妖精という生き物
入口のど真ん中に落とし穴を開ける大掛かりな罠。更には左右に残った通路の片方さえも罠が仕掛けられているという、念の入れようだった。
もとよりチーム全員が帰還できることなど、ダンジョン大会を主催した教師たちは考えていなかったのだ。何らかの障害は用意されているだろうとリュータは思っていたが、ここまで悪質な罠が配置されているなど予想できるはずもない。
なんとか心を落ち着かせながらリュータが様子を見ていると、左側の通路を進んでいた参加者たちが順調にダンジョンの奥に消えて行き……つんざくような悲鳴が入口まで響いた。そして、少なくない参加者たちが、進むでも罠にかかるでもなく、恐怖によってスタート地点に取り残された。だが、罠の恐ろしさに二の足を踏む参加者が多かったが、それでもこのまま入口で固まっているわけにもいかず、進もうとするとするチームもちらほらと現れ始める。
で、
「なあ、卑怯だと思わないか?」
「あー、いやー、魔法の使えない自分としてはしょうがない手段というか……」
言ってくる上級生の刺々しい言葉に、リュータは苦笑いを浮かべて言い訳する。他チームが積極的に進もうとする後ろを、リュータ達は追うようにして歩いていた。これなら恐ろしい罠があったとして、餌食になるのは自分たちではない。もっとも、先を歩く彼らにしてみればいい気分ではないだろうが。それを承知で、リュータたちは彼らの後に続く。通路は少し下り坂になっていて、間違って上級生たちに追いつかないよう、気をつけなければならなかった。
そのまま歩いていると、
「ん? なんだこりゃ?」
通路の途中でそう呟いたのは、リュータに小言を漏らしていた上級生だった。彼は足を止めて、横の壁を見つめ始める。呼ばれて、残り二人の上級生もその場所に集まった。いつのまに彼らに近寄ったのか、エミルも羽をはばたかせ、上級生たちの上から問題の壁を覗き込んでいる。
「うわっ、ボタンだ!」
その声で初めてエミルの存在に気づいたのか、上級生が邪魔そうな目で頭上の妖精を見つめた。リュータはそれには構わず、上級生の陰に隠れている壁を想像した。なんでもないはずの通路の土壁に、ボタン。
(怪しい、よな……)
押してみたい気持ちにはなるが、見なかったことにするのが無難だ。どうやら上級生たちもそうすることに決めたらしく、呆れたような溜息を吐きながら先へ進もうとする。
「えいっ」
……が、見ぬふりをできない者もいたらしい。
そこには輝くような笑顔のエミル……と、フードをかぶった名も知れぬ上級生の少女が一人。二人の指が同時にボタンへと突き出されていた。
エミルの軽快な声と、さらに輪をかけて軽快な効果音とともに、ボタンが壁の中へと押しこまれる。
そして――遠く、背後の上り坂のほうから、地響きのような音が鳴り響いてくる。リュータは嫌な予感に振り返るが、実際は見ないでも状況が想像できた。
通路をふさぐほどの巨大な岩が。
こちらに向けて下り坂を転がってきていた。
「逃げろぉおおおおおっ!?」
岩の出す轟音に負けぬ、大声。
それを叫んだのは誰だったのか、などと悩む必要はなかった。自分の喉が、張り裂けそうな痛みを訴えている。無意識の内に叫んでいたらしい。逃げることまでは無意識に頼れず、リュータは意識的に足を動かす。
どこまでも続く一本道。当然と言うべきか、足を止めることのできないこの苦行も、どこまでも終わることがない。リュータは誰に言うでもなく他の五人にがなった。
「なにか魔法はないのか!?」
「こんだけ走りながら魔法なんて使えるかっ!」
上級生によって即座に言い返される。確かにこの状況では精神集中どころの騒ぎではない。
どうしようもないかと思われたその時、エミルが叫ぶ。
「見ろ! 脇道があるよ!」
