02. Rosehip Night
「本当に私が来ても良かったのですか?」
「俺一人で貴族の社交パーティに出席だなんて、笑えない冗談だろう。」
「准将の私情なんて知ったことじゃないですよ。大体、私は尉官なんですけど。」
「誰が尉官を御付にできないというルールを決めた?それに、お前は黙っていれば十分貴族の令嬢より美しい。」
「一言多いですが、お褒めの言葉ありがとうございます閣下。」
「そんな顔をするなと言っているんだ。もっと淑やかにできないのか。」
「生憎、生まれてこの方、軍での勤務の仕事しか携わったことがないので。お淑やかにはできかねません。」
「流石は俺の部下だ。誠心誠意、勤めを果たしたまえ。」
「勤務外です……って、こら、待て、人でなし!」
煌びやかな音楽が流れるこの会場で、美しい衣に身を包んだ男女は笑う。一晩中。
見慣れない美しい美男美女が楽しそうに会話をしているが、決して楽しい会話ではない。
美しい金髪をまとめ上げ、青色のドレスに身を包んだスタイルの良い女性…ビビアン・レダインは広間に居るどの男も彼女を目に留めていて。実際、彼らはビビアンがどれだけの玉であるかを知らない。
そう、彼女の持つグラスにヒビが入っていることなど、誰も目に留めないのだ。
そんな美女の元から去った美男であるダンテ・ロベルトは華やかなドレスを着て自分を見つめる女性たちと目が合えば、ニコリと笑顔を作る。
こちらもまた、情報収集のためにこのパーティに出席したという理由を持つ、最年少の将軍だとは誰も知らない。
知っていて声を掛ける女性などいない。
「ごきげんよう、ロベルト准将。」
「これはこれは、ウィリアム侯爵夫人。お初にお目にかかります。」
「会えてうれしいわ。噂通りの男前ね。」
「いえ…とんでもございません。」
ダンテをこの会場で最初に捉まえたのは、貴族階級の上層であるウィリアム侯爵のご夫人で。40代後半であろう少し膨よかなご夫人の横には、こちらに熱い視線を送る少女。一目でこの会話の意味が理解できた。
社交辞令として、夫人の横にいる煌びやかに着飾られた御嬢さんにも挨拶をする。
「初めまして。自分は東方より城へと参りましたダンテ・ロベルト准将であります。」
「お噂は耳にしておりますわ。お会いできて光栄です。」
「こちらこそ、こんなにお美しいエミリー嬢にお会いできるなんて。」
手の甲へと唇付ければ、まあ!と少女は頬をバラ色に染める。その横にいるご夫人も何やら満足そうにこちらを見る。
このパーティに来る前に何十人もの貴族の顔と名前を下調べしたダンテに怖いものなどない。名前を知ってもらっていたという事実に、エミリーは上機嫌で。最初に会話したのが侯爵家のご令嬢だということもあって、ダンテはすぐに周りの者から視線を集めた。
当の本人は、この固いパーティはどうも性に合わないが、有力な情報を沢山得なければ、このパーティに出席した意味がない。また、有力貴族に顔を広く売っておくことは、自分への資金援助にもつながる。悪い話ではない。
出世が間違いないと言われる准将の地位を持つダンテを気に入った夫人は、是非自分の娘を、と娘の自慢を悠々と語り、二人の邪魔をしてはいけないと去っていく。
「ロベルト様は東方支部でとてもご活躍されていたと聞いておりますわ。」
「いえ…ですが、東方はこの国で最も激しい戦いを虐げられていました。周辺の国を落とした今はだいぶ落ち着き、支部長の自分も用済みになったので城へと転勤になったのですよ。」
「まあ、それは大変だったのですね。この国では特に頼れる逸材だと…お父上は貴方と是非お会いしたいと、言っておりましたわ。生憎、今日は都合が悪く、西方へと仕事に向かっていまして。」
「それは残念です。侯爵殿には挨拶をしたいと思っておりました。」
「まあ、そのことは私から父に伝えておきますわ。」
「ありがとうございます。」
ウィリアム侯爵はご臨終ではないのか…と考えつつ、次に挨拶すべく逸材を探す。エミリーが言わずとも、ご夫人は必ず侯爵に自分のことを伝えるだろう。
そろそろ次の相手に乗り換えようと考えた時に、エミリーが口を開く。
「ロベルト様は、来週には海上での戦線をなさるとお聞きしたのですが…」
