手に入れたものは
落ちてくる天井にいまにも押しつぶされそうな不安を感じながら、リュータたちは崩れ落ちるダンジョンを疾走する。
ダンジョンの崩壊……容赦ない罠などから考えて、察しておくべきだったのかもしれない。確かにこのダンジョンを造った設計者ならば、このくらいはやるだろう。
崩壊に合わせて壁に設置されていた数少ない松明も、その炎が消えていた。いまは下級生の女子が明かりの魔法を使って行く先を照らしている。この状況では、エミルという光源だけでは足りなかった。
通路には岩や土砂が降り積もり、非常に走りにくい。リュータは舌打ちする。
そんな通路の中を軽快な足取りでアイリが先行していた。まるで危なげがないその姿に先導されて、リュータ達は必死にダンジョンを走る。本当に出口へ向かっているのかわからなかったが、先行されているためどうしようもない。頭上から落ちてくる脅威に、仕掛けられている罠を気にする余裕はなかった。いまのところは誰も罠にかかっていない。もしかしたら、最後の罠が作動すればほかの罠は解除される仕掛けになっていたのかも知れない。
と、先を行くアイリの速度が下がった。
(み、道がふさがれてる――!?)
天井が崩れ落ちてきたらしい。多量の土が目の前の通路をふさいでいる。わずかに隙間もあるが、エミルでさえ通り抜けられそうにない。
リュータは足を止めかけて、
「くらえっ!」
絶え間ない振動音の中、よく通るようなクオン先輩の声が聞こえた。放たれた魔力はそのまま衝撃波となって、道をふさぐ土の壁をふき飛ばす。
(呪文の詠唱をしていないっ!?)
リュータは驚愕した。
ただ魔力をエネルギーとして放出しただけにしろ、それは普通の生徒が呪文なしでできることではない。
そもそも、これだけ必死に走りながらそれだけの精神集中ができるとは。
さすがAランク。そして、最上位であるSランク目前といわれるクオン先輩だけのことはあった。彼の偉業をたたえる「竜殺し」の二つ名は伊達ではない。
閉ざされた道は開いた。ゴールは目前のはずだ――自分がどこにいるかもわからないため、定かではないが。それでもあと少しだと思わなければ気持が折れてしまう。
視界の隅に、落ちてくる小石に直撃して墜落するエミルの姿が見えた。
リュータは足を止めないまま、かがんで必死に手を伸ばす。
なかば絶望的にも思えたが……リュータの指先が小さな妖精に引っかかる。そんな桃色髪の妖精は、必死に指へとしがみついてきた。
わずかな重みを感じながら、彼女を引き上げる。
「あぅ、ありがと……」
「いいって、このままゴールだ!」
「おうっ!」
痛みに顔をしかめるようにしながらも、エミルは元気に応じてきた。腕をよじ登るようにして彼女はリュータの肩に登ってくる。
そして彼女は、ゆっくりと、小声で、なにかを呟き始めた。
と、なぜだかエミルの呟きに少し遅れて、アイリのスピードが落ち始める。
(なんだ……?)
先ほどとは違い、障害物も特に見えない。ここまできて、アイリの体力が尽きたのだろうか。あり得ない話ではない。けれどあれだけ軽やかに動き回っていた彼女が、自分より先に限界を迎えるなどリュータには信じられなかった。
しかし、疑問に思ったのも一瞬。
視界の先に光が溢れる。
「出口だ――!」
クオン先輩の声。先輩のことは気に入らないが、自然と励まされている自分を、はっきりとリュータは感じた。
ゴールは目の前に。
――だが、希望は一瞬で絶望に化けた。
次の瞬間、ひときわ大きな揺れが天井を崩壊させる。それ一つで全員を押しつぶせるほどの土塊が、襲いかかってくる。どう足掻いても避けられそうになかった。
(だめ、なのか……!?)
その時、聞こえてきていたエミルの呟きの調子が変わる。強く、激しく、エミルはその末尾を叫んだ。
「――に吹き荒れ壁をなせ! いっけぇーっ!!」
呪文の末尾が唱えられた瞬間、頭上の土塊が動きを止めた。
魔法による緑の風が吹き荒れ、押し上げるように土塊の落下を食い止めている。だが、その風の防壁は長い時間持ちそうにない。
エミルの魔法に心の中で歓声を上げながらも、リュータは焦りを抑えられなかった。
(出口まで間に合うか……!?)
