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助けますか、助けませんか

「我々は悪の秘密結社――フォールダスト。天より堕ちる塵。さすがに聞いたことはあるだろう?」

 言ってきたのは、男女二人組の男の方。

 そちらを見ながら、少女はなんとも言えない気の抜けた表情を浮かべた。

「自分で悪の秘密結社とか……聞きしにまさるアホだな。どうして秘密結社なのに名前が広まってるのか不思議だったんだが。なあ、お前らよ。間違いなく本当にアホだろう」

「なんだとこらっ!?」

「あたしまでアホの仲間に入れるんじゃないッ!?」

 それらの怒りの声を聞き流しながら少女は、ファーミエルは周囲を確認した。

 煉瓦造りの、まるで屋敷のように立派な図書館の裏手。エイルーク魔法学園の端にあるそこは、今みたいに時間が遅くなれば、図書館自体が閉館されることもあって誰も寄り付かなくなる。

 そのことを考えれば、二人組がこの場所で声をかけてきたというのも妥当なのだろう。騒ぎにでもなればファーミエルにとっても二人組にとっても不都合にしかならない。

 とはいえ、不意を突いて襲ってこなかった理由は理解できなかったが。

「だいたいな、こんな新興国家を我が組織は重視してる訳じゃない。神器がさほどあるようには思えないからな」

「お前らがアホだってことに対する言い訳は、まだまだ続くのか?」

「……ちっ。細かい話は抜きだ。お前は神器を所持しているはず……それをよこしな」

「私が……? なんの話だ?」

 ファーミエルは戸惑った表情を浮かべて、男女を交互に見やった。すると、男の方がわずかに眉根を寄せた。正確に神器の存在を把握しているというわけではないらしい。

 なんにしろ、自分が所持する神器、『ロードウォーカー』は渡すわけにはいかなかった。それは電子精霊との誓いの証なのだから。

「……くだらないごまかしはするものじゃないわ。あたしたちには、ブレがあるとはいえ神器の魔力の形跡を感知する魔法道具がある」

「だから、なんの話だ。だいたい神器は魔力じゃなく未知の……そう、一般には神の力だなどと呼ばれているもので動いているんだろうに」

「その力を感知できるのよ。どうしても渡せないと言うなら、あなたを殺してその後で探し」

 ズンッ――!

 女の言葉が終わるのを待たずして、ファーミエルの発生させた金色の三角錐が相手を貫いた。

「……。誰を殺すって?」

「もちろん、あなたよ」

 腹部に大穴を開けたその女は、平然と答えてきた。そのことに、ファーミエルの中で動揺が広がった。じわじわと女の傷は癒え始めている。人間はおろか、吸血鬼でもそれだけの傷を負って平然とはしていられないだろうに。

 目の前の相手は、なにかがおかしかった。

 見た限りでは、男女は精霊や妖精の類には見えない。なら、あれだけの大穴が開いて平気でいられる理由はどこにあるのか。そして、敵は魔法を使わずして傷を癒そうとしている。それができる種族ということ。

(いや、違うのか……? こいつらは多数の神器を所持しているはず。もしかしたらその中に、傷をものともしない種類が……)

 このまま戦うべきか、それとも撤退するべきか。

 ファーミエルがそれを判断する前に、男はふところからアクセサリーを取り出した。暮れかけた夕陽にきらめく、銀の十字架。

「不思議がってるんだろう……? どうしてこの女が平気そうな顔してるのか。別に神器を使ってる訳じゃない……神器ってのは、こういうもんだ」

 十字架を握った男の手が、前へと突き出される。

 そのことに対してファーミエルが身構える暇もなかった。

「――闇に生きるものよ。仇なす汝に自由は無く」

 その瞬間、銀色の光が視界に広がっていった。


 放課後になってけっこうな時間がたち、すでに生徒は帰る時間だった。

 怪我から意識を取り戻したリュータは、フクロウ人間である保健室の先生の言いつけで、放課後になるまで一日中寝て過ごしていた。放課後になりベッドから起きて歩こうとして、体がよろめいたことが驚きだった。

 そんな日の帰り道。リュータの目の前では、スクールカバンの上に同じカバンが乗せられ、ぷかぷかと二つとも宙に浮かんでいる。それは飛行魔法を使ったもので、飛行しているカバンの上に魔法のかかっていないカバンを乗っけているのである。

