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緑簾に息吹く幽の影  作者: こたつ
帝の門出
2/11

咲ノ守

「こんな夜更けに、どこへ行こうと言うのだ?」

 燦黯は、皓月宮(ハオユエきゅう)珱子(えいし)の御殿、糸蘭(しらん)宮から抜け出し、提灯を持つ珱子を先頭に暗い夜道を早足に進んでいた。

もちろん従者である高忠(カオズン)も己の主の後ろを影のように付き従っている。

 三人の他にはもう一人、若い女官がいたが、彼女は皓月宮から外の宮城へ出る門で三人を見送った。

「更衣様、あなたは後宮から出てはならぬのではありませんか。」

 どんな手を使ったのか、後宮である皓月宮の門番を平然と通過した珱子に高忠が胡乱げな目を向けていた。

 本来、妃は後宮である皓月宮から無断で抜け出すことは許されない。

もちろん、例外はある。

高忠の問いに、珱子は自分が燦黯が思い浮かべた“例外”であると言った。

「わたくしは官位を持っております。故に後宮の出入りは自由です。」

 ツン、と顔を逸らして珱子は言う。

 この国では、帝になれるのは男性だけではないように、官吏(かんり)となれるのもまた男性だけではなかった。

この国の宮中において、性別による役職の決まりはない。

男性が多い、女性が多い、と言うような傾向こそあれど、‘なれない’役職はほとんど存在しない。

 そして、官位を持つ女性は少ない傾向にあった。

「そなたが後宮から出られるのはわかったが、どこへ行こうと言うのだ?」

 宮中とはいえ夜更けは夜更け。

この時間に出仕しているのは夜間勤務の下働きの者達ばかりだろう。

 そのため宮中の主要な機関や建物は施錠され、どこかへ行くこともできない。

「もう少し歩けばつきます。」

 提灯を揺らしながら、珱子は迷いなく歩いていく。

その背を見ながら、燦黯は珱子が何をしようとしているのか考えていた。

 珱子は、燦黯に‘帝になりたいか’と聞いた。

もちろん燦黯はなりたいと答えた。

答えると、それ以上は何も言わずに少しその場で待たされ、しばらくすると唐衣裳(からぎぬ)から動きやすそうな桃の深衣(しんい)に着替えた珱子が戻ってきた。

そしてそのまま外へ連れ出されて今に至る。

 一体どこへ行こうとしているのか、袖を引く手と帝となることに、なんの関係があるのか。

何もわからぬままに珱子についていくのは些か危うい気はしたが、珱子一人程度ならば燦黯でも取り押さえることができる。

部屋に連れ込もうにも、この時間には人はいない。

それはすなわち助けもこないと言うことだが、珱子がわざわざ着替えてきたとなれば、おそらくこの外出は想定外。

 それらを加味して、燦黯は彼女について行くことを決めた。

後ろの高忠は不服そうだが、主である燦黯に従わない男でもない。

黙って後ろをついてきている。

「ここに入るのか。」

 珱子がようやく立ち止まったのは、百柳枝殿(ゆゆしでん)と呼ばれる、宮中の片隅にあるにしては大きく古い建物だった。

「ここは確か、前王朝の時代の天壇(てんだん)であったか。」

「さようでございます。現在は使われておりませんが。」

 天壇とは、天の神を祀る祭殿である。

本来、天壇は城外の南側に置かれているものだが、ここは前王朝の時代に使われていた天壇だ。

度重なる増築によってかつての天壇が城内に入っているのだろう。

現に、現王朝の帝の天壇は宮城の外側の南に位置する場所に存在している。

 前王朝の時代というと、今から三百年ほど前の時代だが、目の前の建物は流石に修復が繰り返されているようだ。

しかし、建て替えはされていないようで、絶妙に今の天壇とは作りが異なるのが見て取れる。

丸い屋根が三つ連なる円状の建物は古いが故の趣があり、昼間に見れば神聖な場所として映っただろうに、夜更けでは薄気味悪さが勝ってしまっていた。

「では参りましょう。」

「中に入るのか。」

「はい。」

 珱子は何の躊躇いもなく戸を開けて中へ入っていく。

こんな時間にも関わらず古いが美しい細工が施された戸は施錠されていない。

外から見る限り、建物の中に灯りもなく、中に誰かがいるとも思えない。

 こんなところに連れてきて、一体どうするつもりだ?

