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【53】四月の食人鬼 (小説・1)



1話完結を目指していたのですが、どうにも話が広がって仕舞った。そして、7000文字を超えた辺りから、文字を打って居ると、この低スペックなスマホの、文字の打ち具合のリアクションが度し難いレベルに鈍く重くなってしまい、1話完結をこのお話に限り、断念致しました。申し訳無い。




遠くで祭りの太鼓の音が鳴り出して、山の背の間から、提灯が揺れる灯りをチラチラとさせている。彼等をようやくと撒くことが出来たのであろうか? まだ肌寒い4月も早々の時期に、何故この様な状況になったか、等という思考は最早無意味であり、状況が思考を押し遣って行ってしまった。可怪(おか)しいのは果たして、本当に僕だけなのだろうか? 常に世の中は主流派が正しく、彼等に従うべきなのか? こうして、主流派となっている彼等の手の及ばぬ田舎に引き籠もって安息を得て居たのに、何故またこの様なグロテスクな世界を見出さねばならぬのか? この世の全てに()いて、この様な即物的なる価値観を強制されねば、生存の権利が無いのだろうか? 彼等の姿を見て育ってゆく、子供達の行く末は果たして、本当に幸福なのであろうか? あの子供達は、無惨にも彼等に生きながらにして喰われていた、齧られていた… それを、助けられなかった。そんなにもこの、老いつつある(おのれ)の身が大事なのか? 果たしてこれは、いや、この世界自体が、現実なのだろうか? もしかするとこの世界は鏡に映っている虚像なのではないのか? あの神社の奥に有ると言われている鏡。


自分が今から行こうとしている先に、その答えが待っているのだろうか? 根拠は無いが、今は希望がそれにしか見い出だせないでいるのだ。






………


半年前に、都会の暮らしにすっかりと失望してこの山奥の、人里離れた限界集落へと落ち着いた。都会には何でも有ったのだけれども、何も無かったのだ。何も無さ過ぎた。物理的には何でもあったが故に、心の中身が育ちきって居ない内に、随分とお手軽にそれら欲しい物を手に入れている、その人間達の姿の、何と虚ろに見えたことだろうか。


例えば、心の中で欲しい物、それについて先ずはじっくりとイメージを傾けて、そいつを自分が手に入れている、そして、それを使ったり食したりしている、その事についてシミュレーションを何度でも重ねた末に手に入れたゲームやら、食べ物やらは、それはとても喜ばしいモノで、だから僕なんかはその過程を大事にしていたいのさ。


けれども、今や日本の多くの市町村、多くの人間に至るまで、余りにも勤勉かつ効率を重んじている余りに、僕なんかには、彼等の時間がとても早く進んで居るように感じて、その様な人間達が主流となっている社会の中で、労働環境の中で、どうやら僕は壊滅的な落伍(らくご)グループに所属しているらしいのだ。


僕には、僕が遅いのではなくて、彼等が病的(びょうてき)に生き急ぎ過ぎている風に感じているのではあるのだ。そんな彼等の姿に、最近の流行の素早く動いて激しく走り回るゾンビを重ねて見てしまう。しかし、どうも多数派の彼等素早いゾンビには勝てない。まるで、自分だけが、流れるプールの中で、停止かまたは逆に歩いている風になってしまう思いだ。彼等にとっては、その様な僕と言う存在がどうやら大変に疎ましいらしいのである。




「作業効率を考えろ」「キリキリ動け」「パリパリ仕事しろ」「モーレツに働くべきだ」「時間を節約して効率的に働かねばならぬ」「牛歩みたいに歩むな」「亀か、貴様は」「バカかお前は」「何でそんなに覚えないんだ」「怠慢だ」「怠惰だ」「頽廃的(たいはいてき)である」「みんなに迷惑がかかる」「自分の事だけしか見てはいない」「何故生きているのかが判らない存在」




