【1】ちぃちゃな哲学者? (エッセイ)
猫の哲学的な思考のお話。
その昔に、なんかザザッと、ネットにて調べた中にあった本や情報や動画から。
「晴れに繋がる窓を探す猫」のお話。
外で遊びたいのだが、飼い主に命じて玄関を開けさせた猫が見たのは、ザンザン降りの雨模様。
不満げに一言鳴いた後に未練タラタラに引き返す猫。
しばらく…ちょこーんと、座って思考。
突然、閃いた!みたいな顔をして、家のあちこちの窓を巡回しだす、なんかそんな猫の思考世界。
お外に行きたい、お外で遊びたいが、あの人間が出入りする大きな場所から出たら雨。遊びたいが、濡れたくもない。
そうだ!
なら、雨じゃない場所から外に出れば良いじゃない!
的な、貴族であり、最終的には処刑場のギロチンの下でつゆと消えたなんちゃらマリーさん思考。
「雨が嫌なら、雨じゃない窓から出たら良いじゃない。」
そして、家の中の窓と言う窓を巡回して、その全ての景色が雨模様と言う事実に落胆してしばらくしてから、飼い主に何かを語り掛ける猫。
「やい、飼い主、晴れを寄越せ!」
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アホである。
アホの子だが、また、同時に賢くもあるのである。
この子はこの子なりに、地球が丸いだとか、りんごが落ちるのは重力があるからだとか、そんなレベルの意識の思考では無いのかも知れないが、自分が生きてゆく上での、快適に過ごせる環境について、弛まぬ思考をやっているのであろう。
しかも、なんか可愛い。
猫だって思考するんだ、日々の生活の中で、より、快適を求めて。
ずっと昔に、You Tubeにて。
遂に、エアコンとリモコンとの関連性を解き明かした、ニュータイプ猫の動画を発見したことがあるのだ。
その動画を見ていると。
飼い主がなんども、「コラッ」っと言ってリモコンを操作し直しても、直ぐに自分の肉球で、リモコンちょこんと押して、風向きを自分向きにする、そんなハイクオリティーな猫の姿があったのである。
猫だって、日々、思考したり、哲学したりしているのだと、私は考えている次第である。
あの、ちんまい、ちょこんとした半立ち姿で。
あの、ちょこんとした猫の額の前頭葉皮質で。
箱庭みたいな小ちゃな縄張りの世界の中で、猫のこれまた小ちゃな額は思考し、哲学していると思お。