3話 出会い
――あれが噂の?
――国が始まって以来のバカ王子っていう?
――見た目は悪くなさそうなのにねぇ
七月五日。
今日は、国の創立記念パーティだ。
王宮の大広間には、各地の貴族が家族連れで集まっていた。テニスコートが十面以上入るような広さにもかかわらず、数メートル歩くだけで誰かにぶつかりそうになる。広間にはいくつもテーブルが並べられ、そのうえに果物や名産品が取り揃えられている。各々、それらを食しながら立ち話をしていた。
俺も例にもれず、飯を食べていた。
「うっま! これもうっま!」
豚肉をレモンバターと合わせたソテー。カシス地方の桃。炙りサーモンのサラダ。最高級品ばかりで、食指が止まらない。
「おい、だれかワイン持ってこい、ワイン! 足りねえぞ!」
「王子、シルヴィルト王子!」
「おう、ムースいたのか。酒もってこい!」
「周囲の状況をよく見なさい、バカ王子……!」
「あ?」
黙ると、自分の近くの貴族たちがそろって白い目を向けていることに気が付いた。こそこそと耳打ちをしている者もいる。
「なに? 俺なんかした?」
「さっきからしているでしょう! ご自分の目の前には何がありますか」
仕方なく、足元やテーブルの上を見た。足元にはこぼしたワインや食べ物が散らばっていた。丁寧に盛り付けされていたはずのオードブルは皿からこぼれ、テーブルクロスはソースで汚れていた。
「ああ、ちょっと食べすぎたか。うっぷ」
「そういう問題じゃない! そういう問題じゃないでしょう……!」
ムースは、背筋を伸ばしながら怒っている。器用なものだ。
「こんな衆人環視の場所で、なんてはしたない! みなさん、あなたの暴飲暴食ぶりにあきれているんですよ! 恥ずかしいからもうやめてください!」
「うっせえな。それよりも酒はまだかよ」
「まだ飲むつもりですか! 一人でほぼ全部飲んでしまったでしょう!」
確かに、テーブルの上にあった、五本のワインはすべて胃の中に消えた。
「たかが五本だろ。あと十本は飲みたいね」
「もうあなたに出す酒はありません! すでに前後不覚になるほど酔っているじゃないですか! 自重しなさい!」
「ったく、うっせえな」
俺は、ワイングラスを置いて、大広間から出ようとする。近くの人間が俺をこぞって見ていた。なかには露骨に嘲笑している者もいる。
「そんなに言うなら片付けといてくれ。お前は俺の専属だろ。俺の不始末の掃除はお前の仕事だ」
「王子!」
背中から声が聞こえるが、無視する。
俺は、両開きの扉を開けて、音が出るほど強く閉めた。扉の先にいた給仕がぎょっとした顔をするが、それも気にしない。
しかし、思っていたよりも酔っていたらしい。
足がふらつき、視界が安定しない。大広間から離れ、階段の前にたどり着く。そして、壁によりかかりながら段差に座り込んだ。
「うぇっぷ」
やばい。正直吐きそうだ。
酒は強いほうだが、短時間で五本も飲むとさすがに気分が悪い。俺は、周囲に誰もいないことを確認して階段の上に寝転がった。階段の上とはいえ、柔らかい絨毯に包まれているために寝心地はそこまで悪くない。
人ごみにあてられて少し疲れたのかもしれない。目を閉じた瞬間、あっという間に睡魔に意識を包み込まれた。
どれくらい時間がたったのだろう。
足音が聞こえて目が覚めた。瞼を押し上げ、吹き抜けの天井を見ていると二階から誰かが下りてきているのが見えた。
女だ。
黒いドレスを着ていた。ヒールに届くくらいスカートが長く、動きづらそうだ。
片方の手で手すりをつかみ、もう片方の手でスカートのすそを上げ、急ぎ足で駆け下りている。目を覚ますくらい足音が大きかったのはそのためだ。誰も見ていないと思っているのか、後ろに縛り上げられていた髪が少し乱れていた。
