意味2
意味とは外から与えられるものではない。では何か? 巷では意味とは、自らの手で見出すものだ、自分自身の内側から発掘するものだとも言われているが、それももちろん真っ赤な嘘だ。巧妙な嘘には、真実が驚くほど大量に混ぜ込まれている。木を隠すなら森の中。いつの時代でも、どんな場所でも、いかなる状況においても、言えることだが、肝心要なことは我々の手の全く届かないところにあるのではなく、むしろ身近にありすぎて気づかないところにあるのだ。灯台下暗し。身の回りの物事がごちゃごちゃしていて何が何だかわからなくなっているだけなのだ。それらは確かにそこにある。少なくともそこには何かがあると確実に言える。それが、我々の渇望するものであり、かつ我々の望むような形で現れているという訳ではないかもしれないが、それでも存在している。我々の形式に合わせてくれだなんてなんだか都合が良すぎやしないか? 世界は我々だけの理で回っている訳ではないのだ。そうだろう? せめてあと1人や2人ぐらいは考慮に入れておいた方が多少はうまくいくだろう。別の理で生きている人々は、我々がしばしば考慮に入れることすらしない人々は、果たして本当に「考慮するに値しない」のだろうか? もし本当にそうなら、彼らは存在しないのだし、我々も存在しないだろう。存在が許されるのは? 我々のちっぽけな頭がもたらす貧相な想像の及ぶ範囲だけ。ああ、なんと嘆かわしや。あの世で〇〇様もお嘆きになること間違いなしだ。まあ、ニコニコと笑って下さるかもしれないが。トリップし足りないって? やはり、彼らは我々の鏡だ。私の目は何の為に付いている? 私の手は何の為に? 私の耳は、腕は、鼻は、心臓は? 埋もれている。埋もれている。歴史の奥底に。洞穴の壁面の隅っこに。鏡のひびの中に。足元の影と影の狭間に。
堆く積まれた本の山々。今にも天に届かんばかりだ。眼前に聳え立つ壁は我々を威圧しているかのようだ。恐る恐る近づいてみる。思わず手が震えてしまう。あ、しまった。ビー玉を本と本の隙間に落としてしまった。なんてこった。ちょうど片手がすっぽりと入りそうなぐらいの大きさの穴に。ウサギが先導してくれたらなあ。穴に目を突っ込んで、ビー玉の行方を探してみる。暗い。暗い。外はこんなにも明るいのに。日の光が差し込み、窓の外にはこれ以上ない晴れ間が広がっている。惚けたように見惚れてしまう。この光景には抗いがたい魔力がある。穴の奥の方にビー玉が眠ったように転がっていた。手を思いっきり伸ばしたら届きそうな位置にある。右手を穴に慎重に差し込む。本と本のバランスを崩したら山がこちらに倒れてきそうな嫌な予感がする。どっしりとしていながらもどこか不安定な脆そうな印象を受ける。少しずつ奥へ進めて行きとうとう肩口が穴の入り口にまで来てしまった。あと少し、もう少しで届く。穴の中でビー玉を探り、必死に指を伸ばした。指先にカツンとガラスの感触が伝わる。あった! 人差し指と中指でビー玉を手繰り寄せる。器用に指と指の間に挟む。落とさないようにゆっくりと指を折り曲げて手のひらで包み込むようにしてビー玉を回収する。
カンッ……、カンッ……、カンカンカンッ……。頭の上の方から何から甲高い音がする。何かと思って穴に手を突っ込みながら上を見上げると1つ、また1つと何かが本の隙間から湧き出るようにして転がり落ちてくる。何かと思って思わずその内の1つを目で追いかける。本と本の間を潜り抜けるようにしてどんどん近づいてくる。……えっ、ビー玉だ。透き通っていて中央に澄んだ青色で波のような模様が刻まれているビー玉だ。カンッ…、カンッ…、カンッ。甲高い音は依然として鳴り止まない。それどころかどんどんと音がなる間隔が狭まっていき、勢いが増して行くようにも感じられる。再び嫌な予感がする。急いで右手を引き抜こうとするも、拳が引っかかって上手く抜けない。まさか、これは真実の口か? そんな訳ない。焦ってワタワタしているうちに甲高い音が段々と大きく、低くなっていった。ザッ、ザッ、ザッ、ザザッ、ザザザザザッ。大きな雪崩のような轟音に変わろうとしていた。早く早く。焦りからかますます腕が抜けなくなる。山のようなビー玉が信じられないぐらい上から降ってくる。見渡す限りビー玉塗れだ。本に跳ね返ったビー玉が時々身体にぶつかってくる。頭を屈めて守る。ヤバい。ザッ、ザザァ、ザザザザザァ。遂に決壊が始まった。大きな音と共にビー玉の雨が降り注ぐ。目を固く瞑って衝撃に備えるが物凄い音の割に一向に身体に当たらない。何事かと思って顔を上げるとそこにはビー玉のアーチがあった。滝壺から滝を見るかのような不思議な景色だった。それはもう色鮮やかな春のカーテンのようであった。窓の外の景色と比べても遜色ないどころか、景色をそのまま取り込んで投影しているかのようであった。それどころか移ろいゆく色彩に四季折々の影を認めることも、喪失のもたらす不可逆な胸を刺すような痛みの数々を、彷徨い歩く魂の救済の足跡を窺い知ることすら出来た。私はただその光景に心を奪われた。瞬きすら許さない程の圧巻の絵画であった。長い長いひとつの戯曲ですらあった。ザザッ、ザザッ、ザッ、ザッ、ザッ……。カンカンッ、カンッ、カンッ……。最後にひときわ切ない衝突音を響かせて崩落は終わりを告げた。
後ろを振り返るとあれほど高く積まれていた本は跡形もなく消えていた。その代わりに辺りを埋め尽くさんばかりのビー玉で溢れていた。余りの出来事にしばらく放心していた。ようやくビー玉の山に埋もれている右手のことを思い出し始めた。手の先に何か固いものが当たる。あれ? 確かビー玉を掴んでいたはずでは? 何やらゴツゴツとしていてそれでいてしっかりとしている。私は一体何を掴んでいるのだ? 恐る恐るビー玉の山の中から手で掴んでいるものを引っ張り出す。それは、1冊の本だった。呆気に取られて、しばらくじっと本を見つめる。これは……私が手にしていたビー玉なのか? 表紙にも背表紙にも何も刻まれていない。分かるのは何やら重厚そうな装飾が施されているということだけだ。パラパラと中身をめくってみる。白紙だった。何も書かれていなかった。少なくとも傍目にはそう見えた。彼はしばらくペラペラとページを巡っていたが、やがてパタンと本を閉じると、大事そうに抱え、天に捧げるようにゆっくりと突き出した。彼は掲げた本を見上げ、微かに笑っているように見えた。
本は本当に白紙だったのか? 何も書かれていなかったのか? 何も書かれていなかったのかもしれないし、何か書かれていたのかもしれない。おそらく彼にとってどっちでも良かったのだろう。中身がどうだとか、外身がどうだとか、そんなことはあまり重要ではなかったのだ。少なくとも彼にとっては。では、我々にとっては?