【44】人間港な先輩 (エッセイ)
とある、先輩がいる。
その人は自分がスーパーの魚屋でアルバイトをしていた頃に、いつの間にか、野菜屋にスルリ、と、入り込んでいた。一言で言えば、不細工である。
しかしながら、不思議な存在であるのだ。
何か、悩んでいたりすると、いつの間にかやって来て、話を聞いてくれたりする。そして、不細工である。飾らない感じで、然しながら、どうにもその、人生の足取りは地道であり、隙が少ない。けれども、仕事はあちこちと、流れ流れているタイプ。そして、しかも、人に向けて屁を放ち、そいつがまた、絶望的に臭い。
いつの間にか、親しくなり、話を聞いた。
昔に、孤児院に預けられた事。そこの、仏教系の孤児院にて、日々、暴力で抑えつけられた生活を強いられていた事。赤い羽根募金の活動は、あれは実は孤児にとっては、着服し放題の、夢の大ボーナスステージであった事。カトリック系の、韓国系の孤児院の偉い人に、何かと優しくされて感謝している事。
暴力で抑え付けられていた教官の家に、大人になった先輩がお礼参りに行った事。
昔に、その教官に
「国歌が判らなくて歌えません」
と素直に応えた事。
そしたらなんかもぅ、かつてない半端ない勢いで、超ボッコボコにぶん殴られた事。
もう、その頃には、明らかにその教官は大人になって、手の付けられなかった乱暴者で名が通っていた先輩には抑えきれない、叶わなくなっていたであろう事。
先輩が、教官のお子さんに向かって訪ねた事。
「キミは 国歌が 歌えますか?」
その先輩の言葉を聞いて、かつて先輩を暴力にて抑え付けていた件の教官の顔色が、サッと引いて熟す前のトマト色みたいになった事。
「○○…頼む…頼む」
掠れた声で、その教官が先輩に対して、必死に声を振り絞り、それでも糸みたいな声しか出なくて、そんな声で慈悲を先輩に乞うた事。
「いいえ 僕は 歌えません」
教官の息子が、素直にそう応えた事。
次の瞬間に、先輩が一気にその息子さんに急接近した事。
その瞬間に、息子を守る素振りすら見せずに動けないでいた教官が目を絶望に染めながら腕で顔を覆った事。
「そうだよね 歌えないよね 当たり前だよね」
先輩がそう言いながら、その息子さんの頭を優しく撫でて上げた事。
何故か、俺は関係が無い筈なのに、そんな先輩の話を聞いてとても誇りに思ってしまっていた事。
そんな孤児院での、吝嗇的な生活に対して、身体が無理な節制を努め上げた結果として、よく見ると先輩の両手は、身長に対して明らかに長過ぎて、まるで、それは、三国志に出てきた、劉備玄徳のごとくだった事。
人が真横に両腕を伸ばした長さが、大体は身長の高さと一致する筈なのに、先輩がそうやると、明らかに両腕の長さの方が長くなってしまって、どうやっても、推定身長の長さと、先輩自身のその身長の高さと、差異が生じている事。
仕事が上手く行かなくて、色々と彷徨っていた釧路・根室に流れ着いた頃に、そんな先輩の家に転がり込んだ事。
悩む俺に、何も言わずに、高倉健さん主演の、なんか過去に色々とあった男が、酪農の仕事をやり始め、そして実は逃走犯で、逮捕の汽車の中で、かつて散々にぶん殴った筈の相手が然りげ無くやって来て、逃走犯が付き合っていた彼女の身の上の情報について、然りげ無くそれを聞かせてから去っていく、そんな映画を見せられた事。
北海道を再び離れた俺の真似をして、今、本州で働いている事。
本州の木更津市で久し振りにあった時に、相変わらずに人生が不器用で、悩んでいる俺とキャッチボールをやって、その時に明らかに少し無理をして、1球だけ若い頃みたいな全力の送球を俺に送ってエールを飛ばしてくれた事。
寮を与えてくれる条件の筈が、いつの間にやら、寮を追い出されて、車の中で生活をしながら働いている事。
無理が祟って、心臓を悪くした事。
色々とあって、役所の世話になって暮らすことになった時に、電話が来て、なにも言わずに「そうか」と言ってくれた事。
こうして、文才しか無い俺みたいな人間に対して、そうやって今までに散々に良い思い出をくれた事。
今から、久し振りに、その先輩に電話でもしてみようかと考えている俺に気が付いた事。
魅力的な人間港と言う存在は、きっと、時間はかかるとは思うのだけれども、不細工でも成立するのだなぁ、と、関心して思っている事。




