第11話 蒼髪の麗人
「ま、っ・・・じん、だと・・・!?」
風邪でも引いたかのような喉の渇きと悪寒に包まれ、今にも布団の中にくるまって全てを忘却したい思いに駆られるが、ベリアルはそれでも何とか言葉を振り絞った。
誰もが突然現れた女性を前に、目を大きく見開いていた。
冗談にしては――笑えない。
伝説上の存在が、こんな簡単に・・・街角で挨拶をするかのような気安さで遭遇していいはずがない。そんな根拠も何もない固定観念に頭の中が雁字搦めにされる。
「・・・お嬢さん、説教するようで済まないが、あまりそのような物騒な言葉は口にしない方がいい」
「んー、そんなに怖い声ださないでよー」
「・・・」
相手からの殺気はない。
恰好や髪こそベリアルたちからすれば異質に感じるものの、それを除けば何処の街にもいるだろう娘と変わらない。
「ほらほら、ここは通せんぼなんだから。ちゃちゃっと回れ右しちゃってよ」
「・・・なに?」
と、変わらない雰囲気のアリシアは、ケラケラと笑いながら手を振った。
要はさっさとアーリア公国側に戻れ、と言っているようだ。
「あれ、『通せんぼ』って言いまわし、使われてなかったっけ? どうだっけ? んー・・・それとも『回れ右』のほうかな?」
「・・・意味は理解しているとも。だが我々には執るべき責務があるのだ」
「ふーん・・・それってそんなに重要なもんなの?」
「ああ、時にはこの身に代えてでも、ね」
「おやおや、随分と古風なことで・・・いや、時代背景がこんなんだから、そうなるのも仕方ないのかな? なんだか歴史の焼き回し見てる気分だよ」
「君の言い回しは・・・少々、独特なようだね。もし不都合がなければそこを通りたいのだが、宜しいかね?」
ベリアルはやや半身になりつつ、口元に指をあてているアリシアに問いかけた。
「いやいやだから、通せんぼって言ってんじゃん」
「・・・」
アーリア公国内であれば、四方を守護する騎士団――それも長のベリアルに真っ向から声をかけられれば萎縮する民がほとんどだろう。仮に他国の者が相手であっても、彼が全身から放つ重い空気を目の当たりにすれば、それなりに身構えるものである。
だがアリシアは微塵も動じない。
眉一つ、いやそれどころか、普段と変わらずリラックスしているかのような振る舞いだ。
後ろ手に「んー」と口を尖らせては、足元の枝を蹴っ飛ばしたりと、総じて表現すれば「不真面目」というのが最もしっくり当てはまる。
つまり、彼女は真面目にベリアルの言葉を聞いていないのだ。
「ふぅ・・・その先に何か見られたくないものがあるのかね?」
小さくため息をついて、そう尋ねる。
もしそれであれば、それはそれで問題だ。此処は大公が治める城下町の敷地外とはいえ、アーリア公国の領土内である。見られたくない何かが危険なものなのかどうか、見定める必要がある、ということだ。
(こんなところで無駄な時間を潰したくはない。できれば気分のままに奇行に走っているだけの女性であってほしいものだが・・・)
そもそも彼女は何処の国の人間なのか。
こんな魔獣ひしめき合う山林で何をしているのか。
何を目的に堂々と騎士の眼前に立っているのか。
ナダル大公の執務室に届けられた、バウンドドックの遺体。
同時に出発した他の四人はどうなったのか。
敵襲に遭い、手傷を負ってどこかに潜伏しているのか、それとも無事――連盟へと向かっている最中なのか。
連想されるキーワード。
そこから答えは導きだされずとも、仮定は構築できる。
一番わかりやすい仮定とは――。
「私はベリアル=ドルマイア。四方を守護するアーリア騎士団の東方を預かる身である。私にはこの国を護る責務がある。可能であれば包み隠さず話していただき、解決へと至りたいものだがね」
「まぁーった責務ぅ? んなもん背負い込んで、肩凝らないの?」
「ふっ、国の・・・民たちの期待を背負うのに、重みこそ感じても疲れはないさ」
「おぉー、今のセリフ、格好いいね!」
パチパチと盛大な拍手をするアリシア。
本当に調子が狂う、とベリアルは甲冑の中で密に流れる一滴の汗を鬱陶しく思った。
