信長に転生したけど、単独で日本統一は無理難題
時代物書いてみました【ダイジェスト版】
時代考証とか因果関係とか、辻褄とか、その辺は目を瞑って下さいm(__)m
※R15は保険です
現代から戦国時代に転生しました。
あろうことか、織田信長に。
そして今は1546年(天文15年)。12歳で元服です。
生を受けて12年経ったわけですが、全然慣れないですね、戦国時代。
そりゃ、令和の何不自由無いぬるま湯の世で育って、リーマンやってて、うっかり事故で死んだら転生して、いきなり一寸先は闇のハードモード戦国時代は、それは無理。
何が慣れないってね、人の命が軽いんですよ。
まず生きる事が大変。もう大前提がまるで違うので、価値観変えなきゃって思うんだけど、令和で生きてた方が圧倒的に長いし、そう簡単には割り切れない。
それに、よりによって信長って。
戦乱を無くして太平の世をっていう志は素晴らしいけどさ、当事者は無理。
前世なんて部下20人まとめるだけでも四苦八苦してたのに。
で、あと6年くらいしたら、親父が死んで、家臣&弟と権力闘争でしょ。
ムリムリムリ。みんな仲良くしようよ。
まあそんな性格なので、「大うつけ」を演じる気にもならず、信勝とも超仲良しで過ごしているんですが。ひとまずお家騒動は避けられそう。
◇
そうは言っても、もう信長の人生を歩むのは間違い無いので、環境を改善して行かないとならない。
幸い俺には、前世のリーマンとしての知識と、歴史の先を知っているというアドバンテージがあるからね。
改善というか改革というか、計画を立てる事にした。
リーマンの時は、経営企画室長だったし。
という事で整理。
織田信長の人生計画
【目 的】 太平の世を創る
【未来像】 日本から戦がなくなり、民の暮らしが楽になっている
【手 段】 武力・戦による敵対勢力の排除
同盟による分権
【強 み】 有能な家臣がいる(後々出てくる)
経済優位性がある(重商政策)
【弱 み】 現時点で周りに有力な勢力が多すぎる(斉藤、今川、武田他)
地理的、距離的な問題がある(交通網と海の存在)
独力でやるには時間的にもリソース的にも1代では困難
ざっくり整理して、ここから基本方針を導き出すのだ。
織田信長の基本方針
1.家族家臣は大事にして内輪揉めは起こさない
2.兵農分離、重商政策を進める
3.何でも一人でやろうとしない
4.遠交近攻を心掛けて、各地方勢力と仲良くする
5.足利将軍家は後で面倒なので早めに潰す
6.天皇陛下、公家とは仲良くする
7.政教分離で、一向宗やキリスト教には毅然と対応する
んなところかな。
この基本方針から、中期の戦略と単年度の目標を設定して、ヒトモノカネを付けて積み上げて行けば良いよね。
よしよしだいぶ整理できて、やる気が出て来た。
1.は既に取り組んでいるし、2.は史実通り。
3.はね、出来る人にありがちなんだけど、1人(というか1勢力)で出来る事にはしょせん限界があるよね。だから、4.で他の勢力とも仲良く。特に、遠くの(後に有力になる)勢力とは今のうちから誼を通じておいて助け合う事は重要。
そう考えると、日本の未来予想図が頭に浮かんで来た。
・地元と畿内と俺が
・中国地方は毛利に
・四国地方は長宗我部に
・九州地方は島津に
・関東地方は北条に
・東海地方は徳川に
・北陸地方は上杉に
・東北地方の奥州は伊達に
・東北地方の羽州は最上に
いいねっ。これ完全に好き嫌いだけど。
今川とか武田とか嫌いだし。大友も。本当は徳川もあんまり好きじゃないんだけど、信長としては仲良しになるんだよね。
それに地理的な事を考えると任せちゃった方がいいかなぁと。
よしよしよし。
何か着地点描けたぞ。
9勢力で日本を分割統一すれば、100年くらいは平和が実現出来そうじゃん。
タイムリミットを仮に本能寺の変の1582年(天正10年)までとすると、残り36年もあるし、よし頑張ろう。
後は、旧政治体制の足利将軍家潰すのは確定。
勤皇家としては天皇陛下には象徴として君臨してもらい、公家の身分と財産を保証するのもいいね。
一向宗やキリスト教の宗教組織には政治に口出し出来ない様に徹底的に叩く。これ現代に至るまでの信長の大功績だと思うんだよね。なので政教分離は絶対ヤル。
ビジョンが明確になったので、後は着々と進めるのみ。
という訳で、ひとまず史実に沿って頑張る事にした。
◇
あれからいろいろあったけど、あっという間に歳月が流れ、尾張を統一し、今川義元を桶狭間で討ち、美濃を手に入れた。
家内不和が無いお陰で、大分順調で、兵農分離や重商政策も上手く行って、数年は前倒しで進んでる。
桶狭間も事前の根回しで奇襲が危なげなく成功したし、美濃攻略も犠牲が少なく済んだ。
今は1568年(永禄11年)
オレは34歳で心身ともに充実の時代。弟の信勝も超活躍してくれてる。
そして計画を立てた10代の頃からコツコツと作り上げたネットワークも、段々形になって来ていた。
島津義久35歳 薩摩統一に奮闘中
長宗我部元親29歳 一条から独立を目論見中
毛利元就71歳 中国ほぼ平定だけど孫が小さいから無理せず
北条氏政30歳 家督継いで関東攻略中