様々に彼等が、覚え切れぬ程の勲章(レッテル)を授けてくれて、あの場所では自分の心の中の軍服には、燦然(さんぜん)とした背徳的なる勲章の、その身に付け場所に困る程に、彼等は一様に異口同音に口を揃えて、決まって僕を糾弾し否定して来るのである。果たして自分なんかに、この国に居場所はあるのだろうか? 昔の日本はこうだったのかな? どうも少し昔には、もっと居心地が良かった様に感じているし、ある程度の年齢を経た僕の、いささかなりとも長いスパンの目で考えた時に、彼等の様な人種や遣り方が、ゆっくりとではあるのだが、確実にその勢力範囲を拡大して来ており、旧来のやや時間の流れがまだ穏やかだった頃の社会をゆっくりと蚕食(さんしょく)し続けて来たように思うのである。


彼等と自分、果たして何が違うのか?

彼等は表情豊かだ。まぁ、幾分(いくぶん)は人間性の個性の範囲で様々では有るのだが。至って普通の人間的で有るように思う。しかし、常に社会の中での、自分の立ち位置やら、時間に対する貪欲過ぎる生き様やら、効率的で洗練化された社会やらでの遣り取りの中で、それなりの収入を得て、比較的安易に、己の欲望を果たしている彼等の、その瞳の中身…


 ――しばしば、彼等と昼食を共にした時に、ふとした瞬間に於いて彼等の瞳の虹彩(こうさい)をチラッと(うかが)った時に感じたソレに、自分はゾッとする事が有るのだ――


それを目にした時に感じるのである。ドロリとした濁りみたいなモノを。社会の中に組み込まれ、取り込まれ、激しくセカセカと動き回っている、そんな運動量が激しい彼等の虹彩(こうさい)は、その、己の発した熱にやられてたんぱく質が熱で変化しており、濁っていやしないか? ゆるーく中途半端に茹でられた卵の白身みたいに、ドロっと。そして、彼等はそんな社会生活の中で、最早、主体性をしばしば手放してしまって、惰性で動いている部分が(ほとん)どになってしまって、その中身が(うつ)ろにはなってやしないだろうか? と。 容易く手に入る欲望の依代(よりしろ)の物質に囲まれて、その容易さ・快適さを良しとして、その代わりとして、自己の行動の主人は自己である事を奪われている事実に、その事自体に気が付かずに、欺瞞(ぎまん)されて、または、それについて目を自ら閉じてしまって、やがては、熱にやられた盲目なる貪欲な目で、あたり一面を食い散らかして行くのではないのか? 何れ、長くはない時間を経て、増えてゆくその様な人間人口の曲線と、限られている資源が頭打ちになっていく曲線と、2つの曲線が重なって交差を描いてやがて出来上がる、その絶望的なる『交点』を交えた時にどうなるのか?その『交点』に至るまでのカウントダウンまで、そう短くは無いのでは無いか? 果たして、自分はこのまま、自分に一切向いていない時間の流れや社会の中で辛抱して、縋り付いているべきなのか? いい加減、潮時(しおどき)なのではないだろうか?


そう考えて、田舎に越して来たのである。





………


初めてその集落を担当する町役場へ行った時に、具体的には、転入手続きをやった時に、僕の持ってきた住民票の、旧住所を()、次に、新住所を見た時にその、初老の担当者の視線がしばし、その書式のその行間で固まり、持っていたボールペンを、無意識にグルグルと2回程、回転させた後に、5秒。そのままの姿勢を保った後に彼は、(おもむ)ろにコチラの顔を慎重に伺うみたいにしつつも、その気配を此方(こちら)へは微塵(みじん)も見せないぞと自らに(かつ)を入れたみたいに、口を「ンパッ」っと鳴らして見詰めて来たのである。



