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四.よくある分かりやすい話

ぬしさんらは何をなさんすお人でありんすか?」

「ご一新前ならお武家屋敷のお侍様かと思うところでありんした」

「そうそう、かように凛とした殿方は近ごろそうはおりいせん」


 務めについて尋ねるのは、座敷の定番の話題ではある。官吏でも商店主でも、人力車の車夫でも。その生業なりにすごい、さすがと持ち上げるのは娼妓には当然の技、なのだとか。千早は身につけられていないけれど、葛葉くずのは芝鶴しかくならお手のもの、なのだろう。息の合わせ方も相槌の打ち方も、先ほどのにらみ合いが嘘のようだった。


「はは、当たらずとも遠からずといったところだな」


 今の時代に、ご一新前のことを知る娼妓などいるはずもないだろうに。侍の喩えが気に入ったのか、男たちは何も気付かぬように嗤った。空いた盃に酒を満たしたのだろう、液体が滴る音が響いた。


「と、仰せえすと……?」

「我らは渋江しぶえ子爵様にお仕えしている」

「渋江家といえばもとは幕府旗本だ。いち早く新政府に帰順したゆえ、大名家と並んでの爵位をいただいているのだ」


 葛葉と芝鶴が、顔を見合わせる気配が伝わってきた。千早もまったく同感だ。吉原で小娘を追い回しているのが、華族様の関係者だなんて。しかも、それを誇らしげに口にするなんて。


「それは──勤皇きんのうの御家ということでありんすな……?」

「うむ。ご子息は支那シナでの戦争でもご活躍、だったのだが」

「まあ、勇ましいこと」


 葛葉も芝鶴も、どうやらご一新前後のことも清朝との戦争も、ふんわりとしか知らないのではないか、という気配が、曖昧な相槌から漂ってきた。もちろん、千早が座敷にいたとしても同じていどのことしか言えなかっただろうけれど。


「では、次は是非ともその若様とご一緒に」

「籠の鳥の身の上なれば、唐土もろこしの風光明媚が聞きとうござんすなあ」


 武勇伝ではなく、風土のことを聞きたがるのは花魁らしいことだった。でも、確かに子爵家の若君とやらは、気になる。


(その人が、私を探しているの……?)


 お金持ちの放蕩者の不行跡ふぎょうせき、というのは分かりやすい話ではある。その人が千早を知る機会がまったく思いつかないという点を除けば。身を乗り出して男たちの答えを待つ、千早の視界の隅には朔の横顔も映っている。彼も、千早と同じ格好で成り行きを伺っているのだ。


 千早たちを焦らすように、酒を注ぐ音がまた響いた。もうどれだけ呑ませているのか、酒の香りだけでも酔ってしまいそうな気分になる。


「そう──寿昭ひさあき様は、確かに悪所に好んで通われていたな」

「殿様も奥方様もよく諫められていたものよ」


 明治の御代にも殿様がいるらしい、と知って千早は少し感動した。古風なものが生き残っているのは、月虹楼の中だけに限らないのだ。酔ってふやけたような男たちの声も、昔を懐かしむ調子になっていた。──いや、違う。


(昔……じゃない? みんな、終わったことみたいに言っている……?)


 活躍した、通っていた、諫められた──その、若君は「今」はどうしているのだろう。戦争で怪我でもしたのか。心を入れ替えて真面目に生きているというなら、良いのだけれど。


「……病気というのは、治らぬものでなあ。いや、身体を侵す病のことだけではなくて、な」

「だが、女を探すためだったというではないか。ずいぶんと贔屓の娼妓がいたと──戦争さえなければ妾に迎えたいと思われていたのだろうに」

「口実よ。殿様も奥方様も後ろめたさがおありだろうからな。女を探すだけなら瘡毒をもらうこともあるまい」


 酔いが回ったのか、一度漏らしてしまえばあとは同じとでも思ったのか、男たちは問われるまでもなく勝手に互いに言い合っている。

 千早は、口の中に湧いた唾を呑み、掌に浮いた汗を膝で拭った。素敵な着物を汚すのはとても、とても不本意なのだけれど。でも、じっとして聞いていることに耐えられなかったのだ。


(まさか。まさか……)


 娼妓に入れ上げた、華族。きっと裕福で──螺鈿細工の煙草入れを仕立てて女に贈るくらい、簡単だったのかも。親の反対の上に、戦争に従軍したとなれば、女やその子供を引き取ることができなかったのも頷ける。傷が癒えるなりして探せる状況になった時は、その女は見世を変わって行方知れずになっていたのだろう。千早はそれを知っている。……男たちの話を汲めば、そもそも真剣に探していなかったのかもしれないけれど。


 荒れ狂う千早の心中を知ってか知らずか、葛葉の声が男たちに決定的な答えを促した。


「……その、若君様は──」

「まだ四十過ぎだった。跡継ぎもおられなかったのに、な」


 まあ、と痛ましげな声を上げたのは、芝鶴のほうだ。見も知らぬ人のことを、心から悲しんでいるかのような相槌も、きっと花魁の手管のうちなのだろう。


「それでは、その、子爵様のお家は? 江戸の御代ならご養子を迎えることもありんしょうが」


 そして、その上で千早が喉から手が出るほど欲しい情報を聞き出そうとしてくれる。大金を積まれてまで彼女が追い回される、その理由を。


「無論、できぬ話ではない。ご係累には良い若君もいらっしゃる」

「が、奥方様はできることなら直系の血を引いた御子に爵位を継がせたいとお考えだ」


 ここまで聞けば予想できた通りの、ごくありきたりの筋書きではあったけれど。それでもはっきりと確かめることができたわけだ。


(そういう、こと……)


 納得のような呆れのような色々な──けれど確実に喜びは混ざっていない──思いを込めて、千早はそっと息を吐き出した。その微かな音も、酔った男たちの絡むような大声が掻き消してくれる。


「だから、若の御子を早々に見つけてお屋敷に迎えなければならぬのだ」

「いつまでもこのような悪所に置いてはおけぬ。一日も早く、爵位を継げる男の子を産んでもらわねば」


 千早はものを知らないから、華族様のお屋敷ももちろん見たことがない。思い描くことすらできない。でも、見なくても分かる。彼らがひとくくりに悪所と呼ぶ月虹楼のほうが、ずっとずっと綺麗で素敵なところだろう。

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