秘密結社の影
暗く深い――闇の中。
重さの関係ないその空間にあって、少女は軽やかに泳ぐようにその空間を漂っていた。顔に浮かぶのは薄い笑み。
そんな少女の態度を意に介さぬように、見知った女が手を広げ、虚空に光る球体を作った。
「機嫌がよさそうね……それほどの手駒かしらぁ」
球体の表面には別の空間が映し出されている。映像を眺めながら言う女の言葉に、少女は球体をなでた。
「手駒があるに越したことはないのよ……神器に及ばぬとはいえ、彼はある程度の力を持った魔法道具を所持している。大事に使わないと……それがいつか、私の為になるかもしれない」
少女は宙を反転する。
それを見た女が嘲るような笑いを浮かべていた。
「日を増すごとに、あなたの力は弱まっていくわねぇ……昔なら私に匹敵しようかという力を誇っていたのに」
「時代が違うだけでしょう……すぐに力は取り戻す」
「それだけの余裕があなたにあるのかしら」
「あら。あの女に敵わず、こんなところまで来るようなあなたにそんなことを言われるなんて」
女に何を言われても変わらず、薄い笑みを浮かべるだけの少女の皮肉に、苦々しく女が表情を歪めるのが見えた。
それが少女に喜悦をもたらすと、女が知らないわけはないだろうに。
「かばいますか、かばいませんか。参加しますか、参加しませんか。偶然とはいえ私にとって、ここまでの解答はいい方向に進んでいるわ……でも足りない」
そう言って、少女も球体を覗きこんだ。
「つぎの出題は……助けますか、助けませんか。約束の日までに、どれほどの力を得られるか……。どれだけあの女に……」
一人ごちる少女に、女が鋭い眼差しを向けてくる。
「あなたがどれだけおもちゃで遊ぼうとも構わないけど……、パーティはもうすぐ。わかっているでしょうねぇ?」
そんな言葉に、少女は微笑んだ。
「ふふっ……。そうね、世界滅亡の日はもうすぐよ……」
アイリは機械兵器群を蹴散らしながら高層ビルのなかを駆けあがり、最上階に鎮座する巨大な宝水晶(注。マジックジェネレータ。自ら魔力を生成する物質で、魔法道具と呼ばれるもののほとんどはこれを動力源にしている)を最大出力の魔法によってたたき壊した夢を見た。
朝。
カーテンを寝たまま手で引っ張ると、窓から差し込んでくる日差しに彼女は目を細めた。柔らかいベッドの感触はどうしようもないほど気持ち良く、まどろみのなかで、もうひと眠りしてしまいそうになる。
「ふみゅ……」
なぜあんな夢を見たのと、アイリはぼんやり考えた。よくは考えつかなかったが、ダンジョン大会に出場したせいでアクション的な感覚が抜けていないのかもしれない。
無論、先ほどのことは夢でしかなかった。
中立国家ラクシス。
たった一度。高位精霊と吸血鬼のたった一度の戦闘によって、戦場にあった森や建造物は消し飛び、広大な荒れ地だけが残った。
その戦闘の跡に建てられたこの国は、生まれて二百年ほどのやや新しい国である。生まれた当初は何の特色もなく、魔法と科学のどちらを重視するわけでもなかったが……結局、その両方を取り入れた中途半端な国として発展してきた。
街には高層ビルが立ち並び、道路には車が走る。――けれど、名だたる科学国家にあるような機械兵器群などはない。
人々の中には魔法を使えるものが少ないわけではないし、さまざまな魔法道具も多少は普及している。――けれど、有名な国で行われるような大規模な魔法研究はないし、そのための巨大宝水晶も存在しない。
(中途半端)
中立国家とは、名ばかりの。
しかし、アイリはそんなこの国を、嫌いではなかった。
(なんにしろ……)
先ほどのことが夢で良かったと、そう思う。面倒なのは嫌いだ。