珱子が何を考えているのか分からないが、とにかくついて行くしか答えを知ることはできない。

珱子の持つ提灯をひたすらに追って行くと、天壇の中は普通の造りとは異なることがわかった。

 祭壇も表にあったような装飾も無く、大量の布や衝立(ついたて)によって区切られた空間が続き、ようやく階段を見つけたと思えばまた同じような空間が続き、二つ目の階段を登ったところでようやく珱子が足を止めた。

目の前には絹のような美しい桜の柄が入った布が垂れ下げられている。

咲ノ守(さきのもり)さま。春ノ宮(はるのみや)様をお連れ致しました。」

 珱子の口から紡がれた言葉は、燦黯に使った言葉よりも親しげで、尚且つ深い畏怖と尊敬の念が込められていた。

 一方で燦黯は、中に誰かいるのかという戸惑いと、咲ノ守という単語に思考を奪われていた。

「通して構いませんよ。」

 声と共に布がひらめき、先に進めるようになった。

珱子に続いて帳に囲まれたような空間に入ると、中は意外と明るく、大小さまざまな机に色とりどりな提灯、蝋燭、書物、書類、筆に硯など、雑多なもので溢れかえっていた。

中でも異彩を放つのは一番大きな机の前で鎮座する人間。

「こんな夜遅くに来なくともよかったと思いますけどね。」

 椅子に座ったままで軽い調子で話している人間の声は中性的ではあるもののおそらく女性のもので、その顔は布面で覆われていて伺うことができない。

白い長衣(ながい)に黄色の花が咲く唐衣(からころも)を羽織っている。

背中に伸びる低い位置で一つに結んだ長い髪は夜空のように煌めいているようにも、暗闇のように透き通った濁りを湛えているようにも見えた。

 そんな奇妙な見かけをした人間でも、布面をしていることとその布面に書かれていること、唐衣に描かれている花、そして何より『咲ノ守』と呼ばれていたことを合わせれば、今目の前にいるのが誰かを予測することは容易かった。

