エリートサラリーマン★さとうとしお
〇〇県××市に本社を構える【すこぶる商事】は今急成長を遂げている注目株の中小企業だ。
オフィスの電話は常に鳴り続け、オペレーターは休む暇無く電話対応に追われている。営業マンは顧客の元を行ったり来たりでデスクには殆ど居らず、オペレーター組とは対極的に極めて静かな光景であった。
そんな静かなデスクが並ぶ先に、ポツンと一人黙々とデスクワークを熟す青年が居た。彼の名は【佐藤敏夫】と言い年齢は働き盛りの33歳である。座右の銘は『果報は寝て待て』……はっきり言って冴えない怠け者社員である。
「佐藤君、君は今日は出掛けないのか?」
「……今日はこっちの日なので……」
と営業部長の催促さえもソリティアをしていたパソコンを指差しスルーする始末。営業部長は軽く溜息を漏らし佐藤から目を背けた。
「……ま、君には期待してないからいいけどね」
「…………」
佐藤はわざと聞こえるように営業部長が漏らした声にも馬耳東風で涼しい顔をした。
お昼前、各顧客との打ち合わせを終えた営業マン達が続々と帰ってくる。お昼を食べながら午前の資料を纏めたり、次の打ち合わせの準備をしたりする。遠方へ出掛ける営業マンは帰ってこない事も多々ある。
そんな戦場の様なオフィスの中、営業マンの一人である田中が妙に暗い顔をして佐藤の元へと近寄る…………
「すまん佐藤……」
「……ん?」
田中は佐藤と同い年で、一昨年結婚し新居まで構えた幸せ絶頂の営業マン。そしてすこぶる商事でNo.1の営業成績を誇っていた!……が、どうやら今回、何かしでかしたみたいだ。
「コレを見てくれ……」
「…………」
差し出されたクリアファイルを右手に取り、左手にはオニギリを持ちモグモグと食べながらクリアファイルから書類を取り出した。
―――モグモグ
佐藤は入っていた見積書と契約書、それから請求書に目を通し噛み終えたオニギリを飲み込んだ。
「請け負った仕事量に対して請求書の値段が低すぎるな。そして既に判が捺された契約書……と」
「すまん……知恵を貸してくれ!」
見積書より遥かに低い値段で作られた請求書は明らかな田中のミス。今更値上げは出来ない故に田中は頭を悩ませていた…………。
「次の計画書も同時進行してるんだ! コレがポシャったら俺は大目玉だ……!!」
焦る田中に対して佐藤はゆっくりとオニギリを一口齧り、モグモグと口を鳴らす。そしてゆっっっくりと咀嚼し、お茶と一緒に飲み込んだ後、クルリと田中の顔を見た。
「報酬を聞こうか……」
「くるみちゃんの直筆サイン入りDVDをやる!!」
「よし、乗った!!」
「すまん! 恩に着る!!」
かくして、会社の営業成績を左右する取引の明暗は、セクシー女優のDVDにて晴れる事となる―――
「明日、昼前に帰ってきて営業部長が好きそうな弁当を差し入れるんだ。その時コイツを入れるのを忘れずな……♪」
佐藤は自分のデスクの引き出しからゴマの様な黒い粒を一粒取り出し田中の掌に乗せる。その粒は植物のタネの様にも見えるが…………
「何だコレ?」
「【ヨイコハマネシナイデネ】だ。入れるのは半分だけだぞ? 後半分はムカつく奴のお茶にでも入れてやれ」
田中は貰った粒を不思議そうにティッシュに包み、ポケットへとしまい込んだ。
「それだけか?」
「ああ。後は俺に任せろ」
―――次の日
「お疲れ様です!」
田中は言われた通り、やや豪華な弁当を営業部長へと差し入れた。勿論弁当には昨日の粒が半分程仕込んである……。
「お!すまんな田中! いやぁ、お前は気が利くなぁ♪」
「いえいえ……」
そして田中は佐藤に目配せをすると、そそくさとオフィスから消えた。
異変が起きたのは昼休み終わり間際だった。
「……うっ!」
血相を変えた営業部長がお腹を押さえ、駆け足でトイレへと向かう。佐藤はそれを見逃さず営業部長の後ろをつけた。そして暫くして営業部長がトイレから戻ると、すかさず例の書類を持って営業部長のデスクへと殴り込みを掛けた!
「すみません部長! 値段を間違えてど偉い赤字仕事を引き受けてしまいました!!」
「……えっ?」
未だ気分はトイレの中に居る営業部長だが、佐藤から手渡された契約書と請求書に目を通すとワナワナと怒りが込み上げ、表情が険しくなっていった……!!
「何だこのアホな契約書はーー!!!!」
契約書から目が離れ佐藤の方を見た営業部長が目にしたのは、顔色を変えお腹を押さえ辛そうにする佐藤だった。
「―――……腹痛いのか?」
「……い、いえ…………」
鬼の形相が一瞬で元に戻る。それ程に辛そうな佐藤の顔であった。
「すみません部長……この件はこのまま進めさせて頂いて、次回以降の案件の時に増額して少しずつ回収しますので……」
「なっ! そんな事出来るわけが―――」
「あたっ! あたたたた……」
「―――!!」
佐藤は苦痛に表情を歪め脚を内股にした。今にも漏れそうな勢いだ!
「トイレに行ってこい!!」
「しかし『石にかじりついてでも契約をもぎ取ってこい!』って営業部長が普段から…………うっ!」
「お前俺の目の前で漏らす気か!?」
「この件で首を縦に振って頂けないなら、私はココで自害します……あぁ!!」
佐藤はお尻を押さえ、苦しそうに肩で息を始める。幸い他の営業マンは皆出払ってしまった。ココで爆発を起こしても苦しむのは営業部長だけだ……後パーティションを挟んで向こう側のオペレーター達。
「ふざけ―――うっ!!」
「ど、どうしました営業部長!?」
勢い良く立ち上がった途端、急に顔色が悪くなりお腹を押さえ始めた営業部長。苦しそうにモジモジと蠢いている。
「な、なんでもない……!!」
「ならば是非とも許可を―――!!」
佐藤は営業部長の手を強く握り締めた。何処へも行かせないぞと言う気迫が営業部長の顔色を更に悪くする。
「離せ! 私は忙しいのだ!!」
「ダメです! 許可を頂くまでは離しません!!」
力無い押し引きが繰り広げられ、ついに我慢の限界を向かえた営業部長は唇を噛み締めながら首を縦に振った。
「わがっだ……! お前に任せるがら……!!」
「あ、ありがとうございます……!!」
―――パッ
佐藤が手を離した途端、営業部長は放たれた風船の如くフラフラとトイレへと消えていった…………
残された佐藤は涼しい顔で書類を小突く。
「ま、こんなもんよ♪」
そして田中のデスクに書類を放り投げ、田中へ成功の旨を伝えたメールを入れた。そして一息着くと、静かにオフィスを後にした…………
「あの野郎……俺のお茶に入れやがったな。演技で済ますつもりだったんだが…………」
大きく膨らんだお尻を押さえながら、佐藤はトイレへと向かった。
残り香が漂うオフィスではオペレーター達が悪臭に苦しみながらも懸命に電話対応をしている―――
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