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昔々の話 たとえば子供の時

 鏡に映るのは金色の髪をした少女だった。

 それが明らかに自分の姿だったことに、ファーミエル・デア・ラークシェスタは驚愕した。



「なぁ、母よ。吸血鬼から生まれた子供というのは、やはり吸血鬼なのか?」

「まあ、ファミったら。うふふ、おませさんね」

 おませさんじゃないだろうとファーミエルは思ったが、母は答えてくれる気はないらしい。母が答えないと決めたのであれば、何度質問しても無駄だろう。

 彼女は隠す気もなく嘆息した。

「なぁ、母よ。父はいつ城に戻ってきていたのだ?」

「お父さんは自由な人だから。きっと自由な時に帰ってきたのよ」

「そろそろ会話を諦めてもいいか……?」

 うんざりとした口調で告げる。

 すると、母は驚いた表情をして、両手で頬を抑えた。

「まぁ! そろそろ反抗期かしら。成長するって素晴らしいわ……!」

「…………」

(もういやだ……)

 ため息を口のなかで噛み殺して、仕方なく会話を諦める。母の反応はいちいちズレているように思えてならなかった。いつも話がかみ合わない。もっとも、これでも多少は慣れてきたほうではあったが。

 ここはとある城の一室だった。

 アウソロート山脈の中腹にそびえる巨城、デファルトバーン。賢セウコルス国家連盟――通常は単に国家連盟と呼ばれる――の配布している世界地図が一番正確で世間に広まっていると信用するのであれば、この城は中央地域のやや北側に位置することになる。

 いつも黒雲によって薄暗く覆われたこの城は、人型のみならず獣を含んだ魔の眷属たちの巣窟だった。動く骸骨や魔界から来た悪魔、二つ首の番犬に、邪悪なエネルギー集合体など。多種多様な生命――もっとも死してなお現世に留まる存在も非常に多い――が集まるこの城で王として君臨するのは、強大な力を持った一人の吸血鬼だった。その吸血鬼とは、

(わが母の、夫)

 それはつまり、ファーミエルの父親ということに他ならなかった。

 巨大な城のなかでも最上級といっていいこの豪奢な部屋は、ファーミエルや母の寝室だった。

 鏡台の前に座り、母に髪を梳いてもらっている。意識すれば、母の香りすら感じることができた。かみ合わない会話さえ別にすれば、ファーミエルにとって、この時間は嫌いなものではない。

 母の手が、ファーミエルの艶やかな黒髪に触れている。母が優しい手つきで髪を梳いてくれるのを、彼女は鏡ごしに見つめた。

 腰まで届くその髪はファーミエルにとって、ささやかな誇りだった。

 母と同じ、漆黒の髪。それは自分が母の娘だという証だった。

(でも、本当に……?)

 たとえば、端整な顔立ち。似ているだろうか。ファーミエルは自問した。

 母は性格の割に美しいが、自分は美貌のなかにも可愛らしさを残している。それが自らの幼さゆえの差異だと、どうして言えよう。

(吸血鬼の子は吸血鬼なのか。血を吸われた人間は吸血鬼と変わるのか。吸血鬼は、どのように子孫を残すのか……)

 ファーミエルは自問する。

 自分は父と母によって産まれたのか。幼少のころに牙を突きたてられ吸血鬼へと変えられ、それを長い時間のなかで忘れているだけではないのか。

 残念だが、この問題の答えを両親は教えてくれない。

 それだけは間違いなく自分の幼さ故なのだろう。両親が過保護なのは、とうに分かっていたことだった。

(いつか大人に……でも、そのいつかはどれほど遠いのだ?)

