牙を剥く聖輝教
翌日、事態がもっと深刻な事に三人は気付いた。街のあちこちに立札が立てられ、そこには「不要不急の街の移動は慎むこと」「聖輝教に帰依するものは、直ちに教会に赴き洗礼を受けること」と書かれていたのだ。しかも、しっかり国王からの印まである。
当然カイル達三人だけではなく、シハムの誰もが訝しんだ。頑として聖輝教の圧力をはねのけ続けている国王が、一体どんな心変わりなのか。
だが狭い国である。情報はすぐに王都に集められ、少しづつ漏れ出した情報は燎原の火のように市井の間に広がっていく。
「他の街でも賊が出たらしい」
「聖輝教に帰依した人だけが助かったらしい」
「特に獣人やエルフが狙われるらしい」
「恐ろしい事だ」
「私も帰依しようかしら。それで襲われないのなら……」
不要不急の街の移動を慎めと言われても、シハムやジュイル-サースなら大体の生活必需品は揃うものの、その他の街では手に入らない物もある。そうなればやはり買いに行くしかない。
だが無差別に襲われ、次はいつ自分が襲われるかわからない。助かりたいのであれば聖輝教に帰依すればよい。事実、宣教師の言う通りに帰依した者は助かっているのだから……
事実、その日の午後からはシハムのあちこちにいつの間にか掲げられた剣十字の元に、人族という人族が集まり出した。皆が命惜しさに帰依しようとしたのだ。
もちろんそこに獣人やエルフの姿はない。彼らにとっての神とはハルピアであり、決して聖輝教の掲げる不可視なものではないのだから。
だがこのうねりに翻弄され作戦も実施できないまま二日三日も経つと、宣教師曰く、神の宣らす言葉は大きな意味を持ち始める。
「来るべく禍から助かりたくば、神に対する忠義を示す事。即ち誠意を示すとともに、神に仇なす者を告発すること也」
一種の集団催眠のようなものだろう。恐怖から逃れたくて帰依したのに、いつの間にかそれが厳然たる事実となり、どこか他人事と思っていた教義は、やがて自分の中で厳然たる精神基盤となっていく。
ヒトは他人がやっていれば、余程の犯罪行為でない限りそれは自分もやっていいものだと拡大解釈しがちである。その行為がやがてエスカレートしたとしても、自らの中で急速に存在感を増す"聖輝教"の教えとして正しければそれは赦される。
やがて十日も経てば獣人とエルフ、そしてイラスベイの集会所の立場は悪くなっていく一方だった。
かつての友人も今や敵。そうは言わないまでも、彼らは聖輝教のありがたい教えを受け入れられない異端者。
今日投げた悪口は明日には石礫になり、明後日には腐った生卵になる。やがて火炎瓶になるであろうその憎悪は、カイルとサラがあちこちで見てきた風景そのものだった。
「リリアン、この街——いや、この国から逃げた方がいい」
「どうしてですか! こんなの、みんな騙されてるだけです! それなのに……」
リリアンの家の二階、結局ずっとお世話になっている家で言われたカイルの言葉に、涙目で反論した。
「そうだ、騙されてるだけだ。でも騙されてる間、それはその人にとっての真実となる。そうだろ」
しかしその言葉にリリアンは押し黙ってしまう。確かにイタズラで友達を騙す時、騙される時。ネタバラシをされるまでそれが本当だと信じてしまう。
事はそれをとても大きくしたものなのだ。この状態では、今更賊の正体を暴いたところで誰も信用しないだろう。
「いいか、あくまで緊急避難だ。君たちエルフや獣人族は仲間意識が強いから、どこの国でもそこのコミュニティに行けばきっと受け入れてくれるはずだ。シハムの街の皆が正気を取り戻したら、また改めてここに戻って来ればいい」
「でも——!」
無茶を言ってるのはわかっている。故郷を捨てろと言われて、はい分かりましたと言える人などいないだろう。
ガタンと大きな音がして、リリアンが小さく悲鳴を上げた。表の戸に石か何かが投げられたのだろう。それを皮切りに次々と何かがぶつかる音がして、罵声までもが飛んでくる。
「獣人は出て行け」
「聖輝教を信じないなんて」
「よくも今まで騙してたな」
次々に浴びせられる声に、リリアンはすっかり萎縮してしまっている。
「カイル、行くわよ」
「行くわよって、どこ行くんだ」
「文献の保護!」
そういや古文が目的でしたね。と諦めて、ちょいと失礼とリリアンを持ち上げるとそのままサラの後を追って二階から飛び降りた。
*
カイルに手を引かれながら、リリアンはどうしてこうなってしまったのかと考える。
