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しわしわデート

作者: 玉野とよ


あったかいものを抱いている感覚を覚えながら、目が覚めた。


部屋を出てリビングの時計を見ると、午前5:00。

ずいぶんな早起きだが、気分はいい。なにか、いいことが起こる予感がする。

テーブルに座り、去年の誕生日に買ってもらったペンタブを開いて、背景をいろいろ塗りつぶしてみる。


―…きれいなものが描きたい。


心の底から純粋な欲求が生まれてくる。こんな気持ちを絵にできたら。

しばらく画面に集中して作業していると、耳障りな声が飛んできた。


「げー、またやってる。朝っぱらからよくやるね」

「うるさいな。いいじゃん」

「ま、いいけどさー。なんか暗いじゃん?現実的に考えて、イラスト描けても

将来の役に立たなそうだし」


姉ちゃんはぼりぼり頭をかいて、呆れた目つきを投げかけてきた。来年大学受験を控えている姉ちゃんは、近頃しょっちゅう「現実的に考えて」自分の意見を押し付けてくる。ぼくはすっかりしらけて、タブレットの電源を落とした。


「姉ちゃん、今日、遅くなるから」

ぼくはそう言って階段を上る。後ろから姉ちゃんが声をかける。


「なになに?いっちょ前にデート?」

「ちげえよ!」


ぼくはうつむいて答えた。にやける顔をかくしながら。



先週まで冬物コートを着こんでいたのがウソみたいな陽気の中、ぼくはジャケットを羽織り、桜並木を通り過ぎる。みんな桜の写真を取ったり、子供がわめいてたり、町はにぎやかな空気に満ちていた。


ぼくは待ち合わせのカフェで窓際の席に通されると、スマホを開いた。


『ごめんなさい!遅刻します。十五分までにお店に向かいます!』


ぜんっぜんかまわない。いくらでも待てちゃう。

とはいっても落ち着かなくて、スマホ画面と窓の外を何度も見比べる。


「お決まりですか」


ギャルソン姿のお兄さんが、こちらに気づいてにこやかに話しかけてきた。うわ。きょろきょろしすぎた。ぼくはなるべく落ち着いた声で返事する。


「いえ、連れ…の人がきたら、注文します」

ぼくの連れ。思わずその言葉ににやけてくる。


彼女との出会いはSNS。お互い、女児向けアニメ「すいーと・クラッシュ!」のファンで、意気投合したのだ。


友達にスイクラファンはいないし、ぼくのほうでも大っぴらに布教するつもりもない。だから、学校の外で語り合える仲間が欲しくって、そんな時に出会った女の子だ。


『演出が前の話とリンクしてたなんて、気がつかなかったよ。詳しいんだね』

『ブルー太郎さんならきっとできるよ。応援してる』


彼女…つぼみさんは事あるごとにぼくを褒めてくれた。

一人でだってスイクラはめちゃ楽しい、けど、好きなもの誰かと共有できるって、すごくいい。ぼくはつぼみさんとやり取りするのが好きだった。そんな彼女と、きょうはスイクラの映画版を見に行く約束をしているのだ。


彼女、いくつなんだろ…。


いっつもぼくのほうが色々知ってて、教えることとか多いし、年は近いんじゃないかな。年上だとなんかやだ。姉ちゃんみたいにうるさそうだし。


想像画でも描いてみようか。ぼくはタブレットを取り出した。

背は低めで、髪の毛は肩くらいとか。

意図していなかったけど、なんだかぼくの好きなキャラクター、りーらんこと「小牧りいら」ちゃんに似てくる。


突然、バァン!と窓ガラスが揺れて、ぼくは驚いて顔を上げた。


どうやら窓のすぐそばを歩いていた人がバランスを崩して、窓ガラスに手を

ついたようだ。


「あ…」


彼女は髪をかき上げ、自分の手のひらの先にある、ぼくの顔を見つめた。手足が長くて、長いまつげをした美少女だ。意味深な瞳は、ぼくになにか問いかけるようで…。もしかして、もしかして。ぼくはどきどきして口走った。


「つ、つぼみさん…?」

「うん!おまたせしてごめんなさいねえ」

「ふぇっ?えっ?えっ?」


声のほうに振り向くと…カフェのぼくのテーブルの前に、いつの間にかおばあちゃんが立っている。まだら模様のターバンを巻き、ラフレシアみたいな柄のカーディガンを羽織っている。


え、何この人。テーブル間違えてない?