考える彼の目の前で、先行していたアイリの身体が反転する。出口に背を向ける彼女の口が、なにかを言うように開閉しているのに気付く。
練り上げられた魔力、そして呪文。しっかりとした構成を示したアイリは、エミルに遅れて魔法を発動した。
先の魔法を後押しする形で緑の暴風が土塊を食い止める。
(そうか――っ)
魔法を行使するには精神集中が必要となる。
エミルが精神を集中させるために飛ぶの止め、リュータの肩に乗ったように、アイリもまた精神の集中を必要とした。そのために走るスピードが落ちたのだ。これだけの魔法を、スピードを落としただけで成し遂げた腕には感心する他ないが……。
反転して出口に背を向けたアイリの身体を、リュータは走りながら抱きかかえた。アイリはぴくりとも眉を動かさず、土塊から視線を離さない。小柄な彼女の身体は軽かったが、どうしても人ひとりの身体は抱えづらい。それでも置いていくわけにはいかった。
視界に光が満ちる――
ゴールッ!
アナウンサーの叫びとともに、まるで押し寄せるようにして歓声が響き渡る。
ダンジョンの外は日も暮れ、校舎に暗い影を作っていた。しかし、上空に浮かぶ映像の光が校舎に囲まれた中庭を照らしだしていた。
迷宮を脱出したリュータたちは、全員が肩で息をしていたが、一様に安堵の表情を浮かべていた。
そんななかこちらへと、教師の一人が拍手をして――音は聞こえないが、少なくともそのような仕草をして――音声拡大魔法を使い話しかけてくる。
「いやあ、素晴らしかった。我々の造ったダンジョンを、あんなに見事に攻略するとは! こちらに来て表彰を――」
興奮したような声で話しかけてくる教師。全員疲れきってその言葉を聞いていたが、エミルだけは違った。
桃色の髪をした愛らしい妖精は、その教師を睨みつけ、
「あ、あんたら生徒を殺す気かぁぁぁあっ!!」
歓声をも上回る大音量で、心からの叫びをエミルが発する。
魂の叫びを発したエミルに、リュータは尊敬のまなざしを向けた。それが自分だけでない事にもすぐに気付く。ほとんどの人間が同じことを考えていたのだろう。だが、はっきりと文句を口にできたのは、エミルだけだった。
他の人間は、もうそれだけの元気がない。いや、アイリだけは体力が残っていたかもしれないが、そんな性格でもない。
全員の気持ちを代弁したエミルの言葉に、肝心の教師はあっはっはっと笑い、
「大丈夫ですよ。安心安全に作りましたからな」
「どこが安全なんだよ!? ダンジョン崩れてきてたでしょーが!」
「いやいや、本格的にぶつかる直前で転移させるように設定していましたし……賞金を取られないよう全滅させる気でいたのに、まさか二組も攻略者が出るとは」
「あんたらって奴はぁぁぁあっ!?」
その絶叫も、教師たちには届かないようではあった。
ほどなくしてダンジョン大会の表彰式が始まる。
リュータにとってさいわいだったのは、表彰台に登らなければならないのが代表者だけということだった。もう一歩も動けそうにない。ゴール地点に座り込んだまま、エミルが表彰台へと飛んでいくのを見送る。
「同着、か」
ぎりぎりまでクオン先輩のほうが先んじていたが、最後の最後でエミルが猛ダッシュをかけ追いついたのである。
「……。くやしい?」
呟いたリュータに、アイリが立ったまま問いかけてきた。表彰台を向いたまま、首を横に振る。
「負けなかっただけで十分だよ。こんな過酷な大会でさ」
クオン先輩に勝ちたくて参加したダンジョン大会ではあった。それでも、いま、身体中が充足感で満たされていた。
リュータは気だるげな心地で、アイリに詫びる。
「ごめん……こんな大会にまきこんで」
視線の先で、妖精が賞金の入った封筒を受け取っている。封筒は妖精には大きすぎたらしく、ふらふらと飛んで、周囲に笑いを提供していた。
アイリはただ一言、当然のように、
「たのしかった」
とだけつぶやいた。
そちらを振り向こうとして、リュータは慌てて視線を表彰台に戻した。インタビューを受けたエミルがいまの気持ちを聞かれて、主催者のばーか、などと大声で叫んでいる。
主催者を含めて、皆が笑っているのだから別に構わないのかもしれないが。
インタビューはクオン先輩に移り、そんなものに興味などあるはずもないエミルが賞金の封筒を両手で抱えたまま、リュータの所へと戻ってきた。
「見ろ、こんなにお金がたくさん! 色んな物が買えるぜ!」