 考えていると、母が手を止めて声を掛けてくる。

「……。うふふ、さあ、おしまいよ? そろそろ夕食に向かいましょう。お父さんが待ってるわ」

「構わんが。この服装でか……?」

「あら、ファミによく似合ってるのに」

 寝巻だった。ピンクでヒラヒラの。布は透けそうなほどに薄い。

 さすがに母が着ているものは大人びているが、やはり寝るための服だった。

「大丈夫よ。お父さんは気にしたりしないから」

「まあ、いいけど……」

 どうせ、母などの突飛な行動に、すでに侍女も専属料理人も慣れているのだ。

 そしてもちろん。寝巻で人前に出る恥ずかしさなど、ファーミエルは気にもしなかった。


 テーブルクロスの敷かれた円い食卓に、料理が侍女たちによって次々と運ばれていく。

 その食卓の席に座っているのは豊かな口髭を生やした、明らかに貴族然とした風貌の、中年の男だった。彼の鍛えられた筋肉によって、着ている服が盛り上がっている。

 この城の主である父だった。

「あら、あなた。お帰りなさい。元気そうで嬉しいわ」

 帰っているのが分かっていたのだから、あら、じゃないだろうに。そう思いながらもファーミエルは母を無視して、無言で席に着く。

 つっこんでいたらきりがない。

 つつっと王に近寄ってぎゅ~っと抱き付いた母に、父は頬を緩ませ顔を母の胸に押し付けた。

「お前こそ元気そうで何よりだなぁっ。おお……っ、妻に愛されて私はなんと幸せなのだろう……!」

 大げさだった。

 そんな夫婦のいちゃいちゃする光景になど興味はなく、侍女を呼んでキャラメルソースを持ってこさせる。

 と、父がそんなファーミエルへと向いて、さらに相好を崩した

「ファミ、父さんだぞっ。父さんだぞうっ」

(いや、知ってるよ)

 自分を指差しながら言ってくる父に、思わず心のなかで呟く。そんな彼女の心の内など知るはずもなく、母などは彼の首に腕をまわしてにこにこと微笑んでいた。

「さびしかっただろうっ? ちゃんと帰ってきたからなあっ。戦いも終わったし、これからはしっかり遊んでやるからなあ! そして聞いて驚け、父さん、悪人ランキング284位だっ」

「……父よ。毎回聞いている気もするが、その悪人ランキングというのは本当にすごいのか……?」

「ふふはははははぁーっはっはー!! もちろんだとも我が娘よ! なにせ魔界の魔王たちを含めたなかで284番目の悪い人なのだからっ! 崇めたてまつれ愚民どもぉ!!」

 調子に乗った父が周囲に言い放ち、侍女や料理人が全力で拍手をする。全力で拍手をしなければならないくらいなのだから、284位とはすごいのかもしれない。こんな父に付き合わなければならない使用人たちも大変だろう。

(だが……魔王とはすごいのか?)

 魔王を含めたなかで284位。それをすごいというのだから、魔王というのはとてもすごいものなのだろう。

 だが。一歩も城から出たことのないファーミエルは、残念なことに、魔王というものに会ったことがなかった。

 魔王がすごいのかどうか分からない。

「……なぁ、父よ。数多の魔族を従える父は魔王ではないのか?」

「むぅ? ……ファミよ。魔王とは数限られた地位であり、称号なのだ。魔王から受け継がなければ魔王にはなることができない。私は、この国に存在する魔のものたちを率いているだけの、ただの王なのだ」

 珍しく、真剣なまなざしで父は語ってきた。もっとも母はその豹変についていけなかったらしくきょとんとしていたが。

 ファーミエルは父をじっと見つめ返し、それから虚しくなってため息をついた。

「広いな。世界は」

「ふふん。その広い世界でにひゃくはちじゅうよぉおん位ッ! 崇めたてまつれ愚民どもよぉ!!」

(……しつこい)

 両手を広げて父が高笑いを続ける。

 冷ややかな視線でファーミエルは父を見た。その視線に気付いたのかどうか――おそらくは気付かなかっただろう――、父はこちらを向かずに言ってきた。

「ファミもこぉのっ! 私の娘なのだから! 悪いことをたくさんするのだぞぅっ!!」

 その喋り方はさすがに鬱陶しいと感じずにはいられない。

 そして、

(悪事を積極的に推奨する親というのは、どうなんだ?)

 吸血鬼なのだからこれが普通なのかもしれないが。こんなことを考えてしまう自分はやはり変なのかと、ファーミエルは多少不安になって舌打ちした。

 それにしても、このあいだ父の大事にしていた盆栽を叩き壊したとき、もの凄く怒られたが、行うのは同じような悪事で構わないのだろうか。

 まあ、ともかく、

「どうだ? ファミ? なにか新しい悪いことでも考えているかっ?」

「心配しなくても、とびっきりの悪事を考えてあるから期待しているといい」

 声をひそめるわけでもないのに内緒話のような雰囲気で訊ねてくる父に、彼女は素っ気なく答えると、自分の口周りを舌で舐めとって席から立ち上がった。

 たいへんおいしいキャラメルソースの味が、口のなかにふたたび広がっていった。


 目を輝かせながら次なる悪事について訊ねてくる母をなだめすかし、歯磨きをして顔を水で洗った後、ファーミエルはベッドに横たわった。吸血鬼は流れる水が嫌いだなどと、いったい誰が言ったのだろう。