窓の外の女の子を見ると、彼女はいぶかしげにこちらを見返し、そのまま通り過ぎてしまった。


「あれ?まっ…つぼみさん…?」

「はい!遅れてごめんなさいね。ブルー太郎さん」


年代もののハスキーボイスを響かせ、老女は右手を伸ばしてきた。ぼくは訳も分からないままその手を握り返す。掌はしわしわで、若々しい肉付きなんてまるでない。


おばあちゃんじゃん!!


「ブルー太郎、本名は、空っていいます。…中学二年生です」

「あたしはつぼみのままでいいかい。歳はねえ…確か七三とか、そんなだよ」


ぜんぜんつぼみじゃないじゃん。


「あら上手。それって、りいらちゃん?」

つぼみさんはテーブルの上に出しっぱなしのタブレットを指さして言った。


「これは…その、そういうんじゃないです」

なぜだか恥ずかしくなって、慌てて片付ける。


「へえ。画が趣味っていいねえ。あたしの趣味はヨガだよ。瞑想とかも毎日してるんだよ」

「そうですか…」


どうしよう。全然興味ない。「その…」ぼくは窓の外を見て、話題を探した。


「もう春ですね。来る途中で、桜並木を通りました。人がいっぱいで、みんな写真撮ってましたよ」

「へえ。早く散ればいいね」

「天気がいいからしばらくは…って、散れば…?」

「散ればいい。あんなの」つぼみさんは楽しそうに言った。


返事に困る。何この人。何か別のことを喋ろうとして、つい本音が口をついて出た。


「ぼく、もっと若い女の人だと思ってました…」


つぼみさんはまったく気にしない調子でからから笑う。


「あたしは、空さんってもっとお兄さんかと思ってたよ。ずいぶん若いこと」


彼女はティーカップを手に取り、口へ運んだ。その手つきは上品だったけど、しわしわの唇がカップにぴったりくっつくと、ぼくはなんともいえない気味悪さを感じた。


「ああ、人心地ついた」

つぼみさんはそう言って上着を脱いだ。下に着ているカットソーはスイカの種を並べたような柄で、乱視のぼくは目がちかちかする。脚を組みなおしたとき一瞬靴がみえたんだけど、スパンコールがびっしりのハイヒールだった。


帰りたい…。


勝手だなって、わかってる。勝手に期待したのはぼく。けど、しょうがないじゃん。理解していることと納得することは、別のとこにある。


孫とおばあちゃんって言うんなら、まだありなんだけど。

けど、デートの相手だと思うとさ…ってか、デート?その単語を発するだけでめちゃ落ち込む。


「若いのに、いろいろ知ってて偉いね。いつも色々教えてくれて、助かってるよ」


ああ、さっきまでならこのやり取りにときめいたかもしれない。でもこれって、ぼくを尊敬してくれる女の子っていうか、孫を褒めてくれるおばあちゃんだったわけで…


「観察力もあるよ。ほら、いつだったかさあ、戦闘中に歌が流れてたとか、あたし気づかなかったよ」

「45話のこと…?」

「そうそう!空さんに言われて後から見返したらさ、ちょうどひなぎくが振り向いたときにサビがながれてて、よかったわあ。あれ、ひなぎくの曲なの?」


は?ぼくは思わず身を乗り出して言い放った。


「何言ってんだよ!あれは一期のテーマソングでしょ?ちゃんとクレジット見てた?四人全員の曲じゃん!間奏明けはりーらんがアップになったし、他にもみどりちゃんもリンドウも見せ場あったっしょ?」

