同じ職人の簪を買ってやろう!だからそんなに泣くでない!」


蓮太郎はなんてことを言うのかと絶句し、菫の母はすかさず武史の頬を張り手した。

菫は顔から表情が抜けて、ただ父が言ったことを理解しようとしていた。


「こんの大馬鹿者!!武将としては優秀な癖に何故こういう時には空気を読まぬのです!!私と婚姻の義をした時もそうでしたでしょう…!!」

「お、お前!いきなり何故昔の事を言うんだ!?」

「あなたが女心の分からぬ大馬鹿者で人の心が抜けた戯けだからです!!」


この戯け!!大馬鹿者!愚か者!と罵りながら武史の体を叩く妻に武史はもしや違うのか!?と叫ぶが張り手の勢いが増すだけであった。

後ろで見ていた武史の部下は片手で顔を覆って天を仰ぎ、菫の世話係はにっこりと笑いながらもその目には怒りを宿していたのだった。


ばしん!ばしん!と武史を叩く音が響く中で、菫はゆらりと立ち上がって武史の方へと歩く。

何をするのかと菫の様子を見届ける周囲を気にせず、菫は腕を振り上げて母と同じく父の体を張り手で叩いた。


「藍蘭の代わりなんていないのよ!!父上の大馬鹿!!新しいのなんて気軽に言うな馬鹿ぁ!!」


簪を持つ手とは反対の手で泣きながらも般若の顔で父を叩く菫に武史はひぃぃ!許してくれぇ!と情けない声で叫ぶが先ほどから叩いていた母は張り手を止めて、娘の後ろでうんうんと頷きながら説教はそのまま続けていた。


そんな親子の様子に蓮太郎は呆気にとられたが菫の世話係がこの家は女性の方が強いんですよとにこやかに伝え、菫のために来てくれた蓮太郎を家まで送るように屋敷の兵の男に伝えたので今日は帰ってまた来て欲しいとお願いする。


「もうすぐ日も落ちます、恐らく菫様の怒りと奥方様の様子から夜は明けると思いますし私達もこの後に…こほん、だからまた明日にでも遊びに来てください」


菫様のご友人ならばいつでも歓迎しますわと言いつつも何処か笑顔なのに圧を感じる世話係の女性に蓮太郎はハイッと声が裏返りつつも言う通りに帰った。

送られる時に四郷家の兵の男は四郷家には当主の奥方や娘だけでなく女中等の仕える女達も強いから怒らせない方がいいと言われ、なんとなくだが理解したのだと後に自身の父に語った。



翌日、約束通り菫の家に行った蓮太郎。

にこやかに迎えてくれる女中に少々怯えつつも菫の部屋に通される。

日を超えたからか昨日よりも落ち着いたらしい菫だが、泣き腫れた目にあの後も泣いたのだろうと察し、来る際に手土産として持ってきた最近美味しいと話題の饅頭を差し出した。


「月ノ茶屋っていう美味しいって噂の茶屋の饅頭だ、これを食べようぜ」

「え!今度行こうって約束してたお茶屋さんだわ!気になってたの!」

「なら団子を食べるといい、みたらしや三色団子は有名だから」

「えぇ!そうするわ!」


布に包んだ簪をそっと横に置き、部屋の戸を開けて近くを通った女中にお茶をお願いする菫に蓮太郎は空元気なようだと気づいた。だがそれは仕方のないことだと思ってもいた。

蝶の簪は菫にとって友人であり、姉妹のように接していたのだ。

名をつけ、共に様々な場所をめぐり、日々を過ごしてきたのだから深い情を抱くのも仕方のないことであり…自身を守るためにこのような姿になってしまったのだから悲しみにくれるのも仕方のないことなのだと。


茶が運ばれ、饅頭を食べながら話していたのだがやはり気になるのは蝶の簪のこと。


「蝶はまだ、何も反応を返さないのか」

「…えぇ、羽を寸とも動かさないの、前は動かしてくれたのに」

「なぁ、修理は出来ないのか?作った職人の人にお願いするのはどうだ?」

「…ちょっと難しいの、天野宗助っていう職人の方は………あまり人に広めちゃ駄目よ?あの義晴様のお気に入りなの」


蓮太郎は食べていた饅頭を喉に詰めらせる。

慌てて茶を飲みこんで押し流しつつも菫を見れば、少し困った顔をしていた。


「ただ、お気に入りなだけならいいのだけど………守護役を置いたり、天野職人がいるところだけは戦に関するものを遠ざけたりと相当のお気に入りなのよ」

「それは……声をかけずらいな…」

「えぇ、それに城には天野職人の作品に救われた人が多いからその人達も天野職人を守っているらしいわ…特に五反田黄十郎様はその筆頭で、義晴様に気に入られたいと天野職人を利用しようとした人を刀を持って追いかけまわしていたそうよ」


