00. First Inspiration
時はピュリオルス歴(PY)324年―――
国々が領地の拡大を図り、近隣国と激戦を繰り広げていた時代。自分たちの誇りと居場所を守るためにたくさんの民族がぶつかり合った。戦争に勝った国は、勝ち取った領地と富と奴隷で至福の一時を送り、また、敗北した国は富みを奪われ、国民を奴隷として生け捕られる悲惨な状況へと転落する。
その数百とある国々の中で、最も有力とされている大国が2つある。
一つは、多種民族から成り立つバリアス帝国。その歴史は浅く、小さな民族が沢山集まり50年ほど前に30種類近くの民族を固めて落ち着いた国だ。かなり大規模な国で、人口は世界の3分の1を占めるとまで言われている。
もう一つは、一つの誇り高い民族だけで成り立つ国、ロザード帝国。世界の中心だと謳われるこの国には、奴隷や植民地の人々を除けば、ロザード人が約5千人しか住んでいない。
ロザード人はどの人種も敵わないほどに体術、魔術、知能に優れているため、圧倒的な数で勝負するバリアス帝国に対し、知的な戦術と粒ぞろいの兵で勝利を収めてきた。
これは、そんな穏やかではない世に生まれ落ちた人々の、美しくも残酷な物語。
PY324年、春――
王宮の庭沿いの長い廊下を2人の男女は無言で歩く。半歩前を歩くのは、美しいクリーム色の髪の若い青年。右目は前髪で隠されているが、左目は王族の血族ではないにしては濃いアレキサンドライトの鋭い瞳を晒している。眉間には眉が寄っているが、文句なしの美青年だ。
もう一人、彼の半歩後ろを歩くのは、金色の長い髪を纏った長身の美女。淡いペリドットの瞳はただ前だけを真剣に見つめる。
そして、二人の身体を纏う、紺色の軍服。銀色に光るロザード帝国の国章が入ったボタンは、歩くたびにカチャカチャと金属のチェーンと当たる音を廊下に響かせる。どことなく緊張感が漂うこの空気は、彼らが地位のある軍人であるという証。勇ましい姿ではあるが、まだ若すぎる2人に対して疑いと困惑を口にする者もいる。だが、彼らの実績は誰もが耳を疑うほどの事実で。その存在までも疑わしく思われるほどだ。
大理石の広い廊下を進んでいくと、彼らの前に槍を持った警備の大男二人が立ちはだかる。まるで彼らを品定めするように見下ろす大男の身長は、裕に2メートルは超えているであろう。だが、全く怯む仕草もなく堂々と右手をあげ、手のひらを左下方に向けて敬礼をする二人。
「本日付けで本部に配属となりましたダンテ・ロベルト准将であります。」
「同じく、ビビアン・レダイン大尉であります。」
クリーム色の若い青年―――もとい、ダンテ・ロベルトの鋭い視線は、逆に2メートル越えの大男を怯ませる。なんだ、この男は…そう冷や汗を掻く警備の大男は、彼が本物のダンテ・ロベルト准将だと直感的に認めざるを得ない。
すっと彼の行く手を開け、大きな鉄の扉を何かの魔法を唱えて開く。
ギギギ…と音を立てて開いた扉の先には、紅。広い広間一面に張り巡らされた紅い絨毯、そして数十人の護衛が向かい合うように立っていて。その奥に、大きな金色に輝く椅子に頬杖を突きながら座る明らかにオーラの違う黒髪の男。偉大な者は一目見れば分かる、とはこのことなのだろう。
「よくぞ、参った。我が城へ。」
そう言って、少し目を細める。………彼が、このロザード帝国の最高責任者、ジェイク・ロザード王なのだ。
純血の王族である彼の瞳は、その血の気高さを表すように深い深いエメラルドをしている。今までに見た事のないほど濃い碧色をする彼の瞳は、何もかもを見透かすようにただこちらを向いていて。他国の王と比べれば若く、40歳にも満たない彼だが、この世界一の大国を一人で維持できる力がどれだけのものなのか、軍人であるダンテやビビアンなら分かる。彼は王の血を分け与えられた、生まれ持っての秀才なのだ。
再び敬礼を取ろうと右手を上げようとしたところで、先に王の口が開かれる。
「噂は聞いているよ。」
扉ので佇む2人を、こちらに来いと言うように手招きする王。それに従い、王の方へと歩き出すダンテ。それに続くようにビビアンも歩き出す。
そして、王の前へと跪く。
「君が東の番犬、ロベルト准将か。」
「お初にお目にかかります、陛下。」
「ふっ、番犬とはよく言ったものだ。」
ダンテの勇ましい目を見ると、ふっと緩く笑みを見せる王。
この国の東部は、近隣国が特に強かった。何度も頭を抱える出来事の知らせが城へと届くが、数日後には良き結果の返事が来る。王である彼がダンテに会ったのはこれが初めてであるが、その功績を耳に入れる事が多かった彼にとって、ダンテは初めて会う者とはとても思えず。ただ、想像していた姿より、ずっと細身で整った顔立ちをしていたぐらいだ。
「君は今、幾つだったか。」
「18であります。」
「そうか。若くしてその実力を認めさせる舞台としては、イグリッドは丁度良かったものとみる。こちらとしても、地方の軍だけで3国も戦の攻防戦ができるとは思っていなかったよ。」
「勿体なきお言葉。」
「言葉に余るよ。イグリッドは土地が良い。欲しがるよそ者はさぞ多かっただろうに。」
「数など問題ではありません。金だけは実際に物を言わせますが、幸いイグリッドは富んでいました。」
