幕間 反省会
俺と王妃は、黙って向かい合っていた。
見合いが終わってからまだ30分も経っていない。リナと公爵の前から立ち去り、俺たちは王妃の部屋に戻っていた。
「なんでこんなことになったのかしら……」
王妃は呆然としていた。自分も断ったくせに、なんでも何もないのではないかと思う。
「仕方のないことでしょう。怪しすぎます。ああいうのは、俺も嫌いなんです。心理的な駆け引きなんて向いてないですから」
「確かに怪しいわ。でもね、断ってから、なんだかもったいないような気がしてきたの。だって、こんな機会、もうありえないわよ」
ため息をついている。
「だって、あのリナお嬢よ。おそらく、今一番、人気のある女の子。地位も容姿も評判もすべてが最高クラス。もしも結婚していれば、あなたの評価も自然とうなぎのぼりよ。あのリナお嬢を射止めた人間、ということになるんだから」
……あの女がねぇ。俺にはバカが他人の顔色をうかがっているだけにしか見えないんだが。しかし、噂とか先入観はこうも人の見方を歪めてしまうものなのだろうか。
「あいつ、リナですっけ? バカだと思うんですけど、なんで才女なんですか?」
「……あなた、何を言っているの? 私も詳しく知っているわけではないけど、少なくともあなたよりは優秀なはずよ」
「前代未聞じゃなくて、先代不問、とか言ってましたよ」
「どういうこと?」
俺は、階段から落ちたあとの会話について話す。また、見合いのときにリナと二人で話したことも説明した。
「……そんなことあるわけないじゃない。いくら何でも噂と違いすぎるわ」
「しかし、これは事実です。リナは、たぶんバカだと思います」
「言葉を知らないだけ、ってことはないのかしら」
「大丈夫です。俺の言葉に騙されたり、挑発に乗って本心を話してしまうくらいには頭が悪かったです。バカな俺に騙されるのですから、相当なバカなはずです」
「あんまり納得したくないけど、妙に説得力があるわね……」
王妃は頭を抱えていた。
「ついでに言っておきますけど、バカな俺が怪しいと思うくらいですから、今回の件はやはり問題があると思うんです」
「……自分ことをバカバカって卑下しすぎないでちょうだいね」
ただし、俺にとって問題だったのは、縁談を持ちかけた理由に怪しさを感じたという点だけではない。リナが才女扱いされているという点だ。結婚なんてしてしまったら、俺がどれだけバカを演じようが、目をつけられやすくなる。
「あと、いくら縁談を壊したいからと言って、下品な発言はやめなさい。縁談が終わってそれきりの関係じゃないのよ。あなたが王子でいる限り、公爵家とは、どうしても関わる機会が出てくるはず。気に入られる必要はないけど、今後仕事がしづらくなるようなことはしないでちょうだい」
はい、と返事をする。ここで逆らってもあまり意味がない。
「……ところで、あなた、そんなに子供が欲しかったの?」
俺は迷わず答える。
「はい。だって兄弟たちはすでに婚約をし、そのうち子作りをするのです。それに遅れるなんてむかつくじゃないですか」
「本気で言ってるの? 縁談を壊すための冗談じゃなくて?」
軽く笑っておく。
「冗談なわけがないじゃないですか。本心から思っていないと、あれだけすらすら言葉が出てきませんよ」
「……あなたは、結婚しないほうがいいかもしれないわね」
王妃はあきれていた。
「いい? 女というのは子供を産む道具なんかじゃないのよ。男は楽なものかもしれないけど、女にとっては命がけなの。とりあえず、孕ませろ、なんて言い方は絶対にしてはいけないのよ。まったく、こんな子、誰が育てたのかしら……」
あなたです、とはとても言えなかった。ただでさえ低い俺への評価がさらに下がっていくのを感じた。
「……ところで、リナ自体に違和感を覚えませんでしたか?」
やたら汗をかいていたことだけではない。俺が言った暴言に対し、従うようなそぶりを見せていた。本来は紅茶をぶっかけられてもおかしくはない。
