第8章 花簪 四季姫 桜吹雪 後
花吹雪の後編です。
前回に引き続き邦吾視点からのお話。
天野宗助と会談した後にすぐさま店へ興奮しながら戻ってきた邦吾の姿に大旦那だけでなく店の者は皆驚いたが、彼が持ち帰った簪を見せれば納得するように頷き、契約に持ち込んだ彼を褒め労わった。
すぐに簪を売る場所を作り売り出せば…簪はすぐさまに常和の話題となった。
簪が美しいのもあるが何よりもこの花簪四つの異様な美しさが話題になったのだった。
だが全員が魅了されたのにも拘らず何故か皆、自分は相応しくないと手に取るのをやめ、眺めているだけであったという。
そのため買い物をした後、客達は花簪の前に立ち止まり暫く見ると満足して帰るばかりであった。
そんな美しい花簪達を大旦那は少し困った顔をしながら見ていた。
なぜならこの簪達のおかげで客が増え売り上げが上がって嬉しいのだが、商店なので商品は早く売れて欲しいという思いもあった。
「美しすぎるのも罪ってやつなのかねぇ」
「他の簪はすぐに売れましたが…この簪は中々手は出ないみたいですね」
「値段もそこそこってのもあるが…この簪にはどこか不思議な魅力があるんだよね…もしかしてつけるべき人を選んでいるのかな?」
ふうむと腕を組んで考える大旦那に邦吾はまさかと返そうとするが宗助の家にて見せてもらった際に現れた幻の女、邦吾はあの桜の簪の化身と思っている女はいい人に売って欲しいと頼んで来たことから一応買われることを望んでいたようだと思い出した。
「多分簪もいい人に選んで欲しいんですよ」
「…そうだね、お咲の鏡を作った人の簪だ、いい人に巡りあいもしかしたらお咲のようにいい縁をもたらせてくれるのかもね」
「そうだといいですね」
邦吾は暇な時間が出来るとはあの桜の美しい化身を思い出していた。黒髪で白魚のような美しい肌と正に桜のような色の瑞々しい唇、瞳は黒色だが優しい眼差しとその眼差しによく合う優しい顔と声。そして桜が描かれた桃色の美しい着物。
そんな美しい女に頬を撫でられ、恐らく他の簪の事だろう妹と女自身を任されたのだ。
その姿を、時を思い出すと邦吾は思わず長く一息を吐いてしまう。
そして思い出す度にまた会えないだろうかと思い更けるほどに彼はあの化身は美しかったのである。
そんな姿を店の者は勿論気づいており、心配そうに見ていたのであった。
「(邦吾の奴どこかのお嬢さんに惚れたのか?)」
「(みたいだなぁ…)」
「(でもあの感じだと恐らく高嶺の花な方なのかしら…あんなため息つくなんて)」
「(そいつは…あいつも言えんだろうなぁ…)」
「(しばらく見守りましょう、あの子の中で恋が消えるまで)」
そして何故か失恋確定のような扱いで哀れまれていたのであった。
元々邦吾は行動派の人間であり、仲良くしたい相手にはすぐ話しかけるし、行きたい場所にはさっさと行く性格の人間なのだ。そんな邦吾が溜息をつき思うだけの相手。それは彼が手が届かない程の娘なのだろうと。
応援しようにもその相手が何処の誰か分からないということもあったが店の者は皆邦吾の恋の行方を気にしながらも穏やかに解決されることを祈った。
店に簪を出して十日目。
常連の一人である月ヶ原家の姫 小春姫が来店された。
事前に来店の知らせを受けていたので店側は大混乱にならないように開店時間を調整し、お咲は迎えるため余裕を持って店先へ対応に出た。
お咲が出て少しするとお忍びとはいえ姫のため護衛、従者、牛車を引き連れて来店された小春姫が店の前に現れた。
小春姫は出迎えたのが彼女のお気に入りであるお咲とわかると笑みを浮かべた。
「お咲、また来ましたよ」
「小春姫様!いらっしゃいませ」
「えぇ…して噂の簪はどこに?」
「こちらへ」
お咲が花簪の前に案内すると小春姫はお供と共にしばし立ち止まり、簪を魅入る。
そしてハッと我に返ると楽し気に笑った。
「これはすごい、なんて美しい簪でしょうか」