「…なぜ、それを?」
ぴたりとダンテの思考が停止した。
あくまで優しい笑顔を作るが、それは軍務上機密にされている内容で、こんな小娘が知っているなんて笑えない冗談だ。
軍上層部の会議で決まった次の戦線は、ロザード帝国の南の海であるレイシャージュ海に来週アマルト王国の海軍が攻め込んでくるという情報が上がり、是非ロベルト准将の転勤初戦線をと期待されていた。
そのことは、アマルト王国の軍の上層部と、ロザード帝国の軍上層部しか知らないはずである。
この娘はきっと、この機密がそれほどまでに重大なことだとは思っていない。
もし、この場にアマルト王国のスパイが混じりこんでいたら、とんでもないことだ。エミリーはただ、ダンテの気を惹くために仕入れた情報としか思っていない。
エミリーはニコリと笑い、小さな声で言う。
「ロベルト様、これは内緒ですけれど…父上の良き取引先に、とてもすごい情報屋がいるのです。」
「情報屋?」
「ええ。でも、知る者しか知らない…とても不思議な情報屋ですわ。」
「エミリー嬢、貴女はその情報をいくらで仕入れたのです?」
「そうね…お家が一軒、建てられるくらいかしら。」
成るほど。その情報屋はかなり厄介だ。だが、良いことを聞いた。ウィリアム侯爵の取引先であれば、きっと他の貴族が皆知っている訳ではなさそうだ。エミリーに情報屋の情報を聞き出し、洗い出さなければ。自分が目立った事をする時に、有力な情報屋に潰されかねない。
エミリーに情報を聞き、次の貴族へと挨拶する。頭に叩き込んだ有力貴族へと挨拶をする中で、知的で秀才なダンテを認めない者などいない。誰もが彼との会話の中に、カリスマ性を感じ、関心を持つ。
「(ビビアンの奴は上手くやっているのか。)」
見た目は良いが、少し短気な面がある彼女が気にかかる。男を殴る術は知っているだろうが、男を虜にさせる術は持っていない。それなりに良い印象を持ってもらえれば上出来なのだが、果たして上手くいっているのだろうか。
少し喋り疲れたダンテは、シャンパンの入ったグラスを持ってテラスへと出る。広い会場でビビアンを見つけることは難しい。それに、お互いの仲が良いとみられては、今日の目的を果たすのに支障がでる。
柵に身体を預け、大きなため息を零す。今日は朝から軍議や資料整理と、ろくに休憩なんてとっていなかった。人より精神力があるダンテは休憩などない戦線に立ち続けていたが、やはり良き軍人を装い続けるのは疲労がたまる。それ故に、この手のパーティは少し苦手であった。
少し冷たい夜風が、休みなく働き続けた脳を優しく冷ましてくれる。再び大きく息を吸い、吐き出そうとした時だった。
コトン…と、自分のすぐ目の前を何かが落下した。
「?」
足元を見ると、女性用のヒールの靴。底が全く削れてないことから、この靴はまだ誰にも履いて歩いてもらっていないことが分かった。
だが一体、何故夜空から靴が落ちてくるのだろうか。上を見上げても、真上に明かりの点いた階はなく、怪奇現象か?と鼻で笑ってしまう。
この間庭にいた貴族の娘であったり、この城はたまに不思議なことが起こる。あの庭の事件をきっかけに、滅多なことでは驚かなくなったが。
「片足が裸足の女は…可哀想か。」
何故かこの靴を女性の元に返してやらねばと思った。貴族の女性が裸足で王宮をうろつくなど、その家の恥である。もう散々好かれ回ったダンテは、今夜はこれで最後だ、と靴を握って上の階を目指した。
靴の落ちてきた速さを元に、2階もしくは3階であると推定する。一つ上のフロアでは、貴族の休憩所は設けられてはいるものの、どの部屋も使用されておらず、明かりはついていない。テラスのすぐ上の部屋はここであろう、と扉を開ける。やはり、明かりは点いていない。
だが、人の気配は確かにした。
「だ、だれ…?」
扉を開けた音に反応したのか、部屋のすぐ奥のバルコニーで女性が振り返る。だが、この怯えるような声はどうにも聞き覚えがあって。
「すまない、驚かせた…」
そう返したときに、この声の主を思い出す。
「あ……またこの会話。」
相手も、ダンテの声を聞いて思い出したようにくすくすと笑う。
彼女はあの庭にいた少女だ。月明かりに照らされて、夜風に綺麗な髪を晒す…今日は綺麗に着飾っているが、正真正銘、あの少女だった。
