569:獣耳少年
ブヒャアッ!?
いきなり大声出さないでよっ!??
ビックリするじゃないかっ!!!
てか……、普通に喋れるんかいっ!?!?
怒声にも似た突然の影の声に、俺はおっかなびっくりしてブルリと震えた。
影は、俺とは違う意味で、その全身をブルブルと震わせている。
『今でも忘れはしない、モシューラの最後の言葉……。いつか必ずイグが迎えに来る、その時が紅竜人の終焉だと……。イグが復活した理由はただ一つ、モシューラを世界に解き放つ為だ。五百年もの間封印されていたモシューラは、もはやただの邪神ではない。その力は強大で、あらゆる天変地異を可能にし、自然の理をも歪め兼ね無いだろう。それを世に解き放つなど言語道断! 決してさせてはならないっ!!』
さっきまでの途切れ途切れの会話が嘘のように、スラスラと話し始める影に対し、俺は少々違和感を覚えた。
生き物としての原型がない丸いモヤモヤだった影が、徐々にその形を変えてきているのだ。
少しずつ、その姿は顕となっていき……
んん? おやおや??
なんだか、可愛らしいお姿になられましたな???
そこに現れたのは、少しばかり背の高い、スラリとした体型の、垂れ下がる三角の獣耳を生やした人間の少年だった。
パントゥーなのだろうか、獣の一部を持った人間、つまり半獣人とも言えるその姿は、魔法王国フーガの街でよく目にした姿だ。
年の頃は十五……、いや、十二、三歳に見えるほどに若い。
なんだか意外だな。
てっきりロリアンは、普通の人間のおじさんだとばかり思っていたから……
なんでそう思ってたのかは謎だけど。
元が影なので、その肌や髪の毛の色までは分からない。
けれど、先ほどまでの真っ黒なだけの影とは違って、身体中がどことなく、ぼんやりとした白い光に包まれている事は確かだ。
まん丸だった青い瞳は、猫のそれのように大きく鋭くなり、背後にはフサフサと揺れる太くて長い尻尾が見えている。
そして、どことなく見覚えのある形の魔導師のローブを、その身に纏っていた。
『このままでは世界は終わりだ。師匠との約束どころの話ではないぞ? イグまで復活したとなっては……。あぁ、どうしよう……、どうすれば……??』
かなり狼狽た様子の影、改め獣耳少年は、顔の両側についている垂れ下がった耳を、両方の手でグシャグシャと弄りながらブツブツと呟いている。
先程までの語り口からは想像だにしなかったその姿に、俺は少々気持ちが和らいだ。
偉大な魔導師の弟子で、邪神を封印できた者であっても、パニックになる時はなるんだな~って。
その姿を見て、俺は逆に冷静になれた。
「えと、あの……。その、確かにイグは、僕に蛾神モシューラを救うのを手伝って欲しいと言いましたけど……。言ったからには、邪神に堕ちたモシューラを、元に戻す方法を知ってるんじゃないですか? 助けたいって、はっきり言ってたし……」
呑気ながらも、一応ちゃんと考えながら喋る俺。
しかし、獣耳少年は、可愛い顔を大層怒らせて俺を睨み付ける。
『邪神に堕ちた神を元に戻す? そんな方法聞いた事もないっ! 師匠ですら、そのような方法はないと仰っていたんだ、不可能だっ!! 仮にもし、そのような方法があったとして……、イグがそれをするはずがない!!! 奴は旧世界の神で、悪霊と呼ばれる存在だぞ? この世界に生きる者の命など、奴にとっては埃と同等に違いない。つまり、軽く息を掛ければ吹き飛ばしてしまえるほど、小さく脆く、意味のないものなんだ。邪神に堕ちたモシューラを助けるだと?? そんな奴が考える事など、ろくなものであるはずがないっ!!!!』
かなりご立腹されている様子だが、見た目が結構可愛いのであまり怖くない。
でも困ったぞ。
そうなると……、どうなるんだ?