「いや、でもそれは……」
はしゃぐ妖精に、リュータが言いかけるよりも早く。
賞金の入った封筒を、近くにいた少女が手を伸ばして取り上げた。エミルに弁償を迫っていた少女だ。
「あーっ、ずるー!?」
「ずるくないっ。きちんと弁償してもらったからね!」
「うー……っ、あー……」
悲しそうな表情で去っていく封筒を見つめるエミル。
なんだかエミルの様子がとても可哀そうに見えたが、間違いなく彼女の自業自得だろう。逆に、封筒を持って立ち去っていく少女は満足そうだった。いくらだかは分からないが、弁償金額よりも賞金のほうが高かったに違いない。
まあどのみち、エミルがなにを壊したのかも知らないので、リュータには口の挟みようがなかったが。
なんにしろ、せっかく苦労を乗り越えて優勝したものの、その努力の結晶は持っていかれてしまった。これにはさすがのエミルも気を落とすかとリュータには思えた。だが、彼女はどうにか笑い声を絞り出すと、こちらに向かって言ってきた。
「ふっふっふ……。あ、あんなの無くってもあたしの偉業は変わらないぜっ……」
その声に勢いはなかったが。
「このあとの祝勝会で食べまくってやるっ」
「誰が出すんだ、その費用……」
思わず呟くが、じっ、とエミルに見つめられていることに気付いて、リュータは手ではたき落した。祝勝会を開くほどの金の余裕などなかった。そもそも、クオン先輩に勝ってない。
閉会式のアナウンスが響くなか、はたき落された妖精は恨めしげな声を上げた。
「けちーっ、あたしたち親友でしょー。いいじゃん、そのくらいーっ」
「やかましいっ! だいたい親友って、今日会ったばかりだろ」
ノリで喋っているだけだろうと分かってはいたが、リュータは彼女の言葉を否定した。けれども、エミルは舞うように飛びまわりながら、不思議そうに、
「えー? 親友ってのは過ごした時間じゃないと思うけど」
そんなことを妖精に言われて、リュータはデコピンで彼女をはじき飛ばした。面白いようにくるくると回転して、地面に激突する。
「うぎゃっ」
小さな悲鳴。
落ちこぼれのFランクとして蔑まれ、クラスにも親しい友達などいない。そんなリュータにとって、エミルの言葉はどこか照れくさかった。
「はあ。結局、この大会の収穫は、エミルと仲良くなっただけか……」
賞金は名前も知らない少女が回収していった。クオン先輩にも勝てたわけではない。そして、ダンジョン大会でリュータがしたことと言えば他のチームの後ろに隠れていただけだから、女の子にモテようという考えも上手くいかなかったに違いない。
だから。
手に入れたものは、妖精との絆。
「なんだかなぁ……」
「でも」
と、アイリがつぶやく。彼女はうめく妖精を指差した。
「女の子と仲良くなるための、第一歩」
「そりゃそうかも知れないけど、こんなちっこいのと仲良くなっても……」
そこでリュータは言葉を止めた。
自分は女の子と仲良くなりたいなどと、アイリに一言も相談していない。当たり前だ。そんなこと出会ったばかりの女の子に相談できるはずもない。
「な、なんでそのことを……」
「……。広間で」
「広間?」
「つぶやいてた」
言われて、アイリの言葉の意味を考える。ダンジョン大会が始まる前のあの広間のことだろう。あそこの長椅子で自分は考え事をしていて、いつの間にかアイリは目の前に立っていた。
と、いうことは。
「口に、出てた……?」
こくり。
アイリが頷いた。
急速に自分の顔が熱くなっていくのを感じる。そして、リュータはとにかく死にたくなった。
そこは、校舎の二階だった。
魔法映像の光が放課後の教室を照らしだしている。彼女は冷たい窓ガラスに指を這わせながら、ゴールを果たした二チームを、見下ろすように眺めていた。正確に言うならば、栗色の髪の少女、アイリのことを。
窓ガラスを撫でるのとは反対の手で、彼女は首にかけた緑のペンダントに触れる。
「さすがね、アイリ……。まさか誰かと組んでこんな大会に出るなんて予想外だったけど……」
彼女の顔に浮かぶのは微笑。
同じように窓際に寄る年下の子供たち――生徒たちを多少疎ましく思いながら、彼女は誰に聞こえることもない呟きを放つ。
「返してもらわないとね……私の神器を」
なんだか隣のほうから、どうして自分の誘いを断ったのに他の人と出るんだという緑髪の少女のうめき声が聞こえてきたが、とりあえず彼女は無視することにした。