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第19章 鹿の根付 鹿大将

活動報告でもお伝えしましたが、こちらでも改めてお伝えさせて頂きます。

大変有難いことにこの度、この作品「戦国一の職人 天野宗助」が書籍化となりました。

遅い筆の進みの作品ですが、多くの皆様のお陰で形に残る物となりましたことを心より感謝致します。

今後も皆様に宗助の物語が楽しんでいけるよう精進していきますので、引き続きよろしくお願い致します。


白龍斎。


小春姫から最近、宗助の周囲を都の忍が嗅ぎまわっていると聞き、義晴は調査を進めていた。

何を調べているのかは不明だが、宗助のことを詳しく聞こうとしているため、村人から警戒されているという事も小春姫の報告で明らかになり、三九郎にまず、切っ掛けとなることがあったか調査をさせた。


その指示を出して数日後、三九郎はある物が起こした騒動の詳細を書いた調査報告書を義晴に渡した。

その報告書を見た義春は、想定していた内容に頭を抱えた。


なぜなら、やはり宗助の作った物が関係していたからだ。


「やはり、件の鹿が…」

「はい、宗助が作った根付の仕業です」

「一体何をしたのだ…今回は…」



-------------

時はさかのぼり、秋が深まった頃の京の都の郊外の地。


その場所に住む、お乃子(のこ)はまだ6歳の息子の喜井太(きいた)と慎ましやかに暮らしていた。

喜井太の父は流行り病にて亡くなり、運よく生き残った二人は畑を耕しながらお乃子は薬屋にて働き、時に草履等の日用品を作って町で売りながら暮らしていたのだった。


そんなお乃子と喜井太を周りの人々はふびんに思い、余裕があれば手を差し伸べる程度の優しさを示したが、それでもお乃子にとっては幸せなことであり、いつも感謝していた。そう言うお乃子を村のおばあさんや子供のいる母親たちは気にかけてくれたからか、平穏な暮らしであるとお乃子は感じていた。


そんなある日、楚那村に住む母親から荷物が届いた。お乃子は楚那村から嫁いできた娘で、たまに文や言伝が届くことはあった。

今回の伝言によると、村にいる宗助という若い職人が作ったという鹿の根付で、その若い坊主が作った物は清条のある町で福を招くと言われているから縁起物として持っておきなさいと。


「まぁ、おっかあたらこんな高級なものを…あら、でも可愛い鹿だわぁ」

「お目目が可愛いね!」

「そうね」


お乃子は早速鹿の根付を帯につけると揺れる鹿に合わせて喜井太の頭が揺れる。

楽しげな息子にお乃子はにっこりと笑いながらお祖母ちゃんにお礼しようねぇといいながら家に息子と入るのだった。


「お乃子…お乃子…」


その後ろを見つめる影に気付かずに。




お乃子は普段は町中にある店の薬売りの手伝いをしている。

手伝いの仕事は接客を主にしているが、時に山の中で薬草を探し、その薬草の種類や量から追加の報酬をもらうのだ。

少々大変な仕事だが、店主の薬売りはいい人で、時にはできた薬を分けてくれたり、何よりも幼い喜井太を山に行く間は預かり、面倒を見てくれるため、お乃子にとってはこの店は働きやすいものだった。


そんな店のためにもと、今日も山に入っていたお乃子は薬草を探すために歩いていると、一匹の鹿がお乃子の前に現れた。

こんな人の気配がするところで珍しいと見ていると、鹿は暫しお乃子を見て、頭を下げた。


鹿が頭を下げるのは威嚇と聞いたことがあるお乃子は、何か刺激してしまったのかもしれないと距離をとるために、ゆっくりと後ろに下がる。が、鹿はそのお乃子の様子に慌てたように頭を上げ、どこかへ行ったと思ったらすぐに戻り、お乃子が進もうとした道にくわえていたものを置いて立ち去った。


どこか焦っていたように見えて、お乃子は一体なんだったのだろうかと鹿が置いていったものを見れば…それは珍しい薬草だった。

薬売りに卸せば高く売れるもので、なんでそんな薬草を持ってきてくれたのだと疑問に思いつつも、生活のためにも欲しいものなので、鹿からの贈り物をありがたくいただこうと、背負っていた籠に入れたのだった。


