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苛烈王と踊り子の温度差

作者: 矢島 汐

 美しき水の庭園。

 絢爛たる白亜の城。

 淀みなく繁栄していく国。


 かの主は稀代の支配者として知られていた。

 彼が唯一望んだ女は、傾国の美女でも他国の姫でもない、凛とした瞳が眩しい少女であった。



 王宮では様々な思惑から、宴が開かれることが少なくない。

 今宵は遥か東国との国交を拓いた臣を労うため、使者を招くより先に常より小さなそれが開かれていた。

 酒と香水の香りが下品ではない程度に混じり合う席の、当然だが一番奥に彼はいた。


 歳の頃は二十の半ばを過ぎた辺りだろうか。

 品がありながらも硬質な顔の造作は整い、支配的な光を湛えた蒼眼が彼の圧倒的な存在感を助長している。

 無造作に後ろに流された長い髪は夜を集めて縒ったような黒。褐色の肢体は着崩した豪奢な蒼の衣裳で包まれていても、均整のとれた武人のそれを隠しきれていなかった。

 ディズラード・ハル・ザラーム。それがこの大国の主の名である。

 美しい王宮に似合う美しさを持ちながらもどこか血と宵闇の香りが漂う彼は、深く眉根を寄せて盃を空けていた。


 不機嫌さを隠すこともしない王の待ち人を、そこにいる重臣達は知っている。

 それほどに人目を憚ることなく、王はひとりの少女を欲していた。


「……あれは?」

「は、申し訳ございません。いましばらく……」


 以前であったらこの時点で玻璃の盃を投げつけられるくらいのことはあっただろう。

 半眼の一瞥だけで済んだことに、答えた重臣が胸を撫で下ろした。


 彼が比較的穏やかな理由はひとつしかない。

 今宵は“彼女”が呼ばれているのだ。

 彼女は踊り子にしては珍しく、王宮のような上流の煌びやかな場が好きではないらしい。

 宴に出るのを辞退しようとしているのを別の踊り子経由で聞き、別口の仕事を入れてしまったから、と断られた時に必死で頭を下げ、途中からでも構わないからと参加の約束を取り付けた別の重臣は満足そうな笑みを浮かべた。


「…………遅い」


 爪が盃を叩く澄んだ音が、小さく断続的に響く。

 冷徹で非情、その容赦のなさから国内外で苛烈王とも呼ばれる希代の王。

 そんな肩書が付き纏う、若くして王となった彼がやっと見せた人間くささを、臣達は好んでいた。


 王には正妃は勿論、妾妃のひとりとして存在しない。

 正確には何人かいたのだが、その全てが儚くなってしまっている。更に正確に言うのならば、王が全て儚くしてしまった(・・・・・・・・)のだ。

 王が即位した際に送り込まれた、貴族達の(コマ)。自害を命じられた者も、その場で切り捨てられた者もいた。何の思惑もなく連れて来られ、妾妃にも上がれなかった美しい娘達は金を持たされ返されたが、ハレムの人数から見れば極僅かであった。

 それでも狂王と呼ばれないのは、妃であった女達の誰もが国にとって大なり小なり害となっていたからである。そこを足掛けとして腐敗していた少なくない貴族達を一掃し、貴賤関係なく才を生かせる体制まで作ってしまったのだから、苛烈な賢王としての呼び声だけが響くのも当然であろう。