ショックだけど、イグは俺を騙してモシューラを封印から解放しようとしていた、という事になるわけで……
つまり俺は、あまりよくも知らない癖に、危険な邪神を自らの手でこの世に放とうとしていたわけか??
……わ~、冷静になって考えると、めちゃくちゃヤバいなそれ。
もしそんな事しちゃったら、知らなかったとはいえ、グレコに殺されそうだわ。
だがしかし、そうなると……、どうすればいいんだ??
「えと……、あ~……。要は、モシューラを倒せばいいんですよね? さっき僕にそう言いましたよね??」
『そうだ。時の神の使者である君は、神殿の封印を解く鍵を私から伝授され、神殿の中に忍び込み、邪神モシューラを倒す……、それが師匠が見た未来予知だ。だが師匠は、この時代にイグが蘇るなどとは言っていなかった。師匠の未来予知が間違っていたのか、それとも何処かで別の力が働いたのかは分からない。でも現に今、イグは蘇っているんだな?』
「あ、はい。実は……、そのイグの希望で、僕はここに来たんです。イグが、神殿を開く鍵はロリアンさんが持っているって言うので……。だから僕は、生贄の儀式の供物に紛れて、泉へと沈んだんです」
……うん、ちょっぴり嘘が入っているけれど、大筋は同じなんだから良しとしよう。
まさか、間違って供物と一緒に泉に捧げられた、なんて事は俺の口からは言いたくないのである。
『イグが、神殿やその鍵の存在を知っていた? そんな馬鹿な。神殿の事は、僕と死んだテペウしか知らないはずだ。やはり奴は神故に、全てをお見通しだとでもいうのか……? しかし、悪霊は悪霊だ。モシューラを救いたいと願うその心の中では、ここに暮らす数多の紅竜人の命の事など、微塵も考えてないだろう。勿論、君の命の保証もだ』
おおぅ……、なるほど、そう言われればそんな気がする。
イグのやつ、俺が泳げないって言ってるのに、それでも沈めとか言ってたしな。
確かに、モシューラを助ける為なら手段なんて選ばないって感じだった。
……あ! それにそうだよ!!
今朝、チャイロは、トエトに妙な事言ってたよな!?
ここは今夜地に沈む、とか、生き延びたければ遠くに逃げろ、とか!!?
それって……、げげげっ!!!
今更だけど、なんだかいろいろヤバい気がしてきたぞっ!?!?
『何故だ? いったい、どこで間違えたんだ?? 師匠に言われた通り、彼の事も助けたのに……。まさか、それが間違いだったのか??? いやいや、それは有り得ない。師匠の未来予知の通りにそうしたんだ。だけど、彼はククルカンの再来だった。やっぱり彼を生かすべきではなかったのか???? 師匠の未来予知が外れるなんて、まさかそんな……』
頭を抱えて苦悩する獣耳少年に対して、俺は問い掛ける。
「あの……、彼って誰ですか?」
ここへきて、まだ他に新キャラが登場するのかい?
『彼は……、五百年ぶりにこの世に誕生したククルカンの再来だった。しかし、その力が目覚める前に、何者かの手によって、この泉に沈められたんだ。師匠はその事も予知して、僕に託してくれた。囚われた者を解放する事、それが彼に与えられた役割だと。だから僕は彼を助けた。ここに辿り着いた時にはもう息がなかった彼に対し、精霊の秘術を使って、彼の中に残っていた生命力を霊力化し、彼の存在を精霊としたんだ。今の僕と同じような、影の精霊に』
あ~っとぉ~……、誰の事かは分かった。
たぶん……、いや間違いなく、レイズンことゼンイの事だな。
だけどもあれだ、後半部分が意味不明だな。
とりあえず、ゼンイはここで、この獣耳少年の手によって影の精霊となり、命を助けられたという事だな、うん。
『だけど僕は迷っていた。自分を亡き者とした、神代の悪霊イグの使徒であるククルカンの再来の命を助けるなんて……、師匠の指示とはいえ、正しい事だとは到底思えなかった。何かが間違っていたとしたら、きっとそこだ。彼はあそこで死ぬべきだったんだ。僕が彼を助けさえしなければ、未来はまた違っていたかも知れない。師匠よりも僕の方が、ククルカンの再来について、この国の歴史について、よく知っていたじゃないか。ちゃんと自分の頭で考えるべきだったんだ。師匠のせいじゃない。僕のせいだ……』
可愛らしい顔を酷く醜く歪ませながら、獣耳少年はそう言った。
その表情は、とても悔しそうで、とても辛そうで……
「そんな事ないよ」
俺は思わずそう呟いた。
獣耳少年は、俯いていた顔を上げて、俺を見つめる。
「誰かを助けた事、誰かの命を救った事を、後悔する必要なんてないよ。君は良い事をしたんだ、悔やまなくてもいいと思う」
だって……、だってそうだろ?