その様子を見た先ほどの鹿は安堵あんどしたように息をついていたのだが、お乃子は気づかなかった。


山から降りて薬売りに採取した薬草を卸したお乃子は、薬売りに珍しい薬草があることにいつもよりも少し多めに代金をもらったので、その分で根付を送ってくれた楚那村にいるお乃子の母に何か御礼を買おうと商店に入った。


商店の店主はいつも薬売りの手伝いをしているお乃子だと気づき、気さくに今日は何が欲しいかと聞いた。この商店にいつも薬を卸しており、時々お乃子が薬売りの代わりに納品をする時があるからだ。


商人はお乃子の腰の帯で揺れる根付に気付き、かわいいものをつけていると言うと、お乃子は故郷の村にいる母が送ってくれたのだと説明した。若い職人がいて、村の者に根付を配ったので、わざわざ送ってくれたのだと。


商人は根付を見ながら話を聞いて、精巧な作りだと根付を褒めた。


「その根付は大事にするといいよ」

「えぇ、母からの贈り物ですから」

「…うん、そうだね、それもあるかなぁ」


どこか含みのある商人に首をかしげつつもお礼の品を髪紐にしようと決めた喜井太は持ってきたので会計を済ませる。


「清条国に荷物を送る予定があるから、ついでにこれを楚那村に送ってあげよう」

「まぁ!いいんですか?」

「いつも薬を配達してくれるお得意様だからね、これくらいはさせておくれ」


では配達を頼むお乃子は喜井太と商人に礼を言うと店を出たのであった。

それを見送った商人はお乃子の腰にあった鹿の根付を思い出しながら静かに笑う。


「恐らくあの根付は、うわさの職人のもの…だろうからね、福を招くという道具を作る職人のものだ…あの子は楚那村から嫁いできたのだし、送られてくるのは分かる…しかし、何が起こるか…楽しみだ」


商人はふふっと楽し気に笑うと、いつもの商人の顔に戻り、他の客への接客に戻った。が、お乃子と喜井太の去った方へ見知らぬ男が不審な動きで歩いていくのを見かけて、思わず目を向けてしまう。商人としての勘からか、嫌な雰囲気を感じていた。


「お乃子ちゃんと喜井太坊に何もしないといいのだが…一応、都の見回り衆には伝えておくか」



家に帰ったお乃子と喜井太は夕食を終えるとすぐに眠る。

明日のためにもだ。だが、ふと目が覚めてしまったお乃子は井戸の水を飲もうと家を出たのだった。


「ふぅ…明日もいい薬草が見つかればいいわねぇ」

「お乃子」

「え?」


名を呼ばれて振り向けば、すぐ近くに見知らぬ男の顔があり、驚いて距離を取ろうとする…が、男はお乃子の腕をつかんだ。


「なぜ逃げるんだ?おまえの旦那になるんだぞ」

「何言ってるの!?私はあなたなんて知らないわ!!」

「そんなはずないだろう!!!」


男はお乃子の腕を掴む力を強めたので、お乃子は痛みから手を振り払おうとするが、男の力は強くて離れない。

お乃子は「痛い!!」と叫ぶが、男は「うそだっ!!」と大声で怒鳴った。


「薬屋の店で、あんなにも優しく笑って、俺に薬を手渡してくれたじゃないか!! 俺のことも詳しく聞いてきたのに!! 俺のことを思ってくれたからだろう!? 俺に気があるからあんなにも優しい顔をしたんだろう!? 俺を夫にしたいからあんなにも聞いてきたんだろう!?」


血走った目でそう語る男。

そんな男にお乃子は、この男は狂っていることと身の危険が迫っていることをすぐに察した。

もちろん、お乃子に男が言うような恋慕もなければ、下心もない。


お乃子の行動は薬屋として当然の行動だった。

薬屋の店を訪れた客ということは何か病や持病を抱えているものだ。故にその病に適した薬を処方したり、購入しなければならないため、丁寧に症状の聞き取りをするのは薬屋に勤めているのだから当然のことだった。