 同じ部屋で寝る母はベッドに入ってもしつこく質問してきていたが、そんな母もいつのまにか熟睡である。その様子を見て、彼女はため息をついた。

 それから数時間、ベッドに横たわったままじっとしている。あらかじめ寝ていたために、今はそれほど眠くはなかった。

(誰も、広い世界について私に教えてくれない)

 静かだった。

 たった二人きりの寝室。母の寝息すら聞こえてこない。考え事をするには、ちょうどいい。目の前には、穏やかに眠る母の横顔があった。

(……なぁ、母よ。いつか私は知らないことを教えてもらう日が来るのか? そのいつかはどれだけ先の話になるのだ?)

 本で調べても限界があり、誰に聞いても教えてくれない。

(吸血鬼がどうして誕生するのか。それを教えてくれないのは、私が母たちの子ではないからなのか? それとも、あとで教えようと思っているだけなのか?)

 両親のことは好きだったし、同時に嫌いでもあった。自分を大切にしてくれていることが、ファーミエルにも分かっていた。けれど、彼らとはどこか、感覚が合わない。

 ――その些細なずれが、どうしても気に入らなかった。

(いつか……それらも納得して受け入れることができる日が、くるのかな)

 毛布を脇にどけると、床に足の裏をつけた。絨毯が敷かれているため冷たくもない。ベッドに腰掛けている状態で、自分の名を呼ぶ母の寝言が聞こえ、ファーミエルはそちらをむいて、優しく微笑んだ。

「さようなら、母よ」

 そして、静かに立ちあがる。

 あらかじめベッドの下に用意していた外套を羽織ると、彼女はそっと部屋から出た。複雑な通路を通って、城の中庭へと歩く。中庭に着くまで一人の使用人にも出会わなかった。

 中庭にある城壁に沿って造られた花壇は、綺麗な花と毒々しい花がいり混じって混沌としていた。いつもなら気にしない花々だが、今宵はファーミエルもまじまじと見入ってしまう。

 と、ふいに、横から声をかけられた。

「眠れないのですかな、お嬢様」

「……ガーバトンか」

 そこにいたのは――もしくはあったのは――雄々しい獅子の石像だった。たてがみまで緻密に造られているその石像は、魔法によって生命を与えられ、生きていた。

 自在に城を行き来する頼もしい番犬のようなものだ。もっとも、犬などと呼んだら、誇り高い獅子である彼は怒るだろうが。

「珍しい夜ですから、目も冴えるというものでしょうなぁ……。いえ、高貴なる吸血鬼の方々の性質を理解しているというわけではありませんが」

「ん、珍しい……?」

 問い返す。ただし、ガーバトンの言葉の後半は聞かないことにした。多様な種族が生きるこの城で、気をつけなければならない常識の一つというだけだ。

 獅子は、その石の首をぐるりと傾げてこちらを見ると、不思議そうな声を漏らした。

「おや、違うのですか……。空を御覧なさい。この地には珍しく、わずかに星が輝いている」

 その言葉に、ファーミエルは言われたままに空を見上げた。そして彼女は小さく口を開ける。

 ガーバトンの言うとおりだった。厚い黒雲に多少切れ目が入り、隙間から夜空の星の光が覗いている。

(まあ、昼でなくて良かった……)

 陽が射し込めば、嫌でも城は大騒ぎになるだろう。魔に属するものは陽光を嫌う者も多い。もっとも、ファーミエルら吸血鬼はその程度で慌てるような脆弱な種ではないが。

「まるで、なにかが起こりそうな夜ですな」

「なにか……?」

 視線は夜空へ向けたまま、ガーバトンの言った言葉を疑問として呟く。

 彼はもったいぶるでもなく、答えてきた。

「この地に限らずとも、星は不思議な力を持つと伝えられております。有名なところでは流れ星に願いを唱えるとその願いがかなう、などというのがありますが……。どうです、この地にあって星が見えるというのは、それだけで神秘的に感じられるではありませんか」