「はい、私達もあの美しさはいつ見ても慣れぬほどに美しいのです」
「…しかし、私はあの簪達には相応しくないようですね」
「え、小春姫様でも!?」
「えぇ、…でもあの向日葵の簪を頂けないかしら」
向日葵の簪を指して小春姫は楽し気に微笑んだ。
突然のお買い上げにお咲はすぐに持ち帰りの準備をさせるが先程自分は相応しくないと言ったのに何故と考える、その考えを読んでいた小春姫はふふっと小さく笑う。
「私がつけるのではないのです、実はこの向日葵の簪を見たときに黄奈姫の顔を思い浮かべました…」
「黄奈姫…隣国、汐永国に嫁がれたという姫君の名ですね…」
「えぇ、昔から親交がありましてね、近くに来てくれて嬉しいのですが…最近は嫁いだせいなのか誰かに遠慮するように大人しく…しかし、本当はあの子はとても明るくこの向日葵のように笑う子なのです」
小春姫は箱に入れられた向日葵の簪を上から覗き込む。
そして祈るように声をかけた。それは心から友を思う気持ち。
「不思議な美しさをもつ簪さん、どうかあの子をあなたのような明るくかわいい笑顔に戻して頂戴」
そう声をかけた時、店の中にふわりと向日葵の香りが広がった。
まるで向日葵の簪が返事をして芳香な香りを出したように。
「姫様、きっとこの簪は黄奈姫様を笑顔にしてくれますわ」
「えぇ、今私もそう思ったわ…この簪はあの子を向日葵のように戻してくれると」
そうして小春姫は向日葵の簪の入った箱を大事に抱え、店を出たのであった。
「義晴があの職人を傍におく理由が少しわかったわ」
そう言葉を残して。
残る簪はあと三つ。
大輪の向日葵がなくなった棚は少し寂しいがそれでも簪は見劣りせず美しくそこにあった。
「売れましたね」
「売れたな」
もしかしたら全て近々売れるのでは?と顔を見合わせる大旦那とお咲の勘は見事に的中する。
小春姫が向日葵の簪をお買い上げした翌日、ある国の若い侍が竜胆の簪を買っていった。仕事でこの国を訪れたらしいその侍は簪を土産にするらしい。
誰かに贈るのかと店の者が聞けば妻に贈るのだと、この簪を見た時妻の髪によく似合うと思ったと照れながら侍は答えたという。
そしてその日の閉店前に梅の簪が売れた。
買ったのはこの店の近くにて店を営む商人の大旦那。
誰にやるのかと大旦那が聞けば、店に嫁いできた息子の嫁にやるのだという。器量がよく可愛らしいのに自分に自信がないそうで、息子も醜いと言って苛めていることでさらに自信を無くしていることに不憫に思っており、お咲のようにとはいかないが彼女に変わって欲しいと願って買ったのだと。
そして残るは…桜の簪。
「一日で売れましたね」
「あぁ、残りは桜のみ…なんか寂しいなぁ」
「でも親父、それでも桜は綺麗だな」
「うん、確かに綺麗だ…この調子で明日に売れるといいが…」
その翌日…少々煩い、いや大変煩い客が来た。
どこの町にも少々厄介なものはいるだろうがこの常和の町にも一人はいるものだ。
「えぇーーー!!もう人気の簪無いの!?」
「はい…売り切れまして…あとはあの桜のみでございます」
「なにそれーー!」
甲高い声で騒ぐ女の名前はお紗江。この町にて一番大きく古い店の娘であるためにこの辺りではだれも逆らえず、そのため何をしても許されるととんでもない我儘娘として育ったのだ。顔は普通なのだが派手な着物と厚化粧をいつもして、己は美しいと日々周囲に自慢するように話していた。
お供に連れているその妹の名前はお澪。
姉とは反対に謙虚で気弱だが優しく、薄化粧に無地の着物でありながらも美しく、儚げ美人であった。彼女は姉に逆らえず苛められていることで有名である。何故なら店を継ぐのは姉…正しくは姉の夫だが、姉が店では店主の次に偉く次女であるお澪は嫁入りすることで役に立つと常日頃父と姉に言われ育ったのであるからだ。
「桜って…季節外れじゃない!それに売れ残りなんていやよ!」
「姉様、そんなこというのは…」
「うるさい!あんたは黙ってなさい!」