まさかその行動がこんなことになろうとはお乃子じゃなくとも思わないだろう。


拒絶するお乃子に男は激高し、拳を振り上げた。


「母ちゃん!!」

「お乃子ちゃんに何してんだ!!!」


が、騒ぎに気付いた喜井太と隣の家の住民が外に出て、お乃子の腕を掴む男を見て石を投げる。

男は石に驚き、腕を離した瞬間に後ろから何かが勢いよく突っ込んできたかのような衝撃を受けて吹っ飛んだ。

しかし、男が振り向けば…そこには何もいなかった。


男はただ、邪魔されたことを理解し、逃げ去った。


「母ちゃん!!」

「待たんか、苦彦!!!」

「お乃子ちゃん! 大丈夫!?」

「えぇ、大丈夫です…しかし、今の男は一体?」



喜井太と隣の家の夫婦の奥方がすぐにお乃子に駆け寄る中で旦那が男の名を知るようなので、お乃子は今のは誰だったのかと聞いた。


男の名は苦彦。

他の国から来た男で、商店の奉公人をしていたという。

過去形なのは店の商品を盗み、他の店に売っていたため解雇されたからだ。

罪を償うために、罰を受けていたはずだという。

旦那は都の奉行所に紙や炭を店から納品する仕事をしている。その雇い主へ苦彦について注意するようにと奉行所側から言伝されたので知っているのだ。


「あいつ、いつの間に出てきていたのだ…」

「でも、なんでそんな男がお乃子ちゃんに…」

お乃子は訳を話す。

店での接客を自分への好意と見られていたようで、勘違いされたことを。


訳を聞いた夫婦は呆れたと二人そろって首を横に振り、お乃子の無事を喜んだ。

喜井太も母がそんな目に遭っているとはと驚くが、そんなやつを父とは絶対に認めないからと決意を口にする。


「今日は来ないかもしれんが…危ないから二人ともうちにおいで」

「いいえ、”しばらくうちにおいで”ですよ、おまえさん!」


そんな危ない男がうろついているのに二人にできますか!と腰に手を当て、いざとなったら箒で私が叩き出すわ!と拳を握る隣の家の奥方に喜井太は相変わらず肝っ玉が据わっているなと思いながらも母の安全を考えるとお願いした。

こういう時は意外にも子供は頼れる存在なのである。

お乃子もお言葉に甘え、しばらくお願いしますと頭を下げれば、隣の家の夫婦は二人の背を押して自宅へと招き入れた。

さすがにこの晩は苦彦は来なかったのか、お乃子と喜井太はぐっすりと眠るのだった。


翌日、お乃子は仕事があるため早めに隣の家の旦那とともに家を出て、送ってもらう。

薬屋の店主は事情を聞いて、しばらくは薬草は大丈夫だから店にいるようにと言い、店の奥で薬の補充や保存、仕分けの作業をするように命じた。


店主の気づかいに感謝しながら言われた通りに店の奥で数が少ない薬に使う薬草の仕分けをしていると、店先の方から男の怒鳴り声が聞こえ、思わず縮こまる。

声が止み、静かになった後に恐る恐る店先へ顔を出したお乃子は、店の中が荒れていることに驚いた。


「店主さん!これは、まさか…!!」

「お乃子、奥にいておきなさい…あれはどうしようもないやつだ」

「でも、こんなに荒らされて!!」

「大丈夫だ…今、奉行所の奴らがあの苦彦という迷惑客を連れて行ったからな」


やれやれと肩をすくめた店主は、仕分けは終わったのかとお乃子に聞けば、腹痛と頭痛の薬の薬草は仕分けは終わっていると報告すると、店主はあとは下剤の薬の分も頼むと言うと、店の地面にまかれた薬を掃除するのだった。

迷惑をかけていると顔をうつ向かせるお乃子に、店主は「あれがとてつもなくおかしいだけで、お乃子は悪くないぞ」と声をかけて、しっしっと手で払い、お乃子を店の奥に戻すのだった。


申し訳ないと思いつつも、不器用な優しさに感謝しつつ、店の奥に戻った。

そのまま仕分けをし終えて、店主に今日の分の仕事の報酬をもらうと、家まで送ってやるという店主に、お乃子はあの苦彦が怖いので、お言葉に甘えて送ってもらう。

そして、今日も喜井太と隣の家に泊まる…はずだった。


はずだったのだが、隣の家の奥方がお乃子の顔を見た途端に駆け寄ってきた。

その奥方は着物が汚れており、顔に傷があった。


「お乃子ちゃん!大変だよぉ!!」

「どうした、その怪我はどうしたんですか!?」

「私よりも、喜井太くんが!!喜井太くんが攫われたんだよぉ!苦彦に雇われたっていう輩に!!」


奥方はすぐに止めようとしたが、数人いたこともあって、簡単に連れていかれ、反抗したら殴られてしまい、太刀打ちできなかったと連れていかれたことをお乃子に謝罪した。

お乃子は体を張って守ろうとしてくれた奥方に感謝した。旦那の方はお乃子よりも先に帰ってきて、事情を聞くと探してもらうようにこの町の岡っ引きたちに伝えに行ったという。