「ん〜、君ねぇ… まぁた、随分と辺鄙(へんぴ)な場所に越しよるねぇ。まぁ、村役場からの手引きで車を貸し出しよるけん、例の制度ばあるから、そこの辺りは大丈夫なのやろうけんろねぇ、君みたいなまーだ若いんのんが、賑やかしゅーな場所から、あっこらあたりへと行く事にするちぅ、ほいたぁ、随分とまた思い切ったもんさね。」



僕が引っ越す先。

何とか過疎化にブレーキをかけたい目的が感じられたこの市町村の、引っ越して来た人間に対する特典である。この市町村に引っ越して農業に従事する人間には、空き家が無償で貸与され、市役所が近所の採算の取れない中古車屋の複数と連携して登録してある、持て余し気味の車両を貸し出される事になっているのだった。そして、転入手続きの次にその手続きをする予定であった。


村役場の手続きを全て終えると、役場の駐車場の一角へとその初老の男性職員が案内してくれて、鍵を渡してくれた。それはありふれた中古の、黒い軽自動車だった。



「ほいやぁ、あん集落ぁ、(じき)に祭りたい。4月の1(いっぴ)に、木漆(ぐうる)様ちーて、あのらあたりの氏神(うじがみ)さ捧げる祭りで出物(でもの)が出るで、行きんしゃい」



屈託の無い彼の物言(ものい)いの中に感じた、一種の本能的な領域が出した警鐘(ワーニング)。それに後からこうして考えて見たらば、助けられたのかも知れない。





……


都会から越してきて、矢張り、農作業は慣れないものだ。連日、農機具の使い方を学び、耕作機が刈れないであろう樹木を(のこ)で切り、(なた)で叩いて折る、1箇所に(まと)める。そして、耕作機やら何やらを運転し、草を刈り、野放しにされて野生を取り戻しつつあった、そんな貸し出された一軒家の目前にある畑を手入れして行く。付きっ切りで僕にそれら全てを貸し出して手伝ってくれたのは、少し離れた2・3キロ先に住んでいる老人だった。


「都会から来ゆる人達や海外の(しと)ぉら、まーた、よう慣れん仕事辛抱してやりゆうら、ようけ教えんのに、力入(ちからはい)りゆうよ。」


作業の休憩の合間に、タバコを吹かしながら(こう)()と言った(たたず)まいで、ニコニコとしながら言っている。この辺りの集落に、僕と似たような目的で越してきた幾つかの家族の担当している畑を束ねて手引きして農業を教えてくれている、この老人の、裏の顔も知っている。それは、たまたま、買い物へと集落を離れて自動車で町中へ行き、その町のスーパーで買い物をして帰ろうとしていた時である、出口付近にあるクリーニング屋で、彼が店員と立ち話をしていた時である。


「最近やって来た()ぇら、やっぱり都会のもんじゃけ。農家の辛さ、よう判らん見えよる、ヘコヘコヘコヘコ動いち、ホンでよう息上げよる、上げて頻繁(ひんぱん)に休みを入れよるよ。なぁーんもあれではモノにはならんち。ほんでも、ワシも教えんでは駄目よな、だから渋々教えよる。ワシら、お天道様頼りで、雨で畑流されても、テレビ取材のカメラとマイク向けられると笑いよる、ヘラヘラヘラヘラしち、笑いよる。諦めて笑いよるんよ、けんろ、見込みがある時にゃ、取り返す、取り返せる時に取り返さんでどおすんのよなぁ、あの()ぇらからもワシ、いつか取り返しちゃるけん。なぁ。」


買い物台車を入り口の、収納場に戻して入り口付近から去るまでに、この様な彼の裏の本音を聞いていた。そして「取り返す」の時の一種、執念深いトロッと濁った目に、クリーニング屋さんの主婦の方を向いてすっかりと会話に夢中となっていた彼の横顔の中に… あの、僕が避けてきた都会の人間とは微妙に違うものの、どこか遠く離れずに類似しているある種不気味な気配を感じていたのである。具体的に「取り返す」の意味合いは掴み取れず、却ってそれ故に不気味さが増した心持ちであり、彼等に気が付かれない内に、そっとその場を去ったのであった。