蓮太郎は五反田黄十郎の名を聞いて目を輝かす。何故ならば、今清条国にて噂の人物で子供達の間にて大人気のお人だからだ。

突如この国に現れた侍で、先の戦にて星のように輝く刃を持つ大きな刀にて敵を一振りにて十は吹き飛ばしたり、大岩を一刀両断出来る程の腕の持ち主であるためこの国の若君である月ヶ原義晴の直々の誘いを受けたと聞けば皆が噂するものだ。


だが、そんな人もお世話になってたのかと驚いた。

蓮太郎はもしや噂のあの星のように輝く刃を持つ大きな刀は天野宗助職人の手で作られたのだろうかと考察すると菫と意外な繋がりがあったのだなと笑った。


「五反田黄十郎様がなぁ…あの噂の大きな刀も天野宗助職人の手で作られたのやもしれないな」

「そうねぇ、凄く恩人としてお慕いしているらしいし…花衣屋の人達もそう考えれば同じね」

「花衣屋の人にお願いしてみるか?」

「…自分の手ではないとはいえ、壊した簪を直して欲しいなんて言ってしてくれるかしら」


普通は嫌がるのよね、と不安そうな菫に蓮太郎はあの店の人ならば快く承ってくれそうだがと首を傾げるが菫が嫌そうなら強気で進めるのもよくないと控えた。

でも、菫は藍蘭を助けたいので嫌がられるのも承知でお願いしようかと思った時、慌ただしい足音と共に武史が入ってきた。


「菫!大変だ!」


菫は昨日の発言をまだ許していないと父の姿に顔をしかめるが、武史はそんな娘の顔を気にせず、吉報だと彼女の前に座る。


「菫、よく聞いてくれ、近々城で小春姫様が宴を開催されるのだが…そこに天野宗助職人をお招きしたそうなんだ!」

「え?」

「だから簪を直してもらうようにお願いしよう!儂と一緒に頼んでみよう!」


まだ詳しい日程は決まってないが、その日に頼みに行こう!という武史に菫はもしかしたらの希望が出たとすぐに頷いた。

武史が慌てて帰って来たので後ろで静かに事の様子を聞いていた菫の母はどうしてそんなことを知ったのかと聞いた。

文官ならばともかく武史は戦で役目を持つ将だ。それ以外の城での業務では陸奥川鼓太郎の下で行っているが宴等の祭事での指揮を任されることはない。


武史は妻からの質問に小春姫様に仕える女中の人が教えてくれたのだと言った。

小春姫様は天野宗助職人の簪に恩があるらしく、菫の簪の事を人づてに聞いたので教えてくれたのだと。

それを聞いて菫の母は納得の声を上げた。何故ならば武家の奥方情報網でも小春姫は天野宗助職人の作品の一つ…向日葵の簪に恩があるとあったからだ。


「なるほど、小春姫様ならば確かに情報は早くに持ちになられているでしょうね…昨日の今日でこのことをお知りになられるなんて早すぎる気がしますが」

「だが、菫の簪を直せる機会が与えられたのだ!これを逃すわけにいかないだろう?」


武史は直接お願いしてみようと再度菫に聞けば、菫は大きく頷いた。


--------------

数日後、宴が開催される日にて菫は父と共に城の門をくぐった。

門番に一度声をかけられたが、すぐに小春姫の忍びが菫を通すように言ったので入れたのだ。

そして、天野宗助職人が宴の時まで待つ屋敷まで案内する。


「あの、ありがとうございました…小春姫様にも機会を与えてくれたことを心より感謝しているとお伝えください」

「構わない、それに姫様も忠義溢れる蝶に敬意をお示しになられている…我らも上手くいくことを願っている」


忍びはそういうと失礼すると去って行った。

菫は気合を入れると父と顔を見合わせて、屋敷に入る。

門番には先ほどの忍びが言付けをしていたのか何も言われなかったが、流石に中の者にまでは話はいっていなかったのか止められそうになり、父と共に走った。


「四郷様!これ以上はいけませぬ!」

「姫様のお客人の間ですぞ!」

「知っておる!天野宗助職人なのだろう!許せ!どうしてもあの方にしか頼めないのだ!!」

「ごめんなさい!でもどうしてもお願いしたいの!!」


はしたないことだが、菫にとってはこれしか手がないことだったから必死だった。

故に音を立てて襖を開いてしまい、中にいた人物を驚かせてしまう。

中には男は三人いたが菫は一目みて、この人だと分かった。何故かはわからない、しかしこの人がそうなのだと。


「天野宗助職人…!」

「…四郷殿、随分と騒がしい来訪だな」

「すまぬ五反田殿!でもどうしても頼みたいのだ!!」


部屋にやってきた二人は天野宗助職人を見つけるとその前に跪いて懇願するように頭を下げる。