また、近所の者も箒や竹の棒を片手に持ちながら捜索をしてくれているとも伝えた。


店主はまずけがをしている奥方の手当てをしないといけないと奥方を連れて、お乃子の家に入る。

奥方はそれよりも喜井太が心配だから探しに行くというが、お乃子がすぐに手当てを受けてほしいと頼むと、手当てを受けたらすぐに捜索に参加するから!と伝えて店主に続き、家に入った 。


奥方が家に入るのを見届けると、お乃子の膝が崩れ落ち、地面に正座をするように座り込んでしまう 。

息子がさらわれた。しかもあの男に。

それだけでお乃子は汗が止まらなくなり、息が乱れ呼吸ができなくなる感覚になった。


「どうしよう…!あの子に何かあったら私は…!」


顔を両手で覆い、地面に膝をついてしまうお乃子。

そんなお乃子に何かが近づいた。足音は人ではない。馬のひづめに近いが、軽い音だった。


《姐さん、大丈夫ですよ、あっしらがお力になりますから…さぁ、ゆっくり息をしてくだせぇ》

「え?」


突然の声に前を見れば丸くてつぶらな目があった。

パタパタと動く耳、茶色の毛並みに白い斑点模様、そして何より目立つのは立派な角。

そう、鹿だ。鹿が目の前にいてお乃子を見つめていたのであった。驚きからか深く息をしたお乃子は息苦しさが消えた。


「鹿…?」

《はい、姐さんの根付の鹿です》

「しゃ、しゃべった…!?」


にこっと目を細めてまるで笑うような仕草をする鹿にお乃子はきょとんとするが、そんな場合ではないので体に力が入ると分かるとすぐに立ち上がり息子を探しに行こうとするが鹿が待ったをかけるように前にたった。


《いけません姐さん、危険です》

「なんで鹿がいるのか、わからないけど今は遊んであげれないの!」

《坊ちゃんの状況は分かっています、ですが持ち主の姐さんを危険な目に合わせる訳にいきやせん》


きりっとした鹿が先ほどから言う持ち主という言葉に思わず、つけていた鹿の根付に手を伸ばせば鹿はそれがあっしですよと少し目を細めて微笑むような顔をした。


《ここからはあっしらにお任せを》

「お任せをって、何をするの…」

《あっちが数でやるってなら、こっちも数を出してやるんですよ》


鹿はそういうと前脚を高くあげて嘶いた。

その姿はどこか不思議な神々しさがあるとお乃子は思った。


《お前らぁ!!坊ちゃんを攫ったボケ共と戦じゃあぁぁぁぁぁ!!》


前言撤回、何か野蛮だとお乃子は思った。

嘶き終わり、前脚を下した鹿はふるりと頭を振るとお乃子に傍にくるように言った。


《巻き込まれますぜ》

「何に?」

《あっしらの組のもんに》


お乃子はえ?と聞き返す前にどどど…という地鳴りを聞き、何かが近づいてくるのが分かった。

その地鳴りのする方を向けば、人が悲鳴を上げて道を開け…その先にいたのはこちらへとてつもない速さで駆けてくる鹿の群れだった。


鹿達は砂煙をあげながらお乃子の前に止まる。

お乃子の前にいる鹿達はどこか目つきが勇ましく、一部の鹿には傷跡が見えた。


「なにっ、この鹿達!?」

《うちの組のもんです、お前ら!!姐さんに挨拶せぇ!!》

《《《《よろしくお願いいたしやす、姐さん!!!》》》》


お乃子の傍にいる鹿は声をそろえてあいさつする鹿たちに満足そうにうなずく。そんな鹿の群れから一匹の鹿が前に出た。


《お頭、今回は戦と聞きましたが》

《おう、姐さんのご子息、つまり俺たちの坊ちゃんをさらったボケナスがおる》


鹿たちは目を吊り上げ、足を動かし始めた。群れの中から「どこの組のもんじゃ」や「うちの坊ちゃんに手を出しやがったんか」などの声が聞こえる。事を聞いていた鹿も片目をひくりと動かし、少し首を動かして、まるで自分を落ち着かせているようなしぐさをしていた。