アジア人の農業実習に来ている集団が一つ、夫婦と中学生の姉と小学生の弟の四人家族が一つ、そして若い夫婦が一つ。近所に僕と同じ目的でやってきて、農業に従事し始めて一軒家を貸与された世帯の内訳(うちわけ)。僕だけが単身暮らしである。


慣れない仕事を終えて、身体も重く、あちこちと痛み、トイレに行くよりも、庭先の池があった場所にやった方が寝ている場所から近いもんだったから、外へ出てそうして小用を足していた。今日は確か、4月1日で、役場の担当者に聞いた祭りの日だった。遠くから僅かに響いてくる太鼓の音と、チロチロと山の背越しに見えている、提灯(ちょうちん)か何かの灯り。そんな中でタバコに火を着けて、吸い込んで見上げた夜空のやや霞がかった満月を眺めやり、何処から来たものだか、いつの間にやら我が家となったこの家に居着き始めた野良猫、外に出ていると擦り寄って来る、大変に人懐っこい茶白の長毛種のメス猫の、擦り寄るままに任せながら、そうやって空を眺めていると、突然と何か、


『つまりは、生きるって、これで良いのではないのか?』


と、

何だか随分と悟ったみたいな境地になり、今までの社会が矢張りは、自分には向いていなくて、つまりはこの様な生き方がそもそも、自分の身の丈には合っているのではないだろうか、そんな何とも腑に落ちる、ゆっくりとした時間を過ごしていた、その時である。それは、小さく遠方から響いてきた短い叫び声の様に聞こえた。そこから、妙に頭の中が冷え切り、やがて僕の頭の中にこの、新しい暮らしの中で感じていた、点となって散らばっていた幾つかの疑問符、そいつらが騒ぎ始めた。ピクリと反応したみたいになった。嫌な予感がしてきた。



  4月の1(いっぴ)に、木漆(ぐうる)様ちーて、

  あのらあたりの氏神(うじがみ)さ捧げる祭りで

  出物(でもの)が出るで、行きんしゃい。



()りげ()く、此方(こちら)(うかが)いながらそう告げてきた役場の初老の男の様子… 眼鏡の奥から見せた彼の、上目遣いになった目付きのその顔の、何処か本能的な部分が警鐘(ワーニング)を鳴らしてきた「にとぉー」っとした、不気味な表情。


農家の作業を最初から教えてくれていた老人の、スーパーで吐いていた彼の本音… 「取り返す」の時の、執念深いトロッと濁った熱にうかされた様な気配の一種、病的な目の(きら)めき。



  4月1日。

  エイプリルフール

  4月の1(いっぴ)に、木漆(ぐうる)様ちぃて…

  エイプリルぐうる

  エイプリルグール

  四月(エイプリル)食人鬼(グール)



瞬間にブルッと来た。

思えば昔から、直感が働いた。思えばこれでも、それなりの長さとなった人生の中で、幾度も助けられていた、この感覚は間違いは無いはずだ。即座に動いた。昔に自衛隊で訓練を受けていた頃の、演習時の知識が自然に頭の中に流れてきたので、今回はこれを活かした。具体的には即座にそっと、気配を消して素早く動き、いつも私服として用いているアメリカ軍のタフな作りの軍服上下を身に(まと)い、ブーツを()いて、そのブーツにタオルを緩い縄みたいに巻いたのを靴底の中央にかかるみたいにして両方、巻いて結んだ。独特な歩様をすればそれは(たちま)ちの内に砂利道や落ち葉で音を立てぬ歩きをこなすことが出来るのである。そして、弾帯(だんたい)ベルトを用意して、それに長い鉈とハンマーを着けて巻いた。そうやってから、音を建てずに母屋の脇にある駐車場の更に脇の法面(のりめん)を利用して駐車場の屋根に登り、身を真夜中の暗闇の中に隠した。