「そうなの?ちょっとわかんなかったわ」

「もう!つぼみさんていっつもそう!ひなぎくしか見てないんでしょ」

「ごめんねえ。かわいすぎるもんだから。ああ、映画楽しみだねえ」


つぼみさんは楽しそうににこにこ笑っている。

そっか、この感じ、いつものやり取りだ。落ち着くけど、ちょっと悔しい。


「さてと、そろそろ行きますかね。手でもつなぐかい?」

ふざけたんだろうけど、ぼくはぞっとして手を後ろに結んだ。


店を出て、ヒールの小気味よい音を鳴らしながら歩くつぼみさん。後ろから、なるべく距離をあけて続くぼく。かくしてぼくらのデートが始まってしまった。



そもそも「おばあちゃん」って、苦手だ。

それは、父方のおばあちゃんのせい。あの人ときたら、いつもテレビの前で横たわってて、そう、自然チャンネルで見たゾウアザラシってやつ。あいつに似てる。


それでいてもんくが大好きで、毎年一度会うたびに、ぼくら家族はお父さんから順にダメだしされる。

「遊ぶのはやめて、勉強しなさいよ」「将来いい仕事につけないんだから」ああだこうだ…


そういえば、姉ちゃんっておばあちゃんに似てきてるかも。格差遺伝ってやつかもしんない。

…とにかく、うんざりする。世代が違う人って、話が通じないんだ。きっと言葉からして、ぼくらと違うんだと思う。


世の中のおばあちゃんが全員そんなじゃないってことも知ってる。でもやっぱり、理屈と納得って違う。



今日の映画館は人気のない場所を選んだ。

ぼくはスイクラが好きだけど、なるべく秘密にしたかったから。それが功を奏した。おばあちゃん同伴で映画なんて、ださすぎる。


しかし、座席についてぼくは拍子抜けした。百席の座席に、親子連れが3,4組くらいしかいない。目立ったりはしたくないけど、こんなのあんまりだ。


「なんでこんなに人が少ないんだよ。みんなもっとスイクラ見るべきだよ。人生損してるよ。ねえ!」

同意を求めてつぼみさんを見ると、パンフレットのひなぎくに見入っていて、聞こえていないみたい。

ぼくはひとり憤慨しながら席に着いた。


ぼくの訴えと憂うつ…そんなもんは映画が始まれば全部吹っ飛んだ。


クラッシャーズのみんなはいつもよりずっとかわいくって、ずっとかっこよかった。

両手で敵をつかんで地面に叩きつけるとこなんか、もう最高。イラストに描きたいポーズがたくさんあって、わくわくした。


その上ドラマもちゃんと描かれてる。メンバーみんなの見せ場があるんだもん。りーらんとひなぎくがダンスするシーン。少し涙ぐんでしまった。


エンドロールを見終えて、興奮気味にぼくは言った。

「よかったですね!ぼく、ひなぎくたちのシーンすごく感動して…あれ?」


つぼみさんが隣にいない。

彼女の姿を探すと、すでにドアに手をかけて、ホールへ出ようとしている。


慌ててその背中を追いかけるが、つぼみさんは一向に立ち止まらない。

「ちょっと、ちょっと待ってよ!」声をかけても、こちらを振り向きもしない。


外へ出て、道路を渡り、近くの公園に入り、ベンチを見つけると、やっと立ち止まってそこに腰かけた。


「何だよつぼみさん。無視なんかして、勝手だよ」

ぼくは不満たっぷりに抗議したが、彼女はうつむいたままだ。


深く息を吐き、サングラスを外す。彼女の、人がよさそうな小さな目が現れる。

その表情を見てぼくは驚いた。


彼女は涙をこぼしていた。


「えっ、えっ?何ですか、おなかでもいたくなっちゃったんですか」

「…れ…れた、おどっ…かと」


彼女は口をへの字に曲げて、何とか言葉を発しようとしていた。こぶしを握り、体全体で涙を抑え込もうとするものだから、小さい子みたいだ。


「…ひっ…ぎく、踊れて…」

「映画のこと、言ってるんですか?」


つぼみさんの推し、ひなぎくはダンスの上手な女の子。でも映画のストーリで敵の罠にかかって、踊れなくなってしまう。仲間に応援されて、彼女はまた踊ることができたんだ。


「うん、よかったですよね。ひなぎくはいつもしっかりしてるから、踊れなくなってはらはらしました」

うん、うんとつぼみさんは深くうなづく。

感情移入しすぎじゃないかと思うけど、ここはファンとして、馬鹿にしちゃいけないとこだと感じる。


ズビと鼻をかんで一息つくと、彼女はぽつりとつぶやいた。

「…りいらがいてくれて、よかったよ。ほんとに」

「うん…」


「女の子だけど、ヒーローだよ。その人がやりたいことを、信じてくれるんだ。あたしはひなぎくがいっとう好きだけど、ヒーローだって思うのはいつだってりいらだね」


ぼくは深く息を吐いて、呟く。「すっごいわかる…」