目の前に苦しんでいる人がいたら助けたいし、死にそうな人がいたら救いたくなるじゃないか。
それが普通の事、それが普通の人の良心だと俺は思う。
だから、そんな泣きそうな顔、しないで欲しい。
『だけど……、そのせいで、この国は滅びるかも知れない。世界が危機に陥るかも知れないんだぞ?』
「それはまだ分からないでしょ? 出来るかどうかは別として……、僕はやってみるよ。神殿に封印されているモシューラを倒す。そして、悪魔も倒す。イグの事もどうにかするよ。話して通じない相手ではな……、いと思うしね、うん……。まぁ、凄く難しい事だと思うし、絶対一人じゃ無理だからみんなに助けてもらうけど……。でも、君が君自身を責める必要は全然ないよ。むしろ、今までこんな真っ暗なところで待っててくれてありがとう。大丈夫! 後は任せて!! 僕がなんとかしてみせるから!!!」
ドーン! と胸を叩いて、俺はそう言った。
……ま、いろいろと不安が残るし、ちょいと語弊もあるけどね。
俺自身はきっと何にも出来ないから、ここで得た情報をみんなに伝えて、そんでもってみんなに何とかしてもらおうっ!!
大丈夫、みんながいるから大丈夫っ!!!
『君は……、なんだか、師匠に似てるね』
微笑みながらそう言った獣耳少年は、懐から何かを取り出した。
それは、銀色に輝く書物だ。
『アーレイク師匠が残した封魔の塔には、様々な仕掛けが施されている。この古文書が無ければ、到底先へは進めない。正直なところ、これを君に託すべきなのか、とても悩むところなんだけれど……』
獣耳少年は、心配気な表情で、俺の頭の先から足の先までをマジマジと見つめた。
……まぁ、言いたい事は分かるよ。
俺みたいに小さくて、見るからに弱そうで、可愛さしか取り柄がなさそうな奴に、大事なその古文書とやらを本当に渡してもいいのか? って自問自答してるんだよね。
けどさ……、こんな真っ暗で死霊がウジャウジャいるような泉の底まで辿り着いてさ、いろいろと事情も把握している俺に対して、その感じは酷くないっ!?
確かに見た目はこんなだし、君が心配する通りの激弱だけどさっ!??
でもさ、もうこの際だから、こっちとしては腹括ってすんなり渡して欲しいわけさっ!?!?
『でも、きっと大丈夫だよね。これを持って、封魔の塔へ登って!』
おっ!? くれるのかいっ!??
やったねっ!!!
ズイッと差し出された銀色の書物を、俺は受け取った。
恐らく金属で出来ているのであろうそれは、硬くて、想像以上にとても重くて、分厚くて……、何よりも圧が凄い。
まるでこの書物自体が、大丈夫なんだろうなっ!? ちゃんとしろよ!?? って、半ば脅しながら問い掛けてくるような感じがするのだ。
う~む、なんだろうな?
なんだか、急に不安になってきたぞ??
ニコリと微笑む獣耳少年に対して、俺は引きつり笑いをする。
俺は、俺の両肩に責任という大きな文字が、ズーンとのし掛かってきたかのように感じた。