ぎょっとする天野宗助職人を他所に二人は用件を話した。


「いきなり押しかけてしまい申し訳ない!!私は四郷武史!こちらは娘に菫にございます!今回はあなたに、この簪を作った貴方にしか頼めないことがあって参りました!」

「お願いします!藍蘭を…私の簪を直してください!!」


菫が涙を流しながら天野宗助職人に差し出したのは壊れた簪…大事な友人。

どうかお願いしますと菫は叫んだ。これしか手立てがないのだと必死に。


「この簪は、私を守ってくれたんです!!私、辻斬りに襲われて、でもこの簪が守ってくれた…身代わりになって、守ってくれたんです!!」


どうか、私の友人を助けてくださいと簪を差しだして菫は頭を下げていれば、手の中の簪がなくなった。

菫が頭を上げれば天野宗助職人は簪を傾けたり、回したりとして見始めたと思うと優しく微笑んだ。


「少しお預かりしてもいいでしょうか?今は道具を持ってきていないので後日のお返しになりますが…」

「…なお、せるのでしょうか?」

「細かい亀裂や破損があるので少しお時間かかりますが…菫様、この子をお預かりしてもいいですか?」


直せる。そういったのだ。

その言葉を聞き、菫は涙を流しながらもう一度頭を下げた。


父に肩を抱かれながらその後は天野宗助職人がいる部屋から出るが、外に出るとほっとしたからか崩れるように地面に膝をついた。


「菫!?」

「よかったぁ、本当に、よかったぁ…!」


友が直ることに声を上げて、喜びから泣く菫。

武史は良かったなぁと声をかけながら、肩に菫の顔を押し付けさせると前から抱えた。

年はとっても武将なので鍛えている体に菫を抱えて歩く事など造作もなく、えんえんとほっとして泣く菫を抱えながら帰宅のため歩くのだった。


自身も夜には宴に参加するので屋敷に帰ったらすぐに着替えないとなぁと苦笑しつつも、大きくなってもまだ子供であったかとしみじみとしていた。


普段は女心がわからないと言われて叩かれるがこんな時はしっかりと父親なんだなぁと自分で思いつつも、娘の恩人…恩蝶を天野宗助職人が直せると言ってくれたことに彼も安堵したのだった。



--------------

数日後、五反田 黄十郎が木箱を手に屋敷を訪れた。

天野宗助職人に依頼されていた品を代理でお届けに参ったと言うので大慌てで女中は菫に伝えた。


菫と彼女の母も黄十郎の来訪に驚いたが、何よりも蝶の簪が帰ってきたと聞いて、嬉々として黄十郎を迎えると黄十郎は頭を下げて挨拶と突然の来訪に対する謝罪を伝えると持っていた木箱を差し出した。


「修理を依頼されていた簪を天野宗助殿の代理でお届けに参りました」


と再度言って、菫に手渡した箱には蝶の模様が掘られており、修理の返送のためにこのように立派な箱に入れてくれるなんて、と職人の拘りに菫は感嘆の息をついてしまう。

箱の蝶に帰ってきたと溢れそうな涙を堪えつつ、蓋を開ければ…菫の視界は藍色の蝶の大群に包まれた。


《菫様、長らく貴女様のお傍を離れてしまい申し訳ありません…しかし、この藍蘭、お父様の手で復活し…只今戻りました》


美しい白魚のような手が頬を撫で、布で出来た蝶の面をした美しい女が菫の前で笑った。

暫く聞けなかった声が、色が、羽が、頬を撫でる優しい手が藍蘭だと実感し、菫は涙を溢れさせて笑った。


「おかえりなさい、藍蘭」


美しい蝶の女は菫の言葉に優しい笑みを返していた。





菫は気づけば、母に肩を揺すられていた。

箱を開けたまま動かなくなったのに泣いていたので母と世話係の女中は心配してずっと声をかけていたと言いながら安堵をつくが、黄十郎は分かっているようで挨拶は出来たかと優しい声で聞いた。


菫は久しぶりの友の声を聞けたと涙を拭きながら笑えば、黄十郎はそれはよかったと微笑むと天野職人からの言伝で少し前の蝶に手を加えていると言ったので菫は簪を見れば…確かに少し変わっていた。

恐らく破損した部分を補ったのだろうが、紫の布が増えている…が、それは美しく調和されて前よりも何処か優雅な雰囲気を持っていた。


「前も綺麗だったけど、さらに綺麗になったのね」

「その言葉、お伝えしておきます」


黄十郎はそう言うと失礼すると挨拶をして、去って行った。

菫は早速髪を結い、戻ってきた簪を挿す。


菫の頭にいる蝶に菫の母は見慣れつつも懐かしい姿に蝶がやっといつもの菫が戻ってきたわねぇとしみじみと言えば、菫はひらひらと顔の前を過って肩に止まる藍色の蝶を見て、涙を流しながら頷いた。




