「あなたを愛することはない」と言ってプロポーズを断ったのに、王子殿下に溺愛されています。
「結婚しようよ」
王宮の執務室で、王子殿下が言った。
思い詰めたような表情だ。
「嫌です」
私はきっぱりと答えた。
殿下は驚いている。というよりうろたえている。情けない表情がかわいい。
「え? えええ? ソフィア。その、考え直してもらえないだろうか? 退職しないでほしいんだ。私は君が必要だ」
私の名はソフィア。姓はない。ただのソフィアだ。孤児だった私を拾い、育ててくれたシスターがつけてくれた名で、知性を意味するという。
教会学校で勉強し、官吏登用試験に合格した。平民ながら王子殿下のおそばに侍り、秘書メイドとして働いている。
一身上の都合で退職を申し出たら、殿下から結婚を申し込まれてしまった。
殿下は格好いい。背が高く、整った顔立ちをしている。シャツにズボンの軽装も、裾の長い王子服も、モールと勲章の光る軍装も、どんな服でも着こなしてしまう。
とりわけ印象的なのは太陽のような金髪と宝石のような青い瞳だ。黙って立ってさえいれば、みんなが夢中になる王子様。高貴なオーラを全身にまとうくせに、一方で親しみやすい笑顔をお持ちになっておられる。
そんな殿下だから、プロポーズをしたら私をそばに置いておけるとお考えでいらっしゃるのだろう。いかにも殿下らしい短絡思考に不安になる。後任の秘書侍従には、殿下のあしらい方を伝えなくては。引き継ぎマニュアルに書き加えておくことにしよう。
「一身上の都合により退職させて頂きたいと申し上げました。私は殿下を愛していません。結婚はお断りします。私は25歳です。殿下より5歳も上です。後任に引き継ぎをしますので、殿下の公務には問題が生じません」
「誰か別の男と結婚するのか?」
「しません」
「だだだったら、けけけけ結婚してほしいんだ! 愛してるっ」
「冗談はおやめください。殿下はヴィヴィアン・クロフォード公爵令嬢と婚約内定されたではないですか? ……今日の予定ですが9時に王宮大広間で円卓会議。11時より騎士団の視察。11時50分より地方領主のハリス男爵の陳情、お召し替えをして頂き、12時15分よりヴィヴィアン嬢との昼餐。13時7分より……」
私はファイルを確認しながらスケジュールを読み上げていく。殿下は顔を赤くしたり青くしたりしながら考え込んでいる。真剣な表情で私を見つめると、いきなり殿下の手が伸びてきて、私を抱きしめてキスしようとした。
私は殿下の手を官吏養成所で覚えた格闘術で払った。
「痛っ」
「失礼」
さらに、胸に抱えていたファイルを殿下の顔に押し当た。
「ぶはっ」
ファイルで顔を押さえられた殿下が、およそ高貴な人らしくもない声をあげた。
「円卓会議のお時間です」
「嫌だ! 君と話したい。円卓会議なんて出たくない。円卓の騎士たちは、剣もできない王子だと私をバカにしているんだ」
「大丈夫です。殿下。自信を持って」
私は殿下の手をきゅっと握って上下に振った。
殿下は目を閉じると、表情を改めた。
頼りなくて情けないワンコ系青年から、高貴なオーラを放つ王子殿下へと豹変する。
「わかった。行こう」
殿下が背筋を伸ばして廊下を歩くと、侍従やメイドたちが壁際に立ち一斉におじぎをする。私は殿下のあとを影のように付き従う。
☆
「ソフィア、よく来たわね」
「シスター! お久しぶりです。お元気でしたか?」
私はシスターを抱擁した。ここは教会孤児院のシスターの部屋。教会は変わらないのに、シスターは痩せて小さくなった。当然だ。私が拾われたときから、もう20年近く経過しているのだから。
「お茶を入れるわね。……ごほごほっ」
「シスター、私がします」
「ありがとう。お任せしていい? 実は腰が痛いのよ」
シスターはお年だ。無理をしてはいけない。
「シスター。王宮には退職を申し出てきました。前に言っていたように、教会学校の先生をさせてください」
「もったいない。せっかく官吏登用試験に合格したのに」
「夢だったんですよ。教会学校の先生が。シスターは、孤児の私に学問をつけてくださった。私のような子供たちに、教育をしたいのです」
シスターが立ち上がり、窓際に寄った。
「あら。どなたかしら」
「……!」
庶民のような格好をして帽子で顔を隠した若い男が立っていた。殿下だ。
「王宮の同僚です!」
「ソフィアのお仲間でいらっしゃるのね。どうぞお入りになって」
「失礼します」
声をかけられた殿下が玄関へ回ると、おずおずと部屋へ入ってきた。
「何をしに来たのですか?」
「君が心配だったから……あとをつけさせた」
侍従に、と声に出さずに言う。見ると木の陰で、侍従が目を光らせている。庶民風にやつしているが、気配でわかる。
引きこもり殿下がよくもまあ王都の下町まで来たものだ。
「紹介します。王宮官吏のマクシミリアン。こちらは私の母のような方で、シスターアグネスです」
「マクシミリアンです。シスターアグネス。お逢いできて光栄です」
殿下はシスターの前で膝をつくと、手の甲にキスをした。
「まっ。おばあちゃんなのに、若い男性にキスしてもらえるなんて。光栄なのは私のほうよ」
「とんでもない。シスターは若々しい。心の美しさが、外見に現れているのですね。あなたは綺麗だ。生き方が美しくていらっしゃる」
青い瞳をうるうるさせながら見つめる殿下は、高貴なオーラを放っている。
シスターがぼうっと頬を上気させ、椅子にぱすんと座り込んだ。