四月(エイプリル)食人鬼(グール)

そんな一見すると馬鹿馬鹿しい単語である。が、しかし、確かにこれまで散々に助けられて来た本能、そいつがブルリと反応したのだ。具体的には。先ずは右乳房付近から右肘から上。その辺りにかけて、鳥肌(とりはだ)が泡立ち、そいつがゆっくりと這うように上方へと抜けて行く。最終的には、右の首筋を抜けて右頬を経由して、頭皮全体がピリピリとして終息する。この現象が起こる時はマジでヤバくて、僕はこの感覚が起こった時には即座に対応する事にしていたし、実際にそれに従って、何度も死線(しせん)らしきものを回避出来たのだった。


果たして、その直感は当たり、何かしらの姿が… 暗闇の中に慣れ始めた僕の視界の中で捕捉(ほそく)されて、ソイツは満月の(わず)かな照り返しを受けて稜線(りょうせん)の役割をたまたま果たしていた丘と夜空の背景世界を背にしながら蠢いていた。


ゆらり、ゆらり、と、泥酔したみたいに揺れてどうやら此方(こちら)へと歩を進めている何か。唸っている様に聞こえる。呟いているのか?


  ぶっぶぶうーうー

  ぶっぶっぶぶぶうー

  ぶぶぶぶぶぶうー


ゆうらゆうら、揺れながら、近付いてくるその(うごめ)き、揺れている、揺れながら、近付いてくる…


  都会の()ぇーらー

  よう(うご)かんろ

  コテコテコテコテ動きよう

  バテバテで(じき)に止まりよう

  モノにならんろ

  取り返しちゃるけんの。


()の老人であった。

手に、何かを持っている。


目を凝らすと、目が合った。虚ろで何も映しては居ない目で。艶を失っていて。恨めし気に、此方を眺めているみたいで。それは、生首である。教育実習のアジア人の1人と。若い夫婦の、妻の方と。2つの生首を(おの)々の手に下げて。時々、そいつに(かぶ)り付いている。老人がそれらを咀嚼(そしゃく)している。その、生首達と、視線が合った。


激しく動揺していた。顔見知りの老人が、同じくこちらも顔見知りの人間の遺体を持って歩いている。我が家に接近している。しかも、どうも好意的ではなくて、薄っすらと敵対心を感じる。しかしながら、果たしてその人物が、殺人犯なのかどうかが、その一点がハッキリとは確定して来ない。()の老人が彼自身の手に掛けて、両手に持ち歩いている遺体を殺めたのであるのか、そうではないのか。殺めているならば、彼に対しては躊躇(ちゅうちょ)無く反撃出来るのだが、そうでないとしたらば、それは反撃すると後々に社会的な立場としては不味(まず)いのだ。その一点が明確ではない事について、頭の中で整理が付かないからである。


人が殺害されていると言う、おぞましい事実への衝撃よりも、殺された二人についての、追悼の気持ちなんかよりも。何よりも先ず、そう云う悩みが真っ先に生じており、その事について、頭の(すみ)矢張(やは)り酷い人間だな、僕は。と、思った。しかしながら、今、この場の状況で、一刻も手にしたい情報はそれであったのだった。


そこへ不意に、消魂(けたたま)しい絶叫が響いて来た、音のする方向には、四人家族の世帯がある。闇の中で蠢いていた老人がピクリと動きを止める。粗末な砕石と雑草で構成された道の方へと、老人の首がゆるりと回る。僕もそれに習うようにしながら、気配を上手く消して老人の様子が良く判る位置へと移動する。屋根から音を立てずに降りて、駐車場側面の法面(のりめん)傾斜を登って、そのまま法面上にある耕作地に立ち、しかしながら、向こう側からは此方(こちら)の様子が法面に立ち並ぶ樹木によって遮蔽(しゃへい)されている、その場所から老人の様子と悲鳴の方向に注視する腹積もりで。やがて、何かが一目散に此方へと走ってくる気配。徐々に大きくなる、砕石と野草混じりの粗末な道を駆ける物音がもう、間近になった時に現れたのは女性である、四人家族の中学生の長女だった。彼女はもう、間近に迫っている我が家の、僕の名字を叫んだ。


