うごめく悪魔たち
深く暗い――闇の底。それは夜の最果て。
たとえ射し込むのがわずかな光であったとしても、それに困る生命は存在しない。この闇の中にあるのは、光を必要としないものたちだった。
しかしそんな闇でさえ、今だけは明るく、まばゆい。
重さの影響しないその空間に浮かぶ少女の両手の間に、明るい色から暗い色まで、様々な彩りの光がうねるようにして球体を作っていた。
薄く笑いを浮かべながらその光を見つめる少女の傍らに、女がひとり。つまらなそうに目元を歪ませている。
「最近、楽しそうねぇ。……ふん、金色吸血鬼はひとまず、危機を脱したのかしら」
「それによって予定の進行は遅くなった……ふふっ、それを一番喜んでいるのはあなたじゃないの」
冷たく言い返されて、女は不満げに顔をしかめた。その女の態度を気に留めず、少女は自らの作りだした光へと集中し続ける。
そのことは気付いているのだろうが、女は話しを続けてきた。無視されても、それでもどうしようもないほどに、退屈を持て余している。例え約束の日が近くとも。
「捧げられる供物は増えつつあるわぁ。金色吸血鬼がどうなろうとも……時間はけっして、わたしの敵にはならない。活発化した悪魔たちの動きによって、状況に対応するように私の力も増大しつつあるものねぇ。あの女に、感謝しなければならないのかしらぁ……くくくっ」
「せいぜい、その女の力も増していることを忘れないようになさい。油断すれば、また敵わずに逃げ帰るのがオチよ」
やや嘆息を交えて、女へと忠告を口にする。
そのことに、女は不思議そうに首を傾げたようだった。そのまま疑問を語りかけてくる。
「おかしいわねぇ……? あなたなら、油断したところを嘲笑うのがせいぜいと思っていたけれど……どういう心変わりかしらぁ」
「あら、心配してあげているのよ。つまらないことで露払いが消えてしまわないかとね」
少女が発した嘲笑の言葉に、女が鼻を鳴らし、頭を振って長い髪が揺れた。
けれども重さのないこの空間にあって、それでも乱れた髪はゆったりと元の整いへと戻っていった。望めば息が白く吐かれ、たとえば動かずとも身体が漂うように、願うだけでそれは叶う。
「弱りゆくあなたに、身の程を教えてあげても構わないけれどぉ……」
間延びした中に、険しさを含んだ声音。
振り向かずとも、女が目つきを鋭くしたのが感じられた。
「いったい、それはなんのなのかしらぁ?」
集まり束ねられ、さらに増えてゆく光。幾重にも紡がれる神秘。それを指して、女が問う。
そして、少女は嘲りの笑みを深めた。
女は本当に気付いていないに違いない。自らもかつて、同じことを行ったはずだというのに。それを理解するだけの知恵もない。
「そうね、特別に答えてあげる。あなたにそんなつもりはないでしょうけれど、あなたがここにいてくれるからあの女の干渉を気にせず、私はこの子に集中していられる」
「この子……?」
困惑の色を深める女へと、少女は告げる。
「約束の日、世界滅亡の日へ向けて。これはね。ふふっ、気に入るかしら。最新にして最高の――精霊よ」
一説によれば悪魔というのは魔界に巣食う。そして、魔界を統治する魔王たちの下僕であるのだという。しかし魔王のもとから離れて活動する悪魔もないわけではないし、魔界でなくこの世界に根差す悪魔も見ることができる。結局のところ、悪魔の生態というのは、人間や獣人たちにとって、少なくとも賢セウコルス国家連盟に名を連ねる国々の間では、解明されていないと言っていい。
しかし、それでも理解できることはある。悪魔たちが魔界を離れ活動する理由や、魔王の支配から離れていかなる行動原理を持っているかは分からずとも、大事なことだけは理解できてしまう。
つまり。
悪魔たちは大抵が、人間を襲う。たとえば人肉を食らい、あるいは無意味な殺戮に興じ愉悦の笑みをこぼす。
力なき者たちはその悪意の影に怯えることしかできない。
「…………」
漆黒の翼、そして口からのぞく長い牙。細長く開いた両目は濁っていて、耳がわずかにとがっている。細い四肢は黒い光沢を見せていて、尾が鞭のようにしなっていた。
それは悪魔だった。
いくつか確認されている悪魔の種類の中でも、頻繁に報告されている種類である。