《姐さんに無理やり求婚を迫ったやつが坊ちゃんを人質にしやがったんだよ》

《つまり?》

《坊ちゃんの救出!!並びに二度と姐さんと坊ちゃんに手出しさせねぇようにお灸を据えてやれ!!》


鹿たちは「おぉぉぉぉぉ!!」と声を上げる中で、お頭の鹿は群れから鹿を一匹呼んだ。その鹿は細身だが雰囲気がそこらの鹿とは違い、まるで手練れの侍を思わせた。


《姐さんの護衛を頼む、お前なら何が来ても問題ないだろ》

《お任せを、姐さんに手を出す輩は全て片付けます》


お乃子は鹿とは思えない会話してる…と思いつつもどうやら喜井太を助けに行ってくれるらしい鹿達を見て、何故か不思議と不安が消えた。

護衛を頼むと告げるお頭の鹿にお乃子は息子を頼みますと告げれば、鹿はその声に応えるように嘶いた。


《行くぞおめぇら!!戦の時間じゃあ!!》


鹿達はその声にまた嘶き、走り去っていった。

町の人の驚きの声と悲鳴を聞きながら、走り去る鹿の群れをお乃子はただ見送っていたのであった。


「大丈夫、よね?」

《お頭がいますから、必ず坊ちゃんは無事に連れ帰りますよ》

「でも、もし怪我でもしたら…」

《そのときはしっかり御礼させていただきます》


手足が残ってるかはしりませんがとにこやかに告げる鹿にお乃子は少しだけ不安になった。

相手がこれは生きていられるか?と。



-------------

都の郊外にある小さな小屋。

お乃子の元から浚われ、しつこく母に付きまとう男に誘拐されてしまった喜井太。

縛られ、顔を掴まれてずっと母を自分と婚姻をすることを頷かせろという苦彦に喜井太は嫌だ!と反抗をしていた。

中々うんとは言わない喜井太に苦彦は舌打ちをして、地面に喜井太を投げ飛ばす。


「餓鬼が、さっさと父上のいう事を聞けばいいものを」

「お前は俺の父ちゃんじゃない!!俺の父ちゃんは立派な人だ!お前なんかとは大違いだ!!」

「この餓鬼!!」


苦彦が胸倉をつかみ上げ、殴ろうと拳を振り上げた。

喜井太は目をつむり、衝撃に耐えようとしたが一向に振り下ろされることはない。


突然外からうめき声と、扉を破壊する音が聞こえたからだ。

なんだと訝しむ苦彦は扉を突き破ってきた何かに驚きの声を上げる。


「な、し、鹿?なんでこんな」

「え?」


苦彦の言葉に目を開けて、横を見ているので同じ方向を向けば…そこには壊した戸から入った数匹の鹿がいた。

鹿?と思っていた喜井太の顔を見た鹿達は目を大きく開き、嘶いた。


《てめぇ、坊ちゃんに何してやがる!!》

《坊ちゃんのお顔に傷が!お頭ぁ!大変でさぁ!!》


可愛らしいつぶらな瞳の鹿とは思えぬ程にドスが聞いた声に口調で話す鹿。

そんな鹿に喜井太も苦彦も状況が理解できずに固まる。

だが騒ぐ鹿達の後ろから今いる鹿達よりも立派な角を持つ鹿が現れ、その鹿に他の鹿が道を開けた。


「な、なんだおまえら…!」

《てめぇ、よくも坊ちゃんに手出しやがったな…!》

《お頭! 坊ちゃんのお顔に傷が!!》

《この野郎っ、こいつは落とし前をしっかりとつけさせねぇといけねぇな!!》


しゃべる鹿達に苦彦は動揺を隠せないが、ここになぜ鹿がいるのかという疑問があった。

なぜなら鹿がなぜここに入ってくるのかという疑問よりも、この小屋の前には手下がいたのだが、なぜその手下が鹿を止めないし、止めにも来ないのかと。


《てめぇの手下なら先にやらせてもらったぜ、今頃地面でお寝んねしてらぁ》

「な、鹿にやられたのか!?」

《鹿なめんなよ》


お頭と呼ばれた鹿は角を苦彦に向けて突進の構えをしつつも喜井太との距離を開けさせる。

その隙に喜井太の後ろに回った鹿が縛っていた縄を嚙み切った。


「あ、ありがとう…」

《いいえ、我々は姐さんと坊ちゃんのためなら例え火の中、水の中ですよ!》


にこっと目を細めて笑う仕草をする鹿は喜井太に優しく語りかけつつも自分の傍に寄せて、他の鹿が喜井太を囲う事で守る体勢を作る。

それを横目にみたお頭は状況が未だに呑み込めない苦彦に向かい突進した。


「ぐえっ!?」

《この野郎、姐さんにしつこくしやがっただけじゃなく、坊ちゃんにまで手を出しやがって…おいよく聞け!今後姐さんと坊ちゃんに近づいてみろ…市中引き回すだけじゃすまさねぇぞ》