「○○さん助けてー!食べられちゃう、追い掛けられてるっ!」


ヤバい。老人が彼女に近い。間に合え、自分。

そう、()の老人が彼女を捉えようとしているのだろうかな?コレは。両手に下げていた生首を地面に置いて、彼女に掴み掛かろうと、彼女からは見えない草木の死角から身構えている様子である。もう、気配なんぞを消している暇ではなかった。


「おい、しゃがめ!」


全力で走りながら、彼女に指示を出す。

突然だ、従ってくれるだろうか? 鈍い人間は鈍いのだ。大丈夫だった。賢い子で助かる。しかし老人もこちらに気が付いたが、空を切る老人の彼女へのタックル、その虚しい空隙(くうげき)を突いて、此方を見ている老人の頭蓋骨に、走ってきた僕の加速度+振り回しの力が乗った一撃は、アッと言う間に老人の頭部を凹ませてめり込んで行く。ピクリと身を痙攣させた老人の、しかし念には念を入れて、一撃では済まさずに、割れた頭蓋から追加の一撃を振り回す振り回す。中身の赤い髄液(ずいえき)が飛び散る。髄膜(ずいまく)を突き破った様子だ。そのまんま、頭蓋骨を凹ませて中にめり込んだハンマーを掻き回す掻き回す。脳味噌を掻き回す。月明かりだけが頼りの真夜中に、奇妙な影絵が展開されており、そうして脳味噌を捏ね繰り回された老人の影絵は、ダンスを踊りながら崩れ落ちて行ったのだが、その余韻には浸れない。「追い掛けられてる」と言っていたのだから。







「脱出しようとして…ハァ 車のエンジンかけたら…ハァハァ かからなくなってて…ハァ 20〜30人に囲まれてて…ハッハッ お父さんが噛まれて…グスッ 庇ってくれて、逃げろって…グシュ、ハッハァ 弟とお母さんは今日の氏神様のお祭りの縁日に行っていて…ヒック れ、連絡が付かなくて…グシュ グシュ」



何をしているかと言えば。

市役所から貸与された、我が一軒家の、その、背後に(そび)えていた裏山の登り道を歩いているのだ。掻い摘んだ彼女からの説明を受けながら。


彼女が忠告した通りに、自動車を試してみたのだが全く動かなかった。何か細工をされていたに違いない。この日に向けて、それは計画的だったのだろう。確かに今日は、入植した世帯の全てが一堂に会する日であり、昼間には集会所に集められて懇談会じみたものを行っていたのである。我々、農業従事に入植したメンバー達は、餌として放り込まれた。それが、果たして何の為なのかは判らないが。四月(エイプリル)食人鬼(グール)の響きで僕が直感した馬鹿馬鹿しい事態。そいつが今や、的を得た正解となりつつある。そんなとんでもない世界線を僕達は今、歩んでいるのはどうやら間違いがない。


彼女の父親は、彼女の眼の前で齧られて血を流し、逃げる途中に振り向くと、包丁で腹を切られて内臓を飛び散らせていたところだったと言う。僕が反撃して、あの老人の頭蓋骨に振り下ろしたハンマーの正当性も、これで証明された次第だ。過剰防衛では有るのだが。