その悪魔たちが群れをつくり、家々に閉じこもる人間たちを襲おうと奇声をあげる姿を見下ろしながら、彼女は愛用の黒マフラーを自らの首に巻き付けた。
石造りの、粗末な民家の屋根の上。
彼女は高らかに声を響かせる。
「そこまでだ、低級悪魔どもっ!」
突然の声に異形の生物は動きを止め、そしてざわめきもなくこちらを振り向いてくる。そして、忌々しいことに口を開き、言葉を発した。
「なにもの、だ……おまえたちはぁ……」
しわがれたその声に、彼女は苛立ち紛れに鼻を鳴らす。
そして、手にはめた黒手袋を確かめつつ答える。
「D1。デモンズハンター……第一号っ」
その彼女の言葉に続くようにして、真横に立つ少女が落ちついた声音で名乗りをあげる。
「同じくD2。デモンズハンター、第二号」
しん、と静まり返った夕闇の街並みの中で、ぐぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ、という悪魔たちの奇声が響き渡り、そして殺戮が始まった。
彼女は軽く屋根の縁を蹴るようにして飛び降りると、そのタイミングを狙って放たれてきた悪魔たちの電撃の魔法を、宙を蹴って方向を変え、容易にかわす。そのまま空中で、彼女は虚空へと袈裟斬りのように手刀を放った。手刀から巻き起こる衝撃波に斬り飛ばされた、悪魔たちの腕や胴が舞う。
着地の間際、殺到してくる炎に彼女は笑みを浮かべた。黒い手袋のはめられた両手をそれぞれ勢いよく突き出すと、敵の魔法を受け流すようにはじきとばす。
瞬間、周りの地面や悪魔が凍りつき、彼女は相方の少女の魔法の技に感嘆の声を漏らした。そのまま感心に浸ったまま残った悪魔を無視するわけにもいかず、彼女は頭上から飛びかかってきた悪魔に身を引いて避け、渾身の力で拳を打ち付ける。打突点から破裂した悪魔には目もくれず、次の相手へ。手当たり次第になぎ倒していく。
そして。
動く者はなく、悪魔たちの死骸がその場に残った。その死骸もやがて黒い靄となり、どこへともなく消えていくことだろう。
自らの無事も悪魔たちの撃破にもさほど喜びの表情を見せず、彼女はあたりを見回しながらつぶやいた。
「最近動きが活発化してやがるな。悪魔たちがこれほどの数で、それもどうどうと行動を起こすなんて……。けっ、うざったいったらない。あたしたちの妹も無事だといいけどな」
「離れて三日しか経ってないわよ。それに、ラクシスは案外、平和な国でしょう」
冷静に答えてくる自らの相方、つまりは双子の妹の言葉を聞きながら、彼女は西方へと顔を向ける。
故郷ラクシスへ残してきた末の妹への不安は、やがて聞こえてきた、閉じこもっていた人々の安堵の歓声によって掻き消されていった。
放課後。リュータは取り囲まれていた。
今まで嘲笑の対象にされ嫌がらせも何度か受けていたが、こうも直接的にクラスメートに取り囲まれることは初めてで、思わずつばを飲み込む。
なにか、こちらから声を出すべきか。そもそもこの緊張感の中で声が出るのかはいまいち分からなかったが、教室の壁を背に、彼は自分を取り囲むクラスメートたちを見回した。確信は持てないが、どうやら怒っている様子ではない。が、興奮している。
最前列の真ん中に立つ、大柄な男は分かりやすかった。この集団のまとめ役で、いつもクラスでは目立っているほうだ。その彼は、興奮を隠し落ち着きを装うとしているものの、それを隠しきれないでいる。
結局、リュータが恐怖と疑問でぐるぐると思考を巡らし対応を決めかねる間に、その真ん中の男が口を開いた。
「昨日、お……お前と会っていた女は誰だ?」
「へ……?」
言われて、さっと考える。まさかエミルではないだろう。とすれば、アイリのことか。
しかし、相手は続けて言ってくる。
「すっとぼけるんじゃない。金髪の女と一緒にいたな?」
その言葉にリュータは、げ、と吐き出しそうになった。
間違いなく、問いただされようとしているのはファーミエル・デア・ラークシェスタのことだった。だが、どうしてこの国を造った偉大な人物と一緒にいたかなど、答えようがない。そして万が一答えられたとしても今より面倒なことになるのは目に見えていた。
