第14話 一手
レイシャ=デヴィンジャー。
アーリアの四方を守護する、騎士の象徴たる一人である。
彼女は土系統の魔法を使い、アーリア公国一の魔法師としても名高い存在であった。
人によっては「四方最強の騎士」とまで評価するほどの実力者である。
といっても戦いには相性というものがついて回る。一対一でルールが確立している試合なら話は別だが、勝利こそ求められる命をかけた戦いでは、自身の特性相性と有利条件、弱点などを総合した振り子がどちらに傾くかが重要だ。
レイシャが魔法師や騎士として高い評価を受けているのは、総じて弱点が少ない点と戦法の幅が広いという点が大きい。
剣術で言えば東のベリアルが上回り、魔法技術と純粋な火力で言えば北のウールモールが一歩抜きんでている。そしてレイシャが最も苦手とする弓術。それを得意とする西のサファイアには当然、遠方から狙撃を続けられれば彼女は防戦一方になることだろう。
つまり相手のフィールド、得意な戦況で白兵戦を行えばレイシャの勝ち目は薄くなる。これだけ挙げれば「そんなに強くなくない?」と思えてしまうかもしれないが、彼女の恐ろしい点は剣術・魔法においてトップであるベリアルやウールモールの次点につく実力を持っていることだ。
剣で劣るなら魔法で補えばいいし、魔法で劣るなら接近戦で押し込めばいい。そして彼女の土魔法はそういった有利な戦況へと運ぶにピッタリな魔法ともいえた。彼女が魔法と長斧を駆使して繰り出せば最早手に負えない強さを発揮するということは、騎士たちはおろか、国民ですらも知っているほど彼女は「強さ」の象徴であった。
つまり彼女は総合力ではアーリア公国内で群を抜いており、それ故に公国最強の騎士と謳われているのだ。
その上で弱点があるとすれば、やはり遠距離攻撃だろう。
彼女がいかに修練を重ねようとも会得できなかった弓術。土魔法による遠距離攻撃の手段を取得しよう、一時期は土の礫を地面から射出し、遠方の的に当てる訓練をしていたが、魔法による地盤の歪みから生じる反動で飛ばす礫は、飛距離も威力もなく、精度も無かったため、断念した経緯もあった。
そのためか弓の名手であるサファイアと共に魔獣討伐に向かった際などは、レイシャが足を踏み込めない唯一の不可侵領域をサファイアがフォローすることで、同行した騎士たちは口を揃えて「隙のない美しい戦いだった」と称えるほどだった。
その時期からレイシャはサファイアをより尊敬するようになり、サファイアの人格も手伝ってか、レイシャは彼女に非常に懐くようになっていった。「お姉さま」とサファイアを呼び、笑顔で彼女の後をついていく姿は、尻尾を振って懐く子犬のようで、誰もが温かい目で見守っていた。当のサファイアは最初こそ困惑顔を浮かべていたが、一人っ子だった彼女も慕ってくるレイシャが妹のように感じるようになり、今では仲の良い姉妹のようだと周りから思われるほどの関係になっていた。
レイシャは、偉大なるナダル大公、尊敬するサファイア、共に切磋琢磨する騎士長たちを初めとした騎士たち、そして国を支える国民たち。彼らがいて初めて成り立つ「アーリア公国」が好きだ。
アーリア公国は広大な山と森林に囲まれた土地が特徴で、魔獣ひしめき合う森林地帯と、国土を分断するように外壁が円状に敷かれており、四方に外へとつながる巨大な門が設置されている。その四方門を護る存在、という由来もあり、騎士団は四つに分断され、それぞれ東西南北を冠する騎士団名が与えられたらしい。もっとも由来通りそれぞれが担当する門だけを護るというのは効率が悪いため、実態としては方角に関係なく適宜、各騎士団は状況に合わせて様々な任務を請け負うことが多い。歴史に誇りを持ちすぎるあまり、変に拘りを持つような人間がいないのが、この国の騎士団の最も良いところなのかもしれない。
外壁の中には農家を担う集落が多くあり、その周辺には木々や平野が広がっている。そういった集落の中心地に城壁があり、その中に城下町とナダル大公がいる城が建っている。一見、外から来た者からすれば、広大な農地で穏やかに農作物を収穫する農家と、城下町の賑やかで活性化された工業地帯・商業地帯・家屋等を比較すると、貧富の差が大きいように見えてしまうが、実際はそうでもない。
