第5話 風弓の大会
本選は、二人一組のトーナメント形式だ。最後まで勝ち残った者が優勝者としての栄誉を与えられる。エリスの初戦は、三回戦目。前回準優勝の選手と当たることになっていた。
選手入場のファンファーレが鳴り、会場全体が歓声で包まれる。練習時の閑散とした雰囲気からガラッと変わり、観客の熱気が充満していた。エリスは観客席の迫力に圧倒され、軽く身震いした。
(大丈夫。あのなかにティムやダン、カリンがいる。みんな私の味方だ)
歓声を力に変える。緊張はいらない。エリスは前を見据え、的だけに集中するよう心を整えた。
戦いは、一回戦目からデットヒートを極めた。選手が高得点を取るたびに割れんばかりの歓声が響き、観客の興奮ぶりが伝わる。逆に、ポイントを外すとブーイングが上がり選手にプレッシャーを与えた。練習場でただ矢を射るのと、観客の注目を集めながら射るのとでは全く違う。この状況にうまく対応できるか否かが勝敗の分かれ目だった。
一回戦目、二回戦目が終わり、ついにエリスの番が訪れた。決められた位置に立ち、用意された的を見つめる。ポイントを稼げる小さな円は、的の右端と左端、そして中央に配置されていた。
「さあ、今大会の最年少出場者。エリス・アルバンの登場です!小さき挑戦者にみなさん拍手を!」
アナウンスに煽られた観客は一斉にエリスに向かって歓声をあげた。それに応えるよう、エリスは両手をあげる。
(歓声を味方につけるんだ)
観客の興奮を自分の力に変えれば、普段以上の実力を出せる。エリスは、そう確信していた。
コイントスの結果、相手が先攻、エリスが後攻になった。矢を放てるのは三射まで。合計ポイントで勝者が決まる。
先攻の一射目。三ポイントの円を射抜いた。次にエリスの番。弓をかまえ、四ポイントが加算される円を狙った。しかし、矢はわずかにずれて二ポイントの円を射抜く。
(大丈夫。まだ調整が効く)
二射目、相手は四ポイントの円を射抜いた。そしてエリスも二射目で四ポイントの円を捉える。最後の三射目で相手は五ポイントを取った。的のなかでは二番目に高いポイントだ。矢が円に刺さった瞬間、観客からは大きな歓声が上がる。特典は十二対六。エリスが勝つには、七ポイントを取れる最も小さな円を狙うしかなかった。
(落ち着いて。私ならできる)
弓をかまえ、エリスはまぶたを閉じる。観客の歓声が渦を巻くように彼女の身体を取り囲んだ。そして、再び《《あの感覚》》がエリスに訪れる。
大きな力が身体の奥底から湧き上がり、指先に痺れが走る。観客の声が遠のき、そこにあるのは静寂のみ。まぶたを開いたとき、エリスの顔に緊張はなく、無がすべてを支配していた。そして、右目の色が少しずつ変化していく――。
レオは、いち早くエリスの変化に気づいた。選手席から身を乗り出し、右目が金色に染まっていくさまを見つめる。
(やはり、あの子が……)
レオは、興奮と畏怖の念を同時に感じた。
(あの子は確実に標的を射抜く)
レオの予感通り、エリスの放った矢は真っ直ぐに七ポイントの円を射抜いた。土壇場の逆転劇に、観客は興奮の声をあげる。しかし、エリスはまだ《《戻ってきていない》》ようだった。無表情で的を見つめ、微動だにしない。
「エリス・アルバン、やりました!初出場にして前回準優勝者を倒す!これは新たな弓使い伝説の始まりか!」
アナウンスの大きな叫び声で、ようやくエリスは我に返った。それと同時に、瞳の色もエメラルドグリーンへ戻っていく。レオは息を詰めて、そのさまを眺めていた。
(見つけた。あの子だ。あの子なんだ)