咎めようとしたお澪をお紗江は鋭い音を立ててお澪の頬を叩いた。
店内の女性は悲鳴をあげ、買い物に来ていた親子の親が子供に見せないように視界をふさぐ等騒ぎになっていることに気付きお澪は赤く腫れた頬を気にせずすぐに起き上がりすいませんすいませんと謝る。
それは姉に対して、そして迷惑をかけてしまっている店と買い物に来ている客たちに対して。
「ふん!…まぁいいわ!なら反物を見せなさい!」
「…はい、わかりました」
店の者が反物を揃える合間にお紗江は店のものを見て回る。
お澪は腫れた頬をそのままにお紗江の傍に立っていた。まるで傍仕えのように。
これは彼女達にとってはいつもの光景だった。
しかし今日は違った。
一人の男がお澪に駆け寄った。
「お嬢さんこれ使って冷やしてください」
お澪がその男のほうを見れば花衣屋の前掛けをかけた狐顔の若い男…邦吾が手拭いを差し出していた。
実は邦吾はこの二人のことは名前は知っていたが初めて会ったのだった。お澪に対して行われた仕打ちに邦吾は腫れた顔の女を放っては置けないとお澪に頬を冷やしてくれと水につけた手拭いを渡したのである。
店の者は邦吾の行動に驚いたが、その中で大旦那はすぐに邦吾がこの二人とは客として今まで会ったことはなかったと思い出し、優しく接する邦吾に感心しながらも少し離れた場所からその様子を見ていた。彼の長年の商人の勘なのかわからないが何かいいことが起こると不思議な確信をした彼は邦吾の動向を眺めていたというわけである。
お澪は初めて親切にされ固まる中で、お紗江はニヤリと笑い邦吾の手から手拭いを奪うとわざわざお澪の頬に投げた。
手拭いが顔に当たり、小さく悲鳴を上げて倒れるお澪にお紗江は腹を抱えて大笑い。辺りが静まり返り、お紗江をどのような目で見ているのかも分からずに。
「こんなのでこけるとかお澪よわすぎ~!やっぱあんた暇つぶしにいいわぁ~!」
反物が用意されるまでの暇つぶしに自分の妹を虐げたのだ。
この所業に流石に堪えたのか涙を流し震えるお澪を見てお紗江はさらに声を大きくして笑う。
まさに悪辣。まさに非道。
誰もがこの女殴ってやろうかと睨むが、殴れば彼女の父親が黙っていないため殴れない。一度注意したものが過去にいたがその者は彼女の父親の手によって路頭に迷い姿を消したのだ。
全員が怒りを耐える中で邦吾はお澪に手を差し伸べて立ち上がらせると彼女に断りを入れて着物の裾についた土を払った。
お澪は男性に手を差しだされることもこのように優しくされることもなかったために突然起きた初めてのことに頬を赤くし、オロオロとしていた。そんなお澪に邦吾は思わず可愛らしい反応だと吹き出して笑ってしまう。
そんな笑った邦吾を間近で見たお澪は自分が笑われたことだけは理解し恥ずかしさから手で赤くなった顔を隠してしまったがその仕草にさらに邦吾は笑いが込み上げ、必死に笑いを耐えようとするが肩を震わせてしまう。
それをすぐに察知したお澪は笑うのやめて欲しいと視界に入った邦吾の腹を慌ててパシパシと軽い音を立てながらはたいていた。その抗議は邦吾には全く効いていないために邦吾はさらに込み上げてくる笑いを耐えるためにさらに体を震わせ、最終的にはお澪が抗議しようと顔を上げ目が合い、二人は顔を互いに見ると小さく吹き出し、笑っていた。
殺伐とした空気の中で二人は何故か互いに柔らかく温かいものが胸の中に流れ込むのを感じ、初めて会うはずなのに傍にいて心地いいと思いあっていたのだ。まるで長い間共に道を歩んだような安心感を二人は互いに抱いていた。
周りは二人の突然の甘い空気に周囲は驚くがピリピリとした空気が和らいだため思わず笑みを浮かべながら二人を見守っていた。
…この事が起きた元凶以外は。
それはこの甘い空気に不快感を隠すこともなく顔に出していた。お紗江はこの性格から男どころか女も寄り付かない、それなのに妹がいつものようにいじめた後に初めて出会った見ず知らずの男に優しくされ、楽し気にじゃれあっているのだ。彼女はお澪に起きた恋の気配に気に入らず、ぶち壊してやるとその顔を歪めて笑う。