(ヒュウ)家の者か。」

 顔を覆い隠す布面には、真っ白い布の上に黒々とした墨で『彪』の一文字が書かれ、その布面を結んでいる組紐には最も高貴とされる色である紫と黄の絹糸が使われていた。

文字はとある一族の事を表し、唐衣に描かれる黄色の花……おそらく『虎の尾』を冠する花であり、それもまた同じ一族を示すものだ。

ちなみに、その一族がつけている布面の組紐はその者の位を表す。

「そうですね。私は彪家の者です。」

「………そなたの官位と()()()()()()役職は。」

従二位(じゅにい)御史大夫(ぎょしたいふ)です。」

 燦黯の問いにさらりと返事をしたが、その内容はさらりと流して良いものではない。

従二位とは、数多くある官位で上から三つ目に当たる階級であり、御史大夫とは数ある役職のうち官位と同じく上から三つ目、(まつりごと)の観察や不正の摘発を司る。

そして御史大夫は烝相(じょうそう)大尉(たいい)と並び『三公(さんこう)』と呼ばれる役職。

それらの職は基本的には名誉職とされていた。

「今の三公のうち、名誉職となっておるのは御史大夫のみであったが……そうか、咲ノ守との兼任であったか。」

 現在は名誉職としての三公はほとんど残っておらず、何らかの実務を担っている。

ただ一つ、御史大夫を除いては。

「名誉職として就任しているのではありませんがね。」

 軽い調子で言うが、本来ならばこんな宮城の僻地にいていいような者ではない。

燦黯がまじまじと布面で隠された顔を見つめていると、布面が揺れた。

「何か言いたいことがあれば言っても構いませんよ。」

 布面が揺れて燦黯の後方を向いた御史大夫は、軽やかに言った。

それを聞いて燦黯は背後に控えていた高忠を見る。

 そこには、複雑そうな顔をした高忠がいた。

高忠は少し言い淀んだが、何かを決めてすぐに口を開く。

「お言葉ですが、東宮さまに対し礼を欠いているように思われます。」

「礼を欠いているのはどちらですか!」

 高忠の言葉に返事を返したのは御史大夫ではなく、部屋の隅に控えていた珱子だった。

「咲ノ守は皇后直属の役職の最高位であり、その位は東宮と()()!にも関わらず一方的に物を言う方が礼を欠いているのではありませんか!」

「それは女方(おんながた)のことであろう。ここは宮城(きゅうじょう)。女方の規則は適用されぬ。」

 女方の後宮、皓月宮を出ているため、高忠の態度は先ほどとは打って変わり珱子に対する形ばかりの礼はすでに消え失せていた。

「宮城で適用されぬのは官位を持つ妃の()()()のみ!それ以外の位、咲ノ守を含む女方の位は全て適用されます!」

「しかし、現在皇后は不在。主を持たぬ咲ノ守に何の力がある。」

「皇后の不在時に女方をまとめるのは咲ノ守の役目!皇后不在の今、誰のおかげで滞りなく我らが纏まっていると……!」

「それくらいにしてください。」

 口論の間に、鋭くもなければ憤るような調子もない声がかけられる。

それを聞いた珱子は悔しそうな顔をしながら黙り、高忠も燦黯の背後で口を閉ざした。

「女方と男方(おとこがた)は基本交わりませんからね。それぞれの役割や階級を知らなくともしようのないことです。まして皇位継承権を持つ者ならば尚更。」

 この国では男女ともに帝になり得ることの他にも少々特殊な制度がある。

それらは妃帝(ひてい)制と呼ばれ、女性を女方(おんながた)と呼び、皇后直属の組織とし、反対に男性を男方(おとこがた)と呼び、帝直属の組織とする。

 女性が帝となった場合でもその制度は適用され、その場合女性の帝が男方を、男性の皇后が女方を率いる事となる。

「妃帝制は知っておるが、それは政とはまた異なる独立した仕組みだ。そしてその仕組みの中に皇族、特に次期帝候補となる者は含まれぬからな。私も私に仕える高忠もあまり詳しくない。無礼があったのなら詫びよう。」

「いえ、その必要はありませんよ。別に礼などいりませんから。」

 御史大夫が礼にうるさい人物でなくてよかったと思いながら燦黯は改めて目の前の人物を見る。

布面のせいでどんな表情をしているのかわからない。

丁寧な言葉を使いながらも、本気で敬う気持ちがあるのかすら怪しい。

「けれど、その辺りもの事を知らぬのは命取りになりかねん。よければ教えてはくれぬか。」

 この時すでに燦黯はなぜ自分がここにいるのかなど忘れていた。

目の前の帝になる上で有益かもしれない情報に、瞳の奥の力強い炎が沸るように揺らぐ。

「構いませんよ。確かに縁遠い話でしょう。」

「助かる。」

 燦黯は手近な椅子を勧められ、椅子に腰を下ろす。

 これは長丁場になるやもしれぬ。

「では、まず、咲ノ守の役割をご存知ですか。」

 首を振ると、案外すぐに答えが返ってきた。

()()()()女性の人事を握っておりますね。女方の後宮の管理、役職の任命、解雇に加え、宮仕えをしている官位を持たぬ女性の管理、統括です。男方も基本的には同じですね。政にはどちらも一切手を出すことはありません。それは帝のお膝元ですから。」

 政は男方の仕事ではなく、男女ともに帝の膝下で行われる、いわば帝個人の管轄下にある。

「その頂点が咲ノ守か。」

「正確には帝と皇后が頂点ですが、概ねはそう言っても良いでしょう。ただ、女方と男方でややこしいのは役職の名称ですね。同じ役職であっても名称が異なりますから。」

 確かに、女方の後宮である皓月宮の妃たちは更衣や女御と呼ばれ、それに仕える者は女房などと呼ばれるが、男方の後宮である太明宮(たいめいきゅう)では妃は下級妃や上級妃と呼ばれ、仕える者は侍女や女官と呼ばれる。

「そして、咲ノ守は代々皇后が選定した者が就きます。皇后、咲ノ守の不在時は推薦となります。とは言ってもほとんど形式のようなもので、大抵は我が彪家から選定されますが。」

 確かに彪の一族は咲ノ守となることが多い家系だと聞いたことがある。

そしてそれ以外に()()()も持つ家系だとも。

それが由来となって、彼らは常に布面をしている。

「彪家に女が居らぬ場合、その推薦はどうなるのだ?」

「別に咲ノ守は男性でも役に就くことは可能ですよ。」

 つまらなさそうに放たれた言葉に、燦黯はしばし言葉を失った。

「しかし、女方は女を管理する組織であろう?」

「女を管理する者が必ずしも女である必要はありませんよ。これは咲ノ守に限った話ではなく、女方の役職全てに言えることですし。」

「男方でも同じなのか?」

「基本的には。男方の長は咲ノ守ではなく磨ノ守(モーシュ)と呼ばれますが、その磨ノ守もその他の男方の役も全て、男女問わず就任します。過去にはは異性の方が欲が出ずに良いとされ、咲ノ守は男性、磨ノ守は女性という法ができたこともあるとか。」

 思いの外寛容な自国の制度に、燦黯は頭を抱えた。

こんなにも特殊な制度は他国では聞いたことがない。

 東宮としてさまざまな事を学んできたつもりであったが、自国の身近な制度すら知らない者がどうして帝になどなれようか。

「さて、それでは本題に入りましょうか。」

「本題?」

 問い返すと、再び悠然とした軽やかな声が返ってきた。

「物怪の類が見えるようになったからここにきたのでしょう?」

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