【18】ふなのりのほね (エッセイ)
作家の、井上雅○さんだったか。
死なない吸血鬼が、退屈を持て余してやりだした葬式ごっこのお話を書いていたのは。
あれ面白かったなぁ。
中国の泣き女の演出に興醒めしてクレーム入れるのだっけかな?(笑)
そして締めで執事に問われるんだ。
「如何でしたか?」
「最高だ。癖になりそうだ」
寿命が基本的には無い世界って果たして……
って、時々、ファンタジー世界の誰やら彼やら見ていて思うよね。
なんかそんな、褥瘡出来上がりそな、月曜の朝に。
寝起きに、そんな事を考えるともなく考えていて、永遠を持て余した生き物、それについて想像していると、そいつはやがて、永遠ではない生き物の希望やなんかについて、対比的に思考の視力が漠然と飛ぶんだ。
希望の国のエ○ソダス
主人公の叫び。
「この国には何でもある、ただ、希望だけが無いんだ」
わりと胸に突き刺さる、このセリフ。
後に作者の村○龍さん本人があの著書の、この主事の発言について、テレビのニュース番組の中にて、言及していた。
「考えてみたらば、日本には何でも揃っている、あの主人公の『希望だけが無いんだ』は当たり前なのかも知れない…何でも揃っているこの国でうんぬんかんぬん…etc」
んー。
でもなぁ。
希望的なモノ。
希望、必要か、否か。
俺も迷うなぁ。
希望が下手にあるから、身の丈にあわないローンとかで背伸びして、割りに合わない無理な収入を得ようとして、心身のダメージ、気が付かないで欲望―― (希望とこの場合は代入できるのではないのか?) ――に身を焼かれたりするんだ。
前述の井上雅○氏の書いたエピソードの中に出てきた吸血鬼。
太陽に身を焼かれたヴァンパイアにもかぶるイメージだなぁ。
そうさ、欲望はしばしば身を焼くんだよ。
まぁ、欲望と希望はきっと、似て異なるモノなのかも知れないけれども、でも、よっぽどに、冷静にこの目まぐるしい今の世の中の流れの中で、そいつを客観的に審査出来る、そんな人間はかなり特殊なのかもしれないさ。
俺自身だって、欲望と希望。
この2つを明確に分けられないです。
試しにネット検索してみたらどうなるか?
今は便利な時代さ。
よくぼう【欲望】ほしがる心。不足を感じて、これを満たそうと望む心。「―を満たす」
きぼう【希望】《名・ス他》未来に望みをかけること。こうなればよい、なってほしいと願うこと。また、その事柄の内容。「進学を―する」望みどおりになるだろうというよい見通し。「将来の―を失う」
こうして調べてみるとなるほどと。
眼の前の欲望――
(昭和ならカラーテレビだとかの家電だとか洗濯機だとかマイカーだとか冷蔵庫かな?)
――を手に入れたくなり希望――
(このまま会社員として健康に私は働ける筈であるから)
――に縋り、そして希望はローンと言う仕組みだったりして、未来に望みを託す、だとか。
これほどに経済と密接に絡んだ世の中だと、欲望と希望は利害が一致してガッチリと握手をすることがしばしばこいつは起こり得るのかもしれない。
そんな、まぁ、便利である社会なものだから、なおさら、欲望と希望、コイツの意味合いのぼやけ具合に拍車がかかるのだよなぁ。
今の時代だと、欲望と希望が手を組んで、ネットのゲームの世界の中での課金とかに使っちゃう方々もいそうだし、なんかそんな物質的な実態を伴っていない不確かな (少し不躾な物言いだろうか?) モノへと。
そんなモノにも、経済が循環しやすい時代となって来ているのだろうなぁ、これはさ。
欲望と希望 そのエネルギーが経済を回しているけれども、そんな世界の流れが、より一層と、何がなんだか判らなくなってきそうな時代になってきたような気もするのだけれども。
シンプルな根っこは変わっていなくて。
人間の欲望や希望が、経済のタービンの羽根を回すのだろう。
身の丈に合ったトルク負荷のタービンを人々が適切に選んでくれれば問題は無いけれども、人間はしばしば過分な、分不相応な夢を見たり、欲望が働いて目算を誤ったりするからね。
気を付けなければいけないよ、ホント、そいつに関してはさ。
ドラ○エ3。
アイツに出てきた、幽霊船。
死してなお、重い船のオールを漕いでいる。
骸骨オブジェクト。
「つれぇーよぉー(辛いよ)」
アイツが一瞬、頭を過るんだ。
肉体が死してなお、
自分がかつて縋った希望
ソイツを返済するまで許されない。
とても身につまされる姿さ。