 そんな王の隣に立とうとするものは、今となってはいないに等しい。王にとって有益であり、国母となれる女が見つからないまま、早数年が過ぎてしまった。

 しかし、かの少女は両親が駆け落ち同然の結婚をしたせいで踊り子にまで身をやつしているが、元を辿れば由緒正しき大貴族の出であるという。

 妾妃はもちろん、正妃にもできる可能性は十分にある。長らく空いていた王の隣に彼女が立つのも時間の問題だと、言う臣は少なくない。


 少しだけ緊張を孕んだ、それでも比較的和やかな夜。

 その空気を読むことなく、あるいはわざとか、踊り子の一人が王に近付く。


「今宵は御呼びくださり、有り難うございます、王様」

「………」


 金の髪と深緑の瞳が褐色の肢体に映える、奮い立つような美女の甘い声に王は一瞬だけ視線を向けた。

 路傍の石どころか汚物でも見るような、冷たいそれに女の笑みがしばし凍る。

 しかし、いかにも強かそうな顔つきである女は直ぐに困惑げな表情を作り、彼の腕に触れた。

 女は王宮の宴に呼ばれたことがないのだろうか。今宵は無礼講と銘打ってはいるが、よりによって王の隣に侍ろうとする踊り子などいない。

 周りの空気があからさまに強張る。


「ご気分が優れないのですか? それでしたら私が……」

「――い」

「え……?」


「臭い。汚い。触るな。誰が近付くことを許した」


 宴が始まってから王宮にいる女に対して王が声をかけたのは、この瞬間が初めてだった。

 無条件で平伏したくなるような、常より数段低いその声に更に顔を強張らせる者も、溜息をつく者も、冷や汗を流す者もいる。


 何人もの男を堕とし、魅力ある女として絶対の自信を持っていただろう女は言葉と共に手を跳ね退けられ呆然としている。

 何を言われたのか理解できなかったのだろう。理解できていたのなら、おそらくその場で泣き崩れていただろう。それ程までに王の声は凍っていた。


「貴様のような女がこの場にいるだけで吐き気がする……おい」

「は、」


 王が振り返りもせず、後ろに立つ近衛に声をかける。

 返事をした者とは別の、屈強な衛兵が左右から女の腕を掴み、引きずるようにして広間を出ていった。

 それを見てその場にいる踊り子達は凍り付いたが、臣達は少し安堵した。

 近衛は勿論、ただ黙って女が近づくのを見ていたわけではない。女の行動如何によっては王に触れた瞬間に首が飛んでいた。女は非常に幸運だったと言える。

 それに、昔の王ならば近衛より先に口にするのも憚られるような事態を起こしていただろう。最も、今でも場合によっては追い出されるだけでは到底済まない。


 先程より眉を寄せ、王が盃を煽る。

 虫の音すら聞こえそうな程静まり返った場に、甘くはない、軽やかな声が響いた。


「――王様」


 よく通るそれは、またでしゃばったことをする者が現れたと踊り子達を更に凍り付かせ、これで王の機嫌もよくなると臣達に更なる安堵をもたらした。


「遅い」

「……これでも急いで参じたのですが」


 待ちわびた存在が、思わずと言った風に肩を竦める。

 腰を覆う程長い赤銅の髪、北方の血が入っているらしい白い肌。眇められた瞳は黒にほんの少し紅を落したような深い色合いで、それが彼女の血族である大貴族特有のものであることは王宮に住まうものならば誰もが知っていることである。

 女と少女のちょうど境目にいる彼女はまだあどけなく、特に極上の美人というわけでもないがすっきりと整い、活力に満ち溢れていて清々しい。

 その容姿は、夜の宴より昼の市場の方が似合いそうな印象を受けた。

 呆れたような笑みを浮かべた少女に王は薄く笑いかける。


「俺が待っていたと言っているんだ。もう少し嬉しいとか申し訳ないとかいうそぶりくらいしろ」

「そんな思ってもいないようなことできませんので。それに貴方がそれを期待してらっしゃるとは思えませんし」


 ひどく不遜であり、命知らずとも言える返事だが、自分を偽らないその姿勢を王はいたく気に入っていた。

 流れるような違和感のなさで彼の傍らに腰を降ろした彼女は、美しい所作で盃に酒を注ぐ。

 蒼いヴェールがふわりと揺れるのを視界の端に留めながら、王は先程より数段旨くなった酒を煽った。


「アルマーシャ」

「……ぬるくなってしまいましたか?」

「アルマーシャ」

「…………何ですか」


 盃を置いた腕に引き寄せられ、少し苛立った声音でもう一度名を呼ばれる。

 それが何を意味するのか、彼女はもうわかりきっていた。

 できれば気付かなかったことにしたい。無礼講の宴と言えどここは公の場なのだ。

 彼がそんな理由で納得する訳がないともわかっているので、溜息をつきながら望む言葉を返す。


「…ディズラード様」

「この前教えただろう? もう忘れたのか」

「……………ディズラード」


 若くして玉座を得、一代にして国を数倍のものにした苛烈王。

 一介の踊り子がその名を呼び捨てにすることに、少女は未だにひどく抵抗がある。


「そう、それでいい」


 ――全ての始まりは、初めて王宮の宴に呼ばれた時であった。

 アルマーシャの舞を気に入ったらしい王が彼女を侍らせ、伽を命じたのだ。

 彼女は媚びなかった。そして毅然とこう言ったのだ。


『私を欲しがる奇特な王よ、私はその命に従えません』

『死んでもか』

『ええ、今この場で貴方に斬り捨てられようとも構いません。従えません』


 踊り子に身をやつしたと言えども、彼女が売っていたのは身体ではなく、舞と歌である。

 それに加え、彼女は自身に流れる血がどのようなものなのかきちんと理解しており、王に身を委ねることがどのような未来を引き起こすのかも理解していた。

 例え何と引き換えにしても、避けなければいけないと思ったのだ。


『貴方の命に従ったとしたら、私は少なからず国を揺らす存在になってしまうでしょう』

『お前は……』

『それをわかっていて尚、私を抱くと言うのならば、私はこの場で舌を噛みましょう。それでもいいと言うのならば、ご随意に』


 懐刀を突き付けられながら、真っ直ぐ王を射抜いたその瞳。

 凛とした瞳が魅せるあまりの美しさに、王は思わず笑みを零してしまった。


 ――気まぐれで彼女を隣に侍らせた時に、その瞳の色を見て王は失望したのだ。

 王を叱咤できる唯一の存在であり、彼が王に立った時から支えてくれた重臣。その瞳と全く同じ色だったのだから。

 ついに裏切られる時がきたのかと、意外に冷静に認識してしまったのだ。この踊り子はそのための駒で、外に産ませた子どもで、今宵の宴は遠まわしながらも明らかな叛意の現れなのだと。