踊り場にたどりついたとき、俺と目が合った。
女の身長は低かった。おそらく、俺よりは年下だろう。吊り目がちで、全体的にきつい印象を受ける。黒い髪が胸のあたりまで伸びていた。
「通していただけますか?」
何事もなかったように、落ちついた様子で少女は言った。
俺は、自分が進路をふさいでいることに気づき、起き上がって、壁際まで寄った。それを見るやいなや、少女は階段をゆっくりと降りはじめる。階段なんかで堂々と寝転がっていた俺が気になるのか、ちらちらと俺を見ていた。
上から三段目を降りようとしたときだった。
「キャッ!」
よそ見をしていたせいだろう。階段を踏み外し、少女がつまずいた。
前のめりに倒れ、勢いをそのままに転がり始めた、ごろごろごろごろと斜めに回転し、階段が途切れたところでようやく止まった。ヒールの片方が脱げたらしく、中段あたりにひっくり返っていた。
もしかしたらとっさに助けられたかもしれないが、めんどくさかったので黙ってそれを見ていた。
うつぶせに倒れた少女は、痛くて仕方ないのか、無残な姿のまま震えていた。
俺は我慢できなかった。
「ぶっ」
笑い声が聞こえたのか、震えたまま少女がこちらを見た。顔を赤くし、涙目になっていた。
「な、に、見てんのよ」
「別、に。こんな状況、見ないほうが、おかしい、でしょ」
「笑った……馬鹿にして、笑ったでしょ……」
「そ、んなことないさ」
「顔を隠して、口をおさえて、ばんばん壁をたたきながら言われても説得力ないわよ!」
「うっかりしてたわ。めんごめんご」
俺は、こみあげる笑いに懸命に耐えながら、向き直った。
少女は勢いよく立ち上がると、ドレスの裾をぱんぱんとたたいた。思ったよりもけがはないらしい。
「あれとって」
階段を指さしていた。
「は?」
「あれよ、あれ。とってきて」
ヒールのことだろう。気づいていたが、絶対に取りにいきたくないと思った。
「おまえさ、俺が誰だか分かってるの?」
腕を組み、胸をそらした少女は、髪を、さっ、とかき上げる。
「そちらこそ、わたしが誰かわかっているのかしら?」
うわ、めんどくさ。自信満々な以上、位の高い家の娘なのだろうが、どうせ王族よりは下だ。というかまあ、単純に、俺が王族に見えないんだろうな。
「ちなみに誰なんだ」
どの家に何歳くらいの子供がいるかはだいたい把握しているつもりだが、面識のある者は少ないので、直接会ってもわからないことが多い。
「まあ、こんなところに寝転がるような、先代不問の底辺貴族には、言ってもわからないかもしれないわね。わたしみたいな高貴でしゅうこうな人間と話すなんてないだろうから、いちいち名乗る必要もないわ」
先代不問? しゅうこう? こいつは何を言っているんだろう。
「わかったなら、さっさとヒールを取ってきて。この私をいつまで待たせるの?」
「……っ」
「なんなの? さっきから無礼じゃないかしら? 早くして!」
ああ、やばい。俺は、大広間に戻ろうと背中を向けた。
「ちょっと、どこへ行くのよ!」
やばい、やばいな。たぶんこいつ、相当なバカだ。
大広間に戻ると、まだ大勢の人がいた。
食事は片づけられたらしく、テーブルが全部撤去されていた。あとは社交ダンスを行い、国王陛下のお話を聞いて終了である。
扉の横の壁によりかかったとき、知った顔が近づいてきた。
「お兄様。こちらにいらしたのですか」
第六王位継承者。腹違いの弟であるミハエルだ。
「探しましたよ。結構な騒ぎになっていたのにどこに行っていたのですか」
たぶん、俺が知る中でもっともおとなしい兄弟だ。まだ11歳だが背が高く、すでに俺と同じくらいまである。
「悪いな、酔いすぎて吐いてたわ」
「だめですよ、お兄様。飲みすぎは体によくありません」
ここで俺の心配をするできた弟だ。腹違いといえ、かわいくて仕方がない。