某有名なネットのマップ。その機能を用いて過去に調べた結果、この裏山を真っ直ぐに突っ切ると、町役場まではほぼ直線となり、距離は5kmである。試しに歩いてみたことがあるのだが、この山道を進んでも民家が無く、恐らくはあの、化け物地味た雰囲気を放つ集落の人間は居ないだろう。裏山の頂上付近までは道は有るのであるが、そこからは自然の樹木生い茂る道無き道を、真っ直ぐに進まねばならぬのだが、実は僕はそんなこの道無き道の裏山を、歩き慣れているのだ。そして、この5kmの道程(みちのり)を過去にも何度か、こなしていたのである。それは一つの趣味だった。ここに来た目的の一つ、農業をやって、片手間に狩猟でもやってみたい、と。昔に。自衛隊を辞めた後に、とある田舎の熊を鉄砲で狩猟していた左官(さかん)職人の爺さんについて、山を歩き回った事があり、そいつをやってみようか、と。この裏山には何が潜んでいるだろうか? と。調査の為に歩いて、ついでに、あの集落からは村役場まで、1箇所の道しか無いので、どうせなら新規の、自分だけが知っている道を開拓してみよう、と。そんな胸算用(むなざんよう)をしていて、何度もこの裏山を歩き、危険な場所や歩きやすい場所を把握していたのである。


「○○ちゃん、話は大体は判った。取り敢えず、役場に行ってみよう。この時間に空いているかは判らないけれどもね、少なくとも警備の詰め所は開いている筈だからね。 …あんな事が有ったんだ、兎に角、君は落ち着ける場所に居て、これからの事を考えよう。明日になれば、この事態を世間に(しら)せて、対策も何とか纏まるのかも知れないよ。」


「ヒクッ ヒクッ はい。○○さん。助けて頂いてありがとう御座います。」


決して容易く歩ける、と言う、道ではない道すがら、いや、まだそもそも、『道』ですら無いのであるが。そんな場所を二人して、やや息を荒げながら、慣れぬ暗闇の中で歩む彼女を気遣いゆっくりと歩きながら、そんな会話を続けていたのであるが、実は僕は今回のこの事態に、()の村役場が一枚噛んでいる、その事について考えを巡らせている。それはまた、僕の直感的な部分の囁きであり、確定はしておらず、(いささ)かに危ういのではあるが。しかしながら、もしも、そうだとするならば、彼女を村役場に置いて貰えれば、或いは彼女の今後の生き残りへの確率。そいつを上げてやれるのかも知れなかったのだ。


『グレートリセット』この言葉を、某国営放送が、やたらと喧伝していた時期があった。次第にその言葉が、国民の中で認知されて行って、周辺各国のニュースにて、近年、度々見られていた不可解なる住民同士の食人事件。人がある日突然に様変わりして、人を襲って食べ始めていたその不気味な事件。世間は騒ぎ始めた。「共産国家が、コロナに次いで今度は別の病原菌を…」「いや、実は多様化した価値観に右往左往して足場が安定していない、某資本主義国家こそがこの謎の現象を…」様々に憶測され、世の中の人々を不安に陥れている最中に、ある一つの組織が静かにその存在を世間に浸透させていた。


  『世界グレートリセット委員会

   (World GreatReset Committee)』


彼等の主張曰く。

地球の資源は既に頭打ちに、そう遠くない内になってしまうだろう。人間達が叡智(えいち)を絞った結果として、本来ならば死ぬべき運命の病に侵されていた人々が生き残り、また、長い平和が実を結んだ結果として、人間達の世界人口がこれまで以上に増えて行くペースが上がっている。諸君、考えるべきだ。我々は旧来の方法で成立してきたこれまでの社会を変えるべき時期に差し掛かっている。


この組織。

未だ、世間の注目を集めては居なかったのだが、僕の認知がソイツに及んだ時に、矢張り僕の本能的な領域だろう、その組織に思考を巡らせた時に鳥肌が泡立った事を、良く覚えている。そして、その鳥肌レベルが、過去最大のものだった事についても、良く覚えている。