「ああ、あそこは昔から出来のいい者が多かったからな。あまりにも多いから、本部は君たちを引き抜いた。」
悪戯に笑う王。他国では、血も涙もない悪魔だと怯えられるこの国の王は、実際はとても穏やかな人物なのだと感じ取れた。また、軍人であるが女性であるビビアンには別に優しい目つきで受け答えをする王は、人間的にも非常に出来の良い者なのだとダンテは感じた。
これが、大国で信頼される王のあるべき姿なのだと、この国の誰もが認める。それが簡単な事ではない事は、地位の高いダンテはよく知っている。
「個人的に、私は君たちに興味があった。」
だが、もう時間だ。と少し眉を下げる王。もう少し話がしたいと思っていたのであろうが、彼は世界一の国を取りまとめる王様であって、昨日今日来た軍人と長々と挨拶をする時間はない。ずっと座っていた椅子から立ち上がり、ダンテとビビアンの前へと歩き出す。
「期待しているよ、ロベルト准将。それに美しき御付のレダイン大尉。」
その言葉を残し、彼は魔法の鏡の中へと姿を消した。
「ロザード軍本部、か。」
鼻で笑うようにそう呟いたダンテ。今の今まで黙り込んでいた彼が口を開くが、ビビアンの視線は前を向いたままだ。
城の中心である王宮の南側、軍人の仕事場である軍務塔へと石造りの渡り廊下を歩く。迷子になりそうな程広いこの城に来てまだ数十時間である2人だが、行の道で城の詳細図を頭に叩き込んでいたので迷うことはない。
王宮を挟んですぐ北側に貴族の住む塔があり、そちらには美しい噴水や庭があったり、テラスでおしゃべりをしながら1日を過ごす何とも暇な貴族が住んでいるらしい。
聞いた話、城働きを目指す軍人が多いのは、その名誉のためではなく、あわよくば貴族の娘と仲良くなれる機会があるという軍人の風上にもおけない者がいるからである。実際にはそんなに甘い事実はなく、王宮を挟んで南側をうろつく貴族なんて滅多にいない。貴族は下級兵には興味を持たず、少なくとも佐官以上の階級がなければ真面に視界にも入れてはくれない事実を彼らは知らない。
ダンテは立ち止まり、石造りの柵に手をかける。そして、南東に位置する軍用施設の様子を冷たい視線で見つめる。
「どうだ、ビビ?」
「どうもこうもないでしょう。平和ボケした軍人の収容所ですかここは。」
東方支部の軍人は、皆が皆浮かれることなくしっかりしていた。否、そうなる様に教育をされていた。
東方支部では王の言う通り、常に激戦を虐げられる状態であり、誰もが戦線での状況を理解している。それは、つい一昨日まで東方支部の支部長を務めていたダンテの方針でもあり、東方の昔からの仕来りでもあった。
「ふん、違いないな。」
ここにいる奴らの半数近くが戦線に駆り出されたことがないのだろう。戦に大人数は必要ない。これは自分たちの一族が戦いに優れているからこそ言える事であって。ただ、強く頭の利く者だけが最前線で戦う。これが最も効率の良いやり方で。その最前線に立てる者を育成する東方支部に対して、城は育てあがった軍人を地方から引き抜き、最前線に立たせるだけである。
「ビビ、本部の軍人リストを回せるか?」
「また貴方は、初日から…」
いきなりのダンテの申し立てに、ビビアンはその美しい顔を歪ませる。
一体ここには何人の軍人がいると思っているのだ、と頭にきてしまうが、もう何年も一緒にいるこの男の我儘には慣れてしまっている。諦めの気持ちと、また、面白いことを仕出かすのではないかという期待とでいつも彼の世話をしてしまうのがビビアン・レダインという人間であって。
彼はきっと、何十年も経験を積んだ将校や元帥クラスの人間よりもずっと優れている。
今日出逢った国王陛下とダンテが似ていると感じたのは、ダンテの一番傍で戦うビビアンだからこそであろう。
ため息を吐いたビビアンは言う。
「…階級はどこからとりましょうか。」
「そうだな…准尉以上で、元帥まで調べてくれ。」
「わかりました。」
こんなに出来のいい部下なんて、世界の何処を探してもなかなか見当たらないだろう。主君思いであると言うよりは、自分の公務に全うするタイプで、女としては不器用で可愛げがない奴だと言えるが。
だが、彼女はどこかの貴族出の小娘なんかよりずっと美しい。真っ直ぐで、強く、そして一生をこの国に捧ぐ儚い女だ。
だからこそ、ダンテはビビアンを気に入り、選んだ。厳しいこの戦いで数少ない自分の背中を預けられる者として。
ダンテだって馬鹿ではない。自分が軍に呼ばれるということがどういうことなのか、薄々勘付いている。あの国王陛下との短い会話の中でしたことは、退屈な挨拶だけではない。
近くとも、あと数年でこの国の状態は大きく変化するであろう。何か、とても大きな事が起こる予感がする。否、確実に起こるであろう。
そのために今、自分がすべきことは備える事だけ。
王宮から真っ直ぐこちらへやって来る黒いフクロウ。足に白い手紙を付けたフクロウはダンテの目の前へとやって来る。
「貴族と軍人の社交パーティ、か。」
手紙を受け取ったダンテは、表に綴られた綺麗な文字を読む。ビビアンは柄でもないその内容を読み取り、苦笑する。軍人リストだけではなく、貴族のリストも要求されるのではないかと思い、「失礼。」とこの場を去る。
ダンテの口からは深いため息が零れた。