「単刀直入に君の目的を聞こう」
「だーかーら、自分ん家に帰ってもらいたいだけだって」
「理由は?」
「んー・・・強いて言うなら、これは『ゲーム』だからかなぁ」
「・・・げぇむ?」
疑問を乗せた言葉に「あぁ」とアリシアは「遊びね、遊び!」と言い直した。
「いやね、たまにさ。こぅ・・・荒廃した場所から、人の活気溢れるとこに来るとさ。あるじゃん、人恋しさっての? あー、そういえばわたしたちってこんなんだったなぁーとか。そう、懐かしさを感じるわけ! っていう話をしたらさ、アイツってば『んじゃ、ゲームしようぜ! 攻城ゲーム!』なんて言うもんだからさー。あぁー、コイツ本当に楽しむことばっか考えてんなぁーって呆れちゃって――」
『・・・・・・・・・』
「あ、ごめんごめん。この辺はあんま関係なかったね。要はさ、ゲーム盤から勝手に駒がボロボロと零れちゃうと、ゲームとしての前提が崩れちゃうじゃん、って話。もちろん、外から勝手に増えるのも無し!」
『・・・・・・・・・・・・』
「オジサンって、まあ聞いた感じだと、この国の中じゃ強い方なんでしょ? ほら、さっきそんなこと言ってたじゃん」
『・・・・・・・・・・・・・・・』
「困るんだよねー、どーでもいい駒なら間引いても大勢は変わんないと思うけど、オジサンみたいなのをわたしが摘んじゃうと、パワーバランスが崩れちゃうかもだし・・・。でも、なんだかこうして説得するのも面倒になってきた的な気分も出てきたから、うーん・・・複雑」
この娘は何を言っているのか。
ベリアルだけではなく、この場にいる全員が一致した感想だろう。
「ねぇ・・・確認なんだけどー」
「、っ・・・ぁ、ああ」
先ほどまでの半ば独り言ではなく、今度は明確にこちらに向かっての問いかけだったため、ベリアルは反射的に答えることができた。
「オジサンが誇らしげに言う『責務』ってー・・・命より重いもんなの?」
「な、に・・・?」
「って、んなわけないよねぇー、あははっ! ほぉら、気が変わる前にさっさとお家に帰んなさいよ」
一瞬。
ほんの僅かな、気のせいかと思えるほどの瞬きの瞬間に等しい刹那。
神経から血液、筋肉に至るまで、五臓六腑全てが震えあがるような殺気を感じた気がした。
ああ、だが・・・目の前にいる女性は一秒前と変わらぬ様子。
張りつめた状態が続いていたことからの、一種の気の迷いだと思いたいところだが、ベリアルはそれをそう割り切ることはしなかった。
忠告している。
彼を彼として構成する全ての技能・経験が大声で言ってくるのだ。
――アレは危険だ、逃げろ、と。
「貴様・・・我々騎士を愚弄するつもりか!」
「っ――!」
腹の底から沸き立つ怒りを隠そうともしない声が背後から聞こえ、ベリアルはハッと現実に引き戻される。
頭だけ振り返れば、そこには肩を震わす騎士の姿があった。
「えー、だって命あっての人生だよ? 死んだら終わりじゃん。楽しいことも、笑うことも、遊ぶことも、こうして話すことだって出来なくなっちゃう。そんなのはつまらないじゃない? だからわたしは意地でも生き残ろうとした。平穏な世界でのうのうと生きる連中を見上げ、爪を齧りながら必死にもがいていたんだ・・・そう『嫉妬』という想いを糧に、ね」
嫉妬、というキーワードは彼女にとって特別なものなのか。
今度は気のせいではなく、間違いなくアリシアの雰囲気が変化したのを感じた。
「黙れ! 主君のために剣を掲げ、使命を全うすることこそ騎士の誉れ! どこぞの馬の骨とも知らぬ娘が知ったように語るでない!」
「ま、待て! 感情を抑えろ!」
慌ててベリアルは騎士の一人を宥めようとするが、一度激昂した騎士の耳には入っていないようだった
。ベリアルがそうであったように、他の騎士たちもこの異様な重圧の中で使命を全うしようと精神をすり減らしていたのだ。普段であれば騎士長の言葉にすぐさま反応できるはずの部下が、タガが外れたように乱心しているのが見て取れた。
(まずい・・・相手の目的や出方が曖昧な状態で、こちらが足並みを乱しては――対応が遅れてしまう!)
