第4話 エデのいい仕事は、猫の初夜
秋の十二支会議が終わった、その日の夜。
今夜は、エデさんとメイドの方に、丁寧に入浴させてもらい、
入浴後の支度も手伝ってもらった。
お二人は静かに、
私にシルクのすべすべしたネグリジェを着せたり、
花の香りのオイルを塗りこんだり、
髪を綺麗にとかしつけたりしてくれる。
恥ずかしくていたたまれずに「とてもいい香りです。」と言うと、
エデさんが私にだけ聞こえる小さな声で「シリウス様のお好きな香りです…」と呟く。
一気に耳までカッと熱くなる。
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今朝、シリウスが私の部屋を去ってから、妙に不安で落ち着かなかった。
昨日はあんな恐ろしい事件があったし、
シリウスを思いきり引っぱたいて喧嘩したし、
不安で当然だ…と自分に言い聞かせる。
しかし、うなじの刻印が熱を持って疼いている気がする。
部屋を出るときのシリウスの後ろ姿を見送ったときの、
不思議な喪失感が頭から離れない。
どうして、あのとき、
「行かないで、ここにいて」と言わなかったのだろう。
引っぱたいたり、悪口を言ったり、情けない姿を見せても、
結局は、私を抱き締めて、
涙を拭いて、
燭台で合図をすると言ってくれるシリウス。
あれ以上の我儘を言ったら、今度こそ嫌われる気がしたのだ。
私が、エデさんが磨き上げてくれた燭台を見つめて、泣きそうになっていると、
エデさんに、来訪者があると告げられた。
一瞬、シリウスかと思って、今度は嬉し泣きしそうになったものの、
「テオ様がお会いになりたいとのことです。」
と言われたときには、がっかりどころではなかった。
寝間着姿だし、体調も悪いということで断っても、たびたび来る。
閉会の儀はどうしたのだろう…
昼過ぎになって、「帰郷するから、せめて一度挨拶でも」との伝言を聞いて、
渋々身支度をして応接室に向かった。
「顔色わるっ」
「ですから、体調が悪いと申し上げました。」
「まあ、それはごめん。
でも、色々あったし、リヒトの安否確認な。
シリウス様も閉会の儀とか面会とかで、リヒトのこと放ってるやろ。」
「今日は、忙しい日ですから…」
「へえ、物分かりええな?」
テオ様の金色の目が、私を見透かすように細まる。
私は多少イライラし始め、この面会を終わらせようと思った。
「無事のご帰郷をお祈りしております。」
「ほんま、自分、つれないなあ…」
テオ様は私をじっと見る。
「なあ、三年前のプロポーズ、答え聞いてへんねんけど。」
「お断りいたします。」
「えっ!即答!?」
「即答も何も…三年前もすぐにお断りしようとしたら、閉会の儀まで待てとおっしゃるから…」
「ほーん…」
テオ様は思い切り伸びをすると、ドカッとソファにもたれかかる。
「まあ、もうこれは全然アカンな。取りつく島も山もないわ。」
「こんな話に、取りつく島か山があったらおかしいです。」
「ハハハハハ」
テオ様は笑い出した。
「やっぱりおもろいな、リヒト。でもスッキリしたわ。」
「あの、あと、その『リヒト』という呼び方ですけど…ちょっと…」
「え、呼び捨てアカンの?なんで?」
「それは…その…なんだか特別な関係みたいに聞こえます。」
「別にええやん、普通に友達やろ。」
「シリウスに…その…勘違いされると…困りますから。」
「ハアアアアア―――…
…なあ、さすがに落ち込むんやけど…」
「そう言われても…」
「じゃあ、リヒト様?リヒトちゃん?