彼女の言う通り走る先には横へ抜ける脇道があった。そこへ飛び込めば巨大な岩も襲ってこないだろう。
だが、
「駄目だ――」
リュータはみんなを止めようと声を出すが、時間は無かった。しかし彼の考えを察したのか……それとも同じ考えにたどり着いていたのか、脇道に逃げ込もうとしている妖精をアイリが無造作に掴んだ。
エミルのくぐもった叫び。妖精を掴んだまま、アイリはリュータの横を追走してくる。
リュータたちが真っすぐ走る中、上級生のチームは脇道に飛び込んでいった。そして、すぐさま聞こえてくる悲鳴。
振り返る余裕もなく走り続ける――と、後ろから大きな音が聞こえた。途端に、リュータは疲労から足をもつれさせるように地面に倒れ込む。恐る恐る振り返ると大きな岩は、徐々に狭くなっていたらしい道につっかえて、その動きを停止していた。
ようやくアイリの手の中から脱出したエミルが、ぷはっと息を吐く。
「ど、どういうことだったの?」
「わ、罠だったんだ……。これ見よがしに脇道を造って、そこに逃げ込ませるための……」
驚いているエミルに、リュータは息も絶え絶えに告げる。それには疲れ切った身体に多大な労力が必要だったが、その甲斐はあったようだった。エミルは感心したように頷いた。
「はー……。凶悪すぎるぜ、このトラップは。よくこんなの気付いたね」
「いや、気付いたのは僕だけじゃないみたいだし……」
そう言って視線をアイリに向けると、彼女は特に疲れた様子もなく無表情に首を傾げ、こちらを見返してきていた。
その様子に、リュータは苦笑するしかない。
(情けないな、僕は……)
女の子が平気な顔をしているのに、こんなに疲れ果てて地面に突っ伏しているなんて。
どうにか身体を起こすと、リュータは壁にもたれかかった。身体を起こしたのは意地のようなものだったが、そこまでだった。日々の運動不足を痛感する。これでも、毎朝歩きで学園まで通っているのだが。他の参加者たちはどうしているのだろう。少数の妖精や亜人種たちはともかく、運動不足の魔法使い達がこの激しい運動に耐えられるものだろうか。もしかしたら、普通の魔法使いたちはもっとひどい有様なのかもしれない。かといって、アイリの平然とした様子からするに、やはり自分が体力のないだけかもしれなかったが。
しばらくして、リュータはゆっくりと立ち上がった。
アイリは黙ったまま、こちらの体力が回復するのを待ってくれていたらしい。色々考えながら休んでいると、だいぶ楽になってきた。
一番騒がしそうなエミルは、と言えば……先ほど転がってきた大きな球状の岩と、通路の隅の間に生まれた隙間に潜り込んで遊んでいた。確かに身体の小さいエミルなら入り込めないことはないが、そもそも罠は人間しか想定していないのかもしれない。落とし穴など宙に浮く妖精が落ちる訳はないし、その後の突き出す棒もよほど運が悪くなければ妖精にはぶつからないだろう。
わずかな隙間からにゅっと足だけ出ている光景を、リュータはじっと見つめた。エミルはこの競技で、一番有利な立場にいるのかもしれない。
(いや、あの身体でどうやって宝石を運ぶのか、ってことかもしれないけど)
小さな妖精の姿が完全に巨岩の向こうに消える。
彼女に聞こえるように少し大きめの声で、リュータは呼びかけた。
「おーい、変なことするなよ。待たせて悪かったけどそろそろ行くから――」
だが、その言葉を言い終わる前に、興奮した様子でエミルが帰ってくる。
彼女は腕を大きく広げながら自分の見た光景を語る。
「すごかったぜ。あの脇道に槍が突き出してるの、槍っ!」
「や、槍?」
「そうそうっ。一緒にいた奴ら、あれにやられたんだと思うんだけど、影も形もないんだよ。きっと魔法で飛ばされたんだろうね!」