(……)
あくびを一つ。
アイリはどうにか上半身を起こすと、すぼめた目をなんどかぱちくりとして、眠気を払った。毛布をどけてベッドから起き上がる。
朝早くだというのに居間からは音が聞こえてきていた。漂う美味しい匂いを感じながら、ひとまずは衣服を着替える。
居間へ入ると、すぐに声をかけられた。
「おはよ~、アイリー。今日はオムレツだよ~?」
年上の女性がフライパンを持ちながら、アイリを振り向いて言ってくる。
「……おはよう」
明るい様子の姉に挨拶を一言返して、アイリは椅子に座った。しばらくして料理が完成すると、アイリも立ちあがってテーブルに料理が並べられるのを手伝う。そして、
「いただきます」
「えへへ、いただきま~す」
料理は、いつものように美味しかった。
最近の姉は仕事が忙しく帰ってこなかったため、甘みの効いた独特な料理の味が、どこか懐かしく感じられる。
それからしばし。
もくもくと食べていると、姉が食事の手を止めた。真剣そうな面持ちで、姉はアイリを見つめてくる。
「ところでアイリ……預けていた神器を返してもらいたいんだけど」
「……?」
「あー、いやいや。間違っても、アイリが神器を悪いことに使おうとしてるー、とか思ったわけじゃないんだよ? お姉ちゃん、アイリのことを信頼してるからっ」
どうやらアイリの戸惑いを、疑いだと勘違いしたらしい。
アイリが思ったのは単に、最近預かったばかりの神器を、なぜすぐに返却して欲しがるのかということだった。
(神器を調べるのは、ずっと後だと言っていたはず……)
それまでの間、読心魔法を使えるアイリなら盗まれにくいだろうと預かっていたのだ。アイリ自身は、国の保管庫にでも預けた方がいいと言ったのだが。
そんなアイリの心の内を知らず、姉は話を続けようとする。
「実はね――」
姉の胸に、緑のペンダントが揺れている。それを見つめながら、アイリは思った。
(心を読めれば、一瞬なのに)
かといって読心魔法を試みる訳にはいかない。姉の胸に揺れるペンダントは、他者の魔法に反応する検知器だった。心を読もうとした瞬間に警報が鳴り響くことだろう。
忌々しいが、今さら考えても仕方ないことでもある。
むしろ考えるべきなのは。
(そう。神器)
返すわけにはいかない……というより、返せない。アイリをかばって瀕死の重傷を負った、リュータ・アストレイムの治療に使ってしまったから。聖杯の形をしたあの神器は、使用した途端に光の粒となって崩れ落ちた。
跡形も、無い。
どうしよう。
死よりもつらい目、というのは確実に存在する。
(もう、限界……だ)
リュータはそれを実感していた。彼は昨日のダンジョン大会で、何度も死にそうな危機にあった。だが間違いなく、いまこの瞬間の方が辛いと、断言できる。
「蹴る……な……ぁっ」
刺激しないように、あくまでゆっくりと声を出す。ただ眼光だけを鋭く、相手を睨み据えた。
が、ちょっかいを出していた肝心の妖精は、そんなリュータの反応を見て面白がっているだけだ。
「いやぁ、大変そうだねぇ」
「うる……さ……」
まだひと気の少ない居住区のなか、遅々とした動きで学校へと向かう。舗装されたコンクリートの道が続いていた。
学校までは、もう少し距離がある。
(し、死ぬ……)
昨日よりも今日の方が苦痛を感じる。
もしかしたら、一度死にかけたあの時よりもひどいかもしれない。なぜこのような状況になっているのかと言えば、
「しっかし、筋肉痛ってそんなに辛いの?」
「なん、で……お前は……」
「んー? ほら、妖精って基本的に、何もしなくても浮くし」
