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緑簾に息吹く幽の影  作者: こたつ
帝の門出
10/11

正体

「引く手の正体は分かりましたか。」

 帳に囲まれた定位置に座る斗綺に、二度目となる言葉を投げかけられる。

燦黯は高忠と話ながら天壇の斗綺がいる部屋に入ったばかりの事だった。

 珱子は斗綺の背後で控え、高忠も燦黯の背後で同様に控えている。

「ああ、分かった。」

 先程とは違い、落ち着き払った声で燦黯は堪える。

帳に囲まれた空間は、色とりどりの提灯で照らされ、闇はない。

 その光を受けながら、燦黯は斗綺の布面を見すえた。

「正体は、死者だ。」

「なぜ、そう考えるのですか?」

「袖を引く者たちは皆、袖を引かれる者と関わりが深かった‘死者’だからだ。」

 磨ノ守はわからないが、玉静と高忠の夢に出てきたのは間違いなく死んだはずの死者。

夢にはまだ生きている者も出てくるらしいが、袖を引いていたのは必ず同じ‘死者’だった。

 これに関しては念の為、高忠を通して玉静にも確認を取ったので間違いはない。

「そして、解決方法は死者が袖を引いた時に‘振り払う’事だ。」

 燦黯がはっきりと言い切ると、話を聞いていた珱子が身を乗り出す。

「でしたら、ご自分で袖を振り払えば良いじゃない。咲ノ守さまのお手を煩わせる必要は無いはずよ。」

 苛立たしげに言う珱子は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、燦黯は臆す事なく言葉を紡ぐ。

「それが出来なかったから、袖を引かれた者達は死んだのだ。」

「どうして振り払う事が出来ないのよ!」

「落ち着いてください。お話が聞けません。」

 斗綺の平坦な声に宥められ、珱子はむっつりとした顔で身を引き、不満そうに黙った。

「袖を振り払えぬのは、袖を引く死者に負い目があるからだ。」

 高忠の袖を引く者の姿は、顔こそは見えずともその体格や服装だけは燦黯にも見えていた。

しかし、燦黯にはそれだけでその者が誰かなど到底分からなかった。

 だから、先程高忠の口を割らせた。

「高忠の袖を引いていた者は、高忠の家の者だ。」

 その言葉に、斗綺は一切驚きも動揺も見せなかった。

最初から、袖を引かれているのは燦黯ではないと見抜いていたのだろう。

 反対に、珱子は大きな目をさらに見開き、驚きに声を失っていた。

「その者の死に、高忠は深く関わっている。故に、高忠は振り払えぬ。だから、頼む。代わりに、払ってはくれぬか。」

 そう言って、燦黯は深く頭を下げる。

この国、いやこの土地に伝わる最上位の礼。

それが、頭を深く下げる事。

 本来ならば地に頭をつけるところだが、畳でもない場所でそうするのはかえって無礼だろう。

これが、今燦黯にできる最大限の礼の尽くし方だった。

 この行動に、高忠は酷く肝を冷やしていた。

部下のためにここまでするのは、燦黯くらいのものだから。

 自身の情けなさ故に主人にこんな事をさせている事が、酷く不快だった。

自身の全ては主である燦黯に捧げるつもりだったのに、過去に囚われ振り払うことすらできず、主に頭を下げさせる。

 そんな事は、彼には耐えられなかった。

「……ははっ。高忠よ、其方が私以外に、私的な場で頭を下げることなど初めてではないか。」

「私の為に、主にだけ頭を下げさせるわけにはいきませぬ。本来ならば、こんな事の為に主が奔走すること自体が間違いだと言うのに……」

 燦黯の斜め背後で同じように頭を下げる高忠に、燦黯は思わず笑みを溢す。

燦黯は、何故高忠が引く手を振り払う事が出来ないのか、何も聞いてはいない。

他でもない高忠が話したがらなかったから。

 しかし、それでも話そうと高忠が努力したことも、昔、唯一高忠を助けてくれた家の人間がいた事も、知っていた。

 だから、燦黯が頭を下げたのは、それらが話せなくとも誠意はあると斗綺に示す為だ。

話せないけれど、助けてほしい。

 斗綺にそこまでのことが伝わっているのか、そもそも斗綺に言われた事は、これで達成できているのか、分からない。

 後は斗綺の返答を待つだけだった。

「……まぁ、合格といたしましょうか。」

 その言葉に、燦黯は世界が変わった気がして、ゆっくりと顔をあげる。

目線の先には、頭を下げる前と変わりのない斗綺が座っているだけで、何も変わりはない。

 ただ、斗綺がそこにいるだけだった。

「それだけ分かれば、袖を振り払っても問題ありません。」

 そう言うと、斗綺は長い唐衣を翻しながら立ち上がる。

そのままゆっくりと筆や巻物が雑多に置かれた机を通り、提灯や帳をいくつか通り過ぎて燦黯の前までやってくる。

 そして燦黯の背後にいる高忠を手招いた。

「よろしいですか?」

 斗綺は、自分よりも上背のある高忠を見上げながら問う。