「りーらんは…手を差し伸べてくれるんだよね。みどりちゃんもリンドウも、それで救われてる。でもさ、でもさ、みんな、いつもがんばってたじゃん。

ひなぎくはずっと練習してきたじゃん…そういうとこ見て…信じてるから。

人は成長できるって、信じてるから……うぐっ」


半年間、彼女たちを応援してきた。つらいとき、やばいとき、四人は一緒にいた。ぼくの中で思い出が渦を巻いて、高まって、ついに決壊してしまった。涙が止まんない。


何だよ公園のベンチで泣いてるばばあとガキって。

怖いよ。しかも女の子が見るアニメで泣いてるし…全然まじで意味わかんない。けど泣けるもんは泣けるんだ。


しばらくして落ち着いたころ、つぼみさんがベンチの真ん中に紅茶をおいてくれた。

いつの間にか、自販機で買ってきてくれたみたいだ。


「映画よかったね。45話超えた…」

「もちろんだよ。いつだって、新しい話が一番面白いじゃないの」


ぼくらはそれから映画の感想を言い合った。語るべきことは無限にある。二時間でも三時間でも余裕だ。


スイクラの思い出とセットで、ずっとぼくらはこんな風に語り合ってきた。

そうだ。

この人は、得体のしれないおばあちゃんじゃなかった。ずっと、ぼくの友達だったんだ。



ぼくらは浜辺に来ていた。

公園に小学生たちが集まってきたので、ベンチは明け渡した。


歩きながらさんざんアニメの話をし尽くしたから、浜辺では無言で、お互い好きに過ごした。

つぼみさんは座禅を組んで海を眺めて、ぼくはタブレットで絵を描いていた。


「瞑想って、楽しい?」

「そうだねえ。楽しいともいえる。やってみるかい?寝転がってやってもいいんだ」


ぼくは頷いて、浜辺に仰向けになった。空は雲ひとつなく、青々としている。陽は西のほうに傾き始めて、まぶしくない。


「どうやるの」

「まず呼吸。鼻から吸って、口から出す。ゆっくり、体が上下するのを感じるんだ。何か思い浮かんでも、それを手に取らなくてもいい。考え事をしたくなったら、呼吸することに集中する…」


やってみたけど、むり。

服に砂が入りそうだとか、おなかすいてきたとか、いろんな雑念が浮かぶ。ふだん、雑念とか意識していない時よりひどい。


「むずかしいよ。無にするってやつ?何も考えないなんて、やったことないもん」

「じゃあこういうのはどうだい。川の真ん中に立って、流れてくる木の枝とか、きれいな魚とかを、ぼんやりと見送るんだ。見送るだけで、とらわれない。それが、キラキラの宝石でも、牛のうんこでもね」


ぼくはあきれて身を起こした。


「つぼみさん。そういうの下品なワードで喜ぶの、せいぜい小学生までだよ」

「あたしから見れば、小学生も中学生もそうかわらないよ。…要は、うまくいかなきゃ空さんのやり方を作ればいいんだ」

「勝手に作っていいの」

「かまいやしない。いい寄り道さ。まずは何でも楽しくやること。これが大事だよ」


―…つぼみさんって、人生楽しそうだね。そう言おうとして、何となくやめた。


彼女は海に向かって、夕陽を浴びて、目を閉じていた。

まるで全ての中に混ざろうとしているみたい。横顔は、彫刻のように凛としている。


「どうかしたの」気配を感じ取ってか、つぼみさんが聞いてきた。

「うん。ちょっと待ってね…できた!ねえねえ、見てよ」

「まああ。これって」

つぼみさんは足を崩して、うれしそうに声を上げた。


タブレットの画面の中に、海を見つめて目を閉じている彼女が描かれている。

「あたし、横から見るとこんななんだね。なかなか鼻が高くていけてるじゃない。絵が上手だこと!他にもあるんでしょ、見せてよ」


ぼくは保存済みのイラストを何枚か見せた。姉ちゃんが勝手にみるのを除けば、絵をだれかに見せるのは初めてだ。画面が変わるたびに、「すてき」「きれいねえ」とか反応してくれるのがうれしい。

「これは好きじゃないわ」とかも言われたけど。


「将来は絵の仕事につくの?」

「そんなの無理だよ。これは趣味」

「あら。無理なんてことはないわよ。若いんだもん」

つぼみさんは歌うように言ってのけた。


「若いだけなんて何の取り柄でもないよ」

「今は世界とつながれる時代よ。さがせばいろんな仕事が見つかるはずよ」

ぼくは少し、むっとする。


「それは恵まれてる人の話でしょ。現実的に考えたら、無理だと思う。もっと会社に入ったり、しっかり働かないとだめなんだよ」


言ってから思った。これって、ぼくの言葉じゃない。

けれども、みんなそう言うじゃん。ネットにだって書いてある。そういう…ぼくより大人の人間が言った言葉に、いったいどうやって逆らえばいいわけ?ぼくの気持ちなんて、もう隅っこのほうにおいやられて、すっかり小さくなっている。