身体のほとんどが魔力でできているからだとかなんとか。授業で習った気がした。背中の羽はよほど困った時にしか使う必要がないらしい。
エミルがリュータに見せつけるように羽をぱたぱたと動かす。
「ふっふっふ、どうだ親友。くやしいだろう」
(ちくしょう……)
せめて怒鳴りつけてやりたいものの、怒鳴れない。なぜなら、それをしようとすると腹筋が使われて痛いから。
先ほどからゆっくり声を出しているのも、それが原因だった。
(何か効果的な罵倒はないんだろうか……)
さしかかった十字路を曲がり、大きな通りに出る。リュータの通うエイルーク魔法学園が近くに見えた。このまま真っすぐ進めば、学園に着く。もっとも、それから教室まで、だいぶ歩くことになるのだが。
「か、帰り、たい……」
「やたら冷たい目で、妹ちゃんに追い出されたばかりだけど」
苦しむリュータに、ちょっと運動したぐらいで情けないと言い放って。妹はダンジョン大会の様子を見なかったらしい。とにかく、とても家に帰ることはできなかった。
学園に近づくにつれ、登校する学生たちの姿も増えてくる。相変わらずエミルは羽をぱたぱたしながら、顔の前をうろちょろとしていた。
腕を動かしたくないために追い払おうにも追い払えず、鬱陶しい妖精に対して思わず言葉が漏れた。
「お前……虫、みたい……だな」
「ちょっ、ひどくないっ、親友!?」
(……、効果があった)
エミルが嫌そうな顔をするのに満足して、ゆっくりと歩き続ける。
「ねぇ、ちょっと聞こうよっ。おいっ!」
エミルは訂正の言葉を求めているようだったが、気にすることでもないだろうと思ってリュータは無視する。
と、瞬きをした刹那、紫電が目の前を横切った。
「え……?」
驚くリュータの前で、
「ふ、このあたしを舐めるとどのような目にあうか……」
目を閉じ胸を張り、人差し指を立てて勝ち誇るエミルに。
リュータは構わなかった。
(……えーと)
それどころではなかった。
エミルの放った電撃の方を向いてみると、知らない女性が魔法の直撃を受けて倒れようとしているところだった。
その女性の胸にある緑のペンダントが、けたたましい警報音を発生する。
「へ? なに?」
ようやく事態に気付き始めたエミルが目をぱちくりとさせる。
内心慌てながらも、リュータは冷静に言った。
「あれ、……先生じゃ、ないか?」
エミルの頬に、冷や汗が浮かぶのが見えた。そんな気がしただけかもしれないが。
とにかく。
「に、逃げろぉおおお!?」
叫ぶエミルに引っ張られながら、
「ちょっ、まっ、ぐうぁっ!?」
筋肉痛の身体を無理やり動かされて、リュータは限界を超えた。
校舎まで入って、妖精とは別れた。
クラスでも昨日のダンジョン大会について、なかなかの話題になっていた。予想していたことではあったものの、リュータに対して好意的な意見は少なかったが。落ちこぼれのくせにいきがるんじゃねぇ、とか。他の奴が頑張ってただけだろ、とか。少なくとも後者の意見に関しては、まったくその通りだとリュータも思った。
クラスメイトからさんざん罵倒の言葉を聞かされたが、けれどもリュータの印象に強く残ったのは、滅多に話しかけてこない隣の席の女子の言葉で。
「よく学校来る気になったね」
「なん……で?」
「いや、あの大会に参加した人たち。最初のほうで脱落したチーム以外は、筋肉痛とかで大半が休んでるって」
自分も休めばよかった。
机の上に突っ伏したまま、心の中で妹を呪う。
「根性あるねー」
けらけらと笑うその同級生に殺意が沸かないでもなかったが、彼女としては褒めてくれているのだろうから、リュータはあいまいな笑顔で応じた。
そうしていると、教室の入り口の方からざわめきが聞こえた。
(……?)