バルコニーのすぐ隣へと並べば、彼女は両足とも裸足であった。
「これ、あんたの靴じゃないのか?」
「あ…わたしの!もしかして、下に居たの?…ごめんなさい。」
「いや、目の前に落ちてきたから届けに来ただけだ。」
「わざわざ届けに来てくれたんだ。変な軍人さん。」
でも、ありがとう。そう言って笑って靴を受け取る。そして。すぐ横に置いてあったもう片方の靴と並べて置き、履き直した。
本当に変な少女だ。バルコニーから靴を落とすなんて。貴族の女として考えられない。だが、それもまた面白味があると思った。
「若い軍人さん…だけど、今日はパーティに来たの?」
「ああ。あんたは…パーティそっち退けって感じだな。」
「へへ。だって、つまらないんだもの。ダンスもお喋りも。」
「その様だな。」
あんなところに庭を作って、しかも自分で自分の髪を切ろうとしていた貴族の少女に、こんな社交会なんて似合わない。退屈そうに、何か面白いことを考えている彼女は、ここで靴を落とす少女の方がよく似合っている。
「そう言えば、貴方の名前、まだ知らないね。」
「俺はダンテだ。ダンテ・ロベルト。地位は准将。」
「将校なの?年は?幾つ?」
「幾つに見える?」
「幾つ、だろう……25歳?」
「18だ。」
「あら、失礼。」
へへ、と笑う少女は、同い年か、それより下か。貴族のリストを調べたが、特に目に留まるものではなかったのだろう、彼女の名前は把握していない。
ますます不思議な少女だ。気になり、名前を尋ねると、少し考えるように間を開ける。そして、透き通る声で言う。
「私はレイ。」
「レイ…?」
「そう。レイ・ロザード。」
「ロザード…って、まさか。」
王族か、この少女は。
通りでリストには存在していなかったのか。そんなことより…
「王女様、今までのご無礼、心よりお詫び申し上げます。」
この国の王女にあんな口を聞いていたのかと思えば、ダンテはやってしまったという気持ちに陥る。貴族の娘ならまだしも、この国の王女に…。
慌てて頭を下げるダンテだが、そんなダンテの態度にレイはご立腹なご様子で。
「もう、ダンテまでそんな態度をとらないで!」
「王女殿下?」
「私のことはレイって呼んで。あと、敬語もいらない!」
思いもよらないお叱りを受けて、呆気にとられるダンテ。
彼女と居る時は、いつもそうだ。頭の良いダンテでも、思わぬ展開にさせられる。だから彼女は変な少女なのだ。
「お父様に今回のパーティは出席しなさいって言われて…でも、やっぱり面倒だもの。」
「用意までして、ばっくれたのか?」
「用意は行くと惑わせるための罠なの。」
「成るほど。」
とんだお転婆王女らしい。父はとても気さくで、戦の最前線に立つ強豪ジェイク・ロザード。母は天才的な戦術でロザード帝国を勝利へと導く戦女神マリアージュ。
落ち着きのない、常に面白いことを考える王女は一体どちら譲りなのだろうか。
滅多に顔を出さない、幻とまで言われているロザード帝国の王女は、案外、不思議な場所に現れる、変わった少女だということだ。
「ダンテは戦うの?それとも指揮を執るの?」
「どちらもする。」
「東方支部長だったときの実績…特に、アリアールとの戦いは面白いと思ったわ!」
「ああ、確かにあれは…」
どうも、戦の話になると熱くなってしまう…軍人の本性なのだろう。それにしても、流石は王女だ。他の者とは違い、知識がある…と言うよりも、戦のことを知っている。彼女は大事に育てられたたった一人の純血の王女であるが、国王陛下は彼女を時期女王に育て上げるつもりなのだろう。養教があり、王族の賢い頭脳をもっている彼女は、今の将軍なんかよりずっと良い戦術を立てられる。
ただ、表立たない限りは、その信頼も薄く、上手くいくものもいかなくなるだろう。
彼女は将来、この国を引っ張る逸材としては十分だ。
しかし、この国にそんなに甘い未来が待っているとは言い難い。彼女はきっと、どの時代の王よりも辛くて苦しい状況を味わわなければならない。
それでも、彼女ならきっと乗り切れる。
彼女を襲う波を打ち消すのが、自分の役目であるのだ…。城に来て初めて、自分の戦う意味を知った夜だった。