 カバンをわざわざ手に持つ必要もない。魔法とは本当に便利なものだと、リュータは思う。

 とはいえ、魔法の使えないリュータは今のところ、羨ましがることしかできないのだが。

「まー、なんにしてもさ。無事に治ってよかったよな親友」

 そう言ってきたのは、カバンで魔法を浮かせている手のひら大の妖精、エミル。浮かんでいるのはリュータとアイリのカバンであって、エミル自身はカバンを持ってきていなかった。それで普段、どうやって授業を受けているのかは分からないが。

「怪我が直ったのは良かったし、エミルたちには感謝してるんだけど……なんか最近おかしいような」

「おかしいって、なにが?」

 歩きながら悩むリュータの顔の前をうろちょろとしながら、エミルが訊ねてくる。

 そんな妖精に、リュータは納得がいかないというように表情を歪ませた。

「だって、この一週間ぐらいで、秘密結社に遭遇したりダンジョン大会に参加することになったりあげく吸血鬼に出会ったり。今までそんな騒動に巻き込まれたことなんか無かったのにさ」

 思い返すようなリュータに、エミルはけろりと。

「でもあたしの周りはこれまで、いっつも騒動ばっかりだったぜ?」

「それはお前が騒動を起こしてるんじゃないのか……?」

 疑いの眼差しでリュータは妖精を見やる。肝心の妖精は気にしたふうもなく、歩くこちらに合わせてぷかぷかとついてきながら、人差し指を立ててみせた。

「ま、親友の気にしすぎだって。人生そんな時もあるってことさ」

 なかなかに適当なアドバイスだった。

 そんなリュータの思いを感じ取ったのか、エミルは黄色い花びらを集めたようなスカートをひらひらと揺らしながら、軽やかに言い足してくる。

「つまりあれだよ、親友。危ないことには近づくなってことだ」

「思いつきで話してるだろ……。前回真っ先に危険に飛び込んでいったのはお前だし……」

 呆れたリュータに、エミルは胸を張って。

「ふっふっふ、あたしの危機回避能力をなめちゃいけないぜっ。妖精特有の特殊聴覚で異常を感知し、どの妖精よりも速いスピードでどんな苦情からも逃げ切るのだっ」

「逃げるなよ苦情から!? まったく、他の人間にとったらお前が危機の元凶じゃないか……」

 やはりこの妖精はろくなものではない。それでも無理に追い払わず一緒にいるのは、お互い友達が少ないからに他ならないのだろう。

 なんにしろ、リュータがいくら言ってもエミルは気にもしないのだと、彼はそう思っていたのだが。

 この小さな妖精は意外にもあごに手を当て、悩み始めた。

「逃げってばっかじゃまずいのかな……でもなぁ……うーん」

「え、エミルがまともなことを……?」

「最近面倒な奴らが多いしなぁ……いちいち追いかけられるのもたしかにうざったいよーな……」

「あのな……」

 期待した自分が馬鹿だったと思いながら、リュータはがっくり肩を落とした。

「まあ、いいや……エミルの言う通り、考えてもしかないのかもな。騒動ばっかり起きるのはなにか理由があるのかもしれないけど、悩んでも分かるわけじゃないし……」

「そうそ、考えることなら他にあるしな。親友の明日の実験とかさ」

「…………実験?」

 不思議なことを聞かされて、リュータは妖精を見つめた。

 桃色の髪をしたそのお気楽な妖精は、こともなげに言ってくる。

「おう、リュータの担任のセンセが、明日はエントウ草の実験になるから準備して持って来いって」

「……えーと、言ってたの?」

 リュータは思わず足を止めて振り返り、無表情のまま会話に参加してこなかったアイリに訊ねた。

 彼女は無感情に首を横に振る。

「……私は聞いてない」

 二人の視線が妖精に集中した。

 けれど、それで動じるエミルでもない。彼女は自分が浮かべているカバンに腰を下ろした。

「ああ。あたし今日の昼、親友に持ってく花を探してたらセンセに出くわしてさ。うん、しっかり伝えたぜっ」

「エントウ草の実験って、草を用意しなくちゃいけなかったような……」

「……たしか、そう。明日の購買は、お昼から」

 遠い目をしたリュータのつぶやきに、アイリが同意する。先生の性格を考えるに、明日の午前中に実験をやるから今日の朝に言っておいたのだろう。

 ふう、とリュータは一息吐いた。それから唐突にエミルの乗っているカバンを揺らし始める。

「どーするんだよ!? 間に合わないじゃないかっ」

 リュータは魔法を使わないでもできる実験がたまにあるから、実験の授業だけは好きだった。というより、明日の実験は魔法を使わなくてもできるから、先生がわざわざ伝言してくれたのだろう。