リュータもゆっくりそちらを見ると、教室の中を、年上の女性が近づいてきていた。胸に緑色のペンダントをさげているので教師の誰かに間違いないが、次の授業の担当ではない。
(……なんでこっちにくるんだ)
栗色の髪をショートカットにした、年若い女性だった。ともすれば少年のように見えなくもないが、子供っぽい柔らかな顔立ちが女性であることを主張していた。
その女性はなにを思ったのか中腰になって、じっ、とリュータのことを見つめると、
「きみ、たしか朝の……」
(げ……)
リュータも思い出す。
よくよく見れば、今朝、エミルの電撃をくらって倒れていた女性だった。顔が引きつるのはどうしようもなかったが、慌てるのだけは自制する。
(どうする……どうすればいいっ)
事故とはいえ教師に攻撃魔法など、停学になってもおかしくない。悪ければ退学だ。どうにかしなければなかった。
(話をはぐらかすか……。それとも、人違いだととぼけるか)
そんなことで上手くいくかは分からないが……。
だが、
「あっ、朝の、えーと……よくわかんないけど警報女! 復讐にきやがったな!?」
声が響く。
天井の方をふらふらと、桃色髪の妖精がなぜかやってきていた。単に暇だったのかもしれないが。彼女は、ずびしっ、と女教師に向けて人差し指を突きつけている。
(あの、馬鹿……!)
これでもう言い逃れはできない。リュータは頭を抱え、遅れてやってきた筋肉痛の痛みにうめく。
わめきたてる妖精に対して女教師は、
「お~、わたしもよく覚えてないけど電撃放ってた妖精さん。あれは痛かったね!」
「……?」
頭を抱えたまま、リュータは訝しげな表情でその女教師を見た。どうも怒っているようには見ない。その女教師は笑みを絶やさないまま、名乗る。
「わたしはマリナ・ディ・エナ。よろしく。……あなたはリュータ・アストレイムね?」
「え……、はい」
他にどうすることもできず、肯定する。
(な、なんで僕の名前を知ってるんだ……!?)
リュータは必死に思考をめぐらす。そんな彼に、マリナが手を伸ばしてくる。
ぺたぺた。
「…………」
リュータのことを触りながら、あちこちの角度からリュータを観察してくる。
「あの……何やって……るん、ですか」
「いやちょっと。ふ~ん、きみがアイリの想いび……っ」
ばこん。がん。ごがんっ。
振りかぶられたスクールカバンが眼前の女教師の横顔を直撃し、続けて何度もカバンで連打される。それがようやく止まってマリナが立ち直ろうとした時、真上からのカバンの一撃が脳天を強打してとどめを刺した。
それらは淡々と、無表情のままで行われた。
「……」
「ひ、ひどいよアイリ~……」
マリナが涙目で後ろを振り返り、無表情なアイリに訴える。が、アイリは気にする様子もない。
いつの間にかマリナの背後に立っていたアイリに、エミルがふわふわと近寄って行った。
「おおう。親友ツーだ」
「……。ツー?」
「おう。あっちがワン」
リュータを指さしてくる。そんなエミルに、リュータはやはり頭を抱えたまま、腹筋を刺激しないようとぎれとぎれの言葉で訊ねる。
「……なん、で、名前……呼ばない、んだよ」
「へ? いや、名乗られてないし。あたしは名乗ったけど」
そうだったろうか。
正直なところ関わり合いになりたくないとリュータは思っていたので、よく覚えていなかった。
リュータが悩んでいると。きょとん、とした表情の妖精に向かって、
「アイリ」
わずかに顔をうつむかせ、アイリが言った。
「……アイリ・ディ・エナ」
なにか不思議なせりふを聞いた気がした。
エミルがその細い指を、アイリとマリナで行き来させる。言われてみればどことなく見かけも似ているように思えた。それほど歳が離れているようには見えないが……。
(と、いうことは……)
「へ? え? ……じゃあ」
「し、姉妹なのか!?」
とても信じられずにリュータは叫んだ。