菫の蝶が戻ってきた。

それを聞いて菫の友人達は飛んでくるように菫の屋敷を訪れ、布の蝶が髪に止まる菫の姿に彼女達もいつもの菫が戻ってきたと喜んだ。

そして、帰ってきた蝶におかえりと声をかけると菫の手を引き、団子を食べにいこうと外に連れ出した。


「約束したもの!団子を食べにいくって!」

「すごく美味しくなったって噂の月ノ茶屋にいくのよ!」

「今日は菫の蝶が戻ってきたお祝いしなきゃ!」


菫の簪ではあるが、戻ってきた蝶の快気祝いだと笑う友人達に菫は自分は良い友人を持てたと確信しつつも喜んでいっぱい食べなきゃと笑った。




美味しいと噂の月ノ茶屋は繁盛しているために並んで入らねばならないので菫達は美味しいと声を感激した声を上げながら食べる客達の声を聞きながら並んでいた。


「すごーい、みんな美味しい美味しいって言ってる」

「うん、こう、思わず漏れてくる言葉みたいな感じで本当に美味しいんだろうね…みたらしいい匂いする」

「ほっぺが落ちそうって感じの人もいるし、すごい美味しいんだぁ…楽しみ」

「前に蓮太郎が饅頭を買ってきてくれたけど…餡子が絶妙な甘さで美味しかったのよ!今日はみたらしにしようかしら…三色も捨てがたいけど…」

「私と分けましょうよ!私が三色団子を頼むから、みたらし団子頼んで!」


和気藹々と話す菫達、食べる時が待ちきれないと笑い合っていたがいきなり列の前に男が二人割り込んできたので菫はちょっと!と声を上げた。


「列に割り込まないで!みんな並んでるんだから!」

「はぁ、うるせぇな…俺らこんな並ぶの嫌なの、これくらいいいだろ」


駄目に決まってるでしょ!と菫だけでなく友人達や後ろの客も声を上げる中で、男は舌打ちすると刀を抜いた。

刀の刃に思わず声が止まるが、菫は父の持つ刀と違い刃こぼれだらけで刃の輝きが鈍いので手入れが全くされてないと気づいてしまい、うわっと思わず声が出てしまった。


「刃こぼれだけじゃなく刃に輝きがない…ろくに手入れしてないのね」

「あ゛!?」

「あ」


思わずと口をふさぐが男は菫の言葉を聞いてしまい、額に青筋が浮かぶ。

あ、まずいと菫は思うが男は刀を振り上げているのを見て、菫はまた藍蘭を壊されてしまうと簪を庇うように頭を手で覆った。


刀が振り下ろされる直前に蝶の群れが菫を覆った。


《もう菫様を悲しませませんわ、私は強くなって帰ってきましたのよ》


藍蘭の声と共に菫の前に藍色の蝶の形をした紋が現れて、刃を防ぐ。

蝶の紋に刃が触れた途端、刃は音を大きく立てて折れて刀を振り下ろした男の後ろへ飛んだ。

幸い人がいなかったが、飛んできた刃に悲鳴が上がる。


男は折れた刀に唖然とするが、すぐに持ち直して掴みかかろうと菫に手を伸ばすも蝶の紋が男の手を阻むように弾いた。

もう一人の男も菫に手を伸ばすが蝶の紋が現れて菫を守った。


《菫様に指一本…いいえ、髪の先でも触れさせません》


蝶の群れの中で菫は藍蘭の声を聞く、思わず小さく名を呼んで手を上に伸ばせば指先に蝶が止まり、蝶は集まって女の手になった。

手から少しずつ女の姿へ変わると帰って来た時にみた女の顔が見えて菫は笑みを浮かべる。


《私のご主人様…菫様に害をなす者からこの藍蘭が守ってみせます》

「無茶はしないで、もういなくなるのは嫌よ」

《ふふっ、えぇ、私も二度とお離れするつもりはありませぬ》


藍蘭は菫の頬を優しく撫でると男二人の方を見た。

男達は完全に怯えており、腰を抜かしている。


「菫!無事か!?」

「お父様?」

「お前がまた輩に襲われてると聞いたぞ!…だが、また蝶に助けてもらったみたいだな」


娘の危機と聞いて駆け付けた武史だったが、菫の周りを飛ぶ蝶の群れと腰を抜かす男達に娘が無事な事を確認して安堵の息をつく。

武史の後ろには蓮太郎もおり、彼も駆け付けてくれたようだと菫は笑みを浮かべた。


「ば、化け物だ…」

「はい?」

「怪物蝶を飼ってる女だ…!気味が悪い!!」


菫は友である藍蘭を怪物蝶呼ばわりしたことに青筋を立てるが、菫が怒鳴る前に菫の後ろで唖然と事を見ていた友人達が拳を握り前に躍り出た。

その顔は般若となっているので男達はひぃぃと悲鳴を上げる。


「誰を化け物ですって!」

「はぁー?菫と藍蘭ちゃんが?あんた達の面の方がよっぽど化け物みたいじゃないの!!」

「なんもしてない女の子に刃を向けようとした男としても侍としても半端者以下の男が何を言ってるのよ!!」

「「「なんとか言いなさいよ!!」」」