どこか興奮したようなエミルの言葉に、リュータは素直に納得した。
いくら罠といっても、学校主催の大会にすぎないのだから、何らかの安全対策が施されていて当然だろう。致命傷と思える打撃を受けそうになった時、定められた場所に転移させられるのか。もちろんそうなれば、その人物は失格として扱われるに違いない。
「そんなこと、事前に説明されなかった気がするけどな……」
主催陣に文句を言うように、リュータはつぶやく。
ともあれ、そんなことを考えていても仕方ないのだろう。
「はぁ……、いこうか」
「んー? おうっ!」
快活に応えてくる妖精ほどに元気は出なかったが、幾分か楽になってきた足に力を込める。そして何事もなかったかのように、アイリはてくてくとついてくるのだった。
行く手には、薄暗い通路が再び続く。
ところどころに松明が配置されていたが、その数は多くない。遠くのほうに赤い炎の灯りがぼんやりと見えたが、こちらの足元までとどいてはいなかった。先ほどまで一緒にいた上級生たちは魔法で明かりを作っていたが、いまはただ、エミルの周りに浮かんだ光の粒だけがうっすらと地面を照らしている。
先頭のエミルはやたら騒がしく喋っていて、うんざりとした気分でリュータは通路を進んだ。けっこうな距離を進んだのだと思う。
そして、
「…………!」
道が開けた。
いくつもの通路が、その場所につながっているようだった。別の通路から同じくたどり着いた他チームと、はち合わせる。
「うおぅっ、いきなりでてくんな!?」
びっくりしたようにエミルが言う。
彼らも驚いた様子でリュータ達を見たが、すぐに視線を空間の奥へと移した。それにつられるようにしてリュータ達もその空間を観察する。
通路と比べて明らかに広いその空間は、何本もの松明で明るく照らされていた。壁は相変わらず土や石を押し固めたように造られていたが、他よりもなめらかに整えられて見えた。
そして、空間の奥には石の台座があり、そこにきらきらと輝く宝石が置かれている――。
「――宝石だ!」
気づいたのは他チームとほぼ同時だった。だが、いち早く動いたエミルが先行する。置かれている宝石は一つだけ。先に奪わなければゴールできなくなる。
しかし、心配する余地もないほどに速く、エミルは音を置き去りにして一直線に飛行する。走り始めたリュータも含めて全員、誰もそれに追いつけない。
(いや、待て……っ)
今までのことを思い出す。ダンジョン。罠。宝石が置かれるこの場所に、罠がないわけがない。
「きゃああああああああ!?」
エミルの悲鳴。
突然、真横の壁に穴が開き、周囲のものの吸引を始める。小さな妖精は必死に羽を動かして、飲み込まれまいと抗っていた。穴の中では鉄でできた口が開閉を繰り返し、穴に飲み込まれたものを噛み砕こうと耳障りな音を響かせている――もっとも、実際には噛まれる前に安全装置が働いて、魔法で転送されるのだろうが。
他チームとは横一列、どちらが先に宝石にたどり着くか分からなかった。当然、誰が宝石を持ち帰ってもかまわないのだから、エミルのことは無視する他にない。
罠に飲み込まれても危険はないのだから。
「たーすけろー!?」
無視。
優勝するためにはしかたないことだ。
だが、心に小さなとげが刺さっていた。そのとげがなんなのかはわからないが、それがそのまま、心の心臓とでも言うべき場所を貫こうとしている嫌な感覚。なにかを忘れている気がするのに、それを思い出せない。
だが、なにか大事なことであったはず――。
「……罠は、妖精を想定してない」
声に、リュータは足を止めた。競り合っていたチームが、エミルのかかった罠を避けながら走り去っていく。
今の言葉は、自分が無意識に呟いたのだろうか。なんにしろ、それによってはっきりと思い出した。