瞬間――。
リュータは腹部を襲った激痛に、表情を歪ませた。
「――に吹き去るように」
ゆっくりと組まれたその魔法の構成は、複雑すぎてリュータには理解できなかった。彼の胸に手を当てていたマリナが、魔法の成功を悟って手を離す。
「どうかな? よくなったでしょ?」
言われて、椅子に座ったまま手を軽く握り締める。
「い、痛くない……」
リュータは調子に乗って腕をまわしてみるが、普段通りだった。一瞬で筋肉痛が直っている。
「他の人には内緒ね? 治癒魔法を、つまらないことで頼られても困るから」
そう言って、彼女は悪戯っぽく笑った。
薄暗い実験準備室のなか。エミルの周りに浮かぶ光の粒が、実験器具でごちゃごちゃした室内を淡く照らしていた。
リュータたちは人目を避けるため、この準備室まで移動していた。てっきり、魔法で筋肉痛を治すところを誰かに見られないようにする配慮かと思ったが、
「――それじゃ、本題に入りましょうか」
マリナはそう切り出した。
ほんわかとした雰囲気が見えなくなる。光に照らされた顔で、細められた瞳がリュータを見つめている。
「本題、ですか……?」
心当たりがなく、リュータは聞き返した。
彼女は気にした様子も見せず、
「ええ……。大事なことよ」
そう言って、マリナはリュータに頭を下げた。それに合わせてペンダントが揺れる。年上の女性に頭を下げられて、リュータはうろたえた。
「ちょ、顔を上げてくださいっ。ど、どうしたんですか!?」
マリナは素直に顔を上げてリュータを見ると、
「妹のアイリを助けてくれて、ありがとう。あなたが助けてくれなければ、アイリは今ごろ生きていなかった」
(……)
すっかり忘れていた。昨日までは話を聞くつもりでいたのに、ダンジョン大会で疲れ切ったせいで頭のなかから消え失せてしまったらしい。
「……ありがとう」
ぽつりと、アイリも言う。
そんな様子にリュータは苦笑した。
「いいよ、気にしないで。それより……」
「あの二人組が、なんだったのか」
アイリが言葉を引き継ぐ。そんな彼女に、リュータはうなずいた。
「ねえ……なんの話してんの?」
上から顔を覗かせるエミル。リュータは無言のまま彼女を指で弾き飛ばした。少し可哀相な気もしたが、いまは話を邪魔されたくない。あとで教えればいいだろう。
壁に激突した妖精を不思議そうに眺めたマリナが、表情をまた引き締めてこちらを向いた。
「えっとね。説明は私から」
彼女は手近な椅子に腰を下ろす。目線がリュータと同じような高さに落ち着いた。
物静かな部屋の中で、マリナの真剣な声だけが響く。
「アイリを狙ったのは、最近話題になっているらしい秘密結社――堕ちる塵」
その名前を聞いたことは、なかった。
それゆえの秘密結社なのかもしれないが。
「詳しいことは分からないけれど、そいつらは貴重な神器を狙って行動しているみたい。いったいなんの為なのか……」
「神器、ですか?」
「ええ。アイリの場合は、あなたを癒した杯型の神器――『アルカテッドの英雄』を狙われたみたい。研究用に手に入れたのだけど、アイリに持たせたのは軽率だった」
マリナが深く息を吐く。
「そんな集団が暗躍してるなんて知っていたら、決してアイリには渡さなかったのに……。その情報を得る前にこの子が襲われてたなんて。本当に、あなたにはなんてお礼をしたらいいのか……」
「いえ。それより、もうアイリが襲われることはないんですね?」
ぴくんとアイリの身体が震える。暗がりに隠れて、その表情は見えなかったが。やはり彼女でも、あのような連中に命を狙われるのは、怖いのだろうか。
「どったのー?」
「……うん。名前、呼ばれるの……」
ひそひそと。近寄っていった妖精とアイリが小声で話をしている。それはリュータの耳にまでは、内容が届いてこなかった。
二人の会話も気にはなったが、意識してマリナの話に集中する。