「何あんた、そいつ好きなの?」
「…女性を土で汚したままにするわけにはいきませんから」
邦吾の返答が気に食わなかったお紗江は鼻息を荒くしながらお澪を睨みつける。
「お澪もいい気になってんじゃないわよ、ちょっと優しくされたからって…あんたなんて嫁に行くしか能がない役立たずなんだから!自由に恋愛なんて出来るはずないのよ?あんたはどっかの死にそうな爺に嫁がせて遺産を継がせる予定なんだから!勿論その遺産はうちのものだからね?いい?あんたは私達の店のために一生を尽くすのよ?わかった?ってあんたに拒否する権利は無かったわね!!あはははははは!!」
顔を醜く歪めて笑い、聞いてもないのにベラベラと話し出すお紗江、お澪はそのことを初めて聞かされたのか白かった顔がさらに青くなり様々な感情が沸き上がるが耐えるように唇を噛み、拳を握る。
そんな姿に邦吾は思わず体が動き彼女を後ろに庇った。
「…へぇ、そいつ庇うの?あたしに逆らうの?このあたしに?」
「こんなこと聞いて放っておくわけ無いやろ、人としてあかんわ」
邦吾はなぜここまでお澪を庇うのかはわからない。
名前を知っている程度の存在であったのに、なぜここまで心惹かれるのかさえも。
それでもこのままでは彼女は涙を流し、絶望の中で一生を生きることになる。それだけは嫌だった。
己の人生を棒に振ってもいい彼女を助けたい。邦吾は不思議な使命感で動いていた。
「へぇ、じゃああんたをつぶしてあげる…その前にお澪はお仕置きしなきゃね、私を不快にさせたんだもの」
「っ!、やめて姉様!この人は関係ない!この人に手を出さないで!」
「聞いてなかった?私を不快にさせただけで死刑よ、さぁまずはあんたの地味顔を私が綺麗にしてやるわ」
ニタリと笑って近くにいた店の者が持っていた反物巻き棒を奪い、お澪へ一歩踏み出したお紗江。
お澪はお紗江がしようとしていることに気づき、頭を抱え自分を守るようにしゃがむと同様に気づいた邦吾が咄嗟に守るように彼女の細い体に覆い被さった。
棒を振り上げたお紗江に誰もが二人が殴られるとそう思った時、桜の香りが彼らを包んだ。
《それ以上は見過ごせないわ》
邦吾は聞いたことのある声に顔を上げれば…店中に桜の花弁が舞っていた。
美しい桜に店中の人間が見惚れる中であの声が響く。
《まぁなんて醜い心、そんなに心が醜いと姿も醜くなってしまうわよ》
「だ、誰よ!!何なのこの花、邪魔なのよ!!」
桜の花弁は邦吾達を優しく包む、邦吾の目には花弁の中から現れ、お澪の肩に優しく手を乗せて微笑むあの黒髪の女が映っていた。
女はニコリと邦吾に微笑むとお澪の髪を手で優しく梳いた。
《健気で、不条理に耐えた可愛い子、私があなたを桜の如く咲き誇らせましょう》
女はそういうと桜の花弁へ姿を変えてお澪を包んだ。
その時、邦吾は見ていた、お澪の姿が変わっていくのを。
お澪の髪が一人でに結われあの桜の花簪が差されると薄汚れた無地の着物が綺麗な淡い桃色に色づき桜が咲いた。赤く腫れた頬は治り、薄化粧だったお澪の顔は白雪のような美しい肌と桜が咲いたように頬が、唇が桜色で彩られる。
血色が悪く白かった爪も桜色に塗られ、履いていたボロボロの花下駄は桃色の可愛らしいものに姿を変えたのを。
桜の花弁が晴れるとそこには正に桜を身に纏う美しい女がそこにおり、周りは突然現れた美女といなくなったお澪が同一人物だとは分からなかったが、邦吾はそこにいるのはお澪であると知っていた。
そして身近にいたからこそお紗江もすぐに桜を身に纏う女がお澪だと分かったのだった。
「な、なによその姿!!?なんでいきなりそんな綺麗な着物着てるのよ!!」
「え?…え、なに、これ…」
お紗江に言われ自分の着物が変わっていることに気づくお澪は何が起きたのか分からず辺りを見回せば自分に視線が集まっているのを理解し、大勢の人の目に慣れていない彼女は思わず目の前にいた邦吾の体に引っ付いて隠れてしまう。