役場の片隅に、このポスターが貼られてあった。

まだ、この国の政府ですら、その組織に対してのアプローチすら意識していないであろう、そのタイミングで、この町役場の片隅とも言えぬ、比較的に新聞の一面記事的な掲示場のポジションに、このポスターが貼られていたのである。そして、転入手続きをした時に対応していた()の担当者の、不気味な上目遣いの目線の先には僕が居たのだったが、その、更に背後にある壁には、このポスターが貼られてあり、彼は或いは私ではなくて、背後に貼られてあったそれを一瞥(いちべつ)していたのではあるまいか? だとしたらば、この町役場は怪しい。正直に告白しようか。実は、既に転入手続きをやっている時点で、僕の直感が囁き続けていたんだ。僕はどうやら、あと間もなくに、生命の危険なのか何なのかは知らぬが、今生(こんじょう)の僕の生命の中で、とても特殊な危険に晒される事になり、そしてソイツを避けることはどうやら不可避であるのだ、と。判ってしまって居たのである。しかしながら、あの都会でもそれは危険に変わりが無くて、どうにも、僕が何処へ行こうと意識していても、その直感がズゥーンと、伸し掛かるみたいにして訴えて来ており、その時に悟っていたのだ。どうやら、世界は今から大変な事になって行くのかも知れない。世界の人口の多数が亡くなる未曾有(みぞう)の事態が巻き起こって、そして或いは、そんな世界的な大災害の中で僕は… だから、前もって覚悟を決めていた。だから、この日を速やかに動いて生き残れたのかも知れないよ。四月一日(エイプリルフール)の、災害の全ての始まりの日を。こうして考えて見たらば、とても悪い冗談の様で、少しだけ笑ってしまうのだが。


村役場はもう直ぐである。

裏山の道無き道を二人、ようやく抜け出した所だった。町の様子が何だかおかしい。今は夜の10時。田舎の夜は早いとは言っても、不気味な程に人が見当たらない。全くと言って良い。(ゼロ)だ。そんな、人間だけが姿を消してしまったみたいな中でも、町の交通信号はキッチリとその役割を果たしており、まるで、僕と言うラジオの周波数が特殊であるから、他の存在している人間との周波数が折り合わずに見えてはいない、みたいな。その様な違和感に支配される思いだった。そんな中で、不自然なくらいに、村役場だけがやたらと明るかった。都合3階建ての小規模なコンクリート製の建物内部の、その、全ての部屋の灯りが煌煌(こうこう)と灯っていて、まるで、この不思議に人間が消えてしまった町を、物珍しい気に、眺めるみたいにして。


町役場の前に着いた。

建物の外から、此方をずっと監視して居たのだろうか? (くだん)の僕が転入手続きをしていた時に担当になっていた、あの初老の男が村役場の入り口付近から、此方へと視線を向けている。出迎えている様子である。彼の両脇には、ライフル銃を持って起立している集団がおり、久々に見た生身の人間達にしては、彼等は随分と物々しく、そして友好的とは思えない壁があったのである。



「ようこそ、我が『世界グレートリセット委員会日本支部』へ…と言っても、今日の日中の内はまだ、この場所は村役場だったのですがねぇ、まぁ、あなた方は此処へ来られたのだ。話し合う必要がある。そしてそれはこの私の為では無くて、貴方の為となるでしょうな。さぁ、いらっしゃい。何でも話して見せましょう。」



転入手続きを担当していたこの男は、そうやって(なまり)を一切と持たない、流暢(りゅうちょう)な標準語を話した後に、道を譲って僕達二人を先導して村役場内部へと案内する姿勢を見せている。随分と役者だなぁ。僕は内心で感心しつつも、この眼の前の初老の男こそが、もしかすると今から将来に於いて、この日本を、ひいては世界の運命を左右しかねない黒幕の一人なのだなぁ、と思っていた。




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