国の生産性を支える農家と、国の発展と物流・消費の循環そして他国からの来訪者を出迎える国の主要都市である城下町や城は、それぞれが役割を担っている。
どちらも国の基盤として重要な位置づけであり、代々アーリアでは国主たる大公にこの体制が受け継がれている。故にどちらかを贔屓にすることはなく、生活のスタイルこそ違えど、そこに貧富の差は無かった。また格差意識も国内になく、申請さえ国に挙げれば、土地の状況にもよるが、城下町から農家へ、またその逆へ転職することも難しくない。民一人一人が何を以って国を支え、何をしたいかを尊重する国風がそこにはあった。
外敵への対策としては、外壁の外側に何層もの「返し」が設置されており、返しには細かい棘が万遍なく配置されていることから、粘性の手足を持つ魔獣も簡単に登ってはこれない仕組みとなっている。もっとも飛行能力を持った魔獣には意味のない対策なので、これは諸外国にも言えることだが、壁を乗り越えて飛来する魔獣については、都度、騎士団が討伐に向かう仕組みとなっている。
三顔の悪魔が出現し、最初の被害地である集落が落ち、サファイアたちと激突したのが国土北方の外壁に近い位置にある集落だ。水源の近くで栄養価の高い土壌に恵まれていたこともあり、瑞々しく美味しい桃が有名な集落だったが、もうその姿を見ることは叶わない。
外壁の外側は山岳地帯と森林地帯が入り組んでおり、外壁北方にある正門から伸びる舗装した道以外は、とても人が気軽に足を踏み入れるような場所ではない。ベリアルたちが出向していた場所も、東方の森林地帯であり、彼らの実力なくして歩くことは難しい場所と言えよう。
広大な国土には、万が一、外壁を乗り越えて魔獣が入ってくる危険性も考慮し、毎日、レイシャの手によって結界による探知が行われ、集落に異常がないかを確認していた。
正直、異変が起こることなど、彼女が騎士として成長し、騎士長に就任して今に至るまで、一度もなかった。言ってしまえば毎日、何も変化のない警戒をひたすら続けるという、退屈な任務をこなしていたのだ。しかし真面目な彼女にとって、国民を未然に危険から護るための職務は誇るべきものであり、苦に感じることは無かった。
国土全てを一気に結界の範囲に納め、異常がないかを探知するのは、さすがにレイシャでも不可能だ。
せいぜい国土を50分割して、そのうちの一つを一度の魔法で探知するのが限界といったところだろう。それでも十分優秀な能力である。通常の魔法師の結界なら彼女の半分の範囲すらも賄えないだろう。
レイシャがこの任に当たる前の前任者は、今もレイシャと協力して持ち場を変えつつ日々の警戒に当たっているが、レイシャが加入してから担当範囲が一気に軽くなり、涙ぐんで喜んでいたという。
今は10名ほどの結界を扱える魔法師で、週ごとに持ち場を変えては警戒に当たる日々を送っていた。
彼女は警戒任務も喜んで務めていたが、何より立ち寄った集落で農業や鉱業を営む民とコミュニケーションを交わすことが楽しく、短い時間しか滞在できずともレイシャにとってやり甲斐を感じるひと時でもあった。
最初こそ誉れあるクレヴィア騎士団の騎士長の来訪ということもあり、畏まった態度での出迎えや堅苦しい対応などばかりだったが、慣れてくればレイシャの人となりも知れるというもの。生来の明るさが親しみを生み、今では訪れれば世間話もするし、子供たちも「遊んで」とせがんでくるぐらい馴染んでいた。
故に――今回の事件は、レイシャにとって心臓を握りつぶされたかのようなショックを与えた。
その日は北方の警戒を任されており、いつも通りのことをいつも通りこなすだけの話だった。しかし遠方の集落から張った結界の一部に異常を探知し、レイシャは大公への報告、ちょうど近くの平野で鍛錬していたマーゼル騎士団に救援を要請し、彼らは帰ってこないものとなってしまった。