隠れられた邦吾は彼女が胸に飛び込むように引っ付いたことでふわりと桜が香り胸を大きく高鳴らせ固まっていたが、遠くで離れて事をみていた大旦那が早くお澪を守れと仕草で指示を出したのが見え、邦吾は彼女を抱きしめ体で隠しながらお紗江から距離をとった。
お紗江はその様子にさらに激昂し、怒りで言葉が出ないのか理解出来ぬ言語で罵声であろう声を店に響かせながら地団駄を踏んでいた。
顔を歪めていたせいなのか塗り固められていた化粧が剥がれるのを知らずに醜く澪を罵るお紗江は持っていた棒を振り回し始めた。
店の中で暴れるお紗江に流石にまずいと店の者が止めようとするが持っている棒により彼女に近寄れない。
誰かこの女を止めてくれと誰もがそう思ったとき、ある二人の男が店に入ってきた。
「おやおや、これはひどいですなぁ」
「お紗江…!!お前何をしているのだ!!」
「お、お父様…なんでここに!?」
お紗江に怒声をあげる男はお紗江とお澪の父…苧環屋の店主だった。
父親が店に入ってきたことでお紗江は動きを止める、すぐさま近くにいた奉公の娘が棒を取り上げて逃げた。お紗江は鬼の形相で逃げた女の奉公を睨むが女はすでに他の店の者に匿われ、店の奥へ消えていったのだった。
「返しなさいよ!!」
「あの棒で何をする気だったのかな?」
苧環屋の店主と一緒に店に入ってきた男は棒を返せと喚くお紗江に優しく尋ねる。
男は身なりのいい服と刀を持っているため侍のようだと判断するお紗江だが、ここで一番偉いのは父で娘である自分のほうがこの侍より偉いとすぐに相手を見下すような目で侍を見てお紗江はまたも歪んだ笑みを作り邦吾に守られているお澪を指さした。
「何ってあそこにいる妹にお仕置きするのよ!私を不快にさせたんだから当然じゃない!勿論あいつを守ってる男にも制裁はくわえるわ!」
「何故君を不快にさせただけでお仕置きなんだい?それに彼は彼女を君から守ってるだけじゃないか」
「は?あいつは苧環屋のために命短そうな爺に嫁がせて遺された金をうちに持って帰らせるだけの道具よ?爺以外にも嫁がせて他の店と交渉させるためだけの只の道具が私を不快にさせるなんてダメに決まってるじゃない!」
お紗江は息を荒げ、ベラベラと話す度に苧環屋の店主の顔が青くなるのを知らず、お澪が如何に自分に従順であるべきか、自分が如何に偉いかを語る。
語る度に話を聞いた男の目が冷たくなるのを知らず。
その後、満足げに語ったお紗江に苧環屋の店主はようやく正気を取り戻し、彼女を殴り飛ばす。
「この、大馬鹿ものめが!!」
「お、おお父様!?なん、なんなのですか!?私を殴るなんてひどいわ!」
「この恥さらしめ…!はっ、瑠璃助様!これは娘が勝手に言ってるだけですので!!」
「でも父様、いつmむぐぐぐ!!!」
大慌てで取り繕うように笑い、お紗江の口をふさぐ苧環屋の店主だが瑠璃助と呼ばれた男は真冬の雪の日よりも冷たい目で苧環屋の店主とお紗江の親子を見ていた。
「姫様と若から依頼されて調べていたが、ここまでひどいものだったとはな…苧環屋、お前との店とは今後一切我が藩はものを頼むことはないだろう…花衣屋、話があるのだがいいか?」
「…奥間に案内します、菊太郎案内をしな」
突然のことに大旦那は慌てず冷静に対処する、その姿に瑠璃助と呼ばれた男は感心するように頷き魂が抜けたように座り込む苧環屋の店主を尻目に店の中へ足を進める…前に邦吾の腕の中から事を見ていたお澪へ顔を向けた。
「あぁ、その前に…そこのお嬢さん、確かお澪さんか…君は苧環屋の娘ではないよ」
この瑠璃助の言葉に苧環屋の顔は蒼白に染まった。
「…え?」
「そこの苧環屋はある店の娘だった君の美しさに幼い頃に目をつけて無理やり娘として浚ったんだよ…確か木崎屋という店の娘として生まれたはずさ」
これは最近分かったんだけどね、と告げた彼は菊太郎に連れられ店の奥へ姿を消した。
