第11話 宿屋で猫と二人きり 煩悩の神鼠
目を開けると、外はすっかり明るく、大いに賑わっている。
ハッと周りを見ると、リヒトさんがいない。
僕は飛び起きて「リヒトさん?」と呼ぶ。
返事はない…が、パシャパシャと水が跳ねる音がする。
慌てて音の方向に行くと、急に扉が開いて、ドスンとリヒトさんにぶつか…
『ワッ!?!?』
僕は慌てて顔を隠して後ろを向く。
「ごめんなさい!いないから心配で来たんです!
見てません!!!」
シャワールームから、タオル1枚でひょっこり出てきたリヒトさんにぶつかったのだ。
リヒトさんは猫のようにすばやく、ついたてに隠れた。
さっさとベッドの辺りに戻ればいいのに、僕は動かない。
動きたくない…
「大丈夫ですか…?リヒトさん…」
着替え始めたようで、さらさらと衣擦れの音がする。
僕は物理的に動けなくなりそうだ。
「シリウスこそ…大丈夫なの…?
…シャワーの音で起こしちゃった?」
リヒトさんの動く気配。
「勝手に目覚めたんです。よく寝て、すっかり元気です。」
「本当?」
という声と同時に、ネグリジェを着たリヒトさんが、壁を向く僕を下から覗き込んだ。
「本当で…」
と言いながら見下ろすと、リヒトさんのネグリジェの襟元から中が見えそうに…
というより、かなり見えてしまった。
「す…」
僕はシャワールームに飛んで入った。
「僕も、シャワーします!!!!!」
僕は、狭くて粗末なシャワールームで猛然と服を脱いだ。
ああ、確かに、すっかり元気だ…
と、自分が首にかけていた、リヒトさんのロケットが目に入った。
そうだ…これを首にかけて、大神殿を飛んで出て、今朝、救出できたのだ。
僕はロケットをそっと外すと、丁寧に服の上に置いた。
*************
僕が服を着て部屋に戻ると、リヒトさんは窓の外を覗いている。
「お腹、すいてませんか?」
僕は、ヤンが渡してくれた布袋から小さな乾パンを取り出して、
窓辺のリヒトさんに持っていった。
リヒトさんはパッと笑顔になって、子供のように両手を伸ばす。
「今、すごくお腹減った!って思ってたの!」
乾パンを受け取ったリヒトさんは、早速嬉しそうに「おいしい!」と頬張る。
「今日、お祭りみたい。
たくさん出店があるでしょう?
ほら、ほら、食べている人たち見える?ね?
あれを見て、私もお腹減ったなって思って…」
僕は、なんだか、透明過ぎる宝石を見ている気がして、
ただ眩しくて、リヒトさんを見つめていた。
と、リヒトさんがふと僕を向いて、
それから、手に持った乾パンを見て、
「あ…お行儀悪いね…?」
きまり悪そうに言う。
「まさか!」
と言うと、僕はリヒトさんの食べかけの乾パンをひょいと取り上げると、一口で口に入れ、
もぐもぐしながら、代わりに自分の乾パンをリヒトさんに手渡した。
なぜかリヒトさんは真っ赤になっている。
僕も、一緒に窓から外を覗く。
「これは、この町…バカンティエの収穫祭です。
明日が本祭で、今日は前夜祭。
でも、お昼から盛り上がっているんですね。」
リヒトさんは驚いたように僕を見る。
「来たことがあるの?」
「いいえ。」
僕は、窓の外の賑わいをじっと見た。
「ツヴェルフェト各地の行事は、ほとんど記憶しています。
特に、ディモイゼは僕の州ですから、完璧に記憶していますよ。」
僕は窓を背に、薄暗い部屋の中を向いた。
「気候・災害・疫病…これが十二支の最も大きな役目ですから。
地形、気候、人口、産業、外的環境…色々計算して、
使うべき神通力、使うべきではない神通力を見極めて発動する。
行事や作物の生育に合わせて、雨雲を動かしたりもしますよ。
別のところにしわ寄せがいかないように操作して…
本当は…」
僕はうつむいた。
「要らないのかもしれない。
ロベルトが計画したみたいに、この国が神通力から解放されても、
きっと、新たな統治体制で人間は逞しく生きていく。
でも…」
僕は窓の外を振り返った。
人々は笑い、賑わい、活気に満ちている。
「今は、僕の仕事ですから。」
その瞬間、リヒトさんは手を伸ばして、僕の顔を手で挟んだ。
そして、彼女の顔に引き寄せると、僕の頬に唇をそっと押し当てた。
僕の胸は跳ね上がるほどに高鳴っている。
しばらくして、吸い付くような柔らかい唇をゆっくり離すと、
僕の耳元で優しくつぶやいた。
「いつもありがとう、大王様…」
僕の胸は、言いようもなく熱くなった。
【ありがとう】?
誰にも求めたことはなかった言葉。
大王だから当然、といつも思っていた。
【ありがとう】…
この言葉は、こんなにも僕を温めてくれるものだったのか。
これからも頑張れると信じる力をくれるものなのか。
泣きそうになって、リヒトさんを腕一杯抱き締めた。
優しいリヒトさんは、僕の首に腕を回して抱き締め返してくれる。
リヒトさん一人がいれば、
僕はどこでだって幸せに生きていける…
…そう思うと、胸が掻きむしられる思いだ。
すぐに、どこかにいなくなってしまいそうな、
そう、あのときロベルトが言ったように、
一緒にいられないことが運命づけられている、
この猫族の女性が、
僕の隣にいてくれさえすれば。
僕はそっと手をほどくと、リヒトさんの夕日色の瞳を見つめ、
今度は僕から、彼女の頬にそっと唇を押し当てて、
心を込めてささやいた。
「ありがとう、リヒトさん…
僕は…」
**************
そのとき、外から、ひときわ大きな歓声が聞こえてきて、僕たちはハッとした。
窓から覗くと、子供たちの仮装行列が元気に進んでいて、大人たちが大歓声を上げているのだ。
リヒトさんは窓に飛びついて「ワァ!」と目を輝かせた。
僕は…残念のあまり、思わず頭を抱えた。
しかし、気を取り直すとリヒトさんに言った。
「お祭りに行きませんか?」
「エッ?!」
リヒトさんの顔がパッと輝く。
「シリウス…いいの?」
「ええ、すっかり元気ですし、貴女を助けに来るときに、
数日間不在にしても問題ないようにしてきたんです。
今夜遅くに、大神殿の馬車が街の入り口に来る手はずになっています。
それまでは休日にします。
色々ありましたから…気晴らししないと参ってしまいます。」
「本当?!」
リヒトさんは僕の腕を引っ張って「行こう!」と言ったものの、
裸足でネグリジェの自分の格好に気付いて、「あ…」と言葉を失う。
僕は、リヒトさんにマントを着せてあげながら言った。
「じゃあ、まず、服を買いに行きましょうか。」