般若の女が集まれば恐ろしいもので、男達はひんひんと泣き始める。

武史は女に口で勝てるはずないなぁと横目に見つつも菫の肩に止まる蝶にまた娘を守ってくれてありがとうと頭を下げる。


「うちの恩人ならぬ恩蝶さんなんだから、化け物なんて呼ぶのは私も許さないよ」

「私達もです」


突如鈴のような声がかかり、その声の主を見た武史は目を丸くした。

何故ならこの国にいるはずのない人だったからだ。


「き、黄奈姫様ぁ!?」

「え!?」


武史は慌てて頭を下げるが黄奈姫と呼ばれた向日葵の簪を挿す女性は頭を上げさせた。

お忍びなので目立つことはしたくないという彼女の周りには桜、竜胆、梅の花の簪を挿した女性…お澪、お柴、お鶴が立っており、彼女達の美しさにその場だけ空気が違うと菫は惚けてしまいそうになるが肩の上にいる藍蘭がてしてしと羽で菫の頬を叩き正気に戻した。


「な、何故このような場所に」

「私の簪の姉妹に会いに来たのです…私達は花の簪で結ばれた姉妹となり、簪の姉弟がいるという美味しいお茶屋さんに行こうとここに参ったのですよ」


ですが…と言いながら四人は腰を抜かす男二人に目をやった。その目は氷のように冷たく男達はまた悲鳴をあげた。


「よもや私達の簪の妹を愚弄する言葉を吐くものを見てしまうとは…なんて気分の悪いこと」

「蝶の簪は持ち主のお嬢さんを守るために身を捧げる程に健気な簪ですのに…なんということをいうのかしら」

「えぇ、嘆かわしいですわ…周りのお客さんに聞いた所では横入りしようとして、蝶のお嬢さんに注意されたら逆上したとか…」

「男としてみみっちいこと…」


お上品な口調で話し合う四人の美人達に周りの野次馬達もそうだそうだと言い合う。

美しい花の四人に器が小さいと言われ、この件の男二人は顔をうつ向かせて顔を赤くするがお柴が前に出て、じっと二人を見つめていると二人はわなわなと震えたと思うと土下座して泣き始めた。


「わ、私達は…他の町でも同じことをしました!!」

「強盗もしました!」

「誰か、岡っ引きを呼んでくださる?ここに下手人がいますわ」


わんわんと泣き始める男達に周りは一体何がとざわめくがお柴の頭に咲く竜胆を見た者が驚きの声を上げた。


「そ、その竜胆の簪は!罪人を全員の罪を自ら吐かせて周り、縁堰の町から罪人を消したという”竜胆のお柴”か!?」

「え!?あ、あの”竜胆のお柴”!?」


大声で通り名を呼ばれたお柴は一瞬、天を仰いだ。その名を他国で呼ばれるとは思わなかったことや、大勢の人の前で仰々しくと呼ばないで欲しいという二つの意味からだ。


「…まぁ、はい、そういうことなので、この二人、罪を吐いたので、お願いします」


なので、早くこの人達を連れていけと少々雑になるのも致し方無いと思っているお柴だった。

が、そんなお柴の心境を察したお澪は優しく背を摩り、にこやかにお柴に話しかける。


「お柴ちゃん、”竜胆のお柴”ちゃん、深呼吸しましょう?落ち着いて、ね?」

「何度聞いても凄い力の簪ね、竜胆の簪は…ねぇ、”竜胆のお柴”ちゃん」

「そうよ、いいことなんだから誇りなさいな、”竜胆のお柴”ちゃん」

「…もう、姉様方ったら…からかいにならないでくださいな」


うふふっと笑い合う三人に対して、お柴は一瞬だけむすりとしつつもすぐに頭を振って気を取り直した。

そして、あの菫に絡んでいたあの男達が騒ぎに気付いてきた岡っ引き達に連れられて遠くに行くのを確認すると黄奈姫以外の三人はふう…と大きく息を吐いた。


「はぁ、緊張した…」

「き、黄奈姉様…突然姫っぽく振る舞ってなんて言うから何をなさるのかと思えば…」

「まぁ、梅達の妹を侮辱するものを放って置けないのは私達も同意でしたからね…」

「うふふっ!三人共、とても似合ってたわよ!高貴な振る舞いも出来てたわ!」


それはもう緊張したと言わんばかりの三人に対し、正に向日葵のような輝く笑顔の黄奈姫に菫はぱちくりと目を瞬かせるが、蓮太郎からすぐに怪我の有無を確認され、漸く事態は終ったのだと彼女も緊張の糸を解くように息を吐いたのだった。

そして、すぐに事を収めたと言っていい四人に頭を下げて感謝を伝えれば四人は菫が無事なら良いとにこやかに微笑んだ。


武史も共に頭を下げつつも、何故ここに黄奈姫がいるのかと問えば…黄奈姫は楽しげな笑みを浮かべて隣にいたお澪とお鶴の手を取った。余った柴の手をお鶴が反対の手でさりげなく取るのでお柴はえ?という顔を浮かべるがお鶴は楽しそうにお柴へ笑みを返すのだった。