 エミルは縦に横に揺られて慌てながら、それでも答えてくる。

「いや待て親友っ、えーと……ほら確か、エントウ草ならでっかい煉瓦の建物の近くにも生えてたしっ」

「学園の建物はほとんど煉瓦造り模してるじゃないかっ!」

 リュータは頭痛を感じながら叫び返した。

 すると横から、アイリが淡々と言ってくる。

「……図書館は、たしか本当の煉瓦造り」

「聞いたか親友っ、図書館、図書館だって。つまんなそうで建物の中には入んなかったけど」

 なぜか誇らしげな顔をする妖精から目を逸らし、リュータはただただ無言でたたずむ少女を向いた。

 わずかに目線を下げて礼を言う。

「ありがとう、アイリ。助かったよ」

「ん……。別に、いい」

 彼女は控えめに答えてきた。

 と、無視された形になった妖精がカバンから身を乗り出して抗議をしだす。

「ちょっと、なんで感謝の言葉はあたしじゃないんだよ!? 伝言を伝えたのもエントウ草の場所教えたのもあたしだぜっ」

「ああ、うん、ありがと」

「おうっ、それでよしっ」

 単純なこの妖精はそれだけで満足したらしかった。

 実際はエミルが先生と出会いさえしなければ、先生自身が保健室に知らせに来てくれただろうから、今回の問題もなかったに違いない。

 だが、リュータは別段、わざわざ本当のことを告げて妖精の機嫌を損なう必要もないだろうと結論付けた。

 特に親しい友人がいないため、見舞いに花を持ってきてくれたのはなかなか嬉しかった。

「それじゃ、先行っててくれ。ちょっとエントウ草を取ってくるから」

 そういってリュータは校舎へ続く方向に足を向ける。

 と、背中から声を掛けられる。

「ちょっと、一緒に行くって親友っ」

「いいから。別に走ればすぐに……うん、まあ、たぶん」

 リュータは言葉を濁しながら、駆け出そうと足を速めた。肩越しに妖精やアイリを見ながら、手をひらひらさせる。

 そして、了解した、ということなのだろう。

 アイリがこちらに向けて片手を上げた。

 二人には走ればすぐだと言ったものの、校舎から校門への長い道を半ばまで辿りつこうかというところだったので、案外図書館への道は遠いものだった。

 とりあえず校舎まで戻ってきたところで、ふと気付く。

(あれ……、エミルに取りに行ってもらった方が効率的だったんじゃ?)

 自分の実験材料を誰かに取りに行ってもらうのは気が引けるが、相手はその気になれば自分の四、五倍は軽く追い抜くスピードで飛行する妖精である。エミルに頼んでいればもうすでにエントウ草を手に入れているどころか一往復して戻ってきているかもしれない。

(いっそここから呼んでみて、取りに行ってもらうかな……。妖精特有の特殊聴覚がどうのとか言ってたし……聞こえるのかも)

 リュータはなんだか無性にむなしくなり、疲れてきたこともあって走るのをやめ、とぼとぼ歩き始めた。

(ん……?)

 しばらくして図書館にたどり着くと、彼は建物の裏手から銀色のまばゆい光が放たれ、辺りの木々を照らしていることに気付いた。

 その不思議な光に魅せられるようにして、抑えきれない興味をひかれたリュータはゆっくりと近づいて行った。光がまぶしくなるにつれて、リュータの耳に何人かの声が聞こえてくる。

 ただ、頭のいかれた魔法使い達が怪しい儀式をやっているという可能性も捨てきれず、こっそりと建物の影から裏手を覗く。

(……!)