「それは……感じたわ。公爵も公爵よ。人をモノみたいに扱って。今思い出しただけでも腹が立ってくるわ」
そして、なぜか俺の顔を扇子ではたいてきた。一度だけでなく、往復で二度。叩く力がやたら強い。俺は頬をおさえてうずくまった。
「……っ! なんで俺なんですかね」
「あら? あれだけのことをしておいて文句を言える立場かしら? 叩きたい相手がいなかったからちょうどいいと思ったの」
扇子を口にあてて微笑んでいる。
「もっと叩いてほしいのならば、いくらでも叩いてあげるわよ。私、今日は人を叩きたい気分なの」
「遠慮しておきます……」
頬に触れたまま立ち上がる。痛みが全く引かない。音のしない重めのやつだった。
「覚えておきなさい。二度とあんなことは言ってはいけないわ。せっかく私が足を踏みつけてあげたのに、無視してそのまま話した罰よ。これはあなたのためなのよ。いつかはあなたも婚約者を見つけて、結婚しないとだめよ。だけど、あんなバカなことしているようじゃ絶対に無理よ。これではいくら縁談を見繕っても同じだわ」
「はい……」
公爵に対しての怒りもまとめて引き受けている気がする。それとも、もともとあった俺に対する苛立ちを思い出したのだろうか。王妃には散々迷惑をかけてきたから、それもあり得ると思う。
「……まったく。素直に返事できるのなら、初めから言わなければいいのに。あなたにまだ競争意識があるのはいいことだわ。優秀な兄弟に負けないように努力していくことが大事よ。負けたくないという意識で強引に人を道連れにするのはやめなさい。努力していけば、きっとまた、輝ける日が来るわ」
「はい……」
王妃が扇子をぱちぱち鳴らすたびに、俺の心がびくつく。この短時間ですっかり調教されてしまったようだ。
「……もちろん、あのバカ公爵も相当ひどかったわ」
とうとう、公爵にもバカとか言い出しましたよ、この人。
「なにが、『殿下の望まれるとおりに』よ。バカ言ってんじゃないわ。親としてその反応はどうなのかしら。大事な大事な一人娘でしょう。あんなにかわいくていい娘が好き勝手にされようとしているのに守ろうとするそぶりもないなんて……! ああ、本当に腹が立ってしょうがないわ!」
「はい……」
「リナお嬢も、なんで『殿下のお心の赴くままに』なんて言ってしまうのよ! バカ言ってんじゃないと顔をはたくなり、皿をひっくり返すくらいことをしなさいよ! 怒るべきところでちゃんと怒らないと、舐められてひどい目に合うわよ!」
「そうですか……」
だんだんと怒りが増してきたのか、ますます声が大きくなってくる。
「本当に今日の食事は最悪だったわよ! 料理がおいしくても、一緒に食べている人がバカばっかりで本当に苦痛だったわ! 上辺ばっかり撫でまわすみたいなひどい会話! バカ息子は暴言を吐くし! まともなのはわたしだけかしら!?」
大声を出しすぎて疲れたのか、言い終わったときには息を荒げていた。
「そう、ですね。正しいのは、お母様だけですね」
「そうよね!?」
耳がキンキンする。よほど溜め込んでいたんだなと思うと、なんだか可哀そうだった。
「……俺が悪かったです。最悪でした。公爵もひどかったです。最低でした。リナは、怒るべきでした。おっしゃる通りで、反論のしようもありません」
「……わかればいいわ」
そこでようやく溜飲を下げたようだった。少しずつ、顔から赤みが引いてきていた。
「あなたはリナお嬢のところに行って、今日のことについて謝ってきなさい。そうすれば、許してやらなくはないわ」
「……もし従わなければ?」
すると、王妃が扇子を閉じて、振りかぶった。
「……わかりました。リナに謝りに行きます」
「それでいいわ」
王妃の笑顔を見て、この人には逆らえないな、と思った。
その後、ベンヴェヌート宮に行って、リナがいるという部屋のドアをノックした。
しかし、何度ノックしても、そのあと待っていても反応がない。
――どこかに出かけているのか?
結局、俺はあきらめて、自分の部屋に戻ることにしたのだった。