「……。アイリが狙われることは、もうないと思うわ。肝心の神器が失われてしまったから」
その言葉に、リュータも思い出した。確か蘇生されたとき、アイリは、神器は一回きりの蘇生用だろうと言っていたはずだ。
「アルカテッドという土地を守ったその英雄は、一万人を超える軍隊にたった一人で立ち向かったそうよ。数百の剣で切られ、数千の槍で貫かれて……ようやくその命を落としたと言われているの」
マリナがふっと笑みを浮かべた。
「きっとその秘密は、肉体の蘇生だったのでしょうね。……長らく効果が分からなかった神器だけど、死にかけないと発動しない神器なら納得がいく」
そのマリナの何気ない言葉を聞き流しそうになり、意味を理解した途端に、リュータは愕然として彼女の顔を見つめた。
「効果が、分からなかった?」
「ええ。効果を調べるという意味で、私の所で研究をしようとしていたのよ。あなたが生き返ったのは……その、偶然に神器が効果を発動したからに過ぎないわ」
彼女はとても言いづらそうな表情で、それでも正直に答えてきた。
(あのとき。アイリの説明が曖昧だったのは……そういう理由か)
改めてぞっとする。もう、考えない方が良いのかもしれない。
「……あの」
彼女との間に生まれた妙な沈黙を破ろうと、リュータは喉を震わせた。
言葉を飲み込んでしまわないように無理やりに吐き出す。
「き、気にしてませんから。おかげでダンジョン大会にも参加して、大変だったけど、楽しかったと思います」
リュータは言ってみてから、自分が的外れなことを口に出しているのではないかと思いもした。が、マリナはわずかながら微笑んで見せた。
「うん……。ありがとう」
そっと首を傾けて、彼女は独り言のように、
「もし、あの子に決心がついたなら、いい友達になってあげてほしいな……」
授業も終わり放課後になり、そして辺りはもう薄暗くなっている。
それは放課後になってからいろいろと話し合っていたせいだった。
「だからさ、もっと相手への好意を表すところから始めないと!」
「い、いや、僕にはハードルが高すぎるような」
「……」
三人揃いながら、煉瓦敷きの学園の道を歩いていた。右には部活棟があり、左は黒々とした木々が広がっている。もうすでに、傍らに配置された電灯が光を放って夜道や森を照らしていた。
話にのぼっている話題は。
簡単に言えば、どうすれば女の子にモテるようになるか。
どういうわけか、女の子と仲良くなるのを手伝おうか、などとアイリが訊ねてきたのである。それをこっそり聞きつけたエミルが、面白半分に話に入ってきた。
結局、話していたのはリュータとエミルの二人が主だったが、会話が長引いてこんな時間になってしまったのだ。
(好意を表すって言ってもな……)
たしかに説得力はあった。が、あのクオン先輩はそのようなことをしていただろうか?
そもそも、エミルの言っていることは誰か個人に好かれる方法のような気がした。女の子にモテるというのは、そういうことなのだろうか?
「というわけでさ」
エミルはそこはかとなく楽しそうな声で、
「まずはアイリにこく――」
小さな音ともにエミルの言葉が途切れた。振り向くと、アイリが妖精をはたき落したらしい。リュータには理由が分からなかったが、何か二人で通じ合っているのかもしれない。
「いってぇー……。ぶぅ、いいじゃん、せっかく……」
ふらふらと妖精が浮かんでくる。
「じゃあさじゃあさ、悪の秘密結社を倒して、一躍有名人に……!」
「お前な……」
呆れながら額に手を当てる。
「そんなことが――」
リュータが言いかけた瞬間だった。
がさり、と脇の茂みが音を立てる。遅れて、学園の制服を着た少女が飛び出してきた。リュータの胸に飛び込んでから、少女は顔を恐怖に染めたまま言ってくる。
「た、助けてください……! わたし、わたし……襲われてるんです!」