 そこには昨日――実際には三日ほど前――に見た、金色の髪をした吸血鬼の少女が、銀色の光の中で二人の男女と対峙していた。だが、少女の焦ったような表情とは対照的に、男女は余裕の笑みを浮かべている。

 良く見れば、不自然な体勢で少女の動きは止まっていた。

 どうやら男の手から放たれている銀色の光が、吸血鬼の少女の動きを封じているらしい。

「『かくなりきは我が信仰なり』。それがこの神器の名。お前のような闇から生まれた者たちを無力化させる神器さ。くく」

 神器。

 ものによっては国宝として扱われているくらい、希少な存在である。強大な力を持ったその神秘のアイテムは、決してそう簡単にお目にかかれるものではない。

 だが、彼が見たのは、この一週間で二つ。

(そうだ……あの二人組。たしか段差を飛び越えて、アイリを追って行った奴らだ……)

 それはつまり、リュータ自身を瀕死の重傷に追い込んだ相手ということになる。もっとも、リュータに重傷を負わせたのは、吸血鬼の少女も同じだったが。

 だが問題は、その二人組が神器を狙っている秘密結社の一味だと、アイリの姉から聞かされたことだ。

 状況は分からないが、誰かを呼んだ方がいいのかもしれない。

「あなたの神器はもちろん手に入れるけどね……あたしはあなた自身が欲しい。ねえ、吸血鬼。敵わないのは、充分に分ったでしょう……。だから、我が組織に入りなさい。あたしたちは滅びた世界の上に理想の楽園を作り上げる。それはきっと、あなたも気に入る世界でしょう?」

 吸血鬼の少女へと向けられた、女の甘い甘い誘惑。

 けれどもそれは、少女の心を揺らしたりはしなかった。

「いつだって私は正義さ。……世界滅亡をもくろんでいるというのなら、なおさら仲間になどなれるものか」

「はぁ? 面白いことを言うものね、悪人ランキング238位。あなたが正義?」

「どっかの誰かに悪事を働かないなんて約束していらい、すっかり順位もさがるばっかりだけどな」

 苦り切った少女の声。

 状況は良く分からないが、交渉は上手くいかなかったらしい。となれば危ないのは少女だった。

 それを証明するように、女が前へ進み出る。

「もし協力できないなら……残念ね。やはりあなたを殺さないと」

(誰か……呼ばないと……)

 けれどもそれが間に合うはずがない。吸血鬼の少女は、死ぬ。自分はそれを見ていることしかできない。

 きっと、そう、自分以外の誰かなら。たとえば学園で最高の魔法使いであるクオン先輩なら、迷わずさっそうと飛び出して行って、あの二人組を叩きのめすだろう。そしてまた皆の羨望の眼差しを集めるのだろう。

(……いやだよ。僕は死にたくない)

 自分は、最低位のFランクなのだ。ただ少し魔法の知識があるだけの、一般人と変わりない。

 この状況でできることなんて無い。

 だからなにもしなくても仕方がないのだと、リュータは自分に言い聞かせた。

(帰ろう……なにもなかったことにすれば、それでいいじゃないか)

 嫌なものから目を背けるように視線を逸らし、それから天を仰いだ。もう陽が落ちていると言って過言ではない暗い空に、わずかな星の輝き。

 ――そして、綺麗にきらめく流れ星。

 リュータはその光景に、ふと、アイリと出会った夜を思い出した。

 女の子にモテたいと、流れ星に願ったあの夜。自分はアイリをかばって、死ぬような体験をした。けれども偶然に自分は生きていて、このままなにもせずに、なにもできずに死んでいくのは嫌だと、強く思ったのだ。

 決意というものは簡単に薄れる。たとえば時間の経過によって。

(あの子は、ファーミエルは、吸血鬼は……僕を殺そうとした相手だ)

 だが、それでも一度は気になると、可愛いと、リュータが好意を告げた相手なのだ。

 殺されかけたことも、今出ていけば殺されそうなことも、どちらも関係ない。それらは自分自身に対する言い訳に過ぎなかった。

 ここで逃げたのならば。一週間以上前の自分と、傍にいてくれる都合のいい女の子を求めていただけの自分と、なにも変わりはしない……!