ぼくらはしばらく黙った。無言の中、波の音がやさしく寄せては返す。


「まじめな優等生だったわ」

唐突につぼみさんが言った。彼女の語りは続く。


「あたしね、親に逆らったことなかったし、小さいころから兄弟の面倒もよく見てた。お見合いも決まってね…すごく安定してたわ」


ぼくは、いぶかしげに彼女の脱ぎ捨てたハイヒールを見た。夕陽を浴びて、ぎらぎらしてる。

「つぼみさんが?」


「そうよ。お見合い相手のお母さんとも仲良くなってね…家に遊びに行った、その帰り道のこと。ちょうど桜の時期でね、月明かりに照らされた、一本の桜の木があったんだよ。満開に咲いた桜の花が、ぞっとするほどきれいだった…それでね…」


ぼくはその光景を思い浮かべた。桜って、今じゃにぎやかな場所にあったり、ライトアップされているから、ちょっと特別な感じがする。絵になる、と思う。


「きれいだったろうね」

「そうね。けど、ムカついたの」


「えっ」

「きれいな花をみればみるほど腹が立ってね、抑えきれなかった。どういうわけかは知らないよ。そっからだよ。もうめちゃめちゃ。お見合いは断るし、親とは絶縁、あげく、仲間を見つけて海外へ出かけてね…」


太陽が水平線につかりはじめていた。海にかかった光の道をながめながら、ぼくは彼女の話をぼんやりと聞いた。


泊まる予定のホテルが雨季で水没していたこと、お金がつきかけて、寺院で食事の施しを受けたこと。そこで、旦那さんになる人に出会ったこと…

ひとりの女の人の人生が、物語のようにぼくの中に響いてくる。

両親と仲直りしたこと、旦那さんはもう亡くなったこと。

それでも彼女の物語は続いていて、いま、ここにいること…


「あのときついた火が、いまでもあたしをたきつけるんだ。やりたいことは、いくらでもある。その先で出会える人はいくらでもいる。やりたいことがあるなら、それは人生の近道なんだよ」


彼女はターバンを取り、もどかしいような手つきで乱暴に髪の毛を解かした。

銀色の髪を風になびかせ、ぼくのほうを見て笑う。

瞳の中に燃えるようなぎらつきが一瞬光って、ぞくりとした。若いころの彼女に出会った気がした。

まばたきすると、もうその女の人はいなくなっていた。


「…ぼくも、好きなことをしていれば、今度は若くてかわいい女の子と出会えるってこと?」

つぼみさんはぼくの腕に軽くパンチして言う。


「もちろんよ。あたしが紹介してあげてもいいのよ。もっとも、あたしにとっちゃ、14歳も50歳も、そう変わりはないけど」

ぼくもお返しに、軽く彼女を小突いてやった。


そうして夕陽が沈むのを見送って、ぼくらは別れた。



うちに帰ってから寝るまで何をしていたか、全然覚えていない。

何かしなくちゃいけない。そんな意識が消えずに、ぼんやりしていた。

ベットに入っても、なかなか寝付けなかった。


「呼吸を整えて…考え事をやめて…」

今日教わった瞑想をためしてみたが、やっぱりどうでもいいことばっかり思い浮かんで、うまくいかない。


瞑想とか、よくわかんない。

つぼみさんの桜の話は、だいぶよくわからない。



ぼくはやりたいように想像することにした。


そう、たとえば…

太陽から生まれた小さな火の玉ひとつ。それはつめたい宇宙をさまよって、数々の冒険を経て、奇跡的な軌道でぼくの頭に降りてくる。

火の玉は脳みそをすりぬけて、ぼくの中へ沈んでゆく。ちゃぽりと音をたてて、水の世界に潜り始める。おなかに、じんわりとしたあったかさが広がってゆく。


―…きれいなものが描きたい。


ぼくは確信に似た予感を抱きしめていた。きっと描けるって。

ゆっくりと目を開けて、深呼吸する。そして、ペンを手に取った。

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