お頭鹿が分かったなぁ!?とドスの聞いた声で問えば、苦彦は痛みと突然襲ってきた鹿に恐怖し、頷く。

それを見たお頭鹿は念を押すようにジッと見れば、苦彦は本当にしません!と泣き叫んだ。


《まぁ、いい…お前達!!帰るぞ!!》


お頭鹿は喜井太に背に乗るように言いしゃがむ、喜井太はまだ少し戸惑いつつもお頭の背にまたがると鹿達は一声嘶いて走り出す。

土煙をあげて、都の町を走る鹿の群れ。その鹿達に人達は驚きの声を上げて道を開ける中で喜井太は鹿での乗馬を楽しんでいた。


《坊ちゃん、楽しいですかい?》

「うん!…あの、なんで僕を坊ちゃんって呼ぶの?」

《そりゃあ、あっしらは姐さん、つまりは坊ちゃんのお母さまの根付だからですよ……可愛い目と言ってくれたあの鹿ですよ、あっしは》


根付の鹿と聞き、聞いたは祖母から送られてきた根付をすぐに思い浮かべた。

小さな木の根付の鹿が今、自分が乗っている鹿だと言われて流石に聞いてもどういうことかわからないと首を傾げた。


鹿達はそんな喜井太の様子を仕方ないという風に笑い、自分達を作った職人は不思議な力を持っている人で作った物が不思議な力を持つ物になるのだと言った。


《親父が作った根付達は皆、命を持ち…簪の(あね)さん達は持ち主のお嬢さんを美しい道を、人生を歩めるように手を貸したんです…なので親父の事を巷の人々は”福を招く職人”と呼んだりしてます、坊ちゃんのお祖母様もお二人に福が招くようにと鹿の根付を送ったんですよ》


お頭鹿の言葉に鹿達はそうだと頷きながらも走る。

見回りをしていた都の兵士達がなんだあれは?という顔をしつつも見ていたが、子供が乗っているのを見つけた兵士の一人が追いかけてくるのに気づきつつもお頭鹿はもうすぐ家ですよと優しく喜井太に声をかけた。


都を出ても爆走する鹿達はお乃子が家の前にいると気づき、速さを少しずつ落としていった。


「母ちゃん!!」

「喜井太!!よかった、戻ってきてくれた!!」


お頭鹿から降りた喜井太は母と再会出来たと抱擁をし、互いの無事を喜んだ。

そんな親子に鹿達は良かった良かったと微笑む中で、多くの鹿がいることに驚く隣の家の夫婦と薬屋の店主はお乃子から鹿のことを聞き、実際に現れた鹿の大群が喜井太を連れて帰った事に呆然としていた。


「鹿さん達!息子を助けてくれてありがとうございます!」

「ありがとう!」

《いえいえ、姐さんと坊ちゃんのためならこんなの造作もないことですよ》


鹿にお礼を言う親子と可愛い見た目に反して低い声で話すお頭鹿に三人も、捜索をしていた近所の人間も不思議な鹿を見ていた。

馬に乗って都の兵士も鹿を追いかけてきたのかこの場に到着し、此度の事情を近所の者から聞いて不思議そうな顔で事を見守っていた。


「本当に喋ってる…」

「しかも喜井太を乗せてきたぞ」


なんなのだあの鹿はと誰もが思う中で朗らかな笑い声をあげる男がいた。


「やっぱり、不思議な事が起きましたなぁ」


まじまじと鹿を見ていた男はお乃子がいつも薬を卸している店の商人。騒ぎを聞きつけ喜井太の捜索にも手を貸してくれていたのだ。

噂通りだったという商人に近所の者があの鹿を知っているのかと聞けば、鹿ではなくお乃子が持つ()()の方だとお乃子の腰で揺れる物を指した。


「清条の国にはある職人がいる、その職人が作った物は不思議な力を持ち、持ち主の為にその力を使うという噂がありましてねぇ…特に簪は福を招くとされていますよ」

「福を招く…」

「その職人は楚那村に住んでるそうでね、お乃子ちゃんは元々清条の…楚那村から嫁に来た子だ、お乃子ちゃんのお母君が送ってきたと聞いて、もしやと思っていたがまさか本物だったとは」