「う、あああああああああああああぁあああああああッ!!」

 リュータは大声を上げて走りはじめた。

 ぎょっとして吸血鬼の少女や二人組がこちらを向く。狙うべきは男の持つ銀の十字架。それを目掛けて、リュータはがむしゃらに手を伸ばす。

 だが、遠くから叫んで走り出したこともあり、男は既に余裕を取り戻していた。男の回し蹴りをわき腹に受け、地面に転がる。ちょうど吸血鬼少女の足元だった。

 手足の動かないらしいその少女が、顔だけリュータに向けた。

「なあ、お前。なにしに……きたんだ?」

「いや、その……助けに……」

 その結果が彼女の足元に倒れているのでは、まったく格好はつかないが。

 痛みをこらえ、どうにかリュータが立ち上がろうとしていると、前方から男の嘲笑が聞こえてくる。

「おいおい、あんときのガキかよ。前回死にかけてこりなかったってのか? それとも死にたがりかよ……?」

「……こ、怖いさ」

「あん?」

 不思議がる男を見据え、リュータは叫ぶ。

「し、死ぬことは怖いさっ。でも、そのために……なにもしないまま生き続けて行くなんてもっと嫌だ! ここで逃げ出したら、僕は絶対に後悔する……!」

「お前は……」

 吸血鬼の少女の呟きが耳に聞こえた。だが、振り返るわけにはいかない。

 足に力を込め、リュータは立ち上がる。もう一度走り出すために。もう一度、相手に立ち向かうために。

 それを見た男が、馬鹿にしたように顔を歪めた。

「さっきので敵わないってわからなかったのかよ。だいたい、向かってくる時に声なんか上げてるようじゃな」

「そんなの、決まってるっ……!」

 精一杯、声を張り上げる。

 そして意を決し、リュータはふたたび走り出した。

「今までの僕とは違うから……親友っ、だからだぁああ!!」

 不安が無かったと言えば、それは嘘になる。

 だが、しかし、

「そのとおりだぜ、親友っ――!!」

 響くのは、エミルの声。

 男の注意がリュータに向いているその隙をついて、紫の閃光が瞬いた。エミルの放ったするどい電撃は正確に男の手を撃ち抜き、その指から銀の十字架がこぼれる。

 その妖精は魔力で構成された自分の身体を拡散させ、見えづらくして辺りに潜んでいたらしい。

 彼女はリュータがわざわざ上げた大声を、特殊聴覚とやらでしっかりと聞き付け、駆け付けてくれていた。

「ぐぅっ……」

 男が慌てて銀の十字架を拾い直そうとする。だが、既に走り出していたリュータもその神器を掴むために手を伸ばしていた。

 どちらが早いかで状況は決まる。

 が、もう少しでリュータの右手が届こうかという時、その手を男に踏みつけられた。響く鈍い音。

 視界が歪む。

 それでも逆の左手を伸ばそうとするが、

(間に合わない……っ)

 しかし。

 心の中で悲鳴を上げた瞬間、金色の三角錐が十字架を貫いた。リュータが呆然と砕けた三角錐を見ていると、金色のもやのようなもので無理やり身体が後ろへ引き戻される。そのまま彼はその場にへたり込んだ。

「神器に力を封じられていなければ、こんなものだな。……まだ続けるか?」

 戒めからとかれた吸血鬼の少女が、淡々と二人組に問うた。

 彼らはじりじりと後ろへ下がりながらも、女の方が言ってきた。

「これで勝ったと思うんじゃないよ。あたしたちにはまだ」

「……神器がある。神器『ファーテウーゼ』の爆発なら、不意を突けば吸血鬼を殺すことも可能」

 聞こえてきた新たな声に、小さな吸血鬼は目付きを鋭くした。

「ほう……」

 これでは不意を突くこともできない。

 女は振り返ると、歩み寄ってきたアイリを睨みつけた。

「あの時の小娘……! 邪魔しようっていうの……なんのためにっ」

「……もちろん、嫌がらせ」

 直接的な恨みだったらしい。アイリは彼らに殺されかけた経験があるのだから。

 二人組の判断は瞬時だった。男の方が一瞬でふところから丸い球を取り出すと、青白い光が二人組をつつむ。

 次の瞬間には、彼らの姿は無くなっていた。

 吸血鬼の少女が舌打ちする。

「ちっ、神器で逃げたか。追うのは無理……いや、マリナの妹。どこへ行ったのか分かるか?」

「……西のエントート。でも、本拠地を気づかれないための中継地点。……妹?」

 訊かれたアイリが、意味のわからないことを答えている。

 確かにエントートという土地は西に存在するが、リュータには今の一瞬で、アイリが二人組の行方を理解できた理由がわからなかった。

 けれどもふと感じるものがあって、リュータは片目を細めた。改めて考えてみれば、アイリは他人の知らないようなことを理解していることが、なぜだか多い気がする。これ以上は考えても分からないが、それでもアイリになにか秘密があるのかもしれなかった。