突然の真実に唖然と残されたお澪や邦吾を放って。
ようやく話を理解した大旦那は涙を流しながら顔を手で覆いしゃがみこむ。手の間から零れる声には悲しみと怒りがこもっていた。
「お、大旦那様!?」
「あぁ、なんてことだ…!あいつら、こんなこと黙って死ぬなんて…!!あぁ畜生…畜生め!」
邦吾は以前、木崎屋の店主といえば酒飲み仲間で大変親しい仲であったのだと大旦那から聞いたことを思い出した。
店が違えど親友のように仲良く、共に店を繁盛させようと切磋琢磨しあった友が突然娘が亡くなったことで絶望し夫婦で心中したのだと、その時は涙を枯らすまで泣いたのだと悲しげに語る大旦那の姿を。
しかし、真実は違った。
娘は死んだのではなく奪われたのだ。この苧環屋に。しかもその娘が悲惨な目にあっていた、大旦那は友の娘を道具のように扱ったのだという事実に底知れぬ怒りが込み上げた。そして友が娘を奪われるという悲劇を知らず、失った友が絶望にいた時に助けられなかった己に怒りと悲しみが込みあげたのだ。
友を死なせ、その娘を虐げた苧環屋へ怒りによりまるで鬼のような顔となった大旦那の視線の先には魂が抜けたように地面に膝をつき、顔面が青どころか白くなった苧環屋の姿があった。
「あぁ、終わった…もう終わった…」
「と、父様?なぜそんな」
「瑠璃助様はこの国の財政を任されたお方…そんなお方に見放されてしまったら店はもうやっていけない…お紗江、お前はなんてことをしてくれたんだ…!!」
お紗江は顔を真っ青をにするがもう遅い、取りつくおうにも大衆の目の前で見放されただけでなく罪が明らかになったのだから。
しかし、ただでは転ばないのがお紗江だった。守られたお澪を見て最後の抵抗で道連れにしようと口を開くがその前にまた桜が香り、桜の花弁が彼女を包んだ。
《まだやろうというの?なんてしつこいのかしら…二人の目出度き門出を邪魔はさせないわ》
桜吹雪が突如お紗江を襲う、とても目を開けられず立っていられないほどの量の桜吹雪は苧環屋の店主もろとも店の外まで吹き飛ばした。
《お引き取りを、二度とこの二人に近寄らないで頂戴》
店の外にまで吹き飛ばされた二人は店前の大きな通りに転がった。
突然店から転がり出てきた二人に周りは好奇な目で見ている中で起き上がった二人に近づく者がいた。それはこの店の看板女商人のお咲であった。
実はお咲は所用で店を離れていたのだが丁度店に戻ってきた所だった。
「あら苧環屋さんのお二人ではございませんか、どうしたのですこんな店先で転がって?」
何も知らぬお咲は店の中から突然二人が転がるように出てきたのを見たために何があったのかと聞いたのだがそれを聞いたお紗江は彼女に掴みかかろうと彼女に手を伸ばした。
お紗江はお咲が農民の生まれでありながらも商人として成功しただけでなく美しく評判のいい彼女を妬ましく思っていた。故に彼女を傷つけようとしていたのだ。
しかしお紗江の手がお咲に届く直前にとてつもない寒気を全身で感じお紗江の動きは止まった。
その原因はお紗江の目には映っていた。
お咲を後ろから抱きしめるように、葵の柄が入った十二単を纏った濡れ羽色の髪の美しい女がお紗江をじっと見ていたのだ。
動くなと目で語るその女はすぅっと指先をお紗江に向けると何かを断ち切るように横に動かしたのであった。
するとお咲の後ろから男達が現れた。男達はこの地域の治安を守る同心達で騒ぎを聞きつけやってきたのであった。また彼らが来たことで店先の騒がしさに気づいた大旦那が店から出てきたのであった。
「お咲さん!何があった!?」
「おや、お咲お帰り…あんたらまだいたのか」
店の前にいまだ転がる苧環屋の店主とお咲につかみかかろうとした様子のお紗江の姿を見た大旦那は冷たく二人に言い放った。
これにはお咲だけでなく同心も驚いたが大旦那はお咲を傍に寄せると中に入るように押した。
「お父様この方は苧環屋さんですよ?そんなこといって…」