レオは今すぐにでも駆け寄ってエリスを連れて行きたかった。だが、そんなことは到底許されない。衝動を抑え込み、選手席へ戻ってくるエリスを見つめた。
一方、エリスは再び身体に現れた力に驚き、戸惑っていた。
(また身体が自分のものじゃないような感覚になった)
力が湧き上がった瞬間に、的が目の前に迫ってくるような感覚があった。どのように射っても、確実に標的を射抜けると確信を持てた。あまりにも不思議な感覚に、エリスは自分の両手をまじまじと眺めた。
(本当に私が射ってるのだろうか)
自分ではない何か、ほかのものが弓をかまえているようにも思えた。エリスは、その力の正体をまだ知らない。知る由もなかった。
戦いは進み、エリスは二回戦目も勝ち抜いて決勝戦へとコマを進めた。対戦相手は、レオだ。実力からいえば、彼が決勝戦へ行くのは目に見えていた。
(レオの実力は、私を上回っている。でも、一回戦目みたいな力が出せれば、きっと優勝できる)
エリスは、どこから来るかもわからない力にすべてを託すことにした。
決勝戦の前の余興として、踊り子達による舞いが披露された。楽器の演奏に合わせ、妖艶に舞う踊り子達に観客は釘付けになる。
敗退した選手達が去った選手席には、エリスとレオだけが残っていた。レオは踊り子の舞いに興味がないようで、始終まぶたを閉じていた。話しかけられそうな雰囲気ではなかったため、エリスはぼんやりと踊り子の舞いを眺めた。きらびやかな衣装に身を包み、指先にまで神経を行き渡らせた舞いが見事に繰り広げられている。
これから決勝戦だと思えば思うほど、身体に力が入った。一度でもミスをしたら、すべてが終わる。築き上げてきたものが壊れてしまうかもしれない恐怖がエリスを包んだ。そんな彼女の様子を察知したのか、レオは目をつむったまま口を開いた。
「怖じけるな。恐怖が負けを引き寄せる。私は怖じけづいた相手と戦うつもりはない」
自分の気持ちを言い当てられたようで、エリスは慌てた。
「怖じけてなんていないよ。ようやく憧れの舞台に立つんだ。興奮してるだけ」
エリスの言葉に、レオは笑う。
「嘘が下手だな」
「嘘なんて……」
レオはまぶたを開き、エリスを見つめた。藍色の瞳は濃く、深く彼女の瞳を捉える。
「君がここにいるのは運命だ。運命は抗いようがない。そして、必ず叶えなくてはならない」
エリスには、レオが何を言っているのかさっぱりわからなかった。元気づけようとしているのか、ほかに伝えたいことがあるのか、判然としない言葉だった。
「レオが言うことは難しいな」
「わざと難しくしている」
「なぜ?」
「君自身が気づくことが大切だから」
気づくとは、何を?エリスはそう聞きたかったが、野暮なようにも思えた。不思議な青年の、不思議な言葉。まだすべてを理解することはできなかったが、エリスの心は自然と落ち着きを取り戻していた。
踊り子の舞いが終わり、とうとう決勝戦の時が訪れる。レオが先に立ち上がり、エリスを見下ろした。
「私は全力でいく。君も全力を出せ」
エリスはレオの目を見据え、頷いた。大きな歓声の中、エリスも席から立ち上がる。
「さあ、いよいよ今年の優勝者を決める時が訪れました!今年はどちらも初出場の選手!一体どんな戦いを見せてくれるのでしょうか!」
派手なアナウンスに、観客も歓声のボルテージを上げる。エリスは軽く身体を揺らし、深呼吸をする。恐怖を追い払う。歓声を力に変える。
(運命を、叶える)
先攻はエリス、後攻はレオ。エリスは、目の前に現れた的にだけ全神経を注いだ。弓をかまえると同時に、再び指先の痺れを感じる。力が湧き上がり、右目が捉えた標的に向かって矢が飛ぶ。