お乃子はそんな凄い物だったのかと根付を手に乗せ、お頭鹿と子分鹿達にもう一度頭を下げた。

この根付のお陰で救われたのだから、何度でも下げるのだ。

鹿達はそんなお乃子に苦笑しつつも、お頭鹿は商人を見た。


《福を招くと言うのは俺らの姉さんや兄さん方が持ち主に尽くした成果だ、親父の力もあるがな》

「君も、中々な忠義物なようだけどね」

《ははっ!それは嬉しいねぇ!…だが都の兵士さん達よぉ、今、何を考えた?》


商人がお頭鹿の言葉に都の兵士の方を振り向けば、一部の兵士の肩が大きく動く。

その動きに、仲間である他の兵士や近所の者も訝しげに見れば…白状するようにそれぞれが口を開いた。


「そんなに凄い力があるなら帝に献上するべきだと思った」

「農民の身分の者にふさわしくない代物だと思ったから取り上げるべきかと考えた」


と、言った者の傍には鹿がおり、ぎろりとした目で角を向けている。

動けば突くという動きに腰に角を当てられた者はひぃぃと悲鳴を上げていた。


《俺をそのように評価してくれるのはいいが…女将さんと坊ちゃんに手を出してみろ、只じゃ済まさねぇぞ》


子分鹿達はお頭鹿の言葉に呼応するように嘶く。

まずは周辺の雑草を食いまくってやる、洗濯物を汚してやるぜ!という悪戯にすまされるものから、都の町を毎日爆走してやるやら、川で糞をしてやるぜという兵士が思わずやめてくれと懇願する程の事をしてやると脅す鹿達。

お乃子はみんなに迷惑をかける事をしちゃ駄目よ!と言えば子分鹿達は声を揃えてごめんなさい姐さん!と謝った。


お頭鹿は肩をすくめるような仕草をすると兵士達にやめときなと念をおして伝えるとお乃子の方を向いた。


《姐さん、もし可能ならば…姐さんの故郷に帰るのはどうですかい?》

「楚那村に?」

《えぇ、あっし達だけでなくあの村には鬼の兄さんもいるし…恐らく楚那村の村長殿からも文は来ていたでしょう?》


お乃子は確かに楚那村の村長から文は来ていた。

元々楚那村から嫁に来たのは村の今後がよろしくないので楚那村の村長である虎八須が未来ある若者を逃がしたのだ。

が、二年前に届いた手紙にて村の問題は消えて、今後も住める状態になった、とあった。

なので、もし村に戻りたくなったら戻っておいで…でも、今の暮らしている場所で生きていくのならば勿論それでいいと書いてあったことを思い出す。


今の場所で楽しく暮らしているなら、無理に戻ってこなくてもいいという手紙の文から虎八須の気遣いを感じていたがお頭鹿はどうやらそのことを知っていたらしい。


「…お乃子、喜井太の事を思うなら楚那村の方が安全だろう」

「そうねぇ、あそこは月ヶ原家の領地だから襲われる事も少ないし…」

「距離はあるが、移動するのもその頼りになる鹿さん達の力を借りれば怖くは無いんじゃないか?」


薬屋の店主や隣家の夫婦にも言われ、お乃子は確かに楚那村ならば喜井太ものびのび暮らせるだろうし、戦で強いと有名な月ヶ原家の守りもある。

なによりあの苦彦がまた来るかもしれないと思うと確かに離れるべきでの考えに間違いはないだろう。


「母ちゃん、俺、ばっちゃんの元に行きたい」

「喜井太…そうね、確かにそれはいいかもしれない」

《では、お二人の準備が出来たら行きやしょうか》


お乃子は頷き、喜井太はむんっ!とやる気を見せるように力こぶを作る。

お頭鹿は荷造り等の準備が大変だからまずは身の回りのものを順番に片付けましょうかと声をかければ、薬屋の店主はお乃子に店の処方箋を渡すから時間が欲しいと手を挙げ、隣家の夫婦もお別れは寂しいが二人のためと手伝うと手を挙げた。