今さら「リヒトさん」も落ち着かんのやけど。
なんか考えてよ。」
私は面倒くささが極まっていたが、
ふと、大学の例の学友たちが、私を「リティ」と呼んでいたことを思い出した。
「じゃあ、『リティ』はいかがでしょう。」
「お、それええやん。」
テオ様は勢いよく立ち上がると、
「リティ、一度きりの人生、お互い楽しもな!」
とニヤリと笑って、後ろ姿でバイバイというように手をヒラヒラ振って出て行った。
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私はドッと気疲れして部屋に戻った。
燭台のある窓際に座ると、まだ暗くなっていないのに火を灯して、
向かいのシリウスの部屋を見つめた。
コンコン!とエデさんが入って来て、チラリと燭台を見る。
私は、シリウスを待つ気持ちがバレてしまったことが恥ずかしくなった。
でも、同時に、朝からため込んだ不安も限界になってきた。
「今日は、何回合図なさるんですか?」
エデさんが、片付けをしながら、助け船を出すように話しかけてくれる。
私はユラユラとゆれる蠟燭の火を見つめて、思い切って言った。
「5回…『会いに来て』は駄目でしょうか…」
エデさんはピタリと手を止めると、私のそばに来て、膝をついた。
「お嬢様…そうなさいませ。
そのまま、今夜は御一緒にお過ごしくださいませ。」
私は驚きの余り、何も言えずにエデさんを見つめる。
「周りのことは、私やダンテス、信頼できる側近で取り計らいます。」
私はようやく理解が追いついて、頬が熱くなる。
「私は、そ、そこまで…は…」
エデさんは不器用に、優しく微笑んだ。
「必ず、エデとダンテスが、お嬢様と大王様をお守りします。」
「わ、私は、何も知らないの…あ、シリウスは、知ってるのかな…
モテるし…あ、そんな問題じゃないか…」
私が混乱していると、
エデさんはサイドテーブルを開けて、
「もともと、色々と準備をしておりました。」
とちょっと誇らしげに言う。
覗くと、何やらオイルのようなものが数本ある…
「これは…??」
エデさんは私に近寄ると、その使用方法を小さくささやく。
それを聞いた私は、もう爆発しそうになって、両手で顔を覆った。
エデさんは追撃の手を緩めず、誇らしげに言った。
「浴室にも準備してございますよ。」
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そこからは、何をしても落ち着かなかった。
寝ようとしても寝られないし、
吐き気も吹っ飛んでしまった。
本を開いても、気づけばソロリとサイドテーブルを覗いている。
でも…5回合図しただけで分かるかしら。
「ありがとう」「何してる」も5文字だし…
来なかったら、エデさんとダンテスさんが二人でシリウスを担いできてくれる気がする…
それを想像するとちょっと笑ってしまった。
そんなこんなで、ようやく夜になり、
今は入浴後の支度、というわけである。
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一度出て行ったエデさんが戻ってくると、
「大王様もお部屋にお戻りになります。今からご入浴だそうです。」
と静かに言う。
一気に心拍数が跳ね上がる。
入浴…シリウスが…
私は慌てて頭を横に振って、
「あ、あの、じゃあ、もう一人にしてくれますか…?
その…5回合図しただけで…来ないときは、エデさんを呼ぶので…その…」
エデさんは、「ご安心ください。」と微笑んで退室した。
私は、燭台に火をともすと、窓際に座った。
待ち遠しいけれど、この時間が続いてほしい気がする。
もうすぐ、確実に、シリウスに会えるという、
幸せな待ち遠しさを感じられる、今この時が。
シリウスの部屋の窓で、人影が動いた気がする。
私は心臓がキュッと締まるのを感じる。
いよいよだ…私は胸元に掛けたロケットを、壊れるほど握りしめた。
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そのとき、急に、うなじの刻印が焼け付くように痛んだ。
背後に恐ろしい気配を感じて振り向くと、
大きな黒い穴が部屋の真ん中に出現し、渦を巻きながら私に黒い触手を伸ばしてきていた。
声を上げる間もなく、黒い触手は私の口を塞ぎ、身体にも巻き付いた。
必死にもがいたものの、あっという間にその渦に引きずり込まれた。
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