聖輝教の企みをサンクトゥスで聞いてから、無我夢中でここまで帰ってきた。
誰も話を信用してくれない中で、良くないとわかってはいつつ盗み聞きしてしまった独り言を頼りに、カイルさんとサラさんという強い味方も得ることができた。
聡明な二人のおかげで、賊の襲撃も解決の道筋が立ちそうだった。作戦はめちゃくちゃだったけど……
でもこの状況はどうだ。聖輝教の力は遥かに強く、素早く人心を掌握してしまった。
ヒトは恐怖でこそ心を一つにし、共通の敵を見出す事で団結する。そんな残酷な現実をこの上なく巧く利用し、神という見えざる存在を認めさせてしまった。
こうなってしまっては、もう故郷を捨てて逃げるしか無いのだろうか。悔しいけれど、カイルさんやサラさんの言う通りにするしか無いのだろうか。
「……悔しいです」
「なんて?」
サラさんが古文学者だと言い張って無理やりに集会所の古文書保管室に行っている間、一緒に待ってくれているカイルに対してリリアンはそうぽつりと漏らした。
「悔しいです——! こうなった以上、シハムを離れなければいけないのは判ります。でも……せめて聖輝教に一泡吹かせてからじゃないと、私の気が済みません!」
大人しい子だと思ってたリリアンの慟哭にカイルは一瞬面食らったが、すぐに気持ちを落ち着かせるように肩を叩いた。
「焦るなって。こういうのはな、時期が肝心なんだ。急いでちゃやりたい事も出来なくなっちゃうし、中度半端にやってたんじゃ絶対足を掬われる。落ち着いて、今自分に出来る事が何かをちゃんと考えてからでも遅くない」
二つ年上なだけなのになんて落ち着いているんだろうと、リリアンは密かにカイルの事を尊敬した。思えばサラさんも古文の事になると目が無いけどそれ以外は頼れるお姉さんといった感じだし、ここは言う通り二人に任せた方が良いのかもしれない。自分に出来る事など限られているのだから……
「というわけで。リリアン、君には神の御使いになっていただきたく」
「え?」
前言撤回、やっぱり大丈夫なのだろうか…………
*
ちょっと抱えきれないぐらいの本を持ってサラが集会所から出てきたのは、それから間もなくだ。
「おおう、そんなに大量に持ってきちゃって。どう持ち運ぶんだよ」
「とりあえずいつも通り、お母さんのところに送るわ」
行く先々で古文書を見つけることがある。大体どの場所でも持て余しているのか、欲しいと言うとくれる場所が多いのだ。それをひとしきり読んで、あとは片っ端からミューゼさんの所に送っているのだという。
だがあまり目ぼしいものはないようだ。いつも今回こそは大発見がとウキウキで読んでは落胆するのを見るのは、正直カイルとしても辛いものがある。だが、いい加減ミューゼさんの家の床が抜けないのかと勝手に心配もしている。
「で、そっちの方は? 話したんでしょ?」
「おう。案の定驚いてたけどな」
囮の次は神の御使い。てんで意味不明だが、カイルは密かにサラと相談して決めた作戦とその理由を話すと、最終的にはリリアンも納得してくれたのだ。頭が上がらない。
そんなわけで三人は、未だ排斥の喧騒冷めやらぬシハムの街を出て、カザミ国の中心にあるカザミ山の麓まで来ていた。
頂上に僅かに雪を抱くカザミ山の麓は常緑樹の森に囲まれ、春から秋は林業も盛んなのだという。だが今は冬、温暖な気候なので雪こそ積もってはいないが、辺り一面無人の原野だ。
「さて、そろそろいいかな」
「あの、一体何を……」
いきなり無人の山の麓まで連れてこられて不安がっているリリアンだが、ここは説明するより見てもらった方が早い。
「トゥーリエ!」
「アイル!」
二人がそれぞれの名を呼ぶと、すぐに大きな二つの影が暗くなりだした空を覆った。
「えっえっ、これって――!」
一瞬何が起こったのかわからない様子のリリアンも、視界にトゥーリエを認めるとすぐに平伏する。イラスベイの信者からすれば、まさに神の降臨といったところだ。
「跪かないでほしいってさ、ハルピアが言ってる」
「――え?」
「船の時の俺の独り言、聞いてたんだろ? それがこれさ。ドラゴンをパートナーにする冒険者がいるってのは知ってると思うけど、俺はこのハルピアとパートナーなんだ」
目を白黒させるリリアンをよそに、トゥーリエは一啼きした。
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