「……ああ、そうだな」

 ファーミエルは素直に同意した。

 今、この時。夜空に浮かぶ星は、まるで自分を祝福しているかのようだった。ファーミエルはすっと手を伸ばし、人差し指で星を指した。

 透き通る声で囁く。

「――私はあの星に誓おう。これから私は色々なことを学び、力を得て、いつか偉大な王として君臨してみせると」

「おぉ。それは、ご立派な決心で……」

 ガーバトンが言おうとしたのが世辞だったのかどうかはわからなかったが、その時、ファーミエルの指し示していた夜空の星が煌めいた。彼女はぱちくりと瞬きする。

「……え?」

「おお、流れましたのう」

「いや、流れ星ってそんなもんじゃないだろう……。 というか、誓った途端に星が落ちるって、不吉じゃないか?」

 まるで、そんな誓いはお前には果たせないと、星に告げられたかのようだ。思わず彼女は肩をすくめてしまう。

 しかし、ガーバトンの見解は違ったらしい。

「星がお嬢様の決意に感銘を受けたのでしょう」

「うーむ……。釈然としないが」

「この世に不思議でないものなどありませんよ」

「いや、そういう哲学的なことではなく……」

 ガーバトンは急に流れた星について、全く気にしないようだった。たしかに考えても答えの出ない疑問ではあるが、それでも気になって仕方ない。

 が、考えている時間もなかった。

 ファーミエルは息を吐く。余計なことに気を取られた、自分の心を落ち着けるために。

(この夜空を見て、誰かが騒ぎだしても面倒だ……)

 自然体のまま気力を整え、意識を集中する。そして、脳裏に緻密な魔法の構成を思い描いた。

 魔法には、大まかに分けて三段階の手順がある。

 つまり――回路の構成。魔力の注入。魔法の発動。

(魔法を行使する上で他者に認識されるのは、魔法回路の構成と魔力の注入だけ。脳裏に描いたイメージや発動した魔法は、物理現象に影響しない限り視認されることはない……)

 回路の構成が早ければ、それだけ相手に気付かれずに魔法を発動できる。

 にこりと笑って、彼女は石像の獅子を見た。彼は一瞬だけ恐れおののいた様子を見せたが、それはファーミエルが笑みを浮かべたせいらしい。なんとも失礼なことではある。

 だが、

(……魔法を構成しようとしていることに気づかれてはいない)

 魔法が魔法として効果を発揮するための回路。魔力の通り道。その通り道自体が魔力で作られている。

 回路は魔法的な視覚を鍛えた者なら――つまりは一般的な魔法訓練を受けたことがあれば――誰でも見ることができた。相手の魔法構成を見て、防御用の魔法を組むこともできる。

 だが実際に回路を構成するのではなく、頭に描いただけなら、誰にも気取られることはない。

 通常、魔法回路は目で見ながら呪文によって自分の精神を誘導し、構成していくものだが、それらをせずに回路を構成することも不可能ではなかった。もちろん回路を頭のなかだけですべてイメージするのは容易なことではない……が、

(……成功すれば相手の意表を突くことができる)

 強く息を吸い、気合を入れる。

 瞬間、脳内にイメージした魔法回路を、意識して目の前に構成する。出来上がった回路が間違っていなことを確認しながら、瞬時に魔力を注ぎ込む。

 突如現れた魔法の構成に対して、驚愕の表情を浮かべる彼に、彼女は魔法を発動させながら優しく囁いた。

「大丈夫……眠ってもらうだけさ」

 薄い紫色のもやが石像を覆うと、獅子はそのままぴくりとも動かなくなった。そっと彼のたてがみを撫でると、彼女は視線を城壁の上へと向けた。

 ふたたび意識を集中し、今度こそ呪文を、定められた文言を唱える。

「――ように、ここにある我が身は軽く」

 背伸びをするように足裏にかるく力を入れると、そのまま身体は宙に浮き、城壁の上へと静かに着地した。

 吹く風は冷たく、空気には湿り気が混じっている。

 見渡す山々の影は暗く、それがどこまでも続いていた。しかし、昔読んだ本によれば、その先には暗雲のない陽のあたる世界があるのだという。

 きっとそこには、自分の欲するものが、得るべき知識が、待っているはずだ。

「星への誓いを果たせるようになった時、いつか必ず戻ってこよう……その日までさよならだ。わが故郷、魔の眷属たちの城、デファルトバーンよ」

 夕食中に父は言った。悪事をたくさん働けと。そう言われたファーミエルの働く最初の悪事が家出なのだと知ったら、父はどんな顔をするのだろう。

 そんなことを思いながら――彼女は城壁から身を躍らせた。

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