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第9話 夜の散歩

 出立の前夜、エリスが荷支度としているとティムが部屋にやってきた。


「荷物、まとまったか?」

「だいたいは。そんなに持って行くものはないからね」

「そうしたら、ちょっと散歩に出ないか?」

「散歩?」

「うん。歩きながら話そう」


 エリスは頷き、ティムとともに家を出た。ついこの間まで丸かった月は欠け始め、辺りは民家から漏れる仄かな光に照らされている。ティムは家から持ってきたランタンに火をつけた。


「練習場の方まで行こうぜ」

「そうだね」


 歩き出した二人の影は薄く、短い。エリスは何を言えば良いのか分からず、ただ俯いて歩いた。最初に口を開いたのはティムだった。


「初めてエリスが家に来たときのこと、覚えてる?」

「覚えてるよ。私、ずっと泣いてた」


 母親が亡くなり、ダンに連れられて今の家にやってきたとき、エリスは相当なショック状態にあった。自分がこれからどうなるのか全く先が見えず、不安で胸がいっぱいになっていた。


「俺さ、エリスの事情なんて全然わからなくて、なんだこの泣き虫はって思ったんだ。そしたら父さんが『これからこの子と一緒に暮らす。兄弟だと思って接してくれ』なんて言うからビックリしてさ。確かに兄弟は欲しいと思ってたけど、いきなり五歳の女の子が妹になるって、誰も想像できないだろう?」

「確かに。私がティムの立場でもビックリだよ」

「だからさ、俺、最初はエリスのこと気に入らなかった。父さんと母さんはエリスにばかりかまって俺のことを蔑ろにしているような気分になって。

 俺が風弓の練習へ行くときにエリスが後ろからついてきて『私も行く!』って言い出したときには参ったね。女の子が風弓をやるなんて聞いたことないし、第一あのときの俺はエリスのことを疎ましく思ってた。だから絶対に嫌だって言ったんだけど、全然聞かなかった。俺の服を掴んで離さなくて、しまいには泣きそうになってたから渋々連れて行ったんだよ」


 ティムの話に、エリスは苦笑した。確かに、初めて風弓の練習場へ行ったときは必死だった。風弓自体に興味があったのはもちろんだが、あのときのエリスはティムともっと仲良くなりたいと思っていたのだ。


「私が家に連れて来られた直後、ティムは私が話しかけようとしても逃げてばかりだったよね。私のことを気に入らないっていうのはわかってたけど、私はどうしてもティムと仲良くなりたい、兄弟になりたい、と思ってた。だって、母親を亡くした私にとって、ティムたちが唯一の家族だったから。この人達に見捨てられたら、もう行く場所がないっていう気持ちがあったのかも。一緒に風弓をやれば少しはティムも私と話してくれる、そんな気持ちでしがみついてた」


 軽く鼻をすすり、ティムは夜空を見上げた。


「そうだよなあ。あのときのエリスは心底心細かったはずだ。俺はそこまで考える余裕もなくて、ガキだったよ、本当に」


 エリスは首を振る。知らない女の子がいきなり自分の家族に転がり込んできたら、拒むのは当たり前のことだ。ティムもエリスもそれぞれの事情のなか、なんとかしようともがいていたのだ。


「それでさ、風弓の練習場で初めてエリスが弓を持ったとき、すごくキラキラとした表情になったんだよね。あのときの輝くような表情を見て、今までは無理に元気を出していたんだと思った。慣れない土地、慣れない人、慣れない環境に、エリスはどうにか順応しようとしていた。

 俺、エリスは風弓と出会ってようやく心から楽しめるもの、夢中になれるものに出会えたんだと思った。心細い日々のなかで自分らしさを引き出せるもの、エリスにとってそれが風弓だったんだよな。そう思ったら、今までエリスを邪険に扱っていた自分が急に恥ずかしくなった。もっとこの子と向き合わなければならない、と思ったんだ」


 二人は、いつの間にか風弓の練習場前まで来ていた。学校から、家から、幾度も二人で通った場所だ。時には真剣に、時には冗談を言い合い、ティムとエリスはお互いに風弓に励んできた。


「なんかさ、俺、まだ全然信じられないよ。エリスが神子の力を受け継ぐだなんて」

「私だって、いまだに信じられない。それに、まだ確定じゃないんだよ。神殿に行って神子に会わないとわからないって領主様は言っていた」


 エリスの言葉にティムは優しく微笑む。ランタンの光に照らされたその表情は、すべてを見通しているかのようだった。


「エリスの右目がいきなり金色になったときはビックリしたなあ。俺の見間違いって言っていたけど、違っただろう?」


 エリスの頭を小突き、ティムは言った。


「だって、いきなりそんなこと言われても信じられないと思う方が普通だよ」

「そりゃそうか」


 二人は練習場から離れ、あてもなく夜の街を歩いた。


「あの後、ダンにも私の右目のこと言っていたんだね」

「うん。やっぱりどうしても気になって。金色の瞳のことを話したら、父さんはすごく動揺していた。そのときに初めてエリスの母親の話を聞いたんだ。それから、金色の瞳が神子につながるかもしれないことも」

「そっか」

「なんかさあ、俺ら、神子のこと全然教えてもらってないよな。学校からも、親からも。父さんだって小さい頃におばあさんから聞いたのを朧げにおぼえてるだけで、母さんに至っては全然知らなかったみたいだから。こういうことになるなら、もっと神子についてよく知っておきたかったよ」


 エリスは、ウィンフォード氏の言葉を思い出した。


『神子に関する伝承は、エルドリアに対する悪感情を増幅させる可能性がある。確かに我々とエルドリアは古くから戦いを重ねているが、それはすべて神子の力を欲するエルドリアから仕掛けられたものばかりだ。我々としては、国の平穏を守る方が優先で、エルドリアと全面戦争をするつもりはない。こうした考えてもあって、この伝承はあまり伝えられていないんだ』


「……ティムって、エルドリアに対してどう思ってる?」

「なんだよ、いきなり」

「なんとなく」

「エルドリア…エルドリアかあ…」


 ティムは腕を組んでしばらく考えた後、こう答えた。


「面倒な隣人かな」

「面倒?」

「うん。だって、アークメイアはエルドリアに進出つもりはないのに、エルドリアは神子の力を手に入れるためにわざと戦を仕掛けてくる。エルドリアが力を欲しなければ、アークメイアはもっと平和な国になるはずだ。だから、面倒な隣人」

「なるほどね」

「ま、うちの工房は軍に武器を卸してるから、そういう意味ではありがたい隣人なのか」


 皮肉なもんだな、とティムは笑う。そうだね、とエリスは頷いた。


 二人が街を一周し、家に戻ってきた頃にはすっかり深夜になっていた。家の明かりは消え、ダンとカレンはとっくのとうに寝ている。


「ごめんな。こんな遅くまで連れ回して」

「ううん。ティムとたくさん話せて良かった。布団に入ったって、いろいろ考えて眠れなかっただろうし」


 ティムは大きな手のひらをエリスの頭にのせ、くしゃくしゃと撫でた。


「おやすみ、エリス」

「おやすみ、ティム」


 自室に入るティムの背中を見送り、エリスも部屋に戻った。布団の中に入り、窓から夜空を見つめる。まぶたを閉じたって、眠れそうもなかった。


 時計の針が静かに時を刻む。次第に東の空が白みはじめ、朝の訪れを告げた。



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