クラスメートの圧力から逃れるように視線をそらして上に向けると……手のひらサイズの少女がいた。
「やっほー、親友。なにやってんだ、こいつら。親友なんか取り囲んでさ」
桃色の髪に、黄色い花の衣装。可愛らしい顔の中で、くっきりとした二つの眼がこちらを見下ろしている。
その妖精を見上げて、リュータは聞き返した。
「なにやってんのさ、エミル」
「んー、せっかくいいことを思いついたからさ、親友を呼びにきたんだけど」
「エミルのいいことってろくなことがないと思う……」
リュータが心の底から言葉を吐き出すと、エミルは顔をしかめた。
「ぬ、失敬な奴だぜ。ところで親友、こいつら吹っ飛ばしてもいいの?」
「だめに決まってるだろ!?」
物騒なことを言うエミルに叫び返す。
と、彼女はリュータの顔の前に降りてきた。全員が彼女を見つめる中、彼女は周囲の人間に向き直ると気負いもせずに手をパタパタと振った。
「しっしっ、邪魔だからあっち行きな。通れないぜ」
「話を聞くまでは通すわけにはいかねぇよ」
言ってきたのは真ん中の大男である。
だが、エミルはあっさりしたものだった。
「あの吸血鬼のこと?」
「や、やっぱりかっ。じゃああれはファーミエルさまなんだな……!? なんで、こんな奴と一緒にいたんだ」
男は妖精に目を向けたまま、その太い指でリュータのことを指してくる。
エミルは笑顔を見せた。
「ふっふっふ、よくぞ聞いた! なんと親友、あの吸血鬼と出会いがしらに喧嘩を売って、紆余曲折の血みどろの戦いの後で友情が芽生えたんだぜ!」
「そんな冗談はいい。本当のことはどうなんだよ」
たちまち機嫌を悪くした男に対し、リュータはとりあえずつぶやいた。
「あながち嘘とも言い切れないような……主に戦ったのはエミルだけど」
その時はファーミエルと共闘したのであって、敵はどこぞの秘密結社だったが。
「ふふん、血みどろになったのは主に親友だけだったぜ。保健室運び込まれてさ」
「うぅ……」
エミルに言われ、リュータは情けない気持ちでわずかにうなだれた。
うめいてから顔を上げると、エミルが凶悪そうな顔で周囲を見回していた。
「さーて、答えたし道を開けてもらうぜ。これ以上親友にかかわったら、これからどんな恐ろしいことに巻き込まれるか……」
彼女の言葉を真に受けて、クラスメイトがざっ、と道を開けた。その道の中を、エミルを先頭にのろのろと進んでいく。
道を開けた中に隣の席の女子がいて、困ったような笑みをこちらに向けていた。
もしかしたら今回のことで、嫌がらせは減るかもしれない。だが、いっそう教室には自分の居場所がなくなるのではないかと、リュータは嘆息した。
校舎を出て、学園の中を歩いていく。
「どこ行くつもりなんだ?」
「んー、行けばわかるけど……うむ、プールで女子観察だぜっ」
「あほかお前は!?」
思いもしなかった言葉に即座に怒鳴り声をあげる。
「えー、なんだよ親友。ノリが悪いぜっ」
「なんでお前はそんな男子みたいなこと……ん?」
ふと、問いかける。
「そういえば、エミルって女なのか男なのか、どっちだっけ」
「いや、魔力で構成されてる集合体にそんなこと言われても……まあ、あたしの気分次第なんじゃないかな」
こくり、と首をかしげて微笑みを浮かべるそのさまは、ひどく可愛らしい様子だったが。花の咲いたような愛らしさのエミルから、直視することができずに視線をそらす。
「んにゃ、どうしたのさ、親友?」
「い、いや、なんでもない……。で、なんでプール?」
「親友に会わせたい知り合いが……まあ知り合ったばっかなんだけど、向こうの魔技師の区画にいるんだよね。ちょうどプール近いし」
そこまで聞いて、リュータは吹き出した。
「こ、断るっ」
「まあまあ、そんなこと言わずに。いいじゃんかプールぐらい」
「プールに女子見に行くのはともかく、魔法技術師科は嫌だっ」
「んん? どして?」
問い返されて、リュータは唇を軽く噛んだ。ぷかぷかと浮かぶ妖精のほうは見ないようにしつつ、言葉を口に出す。
「知り合いが、いや、友達がいるっていうか……」
「……? なおさらいいことじゃん。ほら、さっさと行こうぜ」
「気まずい別れ方したのに、どんな顔して再会したらいいのかわかんないんだよ。向こうは、僕のことをまだ友達と思ってくれてるかもわからないのに」