一度意識をベリアルの元に戻させる必要があるのだが、そのためにはどのような言葉を投げかけるべきか思考を巡らせる。
――が、そんな余裕はあっさりと、本当に簡単にアリシアによって崩されてしまった。
「ふぅん? こんな風になっても・・・そう思えるんだ」
そう言って彼女はしゃがみ込み、こちらからは死角になっている樹木の根元から何かを拾い上げた。
そして無造作に拾い上げた「何か」をこちらに向けて放り投げる。
ちょうど両手で抱えられる程度の丸みのある何か。
数は四つ。
それらは鈍い音を立てて、ベリアル達の足元へと転がってきた。
「・・・・・・・・・あ?」
「・・・、え?」
ベリアルとマリエは思考が停止したかのような、ほとんど反射的な声を漏らした。
他の騎士たちも同様で、転がってきたそれらを凝視して、各々呆けたような声ばかりを吐き出す。
「ちゃーんと忠告しておいたのにねぇ・・・国外に出たら『こうなるよ』って。あれだけじゃ伝わらなかったかな? 今はちゃんと伝わってる?」
一変したこの場では不釣り合いな明るい声に、吐き気を覚える。
結びつく。
目と耳で記憶していた幾つかの事象が、点と点で結びつき、目頭の奥から後頭部にかけて偏頭痛のような感覚が突き抜ける。
「お、お前が・・・やったのか?」
「え?」
「お前が! バウンドドックを・・・、っ殺害し、執務室に置いて行ったのか!?」
「バウンドドック? っていうのは良く分かんないけど、執務室っていうとアレかな? うん、そうそう・・・わたしからのメッセージ。やっぱさ、あーいう抽象的な表現じゃ伝わりにくかったってのは反省点かなぁ・・・。きちんと文字でデカデカと書置きしておくべきだったね、ふふふ」
「何が可笑しいっ!?」
ベリアルの怒鳴り声に、アリシアは肩を竦めた。
足元に転がる物体。
彼女が投げつけてきたのは、安否が気遣われていたバウンドドックの面々、彼らの頭部であった。
胃が引っ繰り返るような吐き気に襲われながらも、下唇を強く噛みしめ、ベリアルはヘルムの下からアリシアを睨んだ。
騎士長を初めとした騎士全員の殺気を平然と受けたまま、アリシアは「うーん」と首を傾げた。
「あれ、もしかしてお友達だったとか?」
「なに、ぃ・・・?」
「だったらごめんね。本当は殺すつもりとか無かったんだけど、ほら、この子たち硝子みたいに脆いからさ・・・ちょっと遊んであげただけで死んじゃうんだもん。でもこの子たちも悪いんだよ? わたしの忠告を無視して横を通り抜けようとするからさ・・・だからこのぐらいの損失ならいっか、って思ってやっちゃった」
あはは、と全く過去を意に返していない様子で笑うアリシア。
ここまで来て彼女の異常性を理解できない人間はいないだろう。
ベリアルは彼女が三顔の仲間、もしくは組する者としてアーリアの敵対者として認識し、静かに剣を抜いた。
まったく先ほど部下が言った通りだ。
面妖な気配を有する彼女に情けなくも後ろ髪を引かれていたが、なんてことはない。仲間を、そして国を思えば、そんな戦慄などいとも簡単に吹き飛ばせるというものだ。
それが大公の元、誇りを胸に剣を掲げる騎士の精神。
と、決壊したダムからあふれ出る水のように、隣から叫び声が上がった。
マリエだ。
同僚の頭を震えながら見下ろしていた彼女は、ようやく今、現実に戻ってきたらしい。
目尻からは涙が零れ落ち、憤怒に顔を歪めながら、彼女は腰から短剣を抜いた。
「この屑がっ! 今すぐ殺してやるっ!」
「ま――」
ベリアルは単独行為を止めるべく、静止を呼びかけようとしたが、機動力が売りのバウンドドックである彼女は彼の言葉が届く前に既に前方へと駆けだしていった
アリシアまでの距離は僅か10メートルほど。
足場の悪い山道ではあるが、マリエは器用に隆起した樹木の根を足場にあっという間にアリシアの眼前まで迫っていた。
