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【16】風の通り道〜ボクは神を見た (短編自伝小説)



はいそこ。

タイトルを見て、


「うわぁ…コイツ遂に頭に来やがったな」


だとか思わない!(汗


なんつーか、人間は極限の精神状態に於いて、確かに、「普段見ないモノ」を見出したりするみたいで、あの、偉大なるF1ドライバーだった故人、アイルトン・セナなんかは、チャンピオンがかかった日本の鈴鹿のスプーンカーブんところで「僕は神を見た」のだそうである。


あんな常に人の注目を浴びた、極限の状態に身を晒した、研ぎ澄まされた無駄の無い精神も、肉体も、その両方とも、残念ながら私は持ち合わせては居ないのである。


しかし、確かに神を見たのだと思われる体験があり、それを、今から話そうかと思う。


あれは、確か福島県の、某田舎である。

当時の仕事の関係で、私は会社の用意した部屋に住み込み、町の様々な地域へと赴いて、放射線量等を測る仕事をしていたのだ。


様々な地域の、様々な民家を某有名マップの写真を参考にして土地の境界に線引された図面を参考に、放射線量を測る仕事だった。


普通の民家ならばそれで良いのであるが、たまに、とんでもない場所を調査するのである。


スマホの電波が届かず、そしてカーナビのマップすら狂う超僻地の宅地だったり、マップ上の見た目ですっかりと森に偽装された宅地、鬱蒼とした竹林の密集で、ナタを持ってバッサバッサと切り倒さねば侵入することすらならぬ無人の宅地。


宅地だけではない。

たまに、草地の調査もあり、草地と侮るなかれ、それらなんかは下手をすれば、私の180cm超えの背丈をゆうに2倍は凌駕する高さの細く、高く聳え立つ草や笹薮であるのだから、そちらなんかは殺虫剤とナタのフル装備が必要で、蚊がむらがり、試しにモスキート音を出してみたりもしたとて、モスキート音は飢えた蚊には殆ど効果が無いことも学んだ。


某有名なマップを使っても、すっかりと見た目が樹木に覆われており、市役所の住民土地台帳とやらに記載されている土地の境界線だけを頼りに某有名マップの上から線引き加工された図面を手に、首を傾げながら、山奥深い神社や寺などを調査する、そんな、仕事仲間連中達から忌々しげな皮肉混じりに、


「ドラ○エの祠シリーズ」


と命名された図面シリーズがある。

その場所は、まず迷う、まず入り口がわからない、先ず手間であるので、みんながその図面が回されて担当になることを嫌がっていた典型的なクセモノ懸案であろう。




(※余談であるが、この「ドラ○エの祠シリーズ」の体験は、私が別の場所に書いてある短編「ひ神社」のイメージの一部となっている。興味がある方は是非とも読んでいただきたい。)




そんな、「ド○クエの祠シリーズ」の図面の1枚が、我々の担当していた班に回されてきた。


長くなったが、ここで私は「神を見た」のである。








渡された図面の、付近の風景をざっくりとをイメージして貰おうか。先ずは中央を南北に貫く砂利舗装の道。西側は笹薮と杉林で構成された鬱蒼とした森で、その何処かに、神社の入り口があるらしい。


そして、東側一面は秋の稲穂たわわに実る田んぼである。


秋の高い空と、随分と真夏よりかは角が(なめ)されて面取りされたみたいな、優しく照り付ける太陽と、そんな優しい太陽に照らされた黄金色の稲穂は、何だか目に染みるよな、やさしく焼き付くみたいな光景で、そんな風景に充てられてしまうと、此方の気分も洗われて、魂が洗濯されたみたいな、そんな心持ちを抱く場所と日和であったのだ。


高い晴れ上がった青の空、優しい太陽、そよぐ風に稲穂揺れて、風の通り道 ――風が通った形跡を、気配を、そのまんましなった稲穂たちが風の形を示す。――


そいつは一種の幻想的な光景である。


幸先(さいさき)。そいつに何だか恵まれたような、心持ち嬉しい気分となり、我々は西側の、この砂利道の何処かに繋がっているであろう、神社の入り口を探し始める。


程なくして、神社への入り口の形跡を何とか発見した。


落葉して堆積している笹や杉を足でほじくると、石畳の階段があったからである。


よく見たらば、薄く鈍く赤い鳥居らしきものも見えている。


我々はその場所を登り、一面緑の山林に見えている、某有名マップの地図に線引さがなされた、心許(こころもと)なく、まるで藪睨みが主成分で構成されているみたいな、そんな図面を手に持ちながら、藪に塗れた神社の敷地内を調査する。


藪睨みで藪塗れである。


調査自体は無難にこなして、さて、帰ろう、石畳の階段を仲間達が降りてゆく、私もそれに習って階段を降りようとした時に、何気無く、本当に、別段、何らかの直感が働いた、だとか霊的な囁きを感じた、だとか、本当にそんな事ではなくて、振り向いただけなんだ。







――にゃん――







かすかに聞こえたソレ。

聞き間違いか、実際の(こえ)なのか、その境界が微妙なソレ。


ふと、頭でポイントポイントであった思考がにわかに動き出して、結び付く思考の線、そして自分なりの帰結。


この神社の入り口の向かいの一面黄金色の田園。


猫は昔は、比較的に人里近い場所に住み込み、そして、ネズミを狩る。


この事から、しばしば、猫を稲の神様として崇める風習。


今聞こえてきた、その鳴き声…………





そんな事が確かにあるのかも知れないよね、と、一人、そう思いながら、神社の階段を下っていった。





















神社の出口からは砂利道を挟んで正面に位置する一面黄金色の稲穂畑。


風がそよいでいる。


風の通り道 が具現化している。


風が稲穂と遊んでいる。


その光景の中に、


ちょこん、と。


立ち座りの姿勢でコチラを向いた人懐っこそうな茶トラの猫が。


うっとりと目をゆっくりと閉じている。


猫は一切鳴いていない。

猫は喋ってもいない。


しかし、雄弁に、その仕草だけで。


その茶トラは私に語り掛けて来たのである。





































「この世には、何の憂いも有りませんよ」





その光景に、

恐らくは私は神を見出したのである。

そしてまた、その神の光景は、

とても魂が洗われるみたいな、

美の光景であるように思うのである。



神社の方を振り返り、そして再び視線を黄金色に戻すと、その茶トラ猫の姿は見当たらなかった。

黄金色に溶けてしまったみたいに。



あれは神様なのだろう、と。

私は確信している次第である。




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