「とりあえず」
その言葉に、リュータもエミルも無言。
「プールまで、行ってみれば」
「おう、そこまでなら親友もへーきなはずだしね」
うんうんとうなずいて、エミルがアイリの言葉に同意した。
そして、いつの間にか後ろについてきていたらしいアイリは、うろんげな瞳で見つめられて不思議そうに小柄な体をわずかに震わせ、短い栗色の髪を揺らした。
授業がまだ終わっていなかったため一度エミルを追い返したアイリは、授業が終わるなり、さっさと身支度を整えると、教室を出て行った。その際、こちらに向けられたクラスメートの瞳に映る蔑みも恐怖も、もはや慣れたものである。決してクラスメートと仲良くなることはできないが、読心魔法に手を出した以上仕方のないことなのだろう。
アイリは前もって話を聞いていた通り、エミルの言っていたプールへと足を向けかけたが、授業が終わってからそれほど時間が経っていないことに気付いた。
もしかしたら、あの妖精は、教室からリュータを連れ出している最中かもしれない。そう思って、彼女はリュータやエミル通りそうな道へと向かった。
(……?)
そして、今、なぜだかその二人から、力ない眼差しを投げかけられていた。
エミルが、大きく息を吐いてから言ってくる。
「いつの間に後ろにいたんだよ?」
「ついさっき」
「全然気づかなかったけど……ほんとびっくりしたぜっ」
その場を飛び回りながら大げさに言うエミルへ、リュータは再び歩き始めながら、うろんげな瞳をそのまま移動させた。
「妖精自慢の特殊聴覚とやらはどうしたのさ……」
「聞こえたり聞こえなかったりするからこその特殊聴覚だぜっ」
妖精は、なぜだか自慢げにそんなことを言ったりしているが。
『そりゃ、集中してなかったし、あちこちうるさかったら聞こえないって!』
などと内心思っているようだった。
その特殊聴覚とやらに制約があるのは、それほど意外なことでもない。
魔法と多種族の肉体機能を同じに考えるのはいけないかもしれないが、アイリの使っている読心魔法にも欠点はある。その時相手が考えている以上のことは読み取れないことや、うまく読み取ろうとするならはっきりと相手を意識しなければならないことなどがそうだ。一度に多人数の心を読むのには向かない。
たとえそれでも、読心魔法が、恐ろしい能力であるのには違いなかったが。
この読心魔法が自分から他者を遠のけているとはいえ、便利な能力ではある。だが最近、困っていることもあった。
(大丈夫……のはず)
エミルであれば心を読むことに苦労はない。が、アイリはちらりと、リュータへと視線を向けた。
もし彼が不埒なことを考えていたら、どうしようか。
他の女の子のことに関して、えっちな考えを持っているのなら、それは別段困らないのだが、自分のことであったらと思うと心を覗くのに躊躇が出る。
そもそもこんなことで悩むようになったのは、目の前の妖精が、アイリの身体をイメージすることを魔法の訓練法として提案したからなのだが。荒唐無稽ならまだしも、理屈は一応筋が通っているのだから否定もできない。
(困った……)
そもそも、歩きながら、しかも他人と話をしながら女子に対して妄想していることもないだろう。
そして、アイリが意を決して、心を読もうとした瞬間だった。
「あ」
リュータの声に、アイリはぎくりと一瞬動きを止めた。もちろん、自分の動揺などわずかにも外へは出さないが。
「プールはあれかな」
「おうっ。最近魔法で作ったらしいけど、去年より大きいよね」
「どちらかというと、なんで春も中頃にプールなんか作ってるのか不思議だけど。」
「いいじゃん、親友だって女の子の水着姿、早めに見られて喜んでるんだから」
軽い調子で言いながら、妖精がふわふわとプールへと飛んで行った。
地面をそのままくりぬいた形で作られている穴に、水を入れてプールにしている。毎年行われていることではあるが、先日行われたダンジョン大会の地下迷宮を作る手間を考えると、大したことではないのだろう。
水着の人々は大勢と言わないまでも、プールの中や周辺に並べられた石畳の上でそれなりにたむろっている。
それを見たリュータの第一声。