「私の簪、向日葵の簪の姉妹に会いに来たのですよ!お柴は翡汪国から呼び寄せましたけどね!」

「突然城に呼び出しされて、大慌てでこの国に来ましたよぉ…でも、竜胆の姉妹達と会えるのは嬉しかったですし、来てよかったです」

「えぇ、私とお鶴は突然小春姫様が直々に言伝に来たので驚きましたけど…でも、この四人で姉妹になれて嬉しいわ」


姉妹?と武史が鸚鵡返しすれば黄奈姫はにっこりとした笑顔で自身の簪を指差した。

この簪は同じ職人の手により作られた、四季を司る花の花簪の姉妹なのだと。


「私は向日葵の簪のお陰で笑顔を取り戻しました、その簪には姉妹がいると小春から教えて貰った時に私は会いたいと強く思ったのです…そして、小春にも協力してもらい…この簪が売られていた店である花衣屋にて四姉妹の持ち主を集め、会合を開いたのです」


黄奈姫は隣に立つ三人を一度見ると美しく優しい笑みを浮かべた。

それは愛おしいという目が語るほどに慈愛がこもった優しい笑みを。


「直接会い、語らう中で私達は互いに始めて出会ったはずなのに、まるで久しく合わなかった姉妹のような感覚になっていました…とても懐かしく、落ち着く、そんな気持ちに」


黄奈姫の言葉に同意だと頷く三人。

それぞれの頭に咲く花の花びらが混じり合う。色が違うはずなのに、不思議と調和する光景の中で四人の後ろから彼女達を抱きしめる同じ花を咲かせる美しい女達が優しい目で見守っていた。

菫は自分も抱きしめられる感覚がして少し後ろを向けば、人の姿の藍蘭に同じように抱きしめられており思わず笑みを浮かべた。その光景にお澪が微笑ましいと笑みを深めたのはお柴だけ気付いたのだった。


「故に私達はこの花で結ばれた姉妹となることにしたのです、一番上はお鶴、次は私、三番目はお澪、末をお柴の姉妹として」

「それで先ほどから姉妹と言っておられたのですね…」

「えぇ、自慢の姉妹です…で、お澪からこのお茶屋も向日葵の姉弟がいると聞いたので美味しいという甘味を頂きつつもお話を聞きたいと思って参りましたのよ」


お店の中から騒ぎの様子を伺っていた月ノ茶屋の店員のお銀はそういうことだったのかと納得しつつも店主夫婦に事を伝えに行くように自身の簪であり、相棒である赤い猫に言伝するのだった。


「ですが、お鶴から聞いていた簪の者がいるとは思いませんでしたので偶然なのです」

「なんという縁か…いや、天野職人の簪だからそういった偶然でも福を招いたのでしょう」

「私はその天野宗助様の事は詳しくは存じません…けれども、あのお方の作った物ですからね」


良い偶然も引き寄せるのだろうと言う黄奈姫に天野宗助の作品を持つ者は深く頷く。

少なくはない人数に黄奈姫はふふっと小さく笑うと菫の方へ歩み寄り、優しい手付きで藍蘭の羽に触れる。


「この蝶が天野宗助様の手により蘇ったこと、心からお喜び申し上げますわ…もし、私も向日葵が同じことになったらと思うと心張り裂けそうになりますもの」

「ありがとうございます…大事な友人であり、家族ですもの、戻って来て本当に良かったと思います」

「今度は無茶をしては駄目よ、お互いにね」


いいわね?と下の子を叱るように鼻の先をちょんと触れた黄奈姫に菫ははいっ!と元気よく返事をすれば、黄奈姫はそれでいいと満足そうに笑った。


和やかな空気が流れる中で月ノ茶屋の店員であるお銀が店主夫妻を連れて、店先に現れた。

騒ぎを静めてくれた黄奈姫達や菫達に三色団子や饅頭を大皿に乗せて現れた店主夫妻は感謝と共にお礼として心ばかりではあるが団子と饅頭を馳走させてほしいと持ってきたのだ。