同時に信頼し、敬愛するマーゼル騎士団の騎士長サファイアも先の戦いで行方不明となり、レイシャは一時期、情緒不安定になっていたという。食事も喉を通らず、睡眠を取ることもなく何時間も泣きどおしの時間を送ったのだ。それでも人に当たったり、物を感情のまま破壊しなかったのは彼女がそれだけ両性の人間だということを物語っていた。今も不安定な精神状態ではあるが、戦い方を失念するほど乱れてはいない。
サファイアを失ったことは彼女にとって、自失するほど大きな損失だ。
足元がすべて瓦解し、奈落の底へと沈み込んでいく感覚が襲ってくるほど、彼女は心を傷つけた。
だが、騎士長である彼女は他にも背負っているモノがある。
護るべき国、大公、仲間である騎士、そして国民。
その両手には、背中には――まだ溢れんばかりの救うべき存在がいるのだ。
その気持ちだけが彼女を立ち上がらせた。
少し前にバウンドドックのメンバーの一人が無残な死という形で、三日前、大公の執務室で発見された。
アーリア内で「三顔」と呼び、討伐対象としてターゲティングしている奴の動向は偵察を任された一部の騎士が監視していた。予定していたバウンドドックの移動経路と、三顔の位置が被ることはなく、バウンドドックの移動時間中は、可能な限り三顔の気を引くように陽動部隊が相手をしていたため、秘密裏に動くことも不可能だったはずだった。
だというのに、バウンドドックの一人が死という終着を迎えたのだ。しかも厳戒態勢であったはずの城内、それも大公の執務室という、関係者でも気軽に足を踏み入れない場所で、だ。
お陰様で、三顔を監視、応戦するも「見えない敵」のことも想定せざるを得なく、ちぐはぐな戦線が出来上がってしまった。
目に見える敵を注意しつつ、実態も分からぬ不可視の敵も考慮する。
そのため大公も対応策に苦慮し、現状維持を優先した曖昧な指示に、騎士団の面々も困惑を隠せない数日間であった。
だが、ここで大公は大きな一手を打った。
今まで最終防衛線として、東のベリアル、北のウールモール、南のレイシャは城内から部下に指示を送るだけにとどまっていたが、ナダル大公はここで自身を護る盾を切り離したのだ。
ウールモールだけを城内警備に回し、ベリアルはバウンドドックの一人を連れて郊外へ、そしてレイシャを三顔の足止め役として回したのだ。
当然、三顔以外に強敵が潜んでいることは間違いなく、バウンドドックの面々を考え無しに再度送り出したところで、同じ光景の焼き回しになる可能性が高い。最初に出発した他の三人も安否不明の状態だが、こういった場合は最悪のケースを想定して動かざるを得ない。なので、再度、連国連盟への使者を出すことは決定事項ではあるが、同じ轍を踏まぬよう、不可視の敵が襲い掛かってきても対応できるようにベリアル率いるカースト騎士団を送り出した。
併せて三顔が不可視の敵と手を組んで動いている可能性も高いため、やはり三顔の陽動が必要になってくる。前回の陽動では部隊の半数が死に至った経緯もあり、ナダル大公はここでも持ちうる最強の手を打たざるを得なかった。これ以上の被害を出すことは手痛い上に、騎士たちの精神状態にも悪影響を嵩んでいく。また死亡した騎士の親族たちから流れる絶望や悲しみの声は、民たちに伝染し、国を昏い闇底へと突き落としていくのだ。
そこに光を差し込むためには、信頼できる、そして状況を大きく好転できる存在が必要だ。
ナダルはレイシャという手を切るのに迷いは無かった。
同時に今回の戦いは「陽動」がメインであり、決して無理な戦いを強いるものではない、とナダルはレイシャに何度も伝えた。生き残ってほしいという強い願いと、彼女が欠けてしまっては仮にこの戦いに勝ったとしても大きな傷跡になってしまうからだ。
サファイアがいれば、彼女とレイシャの強靭な連携で、いかなる敵をも圧倒できたに違いない。彼女が真っ先に欠けてしまったことが、もしかしたらこの戦いの命運を大きく変えてしまったのかもしれない。
レイシャを送ることは現時点で最善の手だが、理想からは少し欠けた手だ。
その差が何を生むのか。それだけがナダル大公の最も胸中に渦巻く不安要素であった。