高忠は、どこか強張った表情のまま、何も言わない。

 斗綺も、返事が来るまでは何も言うつもりが無いようだった。

 やがて、遠慮がちに高忠が口を開く。

「……袖を振り払えば、もう二度と、あの夢は見ませんか?」

「さて、どうでしょう。夢と言うものは特殊なものです。二度と同じ夢を見ぬ保証などできません。」

「そうですか……。」

 再び黙り込んだ高忠に、痺れを切らしたのは斗綺ではなく珱子だった。

「もう!長いわねぇ!さっさとやってもらいなさいよ!咲ノ守さまだって暇じゃ無いのよ!?」

「分かっている。」

 珱子の言葉には即座に反応した高忠は、一度きつく瞳を閉じ、何かを決めたようにまた開く。

その瞳は、いつか見たあの美しい瞳とそっくりだった。

「お願いします。」

「分かりました。」

 短く言うと、斗綺は高忠の琥珀色の袍の袖から少し離れた場所、袖を引く手を、そっと包むように両手で掴む。

そして、その手を幾度か撫でてから、何かを口遊むように告げた。

 何を言っているのかは聞き取れなかったが、その優しい旋律のような音が響くにつれ、だんだんと袖を引く手の主の顔の霧が晴れ、最後には見覚えのない老人の、能面のように無表情な顔が見えた。

しかし、それも一瞬のことで、その姿は徐々に朧げになり、消えてゆく。

 老人の姿が掻き消える寸前、老人の手がようやく高忠の袖から離れ、その手が老人よりも高くにある高忠の頭に触れた。

「……もう、問題ないでしょう。」

 老人の姿が完全に消えてから、斗綺が呟くように言う。

斗綺の手はすでに老人の細い腕を掴んではおらず、その手は力が抜けたように垂れ下がっている。

「……私は、袖を引いていた者に、恨まれていたのでしょうか。」

 あの老人と高忠がどのような関係だったのかはわからないが、高忠の声は確かに震えていた。

斗綺は、その言葉に静かに返す。

「此度の袖を引く怪異の原因は、死者ではありますが、死者そのものではありません。」

「どう言う事だ?」

 高忠の質問の答えにもなっていない言葉に、燦黯は思わず斗綺に問いかける。

斗綺はゆっくりと元いた場所に戻りながら言を続ける。

「先日も申した通り、死者は待ってはくれませんが、死者の‘感情’は稀にこびりつくものです。袖を引いていたのは、そのこびりついたものを利用して発生した物怪でしょう。非常に醜い類の。」

「死者の思いを、そのように言わなくとも良いのではないか。」

「醜いのは死者の思いではありませんよ。醜いのは、それらの一部と、それを利用する物怪です。」

 そこで一度言葉を切った珱子は、高忠に向けていた体を燦黯に向けた。

「負の感情が元になったものに袖を引かれた者は、どんな夢を見ると思いますか?」

 突然の問いに、燦黯は一瞬黙って考える。

しかし、深く考えるまもなく答えが出た。

「悪夢ではないのか?」

 負の感情から生まれたのなら、袖を引かれる者を苦しめようとするのではないか。

そう思い出した答えだったが、斗綺はゆっくりと首を振る。

「正解は、幸せな夢です。」

「何故ですか?」

 これに問いかけたのは、燦黯ではなく珱子だった。

それを受け、斗綺は再び燦黯に問うた。

「今まで袖を引かれた者達は、どんな様子でしたか。」

「皆幸せそうだったが……」

「その様子は、まるで夢に侵されているようではありませんでしたか。」

「………言われてみれば………」

 確かに、袖を引かれていた者達に調子を聞くと、皆揃って調子が良い、幸せだ、などと言っていた気がする。

それがどうしたのかと斗綺を見ると、斗綺はすぐに話始めた。

「幸せな夢は、ずっと見ていたいものでしょう。幸せを振り払う事など、到底できない。」

 最後の言葉は、どこか暗く、低く聞こえたが、きっと斗綺は声の音階など変えてはいなかっただろう。

「この怪が見せる幸せな夢は、おそらく死者が生きている夢でしょう。死んだ者が、二度と戻ってこないと思った者と過ごすことができる幸せは、現実には起こり得ない幸福です。負の感情は、生者を死に引き摺り込む為に、抜け出せぬ甘い夢を見せ、深く、深くへと堕としてゆく。振り払えぬように、少しずつ、少しずつ、引きずり混み、道連れにしようとする。それが負の感情が見せる夢でしょう。」

 淡々と紡がれる言葉に、燦黯は背筋が凍りついた。

珱子も同じように何も言えず、息を呑むばかりだった。

 そんな中、高忠だけが口を開き、斗綺に問う。

「では、悪夢を、見るのは、どのような時ですか。」

「私の予想になりますが、恐らくその夢は袖を引く手を()()()()()()()としています。ですから、負の感情から生まれた夢ではないでしょうね。」

 その言葉に、高忠の顔が歪みかけたが、歯を食いしばり、斗綺に礼を言った。

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