「おお、そうか……女子ばかりじゃないんだよな」
「……」
アイリがなんとも言えない気持ちでリュータを眺めていると、プールで泳いでいた女子から悲鳴が上がった。どうやら足が攣ったらしい。暴れて水しぶきを上げる女子に対し、周囲は助けようにもどうすればいいのか困惑している。
だが。
気にする間もなく、リュータが水の中に飛び込んでいった。
アイリの近くへ戻ってきていた妖精が一言。
「親友って泳げんのかな」
「……、さあ」
小首をかしげる。
それでも、しかし、アイリはつぶやいた。
「服着たままは、泳げないと思う」
「うなっ。か、考えなしだ!?」
「でも、彼の長所、だと思う」
普通はなにも考えずに、人を助けに行けるものではないだろう。そういうところは嫌いではない。
ざぱん。と音を立てて、おぼれていた女子と、リュータの体が水中から浮き上がった。アイリの行使した、物体移動の魔法が、二人の体を持ち上げたのである。
妖精がぽつり。
「周囲の混乱とか親友の勇気とか、全部無駄にする冷静な判断力だよな……」
そんな言葉を聞きながら、すとん、と目の前の地面に二人を降ろす。リュータは咳き込んでいるが、調子を取り戻したらしい女子が、こちらを見て怯えた様子で言ってくる。
「あなたは、だいま……。あ、ありがと」
彼女の言葉に、アイリはわずかにこくんとうなずいてやった。それから視線をリュータのほうへ向けると、女子は逃げ去るようにして走って行った。
隣ではエミルが、なんだあいつ、とつぶやいていたが、アイリ自身はその答えをすでに分かっていた。
あの女子は、読心魔法の使い手であるアイリの悪名を知っていたのだ。
女子を助けようとしておぼれ、結局アイリに助けられるはめになったリュータを遠くから眺めて、ファーミエルはこらえきれずに笑っていた。
「くっくくくくっ、ぷっ、あは、あはははは」
「笑いすぎですよ」
校舎の二階、笑い続けるファーミエルの傍らに控えながら、しかめ面でそう言ってきたのはマリナだった。
アイリの姉である彼女は、この学園の年若き教師でもある。
「だってな……くくくっ」
「ほんっとにあなたは。大体、学校を真昼間から出歩いて……。いいですか、私は悪魔について話があるっていうからわざわざ来たんですよ?」
「わざわざってお前な……よくも私にそんな口を利けるな。それに、私は歩きたいときに歩きたいところを歩くさ」
今までは、特に必要も興味もなかったから外出しなかっただけである。別に騒動を嫌ってのことではない。これだけ笑えたのだから、出歩いた価値はあっただろう。
ファーミエルはどうにか笑いを抑えて、本題を話し始めた。
「ふぅ。こないだ、各地に設置した探知機に悪魔の存在が引っ掛かった話はしたな。複数……それも強大な力を持った奴だと推測されてると」
「……はい。だから、その悪魔たちの狙いを探ろうと」
「いいや。なあ、マリナよ。悪魔とはなんだ?」
漠然とした問いではある。
マリナも困惑したようだった。
「それは……魔の世界に巣食う悪なる生物、人間の敵でしょう」
「ああ。そしてただの獣ではなく知性を持って、あえていうなら精霊や妖精に近く思える。必要あれば魔法を用い、主人の指揮下であれば群れることもある」
「……つまり」
「そう、悪魔は組織になりうる。悪魔の反応は最近感知されたもの。マリナ」
一息吐いて、若き教師の瞳を見据え、彼女は問う。
「秘密結社、フォールダストとは、なんだ?」
窓もなく光が通ることのない暗い一室。
部屋の両側には蝋燭がわずかに灯り、大きな異形の影を映している。それは人の姿に似て、決して人ではない。
たたずむその異形へと、暗がりの中、椅子に座る男が話しかけた。
「将軍」
しわがれた、しかし力強い声。
「計画の進行はどうなっている」
「神器の収集は滞りなく進んでおります。しかし、要の神器はいまだ発見できず」
一瞬、異形は男への恐怖に負け、身じろぎをした。
しかし、男はそれを無視して言葉をかけてくる。
「電子精霊のさらなる横やりを入れさせるわけにはいかん。将軍、最終作戦のエネルギーは蓄えられつつある。至急、要の神器を手に入れるのだ。我らフォールダストの最終目標……世界滅亡の日。金色の夜は目の前まで迫っている」