徳川家康25歳 徳川に改性して武田と今川分割中
上杉謙信38歳 一向宗を弾圧してくれてる
伊達輝宗24歳 政宗が生まれたー
最上義光22歳 最近親父と険悪
毛利以外はまだまだ小勢力だけど、だからこそ友誼が結びやすいというもの。
俺は経済的に充実しているので、結構支援してるんだよね。
なので超友好的な9人なのです。
皆さんには各地でそれぞれ頑張ってもらうとして、俺もここからが正念場。まずは、武田対応、そして足利義昭だよねぇ。
あ、浅井にはお市っちゃんを嫁がせてないよ。
家族大事な俺が裏切るヤツに大事なお市っちゃんをやれるかっての。普通に柴田に嫁いだし。
さてさて、まあそこから足利義昭、武田信玄、浅井朝倉には滅んでもらった訳ですが。
何と言っても、早いうちから正親町天皇陛下に接触していたのがかなり効いた。
俺素直に勤皇家なので、戦乱しか生まない旧体制の幕府を否定し、天皇陛下を象徴として地方分権で一からやり直しませんか?という、天皇陛下至上の構想を上奏し、同時にお金も大量に積み上げた。
もちろん五摂家を中心とした公家の皆さまにも、尊重と寄進でしっかり懐柔させて頂きました。
金持ち喧嘩せず。です。名誉と財産が守られれば、そりゃ尊重してもらえる。
天皇制大賛成。公家の制度も文化も大事に保護します。お金の心配はしないで下さい。面倒な民衆の統治はお任せ下さい。宗教には口は出させません。ってこれ、文句ないでしょ。
さすがに、政治を全部任せろってのは反発を買うと思い、9家の分割構想と、その9家と公家の皆さまで、御前会議でご報告をするという体制案にはほぼ同意を頂いた。
◇
そんなこんなで、大分スムーズに進行し、畿内はほぼ統一、地方も支援が効いて史実より早い1580年(天正8年)頃には、日本統一の大勢は決した。
分担&相互援助で細かいところまで行き届くので、やっぱり一人でやろうとしなくて良かったよ。
織田信長46歳 畿内統一
島津義久47歳 九州統一まで一部大友を残すのみ
長宗我部元親41歳 四国ほほ統一
毛利輝元27歳 足利義昭が居ないので惑わされず
北条氏政42歳 佐竹が手強いけど関東の半分以上は押さえた
徳川家康37歳 武田を滅して信濃も順次攻略中
上杉謙信50歳 酒を控える様に諭したらまだ元気
伊達輝宗36歳 ひとまず伊達家最大版図を実現
最上義光34歳 最上郡から勢力拡大中、安東との雌雄
この頃になると、8家の当主が上洛して俺と次の時代について語り合ったり、俺から陛下に頼んで敵対勢力に下って貰ったりとだいぶ交通整理が加速して、2年後。
1582年(天正10年)
本能寺の変が起こるこの年、俺は生き残りました。8家の盟友と共に。
京の御所にて、正親町陛下の御前に皆が集います。
陛下との間には、関白の近衞前久殿が侍り、宣下を下されます。
【総理・畿内太守】織田信長48歳 23国
山城・大和・摂津・河内・和泉・紀伊・淡路・尾張・美濃・飛騨・伊勢・志摩・近江・伊賀・若狭・但馬・播磨・美作・備前・丹波・丹後・但馬・因幡
【九州太守】島津義久49歳 11国
豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅・壱岐・対馬
【関東太守】北条氏政44歳 8国
相模・武蔵・下総・上総・安房・常陸・上野・下野
【四国太守】長宗我部元親43歳 4国
阿波・讃岐・伊予・土佐
【東海太守】徳川家康39歳 6国
三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐・信濃
【奥州太守】伊達輝宗38歳 5国
岩城・磐城・陸前・陸中・陸奥
【羽州太守】最上義光36歳 2国
羽前・羽後
【中国太守】毛利輝元29歳 9国
備中・備後・安芸・周防・長門・伯耆・出雲・岩見・隠岐
【北陸太守】上杉景勝26歳 6国 ※謙信が亡くなって
越前・越中・越後・佐渡・加賀・能登
36年掛かって日本から戦乱が無くなった。
実感として民の暮らしが楽になり、太平の世になるには、まだまだやらなきゃならない事は多いけど、ひとまず、戦が収まった事は大きい。
もちろん戦は景気製造マシンという側面もあるので、戦が無い世が不景気にならない様に、農業改革と産業育成、内需の拡大にまい進しなければ、たちまち政情不安になってしまう。
そのためにも、ひとまず8家でこの体制を盤石なものにする事。
8家の子女は積極的に交流し、また織田家を中心に縁組も進めているし、各家無駄な消耗が少なかった分、家臣はしっかり残っているし、民の疲弊も史実よりは少ない。
何はともあれ、戦後フェーズの事業計画の本格稼働に向けてもうひと頑張りだ。
はやく隠居してー
◇
織田信長 1601年(慶長6年)没 享年67歳
後世に謳われる戦国の9雄の筆頭として、長く続く戦国の世に終止符を打つ。
統一事業遂行後、正親町天皇のもと日本国初代総理・畿内太守として、政治の安定と後に続く300年の太平の世の礎を築いた。
その先見性と、和を持って尊しとなす人柄は多くの人に愛され、伝説の為政者として長く人の心に残っている。
勢いで書いたので、いろいろおかしいところがあると思いますがご容赦を