 先を読み過ぎるが故に王はそこまで考えてしまった。苛烈の中に常ならばあった冷静さが失われかけたのは、王がその重臣を信頼していたからだろう。

 この踊り子を犯し殺して、軍と共にあいつの領地に送ってやろう。王はそう思っていた。


 それなのに、彼女の高潔な言葉はとても偽りとは思えない響きを持っていた。

 王は歓喜した。

 この女こそが、自分の求めていたものだと。ずっと空いていた隣に立つべきものなのだと。


「アルマーシャ」

「なんでしょう」


 律儀に視線を合わせてくるアルマーシャの動きに合わせて、ヴェールが揺れる。

 蒼いヴェールを身に着けられる踊り子は、この国で唯一彼女だけだ。


 蒼は、この国では重要な意味を持つ色である。それが王を表す色だからだ。

 蒼眼は王族特有のものであり、この国どころか大陸を探しても同じ色合いを持つ者はいない。青味がかった瞳を持つ者はいても、その鮮やかさは一線を画す。それゆえに蒼は高貴であり絶対の色なのである。

 慶事にのみ纏うことが許されているその色を身に着けられるのは、王族と、その寵妃だけである。


 生まれた頃には既に貴族の席から外れていたアルマーシャでも知っている。

 知っていて、何度も拒みながらも、最後にはそれを身に着けたのだ。王はその姿を見る度にとてつもない充足感に包まれる。


「お前は、特別美しいわけではないが、とても美しい」

「私は喜ぶべきでしょうか」

「ああ、大いに喜べ」

「ありがとうございます」


 全くの棒読みで返事をしたアルマーシャの左肩を抱き、その滑らかな肌に刻まれた刺青を撫でる。

 押し切られるようにして入れたそれが今でも微かに疼く気がして、彼女は身をよじった。

 刺青は、この国では王侯貴族がその美しさを競うように入れている装飾の一種である。

 庶民と同じように生活してきたアルマーシャの肌に刺青はひとつもなく、王が入れさせたそれだけが際立っている。


 肌に消えない傷をつけられても、アルマーシャは王を嫌えない。

 支配的でありながらうだるような熱を持った蒼眼で求めるのに、彼女を抱かずその腕に閉じ込めるだけで夜を明かす王。愛を囁くことはなく、その行動と瞳で愛を語り続ける王。

 嫌えるわけがない、とアルマーシャはひっそりと嘆息する。


「お前に贈る花はこれしかないと思った」

「冗談じゃありませんよ。贈るなら枯れる花より食料だといつも……ってこれ花だったんですか」

「それ以外に何があるんだ」


 花というより何かの紋章に見える。大体の人間はそう感じるであろうそれに視線を落としてみるがやはりあまり花には見えない。

 大きく開く四つの蒼い花弁を持つ花がひとつ。短いものと長いものが二重になっているそれを際立たせるように、金糸を入れた優美な紋様が飾っている。

 言われば何となく花の様な気もする、そんな程度だ。


「これは、何と言う花なんですか?」

「別に知らなくてもいいだろう? 知っていても特に利はない」

「私の肌にあるんですから知る権利くらいあると思うんですが」

「ないな。私が知っていれば何の問題もない」


 息が触れるほど、かなり近い距離で笑みを深くした王を見て、アルマーシャはこれ以上の追求は不可能であることを悟る。


「お前が、私の隣に来ると言うならばそれもやぶさかではないが」


 きっとそれは半分嘘だ。王は言葉の代わりに行動でそれを示すだろう。

 この花の意味を口に出して教えてもらえることは一生ない。

 そう思いながら彼女はヴェール越しの口吻けに静かに目を閉じる。


 王の愛は執拗で苛烈である。

 そう遠くない内に、彼女は王が待ち侘びたその席に座るだろう。周りから見ても確かな温度差を感じさせながら。


 しかし、彼女は確かに王を愛している。

 凪いだように穏やかに全てを許容すること。それこそが彼女の愛し方なのである。




END

閲覧ありがとうございます。

アラビアが大好物なので夏になると何かしら書きたくなります……もう夏終わってますが。

とりあえず女の子を俺色に染め上げる(物理的に)という展開が大好きなので色々入れてみました。

設定は煮詰めていないので若干甘いですが、短編なのにあんまりねちねち書くとアレなのでこの辺りで。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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[一言] 愛し方は真逆な二人ですが、だからこそ惹かれあうのでしょうね。 素敵なお話をありがとうございました。
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