美味しそうな甘味の登場に黄奈姫とお柴は目を輝かせ、その様子にお澪とお鶴がよく理解できると中に案内してもらいつつも菫達の手を引いて、共に店の中に入った。

椅子につくと店主の妻であるお涼が茶をすぐに持ってきて、何を食べるかと聞きながら、今回は全部お礼なので馳走させていただくと言いつつ、にこやかに注文を聞いた。


のだが、店主が菫の前にみたらしときな粉の団子が乗った皿を置く。


「え、これは…」

「うちのお師匠が妹の快気祝いに持っていけと…注文は蝶の簪から好みを聞いたそうでして」

「妹…あ!」


菫は先程黄奈姫達が来たのはここに藍蘭や向日葵の簪の姉弟…つまりは天野宗助職人の作った作品があると言っていた。

藍蘭からすれば兄姉の作品は藍蘭の事を知っていたらしい。


「蝶の簪の事はうちのお銀の簪から聞いています…簪が天野殿の手で蘇ったことも」

「あの、ここにいる天野宗助職人の作品とは…」

「掛け軸です、今は表にいるので掛け軸の中にいませんが…そこに飾っています」


店主が顔を向けた方には月とススキの野原が描かれた掛け軸だが、中央に杵と臼が置いてあり何か抜けている感覚を菫は感じた。

すると、すっと机の下からにゅっと白いふわふわな手が現れて、団子皿を置いた。


「あ…!」


団子を置いた手を目で追いかけてみればそこには白い兎がお盆を持っており、菫達ににこりと笑うと厨房の中に跳ねていった。

もしやと店主を見ればこくりと頷き、誇らしげに掛け軸を見た。


「うちの師匠の奥方殿です…この店が潰れずに済んだのは師匠の…この掛け軸のお陰です、私も貴女のように天野宗助職人に救われた一人ですよ」

「それは私達も同じこと…私は笑顔を取り戻し、お澪は悪縁を切って良い殿方と出会い、お柴は町に巣くう悪から家族や親しい者を守れ、お鶴は自分を取り戻した」


これは天野宗助職人殿の作りし物のお陰だと語る黄奈姫に彼女の花の姉妹達はその通りだと頷いた。

菫もその言葉に頷く、何故なら自分は命を守ってくれたこともあるが藍蘭のお陰で多くの出会いもあったのだ…蝶の導きで出会った者の一人である蓮太郎も頷く中で様子を伺っていた武史は優しい笑みを浮かべていた。


「それに娘をお淑やかな女性にしてくれたのだから、天野宗助殿にはお礼をしないとなぁ」

「ちょっとお父様!」

「藍蘭殿が来る前と来た後のお前は違うよ、母さんもいっていたぞ」

「もう!お母様まで!」


ふふっと笑いが起きる中で菫の頭の上にとまる蝶は楽しそうにその様子を眺めながらも、姉達と会話をしていた。


《ふふっ、お澪様が楽しそうでよかった》

《黄奈姫様もね、こうやって私達からの縁で良い姉妹も作れましたし》

《お柴様も、最近では隣町の岡っ引き達からも依頼されたりと忙しい日々でしたから…久々に心休まれてます》

《それは、竜胆が張り切りすぎたからではなくて?》

《うっ…それは、一理あります…》

《まぁまぁ、お姉様達…ここはお茶の席、お説教はよろしくありませんわ》


梅の簪は藍蘭にいわれて、そうね、今はやめておくわと姿勢を正す。

その様子に竜胆はホッと息をつきつつも思い出したかのように桜の方を見た。


《そうだ、私は桜の持ち主の方にお願いがありましたの》

《お澪様に?》

《えぇ、花衣屋は翡汪国に伝手のある店がありましたわよね?お父様の簪を翡汪国にも流通させて欲しい

の》

《あ、それはうちも…汐永の国にして欲しいわね》


桜の簪はどういうことかと問えば、翡汪国と汐永国には父である天野宗助の作品は竜胆と向日葵の他にはいない。

竜胆はこの国では多くの人間が姉妹達のお陰で良い切っ掛けを得て、それぞれが輝きながら人生という道を歩んでいるが…他の国にもそれは広まるべきだと竜胆と向日葵は考えたのだ。


《私達は不思議な縁にてこの国を出ました…そしてお柴様と黄奈姫様にそれぞれ出会い、お二方のためと尽くせています…しかし、先ほど花衣屋の中にはまだ出会いの縁が薄い簪もおりました》

《恐らくあの簪達の持ち主となる人間はこの国にはいないのやもしれない、ならば妹達のためにも他の国にもお父様の作ったものが行く方がいいわ》


桜の簪は少し考えるが確かにそうかもしれないと考えに至ると、この後花衣屋の店に戻った際に伝えてみようと言うと梅の簪はそれならば花の姉妹となった全員で動くのはどうかと提案する。


《黄奈姫様は汐永国の店に取り合うのは容易いですし、お柴様は”竜胆のお柴”の通り名の知名度を使うとよいでしょう、それに花衣屋の大旦那殿から一筆書いて頂ければ事は速いでしょう》

《そうしましょうか》


蚊帳の外の藍蘭は姉達が話す事の大きさにさ、流石お姉様達…!やることの影響力が凄いと内心慄くがやろうとしていることには賛成だった。


つまりは他の姉妹達を清条国の外へ出すことだが、それによりまた多くの人間の変わる切っ掛けを与え、姉妹達が人間と出会う縁を強くするためだ。

花簪である桜、向日葵、竜胆、梅のそれぞれは持ち主との縁を他国であったとしても引き寄せてしまえる程の力はあるが、他の簪はそこまでの力は無い。


同じ国にいれば自然と出会えるのだが、他国にまで縁を見つける事が出来る程の力はないので未だに店の中におり、今は三本程花衣屋にいる。

つまりはこの先、増えていけば在庫として扱われてしまう妹達や職人としての父の生活の為にもならないとこの姉妹達は動き出したのであった。



《お父様の生活もかかってますし、それに妹達がいい縁を結ばれやすくなる、それに人間達も良いことが起きる…一石二鳥、いえ、三鳥ですわね》

《あら、そんな言い方しないで頂戴…》


この中で一番下の妹の発言に姉の四人は苦笑しつつも言ってることは正しいので強くは言えないのだった。



後日、花衣屋から他国の店へ天野宗助の作品達が運ばれることになる。

その件には勿論月ヶ原義晴や小春姫も関わり、念入りに調査し、厳しい審査を通った店に許可された店のみなので花衣屋の店員達は心置きなく荷車に乗って店を去る簪達を見送ったのだった。