荷物運びならお任せを!という子分鹿を見ながらお頭鹿は少しお乃子達から離れ、お乃子と喜井太を優しく見守るものに声をかける。


《これでいいんですかい?旦那さん》

『あぁ、ありがとう…ずっと、お乃子を楚那村に帰してやりたかったんだ…あそこなら二人は安全だから、鹿さん、どうか二人をお願い致します』

《言われなくても守るさ、俺のご主人だからな…だから、旦那さんも安心して見守ってください》


男はお頭鹿に深く頭を下げると光となって消えていった。

光が天に昇っていくのをも届けていたお頭鹿はお乃子に呼ばれて、戻っていくのであった。



その後、都の兵は上に報告する際に天野宗助という職人が作るものは摩訶不思議な力を持つ物であり、此度の鹿の事件は持ち主の子供を守るためのものであることを報告した。


この報告を受けた上司は最初は信じられないと鼻で笑ったが、その翌日に都へ続く道中にて畑に悪戯した不届き者を追いかけまわす、大変柄の悪い鹿の群れを見てしまい。…本当の事だった、自分は井戸の中の蛙であったと深く反省した。



お乃子と喜井太が支度が出来るまで数日かかったのだが、その間に幾度かその鹿の群れは目撃され、ついには帝の耳にまで届いたという。

その際に、帝は楚那村の職人について調査をするように命じたのだった。


----------------------------


義晴は頭を抱えた。

三九郎は部下からの調査報告書を手に、”柄の悪い鹿ってなんだ?”と目が遠くなっていた。


「思ったよりも…なんというか…」

「…まぁ、また宗助の作った物で人は救われてます」

「そうだが、今までとはまた違った物が来たな…いや、凄まじいのだが」


義晴はその鹿の根付が都で大暴れして、帝の反感を買わなかった事には安堵したが…何故その鹿の根付から宗助への調査が入ったことに疑問を持った。

単純な興味か?もしくは以前に考えた都の問題を解決させたがっているのかということからなのかと考えたが三九郎が言いづらそうに義晴を呼んだ。


「若…」

「どうした?」

「…この親子が楚那村に戻るということは…いずれ俺達、その鹿に絡まれるのでは?」


…………………………。

………………………。

……………………。


「あー…」


義晴は静かに額に手を当てた。

多分、初対面で絡まれるな。


せめて、初対面だけ絡まれるようにその親子に好意的な挨拶をしようと義晴は心に決めた。



遠くない未来、二人は楚那村にて鹿に囲まれて…。

《おい、侍と黒いのが来たぞ!》

《どこのもんじゃあ!?》

《うちの姐さんと坊ちゃんに何の用じゃ!?》

と凄まれるのであった。



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鹿の根付


天野宗助が作った根付。楚那村の村人に贈ったという根付のうちの一つ。

贈られた村人は精巧な作品であり、天野宗助が作った物は人を守ってくれるものだと信じていたので村人の中には他所の村に嫁いだ、もしくは婿入りした子供に送った物があり、そのうちのひとつ。


楚那村から京の都付近に嫁いだ乃子という女性に送られたが、乃子が事件に巻き込まれた際には根付の鹿を頭領とした鹿の群れが現れて力を貸してくれ、後に鹿からの提案で楚那村へ帰郷した。※1


乃子とその子供が楚那村に住み始めてからは楚那村の警備をしており、その警備の固さから月ヶ原義晴は感心したという。

楚那村の周辺にて現在も鹿の群れは生息しており、マナーの悪い観光客や楚那村の住民に害をなすものを叩き出している。※2




※1 所説あるが、乃子の子供が浚われてしまい、鹿が助けたという記録がある。


※2 ある年、天野宗助に由来する物を盗もうとした外国籍の男がひっかき傷や噛み傷、蹄の痕が体中につけられたボロボロの状態で発見された際に、楚那村の警察官が聞いたところ盗みを働こうとしたことが発覚し、また他の場所で盗んでいた物を所持していた事で逮捕した、という事件が有名。




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― 新着の感想 ―
[一言] 書籍化おめでとうございます! 毎回楽しみにしていますので、今後も宜しくお願いします
[一言] 書籍化おめでとうございます。 毎回温かい気分になる作品ですね 更新楽しみにしています
[良い点] 書籍化おめでとうございます。 [一言] しかのこがアニメ化した時期に「のこ」で「鹿」だから作者さん狙いました?
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