試練
軽く言い放った御史大夫に、燦黯は目を見開き、目の前の人間を凝視した。
一方、凝視されている人間は何も言わずに燦黯が何かを言うのを待っている。
「……そなたなら、解決できるのか……?」
やっとのことで絞り出した言葉に、御史大夫は頷いて言葉を発した。
「やろうと思えば。」
「本当か!?ならば、」
「しかし。」
思わず前のめりになった燦黯を制すように声が挟まれる。
「条件があります。」
涼しそうな声で言い切った御史大夫は、ゆっくりと振り向いてそこに控えていた珱子を見る。
「彼女と自力で解決してください。」
「其方ならなんとかできるのではなかったのか!?」
思わず大きな声が出た燦黯は、体を前のめりにたまま問い詰める。
「そもそも私が解決するとはどう言う事だ!?私にどうにかできぬからこうして話をしにきていると言うのに!」
一息に言い切ると、流石に疲れて肩で息をする。
普段声を荒げる事など滅多にない燦黯がここまで声を大きくする事は随分と久しぶりだった。
そんな珍しい声を聞いて尚、御史大夫は変わらぬ温度と速度で言葉を紡ぐ。
「勿論、必要になれば私がその手を振り払って差し上げましょう。」
そう言って燦黯の背後を見るように顔の向きを変えた御史大夫はさらに言葉を続ける。
「しかし、何の原因も分からぬまま振り払えば、後にどう作用するか分かりません。なので、その手を引く者達の正体を掴んできて頂きたい。」
「正体も何も、其方はもののけの仕業だと申したではないか。」
幾分か落ち着きを取り戻した燦黯は、冷静に現状を分析する。
今燦黯が御史大夫の元にいるのは、袖を引く手の怪を解決してほしいと珱子に相談したからだ。
そしてその珱子が連れてきたのがこの御史大夫がいる天壇。
御史大夫は言った。
それは物怪の仕業だと。
つまり、すでに物怪の仕業だとわかっている。
これ以上何を調べろと言うのか。
「物怪にも色々といるんですよ。そもそもアレらが何かなど、知る由もない。理解の及ばぬものであるからこそそれらを纏めて‘物怪’やら何やらと呼ぶのです。正体が分からぬものの総称ですよ、物怪なんて言うものは。」
「その正体の分からぬものをどう突き止めれば良いのだ。」
「それを彼女と考えて見つけてくる事。それがその手を振り払う条件です。」
軽く言ってくれるが、燦黯には時間がなかった。
もう次の帝が決まる日は近い。
燦黯は恨めしげに御史大夫を睨むが、何の効果もない。
何も分からないものを一から調べ上げる時間など無い。
しかし、だからと言ってこれを放っておくわけにはいかなかった。
「……分かった。条件を飲もう。」
「では頼みますよ。」
燦黯が条件を飲むと、御史大夫は後ろを向いて珱子を見て言う。
「かしこまりました。………一つ申し上げたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「構いません。」
珱子はまだ少し躊躇っていたが、言いにくそうに口を開いた。
「わたくしが東宮様に協力するのはよろしいのですが、立場的に言いにくいものがあるのです。」
珱子は未だ自分と御史大夫を睨んでいる高忠を伺いながら言う。
燦黯と共に行動をする高忠がこの調子では色々と言いにくいこともあるだろう。
「私は気にせぬ。立場を気にせず意見を申せ。」
色々と調べてこいとは言われたが燦黯と珱子とでは持っている情報も経験も異なる。
もしかしたら袖を引く手以外にも宮城内の物怪に心当たりや知識があるかもしれない。
そんな珱子の意見は貴重だ。
立場的に言いにくいからなどと言う理由でその貴重な意見を無駄にしたくはない。
「では、協力する間のみ、わたくしに無礼をお許しいただけますか?」
「かまわぬ。」
燦黯は礼儀作法を気にしすぎる性ではない。
ある程度は大切にするが、それがあることによって目的を達成することに支障が出るのであれば排除する事を厭わない人間だった。
しかし、珱子は燦黯が思っていたよりもずっと気が強い娘であることを、御史大夫以外誰も知らなかった。
「して、何から始めるべきだと思う?」
「まずは情報収集からね。次に集めた情報から考えられる可能性を咲ノ守さまび報告、咲ノ守さまの指示を仰ぐ。その時点で問題がなければ咲ノ守さまのお力をお借りすれば良いわ。」
最初は袖を引かれても助かった人間に話を聞くべきだ、と言う珱子の声を、燦黯はどこか遠いところで聞いている心地になった。
確かに燦黯は無礼を許すと言ったが、まさか敬語すら無くなるとは思ってもみなかった。
生まれてから東宮である燦黯に敬語を使わない者はいなかった。
殆ど会うことのなかった両親も上の兄弟姉妹も皆丁寧に話すからだ。
そのため咄嗟に声が出ず、珱子に返事ができなかった。
それは高忠も同じだったようで、普段ならば燦黯に無礼を働いた者に丁寧な言葉で注意をするのに、今ばかりは何もいえずにいた。
「あら、何を惚けた顔をしているの?許可をしたのは東宮様よ。今更取り消すの?」
「貴様……!」
「待て、高忠。確かに許可をしたのは私だ。」
燦黯は高忠を片手で止めながら密かにため息をつく。
珱子の言葉遣いが気にならないと言えば嘘になるが、かと言って一度許可したものを禁止することで珱子からの協力を得られなくなるのは困る。
その上、ただでさえ時間がない今、そんなことで揉めている暇はないのだ。
燦黯は改めて珱子を見据える。
「では、よろしく頼む。」
「ええ。まずは情報収集ね。でも、今日はもう遅いから明日からにしましょう。明日の朝、もう一度会いましょう。場所は……」
「ここを使っても構いませんよ。」
おそらく燦黯を気遣ってのことだろう、御史大夫がこの古い天壇を使う許可をくれた。
本当なら燦黯の宮にでも招きたいのだが、招く相手は胡散臭い噂の多い妃だ。
迂闊に招けば燦黯の帝への道が立たれてしまう。
「ではありがたくお借りします。東宮様は明日の辰の刻までにここへ。袖を引く手から逃れた者を思い出しておくことを忘れないように。」
「御史大夫殿には敬語なのか。」
三公の位である御史大夫は東宮である燦黯よりも当然位は低い。
燦黯は東宮である以前に王族だ。
その血は他の何よりも尊い。
例え咲ノ守であってもその位は燦黯と同等のはずだった。
「当たり前よ。咲ノ守さまに礼を欠くなんてとんでもない。」
澱みなく言い切った珱子は当たり前のように燦黯に気安い口を聞いた。
高忠が何か言いたげにしているが何も言わないのは、もはやこの数時間で珱子の振る舞いに慣れてきたからだろう。
「其方が私に礼を尽くすつもりがないことはよく分かった。」
「何もしていない人間が敬われるわけ無いじゃない。何かしなければ何も生まれないわよ。」
刺々しい言葉に、燦黯は一瞬息が止まる思いがした。
その理由の一つは、珱子が思いの外強く暗い瞳をした事。
もう一つは、言葉の棘が姉と比べられるばかりで動く事が出来なかった過去の自分自身に深々と刺さるような感覚を覚えた事。
それらは燦黯の血を吸って成長し、成長した棘で燦黯自身を刺した。
「……そうだな。………私は明日に備えて帰る事にしよう。」
それだけ言い残し、燦黯は高忠と共に古い天壇を後にした。