「吐いて抜けたから大丈夫だ。それよりも、これからダンスだろう。一緒に踊ろうか」
「男同士で踊ってどうするんですか……僕は婚約者のルーナと踊りますよ」
ミハエルにはすでに婚約者がいる。たしか、辺境伯の娘だったと思う。
そんなことを話していると、ルーナと思しき少女が、ミハエルのもとに近づいていた。おそらくミハエルと同い年くらいだろう。俺は邪魔だろうと思い、じゃあな、と言ってその場を離れた。
なかなか可愛らしい婚約者だった。ミハエルも幸せそうだ。
大広間の前方では楽器隊が集まり始めていた。よく見れば、女性たちはダンス用の衣装にすでに着替えているようだった。
俺はこの時間が嫌いだった。理由は簡単で、踊る相手がいないからだ。婚約者などいないし、誘っても断られる。
王族は、だいたい12までに婚約者を決めるものだと言われている。実際に、ミハエルより上の兄弟は俺以外すべて婚約者が決まっている。
おせっかいなお母様が、恐ろしい数の縁談を用意していたが、俺に実際に会った際に幻滅され、すぐに断られた。悪い噂はあっという間に広まって、気づけば縁談の話などひとつも来なくなっていた。
続々とパートナーを見つけ、中央に集まっていく人の群れを見ながら、俺は少しだけ寂しい気持ちに襲われる。
あの日の決意は、揺らいでいない。俺は、軽蔑され、後ろ指をさされながら生きていくよりほかにないのだ。誰に何と言われようが、多くの人に心配されようが、今変えてしまってはすべてが崩れてしまう。
もうじき音楽が鳴り始めるという段階で、誰かが、扉を開けて中に入ってきたようだ。
中にいる貴族たちが、そろって視線をそちらに向ける。
――かわいらしい
――あれが公爵家の?
――とても12歳とは思えない佇まいだ
なんだ? 俺も、貴族たちの視線に合わせてまなざしを向ける。
驚いた。そこには、さっき階段でこけていた少女がいた。俺にはバカ面をひっさげて歩いているようにしか見えないが、周囲には高貴に見えるらしい。たしかに、よく見ればかわいい顔をしているし、先ほどとは違って優雅に微笑みながら静かに歩いている。
少女は、公爵家の主であるスキラ公爵に近寄り、話しかけた。
公爵家の知り合いか誰かだろうか。仲がよさそうだ。ほめられているのか、恥ずかしそうに手を前に組んでいる。
少なくとも、公爵家の一人娘ではないだろう。年は同じくらいだと思うが、一人娘であるリナ・スキラは、王国きっての才女という噂だ。家庭教師が教えることをあっという間に覚え、領地の改革にも積極的に口を出し、農地を豊かにさせたと聞いている。商業にも明るく、金の管理もうまいらしい。それでいて美しく、誰に対しても朗らか。そのようなイメージとあの少女はどうしても一致しないからな。
少女が公爵との会話を終えると、次々に男たちが寄ってきて、ダンスに誘っているのが見えた。それに対して、少女はお上品に首を横に振り、断っている。
あいつ、何様のつもりなんだ。
すると、近くにいた若い男の貴族二人が、物欲しそうに眺めながら話し出した。
「かわいいなぁ」
「お前誘って来いよ」
「無理だろ。今まで誰が誘っても断ってるって話だし」
「やっぱ高嶺の花かなぁ。公爵令嬢様なんて」
ん? あいつ公爵の娘なのか?
いや、それとも侯爵の娘だろうか。それならまだわかるが……公爵の娘とすれば、実はもう一人娘がいた、とか?
釈然としないままでいると、その貴族たちは、致命的な言葉を口にした。
「リナ様は、誰と結婚するんだろうなぁ」
俺は驚きのあまり、言葉を失った。あいつが、あいつが、才女と噂のリナ・スキラ?
そんなわけはない。〝先代不問〟のバカが才女なわけがない。
俺は、作ったような笑みを浮かべるリナを見て、ひたすらに混乱しつづけていた。