シスター。目がハートになっていますよ。
庶民のような格好をしていても、殿下の武器は健在だ。殿下の特技は人たらし。老いも若きも、男も女も、殿下のファンになってしまう。お堅いシスターまでも、腰がくだけてしまうほどに。
私ははぁ、とため息をついた。
☆
「一身上の都合というのは、教会教師になることだったんだな。……よかった。嫌われたのかと思っていた」
殿下はえぐえぐと泣き出した。
馬車の中とはいえ、一国の王子がめそめそするなんてあきれてしまう。まあ、そこがかわいいのだけど。
「教師は派遣しよう。君が辞めることはない」
「将来の夢だったんです。私もシスターみたいに子供たちに勉強を教えたい。孤児だった私が官吏登用試験に合格して秘書メイドになれたのも、孤児院のシスターと教会学校の先生をしてらしたシスターのおかげなんです。シスターはお年ですから、私が支えたいのです」
「将来の夢か、そうだな。あきらめるしかないか。私は将来が決まっているから、夢など持つことができないから」
殿下の周囲に、どよんとした空気がたゆたう。
ああ、また殿下のネガティブ癖がでてしまった。
「大丈夫です。殿下。自信を持って」
私は殿下の手をきゅっと握った。
「愛している」
「冗談はやめてください。私は殿下よりも5歳も年上で、平民なのですよ!」
「本気だ。私が他の令嬢に、愛している、結婚したいと言ったことが一度でもあるか?」
「ないですね」
その通りだ。殿下は色目は使うし、相手がシスターだろうがおかまいなしに愛想を振りまくが、「愛している」「結婚したい」と言ったことは一度だってない。
「君が身分違いを気にしているのなら、名目だけ貴族の養女にしてから娶ることもできる」
「ヴイヴィアン嬢はどうされますか?」
「そ、それは……せ、政略結婚、だ、だからっ」
殿下は口ごもった。クロフォード公爵家は名家であり、ヴィヴィアン嬢は美しく、未来の王妃にふさわしい。
「私は辞めるべきなのです。殿下が結婚されたとき、私のような地味で冷静な年上女が、秘書メイドとしてお世話していると、妃殿下は嫌でしょう。殿下は殿下の責任を果たしてください」
私は殿下が嫌いではない。いいや違う。殿下が好きだ。人たらしで、見かけは完璧な王子なのに、中身は頼りないワンコ系の彼が好きだ。ネガティブ引きこもり男の彼を、私が一生懸命に励ましてきた。だが、殿下を愛するこの気持ちは、墓場まで持っていくべきものだ。
「わかった。もう少し、この手を握っていてもいいだろうか?」
「いいですよ」
まるでなついてくる犬だ。一国の王子に対して、失礼な感想だけど。
☆
「そうそう。これが三角関数と言うの。算学は、大工さんになるにしろ、商人になるにしろ、必要な知識なのよ」
「先生、すっげぇ。よくわかる!」
「あら、先生がすごいんじゃくて、君がすごいのよ」
「勉強を続けたら、俺も官吏登用試験に受かるかな?」
「受かるわよ。がんばろうね」
教会学校の先生の仕事は楽しかった。
子供たちが瞳をキラキラさせながら、勉強に取り組んでいるのを見ていると楽しくなる。やりがいを感じる。
殿下はどうしているのだろう。
自堕落ネガティブ引きこもり男だが、私の後任の秘書侍従が、殿下を操縦しているのに違いない。侍従は有能な人なので、ちゃんとやってくれていることだろう。
「ソフィア先生、王宮の人が、あなたを訪ねてきているのだけど」
シスターに声をかけられ、私は振り返った。
もしかして殿下? と思ったが、殿下の秘書侍従が立ってた。
子供たちに聞かれないよう、彼を誘い、木の陰で話す。
「ソフィア。王宮に戻ってくれ。俺では殿下の世話は無理だ。会議は嫌だの眠いの苦しいの、みんなが私を笑ってるだの、散々文句を言ったあげく、部屋に籠もって出てこない。ほとほと困り果てているんだ。我が国の危機だ」
「あのネガティブ引きこもり男……!」
後任の彼は有能な侍従だが、殿下の操縦は難しいらしい。
「教会学校の先生は、俺がやってもいいし、誰か派遣することもできる」
「でも、殿下はもうすぐ婚約なさるのに」
「その件なら問題ない。ヴィヴィアン嬢には、隣国の王弟殿下を引き合わせたところ、ころっといったぞ。婚約と言ったところで、内定にすぎないしな」
「ころっと?」
「王妃より、王弟妃のほうが自由だろう?」
「悪党ね」
「我が国のためなら、悪党にもなるよ」
☆
「マクシミリアン殿下。ただいま戻りました。ソフィアです。再び秘書メイドを務めさせていただきます」
殿下の部屋の前で声を掛けると、ドアがばあんと開き、殿下がまろびでてきた。真っ昼間だというのに、ナイトウエアのままでやつれている。
「よかった。ソフィア、逢いたかった!」
抱きしめようとした殿下を官吏養成所仕込みの格闘術で足払いを掛け、床に転がす。殿下はすぐに立ち上がったが、侍従秘書が目を白黒させている。
「殿下、お風呂に入ってください! 臭いですよ!!」
「君が背中を流してくれるなら」
「殴られたいのですか?」
指を組み、ぱきっと鳴らす。
「君になら、殴られてもいいんだけど」
苦笑したら、殿下がきゅっと抱きついてきて、頬をスリスリしてなついた。まったく、油断も隙もないんだから。
「結婚してくれ。ソフィア」
「はいはい。考えますから、まずはお風呂に入りましょう」
未来の王妃なんて器じゃない。秘書メイドとして、彼をずっとサポートしたい。でも、殿下に抱きしめられるのは心地良くて、私はうっとりと目を閉じた。
END