アリシアは見たところ、武器の類は一切持っていない。
もしかしたらバウンドドックの頭部を置いていた根本に隠していたのかもしれないが、今からそれを手にする余裕はないだろう。
残るは魔法の線だが、既にマリエは彼女の首元にめがけて短剣を振りぬこうとしている。今から魔法陣を形成したところで、発動する前に彼女の首は胴と別れを告げていることだろう。
普通に考えれば、詰み、だ。
当然アリシアの、である。
アリシアも状況を悟ったのか不明だが、変わらぬ様子で防御する姿勢すら見せない。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
喉から漏れる激情の声と共に、マリエは一切の躊躇もなく、アリシアの首に刃を通過させた。
そう、通過したのだ。
通過、何の手応えもない、ただ――刃は彼女の首などそこに無かったかのように通り過ぎていったのだ。
「・・・・・・、は?」
いや、正確には手応えはあったのだ。
それが人肉、骨に刃を突き立てる時の反動と程遠いものだったために、通過したような錯覚を覚えただけで、確かに刃はアリシアの首を引き裂いていたのだ。
もっとも、アリシアの首元には切れ目の一つも残っておらず、代わりにマリエの短剣の刃は強力な酸で溶かされたように腐敗していくのが見えた。
何が起こったのか。
誰も理解できなかった。
「あーあ」
時間が止まったかのような不可思議な一コンマの世界で、呆れたようなアリシアの声だけが淡々と響いた。
「きちんと教えてあげたのに、それでも理解できないなら仕方ないね」
マリエは不意に全身から湧き出る汗の存在に気づいた。
脳は麻痺したかのように現実を正視していないというのに、その体の全てがこれから起こることに恐怖を感じ、悲鳴を上げているのだ。
睫毛から垂れ流れる汗が鬱陶しい。
引き攣った喉が煩わしい。
過呼吸で満足に酸素が肺に回らないこの状況に苛立ちを覚える。
「っ・・・、ぁ・・・」
「わたしはこう見えて、生きようとする人間には寛大なんだ。どんなに醜くても、惨めで這いずり回って、肥溜めにも等しい醜態で、他人から卑下されたとしても、生きながらえようとするなら、わたしがそうであったように、その意志は尊重すべきかなって思ってるんだけど――」
「そ、総員っ! 私に続けぇぇぇっ!」
一歩遅れてベリアルは騎士団に命令を出し、甲冑に身を包んだ騎士たちが雄たけびを上げてアリシアに向かい始めた。
しかし、嗚呼全くといって理解しがたいこの状況だが、不思議と満場一致で理解できる事項があった。
「・・・魔人だって言ってんだろ? それを相手に、命の価値も考えないで喧嘩売ってきた時点でテメエは駄目だ。落第だ。だから――死ね」
そう、マリエ自身も理解していた通り、魔人アリシアに接近しすぎていた彼女に抗う術はなく、水風船に爪楊枝を突き刺すような軽い仕草でアリシアの人差し指がマリエの胸元に刺さり――彼女はその場で爆散した。
赤い噴水が、アリシアに向かっていた騎士たちの甲冑を染め上げる。
中にはヘルムの隙間から入り込んだ、マリエの血を飲んでしまったのか、嗚咽を漏らす者もいた。
足が止まりそうになる。まるで膝から下が消失してしまったかのような脱力感だ。
いや、この惨状を目の前にして、膝を折らない方がおかしい。膝を折って蹲り、現実離れした現実から逃避するために体を丸めても誰も文句は言わないだろう。
人とはこんなに簡単に死ぬものなのか。
魔獣と戦う場合でも、これほどあっさりと、呼吸をするのと同じような手軽さで命を失うことはない。
(ああ、畜生――)
もう一つ、理解することができた。
いや、答えは初めから彼女が用意してくれていたのだ。なればこの場合、正確な認識ができた、というべきだろうか。
目の前にいる、この女性は――魔人なのだと。