ちなむと念入りの調査と厳しい審査とは。

念入りの調査=三九郎の忍軍&小春の忍びによる内部調査。

厳しい審査=邦吾、お咲、大旦那による査定とお柴と竜胆の簪による素行調査。

である。

特にお柴と竜胆の簪による審査により、何も起きなかった店は汐永国や翡汪国から見ても優良な店として扱えるので大助かりであり、また薄暗い事をしていればすぐに罪を自白するのでその対応に岡っ引き達は大忙しだった。一人だけ、翡汪国の大野親分だけは仕事に追われているのに楽しい楽しいと大笑いするので清条国から助っ人で来た岡っ引き達がドン引きしたという事案が発生したが…そこはお柴がいつものことなのでとにこやかに気にするなと対応したという。




そんな大きな騒ぎの中で藍蘭と菫はというと…。


「れ、蓮太郎ったらまたこんなのを…」

「情熱的でいいじゃない」

《(そうだというように菫の母の膝上にて羽を動かす)》


菫は蓮太郎からの求愛に困っていた。

というのも、藍蘭が戻ってきた日から菫は”蝶美人”と噂されるようになったのだ。

藍蘭こと藍色の蝶と戯れる姿に多くの男達から茶に誘われたり、文を貰うことが多くなったことで蓮太郎は菫を他の男に取られたくないと花を贈るようになったのである。


自分の方が菫の美しさやいい所を知っているのだぞという負けん気もあるのだろうと菫は見ているが菫の母や藍蘭からすれば、その前からの菫に対しての行動からもその気はあったと菫とは反対に蓮太郎を応援していた。


「もう…私、蓮太郎のことを弟みたいに思ってたのにぃ…どうしよぉ…」

「(そうやっていいながらも受け取って、大事に押し花とかにしてるのに…)」


頭を抱えて悩む娘を見ながら膝の上にいた藍蘭を手に乗せて、目線を合わせるよう持ち上げた菫の母は自分には鈍い子よねぇ?と藍蘭に目で問いかけると藍蘭も同意と羽を動かした。

藍蘭からすれば菫と蓮太郎は相性がいいのは知っている。


《私が菫様にとって一番いい縁の元へ導いた先にいたのが蓮太郎なのですから、相性が悪いはずないのですのに》


早くくっつくといいなと思いつつも、やはり自分が動くべきかと考える藍蘭は今日も菫のために羽を動かすのであった。


-------------

Wiki 天野宗助 作品


簪 藍蘭


四郷武史の娘 菫が所有していた紫と藍色の布で出来た簪。

守りの簪であり、復活した簪として有名。


持ち主を守り、蝶の姿で導くとされている。


四郷菫が辻斬りに襲われた際に身代わりとなって破壊された。

その後、天野宗助が月ヶ原の城に招かれた際に四郷武史と共に簪の修理を依頼したことで修理されて復活した。※1


修理前は藍色の布のみだったが、修理された際に紫の布と守護の力が追加された。

持ち主の物理的な危機には蝶の紋が現れて盾となって守り、菫が悪夢を見た際には夢の中で顔の半分を布の蝶の仮面で隠した女が黒い靄のようなものを殴って追い出したという。


江戸の時代にて持ち主の夫に横恋慕し、呪い殺してから奪い取ろうと画策した女がいたが藍蘭が全て呪いを殴り返し、逆に呪おうとした女の夢の中で性根を叩き直すと説教や竹刀を持って追いかけまわしたので呪おうとした女が折れて自首したという記録がある。※2



※1 依頼する際に涙を流して頭を下げた菫が藍蘭を大事にしていたのだと分かったので天野宗助は修理をしたという記録がある。


※2 近年では四郷家の子に対してイジメをした生徒の夢の中で竹刀を持ち、イジメをした生徒の黒歴史を大声で言いながら追いかけまわしていたので夢から覚めた後に生徒が泣きながら謝り、逆にやりすぎは駄目だと四郷家の子供が庇ったという騒動が起きた。






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― 新着の感想 ―
呪いを殴り返すのは強い
新年に素晴らしいお話を読めて幸せでした。 この機会に過去のお話も読み返させて貰いましたが、産み出された作品と出会った人々が幸せになる姿を見て、改めて読者として心が洗われる思いでした。 これからも更新を…
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