「一射目から七ポイント!やはりエリス・アルバンの実力は本物だ!」
矢を射ち終えたエリスは、的を見据えたまま微動だにしなかった。その右目は金色に染まっている。
(近くで見るとさらに美しいものだな)
レオはエリスの横顔を眺めながら、そう思った。唯一の力を持った者。絶対的なそれには、不可侵的な美しさがあった。
(しかし、私も私なりの力を出さなければ)
レオは、一射目の弓をかまえる。決勝戦の的は、それまでより個々の円のサイズが小さくなっていた。円が小さいということは、難易度が上がる一方、高得点を取れるチャンスもあるということだ。
(七ポイント、もしくは六ポイントでも良い)
レオの放った矢は、六ポイントの円を射抜く。僅差のポイントに、観客はいろめきだった。
「これまで決してリードを許さなかったレオ・ヒンビスが一ポイント差で出遅れる!さあ、二射目はどうなるか?」
会場は独特の緊張感に包まれ、誰もがエリスの姿を息呑んで見守った。今までの興奮に満ちた歓声とは打って変わり、誰もが音を立てるのをためらっている。それほど、エリスの気迫は観客を圧倒していた。
二射目、エリスの矢は八ポイントの円に刺さった。さらなる高得点に観客からは歓声ではなく賞賛の拍手が響き渡る。その様子に、レオは思わず笑みを浮かべた。
(すっかり観客を味方につけたな)
レオの二射目は、七ポイントだった。これで十五対十三、エリスが二ポイントのリード。
最終の三射目、エリスが弓をかまえると、どこからともなく微かな声が聞こえた。しかし、観客は静まり返り音を立てる者はいない。耳の奥で響くその声に、エリスは戸惑った。
(誰?誰か私に話しかけている?)
心の中で、声の主に呼びかける。すると、高く澄んだ女性の声が聞こえてきた。
(……あなたは私の代わり。そして、もうすぐ本物になる……)
その声の意味がわかりかね、エリスは弓をかまえたまま止まってしまった。不可思議な様子に、会場からはざわめきが起きる。
レオは、エリスの動揺を右目から読み取っていた。
(金色の瞳が揺れている。もしかしたら、通じているのかもしれない)
ここで射てるか否か、レオは固唾を飲んでエリスの様子を見守った。
(本物になるって、どういうこと?私はすでに私だよ)
エリスは心の中で、声の主に対してそう答えた。
(そう、あなたはあなた。同時に私でもある。右目がすべてを証明する)
(右目……もしかして、本当に私の右目に異変が起きているの?)
先日、右目が金色になったとティムが騒いでいたことをエリスは思い出す。
(大丈夫。まずは矢を放ちなさい。運命の導きのまま、矢は飛んでいくでしょう)
そこで、声は途切れた。観客のざわめきはさらに大きくなっていたが、エリスの耳には入らない。静寂と、無。左目を閉じ、右目のみを開いて矢を放った。
「九ポイント!今大会で最も小さな円を射抜きました!恐るべし、エリス・アルバン!彼女は新たな伝説を作ったのかもしれない!」
興奮のアナウンスと共に、観客も我慢していた歓声をほとばしらせる。
エリスは息を上げ、耳に戻ってきた歓声の大きさに呆然とした。レオの方を見ると、彼は笑みを浮かべて肩をすくめた。
「君の勝ちだ。これから僕がどの円を射抜いたとしても、君の得点には敵わない」
「それじゃあ、私が……?」
「そう、優勝だよ」
エリスは、観客の方へ目をやった。誰もがエリスの方を見て、彼女の名前を連呼している。興奮の渦の真ん中にエリスはいた。
(優勝……したんだ)
じわじわと湧き上がってくる喜びに、エリスは顔をほころばせる。そして、両手を上げて歓声に応えた。
風弓の大会、初出場・最年少の優勝者がここに誕生した。