罠が妖精を想定していないのは構わない。だが想定していないなら、安全装置が妖精を転移させるかどうか、分からなくなってしまう。もし魔法が働かなければエミルはあの鉄の口の餌食になるだろう。
徐々に後ろへと引っ張られていくエミル。あわてて駆け寄ると、リュータは必死に手を伸ばした。なかなか手が届かないことが、苛立ちを誘う。もしかしたら馬鹿な真似をしているのかもしれない。妖精だから危ないかも、などという変な予感を信じたせいで、優勝を投げ捨てているのかもしれない。
だがこの行動に後悔はなかった。
早くエミルを助けなければ。
「…………っ」
届いた。エミルの小さな手をぎゅっと右手で握り締める。
その場から退避しようとしたが、想像以上の吸い込む力に抵抗されて、リュータはうめき声を上げた。どうにか地面に踏ん張るものの、そのまま後ろにさがれるとは思えなかった。諦めそうになる心をどうにか押さえていると、急に、左手を強い力で掴まれる。リュータはエミルの手を握り締めたまま、一気に後ろへと引っ張られた。そして、吸引力の圏内から逃れる。
地面に倒れたリュータを、アイリが無表情で覗きこんでいた。彼女が左手を引っ張ってくれたらしい。
「うー、あー、死ぬかと思ったぜ……」
リュータと同じにぐったりした様子で地面に転がりながら、エミルが呟いた。それから彼女は、リュータやアイリのほうに顔を向けると、何度か躊躇するように口を開閉してから、
「その……あ、ありがと」
と小さく言った。
恥ずかしくなったのか目を逸らすと、そのままエミルは視線を台座のほうに移した。そして、疲れた顔を悔しそうに歪める。
「ああ、宝石が取られるー……」
「しょうがないさ……。ここまで来れただけでも頑張ったほうだ」
リュータがそう慰めても、彼女はまだなにかを言いたげだった。自分が罠に引っ掛かった後ろめたさからなのか、結局なにも言ってこなかったが。
もう一つのチームは宝石へ目前まで迫っていた。罠にかかることもなく、順調に進んでいく。今となっては、その姿を、ただ黙って見ていることしかできない。
優勝はしたかった。だが、自分が選んでこの結果になったのだから、文句を言うわけにはいかなかった。いや、そもそも諦めるのが早すぎるのかもしれない。可能性に過ぎないが、宝石がこの場所にしかないとは限らないのだ。他にも同じような台座があるのではないか。
どちらかと言えばそれは、自分への慰めのようなものだった。リュータ自身、自覚はあった。そして、他のチームが台座までたどり着く。
地面に転がったままで、リュータは悔しさに唇をかみしめる。エミルは遅々とした動きで宙に浮かぶと、リュータの肩あたりに腰を下ろしてきた。
他チームの一人が、輝きを放つその宝石に手を伸ばす。リュータはそれを絶望に染まった表情で見た。
そして、その指が宝石に。
触れた瞬間、宝石が爆発四散し、手にした生徒たちを吹き飛ばした。
「ふ、ふざけんなぁあああ!?」
リュータは思わず叫んだ。それはエミルも同様ではあった。
気づけば、アイリも半眼になってその光景を見つめている。落ち着いていた彼女まで無表情を崩すと、もうどうしようもないのではないかという気分になってくる。
吹き飛ばされた生徒たちは、急に地面に開いた穴へ飲みこまれていった。あの爆発を受けて彼らは無事なのか気になるところではあったが、とにかく台座の宝石は偽物だったらしい。
宝石自体が罠なのだと、誰が思うだろう。
「い、いや。前向きに考えよう……まだチャンスはあるってことだ」
言ってみるが、説得力はどこにもなかった。エミルはどこか疲れ切った表情でリュータの話を聞いている。
そして、それ以上に話すだけの体力は、リュータにも残されていなかった。それでも、優勝するためには、また歩きだすしかない……。