 なんにしろ、吸血鬼の少女は納得したらしい。

「そうか……前もって準備していたか。まあいい。十字架の神器は潰したから、しばらくはこちらに手を出せまい。その間に対策を考えないと……」

「……姉を、知ってる?」

 吸血鬼の先ほどの言葉が気になっていたらしい。

 アイリが無表情のまま、疑問を口にする。

 悩むように地面を睨みつけていた吸血鬼は、そちらに視線を向け。

「……お前の姉はいやでも目立つしな。それに先日の件で、妹の友達になにしたんだって苦情がどれだけ来たことか。いいかげん抗議の電話をやめるようにそっちから言っといてくれ」

「……。わかった」

 それだけ話すとアイリはもう興味を失ったのか、隅の方に移動してしまった。エミルはいつの間にか、どこからともなく現れた光の群れに混じって戯れている。どうやら騒ぎを聞きつけてやってきた他の妖精たちらしい。

「なあ」

 その呼びかけの声は静かに響いた。振り向けば、吸血鬼の少女の涼やかな眼差しがこちらを見つめている。

 優しい風に吹かれながら、ゆっくりとリュータは立ちあがった。

 木々の枝や葉が揺れるように、少女の金色の髪がなびいている。

「なんのために助けにきた。お前を殺しかけた相手だろう」

「う……。でも、その、一度好意を告げた相手なんだ。見ぬふりはできないよ」

「……ふん。つまらん考えやこだわりは、もっと大切なものを失うだけさ」

 どこか自嘲するように、少女は悲しげに笑った。

 夜の空に星々が輝き、月光が小さな吸血鬼をやわらかく照らしている。何度の夜、幾程の月が彼女を照らしたのか、その過ぎていった過去の中で彼女がなにを経験してきたのか。それは一生、リュータには知ることができないに違いない。

 そして。

「なあ、せっかくだから……お前を噛んでやってもいいぞ」

 ぽつりと呟かれたその言葉に。

 リュータはぎょっとして身構えた。けれども、少女には無理やり噛もうという気持ちは無いらしい。

 彼女はその場で静かに佇んで、こちらの様子を窺うだけだ。

 緊張した筋肉を弛緩させながら、リュータはおずおずと答えた。

「い、いや。怖いから、その……やめとく」

「そうか……。ふん、馬鹿だな。もったいない」

 吸血鬼は笑った。

 それから彼女は、リュータの顔からわずかに視線を落とし、

「別にいいさ……噛むのはお前でなくてもな。あとそれと、……ちっ、右手は癒しておいたから安心しろ」

 言われてみれば、男に踏みぬかれたはずの右手にまったく痛みを感じない。だが、いつの間に彼女は手を癒してくれたのだろう。

 そして、吸血鬼の少女は踵を返した。なんの感慨もなさそうに、乱立する林の中へと消えていく。

 ただ、最後に。

「電子精霊が持っていた『ピュアハート』と同じ……同化型か。気に食わんな……」

 そんな、意味のわからないことを言い置いて。

 吸血鬼の少女は夜闇に消えるように去って行った。

「んじゃ、親友。帰ろうぜっ」

「うおっ!?」

 いつの間にか近寄っていた妖精に、リュータは驚きの声を上げた。どこからか集まっていた光の群れも、もうすでに消え去っている。

 離れたところでなにかをしていたアイリに声をかけて、リュータ達は再び帰路に着いた。道の途中、彼はカバンの上であぐらをかく妖精に視線を向け、

「なあ……エミル。今回は助かったよ」

「んー? ふふん、親友だもんなっ! ……結局、危ないことには近づいたみたいだけど」

 そう言われるとリュータも、うなだれるしかない。ただ保健室で安静にしていただけの今日も、騒動に巻き込まれてしまったわけだ。

 が、エミルはそんなことに興味はないのか、カバンからぷかりと浮いてアイリの手元を覗いていた。

「アイリー、なに持ってんの?」

 宙に浮く妖精に呼ばれたアイリは、わずかに顔を上げた。

「ん……エントウ草」

 その言葉に。

 リュータとエミルは押し黙るしかなかった。すっかりエントウ草のことなど忘れていたのだ。

 それをきちんと覚えている辺り、さすがアイリだという気もする。

(なんだかな……)

 リュータは自分の情けなさに、心の中でため息をついた。

 しっかりしなければ。これから、もっと頑張っていかなければならないのだから。今日のことで自分は……もう一度、後悔しない生き方をするための決意を固めることができた。

 今度こそ、その決意を忘れない。

 夜空を見上げれば、輝く星々がある。そこに流れ星は見えないけれど。

 それでも。

(そう、僕は…………女の子にモテたいっ!)

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