「私の友人の娘を浚い、虐待したやつにそんな口をきけるかい…お咲、お澪という妹分が増えるよ挨拶してきなさい」
「え、浚いってそれに妹とは何のことです!?一体何があったのですか!?」
いいからいいからと店の中へお咲を押し込んだ大旦那は呆気に取られる同心達に詳しくすべてを話すと彼らを店先から引き離したのであった。
店の中は荒れており状況が全く分からないお咲に奉公人達が報告した。この騒動のことを、苧環屋の二人が追い出されたあとに大旦那はお澪をこの店で引き取ると決めたのだと。
亡き友人の残した娘を今度こそ守りたいと話す大旦那に邦吾だけでなく店の者も反対しなかった。
お澪はそういうわけにいかないと断ろうとしたが大旦那はならばと代理案を提案した。
「なら邦吾の嫁さんとしてここで働けばいいだろう」
「え!?」
「は、ちょ、お大旦那ぁ!?」
まさかの提案にお澪だけでなく勿論邦吾も驚くが店の経理担当はいい案だと声高らかに笑い、流石大旦那様と店の奉公人達は騒ぐ、そんな彼らを見ていた店の中にまだいたお客達までも賛同の拍手を鳴らした。
実は大旦那と店の者は邦吾の恋する高嶺の思い人はお澪だと勘違いしていた。先程の騒動の際に邦吾がお澪を守ろうとする姿から邦吾がどこかでお澪と会い惚れていたが苧環屋の娘であった故に伝えられなかったのだろうと。しかも二人の雰囲気が中々にいい。
これは邦吾の恋を叶える絶好の機会だと大変無理矢理であるが二人をくっつけようとしたという訳なのである。
「なんだ邦吾、お澪ちゃんを嫁にするのは嫌とでも言うのか?」
「嫌なわけやない!!大変綺麗で自分にもったいないくらいです!…あ」
「ならばよし、お澪ちゃんもいいだろう?」
思わず言ってしまった邦吾は嵌められた!と怒りやら驚きやらで体がプルプルと震えるが大旦那と邦吾の発言に顔を真っ赤に染め両手で頬を隠すお澪が視界に入った瞬間に怒りは風船から空気が抜けるように消える。実際に邦吾は髪に桜を咲かせた美しいお澪に見惚れた、いやすでに惚れていたのであったのだから。
立ち尽くす邦吾にお澪は恥ずかしそうにしながらも頭を下げた。
「ふ、不束者ですがよろしくお願い致します…」
この後、花衣屋は歓喜の声に沸いた。
店の奥に案内された瑠璃助は聞こえてくる声に楽し気に微笑むが相手をしている菊太郎は早く親父来いと祈っていたという。
その三日後、苧環屋はこの事件が大きく広まり信用を無くしただけでなく月ヶ原家から見放されたことで店を畳むこととなり、ある夜に逃げるように常和から消えたのであった。
その後彼らを知るものは誰もいない。
そして桜の簪を頭につけ、元気になったお澪が笑顔で花衣屋にいた。
儚げ美人と呼ばれたお澪は今は桜美人と呼ばれ、花衣屋の看板娘の一人としてお咲の補佐として働いている。彼女もまた自分を拾ってくれた店と大旦那、そして愛する旦那のためにお咲の元で勉強し、元気に働くのであった。
そんなお澪の頭には大旦那とお咲から祝いの品として彼女に贈られた桜が誇るようにいつも咲いていたという。邦吾はせめて簪の代金を払おうとしたが大旦那は一切受け取らんと頑なに拒んだどころか二人の婚姻の儀も花衣屋でやると費用から道具まで全て用意したため、今後も店に貢献することで大旦那、もとい花衣屋にこの恩を返していこうと心に決めたのであった。
そして数日後、二人は他の奉公人達と一緒に売り上げの一部と色んな品を持って簪の制作者 天野宗助の元を訪れたのであった。
きょとんとした彼に邦吾は今の幸せを表すような笑顔でこう言った。
「おかげさまで簪は大繫盛で完売しました!また作品を作りましたら是非花衣屋を御贔屓に!」
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清条国 月川城 義晴の執務室にて
瑠璃助は花衣屋を出た後に義晴の部屋に部屋の主 義晴、小春姫、三九郎と共にいた。
先程の事を話す瑠璃助にとご苦労と言葉をかけると義晴は眉間を指で揉み、小春姫はふぅと一息ついた。
