698:ウンコ
日が傾き始め、西の空がオレンジ色に染まり始めた頃。
俺は小川を後にして、村の広場へと戻った。
そこでは、お行儀悪く地面に寝っ転がる、沢山の泥酔ピグモル達がいた。
あ~あ~、こんなになっちゃってまぁ……
溜息を一つついた俺は、ふと近くの畑に目をやる。
どうやら今日は水をもらっていないらしく、畑の作物達は元気が無く、シュンと萎れているものばかりだ。
ったく、パーティーなんかする前に、ちゃんと仕事をしろよなっ!
俺は仕方なく、畑仕事用の資材置き場に向かい、水遣り用の木製バケツと柄杓を持って、畑近くにある井戸へと向かう。
ほんと、ここに井戸を造ってくれて良かったよ♪
井戸で水を汲み、バケツに移して、柄杓で畑に水を撒く俺。
そこでふと気が付いた。
「あれ? 誰が、井戸を造ってくれたんだっけ……??」
俺は残念ながら、井戸を造る為の知識は持ち合わせてなかった。
だから仕方がなく、わざわざ近くの小川まで水を汲みに行く作業を、一日に何度もしなければならなかったはずなのだが……
いつの間にか誰かが、ここに井戸を造ってくれて、畑作業の効率が大幅にアップしたのだ。
だけど……、いったい誰が???
頭の中のモヤモヤが、またしても大きくなっていく。
何かが思い出せそうで、思い出せない。
「う~ん……、分からんっ!」
とにかく今は、畑に水を撒く事が先決だ!
折角ここまで育てたのだから!!
俺は考えるのをやめにして、無言で、柄杓で畑に水を撒き続けた。
太陽が空の彼方へ沈み、辺りが薄暗くなってきた頃。
俺は、広い畑の全てに水を撒き終わって、未だ広場で酔い潰れたままのコッコとトットを横目に、一人家へと戻った。
「ただいまぁ~」
「……おやモッモ、もうお帰りかい?」
家に帰ると、いつものように、母ちゃんが笑顔で出迎えてくれた。
母ちゃんはテーブルの上で、何やら裁縫をしている。
「母ちゃん……、何してるの?」
「あぁ、ちょいと縫い物をね」
そう言って、獣の皮を縫い合わせて母ちゃんが作っているのは、大きな袋だ。
沢山物が入りそうな、大きくて頑丈な袋。
……はて、なんだろう?
この光景、前にも見た様な気がするぞ??
何かが思い出せそうで、思い出せない。
心の中のモヤモヤが、更に大きくなっていく。
すると母ちゃんは、立ち尽くす俺に向かってこう言った。
「あんたはここに居ればいいよ。ずっと、ずっと……」
笑っているけれど、どこか寂しそうな母ちゃんの表情。
その言葉の意味を、理由を、俺は聞きたかったが……
頭の中がグルグルと回っていて、上手く言葉に出来ず……
結局何も聞けずに、俺は自分の部屋へと戻った。
なんだ? 何が起きているんだ??
心のモヤモヤが治らない。
俺はいったい、何を……???
力無く椅子に腰掛け、窓際に置かれている机に向かいながら、窓の外に広がる景色を眺める。
テトーンの樹々の生い茂る葉の隙間からは、沢山の星々が瞬く夜空が見えた。
前世の記憶によれば、夜空に輝く星のほとんどが、ここより何万光年も先にある遠い遠い惑星で、今この瞬間にはもう、星が寿命を終えて、消えて無くなってしまっているものかも知れない……、なんて説もあるらしい。
その説は正直なところ、俺にはちょっと難しくて……
「きっと世界は、広いんだよなぁ~」
無意識に俺は、ポツリと独り言を零してしまう。
先程母ちゃんは俺に、ずっとここに居ればいい、って言っていたけれど……
本当にそれでいいのだろうか?
これまで通り、畑仕事をしながら、たまには狩猟もしたりして、のんびりと、ゆっくりと、毎日を過ごしていく。
大好きな仲間達と一緒に、他でもないこの、安全で穏やかなテトーンの樹の村で。
だけど、それは本当に、俺が望んでいる事なのか??
すると、頭の中で、誰かの声がした。
「共に世界を旅しよう!」
なっ!?!?
「誰なのっ!?」
椅子から立ち上がり、小さく叫ぶ俺。
しかしながら勿論、ここには俺しかいない。
心のモヤモヤが、だんだんと増していっている。
なんなんだよう?
何が起きているの??
俺はいったい、何を忘れているんだ???
漠然とした不安で、心が押し潰されそうだ。
隣の部屋には母ちゃんがいる、外には仲間のピグモル達が大勢いる、なのに……
「凄く、寂しい」
俺は一人、メソメソと涙を流していた。
どうしてだか分からないけれど、悲しくて、寂しくて……
だけど、聞こえてきた声の様に、旅に出る事なんて出来ない。
だって俺は、世界で最弱の種族、可愛いだけが取り柄のピグモルなのだから。
俺が世界を旅するなんて、そんな事……
「絶対無理に決まってる」
自分を戒めるかの如く、俺はそう呟いた。
そして、なんだかやるせない気持ちになった俺は、壁際にあるベッドに倒れ込んだ。
……と、その瞬間。
プスッ!
「痛ぁあっ!?!?」
右足の太腿に、突然突き刺す様な痛みを感じた俺は、軽く飛び上がって悲鳴を上げた。
なんっ!?
今度は何っ!!?
焦って起き上がり、ズボンの上から痛みを感じた箇所に触れると、何やらゴツゴツとした物がポケットに入っているではないか。
俺は、恐る恐るポケットに手を突っ込み、中を探って、それを取り出してみる。
「……うぇ? ウンコ??」
俺の掌の上にあるそれは、濃い紫色をした塊だ。
しかも、色はともかく、その形は、俺の言葉通りウンコにしか見えない。
ただ、不思議な事にこのウンコ、何やらほんわりと光っております。
なんで?
なんでポケットにウンコなんぞ入ってるんだ??
しかも、なんで光ってんだ???
く、くさ……、臭くはないな。
何もかもが謎過ぎて、さっきまで泣いていた事も、言い知れぬ寂しさを感じていた事も、瞬時に忘れる俺。
そして……
『しっかりしろジェ、モッモ』
ファッツッッッ!?
「ウンコが喋ったぁあっ!?!?」
突然の、思いもよらない現象に、俺は再度大声で叫んでいた。
目をまん丸に見開いて、掌の中で光を放つ紫色のウンコを見つめる。
すると……
『思い出すんだジェ、モッモ。モッモは一人じゃないジェ? みんな、待ってるジェ~』
独特の語尾で、喋るウンコ。
その言葉、その口調に、俺の中の何かが、パーン! と弾け飛び、そして……
「ゴラ!?!!?」
俺は、ウンコの名を呼んでいた。
それと同時に、全てを、思い出したのだった。