「なるほどやはり苧環屋の話は本当であったのか…」
「はい、お澪嬢はどうやら他の店等のものと婚姻させてその資産等を奪わせるために浚ったと…またお咲さんにも手を出そうとしたと調べにてわかりました」
「屑だわ…はぁ、お咲もそんな店に狙われるなんて…また様子を見に行ってあげなきゃ…」
「いや、それお前がそのお咲に会いたいだけだろ」
小春姫は片手を頬に添え、憂うように息を吐く様子に義晴がジトッとした目で見てもどこ吹く風である。
三九郎は小春姫がお咲の事をそんなに気に入っていたのかと内心驚くが、彼女は自分が気に入ったものを大層愛でたり、可愛がる性質の人間であったことを思い出し小春姫の愛でる対象に入ったのかと納得した。
瑠璃助はそんな二人のやり取りも慣れているので意に介さずある書簡を取り出した。
それはある国から送られた書簡であるが内容は《苧環屋の行った誘拐並びに脅迫について》の情報がまとめられたものでこれが本当なのか調査してほしいというものであった。
その書簡を目に入れた義晴は目を細め、ニヤリと楽し気に笑う。それは小春姫も同様の笑みを浮かべた。
「あいつの作る物は本当に何をするかわからないなぁ、まさかこんなことになろうとは」
「私もあれは見ましたがそんな力があるなんて…確かに面白いですわね、あなたのお気に入りの職人の作る物は」
義晴は花の香りがする書簡を手に取ると傍に置かれた刃龍に見せるように床に立てた。
「お前の妹だろ、これをやったのは」
義晴が問われた鍔の龍に目を向ければおかしそうに目を細めて、カタカタと音をさせて刀を揺らしていた。
同時刻、翡汪国のある屋敷にて
ある女は頭には竜胆の簪をつけていた。
紫の着物を着たその女は夫である男と仲睦まじそうな様子で縁側で茶を楽しんでいた。
《私をここに導いた邦吾殿…その奥方様となるお方の悪縁は私のやり方で消させていただいたわ、これで恩義は返しましたよ》
二人の後ろで竜胆の簪と着物、竜胆色の髪をの美しい女は空に向けて微笑んだ。
《私はしっかりと働いたので、あとはよろしくお願いしますね桜姉様》
彼女は満足気に微笑んだ。
その顔は凛とした美しい顔であったが、残念ながら誰にも見られることはなかった。
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Wiki 天野宗助 作品
有形文化財 花簪 四季姫
天野宗助が作った花簪、桜吹雪、夏日向、竜胆の君、梅花の四つを総称したもの。
それぞれが四季の花であること、姫のような美しさから気軽に手を出せなかったことから四季姫と呼ばれたという。
この姫達に選ばれた人間は模られた花のように華やかに、彩りのある人生を送るという話が有名。
元は花衣屋にて共に売られ、それぞれ己に相応しい持ち主の元へ行ったとされるが、桜吹雪のみ現在でも花衣屋の姉妹店である木崎屋に保管されている。
四季姫 桜吹雪
木崎屋に代々伝わる簪。
天野宗助が作ったとされるつまみ細工にて作られた桜の花簪。
美しい大輪の桜が咲く花簪で所持者であった木崎屋の女将お澪は桜が似合う女として常和で有名であり桜美人と呼ばれていた。
桜の香りと花弁が舞った時は桜吹雪が何かをしており、木崎屋の風習の一つに桜の香りがするときは簪に触れないようにするというものがある。
これはある時木崎屋の初代店主が桜の香りがするときに身に着けた妻である女将 お澪に悪戯しようと触れた際に桜の花弁が怒るように彼の顔に張り付いたという逸話から行うようになったという。
また木崎屋の店の中でマナーの悪い客や店のもの(商品や従業員)に良からぬ気持ちで近づくものには厳しく、すぐに桜の花弁が店の外にまで追い出すが、常連やマナーのいい客には相応しいものを教えるように花弁が飛ぶという。
前後で分けましたが長いです。
竜胆の簪が一体何をしたのか、残り二つの簪の活躍もいずれちゃんと書きます。